2011年8月30日火曜日

23:野田佳彦ドジョウの二重の人生の嘘

第22が途中で末尾が切れていますので、続きです。ブログが初心者であるためなぜこうなるか判らないのです。読者のみなさまにお詫びします。

以下切れてしまった引用論考の脚注からです:

 (注1)「人生の嘘」は、ノルウェー語:livslognen、ドイツ語:Lebenslüge、英語:life lie 。引用文はドイツ語訳から梶村が翻訳した。イプセン没後百年(二〇〇六年)に、ノルウェー政府は世界中で彼の作品を紹介した。『野鴨』についても日本語で紹介がある:
 http://www.norway.or.jp/ibsen/plays/duck/
(注2)梶村「天日下の凅轍の鮒」、季刊『中帰連』2007年春号。
全文は:http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/
(注3)この連載と、そこで割愛された資料全文は、単行本として週刊金曜日より刊行される。ワシントンポスト紙での広告の批判記事の英訳は:
 http://www.kinyobi.co.jp/MiscPages/comfort_women
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以上引用終わり

さて、これを書いていると、ラジオで日本からのニュースで野田佳彦氏が民主党党首に選出されたと伝えています。予想したとおりに菅直人内閣より、かなり反動的な内閣となるでしょう。

すでに7月半ばに紹介しました「南ドイツ新聞」のこのノミのサーカス予測が現実になったようです:

もし菅が実際に辞任しなければならないならば、思想のない直立不動で無表情な民主党の少尉のひとりが後任となり、彼もとても1年以上はもたないだろう。まず間違いなく言えることだが、彼は菅が努力する、法的根拠のない脱原発を引っ込めてしまうであろう。

しかもこの「思想のない民主党の中尉」野田氏は安倍氏にまったく引けを取らぬ歴史改竄主義者ですから、上記引用の4年前のわたしの批判した情勢は、もっとのっぴきならぬことになりそうです。
なにしろこの人物は「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」との持論の持ち主です。それを堂々と先の8月15日に表明するという極右ぶりです。東条英機以下のA級戦犯が戦争犯罪人でなければ、いったい誰が第二次世界大戦の戦争犯罪人なのでしょうか。もうすぐドイツのネオナチ政党党首から熱烈な連帯の挨拶が届くでしょう。何ならばわたしが明日にでもNPD党首のフォクト氏に野田氏の考えを伝えてみましょうか? 彼は大感激して「実に立派な日本人だ」との声明と連帯の挨拶を公表することは間違いありません。

日本政治の内患外憂度はもはや赤信号です。原発事故に加え外交で末期症状に陥ることは必然であるといえましょう。なにしろ野田氏は「原発と歴史改竄のふたつの人生の嘘」を信じているご仁ですから。

参考のため彼の世界もあきれはてること間違いなしの歴史改竄者ぶりを証明する国会での公文書を挙げておきます:

http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a163021.htm

http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b163021.htm

日本人として恥ずかしいこと限りありません。
野田氏は先ほどの記者会見で「ドジョウの政治をやり抜く」と語り、庶民派政治家として売り込んだとのことです。ドジョウの棲む溝や田んぼの泥にはセシウムが最も蓄積します。ドジョウ政治家として生き抜くためには、さっそくセシウム除染に励まないと直ぐにヒバクドジョウになりますよ。それをしないならば、偽物ドジョウであることがバレて、汚染地のドジョウからそっぽを向かれてしまいますよ。

それはさておき、終わりになりましたが菅直人氏は孤立しながらも良く頑張ったと思います。
ノミのサーカスの中でも、よくやったと感謝いたします。

彼の足を引っ張り続けたメディアとそれに煽られた国民の多くが、たちまち後悔を始めるのは目に見えています。ノミのサーカスが生き延びているのは、世界広しといえども今ではミュンヘンのオクトーバーフェストと日本の永田町だけのようですから、その観客にふさわしく実に笑止な振る舞いであるといえましょう。

22:原発中毒の人々と「人生の嘘」(2)

前回の続きとして今回は
(2)「人生の嘘」という言葉について解説します。
これは日本社会が脱原発を実現するにあたっても、大変役に立つ言葉/概念でもあると考えているからです。かなりの長文になりますので、お暇な時にお読み下さい。

明治42年といえば、今から100年以上前の1909年のことですが、この年に森鴎外は「當流比較言語學」あるいは「Resignationの説」などで、欧州にあって日本語に欠落している言葉について論じています。これを読むと、Resignation/諦念、あきらめ、断念、といった今では日本語にも定着している言葉/概念が、鷗外のころにはまだ無かったようです。まったく大変だったことでしょう。
しかし、この問題は歴史と文化を異にする外国語を学ぶもの、もちろん文学者や翻訳者にとっては、いわば永遠に逃れられない宿命的な悩みのようなものです。現在でもいささかも変わりません。

ここの第12:  http://tkajimura.blogspot.com/2011_07_01_archive.html
で紹介したドイツ誌の記事のタイトル:Ausstieg aus der Lebenslüge/人生の嘘からの撤退、で使われている「人生の嘘」という言葉も、日本語には概念が欠落しているために、これだけでは何のことか理解できません。これはわたしが筆者のクリーナー氏の問いに答えて使った言葉(4月29日)ですので、その部分だけを翻訳しましょう:

Wie konnte man ausgerechnet in dem am massivsten durch Erdbeben gefährdeten Land der Welt 54 Atommeiler in geologisch teilweise superaktiven Gebieten bauen? Wie konnte man sich nach den 250.000 Opfern von Hiroshima und Nagasaki in ein atomares Energiegefängnis einmauern? Die Antwort ist bekannt: Japan wollte das Leid der Atombomben in etwas Gutes verwandeln. Der wirtschaftliche Erfolg sollte die Leichenberge zudecken – mit Hilfe der friedlichen Atomtechnik als Motor eines rohstoffarmen Landes. „Alle haben diese Lebenslüge geglaubt, jetzt ist sie offenbar geworden, deshalb diese Fassungslosigkeit“, sagt Kajimura.


なぜよりによって世界でも地震に最も脅かされている国において、地学的に部分的に超活動的な区域に54基の原子炉を建設できたのか? なぜヒロシマとナガサキの25万人の犠牲の後で、原子力のエネルギー牢獄のなかに閉じこもることができたのか? 回答はよく知られている:日本は原子爆弾の苦悩をいささか良いことに変えようと望んだのだ。経済的な成功が死体の山を覆い隠してしまうべきであった=資源に乏しい国の発動機としての平和的原子力技術の援助によってである。「みながこの人生の嘘を信じ込んだのです、それがいま公然となってしまった、だからこのように唖然としているのです」と梶村は述べる。

本稿ではこのように欧米では定着しているこの言葉/概念が、なぜ日本には欠落しているかとの考察はしません。読者のみなさまがそれぞれお考えになって下されば幸いです。
ただ、これだけでは理解が難しいと思われますので、この言葉をキーワードとしてちょうど4年ほど前に書いた論考がありますので、それを以下に再公開しておきましょう。これは歴史修正主義批判として執筆したものです。
原文は「週刊金曜日」が2007年12月に発刊した単行本『日本はどうなる2008』に掲載されたものです:
http://www.kinyobi.co.jp/publish/publish_detail.php?no=237&n=na&page=1

 以下全文引用:
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   歴史改竄者たちにおける「人生の嘘」について

      ごく平凡な人間から人生の嘘を奪ってごらんなさい、
      それは同時に、彼の幸福を奪ってしまうことになりますよ。
                   (イプセン戯曲『野鴨』より)
  

   イプセンの戯曲「野鴨」

 これはノルウェーの作家ヘンリック・イプセンが、一八八四年に書き下ろした心理劇『野鴨』(注1)で、登場する医師に語らせた言葉だ。二〇〇七年九月十二日、突然の辞任表明をする安倍首相の表情を見ながら、この台詞を思い出した。
  内閣改造を終えて、国会で所信表明を行ったわずか二日後、衆議院本会議の開始直前のこの辞任劇は、日本の国政史はもちろん、おそらく世界の近代政治史でも前代未聞のできごとだろう。「日本の政治家とはこんなものか」と世界中が、その無責任ぶりに唖然とした。
 同年七月末の参議院選挙で大敗の後の八月の半ばごろから、東京の安倍番記者たちから「安倍自殺説」が、ベルリンの日本人特派員の間にも届いていた。ために辞任表明後に入院したとの報道に、「あるいは」と、悲惨な自殺で終わるこの古典悲劇をさらに連想した。彼の内閣で現役大臣が自殺していることもあるからだ。
  だが、それもあっさり杞憂に終わった。退院を前に「これからも国会議員を続ける」と述べるのを聴いて、この人物が責任感などとはどだい無縁な俗物でしかないことがはっきりしたからだ。これでは、遺書に「安倍総理、日本国万歳」と書き残した松岡農水大臣(当時)の浮かぶ瀬もあるまい。
  
 ちょうど二年前のドイツの総選挙で、僅差で敗北したシュレダー首相は、大連立政権構築の交渉を終えると、いさぎよく国会議員の席も後進に譲って政界を引退し、一介の弁護士となってしまった。「宰相の政治責任の取り方」とはこういったものなのだ。無責任ぶりをさらけ出した後も議席にしがみつく安倍氏のありかたとは見事な対照ぶりではないか。これで安倍氏はおそまつな喜劇の主人公として終わった。政治生命が失われていることが自覚ができない鈍感さは滑稽である。彼は誇り高い野鴨ではなく、恥知らずな家鴨(アヒル)だ。

  「辞任の理由は健康問題だ」と説明している。だが、健康を損ねるに到った根本原因を自覚していないようなので指摘しよう。ほかならぬ彼の歴史認識での「人生の嘘」が奪われ不幸になったからだ。
  イプセンの戯曲では、親友から妻の「人生の嘘」、すなわち娘が自分の実子ではないことを知らされた父親が、娘を愛することができなくなり、父親の愛を取り戻そうとする無実の娘が自殺してしまう悲劇だ。個人生活では、このような「嘘」は秘密のままであったほうが、しばしば幸福であろう。
 だが、イプセンのこの言葉を使い、個人でも「無意識な人生の嘘=自己欺瞞」を自覚することが、精神の安定に役立つことを指摘したのがアドラー心理学である(以来欧米では、この概念は、社会学や文学でも援用され定着している)。ましてや、南京大虐殺、沖縄の集団自決と「慰安婦」の軍による強制などの史実を、故意に抑圧する勢力がはびこり、そのことに無自覚である社会が健全であるとはとても言えない。それは不安で不幸な社会だ。

  不良中学生内閣
 
  安倍内閣が成立した時、わたしは「これは歴史認識で不良仲間の生徒たちが校長室を占拠した中学校のようなものだ」と喩えたことがある。なにも日本の国会議員諸氏を、まとめて侮辱するつもりはないが、ドイツの議会政治と比べての正直な感想だ。安倍政権の一年を回顧して、この見方が正しかったことは明らかだ。
 もちろんドイツの国会議員にもお粗末な知性の持ち主がおり、日本の議員にも優れた人物が少なくないことはそのとおりだ。だが平均すれば、両国の国会議員は知性の質で、大学生と中学生ほどの落差がある。くわしく述べないが、その要因としては、まずは政治教育での鍛えられ方の違いがある。特別に顕著な点は、普遍的な人権擁護と、歴史認識についての厳しさでの極端な違いである。「女性は産む機械」などの発言は、ドイツでは田舎の村会議員でも辞職ものだ。
  何よりも、自国の戦争犯罪を否定したり、相対化する発言は論外である。二〇〇二年に保守党のキリスト教民主同盟のマーチン・ホーマン議員が、地元の集会で、ロシア革命に多くのユダヤ人が参加していたことを指摘し、「この点ではユダヤ人を『犯罪者民族』と呼べるかもしれない」と発言したことが大問題となった。彼は、自会派からの議員の辞任勧告を拒否したため、党籍を剥奪され、たちまち政治生命を失った。メルケル党首(現首相)からは「この思考構造はドイツの民主主義とは一致しない」、また姉妹党のキリスト教社会同盟のシュトイバー党首からは「彼は憲法の枠外にはみだした」と断罪された。ドイツの戦後史で国会議員が党籍を剥奪されるのは初めてのことだ。
 さらにこの「犯罪者民族:Tätervolk」という言葉は、言語学者たちによる毎年恒例の「最悪の言葉賞」に選ばれる「栄誉」に輝いた。その理由として、まず「集団の罪」というものはありえず、そして、ありもしないものをユダヤ民族に適用するのは、まぎれもない反ユダヤ主義、人種主義であるとの指摘があった。つまり、彼の世界観とは、根強い反共主義と反ユダヤ主義の結合であり、このような歴史認識は、間違っており過去の亡霊でしかないということだ。だが彼自身は、なぜこの発言が問題であるのか理解できず、世界観の崩壊と政治生命の喪失ですっかり不幸になった。
 こうして彼の発言は「ホーマン事件」としてドイツ政治史に残ることとなった。ちなみに、第一次世界大戦後に「戦争犯罪でドイツ人に集団の罪というものはない。罪は無責任に戦争を煽った政治家、軍、新聞などの指導部にある」と一九一九年にいち早く指摘したのは、前述の心理学者アドラーである。

  世界が見捨てた 

 では、一国の首相が同様な発言をしたらどうなるのか。安倍首相の「慰安婦強制否定発言」が、国際世論のなかでまったく同じことになった。そもそも安倍内閣の大半の閣僚が、国家主義(日本では靖国派として顕現する)と根強い反共主義の歴史認識の持ち主であり、この点では、冷戦体制崩壊と、その後の経済のグローバル化のなかでの世界的傾向に即したものだ。旧東欧諸国はもちろん、西欧諸国でも反共右派の国家主義政党が、さまざまな装いで台頭しているのは事実だ。日本も例外ではない。ドイツですら、主に旧東独地域の地方・州議会に極右政党が議席を占めて、現在でも大きな問題だ。
 ただ、日本では安倍内閣の成立により、彼らが政権を獲得してしまった。「美しい国」をスローガンに、教育基本法を改悪し、防衛庁を省に格上げし、国民投票法を実現し、さて一瀉千里に憲法改悪を実現しようとしたのが、ほかならぬ安倍政権だ。この政権がつまずいたのは、「政治と金」や「年金」であると一般的には信じられている。もちろんその要素も大きい。しかしこれらは、この政権の特徴ではなく、以前からの日本政治の構造的問題なのだ。特徴は歴史認識にあった。これが安倍首相のアキレス腱であった。
二〇〇七年二月の米下院外交委員会の慰安婦問題公聴会に関連し、自民党議連で河野談話を見直そうとする動きがあることについて、安倍首相は三月一日の記者会見で「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。証拠はなかったのは事実」と答弁し、さらに五日の参議院予算委員会で「狭義の強制性」を「官憲が家に押し入って、人さらいのごとく連れて行く行為」と定義した。本人はいまだに自覚していないだろうが、これが安倍氏が「人生の嘘を信じ込んでいる」ことの告白となった。外交での安倍政権凋落の始まりだ。
 たちまち欧米のメディアが反発し「歴史修正主義者安倍と背後の極右勢力」に関する報道が始まった。さらに、十六日には辻元清美議員の質問書に対する政府答弁書で、同様の回答があったため、慰安婦問題を抱えるオランダのバルケンエンデ首相が激怒し、日本大使が召喚された。対欧米の外交問題となったため「河野談話遵守」路線へ転換してアメリカやオランダに対応したものの、ことすでに遅しであった。
 
 当時わたしは「政府答弁書は安倍内閣が歴史修正主義の立場を採ることを閣議決定で表明したことになる。撤回する以外に、国際社会ではいかなる弁明の余地もない」と指摘した(注2)。そのうえで『週刊金曜日』で、オランダ臨時軍法会議の強制売春を裏付ける史料を連載で公表しつつ、同時に世界の動きも伝えた(注3)。その間、決定的であったのは安倍氏と同様な歴史観の極右議員らによる、ワシントンポスト紙での広告掲載だ。日本の歴史改竄主義者たちが、その名に恥じない「歴史歪曲の事実=嘘」をわざわざ英文で掲載したのだからたまらない。アメリカで安倍氏を擁護する声はゼロになった。結果が参院選翌日の米下院本会議での「慰安婦問題での日本政府の謝罪要求決議」の反論なしの採択である。これは、アメリカの議会による同盟国日本の安倍政権に対する事実上の不信任決議に等しい。前代未聞の出来事であり、ここでアメリカは日本の極右勢力を、正体見たりと見捨てた。
 参院選惨敗、謝罪要求決議、内患外憂ここに極まり、安倍氏は食も細ったようだ。世界には決して通用しない彼の世界観が破綻したのだ。「史実の銃弾」に翼を撃ち抜かれた、あわれな家鴨となった。こうしてホーマン議員と同じく、安倍政権はその歴史認識で世界世論から排除された。

   信頼回復のために 

 さて福田政権は、安倍改造内閣のお下がりにすぎない。世界に通用しない改竄史観の閣僚、つまり不良仲間の中学生も、そのまま多く残っている。いずれにせよ、二〇〇八年の、遅くとも夏の総選挙までの過渡期政権にすぎない。
 また世界情勢も、〇八年はアメリカの大統領選挙後の民主党政権へ向けて大きく変化する。東北アジアでは、南北朝鮮が和解の歴史的な段階に入る可能性は大きい。小泉、安倍政権の偏狭な歴史観のために、北の核問題での六カ国協議ひとつでも、日本は外交で最後尾のお荷物になってしまっている。「拉致問題」に拉致されてしまって、動きのとれない政権ではいけない。必要なのは北朝鮮との国交樹立を具体的に政策化する政権だ。そこでは北朝鮮だけではなく、アジア諸国の「慰安婦」や強制労働の戦争犯罪被害者に対して国家責任を明らかにし、被害補償を実現する立法も不可欠である。
 それを実現する政府と議会を持った時に、日本の政治も失われた信頼を回復し、世界の大学生の仲間入りができるであろう。不幸の原因たる「人生の嘘」を自覚しない限り、決して人も社会も健康で幸せにはなれないのである。(引用本文おわり)

(この項途中で切れています。23をお読み下さい)

2011年8月28日日曜日

21:原発中毒の人々と「人生の嘘」(1)/追加あり

さて、またまた永田町界隈では首相指名を巡っての南ドイツ新聞が予想した通りの「ノミのサーカス」が演じられていますね:本稿12:http://tkajimura.blogspot.com/2011/07/blog-post_15.html

もううんざりですが、結果がどうなろうとも、原発延命策をたくらむ首相が総理大臣となるでしょう。ここまで来たらノミのサーカス政治で日本は本格的に沈没するのがもう避けられないと思いますので、次稿では「名案」を出したいと思います。

ただその前に本稿では(1)7月6日に予告した「原発中毒の人々」:http://tkajimura.blogspot.com/2011/07/blog-post_06.html
でベルリンに現れた人物ふたりに触れておきます。この人たちが元気を出して活躍するようになることは間違いないからです。そして(2)「人生の嘘」という概念について解説しておきます。

(1)原発中毒の人々
 ここでも速報しましたが、先の6月30日にドイツ連邦衆議院は圧倒的多数で脱原発法を可決しました:
http://tkajimura.blogspot.com/2011/06/blog-post_30.html
これによってドイツの脱原発は事実上決定されたようなものです。ところが、よりによってその翌日の7月1日に日本から原発推進政策の中枢の人物がベルリンの日本大使館で講演をしたのです。
内閣府原子力委員会の委員長代理、鈴木達治郎氏です:
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/iin/suzuki.htm

鈴木達治郎氏・2011年7月1日ベルリン日本大使館で

 国際会議参加のためにベルリンを訪問したついでに、日本政府の原発政策推進者として福島原発事故をドイツの一般市民にも伝えるつもりで、講演をされたようです。
わたしも、よりによってこの機に何を述べるか興味があったので、参加しましたが、ご本人は達者な英語で事故の経過を急ぎ述べただけでした。事故に関心のあるドイツ人参加者もほぼ知っている情報内容だけで拍子抜けしたのが実情でした。
それどころか、事故を心配する在ドイツの日本人女性からもっと達者な英語で、外国のよりくわしい専門情報を突きつけられてしどろもどろするありさまでした。写真はドイツ国旗を背景にその質問を聴く鈴木氏です。原子力委員会の情報公開の貧困さがここでも露でした。「何とかしなければ日本政府の原発政策は国際社会で信用を失ってしまう」という焦りだけはうかがえましたが、結果として「これではダメだ。頼りない」との印象を与えただけでした。

なによりもわたしが違和感をいだいたのは、講演の結論として「もし原子力発電をコントロールできなくて、核兵器をコントロールできるのでしょうか?ヒロシマ・ナガサキは平和のシンボルとなりました。フクシマは核事故の復興のシンボル(a symbol of recovery from nuclear accident)になるべきです」と述べられたことです。
鈴木氏の講演のペパーは英文と日文で原子力委員会で公開されています:
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/kettei/koenkai.htm
この直後の7月6日の英国での公演では、結論が日本語で「ヒロシマ・ナガサキは被爆地から平和の聖地へ。フクシマは原発事故のシンボルから復興の聖地へ」となっています。つまり、「聖地」という表現が加わっています。まさか英語で「聖地」という言葉は使っていないと思いますが(わたしは聴いていないので不明ですが)、これが本音なのでしょう。
すまわち、この言葉は「どんなに犠牲者が出ようとも核技術を徹底的に推進する」との決意の現れです。
原発中毒の人物ならではの表現です。原発事故のヒバクシャのみなさんが聴けば、どのような気持ちがするでしょうか。

揚げ足をとるつもりはありませんが、氏はこの日の夕方の講演で、よせば良いのに冒頭にドイツ語で「gute Nacht/お休みなさい」と言ってしまいました。「good evening/guten Abend/今晩は」と勘違いしたのでしょう。結論を聴いたわたしは、それを思い出し「委員を辞めてお休みなさい」とつぶやいたものです。こんな人が政府中枢にいては、また事故を起こして「聖地」が増えるのは必然です。

米倉経団連会長2011年7月5日ベルリンのホテルで
さて、彼と入れ替わりにベルリンに現れたのが、経団連のトップの訪欧団です。団長は米倉弘昌会長です。
この方がフクシマ事故の直後に「1000年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいことである。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」と述べ、国と東京電力を擁護したことは有名ですね。
   「東電は津波による被災者の側面もあり、政府が東電を加害者扱いばかりするのはいかが」と東電を免責し、「原発を廃止すれば企業は国外に逃げ出す」とおどし、最近では「場合によっては原発の新設もありえる」と発言したと報道されています。
これらは、日本の「核の男爵」中曽根康弘艦長の建造した「原子力不沈空母」の現役機関長のような言葉です。ここの後半を参照して下さい:
http://tkajimura.blogspot.com/2011_05_01_archive.html
日本経済が沈没寸前であることは、自覚されてはいるようですが、原発推進を続けては全く日本の将来も無いことには気づいていないので、この人物にも「gute Nacht/お休みなさい」を申し上げます。
 事実、このベルリン訪問でもメルケル首相を表敬訪問したのですが、ほんの10分ほどの会談で「日独は再生可能エネルギー分野で協力できる」と一致しただけであったとのことです。
経団連も首をすげ替えるべきでしょう。このような前世紀の亡霊のような会長では自滅するだけです。国家と結びついた経済功利主義が企業にとっても死に至る病であることを、戦争体験ににもかかわらず戦後日本の経済人は十分に学んできませんでした。彼もそのひとりです。
「日本丸」に必要なのは再生可能エネルギーを推進する機関長です。それができる優秀な経済人は少なくないはずです。日本人はそれほど馬鹿ではありません。

追加:書き終わったとたんに、アメリカのメリーランドの原発がハリケーンのあおりで、外部トランスが破損し自動停止したとの報道があります。フクシマの破損バラック原発を台風が襲わないことを祈ります。
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29日追加:念のため鈴木達治郎氏のベルリンでの講演で使用され内閣府原子力委員会で公開されているペーパーの英文と日文の結論部分を以下挙げておきます。
英文には無い「福島を聖地」という言葉は、上記のように「どんなに犠牲者がでようとも徹底的に核技術を推進する」という原発中毒者の言葉です。社会心理学的には原発中毒者であり、社会思想的には原発原理主義者であることをみごとに示している恐ろしい言葉であるといえましょう。





2011年8月16日火曜日

20:日独伊脱原発三国同盟への第一歩を

今日、8月15日は66年前のこの日、日本の降伏により第二次世界大戦が終わり、人類史上最悪の殺し合いが正式に終結し、日独伊枢軸は崩壊、ようやく世界に平和が訪れた記念すべき日です。
日本の軍国主義に最終的に無条件降伏を強いたのは軍事都市広島と長崎への原爆投下であったことはいうまでもありません。以来、日本は戦争を放棄し世界でも最も豊な経済大国のひとつとして復興しました。

ところが、フクシマの事故によりヒロシマ・ナガサキのヒバクの悪夢が再び現実になってしまい、さらに原発大国の日本は、ひとつ間違えば先の戦災とは比較できない文字どおりの想像を絶する破局の淵に立っています。一刻も早く原子力発電とその他の核サイクル施設を廃止しなければなりません。これは単に日本だけのためでなく、地球規模での問題です。
そこで、「日独伊脱原発三国同盟」を呼びかけます。

 この写真を見て下さい。これは三国同盟の時代、1939年からベルリンで発行されていた月刊の「文化」雑誌です。
 大判の当時としては非常に贅沢な装丁で『ベルリン・ローマ・トウキョウ』が誌名です。
下部に「世界政治の三極である民族の文化関係の深化のための月刊誌」との目的が明示されています。
この雑誌は当時のナチスの外務省が発行しており、リッペントロップが名誉発行人です。主にドイツ語とイタリア語の二カ国語ですが、目次は日本語も併記されています。つまり、ナチス外交の宣伝誌といえましょう。執筆者は枢軸国の「豪華版」です。内容は紹介に値しませんが推して知るべし。三国の戦犯どもが名を連ねています。(この雑誌に関する歴史研究はまだ無いのではないかと思います)。

さて、前置きが長くなりましたが、ご存知のようにフクシマで、イタリアの市民は国民投票の圧倒的多数で原発建設を拒否しました。ドイツも市民の粘り強い運動で保守政権に脱原発を飲ませました。
残りは日本です。ここで日独伊の旧枢軸三国がそろって脱原発を実現すれば、前世紀の負の歴史に雪辱し、人類史に貢献する糸口になると考えています。

その第一歩として、読者のみなさまにわたしからお願いがあります。
当面のお願いとして以下のふたつの署名運動に参加していただきたいのです。

ひとつはトウキョウからです:

大江健三郎、内橋克人、坂本龍一、瀬戸内寂聴、鶴見俊輔氏らが呼びかけ人になっている9月19日の「さようなら原発集会」への賛同の署名です:

http://sayonara-nukes.org/yobikake/

http://sayonara-nukes.org/shomei/

この集会は5万人を目標にしているとのことです。

もうひとつはローマからの呼びかけです:

イタリア在住の日本人が上記集会との連帯もあり、欧州在住の日本人に署名を呼びかけています。日本政府に脱原発を要請する署名運動です:
http://www.semisottolaneve.org/ssn/a/34464.html

これらの呼びかけは、欧州在住の日本人だけでなく、海外在住で日本の脱原発を願っている諸国のみなさんにも是非加わっていただきたいものです。このブログは世界各地で読まれています。


読者のみなさま、是非草の根のこの呼びかけをできるだけ広げて下さい。間もなく菅直人政権が退陣し、原発推進派の悪党どもが必ず頭をもたげてくることが明らかな情勢です。

それに抵抗して今、地球の隅々から小さな第一歩の声を挙げることは 非常に大切なことです。

よろしくお願いいたします。








2011年8月15日月曜日

19:国が切り裂かれた日1961年8月13日

日本でも報道されたように。昨日8月13日はベルリンの壁が構築された50周年記念日でした。
1961年のこの日から89年11月9日の崩壊まで、ベルリンを分断しただけでなく、ドイツそのものをふたつに引き裂いた壁が撤去されて20年以上を経ても、これがドイツ社会に残した傷は、いまだに癒えることのない痛みを覚える生傷としてあります。
昨晩の公共テレビのニュースは、「この日はドイツ現代史に『刻み込まれた日/eingeschnittener
Tag 』であった」と冒頭に伝えています。ここで形容詞と使われている der Einschnittという名詞は、医学用語で「切開」のことです

実は、ドイツの脱原発へ至る過程で、メルケル首相はフクシマの事故について当初は「フクシマはZäsur/区切り」であると表現していました(第3回を参照してください)。ところがしばらくして、首相以下政府の表現が「Einschnitt」へと公的表現が統一的に変えられています。以来、政府声明や国会の議論に頻繁に出てくるこの言葉を、日本語でどのように伝えるかについて、わたしは苦心しました。というのは、この言葉がドイツ政府のフクシマへの見方と決断の実はキーワードであるからです。

「フクシマは転機でした」と一般的に翻訳することもでき、これは確かに判り易いのですが、単なる「転機」以上の深い切り込んだ意味があるのです。そこで『世界』8月号の寄稿では、倫理委員会の報告書や首相発言に頻発したこの言葉を「切れ目」と翻訳しました。「メスで切開する手術」の意味があるからです。つまり 首相以下ドイツ政府の決断の深さがこの一語に表現されているのです。不可逆の決断をひと言で表現しているからです。

壁が構築された日も、「歴史の切れ目」でした。しかしそれは、脱原発とは対極で、大きな犠牲をもたらした悲劇的な切れ目でした。国と国民が、家族が、親子兄弟が切り裂かれた日でした。写真でその50周年の様子を伝えましょう。冒頭の花輪は、この日、壁の犠牲者に捧げられた花輪のひとつです。

作日のベルリンは悪天候の続くこの夏としてはめずらしく、好天に恵まれた1日でした。中央駅のホームから議員会館越しに見える国会の屋上のドイツ国旗もベルリンの壁を越えようとして命を落とした、すなわち殺された人々を追悼して半旗となっています。






これは壁を保存してあるベルナウワー通りの壁記念施設で行われた中央記念式典の写真です。
ちょうど正午にはベルリン中の教会の鐘が鳴らされ、全市で一分間の黙祷が行われました。公共交通機関も3分間停止しました。その時の写真です。式典に集まった市民は10000人と報道されています。

Bernauer Strasse am 13,August 2011 um 12Uhr
その時の一部拡大写真です。犠牲者に献花したベルリン市長、連邦大統領、連邦首相、両院議長らが黙祷している姿です。

この写真は、通りの反対側にある記念館の展望台からその時を撮影したもので、公共テレビの実況中継のカメラと、内外の通信社2社のカメラマンとわたしだけが、このアングルから撮っています。








式典のそばからの写真はシュピーゲル誌の電子版で見て下さい:http://www.spiegel.de/fotostrecke/fotostrecke-71565.html
 ここではワイツゼッカー元大統領も杖を手に参加されている写真も見えます。

黙祷の後に国歌が斉唱されたのですが、続いて「Die Gedanken sind frei/思想は自由だ」という、200年以上の伝統のある学生歌が合唱されました。この古い歌謡はナポレオン支配下に広がり、1848年には革命歌となり、さらに歌い続けられ、1989年の東ドイツの民主革命でも歌われたものです。
追伸15日:白バラ抵抗運動で兄のハンスとともに死刑になったソフィー・ショルが、1942年の夏に彼らの父親が、自宅の事務所でヒトラーへの悪口を言ったことが密告されゲシュタポに逮捕され懲役4ヶ月の刑に処せられたことがあります。それまでナチス少女団/ヒトラーユーゲントの女性組織に積極的に参加していたソフィーが反ナチに変わったのはこの事件が契機になったのではないかとの説が、最近の研究で出てきています。確かなのは、ソフィーは収監されている父親を訪ねた際に、牢獄の壁の外から父親に聴こえるように、フルートでこの曲を吹いたとのことです。)
今でも権力の横暴に抵抗する歌として愛唱されています。これを大統領以下国家首脳が、市民と一緒に合唱する光景は、この国の民主主義の成熟度の現れであると言えましょう。

素朴で単純な歌詞ですが、日本語の定訳が無いようです。不思議なことです。
以下でいくつかの実例が聴けます。中国語の対訳があるのが面白いところでしょう:

http://www.youtube.com/watch?v=2Bcsi1_UW5k&nofeather=True
http://www.youtube.com/watch?v=-cwJQlsUf7U&nofeather=True


もちろん、政府首脳だけでなく、多くの市民団体も多くの花輪を壁際に捧げました。

式典の後、ヴルフ連邦大統領、ヴォヴェライトベルリン市長らが、なかなか良い演説をしたのですが、これには立ち入りません。続いて歴史の体験者のお年寄りたちが同じ舞台で証言をしたのですが、多くの年配の市民に混じって、若い市民や子どもたちも実に熱心に聞き入っていました。この様子もベルリンの公共テレビで実況中継されています。
このようにして、子どもたちも歴史の現場で、体験者の言葉を生で聴く体験を積み重ねるのが、ドイツの教育方です。
歴史の証言に聴き入る市民
 さて、ここベルナウワー通りの壁の現場は近年整備され、ベルリンの壁で命を落とし、これまでに判明している136名の犠牲者の記念碑もあります。

最後の犠牲者ふたりの顔写真ですが、右のクリス・ゲフロイさんが西ベルリンへの運河で射殺されたのは1989年2月5日、壁崩壊の9ヶ月ほど前でした。20歳でした。

ちなみに、花やロウソクとともに供えてある小石は、ユダヤ教徒が墓参で「忘れない」ことを示すために墓石の上に小石を置く風習が、ドイツで一般にも広がったものです。ドイツ人は政治教育でユダヤ人を追悼する行事にしばしば参加しています。そこからユダヤ人以外の歴史の犠牲者にも「あなたを忘れません」との意思表示が定着してきたのです。近年のことです。







2011年8月8日月曜日

18:ヒロシマ忌に寄せて:世界共通語のヒバクシャと日の丸

  昨日6日のヒロシマ原爆忌については、ドイツでも早朝からニュースでかなり詳しく伝えられました。もちろんその主な内容は記念式典でほ菅総理が脱原発依存に踏み込んだ追悼の辞を述べたことです。
 いくつかの代表的な電子版を紹介しましょう。

これはドイツ公共第一テレビの第一報です:
http://www.tagesschau.de/ausland/hiroshima158-magnifier_pos-1.html
ここでタイトルに使われているdpaのヒロシマからの反原発デモの写真のキャプションは、
「追悼に混じる怒り:66年前の原爆投下の追悼での原子力発電への抗議:
Unter die Trauer mischt sich Wut: Proteste gegen Atomkraft beim Gedenken an den Atombombenabwurf auf Hiroshima vor 66 Jahren. (Foto: dpa)」となっています。

シュピーゲル誌の電子版:
http://www.spiegel.de/panorama/gesellschaft/0,1518,778708,00.html
同誌の電子版の写真は画質もよく多岐に渡ることで世界でも上ランクですが、ここでも前日の朝鮮人被爆者の追悼の写真も含めて12枚を掲載しています:
http://www.spiegel.de/fotostrecke/fotostrecke-71292.html

本日7日には、東京での6日脱原発デモで逮捕者がでたとの情報が市民運動から伝わってきました。
さっそくYu Tube での逮捕時の映像(例えば: http://t.co/GHUkRou  )を見ますと、これでは警察官のデモであるようなので呆れました。市民の平和な抗議行動、憲法で保障された基本権を敵視しているとしか言えない酷いものです。
ベルリンでは毎週のようにありとあらゆる大小のデモが行われ、時には逮捕者もでますが、このような平和的なデモ参加者を逮捕したら、警察は間違いなくメディアから袋だたきに遭います。それでも過剰警備が起こりデモ隊に負傷者が出て、警察官が罰せられるケースがあります。そこでベルリンではドイツで初めて、警察官に名札あるいは番号を制服に付けることが先月から義務づけられました。警視庁の警察官にも義務づけるべきでしょう。警察官の振る舞いはその社会の民主度のバロメータのひとつです。
ちなみに、ドイツでは当然ですが警察官の労働組合もちゃんとしており、彼らも待遇改善などでデモを行います。

さて、フクシマの事故で、ようやく日本でも「原発事故による被曝と原爆による被爆が同じことである」との認識が定着しつつあります。そのとおりで世界では放射能被害者はすべて「ヒバクシャ」なのです。
被爆と被曝の区別はありません。
この写真を見て下さい。
2011年4月9日ベルリンIPPNW国際会議
これは今年4月初旬にベルリンで開催されたノーベル平和賞受賞団体「核戦争防止国際医師会議(通称:反核医師の会)・IPPNW」の反核国際会議でのものです。
大きな舞台の脇に「HIBAKUSHA」が出た世界中の主な地名と国名が列記されています。
上からウラン採掘鉱山、核兵器(核実験と原爆投下)、原発など原子力施設の地名が色分けして列挙されています。
ヒバクシャが世界中に存在していることが示されていますが、日本の地名はHIROSHIMA,NAGASAKI,TOKAIMURAに加えて、すでにFUKUSHIMAが挙げられています。

ここにひとつだけ挙げられているドイツの地名、WISMUT・ヴィスムートというのは、旧東ドイツのウラン鉱山の地名です。ここは、第二次世界大戦直後、ソ連邦が占領しウランを採掘しました。ソ連の最初の核兵器はここのウランから製造されたといわれています。
1990年の冷戦終了まで鉱山は営業され、多くのヒバクシャが出ました。鉱山労働者だけでなくこの地域一帯がラドンなどで汚染され、一般市民も平均寿命が低下するなどの現在に及ぶ長期的被害を受けています。
わたしもドイツ統一後に、ここの抗内に入ったことがありますが、鉱山そのものよりも地域の環境汚染の凄まじさに息が詰まる思いをしました。
統一後にドイツ政府は膨大な時間と経費をかけて鉱山の閉鎖と地域の汚染除去を行いました。 このように、統一後の諸問題の影で一般にはあまり知られていませんが、ドイツも低レベルの放射線汚染による深刻なヒバク体験をしているのです。しかし、意識の高いドイツの市民たちはチェルノブイリの汚染と重なるこの事実を良く知っています。

だからこそ、以前に紹介しましたようにフクシマの事故の直後から、ドイツ市民は連日、日本大使館や首相官邸前に三々五々自発的に集まり、静かに地震と原発事故の犠牲者に哀悼の意を表し続けたのです。 これらは大規模な反原発デモとは並行して行われています。そこで、わたしは多くの日の丸を見ています。そのいくつかを紹介しましょう。

これは3月14日の午後の首相官邸前での光景です。連日伝えられる津波とフクシマの報道にショックを受けた多くの親子連れの市民が、深夜まで哀悼のため集まっていますが、その中に日の丸を羽織り、ロウソクを手にした4歳ぐらいの少年の姿がありました。大人たちの表情もそうですが本当に深刻に静かに祈っているのです。
日の丸を羽織り祈る少年2011年3月14日ベルリン首相官邸前

それから1週間後の21日の夕刻には同じ官邸前の敷石の上に小さな日の丸があり、それに添えられた1片の紙には次のように記されています:

So wie Flügel einem Vogel gestatten zufliegen wirken wir mit der Kraft des MItgefühls für das Whol anderer
 「翼が鳥に飛ぶことを許しているように、わたしたちは共感の力をもって他者の幸せのために働く」

  文体とオブジェの構成形態からしておそらくひとりの芸術家によるものだとの印象を得ましたが、あえての直訳です。
「鳥に翼があるように人間には共感の力がある」と表現されています。これが震災の犠牲者とフクシマのヒバクシャへの日の丸を掲げてのメッセージです。





2011年3月21日ベルリン首相官邸前


日本でも最近になってようやく、右翼民族派の人たちが日の丸をかかげて反原発デモを行ったようです。
素晴らしいことです。脱原発には右も左もないからです。本当の愛国者なら至極当然の行動です。

これから日本でも次第に拡大するにちがいないデモにも日の丸を掲げて民族派のみなさんも合流してほしいものです。 そこで左派は彼らを排除すべきではありません。今日本が直面している危機は、全社会的なものであり、ヒバクシャは世界的な存在であり、危機の克服も世界的な規模の共感を得て初めて可能なものです。そのことが、ドイツではフクシマ事故の直後から日の丸を羽織った少年の姿に見ることができたのです。
日本の民族派のみなさんにも、遠いドイツの市民に日の丸をとっくに先取りされている事実を知ってほしいものです。

2011年8月3日水曜日

17:ドイツ脱原発法施行・国内放射線量測定値情報公開について/追伸あり

本日の朝刊の報道を読むまで、わたしも気づかずいささか驚いたのですが、ドイツの脱原発法が連邦大統領の決済を経て、昨日8月1日から施行されました。クリスチャン・ヴルフ大統領が7月31日に同法に署名したことを、昨日1日大統領府が発表しています。大統領はそれまでに再生可能エネルギー促進法等、その他の7つの関連法案に署名しているので、これによりドイツは「脱原子力発電・再生可能エネルギー社会建設」の法的基盤を完成したことになります。

ここまで来るのに2000年6月のシュレーダー政権による原発事業主との脱原発合意、2002年の同政権による脱原発法成立からようやく10年ほどを経て、ドイツ社会は自然エネルギー利用による21世紀の持続可能社会への不可逆な第一歩を踏み出しました。
ヴルフ大統領2011年1月19日在ベルリン日本大使館
これが、フクシマの事故の教訓によるものであることは、おそらく世界史に記憶されるのではないかと思います。 大きな節目です。

ヴルフ大統領は、脱原発法案など国家の戦略的重要法案があまりにも急速に、国会で十分でない日程で審議されることを懸念して、民主主義の原則にもとると、公然と厳しく批判し、連邦両議院で可決された後、大統領の権限として「憲法に準ずるか厳密に審査する」と述べていたことから、現時点での署名は意外に早かったとの印象をわたしは得ました。
日本の天皇と違い、ドイツでは大統領が違憲判断により議会決議を経た法案に署名を拒否して、施行を阻止することも実際にあります。国家元首とは飾り物ではありません。憲法を体現する義務を国民に対して負う孤独な重責にあります。
余談ですが、ヴルフ大統領は、戦後ドイツの大統領としてはめずらしく良く日本を知っている親日大統領であるため、神余(しんよ)在ドイツ日本大使の要請にも協力を惜しまない人物です。写真は今年の日独(江戸幕府とプロイセン)国交成立150周年での記念式典でのものです。

 さて、前回はドイツ気象局による、フクシマの放射線汚染予想について解説しましたが、今回はごく簡単ですが、ドイツ国内の放射線量測定値情報公開について紹介します。

ドイツ環境省の正式名称は「連邦環境保護および原子炉安全省」です。一九八六年のチェルノブイリの事故の直後に設けられた同省に、89年にそれまで分散していた放射線防御担当の政府機関を統合して設けられたのが「連邦放射線防護庁」(Bundesamt für Strahlenschuz)です。

ドイツはよく知られているようにチェルノブイリ事故で国土がかなり放射能汚染されましたし、現在でも森の土壌の半減期の長いセシウムなどの汚染値は高いものがあり、イノシシやシカなどの野生動物は食肉として規定を越えるものが多いのです。つまりフクシマ事故で今日本人が体験していることを25年前から体験しているわけです。

さて連邦放射線防護庁の仕事のひとつに国内放射線量測定値情報公開があります。
みなさんここを見て下さい:http://odlinfo.bfs.de/index.php

下のようにドイツ全国の地図に1800カ所 に丸印が見られます。ひとつづつが空気中のガンマー放射線量の測定機器が設置してある場所を示しています。

丸印の色の濃淡で線量を現しています。これは本日の図ですが全国的に多少の濃淡がありますが、いずれも正常値です。

次に自分の住んでいる近くの丸印にカーソルを当てると地名が表示されますが、それをクリックして下さい。例えばわたしの住居に近いベルリンのテーゲル(ここには飛行場があります)の放射線量のグラフが見られます。http://odlinfo.bfs.de/cvdata/110000007.php
上部に13405(これは郵便番号です)BerlinーTegelと地名表示があり、単位はマイクロシーベルト/時です。7月29日と30日に値がやや上昇していますが、これは降雨によるものです。この週は悪天候で雨が続きましたが、放射線量と降雨量はほぼ一致した変化を示します。日本でも最近定着したホットスポットの原因のひとつが降雨であることがよくわかります。

これは画面の上半分の写真ですが、2時間おきの1週間分の放射線量が自動的に記録された測定値がそのリアルタイムで見ることができます。下部にあるもうひとつのグラフは数ヶ月分の記録です。
大都会のベルリン市内で10ヶ所ありますので市民は近所の線量情報をいつでも恒常的に確認できます。

日本でも同じシステムを設置すれば、国土面積からすればドイツの150%にあたる、全国のおよそ2700カ所での測定値が得られることになります。

みなさん、今日本でこのシステムがあれば、フクシマからの汚染に戦々恐々としなければならない状態からどんなに多くの市民が救われ安心できるかを考えてみてください。これは予測値ではなく実際の測定値なのです。
 汚染度が高い地域は丸印が青から赤になりますので、農家や学校ではこれほど重要な判断情報はないはずです。 このような情報公開こそが日本の住民にとって緊急で最も必要なものであることは言を待たないでしょう。

世界でも最悪の原子力施設であるプルトニウムをナトリウムでくるんでいる高速増殖炉「もんじゅ」の維持費は1日で5500万円です。 六ヶ所の核燃料再処理施設の維持費はもっと高額でしょう。
世界でも最悪の核施設であるこれらの施設の経費の数ヶ月分もあれば、十分にこのような施設は実現できるはずです。
原子力国家として狂っている日本が正気にもどれば、まずなされることの最初のひとつがこれだと思います。

ドイツ人の大半は自らの歴史体験から、国家社会が狂えば取り返しのつかないことになることを忘れてはいません。脱原発への全社会的なコンセンサスがフクシマで一挙に成立したのも、このような歴史体験が大きな背景としてあるのです。
だからヒロシマ・ナガサキを体験した日本がフクシマの愚を重ねたことが、ドイツ人にはまるで理解できないのです。

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追伸です。
一夜明けてみると、以下のような報道がありました。NHKの報道を一部引用します:
 (以下引用)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110803/k10014661261000.html
政府 原子力安全庁設置へ試案 8月3日 12時19分
政府は、東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けた原子力行政に関する組織の再編について、原子力安全・保安院を経済産業省から分離し、環境省の外局として「原子力安全庁」を設置するとした試案をまとめました。
試案によりますと、原子力の安全を広く確保するためには関連する業務を一体的に行う必要があるとして、現在の原子力安全・保安院の原子力安全規制部門を経済産業省から分離し、環境省の外局として「原子力安全庁」を設置するとしています。 
具体的な任務としては、▽原発事故発生時の初動対応、▽放射線量の調査「モニタリング」、▽放射性物質の規制、▽核テロ対策といった治安機関との連携などを実施するとしています。
(引用終わり) 


すなわちドイツ政府が上記のように1989年に放射線防護庁を設置したとほぼ同じことを、ようやくやろうとしているのです。任務に「放射線モニタリング」もあるので、ドイツの方法が大きな参考になるでしょう。ついでですから、この試案の責任者である細野豪志原発事故担当相への参考としてドイツ環境省の放射線防護庁の長官を紹介しておきます。

ケーニッヒ長官2011年6月ゴアレーベンで
ヴォルフラム・ケーニッヒ(Wolfram Köniig)長官は緑の党です。
同党のトリッティン氏が環境大臣であった際に右腕として長官に就任し、庁内の信頼が絶大であることもあり、保守政権になっても追い出されることはないのです。
6月にゴアレーベンのハイレベル放射性廃棄物処理施設予定地を視察し、長官に抗内まで案内してもらったのですが、この施設を囲むフェンスにかつてあったデモ隊対策の放水銃がないので、わたしが「どうしたのか」と出迎えてくれた彼に訪ねると、「あれは就任して直ぐ撤去させた。あんなものは民主主義に反するものだから。本当はフェンスの上の鉄条網も全部撤去したいのだが、警察が警備のために必要だと主張するので、しかたなくそのままにしてある」とのことでした。
彼が長官になってからの同庁のスローガンは「人間と環境への責任/Verantwortung für Menschen und Umwelt」です。ホームページでもロゴのように見られます。これを信条とする長官らしい言葉です。市民を放射線から守る直接の最高責任者がこのような人物であることを以上簡単ですが紹介しておきます。

ひるがえって、日本の保安院のありさまはどうでしょうか。
もうひとつ本日以下の時事通信の報道があります:

(以下引用)
 http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011080300227
保安院の解体要求=社民党首
社民党の福島瑞穂党首は3日の党常任幹事会で、経済産業省原子力安全・保安院の「やらせ質問」問題に触れた上で、「(経産省から)単に保安院を形式的に分離するだけでは駄目だ。規制官庁であるにもかかわらず、(原発を)推進してきた保安院は解体しなくてはいけない」と述べた。(2011/08/03- 10:41) 

(引用終わり)

わたしからみれば、「やらせ」を確信犯として行った保安院などは解体は当たり前であるだけでなく、「やらせ」は立派な刑法の背任罪に相当するのではないかと思います。福島みずほさんは、弁護士なのでその点も検討してほしいものです。日本ではドイツと違い背任罪は未遂でも成立するので、彼らを告発することはできるのではないでしょうか。 国民の膨大な生命と財産に損害を与えた保安院を罰することのできない社会は、到底法治国家とはいえません。どうでしょう?
その上ではじめて、国民を守るべき官庁が人を得て充実し機能するのです。

2011年8月1日月曜日

16:ドイツ連邦交通省気象局の放射能汚染予測中止について

ここ数日間、日本の特に小さな子供のあるお母さんたちが頼りにしているドイツ気象局(DWD)によるフクシマの放射線粒子の拡散予測が7月29日で中止になってしまったので、何とかならないかという問い合わせが引き続いています。

これが7月29日の最終のシュミレーションです:
http://www.dwd.de/wundk/spezial/Sonderbericht_loop.gif
ここには左下に赤字の独英語で「必要があれば再開する」旨が記されているので、中止により信頼できる情報源を失って不安になった方々が再開を望まれるのはよく理解できます。

そこで、この役所について以下の解説をしておきます。
この役所は連邦政府の「ドイツ連邦交通・建設・都市開発省」の一局で正式の名称は「ドイツ連邦交通省気象局」で、フランクフルトの近くのオッフェンバッハにあります。HP:
http://www.dwd.de/bvbw/appmanager/bvbw/dwdwwwDesktop?_nfpb=true&_pageLabel=dwdwww_start&_nfls=false

この役所の業務は「ドイツ気象局に関する法律」 (Gesetz über den Deutschen Wetterdienst )で規定されていますが、なぜフクシマの汚染拡散シュミレーションを行ったかの根拠もこの法律にあります。

ここで根拠となる条項は主として以下のA)およびB)の二つです:

A)同法第4条(任務)の第1項の2:
2.  die meteorologische Sicherung der Luft- und Seefahrt,
空路および海路の航行の気象上の安全
(ドイツの航空機と船舶の航行安全の確保。これがこの役所がなぜ交通省の1局であるかの根拠です/梶村解説)

B)同第1項の7:
7.  die Überwachung der Atmosphäre auf radioaktive Spurenstoffe und die  Vorhersage deren Verfrachtung,
大気中の放射性微量元素の監視とその運搬の予報 
 (これがフクシマ事故によるシュミレーションの気象局任務履行の根拠です/梶村解説)

わたしの記憶では、ドイツ外務省は確か3月12日か遅くとも13日に在日ドイツ人に対して 、できるだけ早急に関西、九州方面への避難、あるいは日本からの出国を勧告し、大使館も大阪に避難しています。またルフトハンザ航空は成田への乗り入れを停止し、長い間ドイツからの成田便はソウルで別便に乗り換えの処置をとりましたが、これらは予想された航空機と乗員の被曝を避ける処置です。
同時にドイツ大使館は出国を希望するドイツ人のために関西空港に特別の窓口を設けて帰国の便宜を図っています。日本滞在中の国費留学生は全員一旦ドイツに帰国させました。
これらの処置の判断の根拠になったひとつが気象局による予報です。 

また近いうちにここで詳しく書きますが、ドイツ環境省は3月11日の夜(日本時間12日早朝)に「福島第一でメルトダウンが起こる可能性は高い」と正確に判断したことを、わたしはレットゲン環境大臣から最近になって直接聴きました。

 さて、気象局によるシュミレーション の中止と「必要があれば再開する」との赤字注意書きですが、おそらくフクシマの放射能汚染拡散が、比較的「安定」して変化がないために中止の判断をしたものと推定できます。しかしフクシマの状態が悪化し、汚染が拡大するようであれば直ちに再開されることは間違いないでしょう。
理由は日本滞在中のドイツ人の安全確保のためには、上記のように気象局は法律の任務を負っているからです。再開の可能性、すなわち事態の悪化の可能性を認識しているからの注意書きです。ということは、再開されれば汚染拡散が深刻であると言うことです。 

したがって、再開を願われる被災地と近郊のみなさんのお気持ちは良くわかりますが、本来は日本政府にこのような予報を続ける当然で基本的な義務があるのです。
たとえば東京都内が福島市ほどに汚染される可能性が、これからも長期にわたって続き、不安のなかで生活せざるを得ないのが現実です。したがって、技術的には十分可能ですから、日本政府に汚染予報を要求するのが、まずもっての順序であると思います。

ただし、日本政府がその必要性を認識しながらも 直ぐには実現できないならば、ドイツ政府に連帯を依頼すれば、上記法律の第4条第3項には「外国との気象上の協力もする」とあるので、喜んで協力してくれることも間違いないでしょう。要するにそれだけの政治判断ができる政治家がいるかいないかの問題なのです。
もっとも永田町のサーカスのノミたちには期待するのは無理でしょう。本当に日本の政治の惨状には情けなくなります。