2011年7月4日月曜日

10:脱原発を実現した人々/4 マリアンネ・フリッツェンさん

さて、しばらく書き込むことができませんでしたが、また続けます。お待たせしました。
理由は『世界』の次号、つまり8月号(7月8日発刊)にドイツの脱原発の経過と背景を報告する原稿を執筆していたからです。山となった資料の横文字を縦文字にするだけでもしっかり時間がかかるのです。日本語としては今回のドイツの脱原発への急速な転換に関する基本的な報告となるものですから、ブログの読者のみなさまにも読んでいただければ幸いです。また紙面の関係で書けなかったことについても、ここで補足したいと考えています。
このブログを読んで下さっている世界各地のみなさんにお礼を申し上げます。

まづ、6月30日の連邦衆議院での脱原発法が圧倒的多数で可決されたことだけは10分後に速報しましたが、その内訳を少し詳しく書きます。今の第17期の連邦議会の議員数は620人です。この日同決議の投票に参加したのは600人。ちょうどこの日、クリスチーナ・シュレダー家族相とその夫の議員が産休で欠席(この日女の子を出産のおめでたでした)しているのをはじめ、病欠もあり20人が欠席。出席率は96・7%ですから非常に高いといえます。
反対票79の内訳ですが、大半が左翼党(die Linke)の票です。同党は脱原発を主張してデモにも参加しますが、憲法に脱原発条項をいれるべきだと、つまり改憲要求を掲げて一致して反対しました。つまり典型的な左翼小児病の振る舞いです。
緑の党も同じように改憲要求をしていますが、6月25日の臨時党大会で法案に賛成する決議をしています。この党大会では「緑の党は2017年までに脱原発をとの方針でデモにも参加したのに、2022年では市民運動を裏切ることになる」と左派のシュトローベル議員らが主張しましたが、彼らは議会投票では、意見保留の白票を投じています。白票8票の内の6票は緑の党です。
結果として脱原発そのものを拒否して反対投票を投じた議員はわずかに9人でした。内訳は与党のCDU/CSU5票、FDP2票、野党ではSPD2票でした。すなわち、断固とした原発推進派は600票の内わずかに1・5%にまで落ち込んだわけです。これがフクシマがドイツの議会に及ぼした驚くべき影響の結果です。

ところでこの日、緑の党の院内共同総務のレナーテ・キュナスト議員は議会演説の冒頭で、30年を越えて人生を賭けて反原発運動に貢献した市民4人の名前を挙げて感謝の辞を述べています。「彼らが今日の決議と法案に十分満足できないことも承知しているが、今日の歴史的な決議は彼らの貢献によるものだから感謝し、名前を国会議事録に残したい」というものです。
そのひとりにマリアンネ・フリッツェン(Marianne Fritzen)さんの名前があります。「彼女はゴアレーベン(ハイレベル核燃料廃棄物最終処分場予定地)で、断固として闘ってきた」と感謝されました。

 1924年生まれの彼女はゴアレーベンの市民運動の長老です。わたしも古くからよく知っていますが、最近彼女とであったのは2009年9月5日のことです。保守政権が成立しそうな総選挙を前に、この日ゴアレーベンの農民たちはトラクター400台を連ねてベルリンの議会にデモをかけました。全国から集まったデモ隊は5万人にもなり、わたしも「ドイツの反原発運動元気に復活」(『週刊金曜日2009年10月16日号』)と報告し、そこで彼女のことにも触れています。
2009年9月5日、復活した反原発デモ隊5万人がブランデンブルク門に集結した
マリアンネさん。売っている本の題名は「力とファンタジーを越えて」
この日、緑の党の古参議員にブランデンブルク門の前で出会うと、「マリアンネも来ているわよ」というので、連なるトラクター の間を探すと、高齢でも矍鑠としたマリアンネさんをみつけることができました。大きなトラクターの側で、出店をだして「最近ゴアレーベンの抵抗運動の本がが出版されたので売っているのよ」というのです。「わたしも年だからね、最近は運動のアーカイブを作るため資料の整理にいそがしい。君たちの日本の文献などもあるからね」と久しぶりに話はつきませんでした。
彼女は、若いころには台湾の大学でフランス語教授でもあったインテリで、反原発運動では若い頃を知られているシュレダー元首相であろうが、トッリティン元環境相であろうが、いまだに全く頭があがらない長老です。国会での讃辞は当然であるのです。

福島の事故が起こった直後にマリアンネさんからお見舞の電話がありました。「恐ろしいことが起こって、日本人のことが心配で泣いているのよ。悲しくてあなたたちの加護を毎日お祈りしていますよ。あなたのことも忘れてないから元気を出すのよ」と涙声で励ましてくださったのです。
フクシマが気丈夫な彼女に与えた衝撃もただならぬものであることが伝わってきました。メルケル首相を始め、原発推進派の議員たちの多くにも、ドイツ市民のこのような悲しみを共にする「哀悼の能力」が備わっているからこそ、脱原発が全社会的なコンセンサスとして、今ドイツで可能になったと思います。
これが6月30日の国会決議の大きな社会的背景なのです。

翌日の保守系ファランクフルター・アルゲマイネ 紙の主要論説の見出しは「三〇年戦争の終わり」でした。ドイツのメディアでの原発推進派も「保守党員が内心で脱原発で敗者と感じている」と述べ、敗北宣言をしました。立派な敗北ぶりといえます。こうしてドイツはフクシマによってひとつの時代を画しました。さて日本はどうするのか。


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