2018年7月15日日曜日

350:追悼:クロード・ランズマン氏・20世紀絶対無二の記録映画『ショアー』作者

 日々の雑用にかまけているうちにかなり遅くなりましたが、日本ではあまりにも情報が少ないと思われるので、ぜひとも読者の皆様にお伝えしたいことがあります。
 先の7月5日、クロード・ランズマン氏がパリで亡くなりました。92歳。

晩年のClaude Lanzmann DPA
彼には多くの映画作品と著作がありますが、なんといっても世界中に衝撃を与えた映画『ショアー』(1985年)の作者としては、日本でも知られているところです。
 わたしも1986年のベルリン映画祭でドイツで初めて上映された時から、歴史認識におけるナラティブ・証言の価値に関して決定的な影響を受けました。

 ナチスによるユダヤ人大虐殺をして、被害と加害の体験者の証言で、40年後に否定しようもない現実として世界に提示した20世紀の歴史の闇の実態の絶対無二の記録映画であるからです。
 ドイツやかつてのドイツ軍の占領下にはアウシュヴィッツ歴史博物館を始め歴史の現場が実に数多く保存されていますが、そこで一体何が起こったかを実感として理解するためには、この作品の鑑賞を避けて通ることはできないと考えています。

『ショアー』高橋武智訳・作品社
 日本では、10年の年月をかけて高橋武智氏の翻訳が出版され、映画も上映されました。
今では映画のDVDは日本でも発売されているようです。

 当時、1996年11月29日の「週刊金曜日」に掲載されたわたしのによるこの訳書の書評がありますので、以下オリジナルの写真によりお読みください。
 22年も前のものですが、趣旨は一切古くなっていませんが、若い読者のために幾つか解説を付け加えておきます。(クリックして拡大してください)



いくつかの解説です:
 
 まず、冒頭に引用した、ランズマンの言葉にある「1941年12月7日のあの夜」ですが、特に日本人として知るべきは、この日づけと時刻が、まさにが大本営陸海軍部が「帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」と発表した時刻とほぼ同じであることです。
この時点で大戦は世界大戦となり、ナチドイツと軍国日本は破滅への決定的な一歩を踏み出したのです。歴史の偶然とはいえ恐ろしいほどの同時性です。

 次に「花田紀凱が平然と朝日新聞社で跋扈する現状がある」とあります。これは前年の1985年に文藝春秋社発刊の「マルコポーロ」という雑誌が「ナチガス室はなかった」という 欧米の歴史修正主義者のダイジェストのような記事を掲載して世界的なスキャンダル(いわゆる「マルコポーロ事件」)となり、雑誌は廃刊され花田編集長は退職しました。
ところがその彼を朝日新聞社が雇用して新しい雑誌を発刊しようとしたことを指摘したものです。この企画も失敗し、朝日新聞社は大恥をかきました。花田氏はその後、彼にふさわしく日本の極右のチンドン屋のみすぼらしい宣伝マン(すまわち太鼓持ち)となり、相も変わらずチンチンドンドンとその生業を続けています。

  もう一つ、文末の本書からの引用文に「まさしく丸太と同じだ、・・・というわけです」とありますが、この犠牲となった死者を「丸太」と呼んだのは、実は日本軍の731部隊が多くの生体実験で殺害した犠牲者の死体をして同じく「丸太」と呼んでいたことと一致しています。そのことから「私たちを今なお過去に縛り付けている『日本のショアー』の言葉ではないのか。」を結語にしたのです。
この言葉の一致は決して偶然ではないと思います。日独の人類史上未曾有の人道犯罪の実行犯たちが、考えついた言葉が期せずして一致するのは必然であると言えましょう。

 このように、ランズマンの歴史的遺作『ショアー』は世界の歴史を学ぶ上で必見の映画であり、必読書でもあることは間違いありません。特に若い読者に勧めたいと思います。

 なお、当然ですが、ランズマン氏の訃報はドイツでは大きく報道され、シュピーゲル誌は5日の当日に電子版で、彼と親しかった人物の回顧録とも言える→長い追悼文を「時間に打ち克った男」との見出しで掲載したのに続き、翌6日の各紙には、左右中立を問わずいずれも優れた内容の追悼文が掲載されました。
 どれを取っても『ショアー』がドイツの「歴史を心に刻む文化」に決定的とも言える影響を与えたかが伝わるもので、この国のジャーナリズムの質量を見事に示したものが大半です。
ランズマン追悼文を掲載するドイツ語各紙6.Juli 2018.

2018年6月23日土曜日

349:沖縄戦終結73年記念日に・小田実対論『正義の戦争はあるか』を紹介します


 本日6月23日は沖縄では悲惨な沖縄戦終結73周年を記念して島民をあげての追悼式典が行われました。 

 以下のビデオは、今から18年前の2000年8月15日の日本の敗戦55周年記念日の前日の14日にNHK・BSで放送されたものです。小田実氏はそれから7年後の2007年7月に亡くなりました。

 このビデオは初放送から10年後の2010年12月11日にBSのアーカイブから選ばれ、オリジナルにプロデューサーの坂元良江氏(テレビマンユニオン)のインタヴューによる解説も加えて放映されたものです。それが最近→You Tubeで見ることができますので紹介させていただきます。

 この番組制作にあたりドイツでの取材企画にはわたしも全面的に協力して、また通訳もしましたので特に思い出の多いドキュメントです。

 沖縄戦の記憶が70年を超えてもますます厳しくよみがえり、平和な世界への祈念がますます強まっていますが、この番組で小田氏と対談した→ジョセフ・ワイゼンバウム氏の「戦争こそが敵なのです」との決定的な一言がますます重く感じられます。

 この世界的に高名な情報科学者も2008年3月に生まれ故郷のベルリンで亡くなり、昨年ドイツ政府の連邦教育研究省に創設されたインターネットの社会的影響を研究する目的のドイツインターネット研究所は彼の名前が冠せられ→ワイゼンバウム研究所とされました。

  彼も亡くなってからもますます影響力を増す偉大な人物といえましょう。 

2018年6月10日日曜日

348:米朝首脳会談を前に・ベルリンから見た「拉致問題に拉致された日本社会と外交」の陥穽・カナダG7で孤立するトランプ氏にハシゴを外された安部首相

 (この項の見出しは12日に後半を変えました。また二度にわたって追加加筆があり長くなっています。)
 さて、いよいよ明後日の12日、世界中が注目する米朝首脳会談がシンガポールで始まります。
レイキャビック会談の米ソ首脳 ヴィキペディアより
このトランプ大統領と金正恩委員長の初めての首脳会談が、1986年すなわち32年前のレイキャビック会談でのレーガン米大統領とゴルバチョフソ連邦総書記による会談が、史上初で唯一の実効性を持った核軍縮条約を実現し、欧州における冷戦終結へつながったような歴史的なものになるかは、全く予想不可能です。
 
 レイキャビック会談には、二つの核大国間の水面下での長く深い交渉が前提としてあったことに比べると、今回の首脳会談は、とりわけアメリカ側の準備が驚くほど付け焼き刃で、トランプ氏のパーフォーマンス外交だけに頼っていることから、成功には甚だ心もとないものがあります。従来の軍縮交渉ではありえない前提での首脳会談です。

 しかし、マイナスの二乗がプラスになるような効果があるいは起こり、休戦状態が長く続いている朝鮮戦争の終戦宣言などが実現され、それが中期的な核軍縮や平和条約への端緒になることへの期待は今日段階では許されるでしょう。

 そうなれば東アジアにおける冷戦終結の実現への大きな一歩となるからです。ベルリンの壁の崩壊を壁のそばから体験したわたしは歴史が大きく動く時にはありえないことが起こるものであることを知っているからです。

 逆にどちらかが席を蹴ってしまう最悪の場合には、反対に朝鮮戦争の再発の危機が一挙に高まるので、それだけは回避してもらいたいものです。特にトランプ氏はやりかねません。

  さてこのような世界史の節目に際して、日本の安倍政権の外交といえば、急速に変化する情勢に手をこまねいて、「拉致、拉致!、制裁、制裁!」を念仏のように繰り返すだけで右往左往することしかできない惨めなことになっており、両者の関係諸国からもまともに相手にされていない無能ぶりをさらすだけになっています。

 日本はどうしてこのような無能な外交の三流国家になり下がってしまったのでしょうか。それはひたすらアメリカにすがる安倍政権の歴史認識の質ならびに、それを批判すべき日本社会での、とりわけメディアの質の劣化によるものです。

 先に→346回の投稿では、2007年に「拉致問題に拉致されて動きのとれない政権」であることを指摘した論稿を既に紹介しました。
 この論考に先立ってわたしは小泉政権時に拉致問題が露呈した直後、また翌年に迫った第二次イラク戦争勃発の危機にあった2002年の秋に執筆した論稿がありますのでそれを再録しましょう。

 なぜなら、当面の米朝首脳会談がどのような展開をもたらそうとも、この論考にある日本が追求すべき基本的な歴史の見方が、ここにきていよいよ現実性を持ったものであるからだと考えるからです。本稿は『世界』誌の2003年 1月号に掲載されたものです。

 いつものようにいささか難解で、若い読者には不向きであるかもしれませんが、明日うらしまの歴史体験を語るものとして読んでいただければ幸いです。
(クリックして拡大してお読みください)

6月11日に以下の論考に出てくる場面の写真を二つだけ追加します。
 文中にある旧東独国境警備隊の監視塔の銃眼からの写真。正面に東西ドイツの国境であったシュプレー川が流れ、その向こうに国会議事堂の建物が見える。1995年7月。

『アサヒグラフ』1995年9月1日号 写真:早坂元興特派員

上記写真の左の残土の向こう側に建設されたドイツ連邦プレス会議の建物。川に面した2階と3階にかけての出っ張り窓のあるところは文中にある記者会見場。

ドイツ連邦記者会議 写真:梶村






この論考への注釈:
 この今から16年前の論考は、二つの特徴があります。

 一つは、当時日本のメディアを席巻した感情論に対して冷戦の厳しさを指摘するため、いわゆる拉致問題を鴎外の「山椒大夫」を持ち出して国際人道法の面から論評したものとしては最初のものです。洋の東西にいまだに根強い勧善懲悪思考が必ず「人を恨めば穴二つ」に陥ることを指摘しました。日本の貧弱な外交がここで指摘した陥穽に落ち込んでいます。

 もう一つは、9・11のニューヨーク・ワシントン同時テロを契機にアメリカで勃興したケーガン氏らのネオコンの「テロへの戦争論」のイデオロギーを、第二次イラク戦争を前にして日本で批判的に紹介した初めてのものであることです。
 そしてこの共和党のイデオローグのケーガン氏もトランプ氏の登場に危機感を持って、大統領選挙の際から反トランプ 陣営に立ったことを指摘しておきます。
 
 アメリカファーストをスローガンにするゼネコンの商法で世界政治を仕切ろうとするトランプ政権は、ここ100年近い合衆国の覇権主義の本格的な終わりの始まりだといえましょう。「パクッスアメリカーナ・アメリカによる平和」の終焉が始まっていることを日本は自覚すべきです。

速報として付録です:

ヨーロッパ時間の9日の夕方、以上の投稿を書いている時に、カナダで開催されているG7首脳会談の舞台裏の様子を見事に物語る写真を、メルケル首相に同行しているドイツ政府スポークスマンのザイベルト氏が先ほど彼のツイッターで伝えました。

 G7の二日目の朝、首脳宣言をなんとか実現しようとして、公式会談の裏舞台でマクロン仏大統領と並んで、トランプ大統領を説得するメルケル首相の姿です。そばで腕を組んでいる安倍首相、その隣で見守る超保守のボルトン補佐官らの表情がすべてを物語っています。

これが孤立しながら、平気でふんぞりかえる唯我独尊のトランプ大統領の姿です。
この日は、首脳のほとんどが徹夜で首脳宣言のすり合わせをして最後の詰めをトランプ氏に迫っている時のものです。
フランスからの報道によれば、メルケル首相が説教し、マクロン大統領がなだめるという役割分担でなんとか首脳宣言に同意したようです。 安倍首相はそばに立って沈黙しているだけであったようです。

 ザイベルト氏によれば随行しているドイツ政府のカメラマンJesco Denzelさんによる写真です。早速dpa-ドイツ通信が流していますので、この写真は明日から世界中のメディアで使われて歴史に残るでしょう。

 G7を維持するために何とか首脳宣言は成立しましたが、肝心要のトランプ氏の関税問題には踏み込まない骨抜きのものになったようです。

写真に関する6月11日再追加です:

 トランプ氏にハシゴ外された安倍首相。さてどうする?


 ここまで書いてひと寝入りして起きてみると、予想した通り写真が世界中に広まっているだけではなく、トランプ氏が一旦同意した首脳宣言への署名をシンガポールへの途上で拒否することをツイッターで通告したために、余計に歴史的なものとして世界中のトップ記事に使われています。

 まるで中世の封建領主並みの呆れた振る舞いですね。

 そこで日本政府の反応をみると、同行し自分も写っている西村副官房長官が、このよううにドイツ政府の写真をちゃっかりパクって、あたかも安倍氏が首脳宣を「主導した」かのようなことをツイッターに書き込んでいます。
 それだけではありません。この場面の写真を各国政府の政治筋がそれぞれ別の写真で伝えたものですから、安倍首相が説得しているような写真を使って追加しました。


 首相官邸はこれです。


 そして安倍首相本人はこう書き込んでいます。

 その上で、首相は→「G7終幕 会見で結束の意義強調」と記者会見をしています。
これは官邸のHPでも保存されています。
 ところが、そこに届いたのがトランプ氏の通達です。


 カナダの首相府はもちろん、ドイツ首相府やマクロン大統領府はすぐに反論し、「宣言は首脳全員で同意されたものであるので有効である」との表明をしています。
 週明けの欧州主要国での論調は、おしなべて(つまり保守革新を問わず)ここにきてついにトランプ政権への信頼が完全に失われたものになっています。

 どういったわけか安倍首相も日本政府も、このトランプ氏の勝手極まる行動には一切口をつぐんだままで、また日本のメディアもこれに関する政府の見解を問いただした報道も今のところでは見ることができません。明らかに「臭いものには蓋」の悪しき習性がここにも見られます。

 漁夫の利で合意を主導したかの筋書きを、3時間後にトランプ氏本人によってあっさりハシゴを外された安倍首相、果たしてどうするのでしょうか? 
だんまりを決め込んめばメンツが保たれるとでも思っているのでしょうか?
であれば姑息でお粗末な噴飯芝居となり、トランプ氏のポチとして信用が落ちるだけです。この点を追及しない日本のメディアも同罪です。





2018年5月4日金曜日

347:カール・マルクス生誕200周年記念日 スパースターの妖怪が再び世界を徘徊か

(5月4日訂正:この投稿は、うっかり日付が1日間違っていましたので、訂正します。また後日、興味あることあれば幾つか追記することがあるかもしれませんので、またご覧ください。) 
 
 明日の2018年5月5日は、カール・マルクスの生誕200周年記念日です。彼が生まれ育ったドイツ西部のトリーア市を中心に地元のラインラント・プファルツ州では州を挙げての記念事業が鳴り物入りで始まります。日本のメディアでもかなり報道されることになると思います。

 まずは、中国政府からの贈り物として中国共産党の芸術家の手になるマルクスのかなり大きな立像がトリーアで5日に除幕されます。除幕までは顔の部分だけが公開されています。

本日除幕されるマルクス立像の頭部 dpa
 ところが、5月4日ドイツのペンクラブはトリーア市長に→公開書簡を送り「ノーベル文学賞を受賞しながら釈放されずに昨年獄中で死亡した作家の劉暁波の妻の劉霞氏が、未だに自宅に閉じ込められたままで行動に自由が認められていない状況がある限り、除幕はすべきではない。彼女に自由が与えられるまで除幕を待つべきである。これこそが国家権力の検閲などの言論弾圧に闘い続けたマルクスの意思であろう」という旨の非常に痛いところを突いた批判をしています(解説は別に後ほど)。

  ドイツでは、すでに昨年末あたりから、例えば南ドイツ新聞が「カール・マルクス、スパースター」などの見出しで、彼の資本論を始め経済学批判から哲学に関する現代性についての論議が始まり、関連の書籍が数多く出版されています。
 ソ連型社会主義の崩壊後も、世界史は資本主義が必然的、不可避的にもたらす負の問題を解決することがまだまだできてはいないので至極当然のことです。議論はまだまだ続くでしょう。

 公共テレビも先日からマルクスの家族友人関係を軸にしたドラマや、彼が育った地元の歴史的背景を解説したドキュメントなどを放送して「人間マルクスとその時代背景」を先週から伝えています。
 わたしが見たものの中で二つだけ紹介します。かなり質も高く勉強にもなりました。
いずれもドイツ語ですが、最初のものは今月27日までネットで見ることができるそうです:まずはArte の→「カール・マルクス ドイツの預言者」
もう一つはこれも地元公共テレビSWRのドキュメント→「カール・マルクス 故郷の時代」こちらは向こう一年間見れます。 

 しかし今日はいわばお祭り騒ぎとなりそうです。すでに先日朝日新聞が報道していましたが、地元の観光局が土産物としてマルクスの肖像を印刷した額面0ユーロの紙幣を発行。なんと3ユーロで売り出して飛ぶように売れているようです。シュピーゲル誌は電子版で「マルクスをだしにした資本蓄積だ」などと面白く伝えています。
マルクスのゼロユーロ紙幣 dpa
  本日取材に出かけた記者に一枚買ってきてほしいと頼んでおきましたが、手に入ればこの偽札のオリジナルを紹介しますね。
5月8日追加:手に入りましたのでそのオリジナルの写真を紹介します。これですがなかなか手の込んだ印刷で、報道によれば25000枚発行されたとのことです。なかなか手の込んだ印刷で、裏面にはヨーロッパの主要都市の歴史的建造物がデザインされており。ブラッセルの小便小僧も見えます。額面はゼロユーロですが、中国ではもうかなりの高値になっており、さらにこれの偽札も出回るかもしれませんので要注意です。

 さて、この紙幣の交換価値はどうなるのでしょうか?
多分、日本の国債はまた近いうちに紙くずになりますが、これはそうはならないでしょうね。
Karl Marx 0-euro note  Photo.Asu Urasima Berlin

Karl Marx 0-euro note Photo.Asu Urasima Berlin
  もっと面白いのが、この地方の名物モーゼルワインの宣伝です。地元紙から写真を借用しますが この女性はトリーア市の今年のワインの女王です。
ローマ時代の遺跡を背景に。トリーアのワインの女王 dpa
  報道によれば、昨年度トリーアを訪れた中国からの観光客は14万人で、今年はもっと多いのと見込まれています。そこで中国学を学んで中国と台湾に留学経験のある中国語が堪能なこの24歳の女性を本年度のワインの女王に選んだとのことです。
 彼女は地元紙に「中国ではワインの美味しさがまだ広まっていないので。宣伝します」と張り切って述べたそうです。中国での人気にあやかった商魂に、マルクスもきっとびっくりしているでしょう。

 さて、お祭り騒ぎは別にして上述のように、→数々の展示会などが企画されています。
その主な一つ、マルクスの生家はドイツ社会民主党のエーベルト財団が所有している「カール・マルクスの家・博物館」となっていますが、そこでの記念展覧会が開催されます。そして今日、史上初めて展示公開されるものがあります。
マルクスの椅子 dpa
  この椅子は亡命先のロンドンでカール・マルクスが使用していたもので、彼はこの椅子にかけたまま亡くなったと言い伝えられています。パリに住んでいる子孫が長く保存していたものを博物館が近年購入して丁寧に修復したと館長さんは説明していますが、やはりかなり傷んでいます。

 そういえば今年は1848年の共産党宣言から170年になります。どうやらこの椅子からマルクスがスーパースターの妖怪となって立ち上がり、世界を再び徘徊しそうですね。
必然でしょう。
(余談ですが、この「必然」という言葉はドイツ語のnotwendigからの翻訳語かもしれません。名詞はNotwendigkeitは必然性。)






 

 

2018年4月17日火曜日

346:歴史改竄者集団安倍内閣の再破綻を前に。「人生の嘘・生き延びるための嘘」再録

 2011年に始まったシリアの内戦は、冷戦終結後の最悪の継続危機となり、一昨日の米英仏による爆撃で国際法が踏みにじられる惨状となっています。
ドイツのある歴史家による、これは欧州の宗教改革勃発後の→30年戦争当時の構造と似ているとの考察があります。
 当時のプロテスタントの勃興による新旧教会の争いに乗じて欧州の覇権勢力が介入して中央ヨーロッパは荒廃の極に至りました。冷戦終結後の中東危機は、イスラム圏内の宗派対立に覇権勢力が介入して泥沼になっていることから、確かにその通りだと考えさされているところです。
30年戦争での残虐行為の絵図「縛首の木」ヴェキペディアより


 この戦争の中心となった当時のドイツは最大の犠牲を払い、その犠牲の上に近代史の国際平和条約の基礎となったウエストファーレン条約が実現しました。このように考えれば現在の世界情勢はちょうど400年前に似た新たな苦難の時代に突入していることになります。現在の国連の危機を克服するためにはこの歴史を学ぶ必要もあります。

ウエストファーレン条約の通達ビラ 1648年 ヴェキペディアより


 このような深刻な情勢とはかけ離れて、ここにきて、国際世論も安倍政権が間もなく終わるだろうとの報道を始めました。本日のワシントンポスト紙の電子版などは先週末の国会前の退陣要求の50000人のデモの動画までつけて→詳しい記事を掲載しています。
 (17日追加:その他の報道で主なものとしては、ニューヨークタイムスは「スキャンダルまみれの安倍がトランプと会談、情勢は危険」との見出しで→詳しく報道。ドイツの公共ラジオ、ドイチェランドフンクは「日本の意義喪失への恐怖」との見出しで外交で孤立する日本の恐怖を→報道。同国際放送のDW・ドイチェヴェレは「安倍とトランプが男の友情を試す」との見出しで、安倍はトランプとの良い関係からもはや利益を得ることができないと→報道しています。)

ドイツでもロイターが同様な内容の記事を流しているので明日あたりから一斉に安倍危うしの報道が始まるでしょう。モリカケ問題だけでなく底なしの財務省福田政務次官のセクハラ問題に関するアホウ(実名は麻生)財務相のアホウな擁護の言動までが世界中に報じられています。安倍政権は世界の笑い者になっているのです。

 明日からの安倍訪米では、すっかり国際政治から蚊帳の外に置かれている政権の姿を惨めに露呈するであろうことは十分予想できるところです。おそらくアメリカの近代史上最低のトランプ大統領に散々ひやかされる結果になるでしょう。とはいえこの二人はどちらも国内で泥沼に陥っているので、同病相憐れむの喜劇の舞台になることもありえます。

 しかしこれもわたしにしてみれば→日書きましたようにデジャヴュ・既視感に襲われる事態の一つでしかありません。というのも既に日本は同じ体験を第一次安倍政権でしているからです。今回の訪米は相手がトランプというエゴのかたまりなのでもっと酷いことになることがほぼ蓋然性をもって予測できます。日米の少なくとも戦後最低の首相と大統領の話し合いなので予期できない茶番劇すらあり得ると思います。
 2007年の論稿を以下ここに再録しておきます。今回はオリジナルの書籍をそのまま掲載します。

 同じでないのはこの歴史改竄主義者集団である第二次安倍政権は、当時わたしが指摘した彼らの腐敗した本質をさらに露骨に顕し、ここにきてようやく従順なおとなしい日本の市民も危機感を本格的に持ち出していることでしょう。

 安倍首相は一連のモリカケ問題の「膿を出しきる」などと繰り返し述べていますが、その「膿」とは自分のことであることに気づいていないことに市民が気づいていることに、彼自身が全く無自覚であることが、ついにここにきて表面化しています。その意味では、この第二次姉内閣の再破綻は、まさに「二度めは喜劇」の様相をもたらしています。

 この論考は2007年の第一次安倍政権の破綻について、その年末に出版された『日本はどうなる2008』という週刊金曜日から出版された論稿集に寄稿した「歴史改竄主義者たちにおける『人生の嘘』」と題したものです。

 ここで言うところの「人生の嘘」とは「生きのびるための嘘」と理解すればわかりやすいでしょう。これ以上、それを自覚できない安倍晋三首相のこの「嘘」に翻弄され続ければ、日本全体が本格的に不幸になることを、ようやくにして市民の大半が自覚しつつあるのが現状でしょう。 

 いつものようにクリックしてくださればよく読めると思います。
なお、これも10年以上前のものなので、明日にでもいくつかの解説を付けますので、お待ちくだされば幸いです。(17日に下部に追加しました)。

 


(以下は17日解説として追加)

 文中に出てくるホーマン事件の主人公のマーチン・ホーマン氏は、昨年9月の連邦議会選挙に、ついに連邦議会に進出した極右政党AfD・ドイツのための選択肢から立候補して当選し、連邦議員として復帰しています。選挙運動中も「黒人は隣人としたくない」などと難民拒否の主張をして批判を受けましたが、議員となってからはあまり目立った発言は今のところではしていないようです。
 ホーマン事件については、ドイツ語でしかありませんが→こちらに詳しい経過解説があります。 ここでは「ホーマンスキャンダル」とされています。

 この極右政党の指導者達は、あれやこれや排外主義の主張をしてスキャンダルの連鎖を引き起こしているので、出る幕がないようです。

 この論考の中に「拉致問題に拉致されて動きのとれない政権」という見解がありますが、今になっても安倍首相がメンツを保つために「蜘蛛の糸」と頼っているのがこれです。
本日の訪米に際してトランプ大統領に米朝会談でこの問題を提議してくれと頼み込んだのもそのためです。 トランプにとっては「お安いご用だやりましょう。その代わり代償はんどれくらいかな?」と言っておけば良いだけです。漫画です。

 予言しておきますが、遠くない将来、彼はこの拉致被害者への執着からきつい政治的仕打ちを受けるでしょう。
許すことのできない拉致問題の被害者と家族の苦難を、安倍氏は彼のカビの生えた国家主義イデオロギー政策の手段としたからです。
怖いことに、わたしのこの手の予言は多かれ少なかれ的中します。

2018年4月7日土曜日

345:セピア色の「日本の地方」。映画『港町』想田和弘監督によせて

 本日4月7日より、本年度のベルリン映画祭招待作品である想田和弘監督の観察映画『港町』の上映がようやく日本で始まります。

 わたしは今年は映画祭前の試写会の時期にベルリンを不在にしていたこともあり、映画祭の本番でこの作品をようやく観て非常に深い印象を受けました。
 同作品は、映画祭でも非常に評判が良く、ドキュメンタリー部門での入賞も密かに期待していたのですが惜しくも逃しました。

 そこで都合つく方にはこれだけは是非見ていただきたく紹介させていただきます。
 作品の→公式ホームページ、 →Twitter、→上映の予定などはこちらです。

牛窓の老漁師と猫の対峙の場面をセピアで
ところが実に申し訳ないのですが、この作品のわたしからの感想は、「深い印象を得た素晴らしい作品である」ということ以上には控えさせていただきます。
 
 理由は二つあります。一つは舞台である岡山県の古い港町牛窓は、わたしの郷里の岡山県津山市を流れる吉井川の河口にあたり、登場人物たちもまるで懐かしい旧知であるかのようであるため、身につまされて客観視がかなり難しいこと。
もう一つは想田監督とプロデューサーの柏木規与子さん夫妻が、わたしのじゃじゃ馬娘の親しい友人であるため、肩を持つには不適当であると思うからです。

相田監督のツイッターから
ために、上映期間中にベルリンの映画祭の会場近くで、柏木・想田のお二人と昼食を共にしました。ところがこの想田監督は出会った人たちをスマートフォンで自撮りして素早くツイッターに載せてしまうという、まさに彼らしいげに恐ろしい習慣があることを後で知りました。上の写真はその時のものです。ここでしか飲めない美味いワインを飲んだ酒飲みの姿が映っています。
 
 この席でカラーで撮影したこの作品を柏木さんの提案で白黒で仕上げた経緯なども聞き、わたしが「主人公の一人の老漁師のわいちゃんと猫の睨み合いの場面がこの作品の名場面だと思う。わたしには白黒より古い写真のセピア色に見えた」などと話しました。
 そこでこの場面をスチールからお借りしてセピア色にしたのが最初の写真です。
(いつものように写真はクリックして拡大してご覧ください)

4月19日の追加情報です:
ようやく岡山の地元でも上映が始まるようですが、それを前に瀬戸内テレビが、想田監督とのインタヴューを下敷きにとても良い特集を放送しています。この映画の出生の背景がよくわかりますのでぜひご覧ください。
4月20日の追加情報です。
 今日から岡山での上映会が始まったところに、主人公のワイちゃんが観に来られたそうです。撮影当時に86歳ですからもう91歳でまだ海に出ているようだとベルリンの会食のとき柏木さんから聞いてはいましたが、本当にお元気そうでとても嬉しく思います。想田監督のツイッターからの今日のワイちゃんの写真をお借りします。
上のインタヴューで監督が述べているように、彼との出会いがなければこの芸術作品はできませんでした。 出会いとは奇蹟をすらもたらす神秘的なものです。
 出会いを大切にすれば芸術となり、悪用すれば日本の福田淳一財務事務次官のように地獄ともなります。
 ワイちゃんはわたしにとっては高齢の漁師として日本の人間国宝に値する人物です。
それにしても今日も夏の帽子がよく似合ってダンディーですね。
ワイちゃん万歳!


 その後になって思い出したのは、この映画の撮影制作の頃であろう、2016年の秋にわたしも訪日しており、その際、山口県の日本海側の長門の農村に友人を訪ねたことです。
 そこで、その時にわたしが撮影した写真などを『港町』によせて 「セピア色の日本の地方」として紹介します。
 ただし、以下はわたしの主観での写真報告であって紹介しました映画『港町』とは内容も主張も全く関係はありませんので、くれぐれも誤解をしないでください。
 
 長門市の油谷湾を望む絶景の農村地帯で自然農法に励む友人宅の近くの棚田では、早いところではすでに稲の刈り入れが終わったばかり、また幾つかの棚田百景とされている海辺の田には刈り入れを待つばかりの光景を見ることができました。
 ところが、棚田百景の中には放置されて雑草に覆われた悲惨な姿の棚田もありました。

刈り入れが終わった棚田
刈り入れを待つ海辺の美しい棚田
放置されて荒れ果てた棚田
この地の近くの下関市の日本海側には、弥生時代の前期から中期の土井ヶ浜遺跡があります。友人は親切にここも案内してくださったのですが、ここにはおそらく当時日本列島に稲作をもたらしたに違いない弥生人の約300体が、この地の素晴らしいカルシュームの多い砂に守られたおかげで発見された大きな墓地が→人類学ミュージアムとして保存されています。大半が頭を東にして顔を故郷の大陸側の西に向けて埋葬してある非常に貴重な遺跡です。

土井ヶ浜遺跡に保存されている弥生人の墓地
この博物館を見学して、おそらく2000年以上前に彼らがもたらした日本の富の源泉であった稲作文明が、ここにきて衰退を始めていることを思わずにはおれませんでした。日本という国の人口は水田の米の収穫量とともに増減してきたのです。
 米食文化は何も鮨文化だけではありません。日本人の腸が欧米人に比べて約2メートルも長いのは、主食の米を消化するためのものです。日本人の胴長は米主食文明の人体的特徴でなのです。ただし 短足となった原因は知りませんが。

 長門市に滞在中に古い文化を伝える近所の神社なども幾つか散策しましたが、ある神社の人気のない山道で鋭いシュッ!という独特の音を立てるマムシが出迎えてくれました。幼い頃、泳ぎを覚えた郷里の吉井川の河原で出会って以来のことで、懐かしく思いました。この地方ではハミと呼ばれていることを、知り合った地元の古老が教えてくれました。
ちなみにこの方は、ここの安倍晋三後援会の長老です。選挙の前には安倍氏から律儀に直接「お元気ですか」との電話があるそうです。


出迎えてくれたハミさん

ハミさんと別れて、立派な舗装道路をしばらく行くと、ひとつの人気のない民家に覚えのある顔が見えました。他でもないここを選挙地盤とする安倍晋三氏のポスターです。「地方こそ成長の主役」とのスローガンが読めます。このポスターの先には放置された廃屋が軒を連ねて並んでいました。
この地方、歴代の安倍氏の地盤だけあって道路だけは隅々まで立派です。


ポスターの安倍首相が見つめる廃屋
単線の山陰本線は古い朽ちかけた枕木がまだ多く残っています。
以上、安倍首相の地元の光景をセピア色の写真でルポしましたが、実に見事な「成長の主役」としての地方の姿でありませんか。写真には撮ってはいませんが、街中では若者の姿は皆無で、たまたま残り少なくなった小学校の生徒の姿を見てホッとしたものです。

 日本の2000年の富の源泉である稲作を、地元ですら疲弊に任せる政治家が保守を名乗ること資格はなどないはずです。すなわち安倍政権はすっかりセピア色の過去なのです。

 この彼の欠陥をかろうじて補っているのが、趣味であれ稲作をする昭恵夫人であるかもしれません。すなわち昭恵夫人は無自覚のうちにも、稲刈りをして夫の欠陥を補填しているようです。であるがために稲作文明「瑞穂の国記念小学校」に感激の涙を流して、名誉校長にもなったのが彼女の本心ではないのかと思えます。
 ありえないことですが森友事件で彼女の国会の証人喚問がもしも実現すれば、昭恵夫人はこのような心情を吐露するかもしれないと思います。そうなればわたしも彼女の味方になります。すなわち似非保守である安倍晋三政権はすでに本質的に終わっているのです。

 さて本日、福島県双葉郡富岡町からは今年も夜の森などの桜情報が伝えられています。
今年もこの期間だけ夜間もライトアップされ、地元の人々が失った故郷の美しさを回顧されているようです。人気のない美しい満開の桜並木は原子力災害の無残な姿です。
富岡町町役場のホームページから桜の開花の写真を拝借してセピアにしてみました。

富岡町の満開の桜並木 2018-4-5

これは先月の富岡町の夜も森公園の空間放射線量です。原発事故から7年経た現在、かなり線量は低下していますが、しかし今だに事故前の10倍ほどはあるでしょう。セシウムの半減期は30年ですから、正常値に戻るにはこれから数世代かかるでしょう。


さてもうひとつセピア色の光景です。先週3月30日に再稼働したばかりの玄海原子力発電所の2次冷却系で蒸気漏れが起こりました。
NHKのニュース画面より2018・4・1
このNHKの報道にはこうあります:
蒸気に含まれるガスなどを取り除くための設備につながる配管に直径1 センチほどの穴があいて起き、配管の金属製のカバーにさびが見つかったことから九 州電力は、雨水がしみこみ、腐食が起きた可能性が高いとしています

 すなわち、「雨が降れば配管に穴が開き大事故になりかねない」というのが事業主の九州電力の見解だそうです。次の都々逸でセピア色の日本の光景の紹介を終わります。
     
       日本殺すにゃ兵器はいらぬ雨がたっぷり降ればよい 

  水田を満たす梅雨のたっぷりした雨水で生きながらえてきたのが日本でした。 その雨水がいまや再起不能の破滅をもたらす原因となっているというのが原子力発電なのです。日本の破滅には何も大地震や大津波も必要ではないようです。これについては続編で書きます。

*4月7日の追加
 玄海原発3号機の蒸気漏れの情報から。

 これについての原子力規制委員長の4月4日の記者会見の様子は→IWJの特集が詳しく記録していますので参考にしてください。7年間の稼働停止が事故の原因だなどと言い訳をしているのが危ないですね。ということはフクシマ事故以来稼働停止している全国の大半の原発でも再稼働すれば類似の事故が起こるのは当たり前であることを認めているようなものです。つまり規制委員会ではなく、非規制委員会であることを自白していることになります。

 さらに4月2日の九州電力の→事故の報告資料があります。そこから引用した腐食して穴の空いた配管の写真がこれです。
九州電力の資料より

 ポンコツ原発ですね。これはまさに日本の自爆用の核兵器と言えます。この小さな穴がその爆発の導火線となり得るのです。


2018年4月6日金曜日

344:日本の女性差別の汚名を雪ぐため、相撲協会は人命救助した女性たちの表彰式を土俵上で行うべし

 昨日までは、欧米メディアでは日本からのニュースとして満開の桜を愛でる「美しい日本」の報道が続いていたのですが、本日4月5日には一転して「醜い日本」の報道一色となってしまいました。ほかならぬ大相撲春巡業先で倒れた舞鶴市長を救命しようと適切な処置を施しつつある看護師と思われる女性たちを「土俵の上から降りてください」と追い出したスキャンダルです。

 一斉に報道されている膨大な報道の中から、主要メディア からいくつかあげるだけでも、ガーディアン→BBC、→ニューヨークタイムス→シュピーゲル、→フランクフルター・アルゲマイネなどが、中にはYou Tube の幾つかの動画を編集なしにそのまま電子版に掲載し、「穢れのある女性は土俵がに上れない」ことの背景まで詳しく報道しています。ですからすでに世界で非常に大きなニュースとなってしまっています。
この動画を見たところ、一人の女性は動画の初めから約22秒から心臓のマッサージを始めており、47秒で「女性は土俵から降りてください」とのアナウンスが始まりましたが、交代した二人目の女性がマッサージを約57秒まで続けています。すなわち二人の女性が約35秒間の救命処置を行ったことは間違いなく確認できます。これは人命救助に決定的な行動であったと推定できます。異議なく最大限に敬意すべき行動です。

 BBCなどは→日本語版でも伝えていますが、そこには次のようなことまで報道しています(以下引用):

 ソーシャルメディアでは、女性たちが土俵を「汚した」と協会側がみなしたから、土俵に塩をまいたのではないかと指摘が相次いだ。
日本のツイッター・ユーザーの1人は、救命措置をした女性がいなくなった後に塩をまいたことについて、「なんて無礼なのだろう」と投稿した。
ほかにも、相撲協会の頭にこそ塩をまくべきだというツイートも複数あった。

(以上引用)

 
 この出来事は、非常に理解しやすい出来事なので、対処を間違えると、国際的にすでに始まっているの→森友事件報道以上に日本社会の評価を落とすこともあり得ると考えられます。

 なぜなら日本はMe Too運動が低調なことで、それ自体が「女性の地位が国際比較で極端に低いにもかかわらずなぜなのか?」とニュースになっている昨今ですから、この出来事が「それ見たか」と象徴的な出来事として受け止められることは間違いないからです。最近では韓国との落差が多く報道されていますが、その一つとして伊藤詩織さんの声などが、「はびこる沈黙の文化」などとして→丁寧に報道されています。今回の相撲協会の事件はそれがついにほころびて誰にでも可視になったものの一つとして受け止められることは必然です。
 
 本日、相撲協会は公式のフェイスブックなどで「再発防止に向け、早急に対応方法を整備いたします」と声明していますが、これに対してあるユーザーが以下のような投稿をしています。



 わたしも、この方の意見に大賛成です。一夜にして相撲協会が世界中にばらまいた日本の女性差別の汚名を本当に雪(そそ)ぐために、土俵上で人命救助を行った二人の女性たちへの感謝の表彰式を断固として実行すべきです

 これができないならば、日本の大相撲は「日本の国技は女性差別」との烙印を逃れることはできません。これこそ大相撲の文化としての誇りの伝統を守るための最低限の対応でしょう。

 これに加えて、聴いたところでは「ついでに行司も女性にしたらいい」との声もありますが、そこまで行くには、日本でも本格的な文化革命が必要ですから、まだちょっと無理でしょう。

これについては読者の皆様のご意見をうかがいたいものです。