2012年3月7日水曜日

75;予告:Nuclear Nation 日本初公開、3・11ドイツのテレビ特別番組など

1)先のベルリン映画祭で世界初上映され、大きな反響を呼んだ→舩橋淳監督のNuclear Nationが3月11日、撮影の現場である避難所の元高校の柔道場などで日本初上映されます。
なにしろ、主人公であるいまだに避難中の双葉町のみなさんと、井戸川町長も初めて観られることですので、上映それ自体が映画の続きのようなものでもあるのでニュースになりおそらくメディアも注目すると思います。
入場無料とのことですが、できる方は参加して双葉町の皆さんに連帯を表明して下さい。

なを、同映画をふくむベルリン映画祭に招待された三つのフクシマに関するベルリンからの論評は→ベルリン国際映画祭で観た3/11をテーマにしたドキュメンタリー映画たちをご覧ください。
筆者の梶村昌世はわたしの長女ですが、映画の専門家でベルリン映画祭の長年のスタッフのひとりです。典型的なベルリンっ子として視点は鋭いところがあります。

引用;
自分の市民のために動こうと一生懸命な井戸川町長に同行することによって日本の原子力政策の現状がだんだんと映し出され、観る側としては改めて日本の政治と官僚の無責任と無関心に情けなさと怒りを覚える。

2)3・11を前に今週はドイツの映像メディアでも特集記事や番組が多数あります。そのいくつかを紹介します。

* シュピーゲル誌電子版が→あれから一年:七つの人生、七つの運命と題して、震災津波と原発事故に遭遇した七人の人たちのこの一年の体験と回顧を映像で伝えています。すべて日本語でドイツ語の字幕ですので、これは日本向けではないかとさえ思わされます。カメラも優れています。いつでも観られます。

*本日3月7日(水)ZDF22:45。 ドイツ公共第2テレビ、ZDFのヨハネス・ハノ特派員が→特番「フクシマの嘘」 と題して日本政府、東電など原子力村の犯罪的な歴史と現状を告発するとのことです。現在でも公表されている被災地の汚染値がでたらめであることなどを暴き、嘘で固められた原発事故処理の現状までを厳しく批判する番組であるようです。批判力を去勢されている日本のテレビ報道へのクスリにでもなれば良いのですが。

(追加)ZDFはこの放映に先立ち、ハノ特派員の菅直人前首相との単独インタヴューを本日からHPで流しています。
タイトルは「国全体を覆う原子力ネットワーク」です。ビデオは→こちらで観れます。 事故発生直後からなぜ情報がなかったのか、首相と東電の関係など突っ込んだ質問がなされており、わたしも早々とここで記録した→東電乗り込み、また→最悪のシナリオについても前首相の口から証言を得ています。さらにメディアまで原子力村に取り込まれた日本の状態も話しており、フクシマ事故は人災であったとはっきり述べています。
面白いのは質問の終わりに 「日本はもうすぐすべての原発が停止し、最初の原発ゼロの国になるのでは?」戸の質問に対して、表情を崩しながら「最初の国はデンマークやドイツでしょうが、日本人はフクシマで国土の三分の一から半分を失う危機に直面したことを強く学んだので、原発ゼロに向かうと思う」と述べていることです。

(追加2)ZDFの上記二つのドキュメントを今しがた見ましたが感想です。

「フクシマの嘘」を制作したハノ特派員の問題意識は、事故に至った背景をはっきりさせないと、日本と世界で大事故がまた近く起きるという緊迫した問題意識です。東電の嘘で固めた歴史を追究し、菅直人の証言で全体の構造を裏付けています。大地震がまた近く起き、再度の原発事故が起きる可能性は強いとの危機感もあります。
これを見たドイツ人は、少なくとも東電の勝俣会長以下の首脳が、いまだに居座り刑事追訴されていないことを不思議に思うでしょう。ドイツであればとっくに業務上過失容疑で起訴されています。

この連中の刑事責任をきっちり追及できないなら、次は日本社会は原子力マフィアに無理心中を強いられるでしょう。ちゃんと刑務所に入ってもらわなければ、日本はとうてい法治国家とは言えません。
先日、河合弁護士らによる→株主訴訟で民事責任は提起されましたが、さらに検察は刑事責任を追及すべきです。


* 明日3月8日(木)3Sat 20:15。ドイツ公共第1テレビがドイツ語圏放送3Satの番組として→「日本・未来なき国?」でいまなを続く汚染地帯の人々の苦悩を現場のルポで伝え、日本政府の情報政策を批判するとのことです。


*3月9日(金)3Sat 21:30。日本の震災と事故による経済への負担をテーマにした→「岐路に立つ日本」が放映されます。

*追加です。既にご覧になった方も多いでしょうが、英国BBCが3月1日に放映した1時間番組「津波の子どもたち」は、子どもたちの証言を軸にした非常に素晴らしい貴重な記録です。歴史に残るドキュメントです。是非ご覧ください。これも証言は日本語で英語の字幕となっています。
どうやら、日本の外国メディアは日本のテレビ報道があまりにも低質なので、日本人に観てほしいと考えているのではないかとさえ思われます。
 →"Japan'schildren of the tsunami " 

 


2012年3月4日日曜日

74;フクシマ1周年・ドイツ全国で追悼デモと集会/ドイツの反原発運動はいまや歴史的文化である

フクシマ事故1周年にあたる来週の3月11日の日曜日には、→ドイツ全国の6カ所で大きな地震と事故の追悼デモと集会が行われます。他にも数えきれない脱原発の行動が、特に今年は、ドイツ国境を越えて計画されています。いかその報告です。





































このポスターは、そのひとつニーダザクセン州の首都ハノーファーで行われるデモと集会を呼びかけるものです。上部の日本語のロゴに添えられている全国統一行動のスローガン は「フクシマを追悼しよう」です。この地域でのスローガンはその下の「グローンデを停止せよ」ですが、ポスターの右の写真のグローンデ原発は、同州でまだ稼働中の残された原発です。以前第53回で紹介しましたように、→映画「アンダーコントロール」にでてくる、ドイツ原発産業が誇る稼働率の高い原発です。しかし、これもここで速報でお知らせしましたようにこの原発を作った→シーメンス社も原発部門から完全撤退すると潔く宣言しましたので、それなら即時停止せよというのがデモの要求です。核のゴミが増えるばかりですので、即時停止が最も望ましいのです。

 
これがデモと集会の行われる6カ所を示していますが、いずれもまだ稼働中の原発の立地と、それと廃棄物中間貯蔵ないしは最終処分施設のある地名です。
これを見ると、ドイツ国内の脱原発闘争が、ついに最終段階に入ったことがわかります。
全国が6つに色分けされていますが、これは環境保護団体などが話し合って、各地の市民団体がどこの集まりに行くかを要請して示したものです。これに基づいて全国の団体が計画を立てています。
何をやるにも組織的に行うドイツ人の特徴がここにも見られます。



さて、1970年代からのほぼ40年にわたるドイツの反原発運動は、最終段階に入ったようですが、したがってこの市民の闘争史はこの国の文化の一部として歴史に残されるものとしてあります。第54回で詳しくお知らせしましたように、→ドイツ反原発運動の中心ゴアレーベンで始められているそのひとつのプロジェクトを、先週訪ねました。
このブログの読者にはおなじみの→マリアンネ・フリィツェン(Marianne Fritzen)さんたちが始めた→「ゴアレーベン史料館・Gorleben Archiv」です。
以前書きましたように、2009年の秋に成立したメルケル政権が、原発稼働期間の延長を目論んでいることに抗議して、ゴアレーベンの人々がベルリンに大デモで押し掛けたときに、このプロジェクトがスタートしたことをフリッツェンさんから聴いていましたので、是非それを見たいと思って、日本のあるテレビの取材に便乗して訪ねました。
史料館そのものの様子は、前記ホームページでご覧ください。実際に訪ねてみると思ったより立派なものになっているので驚きました。表紙には「Archiv einer Geschichte, die noch nicht Geschichte ist.まだ歴史にはなっていない歴史の史料館とあります。ということは、将来は歴史博物館となるということです。

同館のホームページからいくつか写真をお借りして、フリッツェンさんを中心にわたしなりの紹介をしましょう。
Marianne Fritzen Demo April 1979 Foto:Torsten Schoepe
この写真は高レベル核廃棄物最終処分予定地とされたゴアレーベンの岩塩層に1979年、最初の試掘が始められたときのデモで警察官と対峙するマリアンネ・フリッツェンさん(1924年4月7日生まれ)です。当時はまだ55歳になったばかり。

それから33年後:
Marianne Fritzen 26.Feb.2012   Fotograf Kina Meyer / PubliXviewinG
 つい先日の2012年2月26日のマリアンネさん。1977年のこの日に当時のニーダーザクセン州のアルブレヒト州首相が、ゴアレーベンを西ドイツの原子力関連施設の中心地にすると発表しました。その35年周年を記念してデモが行われ、当初から反対運動の中心となってきたお年寄りたちが、最終処分施設予定施設(背景)の入り口での集会で挨拶をしました。危険な核施設の建設に断固として闘い続けるひとりの市民の姿です。



http://gorleben-archiv.de/

マリアンネさんたちの史料館には、この35年にわたる闘いの歴史史料が集められ、整理分類中です。
ホームページからの左の写真は、赤ん坊を抱いた孫の世代にあたる地元の母親が、闘争の歴史を学びに訪れています。赤ん坊は闘いの第四世代であると説明されています。

思うにこの子もすでに、デモには参加しているでしょうし、核に打ち克つ歴史を完成させる闘いに参加するでしょう。


ゴアレーベンのデモ「原子力経済:親父は金持ち、息子は貧乏、孫は早死に」

さて、史料館でわたしが、複写した写真を一枚紹介します。
年代と撮影者を確認するのを忘れたのですが、かなり初期のデモの写真のようです。
トラクターに掲げられている看板の言葉に注目したからです。そこには:




「原子力経済;親父は金持ち、息子は貧乏、孫は早死に」

とあります(ただし、ドイツ語原文は「・・・となる」と未来形です)。これは正確に原発政策の結果を予言したものです。
原発経済で潤い、ところがフクシマ事故で経済負担に喘ぎ、子どもたちの命を心配しなければならなくなった現在の日本の悲惨で情けない現実を見事に言い当てています。
Taichiro Kajimura, Marianne Fritzen 29.Feb.2012

現在、史料館ではギャラリーで運動の歴史のポスター展が開催されていました。電話などで、訪ねると何度も言っていたわたしがようやく現れたので、マリアンネさんは、大変に良いご機嫌でした。
もうすぐ満88歳ですが、まだまだ頭脳明晰で矍鑠(かくしゃく)とされており、ドイツの緑の党の文字通り現場での生みの親の貫禄たっぷりです。いやはや頼もしい限りです。






史料館はゴアレーベン村に近いルッヒョウという小さな、典型的な北ドイツの農村地帯の古い町の裏通りにあります。

これが入り口ですが、街の中とはいえかつて荷馬車やトラクターが出入りした古い農家の一角です。

下の写真の左の建物が、マリアンネさんが長く代表を務めた現地市民運動の中心の事務所があり、右の建物に史料館があります。ドイツが核兵器も原発もない、完全な非核社会になったとき、この地はそれを実現した市民運動の発祥の地のひとつとして、おそらく世界の反核闘争の歴史に刻まれるでしょう。
ぜひ、日本からも市民運動のみなさんも、こころあるジャーナリストのみなさんも訪問してほしいものです。


2012年2月23日木曜日

73;ベルリン国際映画祭の歴史的背景について

  第71回で書きましたように藤波心さんに約束した、以前書きましたグレゴールご夫妻に関する記事を転載します。
左は19日まで開催された今年の第62回ベルリン映画祭のポスターです。この映画祭は通称としてBerlinale/ベルリナーレと呼ばれます。
2010年の映画祭で、若松孝二監督の『キャタピラー』に出演した寺島しのぶさんが、見事に最優秀女優賞を獲得しましたが、その記念に執筆したものです。
原文は『図書新聞』2010年3月 20日号に掲載され、さらにその夏、日本で上映されるにあたり出版された同映画のカタログに転載されたものです。
 ベルリナーレは「社会性の強い映画が評価される」とよく言われますが、日本ではそれが何故かについては、映画界の専門家でさえ良く知られていないのが実情です。
それを知っていただくために執筆したものです。

ブログに掲載するにあたっては、写真を一枚だけを差し替えました。

以下が本文です。
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ベルリナーレ(ベルリン国際映画祭)・復活の三つのメタファー 

文化の根は深く生き延びている 梶村太一郎

写真1。レネー・シンテニス。1925年のポートレート部分

赤いマフラー

二月二〇日の夜、第六〇回ベルリン国際映画祭(ベルリナーレ)で若松孝二監督の『キャタピラー』で主演した寺島しのぶが、最優秀女優賞を獲得した。
表彰式では、赤マフラーの若松監督が日本での舞台のため不在の寺島に代わって「銀熊」トロフィーを受け取り、メーッセージを代読した。その姿には、あたかもドイツの巨大労働組合のボスに似た落着きと貫禄が観られた。というのも、このカシミヤのマフラーは二〇〇一年以来の映画祭のディレクターで、ドイツ映画界の大物ディーター・コスリックから彼にプレゼントされたもので、よく似合っていたからだ。
今年のベルリンは厳冬で、映画祭の間も最高気温が零下の真冬日が続いていたための気遣いであったのかもしれない。だが実はそれだけではない。赤マフラーはコスリックが長年属する社会民主党の党員たちの冬のシンボルで、政治性の強いベルリン映画祭の彼自身のトレードマークなのである。そこには、ドイツの六八年世代の文化界の有能な代表から若松監督への連帯の意思が隠しようもなく視てとれる。
コミニケーション科学教授である彼は、一昨年のこの映画祭で二つの賞を獲得した『実録 連合赤軍』が示した監督の能力をよく知っている。メディアとしての映画には良し悪しはともかく、時代におもねる映画と、時代を創ろうとする映画がある。若松孝二の作品は後者であることをコスリックは見抜いており、共感を示したと思う。授賞式での若松のマフラー姿は、したがってそれへの応答となっていた。
さて早速、日本のメディアは「田中絹代以来の三五年ぶりの快挙」と大きく報道した。私は一九七五年、田中が同じ賞を得た熊井啓監督『サンダカン八番娼館 望郷』を、その頃はまだ夏に開催されていた映画祭で観た。山崎朋子の原作を読んでいたので、原作に忠実な脚本に驚いたことを思いだした。当時、西ベルリンに来たばかりの私は,この授賞によってベルリン市民が日本映画を高く評価していること、また近所のアルゼナールという小さな古い映画館が小津安次郎や黒澤明の古典的名作を多く集めており、普段から繰り返し上映していることを知った。私は異郷の地で期せずして巨匠の古典を堪能できる環境に巡り会ったのだ。

「武器庫」

一九五一年から米軍占領下の西ベルリンで始められたこの映画祭は、生まれからして「自由世界のショウウインドウ」として、東西冷戦での反共文化の最前線という政治性を孕んでいた。当初の数年間は何と米軍の軍事予算からの借金で維持されたのだがら、それも驚くに値しない。ところが、世界三大映画祭のひとつになるまでの六〇年間に、強烈な政治性だけは維持されながらも、内容は極めてダイナミックに変遷している。その背景には「武器庫」がある。
生誕の事情からして五〇年代から二〇年ほどは、ハリウッドなどの西側の商業映画が主流であった。「ただ、例外は小津や黒沢の日本映画で、彼らの作品はわたしたちには啓示でした。スチール写真がないので、黒沢の映画を上映中に隠し撮りしたこともあります」と映画批評家のウーリッヒ・グレゴールはつい最近述べている。
彼と夫人のエリカたち、当時の若手の批判的六八年世代の映画人たちが、市民運動「ドイツキネマ友の会」を結成したのは六二年のことだ。彼らは映画祭に合わせて、カウンターパートの「オールタナティウ゛映画祭」を開催し、前衛映画や社会批判的映画の紹介を続けていた。七〇年には、安く売りに出た古い映画館を、借金をして二万五千マルク(当時の三〇〇万円ほど)で購入した。これが彼らの拠点映画館「アルゼナール=武器庫」である。この名はロシア革命で、ウクライナの武器工場での労働者蜂起を英雄視して描いた二九年のソ連映画名に由来する。以来、日本の古典や前衛映画もこの「武器庫」に収納され上映されることになった。
そして、まさにこの七〇年に映画祭は最大の危機を迎えた。上映された若いドイツ人監督のヴェトナム反戦映画『O.K』を審査委員長が「反米映画だ」と批判したことが契機で、審査委員会が紛糾し辞任。それに抗議する若者たちに映画館が占拠される騒ぎとなり、ついに映画祭は中断されてしまった。存続の危機である。
この危機を救ったのが当時の社会民主党ベルリン文化相のヴェルナー・シュタイン。彼はグレゴールたちの運動を映画祭に組み込む提案をしたのだ。それを受けて翌七一年から始まったのがヤング・フォーラム部門である。フォーラム部門はちょうど始まったウイリー・ブラント首相の東方外交の波に乗り、社会主義諸国の優良な映画を紹介する活動も始めた。このようにして「反共の砦ベルリン」のそれが、文字どおり冷戦の壁を越えた国際映画祭としての基盤を徐々に整え始めたのである。「当時、本家の中国では文化革命は失敗したが、ドイツでは成功した」と最近よく言われる。まさにその好例のひとつである。こうして「武器庫」は、冷戦終結後のきらびやかなベルリン映画祭の発展を準備する頑丈な土台となった。
彼らが紹介した日本映画の数は非常に多い。若松孝二関係だけでも、初期の多くの作品に続き、七六年に若松プロダクションの大島渚監督『愛のコリーダ』(これは初上映の直後、会場で私服の検察官に「ポルノ映画」としてフィルムが差し押さえられ、大スキャンダルとなった)が上映されたのも、最近では〇八年に『実録 連合赤軍』が二つの賞を得たのもフォーラム部門である。
二〇〇〇年のことだが、私の愛した小さな映画館アルゼナールは、街の中心のベルリンの壁が撤去されて再建なったポツダム広場に引っ越してしまった。ベルリナーレが行われるソニーセンター地下の、まるで別世界のような大きな映画館となったのだ。
少し寂しいのだが、この映画芸術愛好家たちの市民運動がこれまでに果たした役割には巨大なものがある。ベルリン映画祭の特徴として、政治的で社会批判が一貫して強いのは彼らの「武器庫」の力によるものだ。
六〇周年の今年、グレゴール夫妻は、山田洋次監督と並んで特別功労賞「ベルリーナカメラ」を授賞している。授賞に際してのインタヴューで、彼には過去に何度もベルリナーレのディレクターになるよう問い合わせがあったが、いずれも断ったと答えている。その理由は「フォーラムは予算は少ないが、独立性が維持でき、コンペ部門のような妥協をしないで済むからだ」。このようにして、いまや「武器庫」は世界の映画の宝庫となったのである。

トロフィーの熊

ところで、若松監督が受け取り、主演男優の大西信満が日本へ大切に持ち帰って、無事に寺島しのぶに手渡した最優秀女優賞のトロフィーの熊であるが、これにはもっと長い黄金のワイマール時代からの栄光と苦難の歴史がある。受け取った寺島が嬉しくて、その頭に接吻をしたこの小さな熊はナチスに弾圧され復活した経歴をもっているのだ。
写真2 シンテニス、小熊 ブロンズ 1932年

生みの親は女性彫刻家レネー・シンテニス( -->Renée Sintenis、一八八八=一九六五・写真1)。彼女はワイマール時代には、女性としてはケーテ・コルヴィッツに次ぐ有名な芸術家であったが、日本ではほとんど知られていない。というのも彼女の作品の中心が、子馬や犬などの動物の比較的小さなブロンズ像であり、純芸術的で社会性がみられないからであろう。
古いユグノー教徒の家系に生まれ、ベルリンの北方の小さな田舎町で幼少時代をすごした彼女は動物を愛した。特に生まれたばかりの子馬(一歳駒)は、彼女には「最も美しい動物」であり、多くの作品を残している。一九一五年、ベルリンの展覧会で無名の彼女の作品を発見したのは、詩人ライナー・マリア・リルケである。彼は「炎のでるような」賞賛の手紙を彼女に書き、またトーマス・マンら、当時のドイツの高名な作家、芸術家らに紹介状を送っている。このオーギュスト・ロダンに心酔していた感性豊な詩人は「女性でしかできない表現力」を一目で見抜いたのである。当時はまだ彫刻は「男の職業」であったのだ。
一九二〇年代は芸術家にとっては黄金のワイマール時代で、収入も豊になった彼女はベルリンの自宅に馬を飼い、毎朝、街の中心のティアーガルテンを騎馬で散歩したという。一八〇センチを越える長身でおかっぱ断髪の彼女は、時には男装もしており、中心街のモガたちの中でもとびきり目立ったといわれている。そのころは、スポーツ選手のダイナミックなブロンズ像をものにして、二八年のアムステルダムオリンピックで芸術賞を授賞、国際的な名声も得ている。三一年には女性としては史上初のプロイセン芸術院会員になった。
ところが、三三年のナチスの権力掌握で運命は一挙に暗転する。まずは芸術院から排除され、「非アーリア的人物で、退廃芸術家」と烙印を押され、展覧会出品も禁止された。そのため夫の画家エミール・ルドルフ・ウ゛ァイスとともに「国内亡命」へ入る。四二年には夫も失い、敗戦間際には空襲で、公園に連れて逃げた一匹の飼い犬以外は一切を失っている。
戦後は芸術院にも復帰し、ベルリン芸術大学教授になったが、健康も害し、もはや創作の力も衰えていた。五一年、そんな彼女のところに始まったばかりのベルリナーレからトロフィー制作の依頼があった。そこで彼女が示したのが、三二年に制作した小さな熊のブロンズである(写真2)。以来、六〇年間、シンテニスの熊は、ワイマール時代と同じベルリンの芸術専門鋳造の老舗「ヘルマン・ノアック」工房で毎年生まれ続け、金箔、銀箔の装いで、世界中の監督と俳優たちの手に渡されている。
写真3 ベルリン市紋章

ところで、金熊銀熊賞はベルリン州の紋章が古くから熊であることに由来するとされている。それは間違いではないのだが、戦後の五四年に改めて制定された正式な市の紋章の熊(写真3)とは、一見似てはいるが非なるものであることは知られていない。生粋のベルリン子たちは「見ろよ、ベルリン州の熊はいまだにナチスと同じで右手を挙げてるぞ。スキャンダルだ」とけなす。シンテニスの熊は反対に左手を挙げている。いまではベルリナーレのロゴにもなっており、こちらの方がベルリンを世界に代表している。毎年、熊を鋳造し続けている工房の三代目七九歳のヘルマン・ノアック老人もグレゴール夫妻とともに特別功労賞を受賞した。かつてシンテニスやコルヴィッツのブロンズを制作したのは彼の先代である。

今年のベルリナーレの一〇日間に紹介された映画は四〇〇本、観衆は三〇万人であった。初日には一九二七年にフリッツ・ラング監督のワイマール時代の最大の古典無声映画『メトロポリス』の長編フイルムが、特別作品として八三年年ぶりに復活上映された。昨年、アルゼンチンでほぼ全長のコピーが発見され、修復デジタル化されたものだ。ベルリン放送交響楽団の生演奏つきだが、約二時間半の長さなので,オペラのように途中で休憩があった。
驚くべき迫力のある前衛作品であった。どうやらベルリンは映画のメトロポールとして復活しつつある。文化の根は深く、生き延びている。

(ベルリン在住ジャーナリスト)
この投稿はよく読まれているようです。ありがとうございます。

2012年2月20日月曜日

72:食品新規制値決定での「やらせメール問題」で内部被曝研究会が抗議文を発表


 第68回で放射能汚染に関する新規制値に法案に対して内部被曝研究会が厚生労働省に意見と提言をした内容についてお知らせしました。

 ところが、こともあろうに懲りない原子力村の村民である放射線審議会の会長らが、複数の関係学会に対し「新規制値案は厳しすぎるので、反対意見を厚生労働省のパブコメに投稿するよう依頼する「やらせ要請メール」が発覚しました。
 これについては、昨日あたり全国各紙で報道されており、一昨日、共同通信も→トッピクスで報道しています。類似のメールはかなり広範に送られたようで実は、わたしのところにも同様のメールのリークがありました。
内容は、要するに「原発事故による食品の放射能汚染による内部被曝規制値は厳しくする必要はない」との、馬鹿の一つ覚えの繰り返しです。原発中毒の御用学者たちの「じゅげむじゅげむの呪い」ではないかとさえおもえます。
 
 ただし問題が深刻であるのは、発信元が重要な政府機関の公職にある人々であることです。この原発利益集団の「世論工作のやらせ体質」は、無責任な事故と放射能汚染をもたらした人的原因のひとつであることが、ようやく世論でも認識されてきつつあります。いまだにこのような民主主義を蝕む体質が温存されたままでは、深刻な汚染問題の解決の障害となるだけです。
  
 そこで本日、市民と科学者の内部被曝研究会が、以下のようなこの問題に対する抗議文を公表し、関連省庁である文科省と厚労省に対し、真相の解明と責任の所在を明らかにすべしと申し入れていますので、全文を記録しておきます。

研究会はこの中でも食品規制値はドイツ並みにするべきであると、繰り返し主張しています。

以下引用です;

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  食品新規制値決定プロセスで現れたやらせに抗議する


2012219 市民と科学者内部被曝問題研究会 代表 沢田昭


  食品に含まれる放射性セシウムの新基準値(案)について、厚生労働省は意見公募(2012年1月6日~2月4日)を実施しました。この公募には、約 1700件の意見が寄せられ、もっと厳しくすべきだとの意見が約1400件(82%)(厳しすぎるとの意見は約40件)と圧倒的に多かったと報道されてい ます。文部科学省の放射線審議会は、この案の妥当性について諮問を受け、1月16日これを了承する答申をまとめ公表しました。
   
 ところが、放射線審議会前会長(東北大学名誉教授)中村尚司氏および現会長の丹羽太貫氏が、複数の関係学会会長に「やらせ」の意見提出を各学会会員に要請 する文書を出していたことが判明したのです。それは、「(厳しすぎる基準は)安全性の評価と社会的、経済的影響に関する検討がなされておらず紛糾してい る」などとして、関係学会関係者を通じて学会下部組織の会員らに要請文をメールで送ったという趣旨の報道(2012216日、17日付全国各紙、共同 通信)です。
   
 放射線審議会が、答申に別紙を付して「答申が厳しすぎる」旨を表明する見通しだったとしても、両氏が反対意見の提出を関係学会に要請することは絶対に許されず、放射線審議会による明らかな「やらせ」と言わざるをえません。
  これは、公職の「放射性審議会長」に在った者あるいは現にある者が世論偽装工作に関与したことを明白に示すものであり、民主主義国家にあるまじき行為です から、見過ごすことは断じてできません。私たちは強く抗議し、厚生労働省と文部科学省に対して、国民の前に真相を明らかにし、事実の経緯と責任の所在を はっきりさせることを要求します。
   
 この要請文に対して、小宮山洋子厚生労働相は、17日の記者会見で「あってはならないこと。(反対意見の動員は)パブコメの本来の趣旨に反する」と批判し たそうですが、当然の反応でしょう。しかし、平野博文文部科学相は「専門家としての行動。審議会の議論に影響を与えていれば問題だが、そういう事実はな い」と話した(17日、共同通信)とあり、看過できません。
   
 いわゆる「原子力村」の強引な民主主義に敵対する行為が引き続いて生じること自体が、日本の原子力・放射線管理を巡る「安全神話」の危険な醜態を如実に示 しています。8カ月前の20116月、玄海原子力発電所23号機の運転再開に向け、経済産業省が主催し生放送された「佐賀県民向け説明会」実施にあた り、九州電力が関係会社の社員らに、運転再開を支持する文言の電子メールを投稿するよう指示していた「世論偽装工作事件」(サクラ、やらせ)は、未だ記憶 に残っています。
  「原子力村」の一翼を担う科学者集団としての学会が、かかる反民主主義的、非科学的行動を続けているのです。
  
 そもそも、元会長らが要請理由の第一に挙げる「安全性の評価と社会・経済的影響に関する検討がなされていない」ということは、率直に言えば、放 射線の管理を「人間の命と健康を守るために行う」のではなく、「東電と政府の事故に対する責任を如何に少なくするかの検討をしないといけない」という意味 であり、ICRP(国際放射線防護委員会)の“ALARA勧告などに謳われている、「原子力村」だけがメリットを得る手前勝手な功利主義そのものです。
 
 「電力を得るという公共のメリットのためには犠牲が出てもかまわない」という考えは、憲法の基本精神である「個の尊厳」と、25条の「すべて国民 は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければな らない」と規定されている精神に、真っ向から反する憲法違反の考え方です。
 
 犠牲の強要をシステムとして住民に押し付けなければやっていけない原発は、もともと存続させる根拠が無かったのです。住民への犠牲の強要は、事故 が起これば途方もなく大きくなります。事故で放出される放射能で汚染されることは、住民には何のメリットもありません。功利主義の前提条件にも反します。 東京電力は全存在を掛けて、住民の被曝を防護しなければなりません。
 
 ドイツでは、一般住民の年間被曝限度は0.3ミリシーベルト(mS/年)です。日本でも、内部被曝も考慮して住民の被曝を防護するためには、ド イツ並みの被曝限度にしなければ、住民の健康を守ることは不可能です。新基準値は少なくともドイツ並みの5ベクレル(Bq/kg)程度にするべきです。放 射線感受性の高い乳幼児向けの乳幼児食品が50ベクレルとはもってのほかで、1ベクレルにするべきです。
 
 今後、汚染は長期にわたって続きます。チェルノブイリ周辺の住民は、貧しいがゆえに放射能汚染食品を食べなければなりませんでした。一方、日本で は、政府の強制で汚染食品を食べさせられようとしています。私たち住民は、真剣に被曝ゼロを目指すことを求めなければ、自らの命を守れません。
 
 少なくとも百年先を見通しながら、農業・畜産業・林業・水産業を続け、伝統文化を守り発展させ、食糧自給率100%を目指すためには、家族ぐるみ、集落ぐるみ、村・町ぐるみの集団疎開が、緊急の必要条件です。
 この長期的プロジェクトは、中央政府が大きな基金を準備して財政的に支える仕組みをつくらない限り、不可能です。被曝し続けている子どもたちのい のちをまもるために、多額の税金も投入するべきです。自然環境を守りながら安全な食糧を生産するために、多額の税金も投入するべきです。これこそが、真の 意味での国の防衛ではないでしょうか。
 
 私たちは、子どものいのちを守る立場から、このような原発推進者側の「やらせ」行動を厳しく糾弾し、以下の2点を強く要求します。

 1)厚生労働省と文部科学省に対して、遅くとも今年3月中旬までに、国民の前に「やらせ」の真相を明らかにし、事実の経緯と責任の所在をはっきりさせること。

 2)圧倒的多数の市民の意見・希望に応えて、さらに厳しい食の基準値を定めること。
                                        
                            以上

2012年2月19日日曜日

71;核に立ち向かう監督たちの怒りと希望について・ベルリン国際映画際より

第62回ベルリン国際映画際のフォーラム部門で紹介され、前回でもお知らせした日本のフクシマ原発事故をテーマにした3本の映画は、ドイツはもちろん国際的にも大きな反響を呼びましたが、本日2月18日、残念ながらいずれも受賞は逃しました。
何しろ、舩橋淳監督の作品"Nuclear Nation"の上映などは、監督によれば、毎回いづれも満席で、800席の会場に立ち見席をもうけても入りきれなかった上映もあったとのことです。(それにしても、消防法で立ち見席は禁じられているドイツですから、警察は目をつぶったようです。一般の映画館では絶対にあり得ない事態です)。

もちろんメディアでの反響もよく、したがって、これほどの関心を呼んだ作品がそろったので、何らかの受賞はあるとわたしも期待したのですが。
ひょっとしたら、フクシマ3作品のひとつだけに賞を出すことは難しく、とはいって3作品にまとめて出す賞もないので外れたのではないかと、いささかうがった質問をホーラム部門のディレクターのテルへヒテ氏に立ち話で尋ねてみましたが、彼も審査内容は知らずわからないとのことでした。

期待があっただけ、わたしも少しがっかりしたのですが、一方で、未成年向けの部門で、やはりフクシマ原発事故をテーマにした、平林勇監督のアニメ「663114」が、特別賞を受賞したことは、大変嬉しいことです。

また、短編部門で和田淳監督のアニメ映画「グレートラビット」が、銀熊賞の栄光に輝いたと先ほど報道されました(これはフクシマには関係ないので残念ながら観ていません)。

さらに、フォーラム部門では、これも朝鮮半島と同様に国家と家族の分断を体験し、痛みのわかるドイツ人の心に深い共感を呼んだ、梁英姫(ヤン・ヨン匕)監督の「かぞくのくに」がアートシアター賞を受賞したことは、大きな成果です。

梁監督は「ベルリンは間違いなく私の人生において特別な場所になったと実感している」と喜びを述べたとのことですが、ベルリンっこのわたしも大変嬉しく思います。
写真をひとつお見せしますね。
Funahashi Atsushi, Yang Yonghi ,Berlinale 18.Feb.2012 Photo:T.Kajimura

 これは本日、フォーラム部門の賞が発表された直後の舩橋淳、梁英姫監督の写真です。舩橋さんは惜しくも賞を逃し、梁さんは見事に受賞しましたが、お二人とも厳しい国際舞台での連日のプレゼンテーションと寝不足で疲れが隠しようもなく顔に出ています。

しかしわたしは、これは柔和な東洋の「核に立ち向かう監督たちの闘いの表情」であると思います。ひとりはヒロシマの被爆二世として原発事故に立ち向かい、もうひとりは祖国の分断と固定化の背後にある核兵器に対し、作品の力で立ち向かっています。どちらも人類史最悪の暴力に、それぞれの芸術の力で正面から立ち向かっている、まさに勇者であるのです。彼らに潜んでいる人間の根源にある怒りと希望が、彼らの作品に籠められているのです。

また、舩橋監督はベルリンでの受賞は逃しても、今年の夏にはアメリカの30都市で上映されることが決定したとのことで、大いに張り切っていました。問題は日本国内での上映です。

じつはもう一枚、ベルリン映画祭ならではの珍しい写真がありますので、これも紹介しましょう。
Fujinami Kokoro,Ulrich & Erika Gregor.Berlinale,18.Feb.2012 Photo:T.Kajimura
舩橋監督らと話していると、こちょこちょとどこかで見た少女が現れました。岩井俊二監督の"frieds after 3.11"に出演し、ベルリンへ初めてやってきた中学生の藤波心さんです。

わたしは、彼女のことは全く知らず、たまたま先日の東京代々木公園での2・11 集会で、すばらしい挨拶をし、「ふるさと」を高唱した姿を報道で知り、大変に感動したところでした。
早速、矢継ぎ早に質問をしてから、「あなたのこころからの演説は本当に素晴らしかった。ノーベル賞作家の大江健三郎さんの下手くそな原稿読み上げ演説とは対照的で、内容も日本の政治家が心に刻むべき素晴らしいものだった。日本の脱原発運動では、滅多にない超一級のできだ。あれが即興で出来るのは素晴らしいことだ云々」と、本心から口を極めてベタほめをしました。彼女、突然出会った知らない爺さんのそんな言葉に、おじけづくほどびっくりしたようです。

そこへ彼女へのご褒美でしょうか、ゆっくりと現れたのがこのお二人です。ウーリッヒとエリカ・グレゴールご夫妻です。そこで、おふたりに「藤波さんは脱原発でがんばっている日本の若い女優さんです」と紹介し撮らせていただいたのがこの写真です。
実は、このご夫妻は知る人ぞ知る、ベルリン映画祭のフォーラム部門を築き上げた功労者なのです。彼らなしには現在のベルリン映画祭はありません。

時間がないので藤波心さんには、とりあえずこのことだけを伝えておきました。詳しくは、ブログで紹介すると約束しましたので、2年前にこのご夫妻のについて書いたものがありますので、それを→次回に紹介します
 今年、80歳になられるグレゴール氏と、怒りと悲しみをこめて脱原発に励む15歳の日本の女優さんのベルリンでの出会い。これも決して偶然ではないのです。

彼女はフクシマ事故で世界を覆った暗天に輝く日本の若者たちの希望の星のひとつです。
彼女のような若者が次第に現れ、フクシマの人道犯罪、自然破壊犯罪で未来を奪われつつある日本の子どもたちが集まり、やがてそれは希望の銀河となるでしょう。



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2012年2月16日木曜日

70;ベルリン映画祭でフクシマ事故がスポットライト・AFPが報道/井戸川町長の世界へのメッセージに観衆が大喝采

 第68回で9日に始まったベルリン映画祭で舩橋淳監督の"Nuclear Nation"が話題になるであろうとお知らせしましたが、映画祭も終盤に入った昨日、AFPも「フクシマ原発事故の日本の3本の映画が重く、注目されている」と報道しています。世界での受け止められ方が行間で伝わっていますので、先ほど配信された日本語版も付けて記録しておきます。
さて、終盤の映画祭そのものでどう評価されるか、わたしも期待を込めて緊張しています。 

 また、井戸川双葉町長の映画祭での世界へのメッセージの原文も記録しておきます。

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Fukushima weighs heavy at Berlin film showcase
By Kate Millar | AFP News – Wed, Feb 15, 2012

The Fukushima nuclear disaster has come under the spotlight at Berlin's film festival with three films exploring its impact on Japanese society less than a year on.
The 11-day festival, which prides itself on its generally edgier and more politically-overt line-up over other film showcases, was perhaps a fitting backdrop for the documentaries.
"I'm more than happy to be here because the Berlinale has got a long history of showing all those political, socially conscious films," Atsushi Funahashi, director of "Nuclear Nation", told AFP.
He said that although he was sensitised to the atomic question because his family had been affected by the 1945 Allied atomic bombing of Hiroshima, he was unsure at first how to tackle Fukushima.
"First of all, I didn't know what to do as a film-maker but I knew I had to do something," he said, adding one of his motives had been the difference in data from international and Japanese officials.
He focuses on the exile of residents of Futaba, where the crippled Fukushima Daiichi nuclear plant was based, to an abandoned high school 250 kilometres (155 miles) away.
The story homes in on a mayor whose town no longer exists as he tries to keep the community together.
"No Man's Zone" by Toshi Fujiwara journeys inside a 20-kilometre area which was evacuated after the disaster, as well as surrounding areas, to talk to "normal" people about how their lives were affected.
With slow panoramic sweeps of battered buildings by the sea, thick piles of rubble, boats lying on their side and crumpled cars, the film opens saying that images of destruction are "always difficult to digest".
It intersperses lingering shots of cherry blossom trees in the spring, cattle and green landscapes with frank conversations with farmers and fishermen who have lost their livelihood.
An older couple talk openly and animatedly about how they want to keep their damaged home despite the cost of repairing it and their experiences of having to stay in a refuge.
"I had a very strange feeling that the people who were directly concerned were somehow very neglected," Fujiwara said.
Meanwhile, in "Friends After 3.11", director Iwai Shunji discusses the political, social and economic state of the country with new "friends" that include a nuclear plant engineer, banker and journalists.
"I want to portray Japan's present and future as told by these 'friends'," he said.
The disaster, triggered by the March 11 earthquake and tsunami, contaminated the environment and forced tens of thousands of residents around the Fukushima nuclear site in northeast Japan to evacuate their homes.
Many still do not know if or when they will be able to return.
The Fukushima power plant became the site of the worst nuclear accident since Chernobyl after it lost its cooling systems in the March earthquake and tsunami and went through meltdown and explosions.
In the wake of the Fukushima accident, Germany decided to phase out nuclear power by the end of 2022.


福島原発事故がテーマ邦画3ベルリン映画祭で注目
  • 20120216 18:18 発信地:ベルリン/ドイツ
215 AFP東日本大震災による福島第1原子力発電所事故から間もなく1年を迎えるなか現在開催中独ベルリン国際映画祭Berlin International Film Festivalに原発事故日本社会へ影響を検証した3ドキュメンタリー映画が出品され注目を集めている

 11日間に及ぶ同映画祭は国際映画祭に比べて政治色が鮮明で切り口鋭い出品作を誇っている福島原発事故を扱ったドキュメンタリーはこした背景に沿ったもといえるだろ

Nuclear Nation

 話題3作品1、『ニュークリアネイションNuclear Nation舩橋淳Atsushi Funahashi監督はAFPインタビューに対し、「政治的社会的意識高い作品を上映してきた長い歴史を持つベルリン国際映画祭に出品できることは上なく嬉しいと語った

 舩橋監督家族は広島で原爆に遭ったため核問題については元々敏感だったが福島原発事故には最初ど向き合べきか戸惑ったといしか 、「映画制作者として何をすべきか分からなかったが何かをしなければと思った」。日本政府公式発表と世界から届く情報と差が動機1つとなっ

 舩橋監督は福島第1原発がある福島県双葉町から250キロ離れた廃校校舎に避難した住民たちに密着したストーリーではなくなってしまった町地域社会をどにか維持しよとする町長姿を追った

無人地帯

 一方藤原敏史Toshi Fujiwara監督無人地帯No Man's Zone事故後立ち入りが制限された原発から半径20キロ圏警戒区域内とそ周辺地域で普通人たちに暮らしにどんな影響があったかを尋ねている

 オープニングではがれき平原に船や車が横たわる満開桜や青々とした牧草を食む牛といった光景が挿入されながら生活手段を失った農民や漁師 修復費がかかっても壊れた家に住みたいとい老夫婦などが言葉で語っている藤原氏は避難させられた人たちが無視されているはおかしいと思っ たと述べている

friends after 3.11

 3本目は岩井俊二Iwai Shunji監督friends after 3.11』。 同監督が旧友や原発事故後に知り合った新しい友人である原発技術者や銀行家ジャーナリストらと日本政治社会経済状況について語り合岩井 監督は友人と語る日本未来を描きたいとメッセージを発している(c)AFP/Kate Millar

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また、先日の上映の後で双葉町の井戸川町長が、ビデオメッセージで、挨拶を送られ、観衆の大喝采を受けましたが、その原文と英訳を舩橋監督のブログからお借りしておきます。

わたしから付け加えておきますが、もし野田首相がメッセージを送れば、間違いなく観衆から野次り倒されます。
映画にも登場した、海江田、細野大臣の被害者への慇懃無礼な振る舞いに、会場から嘲笑の声が漏れ、わたしも、恥ずかしくて腹が煮えくり返る思いでした。とにかく東電の酷さは、世界中で常識になっていますが、日本政府のみっともなさは、開闢以来の日本の恥です。


http://cowtown11211.wordpress.com/



グーテンターク、ベルリン。ドイツの皆さんこんにちは。
私は福島県双葉町町長の井戸川克隆と申します。
この度のベルリン国際映画祭に出席をできなくて、大変残念に思っております。
皆さんと直接お会いして生の声をお届けしたかったんですが、なかなかできませんでしたことをお詫び申し上げます。
さてこの度の、福島第一原子力発電所の事故によって世界中の皆さんから双葉町の町民の皆さんに対しての、温かい思いやりを戴きました。ご支援ありがとうございます。
この映画を通して世界中の皆さんに原子力発電所が持つ大きな危険というものを実感をして戴きたいと思います。
安全な装置であれば原子力発電所はやはり便利です。
私はこの事故が起きる前は原子力発電所を誘致して町の振興に役立てたいと思っておりました。
事故が起きてから原子力発電所に対する私の考えは大きく変わりました。
事故に対する備えが無いまま、原子力発電所を増やしていくことは大変危険であります。
まして、放射性物質の最終処分ということも確立されていないまま世界中に原子力発電所が多くできることは大変危険だと思います。
この福島原発の事故を皆さんと共有して、これから地球上に原子力発電所が必要なのかどうか、
皆さんと共に考えなければならないと考えております。
地球の大きさは一定であります。
その大きさの中で放射能を受け入れる容積っていったいどのくらいあるんだろうか、
また、いろいろな廃棄物を受け入れる場所とか方法があるんだろうか、
この問題を皆さんと共有しなければ推進してはいけないな、
とそんな思いになっております。
多くの経験をしました。
もう2度と私たちのような経験を世界中の皆さんにしては欲しくありません。
よく皆さんがこの事を考えて今後の事を選択されることを願っております。
双葉町長 井戸川克隆

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Guten tag Berlin.

My name is Katsutaka Idogawa.
I’m the Mayor of Futaba in Fukushima Prefecture.

I regret that I’m not able to join you at this year’s Berlinale.
I would’ve loved to meet you all, and speak to you in person.

Ever since the crisis began at the Fukushima Daiichi nuclear power station, our town has received so much warmth, encouragement and support from people around the world.
Thank you very much.

It’s my hope that, through this film, everyone around the world can get a better understanding of how dangerous nuclear power is.
If they were safe, nuclear power plants would be very convenient.
Before this accident happened, I wanted to build more nuclear reactors, thinking that was the best way to bring progress to our community.

Since the accident, my attitude has changed drastically.
Increasing the number of nuclear plants without making provisions for serious accidents is extremely reckless.
On top of that, a safe way to dispose of nuclear waste has not yet been discovered.
Despite this, nuclear plants are cropping up around the world, in great numbers, and this is very disconcerting.

In light of the disaster at Fukushima Daiichi, we need to question ourselves, honestly, if nuclear power plants are truly a necessity on this Earth.
I believe it’s critical for us to be rational.

Our planet is small.
How much space do we have left, to absorb all the radioactivity we keep producing?
What capacity do we have, for storing all the nuclear waste?
Unless we find viable solutions, we should not be permitted to use nuclear energy.

The learning curve has been steep.
I don’t want anyone else in this world to ever experience what we’re going through.

My deepest wish is that our situation will help you make the right choices for the future.
Katsutaka Idogawa
Mayor of Futaba Town