2012年3月4日日曜日

74;フクシマ1周年・ドイツ全国で追悼デモと集会/ドイツの反原発運動はいまや歴史的文化である

フクシマ事故1周年にあたる来週の3月11日の日曜日には、→ドイツ全国の6カ所で大きな地震と事故の追悼デモと集会が行われます。他にも数えきれない脱原発の行動が、特に今年は、ドイツ国境を越えて計画されています。いかその報告です。





































このポスターは、そのひとつニーダザクセン州の首都ハノーファーで行われるデモと集会を呼びかけるものです。上部の日本語のロゴに添えられている全国統一行動のスローガン は「フクシマを追悼しよう」です。この地域でのスローガンはその下の「グローンデを停止せよ」ですが、ポスターの右の写真のグローンデ原発は、同州でまだ稼働中の残された原発です。以前第53回で紹介しましたように、→映画「アンダーコントロール」にでてくる、ドイツ原発産業が誇る稼働率の高い原発です。しかし、これもここで速報でお知らせしましたようにこの原発を作った→シーメンス社も原発部門から完全撤退すると潔く宣言しましたので、それなら即時停止せよというのがデモの要求です。核のゴミが増えるばかりですので、即時停止が最も望ましいのです。

 
これがデモと集会の行われる6カ所を示していますが、いずれもまだ稼働中の原発の立地と、それと廃棄物中間貯蔵ないしは最終処分施設のある地名です。
これを見ると、ドイツ国内の脱原発闘争が、ついに最終段階に入ったことがわかります。
全国が6つに色分けされていますが、これは環境保護団体などが話し合って、各地の市民団体がどこの集まりに行くかを要請して示したものです。これに基づいて全国の団体が計画を立てています。
何をやるにも組織的に行うドイツ人の特徴がここにも見られます。



さて、1970年代からのほぼ40年にわたるドイツの反原発運動は、最終段階に入ったようですが、したがってこの市民の闘争史はこの国の文化の一部として歴史に残されるものとしてあります。第54回で詳しくお知らせしましたように、→ドイツ反原発運動の中心ゴアレーベンで始められているそのひとつのプロジェクトを、先週訪ねました。
このブログの読者にはおなじみの→マリアンネ・フリィツェン(Marianne Fritzen)さんたちが始めた→「ゴアレーベン史料館・Gorleben Archiv」です。
以前書きましたように、2009年の秋に成立したメルケル政権が、原発稼働期間の延長を目論んでいることに抗議して、ゴアレーベンの人々がベルリンに大デモで押し掛けたときに、このプロジェクトがスタートしたことをフリッツェンさんから聴いていましたので、是非それを見たいと思って、日本のあるテレビの取材に便乗して訪ねました。
史料館そのものの様子は、前記ホームページでご覧ください。実際に訪ねてみると思ったより立派なものになっているので驚きました。表紙には「Archiv einer Geschichte, die noch nicht Geschichte ist.まだ歴史にはなっていない歴史の史料館とあります。ということは、将来は歴史博物館となるということです。

同館のホームページからいくつか写真をお借りして、フリッツェンさんを中心にわたしなりの紹介をしましょう。
Marianne Fritzen Demo April 1979 Foto:Torsten Schoepe
この写真は高レベル核廃棄物最終処分予定地とされたゴアレーベンの岩塩層に1979年、最初の試掘が始められたときのデモで警察官と対峙するマリアンネ・フリッツェンさん(1924年4月7日生まれ)です。当時はまだ55歳になったばかり。

それから33年後:
Marianne Fritzen 26.Feb.2012   Fotograf Kina Meyer / PubliXviewinG
 つい先日の2012年2月26日のマリアンネさん。1977年のこの日に当時のニーダーザクセン州のアルブレヒト州首相が、ゴアレーベンを西ドイツの原子力関連施設の中心地にすると発表しました。その35年周年を記念してデモが行われ、当初から反対運動の中心となってきたお年寄りたちが、最終処分施設予定施設(背景)の入り口での集会で挨拶をしました。危険な核施設の建設に断固として闘い続けるひとりの市民の姿です。



http://gorleben-archiv.de/

マリアンネさんたちの史料館には、この35年にわたる闘いの歴史史料が集められ、整理分類中です。
ホームページからの左の写真は、赤ん坊を抱いた孫の世代にあたる地元の母親が、闘争の歴史を学びに訪れています。赤ん坊は闘いの第四世代であると説明されています。

思うにこの子もすでに、デモには参加しているでしょうし、核に打ち克つ歴史を完成させる闘いに参加するでしょう。


ゴアレーベンのデモ「原子力経済:親父は金持ち、息子は貧乏、孫は早死に」

さて、史料館でわたしが、複写した写真を一枚紹介します。
年代と撮影者を確認するのを忘れたのですが、かなり初期のデモの写真のようです。
トラクターに掲げられている看板の言葉に注目したからです。そこには:




「原子力経済;親父は金持ち、息子は貧乏、孫は早死に」

とあります(ただし、ドイツ語原文は「・・・となる」と未来形です)。これは正確に原発政策の結果を予言したものです。
原発経済で潤い、ところがフクシマ事故で経済負担に喘ぎ、子どもたちの命を心配しなければならなくなった現在の日本の悲惨で情けない現実を見事に言い当てています。
Taichiro Kajimura, Marianne Fritzen 29.Feb.2012

現在、史料館ではギャラリーで運動の歴史のポスター展が開催されていました。電話などで、訪ねると何度も言っていたわたしがようやく現れたので、マリアンネさんは、大変に良いご機嫌でした。
もうすぐ満88歳ですが、まだまだ頭脳明晰で矍鑠(かくしゃく)とされており、ドイツの緑の党の文字通り現場での生みの親の貫禄たっぷりです。いやはや頼もしい限りです。






史料館はゴアレーベン村に近いルッヒョウという小さな、典型的な北ドイツの農村地帯の古い町の裏通りにあります。

これが入り口ですが、街の中とはいえかつて荷馬車やトラクターが出入りした古い農家の一角です。

下の写真の左の建物が、マリアンネさんが長く代表を務めた現地市民運動の中心の事務所があり、右の建物に史料館があります。ドイツが核兵器も原発もない、完全な非核社会になったとき、この地はそれを実現した市民運動の発祥の地のひとつとして、おそらく世界の反核闘争の歴史に刻まれるでしょう。
ぜひ、日本からも市民運動のみなさんも、こころあるジャーナリストのみなさんも訪問してほしいものです。


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