2013年12月31日火曜日

219:安倍内閣の国際喜劇「靖国引きこもり症」の病根にある吉田松陰崇拝イデオロギー(その2)。

 前回に続いて「その2」として、安倍内閣と日本社会の「靖国ひきこもり症」の病根には、吉田松陰崇拝というイデオロギーがあるという、わたしの説を述べましょう。
明治維新という、日本の近代史で最も大きな革命をもたらした、その精神的支柱とされたのが吉田松陰であり、彼にはまぎれもない侵略イデオロギーがあることは歴史的事実です。
 ところが、戦後日本の歴史教育では、この史実を一切無視しています。若い日本人には全く知られていないでしょう。 自国の近代史への見事な無知。これが「靖国引きこもり症」という病の原因です。明白に教育の失敗です。ドイツのメディアでもそれを指摘する報道が目立ってきています。

 昨日の共同通信による→安倍首相靖国参拝に関する世論調査は次のようです:

     靖国外交配慮を69% 首相参拝批判が上回る 

 共同通信社が28、29両日に実施した全国緊急電話世論調査によると、安倍晋三首相による靖国神社参拝に関連し て、外交関係に「配慮する必要がある」との回答が69・8%と、「配慮する必要はない」の25・3%を大きく上回った。中韓両国や米国など国際社会が厳し く反応していることに有権者が憂慮している状況が浮き彫りになった。

 首相参拝について「よかった」との回答は43・2%だったのに対し、「よくなかった」は47・1%と、批判的な意見が多かった。安倍内閣の支持率は55・2%と、横ばい。

2013/12/29 19:45   共同通信

 すなわち「よかった」と回答した43%を越えるひとびとは、明らかにこの病氣の患者、ないしは抵抗力のない人といえます。自国の歴史に対する無知がもたらしている惨状を現している数字です。
  以下は8年前の敗戦60年に際して、「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」の『季刊中帰連』33号・2005年夏号に掲載されたものを、そのまま転載します。写真は掲載分のものにいくつか付け加えてあります。
ちなみに、前回でもふれました王毅駐日大使(現中国外交部長)とわたしが会談したのは、2004年12月のことです。当時の小泉首相の靖国参拝が、深刻な話題であったことも書いています。当時の小泉首相の確信的靖国参拝で、王大使は非常に苦労しています。
 わたしには、当時この聡明な外交官が、おそらく将来の中国外交部長になることは予想できました。また、今回の安倍首相の靖国参拝で不断は非常に感情を抑える外交官である彼が、記者会見で激怒したのもよく理解できます。
 これによって、安倍晋三首相の訪中はもちろん中国との首脳会談は絶対に無理です。わたしの予言は、残念ながら当たります。安倍内閣の間は日中首脳会談は不可能です。

 安倍晋三内閣が続く限り、日本ボイコットが中国と韓国から、アジア諸国、さらには世界中に拡大せざるを得ないからです。アメリカもその認識を深めるでしょう。 すなわち、靖国神社参拝に引きこもって自己満足するような社会は、世界から馬鹿にされ、見放されるだけであることを、2014年の日本人は、身を以て認識さされるということです。

 その原因がどの辺りにあるかを知っていただきたく、8年前の論考を以下、ゆっくりご拝読下さい。

 また、安倍内閣を支持、宣伝する読売や産経のメディアは、以下の論証に一切反論できないでしょう。できないから徹底的に無視します。怖いからです。読者の皆さんがどんどん宣伝してくだされば幸いです。
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ベルリン歳時記18   
                             梶村太一郎
       松下村塾と撫順の教育

 人類史上最悪の被害をもたらした第二次世界大戦が終結し、人類がファシズムから解放されて六〇年が経った。だが、戦後に生まれた世代をふくめて、戦争の破壊がもたらした精神的外傷(トラウマ)は、被害者、加害者を問わず、その孫の世代まで癒されることなく残ったままだ。
近代文明の破壊であった傷は大きく、おそらくは、さらに五〇年を経ても完全に癒されることはないのではなかろうか。これから比較的平和な時代が一〇〇年続いたとしても、この傷跡は残ったままであろう。体験したことのないほどの破壊であったために、私たちは治癒への物差しを持っていないのである。

 しかも、悪いことは戦後の日本社会ではこの傷を、あたかも無いかのごとく抑圧し潜在化することができたために、傷の痛みに無自覚になってしまっていることだ。一般的にも病人が、自分は病気ではないと本気で思い込むことは危険だ。ましてやそれが、かつて犯罪をもたらした病であるときは危険なことになる。日本は六〇年前まで、強烈な「侵略病」患者の国であった。その病歴の自覚が失われてしまっていることが、ここに来て世界中に知れ渡ってしまった。

 靖国神社に合祀されている戦犯に関しての言葉「罪を憎んで人を憎まず」。この一言がかつての加害国の総理大臣の口から国会の場で出されたことによって、彼は自国が犯した罪を憎むどころか、それに全く無自覚であることを告白した。強盗犯や強姦犯が「私のしたことは悪いことだ。だが私は悪人ではない」と公言したら、被害者は何と受け止めるであろうか。小泉純一郎は一国の首相としてそう言ったのである。これは常習犯、ないしは確信犯の告白の言葉だ。「悪党だ」と自分で述べたに等しい。戦後六〇年の悲惨な日本の公式の姿がこれだ。語るに落ちるとはこのことで、被害諸国は、「これは一体何だ?」と唖然として、怒ることも忘れるほどあきれ果てたに違いない。小泉純一郎首相は、これで近隣諸国から、最終的にうんざりされ、一国の首相としてまともに相手にはされなくて当然である。

 昨年末、王毅大使にお会いしたとき、私は「小泉首相は確信犯です。来年は、おそらく八月十五日に靖国神社参拝をするでしょう」と私見を述べた。その時、大使の真剣な眼差しがさらに真剣になった。
 その後、今年になり、韓国と中国で領土、教科書、それに靖国参拝の問題で大規模な市民の抗議行動が起こり、韓国、中国の政府も立場を明確にした声明などを日本に向けて示し続けた(本誌前号の「ベルリン歳時記」に詳しい)。にもかかわらず、この「包囲された夜郎国」の首相の姿勢は変わらないどころか、ますます頑になり、ついに次のような報道まで出た。

 飯島勲首相秘書官は十一日夜、長野県辰野町で講演し、昨年十一月にチリで行われた中国の胡錦濤国家主席との首脳会談について「『小泉首相は時期は別として来年も靖国神社を参拝する。それでも不都合がなければ会談を受ける』と伝えた上で会った」と述べた。飯島氏はさらに「国の指導者たる小泉(首相)が不戦の誓いで靖国神社に行くのは何らおかしくない。(今年も)多分必ず参拝すると思う」と語った。(『毎日新聞』六月十一日)
この秘書官の言葉が事実であるならば、あの時、王毅大使はすでにチリでの首脳会談の舞台裏をご存知であったのかもしれない。もはや靖国参拝は期日の問題でしかない。残念ながら私の「八月十五日説」が当たりそうだ。

 ここで、話しが飛ぶようだが、私は大使とお会いする数日前に山口県萩市を訪ねている。理由は、明治維新とその後の日本の帝国主義の精神的核となった吉田松陰の一次資料を現場で見るためだ。十二月は観光客も少なく、私にとっては「春」のような天気なので、落ち着いた旅となった。

 一八五三年、江戸に遊学中の松陰は佐久間象山の門下として洋式砲術などを研究していた。六月に浦賀にペリーの黒船が現れるや直ちに現地に行き視察をしている。「この子霊骨あり」と若い門下生の才能を見いだしていた象山は、その前年に漂流民中浜万次郎がアメリカから帰って来たことをヒントに、松陰に外国船での密航を勧めた。オランダ語を修めていた彼には欧米の文明の発達が予見できたからである。「ヨーロッパ・メリケンの風教を聞知し、五大州を周遊せんとする」ための密航だ。

 翌五四年の嘉永七年、ペリーが下田に再来するや、松陰は三月二七日の夜中に密かに軍艦に乗り込むが、ペリーに「幕府の承諾がないと受け入れられぬ」と拒絶されてしまう。ここに「留学計画」は空しく挫折し、国禁を犯した罪で下獄することになった。松陰二五歳であった。江戸幕府に開国を迫る外交交渉のまっただ中にいたペリーは、この真夜中の訪問者を「困った奴だ」と思ったに違いない。だが、このとき幕府の下した刑罰が、死罪を覚悟していた松陰の予想を外れて自藩幽閉と軽かったのは、ペリーの幕府への働きかけのためだといわれている。
 それにしても、その後の、松陰の絶大な影響力を考えると、もしもこの密航が成功し、見聞を世界に広げておれば、日本の近代史は全く別のものになっていたに違いない。それだけではない、ペリーも驚くだろうが、後の真珠湾攻撃も無く、日本のアジアでの侵略も回避できたかもしれないのである。溢れる才能を幽閉してしまったことは大きな損失であった。

 同年晩秋、松陰は密航失敗の件について、その動機と思想的根拠を、萩の獄中で『幽囚録』として漢文で書き下し、連座して故郷の松代で蟄居中の師の象山に送っている。先鋭な若い才気が挫折し、消しがたい精神の傷の痛みが伝わる文章である。私はその原文を、松下村塾と松陰神社そばの松陰遺墨展示館で見た。そのなかに次のような部分がある。現代文訳での大意はこうだ。
「いま急いで軍備を固め、軍艦や大砲をほぼ備えたならば、蝦夷の地を開墾して諸大名を封じ、隙に乗じてはカムチャツカ、オホーツクを奪い取り、琉球をも諭して内地の諸侯同様に参勤させ、会同させなければならない。また、朝鮮をうながして昔同様に貢納させ、北は満州の地を裂き取り、南は台湾・ルソンの諸島をわが手に収め、漸次進取の勢いを示すべきである」
 恐るべきことは、それから約九十年後の太平洋戦争にいたるまで、日本はこの通りの膨張を遂げて破滅したという事実だ。奪い取らなかったのはカムチャッカのみである。まさにここに近代日本の「侵略病」の萌芽があるのだ。才気ある青年の挫折の恨みが歴史を胎動させたといえる。
松蔭神社社殿2004年12月

社殿から鳥居越しに見た松下村塾
彼は以降、獄中と実家での幽閉生活を続け、安政の大獄で処刑されてしまう。齢わずかに三十であった。

 その後、彼は神となって松陰神社に祭られている。入り口の巨大な石碑には「明治維新胎動之地」とある。神殿から振り返ると、鳥居を隔てた真正面に、彼が長い間過ごした実家の幽閉室が見え、その室内にも注連縄が架けられている。ここはまさに「日本帝国主義胎動之地」である。松陰が処刑されたのち、ここ松下村塾の彼の門弟たちは、明治維新で権力を掌握し、着実に師の意思を実現していった。
神社前から循環バスに乗って、しばらく行くと出世頭のひとりである伊藤博文の生家の隣に東京の大井から移築された別荘がある。初代内閣総理大臣のものだけに立派な明治の木造建築だ。
日本軍軍服で韓国皇太子と
和服の韓国皇太子と















 
   明るい座敷で休息がてら卓上のアルバムを繰ると、伊藤の興味ある写真がある。韓国の礼服を着たものや、韓国皇太子と軍服姿で撮ったものまである。
 初代の韓国統監として「朝鮮をうながして昔同様に貢納させる」ために彼なりに苦心した証拠写真だ。これらは韓国・朝鮮民族にとっては,見たくもない屈辱の記録に違いない。だが、この民族に消しがたい「恨・ハン」をもたらした侵略の証拠として転載しておこう。伊藤は引き続き「北は満州の地を裂き取る」準備に出かけて、ハルピン駅頭で安重根の銃弾に倒された。

 安重根は韓国・朝鮮史の英雄であるが、松陰がこれを知ればどのように言うであろうかとふと考えた。安重根を愛国の義人として讃えたかもしれない。さらに、門弟の伊藤の行為を見て、大いに恥じたかもしれない。だが、これははかない夢物語でしかない。
 なぜ私がそのようなことを夢想したかは、次のような事実があるからだ。密かに届けられた『幽囚録』を読んだ佐久間象山は、原本の文末に批評を朱筆している。

吉田松蔭「幽囚録」の文末にある佐久間象山の朱筆批評
  わずか二行の漢文を読み下すと「吾党の事はこれを天下後世の公論に付して可なり。何ぞもって意にとめおくに足らんや。今この録をみるに、まま忿恨(ふんこん)の言あるを逸れず。少壮鋭烈の気の乗ずる所に非(あらざ)るを得んや。これ省みざるべからざるなり」。
 現代語に直せば「密航の一件の評価については、判断を後の世の議論にまかしておけばよいことだ。なにも重く気に病むほどのことではない。この記録を読むと忿懣遺恨の言葉も見られる。若者が鋭く烈しい感情に流されているようだ。これは反省すべきことだ」ということだ。

 井手孫六氏は「冷静で正確な批判と言うべきだった。だが、松下村塾の門弟たちの耳には伝えられることがなかったものであろう」と書いている(注)。おそらく松陰自身にも批判は届いていなかったのであろう。

 この松陰の幽囚の「忿恨」が、後に天皇制原理主義ともいえる国家の内外へのテロリズムをともなう侵略思想となり、獄中の誇大妄想を実際の歴史として実現してしまった。その結果、松陰の「忿恨」が幾世代にもおよぶ隣国の「忿恨」を生み続けたのである。つまり、幕末の一青年の蹉跌のトラウマが恐るべき暴力行使となり、隣人たちのトラウマを生じたのだ。そして問題は小泉首相も、また彼の後継候補のひとり安倍晋三らも、間違いなく松陰神社の信者であることだ。

 アジアでは、戦後六〇年を経てもこのトラウマは癒されていない。それどころか、日本の社会と指導者たちの、そのことに無自覚な言動が引き続き、隣人たちの忿恨を、これまでになく噴出させていまっている。この現実に直面して多くの市民も良心的なメディアも戸惑っている。だが日本の近代が近隣諸国に与えた傷が、かくも深いことをまずは認識しない限りは出口は探れない。

 撫順の管理所での教育こそが、この中国と日本のトラウマを癒す力を持っていたことを私たちは知っている。まさにここでの教育こそが「罪を憎んで人を憎まず」の思想を、文字どおり実践し成功させた。小泉首相が学ばねばならないのもこの事実だ。撫順の教育は、ちょうど一〇〇年を経て図らずも、松下村塾の教育がもたらした負の遺産に対峙し、見事にそれを克服している。ここにこそ東アジアの古い文明の未来を育てる深い根がある。
 来年は、大半の戦犯たちが帰国して活動を始めた五〇周年記念の年だ。受け継ぐ会が、このような中帰連の精神を「しっかりと受け継いでいる」ことを、旗幟鮮明に示す時期にせねばなるまい。

(注)この論は、井手孫六「松陰『幽囚録』から」(信濃毎日新聞夕刊、二〇〇五年五月十二日、十九日)に啓発されたところが多い。信州の井手氏に感謝いたします。

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以上転載終わり。

かつて、作家の小田実氏は、まだ壁のあったベルリンでわたしとビールを飲みながら「イデオロギーは人を殺すよ」とよくつぶやいたものです。160年前の古い吉田松陰の侵略イデオロギーをいまだに崇拝する安倍氏を最高権力者にした日本でも、間もなくこれによる「人殺し」が公然と行われることになるでしょう。

 かつての15年に渡るアジア太平洋戦争での、日本人の軍人軍属、市民の犠牲者は310万とされています。侵略されたアジア諸国の犠牲者は、少なくとも2000万で、おそらくはそれを上回ると推計されています。これが上述した松蔭崇拝イデオロギーがもたらした史実なのです。この重さを教えるのが教育です。それに失敗したのです。
 
 結果として、これほどの人類史上最大の犠牲を強いた責任者たちの霊を参拝することで、心の平安を得るとするのは、まことに尋常ではありません。首相がそれをする国が「狂っている、病んでいる」と世界中からみなされるのは当然です。

 NHKは26日の靖国参拝の後、首相を擁護して以下のように伝えています:

安倍総理大臣は今月26日靖国神社参拝あと記者団に対し、「日本ために尊い命を犠牲にされたご英霊に対して尊崇念を表し不戦誓いを新た にしたと述べたえで、「中国や韓国人々気持ちを傷つけるとい考えは毛頭ないと強調し理解を得るため努力を重ねていく考えを示しています

この安倍発言は、他国を侵略した犯罪者を崇拝しておいて、犠牲者の子孫を侮辱するつもりは毛頭ないという、加害者の子孫からの見事なまでの「第二の精神的犯罪」です。その認識がないメディアしかできない報道なのです。

 続いて、次回は日独の自国への歴史認識の落差が、現在の両国の政治家に、どのような対極的な行動をとらせているかをアクチャルな事例で報告し、その上でなぜ「靖国引きこもり症」となるのかも考察したいとおもいます。
 このシリーズはおそらく5から6回続く長編になりそうです。
読者からの忌憚のないご感想も期待致します。

ここまで書いて さて寝ようとしたら、以下のような2013年大晦日の報道が、一斉にされています。
一番詳しい→時事通信の第一報をお借りします。

靖国参拝で外交攻勢=各国外相と次々電話会談中国

 【北京時事】新華社電によると、中国の王毅外相は30日夜、ロシアのラブロフ外相と電話会談し、安倍晋三首相の靖国神社参拝について話し合った。中国は安倍首相への非難を強めている。国際世論にも積極的に働き掛け、靖国参拝批判の包囲網を築く外交攻勢を強化する構えだ。
 電話会談で王外相は「中ロは世界反ファシスト戦争の勝利国、国連安保理の常任理事国として、共同して国際正義と戦後の国際秩序を守るべきだ」と中国の考えを伝えた。ラブロフ外相も「ロシアの立場は中国と完全に一致する」と応じた。
 さらに、王外相は「(安倍首相の靖国参拝は)平和を愛好するすべての国と国民の強い警戒を引き起こす」と訴えた。ラブロフ氏も参拝に反対する考えを示した上で「日本が誤った歴史観を正し、地域の緊張を激化させる行動を取らないよう促す」と答えたという。
 王外相は30日、ドイツのシュタインマイヤー外相や、ベトナムのファム・ビン・ミン外相とも電話会談した。新華社電は「日本問題」についても意見交換したと伝えており、靖国参拝に反対する中国の立場に理解を求めた可能性がある。(2013/12/31-06:14


 安倍晋三首相は靖国引きこもり男として、いよいよ外交で自ら雪隠詰めになりそうですが、これこそ自己責任です。2014年がこのような内閣総理大臣を選んだ日本社会にとって非常に苦い年になることは、間違いありません。
 靖国神社は、ついに日本の歴史認識の雪隠となったようです。「九段の森では、こころして用を足せ」というところでしょう。日本にとっては悲劇ですが、国際的には喜劇となるでしょう。外交とは悲喜劇の綾なす舞台なのです。


2013年12月28日土曜日

218:世界中があきれ懸念する安倍内閣と日本社会の「靖国引きこもり症」という病氣(その1)ドイツと中国の政府関係

 日本は病んでいます。
 世界中が、この東洋の国が重体になっていると心配しています。
12月26日の安倍晋三首相の靖国参拝で、この懸念はもはや来るところまで来ました。安倍内閣と日本社会の「靖国引きこもり症」が無視できなくなったからです。もはや入院と治療がどうしても必要であると国際社会が自覚し懸念し始めています。その深刻さがベルリンからでもはっきりと判ります。

 この写真は欧州同盟が26日付で出したアシュトン上級代表(外相相当)のスポークスマンが出した→安倍首相の靖国参拝を強く懸念する声明のオリジナルです。

「失望」したとアメリカのケネディー新駐日大使も→とりあえずは声明しましたが、彼女も着任早々深刻さを自覚し始めたようです。
 これらも一種のこの病に関するとりあえずの「診断書」といえましょう。中国、韓国からだけでなく、欧州連合とアメリカからこのような懸念が表明された事実に、病の重さを見るべきです。

 この日本の病について、これからわたしの「診断」をベルリンから、年末にゆっくりと書いていきたいと思います。少しづつ時間を見ながら書き足して行きますのでご承知下さい。途中で何度も改訂しますのでそのつもりでお読み下されば幸いです。
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その1;中国とドイツの外交関係の現状

この写真は今年の5月26日のドイツの首相府の閣議室での写真です。これから始めます。
日本では全く報道されていない光景です。(近くのアメリカ大使館は間違いなくこの会談を盗聴していたでしょう。)

この写真はドイツの→在北京大使館のサイトから借用したものです。

 3月半ばに成立した中国の第7代国務院総理李克強内閣は、初の国外訪問として、まずドイツを訪れました。その初日の両政府の閣僚会談の時の写真です。左の中央に李首相と王毅外相が座り、向かい合ってメルケル首相と、ウエスターヴェレ外相が席を占めています。 当時、ドイツで報道されたこの光景を観て、わたしは「ここまでやるか」と思ったものです。
 まずは、それはなぜかを説明しましょう。安倍内閣が夢にも見られなく、絶対にできない光景であることはお判りでしょう。この光景が語る背景の説明から始めましょう。
(27日。まずはここまで)
続けます(28日)
わたしが驚いたのは、この閣僚会談の席順です。
この写真をご覧ください。
これは、数年前にこの閣議室を参観した時にわたしが撮影したものです。毎週2度か3度午前中定期的にここで閣僚会議が行われます。そんなに大きな部屋ではありません。
そしてこれが首相の席です。机の上の古風な呼び鈴と4面時計は、戦後西ドイツの初代首相のアデナウワー時代から使われている閣議の小道具です。首相が鈴を鳴らして閣議がはじまります。戦前の小学校そのままの習慣がここでは続けられています。

そこで、中国首相の訪問時の写真をメルケル首相の→公式ホームページからいくつか借用しましょう。対談する両首相の写真です。

 李克強首相はメルケル首相の席に座って会談しています。また上の写真にあるように王毅外相は、副首相であるウエスターヴェレ外相の席に着いています。
すなわち、メルケル内閣は客人に上座を勧めて会談したのです。当時の両国の報道にもまったくこのことは触れられていませんが、中国側がこの待遇に強い印象をもったことだけは間違いないでしょう。
中国の訪問団はこの日はベルリン郊外の→メーセベルク城政府迎賓館に招かれ、実務会談も含め一泊し翌朝すっかり打ち解けた様子でメルケル首相夫妻と朝食をとっています。
 ちなみに政府迎賓館といえども、朝食のメニューは、ドイツの3星ホテルのそれに毛を生やした程度で、しごく質素なものです。こんなところにもドイツ人の質朴さがよく現れています。
両国の会談の主要議題はもちろん経済関係ですが、メルケル政権はこの中国の新指導部とかなり率直に話合い、また個人的関係も築いたことは間違いありません。

 もちろんこの訪問は両国の相互の重視が前提としてありますが、それには長い歴史もあります。実は李克強氏はまだ若い共産党青年部のリーダーであった1989年に西ドイツを訪問したことがあります。ちょうど天安門事件の直後で、中国が西側世界から最も孤立していた時期でした。以来彼は西ドイツの経済政策から非常に多くのことを学んだということです。その「先生」のひとりヘルムート・シュミット元首相を彼はこの時も表敬訪問して歓談しています。

また第二次世界大戦後の世界秩序が決定されたポツダム会談場を、王外相と初めて訪れています。下の写真はその時の写真を地方紙から借用しました。


ポツダム宣言の受諾は日独両帝国主義の終焉を意味します。これにより中国も戦勝国としての地位が確定したのです。その原点の地がこの会談場です。王毅外相は日本語が堪能なエリート外交官で、わたしも彼が日本大使に就任した時に東京の大使館でゆっくり話したことがあります。当時は小泉首相の時で彼の靖国参拝が話題になったことは当然です。

さて、安倍首相が靖国神社を訪問した26日、ドイツでもこの日はトルコの政治危機とトップを争って報道されました。ドイツ第一公共テレビARDも夜のニュースで詳しく報道しました。→「日本の首相への怒り・安倍、神社参拝で挑発する」が見出しです。

またこの日北京で日本大使を外交部に召喚した王毅外相が「我々の感情をふみじる国際的スキャンダルだ」と最大限厳しく批判する記者会見の様子を中国電視台のニュースをそのまま引用して東京から伝えています。→「日本の安倍首相、戦死者の神社訪問で怒りを引き起こす」

 このようにドイツでは、彼の怒りがよく理解されるのです。そして「日本はおかしくなっている」という認識が定着しつつあります。いずれ紹介したいと思いますが、主要プリントメディアでも「日本のどこがおかしいのか」という視点の論評が出始めています。
これが安倍首相の靖国参拝がたちまちもたらした現実のひとつです。
 昨日27日には バンキムン 国連事務総長の報道官が「遺憾の意」を表しています。

  このようにたちまち、安倍政権は世界中で孤立しましたが、何故このようなことをあえてするのか? 同じ敗戦国であるドイツと比較して、なぜこれほど、例として中国との関係が対照的なものになっているのか。

 それは戦後日本社会にしっかり根付いた「靖国引きこもり症」という深刻な病氣のせいです。安倍首相はその典型な「靖国引きこもり男」です。その病根を続けて解説します。
(以上28日記)

2013年12月26日木曜日

217;ベルリンのクリスマスツリーとごちそう/哲学ネコ・アズキ代筆

クリスマス前の16夜の月輪
明日うらしまの読者のみなさま。良いクリスマスをおすごしでしょうか。
わたしは、うらしま爺さんのところのネコのアズキです。この家に拾われてきてもう3度目のクリスマスになります。
 爺さんは数日前に乙姫婆さんに書斎の掃除を言いつけられて、たまった新聞の束を持ち上げるとき、ぎっくり腰になって役に立たないので、わたしが代理でベルリンのクリスマスツリーとご馳走の報告をしますね。

 爺さんの話しによると、日本のクリスマスは戦後アメリカの進駐軍が持ち込んだ風習で、ドイツのものとはかなり違うということです。それにデパートやコカコラーやファーストフードのような商業主義が乗っかって、クリスマスとは消費だけのありがたくないものだそうですね。
 しかし、ドイツでも似たり寄ったりだとおもうのですが。それでも日本の正月のような大切な歳の区切りであることは間違いありません。
(写真はいつものとおり、クリックすればパノラマでご覧になれます。)

 クリスマス商戦さなかのベルリンのデパートの飾り付け。今年はかなり地味な方です。
デパートのショーウインドウのツリーはアメリカのものに近い派手なものです。
どうやら年より夫婦も、クリスマスには仲良くなるらしい。
このデパートはドイツで一番高級ですから、ツリーもデカくて派手ですね。このサンタの爺さんは、もう14年毎年これをやっているベルリンっ子で、子どもたちには人気があります。
西ベルリンの商店街の飾り付けは、近年はかなり地味になっていますが、それでも規模は大きいものです。
この、教会の近くの大きなツリーあたりから雰囲気が変わってきます。昔のままのロウソクの光だけに近くなってきて、余計な飾りはありません。
これはザクセン州のエルツ山脈の伝統的なクリスマスの木工工芸品の大きなモデルです。クリスマス市に毎年現れます。
この市が開かれるのは→ヴルヘルム皇帝記念教会という有名な教会の広場ですが、ここの礼拝堂が素晴らしいのです。これは70年前の大空襲で破壊されたこの教会の記念コンサートが開かれる準備中の写真です。

クリスマス市の民芸品のお店。伝統的な木工細工ばかりです。古い伝統がそのまま生きています。
クリスマス前の午後3時過ぎの中央駅近くの夕焼け。飛行機雲だらけですね。
以下は政府中枢のクリスマスツリーです。美しい夜の写真はありませんが、これらはアメリカナイズされていないことだけは判ると思います。
上は、メルケル首相の首相府のツリー。下は国会議事堂前の巨大なツリーです。これがベルリンでは一番大きなものです。
ブランデンブルク門前のパリ広場のツリー。実はこれは朝8時過ぎの写真で、ようやく明るくなった頃です。まだ観光客もいませんね。

下の2枚は、大統領府のツリーです。夜の写真がないのは残念ですが、これが一番気品のあるツリーです。
 クリスマスツリーは、キリスト教化する前の、北方ゲルマン民族の冬至の火祭りの伝統をキリスト教が取り入れたものであることはよく知られていますが、ドイツの公式の樅の樹のツリーはまだしっかりと、その頃の伝統を残しています。家庭によってはいまだにロウソクの灯りだけのツリーを維持しています。時々火事になりますが。
 ツリーとは関係ありませんが、クリスマスの飾りによく使われる宿り木の→ミステルが、このあたりには多いのです。このとおり、電車の線路沿いの樹の頂上近くにまるでマリモのようにこれだけは緑で元気です。ちなみにこの植物には抗がん作用があります。

さて、もう一度、ブランデンブルク門前のツリーです。これは21日にロシアの石油王が釈放されて、ここの高級ホテルに入ったので様子を見に行った時のものです。

 写真を撮っていると、韓国語が聴こえて来るのでなんだろうと思うと、韓国人留学生たちが、韓国の朴大統領の選挙違反を批判して抗議集会をやっていました。また韓国の鉄道労働者のストライキを支持してドイツの労働組合も連帯の挨拶をしたりして元気なものでした。
それを見ていると、大統領支持派の韓国人も近くで集会を始めましたが、年寄りばかりで、人数もわずかでさっぱりです。若者たちに「化石だ」と笑われていました。
うらしま爺さんんも30年ほどまえからドイツの韓国人たちの民主化運動にかかわってきたので、この様子を見て時代の変遷に感無量であったようです。何でも「韓国の民主主義は自力で勝ち取ったので、日本のそれよりよほど本物である」というのが爺さんの説です。

さて、いよいよクリスマスのご馳走を簡単に紹介しますね。
 クリスマスイブには、この家の子どもたちも来て、プレゼントが机に積まれます。
いつもなら、和風のご馳走ですが、今年は乙姫婆さんが何を考えたか、突然ドイツ式にすると言い出したので、みんなびっくりです。

 午後から手伝いも来て、たっぷり時間もかけて台所で大奮闘していました。 ぎっくり腰の爺さんは邪魔になるので待つだけ。その爺さんが待ちかねて、一人でワインの利き酒をやっていたのをわたしは目撃して告げ口をしました。爺さんはこのスペインの2006年のエコワインは絶品だと喜んでいました。何でも最近はエコワインにも美味いやつが出てきているそうです。
スープと前菜の後に出てきたのが、→ストックエンテの丸焼き。お腹にリンゴ、オレンジ、ショウガその他の香料を入れて、黒ビールと蜂蜜をかけながらオーブンでじわりじわりとと丸焼きにしたものです。1羽で5人前だそうです。
 このマガモはベルリンにもたくさん住んでいます。わたしがスズメを捕ってくると乙姫婆さんはかわいそうだと非難するのに、エンテを焼いて喰うのはもっとかわいそうだね。人間は勝手だ!
付け合わせは、ジャガイモ団子と赤キャベツの煮込みと、全くのスタンダードですが、この取り合わせがやはり、このカモ料理には一番です。他の選択肢はありません。
ドイツ料理は見かけは悪いが、ボリュームはたっぷり。手をかけてつくったのでできは上々で、乙姫婆さんの鼻が高くなっていました。
みんな満腹なので一休み、プレゼント交換してから、ババロアと紅茶と果物が出て、ご馳走はおわりました。爺さんは食後酒にコニャックを引っ掛けていました。


そんな人間どもの飲み食いを観ながら、わたしが一番楽しかったのは、プレゼントの包み紙の中で遊ぶことでした。何しろ化粧品からお菓子など本当に色々な珍しい臭いがたっぷりしみ込んでいますから、これが一番です。この夜はここで眠りました。

 付け加えますが、爺さんの話しによれば、なんでもフランスに嗅覚の良い作家がいて、ちょうど100年前に有名な「失われたなんとかを求めて」という小説を書いたとのことですが、ネコのわたしからすれば大した鼻ではないですね。人間の臭いと音の感度はわたしたちネコにすれば、実に憐れなものですよ。
 人間は「時間」とやらを気にしますが、そんなものは人間の幻想ですよ。そんなものを考えだしたのがそもそも人間の不幸のもとです。そんな世界には関係ないわたしは、だから幸せなのです。

 ベルリンの哲学ネコ・アズキ代筆

気に入ったので当分は昼寝も包み紙の上ですることにしました。

2013年12月17日火曜日

216:ドイツ第三次メルケル政権成立、強力な「エネルギー転換・脱原発政権」として出発。

 ガウク大統領より任命証を授与された第三次メルケル内閣。
ベルリン大統領府 2013年12月17日 DPA

 先ほど、ドイツの連邦衆議院でメルケル氏の首相指名投票が行われ、メルケル氏の第三次政権がキリスト教民主・社会同盟と社会民主党による大連立として正式に発足することになりました。
 この政権は、前回お知らせしたとおり、社会民主党の党首ガブリエル氏が経済エネルギー相となりましたので、脱原発は当然ながら、その先の再生可能エネルギー発電を推進し、持続可能社会に向けた、かなり強力な「エネルギー転換」政権となることは確実です。大いに注目に値します。

 わたしは連立交渉を横目に、新政権の成立の背景とともに、エネルギー政策の見通しと、その課題については、連立協定などを参考に、かなり長い報告をしかるべきところに執筆したところです。現時点でその最終校正中です。
日本語としては一番詳しい報告となるでしょうから、これに関してはいずれお知らせ致します。

とりあえず以上お知らせします。

ドイツ連邦議会で首相指名投票を受けたメルケル首相。日本時間の17日午後6時16分ごろのDPA配信の写真です。




2013年12月14日土曜日

215:速報:ドイツ新政権がエネルギー経済省を新設し、ポスト原発社会実現の体制を固めるとの報道。社民党党首ガブリエル氏が就任か。

 速報です。ドイツ時間の12月13日夕刻、ドイツの新大連立政権では、新たにエネルギー経済省が設けられ、ガブリエル民主社会党党首(元環境相)がそのポストを得るとの報道が一斉にされました。

ガブリエル社会民主党党首。写真:梶村
これが事実であれば、これまで経済省と環境省にエネルギー政策で分離されていた権限を一本化して、再生可能エネルギー社会実現へ向けての効果的体制が整えられることになります。

すなわち、ドイツはポスト原発・持続可能エネルギー社会へ向けた本格的行政改革を実現することになります。

ガブリエル氏はニーダーザクセン州出身の政治家で、反原発運動で育ってきた政治家です。
ただし、正式な発表は、新政権成立の17日になる予定です。
とりあえずお知らせします。

写真は11月27日にベルリンで行われた大連立協定成立報告の記者会見のガブリエル党首です。

2013年12月12日木曜日

214:諜報機関のインターネット監視社会に抗議し、民主主義を守る世界市民の署名運動に賛同しましょう!緑の党は連邦議会に賛同議案提出

 
「デジタル時代の民主主義を守ろう」 FAZ 10.Nov.2913・Der Spiegel
12月10日の東京新聞にベルリンから以下の記事が掲載されています。
 全文引用させていただきます:

    ------------------------------------------------------------
→ノーベル賞作家ら情報監視反対署名 新国連規約を


【ベルリン=宮本隆彦】五人のノーベル賞作家を含む世界八十カ国以上の著述家たちが十日、政府や企業による個人情報の監視に反対し、インターネット時代に合った新しいプライバシー保護の確立を目指す署名集めを始めた。国連に対し、新たな人権規約をつくるよう働き掛ける。
 この署名集めは、米情報機関の国家安全保障局(NSA)による世界規模での盗聴疑惑を受け、ドイツの作家グループが中心になって企画。世界的な署名収集サイト「チェンジ・ドット・オーグ」を利用して署名を集める。
 趣旨に賛同し、既に世界中で五百六十人を超える著述家が署名。独作家ギュンター・グラス氏(86)、トルコの作家オルハン・パムク氏(61)ら五人のノーベル賞作家も名を連ねた。
 署名の呼び掛けでは「監視下の人間はもはや自由とは言えない。監視下の社会はもはや民主主義とは言えない」と指摘。個人の思想やコミュニケーションは、国に監視されたり企業に無断で利用されてはならないと主張する。
 その上で携帯電話や電子メール、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が普及したネット時代の新たな基本的人権として、個人情報の扱いについては、本人の意思決定を最優先するよう訴える。
 署名の募集開始に合わせ、東京新聞をはじめ英ガーディアン、仏ルモンド、独フランクフルター・アルゲマイネなど世界の主要日刊紙が十日付で一斉にこの取り組みを報じるキャンペーンが展開された。


        ------------------------------------------------
ここにあるフランクフルターアルゲマイネ紙に掲載された意見広告が上の写真です。シュピーゲル誌電子版から拝借しました。

捜しましたが、ネット上では英文だけで、東京新聞に掲載されたという呼びかけの日本語版がまだないようです。
こちらか署名できます
 わたしも先ほど賛同しました。 あっという間に世界中から10万以上の署名が集まっています。

 ドイツで呼びかけた女性作家の→ユリ・ツェーさんたちは、この夏にドイツ政府に対して、スノーデン氏の内部告発により明らかになった、特に米英の諜報機関によるトータルな市民のプライバシーの監視を規制する政策を求める誓願をしましたが、完全に無視され返事すらなかったので、ではと、このキャンペーンを始めました。

秘密保護法の背後にある諜報機関の監視から人権を守るグローバルな署名運動です。日本からも奮って賛同してください。

 ちなみに、アメリカのニューヨークタイムスやワシントンポストが、この呼びかけ掲載を拒否したのは、無料で掲載することがないためであるとのことです。
 日本の朝日新聞や毎日新聞には要請があったか否かは知りませんが、東京新聞がこの意義ある呼びかけに応じたのは、同紙が、単なる商業新聞ではないジャーナリズムとしての志しを持っていることの証ではないかと思います。

以上簡単ですが読者のみなさまに呼びかけます。


AFPはこちら→国家による監視制限世界作家500人が国連に要求



12日追加です:
 先ほどの→シュピーゲル誌電子版によると、ドイツ緑の党の会派共同代表のゲーリング・エッカルトさんが、「緑の党は同呼びかけに連邦議会として賛同する議案を来週にも提出する」と述べています。まや社会民主党のガブリエル党首もこの呼びかけに興味を示しているとの報道があります。ドイツの議会での論議を呼ぶテーマになりそうです。


2013年12月9日月曜日

213:必読の政府開示資料:違憲立法国家秘密保護法廃止の闘いに向けて:「バーナムの森は動いた・海渡雄一」とドイツの笑い話

 (12月10日追加です)昨日、以下に引用させていただいた海渡弁護士の声明の「バーナムの森」とは、何であるのかという問い合わせがありました。
これは、→シェクスピアーの「マクベス」の第4幕から5幕に出てくるスコットランドの小さな川沿いの街の森です。 そこには:

"Macbeth shall never vanquish’d be until
            Great Birnam wood to high Dunsinane hill
               Shall come against him."
                Macbeth, Act 4 Sc. 1 

大バーナムの森がダンシネンの丘まで来て
マクベスに戦いを挑むまでは、
マクベスは決して滅ぼされることはないだろう。 

 とあります。
 この地の今の風景はこのようです。
 英国の古い絵画や、最近の版画には以下のようなものがあります。この物語の 時代背景は日本の源平時代ですので、これらを見ていると、まるでマクベスが奥州衣川で滅びた安倍貞任を思わせます。
 海渡雄一弁護士は、ここで「動くはずのない森/市民が動き始めた」と示唆しているのです。しかも、偶然ですが安倍晋三氏は→安倍貞任の子孫であると述べているそうです。
 以上追加します。

        ==========================
  日弁連の海渡雄一弁護士が12月6日の国家秘密保護法強行決議の直後に以下の見解を発表しています。彼は反原発裁判でも、また監獄法などの人権擁護の裁判でも大活躍しているおそらく、日本で最も優秀な広い視野と知見をもった弁護士の一人です。

まずこれをお読み下さい。
以下引用:
  =======================================================
バーナムの森は動いた
秘密保護法強行採決は安倍政権の終わりの始まりだ!

秘密保護法を廃案へ!実行委員会
 弁護士 海渡 雄一 2013.12.7

1 参議院で法案採決される
  参議院本会議で、法案が可決されました。
  採決結果は、投票総数 212、賛成 130、反対 82でした。
  賛成したのは自民党と公明党。反対したのは、民主、共産、社民、生活、糸数議員、山本議員などでした。 みんなの党は欠席しましたが、一部議員は出席して反対しました(川田さんと寺田さんと真山さん)。維新の会は欠席しました。
  市民の8割が慎重審議を望んでいる中で、日比谷野音に1万5千人が集まり、全国で抗議集会が続き、数万人の市民が国会を取り巻き、 秘密保護法絶対廃案を叫び続ける中での、法案可決です。
  「特別秘密の保護に関する法律案 【逐条解説】」 という文書が12月5日午前11時45分に福島みずほ議員の強い要求によって、ようやく開示されました。
  これは、法案の策定段階おそらく公明党との修正協議の前の段階の法案について内閣官房が作成したものと考えられ、 合計92頁に及ぶ大部なものです。
  法案の逐条解説を公開して審議していれば、法案の問題点はもっと深く審議でき、浮かび上がったはずです。 作成名義は、内閣官房の作成とされています。
  さらに、内閣と各省庁の間で、この法案の策定の段階で、多くの意見交換が行われていたことが昨晩わかりました。 今のところ人事院と文書のやりとりだけが、公表されています。他の省庁は、各官庁の了解が取れないという理由で、今も不開示となっています。
  このような重要な文書をこれまで秘密にしていたことは、国会軽視として決して許されることではありません。 すくなくとも、このような重要文書について、きちんと国会での審議の時間を確保するべきことは民主主義政治の元(下・梶村)での国会運営として、当然のことでした。
  委員会採決は、最後は、全く言葉も聞き取れない、議事録もないような状態での採決であり、手続的にも違法無効です。

2 根本的欠陥法案である
  この法案には根本的な欠陥があります。何が秘密に指定されるかが限定されず、政府の違法行為を秘密に指定してはならないことも明記されていません。 公務員だけでなく、ジャーナリスト・市民も独立教唆・共謀の段階から処罰されます。
  政府の違法行為を暴いた内部告発者やジャーナリスト、市民活動家を守る仕組みが含まれていません。 権威ある国際原則であるツワネ原則にことごとく反しているばかりでなく、 ふたりの国連特別報告者とピレー人権高等弁務官からも重大な懸念が表明されています。 私たちはこの秘密保護法案の内容も手続も絶対に認めることはできません。

3 法案廃止の活動を始めよう
  これからの闘いの方向性について、提起したいと思います。今晩の闘いの力で、これからの政府の暴走を止めましょう。
  成立した法案は同じ手続で廃止することができます。私たちは、明日から、この法律の廃止を求める活動を直ちに始めようではありませんか。 次の国会には、採決に賛成しなかった多くの政党と共同して、秘密法の廃止法案を提案するための活動を始めましょう。

4 弾圧に備えよう
  もうひとつ、大切なことを提起します。
  この法律は、憲法21条、自由権規約19条で保障された表現の自由を侵害する違憲立法です。 この法律が自由権規約19条に違反することは、国連の見解なのです。我々には国際社会が味方してくれています。 裁判官も私たちの反対運動を見ていることでしょう。そして、心の内では応援してくれている裁判官も少なくないはずです。
  秘密法違反の被告人は違憲な法律によって起訴されたのですから、絶対無罪としなければなりません。
  これは、弁護士の仕事ですが、政府があくまで、この法案を施行しようとするなら、第一号の秘密法違反事件の被告人を弁護するために、 1000人の弁護士を組織し、あらかじめ大弁護団を結成しておきたい思います。

5 新しい闘いのはじまり
  法案の成立は、私たちの一つの敗北であることは確かです。
  しかし、今日一日の私たちの行動は、政府、国会に私たちの秘密法廃案、安倍政権NOの怒りをぶつけ、 一人ひとりの市民に秘密法反対の意思を確認する機会となったことと思います。
  まず、私たちは、これだけの多数の市民の反対を押し切って秘密法を成立させた政府与党の暴挙を心にしっかりと刻みつけなければなりません。 マクベスのバーナムの森は動いたのです。これから、政権崩壊の日が近いことにおびえなければならないのは、 勝ち誇ったような顔をしている安倍首相とその取り巻きたちです。
  私たちは、この法律が廃止されるまで、決してあきらめません。 明日から、秘密法のある社会を拒否し、その実質化を食い止めるため、新たな闘いを始めましょう。

    ============================================
以上引用。

 ここでもすでに書きましたように、この国家秘密保護法なるものは、戦後でも最悪の違憲立法です。これがまかり通るようなことになれば、日本は警察監視国家になります。

 海渡氏のこの呼びかけと、彼がここの指摘している5日(参院決議の前日!)開示された「特別秘密の保護に関する法律案 【逐条解説】」という文書、それにおそらく、その後開示されたこの悪法を、おそらく昨年から内閣情報調査室が各省庁と法令協議した膨大な文書が→NPJのここから以下で読めます:
 
 秘密保護法を廃案へ 実行委員会 海渡 雄一 12/7
→内閣情報調査室が各省庁と協議した法令協議 H23.11 533ページ 12/5
   153ページ /  183ページ /   94ページ /  103ページ

 これは日本のジャーナリストと知識人の必読資料です。わたしもじっくり読もうと思いますが、速読しただけでも、明らかに日本国憲法で保障されている国民の基本権をナイフで切り刻むような内容で、鳥肌が立ちます。権力犯罪の共謀の証拠です。まさに日本国憲法を破壊する「テロリストたちの共謀協議」そのものです。保守国家官僚が国家主義の安倍内閣の政治家たちを自家薬籠のものとして、この悪法をつくった雰囲気までがふんぷんと臭います。

 ドイツであれば、この証拠だけで憲法裁判所で、たちまち同法への違憲判決が出されることは間違いありませんが、日本の最高裁でその判断が出されるまでには時間も手間もかかるのではないかと思います。

ドイツでよく知られているある笑い話をここ数日思い出します。ここでそれを紹介しておきます。
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法廷での対話

裁判長「その手紙には何が書いてあったのですか?」 

被告人「通信の秘密ですから話しません」

裁判長「では、彼に電話した時に、あなたは何を話そうとしたのですか?」

被告人「それも、通信の秘密ですから話しません」

裁判長「では、あなたは結果として、いくらのお金を受け取ったのですか?」

被告人「銀行口座の秘密*ですから話しません」

裁判長「では判決。被告人を懲役2年の刑に処す!」

被告人「えっ!いったい理由は何ですか?」

裁判長「国家秘密です」
   ---------------------------- 
 いわずもがな通信の秘密は日本憲法21条で保障されている民主主義国家では当たり前の基本権です。*銀行口座の秘密は、最近までスイスで堅持されていたものです。
ともかく、この笑い話は、民主主義法体系の下でも国家秘密を持ち出せば、何であれ理由を述べずに処罰されてしまうことをよく現しています。この笑い話の題は「国家秘密」です。
 しかし、海渡弁護士が声明で弾圧に備えようと法曹界にも呼びかけていますが、同法で弾圧が始まれば、法廷で実際にこの笑い話のような情景が現実となるのです。

 もうひとつ、海渡弁護士は国家秘密保護法案を最近南アフリカで提案された国際指針「ツワネ原則」に基づき廃止すべしと主張しています。岩上安身氏がその重要性を見抜いて、→海渡氏にインタヴューしていますので是非ご覧ください。
この文書の翻訳もそこからPDFで読むことができます。

 たしか衆議院で安倍首相はこの原則についての質問され、「私的文書なので参考にはならない」として都合が悪いので無視の答弁をしたようです。ところがこれこそが、グローバル時代の情報公開に関する最も最新の国際的知見なのです。これも必読参考資料です。

 おわりに、この写真はちょうど3年前の2010年12月に、反原発運動を支える日弁連環境部会の弁護士も皆さんが、当時原発稼働延長を目論むメルケル政権の政策調査のため、ベルリンの国会議員会館に緑の党の議員を訪ねた時のものです。
前列右からふたり目が海渡雄一弁護士です。


2013年12月8日日曜日

212:ドイツでの秘密保護法報道の翻訳を追加しました。さらに続く批判報道。

 お知らせです。昨日の秘密保護法に関するドイツでの報道に関して、保守系新聞の記事の翻訳を追加しました。→こちらをご覧ください。

 
 また、左派系の新聞は電子版でドイツ通信DPAの記事を伝えています。日本がアメリカの本悪的属国の反動国家となりつつあるといった趣旨です。→フランクフルタールンドシャウ紙など。
これらに使われているいる写真はこのようなものです。説明は不要でしょう。
国会前。12月6日。AP

 さて、一転してヒトラーが追放されたベルリンの平和な光景です。12月3日の午後3時過ぎ、買い物ついでにシュプレー側の対岸から撮影した、小学校の岸辺に集まる白鳥のたちの姿です。学校のホールにクリスマスツリーが見え、川面にその灯りが映っています。この季節、郊外の湖から温かい市中の水辺に彼らは越冬のために移住してきます。日本で秘密保護法案が成立した昨日は、ベルリンも最初の冬の嵐で吹雪となり、例年とは遅い冬が到来しました。温暖化のせいかもしれません。
Spreelandshaft.3.12.2013.vor der Hansa Schule Berlin Tiergarten