一週間近く遅れたお知らせですが、ドイツで2000年に原発事業主たちと談判して脱原発合意を実現したシュレーダー元首相が、毎日新聞の篠田航一ベルリン支局長とのインタヴューで「日本はドイツ同様、原発とは違うエネルギー政策を実現できる状況にあり、その先駆者になれる国だ。しかし、それには3つの分野で
政治決断が必要だ」また「ドイツの
安全に対する哲学は、おそらく日本の安全哲学よりはるかに確固たるものだ。その哲学を修正するかどうかは、
日本国民の決断次第だ」と述べています。
先に、毎日新聞で概要が伝えられたインタヴューのほぼ全体を「エコノミスト」誌今週号(10月11日号)が伝えています:
http://mainichi.jp/select/biz/economist/pickup/news/20111007org00m020028000c.html
10年以上の遅れですが、日本でも脱原発を実現した人々の声をようやく真剣に聴く状態になったので、その意味では大切な報道ですので、以下少し詳しくわたしなりの解説をしておきます。
ここから以下一部を引用します:
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── 「脱原発」は日本でも議論を呼ぶ政治課題になっている。日本も可能だと思うか。
■外国の政策に口出しはできない。だが、日本でそのような議論が起きているのはうれしい。日本はドイツ同様、原発と違うエネルギー政策を実現できる状況にあり、その先駆者になれる国だ。しかし、それには3つの分野で政治決断が必要だ。
まず第1に省エネの徹底。従来のような大量エネルギ−消費を控える社会にしなくてはならない。第2に風力・太陽光発電など再生可能エネルギーの開発だ。日本は既にこの分野で世界市場をリードする技術を持っており、さらに発展させるべきだろう。第3に過渡期のエネルギー資源として、当面は(気候変動への影響が少ない)天然ガスを活用することだ。
── 欧州では、テロや飛行機事故も原発リスクの1つに想定される。日本ではあまり聞かない議論だが、これは現実的なのか。
■どれほど非現実的に思えても、少しでも可能性があれば、それを絶対に排除してはならない。フクシマもそうだったと思う。あまりにも巨大な想定外の津波ではあったが、やはりそれを想定できたと思うし、想定すべきだったのだ。対策を立てず放置した結果は、悲惨なことになる。だからこそテロや飛行機事故の可能性も考えなくてはならない。
確かにドイツでは津波の恐れは少ない。だがチェルノブイリ事故などのように、人為的なミスによる事故は十分あり得る。人間はミスをする。それをきちんと認識しなければならない。ドイツの安全に対する哲学は、おそらく日本の安全哲学よりはるかに確固たるものだ。その哲学を修正するかどうかは、日本国民の決断次第だ。
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わたしは、シュレダー氏が首相時代には何度も話を聴き、歴史的な記者会見も体験していますので、このインタヴューについて以下数点解説をしておきます。
1)決断力と政治の優先性
インタヴューの始めにある氏のこの言葉です:
98年に首相就任後に脱原発に取り組んだ時、「原発こそがビジネスモデル」と信じていた当時の電力業界の反発はすさまじかった。だが業界トップと直接何度も話し、納得してくれるまで説得を続けた。
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シュレーダー『決断』281頁より転載 |
当時の原発事業主との談判についての背景と経過についてまとまった報告は、日本語で書かれ公表されたものとしては、我田引水になりますが、残念ながら『世界』2000年9月号の拙稿「脱原発に踏み出したドイツ」しかありません。
そのなかで、わたしはこのドイツの脱原発に関する「日本のメディアの反応のにぶさに驚いた」と書いています。
それから11年後の今になって、ようやくフクシマの事故の体験よって注目されることになったのです。東電以下の原発産業に買収されていた大メディアのていたらくです。
左の写真は2000年6月14日(正確には15日の午前1時)に、脱原発で合意したことを電力会社のトップたちと記者会見で発表したさいの写真です。記者会見では「この合意には両者とも不満であるが、事業主側は『政治の優先性』を認める」との見解が述べられています。
つまり原発事業主にとっては「大いに不満な妥協であった」わけで、「首相の決断にいやいやながら従った」のが本音です。
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ゲアハルト・シュレダー回顧録2006年/梶村へのサインがあります |
政治家には決断力が不可欠です。政治の場面でそれの表現の仕方はさまざまでしょうが、決断力のない政治家は国を誤ります。
シュレダー氏の政治家としての評価は様々ですが、立場を問わず彼の政治的決断力については高い評価がありました。電力会社のボスたちもそのことをよく知っていたからこそ、政治の優先性/Priorität der Politikを呑んだのです。
左の写真は氏が2005年の総選挙で僅差で敗北し、政治から引退した後に出された政治生活の回顧録です。タイトルからして『決断ー政治におけるわが人生』と題されています。
この決断は複数形のそれです。首相時代の多くの決断の背景や内情が信条とともに述べられており、興味深い記述があるのですが、これが執筆された2006年段階では、脱原発法に関して彼が社民党党首として加わったメルケル氏との大連立協定交渉で脱原発法には手を付けないとしたが、右派政権になれば危ういことになる危惧を述べています。そしてまた、2009年の中道右派政権の成立で、同法はいったんはひっくり返されたのですが、フクシマ事故で、今度はメルケル首相の決断で、元の木阿弥のシュレダー氏の決断へと戻ったのです。
これが、彼がインタヴューで日本の政治家と国民に決断をうながす背景です。
しかし、日本では反対に「経済の政治に対する優先性」が余りにも露骨で、原発部門ではその病根が露になりました。大半の政治家は経済界の奴隷になってしまっています(佐賀県や北海道の知事の原発再稼働への対応がその典型です)。ここから脱皮するのは革命的な努力が必要です。そのなによりもの基本が日本国民の決断なのです。
2)天然ガス
シュレダー氏は政治家引退後、プーチンロシア大統領とのかなり深い個人的繋がりから、ロシアの天然ガスの企業の役員(ドイツ側顧問)となっています。「天然ガスを活用すべき」という提言の背景はこれですから、これもいささか我田引水ではあります。しかし、ヨーロッパの長期的エネルギー戦略に添った引退政治家の役割でもあることも確かです。
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シーメンス社ガスタービン工場、ベルリン2011年10月.。
写真でもゆっくり上下させると羽が回ります。ハイテクか? |
先月、シーメンス社がフランスの原発公社のアレバと縁を切って原発部門から撤退したことは、ここでも速報したとおりです。
早速、同社はこれからの成長部門であるガスタービンの宣伝に力を入れ始め、ベルリンにある組み立て工場に外国人記者を招待しましたので、先週見学してきました。
100メガワット以上の大型のガスタービンがドイツの伝統的職人技術で組み立てられている様子は興味のあるものでしたが、面白いのは、「ガスタービン発電は再生エネルギー発電の補足としては最も優れている」との説明でした。
「太陽光や風力発電は天候によって発電量が左右される、悪天候でエコ発電が滞りそうな時には、ガスタービン発電は大型のものでも、わづか30分で発電を始めることができる。原発ではとても無理でありエコ発電と親和性が最大である。また化石燃料では最も二酸化炭素排出が少ないので、これからの成長部門である」とのことです。
「日米の大手であるGE社や三菱重工との競争があるが、シーメンスの伝統と最新技術の方が優れている。例えば使用燃料のエネルギー効率はすでに60%を越えており、これは世界一」とはタービン部門の部長の弁でした。
シュレダー氏の未来に向けたドイツの良き競争相手としての日本の技術への提案の具体的な現場のひとつです。
日本の大手重電企業も原発部門を整理したほうが将来のためでしょう。このままでは少なくとも大赤字を出すか、ずるずると続けていると東電のように原発と心中となります。まさに長期的決断が必要でしょう。
シーメンス社原発撤退の速報:
http://tkajimura.blogspot.com/2011/09/blog-post_18.html
三菱重工の同部門については「ガスタービンに春到来の予感」日経新聞:
http://www.nikkei.com/tech/ssbiz/article/g=96958A9C93819696E2E6E2E1E38DE2E6E2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E3EAE3E0E0E2E2EBE0E4E2EB
3)安全哲学
シュレダー氏が「安全哲学」という言葉をここで使ったのには、いささか驚きでした。政治家はめったに哲学を語らないものです。
この背景には、メルケル首相が諮問した倫理委員会の報告書があると思われます。ここで述べられていることは「日本の安全哲学よりもはるかに確固たるものだ」と述べており、まさにそのとおりなのです。
ただ、問題はシュレーダー氏が述べているのは結論だけであり、そこに至る「確固とした」思考過程が肝心です。
これについても、日本語で内容に踏み込んで解説したのは、わたしの知る限りでは本年の『世界』8月号の拙稿「脱原発に不可逆の転換に歩み出したドイツ」だけですので、関心のある方には読んでいただきたいのです。
なぜ、肝心かなめのこの報告書が日本で注目されないかについては簡単な理由があります。
すなわち、発想がカント以来のドイツの伝統的な倫理哲学の伝統に添うものであるため、その教養がない人には理解が難しいのです。ドイツ人の大学生でも大半は理解できないでしょう。
「定言的拒否と相対的考慮の根本的対立」というのがキーワードですが、こんな表現は日本語でも一般には理解できません。
大学の倫理のテキストにはおあつらえ向きですが、 普通のジャーナリストではとうてい無理です。しかしこれは何も日本人だけでなく欧米の記者でもそうですから、日本のジャーナリストの皆さんがっかりしないで下さい。 ある新聞社の論説委員に説明したことがあるのですがやはり無理でした。
とはいえ、ここで、いづれは判り易く解説したいと考えています。
(17日追加)
この、倫理委員会の報告書『ドイツのエネルギー転換/未来への共同作業』はドイツ連邦政府のホームページからPDFで降ろせます:
http://www.bundesregierung.de/nn_774/Content/DE/Artikel/2011/05/2011-05-30-bericht-ethikkommission.html
今見ると、ドイツ語原本とともに英訳も掲載されています 。
上記の概念的用語はドイツ語では26頁、英語では 11頁(Ethical positions/倫理的立場)の章に展開されています。
この倫理委員会のメンバーには神学の専門家はいますが、哲学者は参加していません。しかし教養としてのドイツの伝統が背景にあることが読み取れます。
その意味で、これは大学の哲学/倫理の格好のテキストですので、是非使用して下さい。