2011年10月31日月曜日

48:ベルギー新政権も脱原発法を復活決定!/追加あり

総選挙後16ヶ月もの長い間、国内事情で新政権成立が滞っていたベルギーの社会民主党などの6党による新政権連立交渉で脱原発が決定されたと報道されています。
多くの報道によると、7基ある同国の原発を2015年にまず3基停止し、残りは他の電力供給の状況に応じて順次廃炉にするとのことです。
ベルギーのTihange/チアンジュ原発 写真DPA

ベルギーはドイツに続き2003年に脱原発法で2015年から2025年までに脱原発を実現する法律が成立していましたが、実現が停滞していました。連立交渉では同法を復活させ、さらに早期の脱原発を実現することが同意され、各原発の停止年度は新政権が成立後決定すると報道されています。
これもドイツに続くフクシマ事故の影響です。

これほどの影響を与える大事故を起こしながら、平気でインドやベトナムに原発輸出を図る日本政府の国際的信用は最低の部類にたどり着いています。外から見てもこれほどの恥の上塗りには、もはや耐え難いものがあります。フクシマの危険をこれ以上ばらまかないのが日本政府の最低限のモラルです。その自覚もないとは、何と恥ずかしい野田政権!

参考シュピーゲル電子版:
http://www.spiegel.de/politik/ausland/0,1518,794922,00.html

引きつづいて、『南ドイツ新聞』電子版も詳しく報道しはじめました:
http://www.sueddeutsche.de/politik/energiewende-belgien-peilt-atomausstieg-bis-an-1.1177505

この報道によれば、「フクシマの後、ベルギーもドイツに真似て脱原発の方針を決めた」、「電力の55%を原発に依存している国としては非常に野心的な決断である」、「社会民主党党首のElio di Rupo氏によれば、将来風力発電を促進し、財源は減価償却の済んでいる原発への増税で賄う」とのことです。

梶村:そもそもベルギーの原発は原発大国のフランスの原発大資本が牛耳っており、ベルギーの原発はパリで決定されるとまで言われています。いったん決めた脱原発法を棚上げ状態してしまった背景にもこれがあります。したがって、まだ予断はできませんが、新政権が脱原発を実施すれば、世界一の原発大国フランスにとって、また世界の原発マフィアにとっては大打撃になります。


アントワープ近くのDoel/ドール原発冷却塔と風車。写真AP



しかし、なにはともあれ、古い原発への増税どころか、東電に資金援助をし、原発の生き残りを望む日本政府とは、ベルギーの政治家の頭の中の質が違うことだけは確かです。










11月1日の追加です。今日のドイツの報道では、「エネルギー源の乏しいベルギーの脱原発は驚くべきことだ。世界の原発ロビーはそう簡単には諦めないので、実現には大きな困難があるだろう」というのが、大方の見方です。

2011年9月17日のデモ。写真:Elvira  Scheuer
他方で、ベルギーとの国境に近いウエストファーレンの地方紙が、国境に近いアーヘン近郊のドイツ市民が、また政治家も与野党を問わず、安堵し、大喜びをしていると報道しています。
なにしろ、チアンジュの古い原発3基は、100キロメートルほどの距離にあるので、事故が起これば風下にあるドイツ領も無住地帯になるというウイーンの研究所の報告書もあるので、「やれやれ」「天井に頭を打つまで跳び上がるほど嬉しい」との市民の声を伝えています:
http://www.rundschau-online.de/html/artikel/1320057514567.shtml
タイトルは:
Auch Tihange soll abgeschaltet werden/「チアンジュも停止される」となっています。
ここから写真を2枚お借りします。この9月17日には初めての国境を越えた反原発デモがあり、ドイツのアイフェルの反原発市民たちもバスを連ねてHuy/ユイ市近くのチアンジュ原発までデモに出かけました。その時の写真です。
 写真キャプションはこうなっています:
 Zu einer ersten grenzüberschreitenden Demonstration kam es am 17. September am Kernkraftwerk Tihange im belgischen Huy. Per Bus waren auch Atomkraftgegner aus der Eifel angereist, die mit zum Atommeiler marschierten. Fotos: Elvira Scheuer

写真をとったのはエルヴィラ・ショイアーさんです。
 

  このように、ドイツの反原発運動は、ドイツの脱原発決定で終わったわけではありません。今月26日にはゴアレーベンに使用済高レベル廃棄物がフランスの再処理施設から搬入されますので、また大きな抗議運動が行われます。
また、隣国のフランスやチェコの原発が廃棄されるまでは、事故が起これば一蓮托生ですので、これからはこのような国境を越えた反原発運動へ力を入れるでしょう。来年の「3/11フクシマの日」には、国境の各地で大きな反原発行動が計画されています。
終わりに「反核ベビー」の写真です
赤ん坊もお父さんと一緒に「チアンジュを止めよう」とデモに参加した。写真同上

2011年10月28日金曜日

47:一枚の紙が日本と世界を核から解放する:「原発いらない福島の女たち」の要請書

 昨日の10月27日に日本政府に提出されたこの一枚の要請書が、日本と世界を核の汚染から解放する糸口になることを、わたしは確信しています。
「原発いらない福島の女たち」のみなさんが、経済産業省前で座り込みを始め申し入れたものです。

ここからの引用です:http://onna100nin.seesaa.net/article/232365639.html

女性たちの内30人が経済産業省へ交渉に乗り込みこの要請書を読み上げたあと、7名の方の発言があり
それを大沼安史さんが、さっそく起こして下さっています。この一枚の紙に籠められた女性たちの心が伝わる貴重な記録ですので、大沼さんに感謝しつつ転載させていただきます:
(以下転載)
ーーーーーーーーーー
ビデオ:
http://www.ustream.tv/recorded/18140229
大沼さん:
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2011/10/post-e8ba.html#more

 ◇ 経産省への要請文を読み上げ、申し入れしたあと、最初の発言者がこう言った。(ビデオ 6分45秒過ぎまで)

 ……そして、こんなに大きな犠牲と、それから私たちの自由を奪い、自然も破壊し……環境破壊、そして生態系も破壊している。こんな大きな危機はかつていままでなかったのではないでしょうか?

 いままで私たちは、みなさん方のほうから、安全神話……もう何重にも五重にもなっているから大丈夫だとか、技術がいいとか、もうさんざん聞かされて来ました。

 そして東京電力は……福島県、10機ありますけれども、それ止まったら、東京は真っ暗闇になるとまで言われました。だから福島のみなさん、ガマンにしてください。ご協力、お願いします——みたいな言い方、されて来ました。

 でも2002年に全機止まりましたよね。何にも東京では起きませんでした。嘘でした。

 原発止まると。私たちの生活は30年も逆戻りしますよ、不自由しますよ——そんなこと、ありません!

 省エネ技術が進み、ほんとに、昔の半分、5分の1ぐらいの電力でも、それでも効果を出すようない技術が開発されてます。 

 電力が足りない、(原発は)コストが安い……全部ウソです。

 1号機が建設されてから40年が経ちました。もう寿命がきているんです。なんで20年延ばそうというんですか?

 もう、これ以上、危ないことをやらないでください。

 私たちはたくさんんの自由を奪われました。自分の家(うち)に住めないんですよ。家族と一緒に住めないんですよ。食べたいものを食べられないんですよ。家畜、見殺しですよ。窓も開けられない。布団も干せない、洗濯物も干せない。何よりも子どもは表で遊べないですよ。こういう生活、想像していただけますか?

 食べるもの、毎日、何食べていいか迷っています。

 みなさん、ひとりひとり、自分の家族が原発の近くにいると思ってください。……本当に!

 苦しんでいる人がたくさんいる!

 こんな苦しみを与える権利は、みなさんにもないです!

 どんなに除染しても、1週間くらいでまたもとに戻ったり……無駄なお金です。

 山を除染する?……どうするんですか?

 とんでもないことでしょ。

 木の葉をみんな、むしり、木を切り倒し、土を運ぶんですか?

 自然破壊以外のなにものでもないじゃないですか? 保水力を奪い、山の生きものはみんな、どこに行くんですか?

 とんでもないことをやってくれたんですよ!

 もう、もとに戻んないと思います、福島県は。完全には。

 せめて、いまの原発、全部止めてください。

 これしかないんです。いくらお金をかけたって完全には戻らない。命が脅かされているです。

 こどもが危ないんです。未来がないんですよ。

 これは福島のみなさんの未来だけではないです。日本の未来です。

 日本は世界からもう仲間はずれにされると思います。モノは売れない、人間も拒否。何やってんだと……。止めてください!

 はっきり言います。

 原子力をやりたい人は、なんらかのかたちで、いい思いしている人です。そう断言して間違いないですよね、みなさん(拍手と嗚咽の同意)。

 ほんとうに命を考え、日本の国土をね、大事にしたい人は、もう言わないはずです。こんな犠牲を目にしたら……。

 これを再稼働したり、また再開?……こういう人は、なんかおいしい思いをしています。間違いない! 私は断言します! みなさん、そうですね(拍手と嗚咽の同意)

 そういう人は一掃してください! 要りません!

 もう止めてください!

 みなさん、もう、嘘は要らない!

 ◇ 2人目の女性の発言

 みなさん、頭のいい官僚さんだと思ってて、一刻も早く止めるためにどうしたらいいかっていうことに知恵を絞っていただきたいんです。お願いします!

 (最初の発言者、敢然と、「頭が良くても心が悪ければ、何にもなりません」と)

 いやそれは。心もいいと信じて、ここにやってまいりました。

 (最初の発言者、「そうだといいですね」)

 ◇ 3人目の女性の発言(13分過ぎまで)

 私は二本松に住んでいました。二本松は避難先になっていたのですね、だけど、そこから出てくる際に——いま佐渡に移っているのですけれども、やっぱり後ろめたいのです。

 あたしは結婚もしてないし、子どももいない。50歳も超えてますから、なぜ逃げてくれるだ、みんな避難した場所からなぜ逃げて来るんだと……言葉では直接は言われませんけれども、ものすごくそういう圧力を感じました。

 3月にも一度、まず一番最初に10日間だぇ、佐渡に避難しました。それは友人が呼んでくれたから行けました。

 2百何十キロ、避難したところで……でも目の前に直線距離40キロで柏崎が動いていることが分かりました。

 もう、腰が抜けるほど、ガッカリしました。

 そして、ついこないだ——そして11月、12月にもまた続けて、定期点検しているはずのその原子力発電所に次の燃料を運び入れるということが行われるようです。

 全然、経済的でないほかのことに対して、イニシャルだったり。ランニングコストは原発は有利なのかもしれませんが、この一事が——福島のことが起こって、これだけお金がかかっている。まだいくらかかるかも見当もつかない状況を見て、どう説明できますか?

 津波が来なければいいんじゃないか、とかいう話がありますけれども、それはいつもいつも想定していたはずなのに、それより大きいのが来たらもう想定外だということで。もうそんなことで、○○○(聞き取れず)がいいんでしょうか?
 
 想定外はあってはいけないんですよ。

 わからないことはたくさんあるかもしれないけれども、それは私たちが、わからないことをわからないことだ、できないことをできないことだと、ちゃんと分かって、そして危険をおかさないことが、とても大切なことだと思います。

 ほんとうはチェルノブイリから私たちも学ばなければいけなかったし、ほんとうはこの福島で犠牲を払う必要はなかったかもしれない。そのとき、学んでいれば……。

 私は(福島)県内にいるときは、ほんとに被害者だと思っていました。でも、一歩、県外に避難したときに、ああ、選挙権を持っていたよね、と思ったんです。反対運動はしてきたし、今の県知事にも票は入れてません。でも結果を出せなかったことに対して、ものすごく責任を感じています。原子力は、結果を出さなくちゃいけなかったことだってことを、ものすごく悔いています。

 選挙の一票を誰に投じていいか分からないくらい、私たちの意見の代表は誰か分からないくらいの選挙は、そこらじゅうにあります。
 それでも、それでも選挙民である私たちは、なんとかその1票を生かすように、きちっと努力しなければいけなかった。
 もっともっと努力できたんじゃないかと思っています。

 自分で守りきれないことは、しちゃいけない。失敗はしたかもしれないけれど、ここからきちっと学びとって、次に失敗をしない。そうしなければ福島の県民も日本も、そして宇宙の、汚してしまった、穢れてしまったものたちが犠牲を払った価値はないと思う。

 もう不信感でいっぱいですから、いくら誰が点検していただいて、どう保証してくださっても、信じられないんです。信頼関係はもう壊れています。どうお金を積まれても、もとに戻らないんです。

 やめましょう。

 こんな危険を冒すときまで、どうしてもこの原発という方法を選択しなくちゃいけない理由は、ほんとうに、どこにあるんでしょいうか!
 ぜひ、このことを、もう一度、検討していただきたいと思います。

 ◇ 4人目の女性(15分51秒まで)

 ……だけども私の団地の近くには、浪江町の仮設住宅があります。寒い・暑い、これからたいへんな時を迎えます。そうした中で、自分たちは原発で恩恵、受けて来たから、ほんとうは反対なんだけれども反対できないんだ、と。自分たちの息子が、自分の夫が原発で働いてるんだと。そういうことで反対できないんだ、だけども反対だから、こんなおっかないものね、なくしてほしいから、カンパしてあげるね、って言ってくれる人もたくさんいるわけですよ。

 ですから、私たちはここに来ている。だけども、来たいけれども来れない人もたくさんいるわけなんです。

 私もこうした原発が起きる前までは、原発は安全だ何だかんだって。で、そこできれいな制服——事務服を着て、制御室で、ああいうふうに運転しているのが原子力発電だと思っていました。だけど定期点検の最中に——ほんとうに、浪江の人たち、貧しかったから、働くところないから、あの原発第一、東京電力の下請け・孫請け、そういったかたちで——で、定期点検という、ほんとうに放射能にまみれながら、原子炉の奥に入って生活するわけですよ、

 そうすると、自分たちの将来、子どもたちに奇形児が生まれるんじゃないか——そういったことを心配しながら、自分は放射能に汚染されて結婚できないんじゃないか、と。そういうふうな思いをして、働いているんです。そういう人たちがたくさんいるんです。ですから、そういう人たち……なんていうんだろう、きれいな仕事では決してない、そういった非人間的な、被曝をしながら、自分のからだを壊しながら、しないと維持できないような原子力発電って、こんなのはふざけていると思いませんか?

 この21世紀のすばらしい、科学技術が発展し、もっともっと人間は安全に、正しく労働できるはずなのに、なんでほんとにあんな被曝労働しながら、汚染されながら働らなくちゃないんだって。

 結局、貧しかったわけです、私たちは。仕事がないから、原発の孫請け、孫の曾孫請け、そういったことで働かないと生活ができない人たちがたくさんいるわけなんです。

 そんな人の弱みにつけこんで、原子力発電所がみんな貧しいところに来てるんじゃないですか?

 ですから、仮設住宅にいる人たち——みんなそういうふうに言っているんです。

 ですから、反対だけど、声を上げられない人がたくさん、いるんです。

 ◇ 5人目の女性(22分過ぎまで)

  娘を連れて福岡に自主的避難ということで避難しております。

  あの……まず事故が起こる前に、原発、止められなかったということを……あの、経済産業省の人たちには、謝ってほしいです。

  そして私たち、子どもたちに、たくさんの核のゴミを押し付けるっていること、それからこういう差別の上になりたっている、こういう原発っていうものを、いっぱい、その○○できないってことで、それだけでもほんとに、なんとか止めたくて動いて来ましたけど、結局、こういうことになってしまって。

 そしてまだ原発の事故も収束もしていないで……こんなに汚染された世界を子どもたちに引き渡さなければならないなんて、ほんとに悔んでも悔やみきれない思いです。

 いま私たちができることは何かって、ほんとに明らかだと思います。一刻も早く子どもたちを安全な場所に避難させてください。

 子どもたちがきちんと成長して大きくなる。たくさんのいろんな経験をして、次の社会を担う大人になって行く。その権利を、私たち大人が保障しなければいけないと思います。

 子どもたちを一刻も早く、避難させてください。

 いまこれから、どういうことが起きるか、低線量の長期被曝の状況の中で、その前にですね、初期の大量被曝というものを、私たちは子どもたちを、ほとんどの子どもたちを、私たちはきちんと守ることができなかった。そしてそのうえに、こうした長期低線量被曝ということがあります。

 これからどういうことが起こるというのは、どんな専門家でもどんな科学者でもまだ分からないことが多過ぎる。そういう中で、私たちがいい加減な推論とか確率論に、子どもたちの未来を預ける——そういうことを社会として選択していいとは思っていません。

 ぜひ子どもたちを、大人の責任において、最大限、できるかぎりの安全を守れる、そういう選択をするように、よろしくお願いします。

 初期の被曝を防げなかったことにおいて、情報を隠蔽したということについても、ほんとうに許せないもんです。

 そしてそのあとに、このぐらいの被曝だったら大丈夫という、事故が起こったあとの安全キャンペーンをされているということについても、ほんとうに……ただちにその方針を撤回してほしいです。

 子どもたちに今のこの事態について、何か責任があるとおっしゃられる方は一人もいないと思います。

 その子どもたちに今、どんなことを私たちは強いているのか、強いさせているかということを是非考えていただきたいです。

 子どもたちの避難・疎開についての見解を、はっきりと聞かせてください。

 避難と疎開がきちんと行われる条件を整えるために、自主的避難者に対しても完全な補償というものを行うという方針を明らかにしてください。

 これは私たちの経済的な問題だけではありません。私たちの生きる権利が——それから私たちの基本的人権が守られる……。その権利を認めてもらうというそういう意味も持っています。

 一刻も早く、子どもを安全なところへ避難させてください。

 ◇ 6人目の女性(25分40秒すぎまで)

 郡山から来ました。(聴取不能)郡山、あるいは福島市では、子どもたちに——ま、大人もそうですけど——今、今も放射能を浴び続けているわけです。それは、健康な生活を——これからずっと先を生きていけるレベルのものではなくて、みなさん、情報はきちんと持っていらっしゃると思うんだけど、原発事故はほんとに、多方面にというか、いろんな問題を解決しなくちゃいけなくて、ほんとに大変なんですけども、その中でも、やっぱり一番先にやんなくちゃいけないことは、子どもたちの命を守ることなんです。

 みなさん、子ども、おありかも知れませんけど、自分の子どものことを思ってください。

 子どもたちを逃す——あのお、避難させたいわけなんです。私たちは。

 とりあえず、一番それが喫緊の問題です。

 しかし、なかなかそれがうまく行ってないというのは、これは公的な——公なところの責任なんです。

 正しい情報を、正しく伝えてください!

 私たちはやっぱりねえ、市民運動を一生懸命やってたって、やっぱり、なかなか情報を多くの人々に届けることはできないんです。力不足です。

 それは御用学者といわれる人たちが、安全だ、安全だと言ってね、公費を使ってあちこちで宣伝して回っているわけです。福島県では。

 だから多くの人が一様に不安を抱えていながらも、やはり移動するのは大変ですからね。

 いろんな事情があります。

 お父さんの仕事や子どもが、やっぱり仲間が大切だから私は行かない、お母さんだけ行って、とか。

 一家庭が——ひとつの、いろんな困難を抱えているわけです。

 そういうとき、正しい情報を流していただけないと、あのう、やぱっり心理として、安全だと言われれば、やはりそうかなあと、そちらの方にしがみつきたいわけです、私たちは。

 ねえ、大人の責任です。あなたたちも大人でしょう? そしていろんな競争率を勝ち抜いて、いまの職場にいらっしゃるわけだよね。

 もう首をかけて、人間として動いて下さい。(同意の声と拍手)

 (聴取不能)職場で首をかけて下さい。

 子どもたちを救うために動いてください(「そうです」「心で動いてください」の声)

 そして線量から言うと、チェルノブイリの例がとこかくあるわけです。あの時、○○できなかったんだけども。

 今、その辺の論文できているんでしょ。あの論文によると——ちゃんとした人が書いたものですよ——福島や郡山レベルは、避難の義務。もしくは避難の権利——チェルブイリでいうと、そういう地帯なんです。ですから、そういう、早速動かなくちゃいけない事態に、私たちは平気な顔して暮さざるを得ないわけです。不安をいっぱい抱えながらも。

 ほんとうの情報をほうとうに伝えてください。

 そうしないと動けません、多くの人は。

 そのことで必死にやってください、首をかけてやってください。

 ◇ 7人目の女性(34分過ぎまで)

 三春町から来ましたショウジ・イクコです。

 私たちの血税はどんなふうに使われているのか。怒りに震えます。

 東電は安全策にお金をかけず、何にそのお金をかけて来たでしょうか?

 もう東電の隠蔽体質は世界にとどろきました。

 そして九電は「やらせメール」。もうほんとうに国民はあきれています。

 電力会社は——もうほんとうに、その堕落ぶりは、企業の態をなしていないですよ。どうして、こんなふうになったのか?

 その諸悪の根源は、この電源三法だと、思います。

 もうこれは、これまで封印されていたようなんですけれども、新聞社もずいぶん記事を書いてくれるようになりました。もう国民の知るところとなりました。

 この地震国で、狭い日本に54機もの原発を林立させるために、つくられたのが、この電源三法ですよね。

 私は県議会に、プルサーマルはやめてという請願を出しに行ったときなどに、議員に紹介議員になってくれるよう頼みますけれども、「おれは東電の委員だかからな。なけないなあ」——そんなことを言う議員がいくらもしました。

 私たちの血税はどんなところに使われているか?

 その議員は月に一度、仙台で、東北電力と会合を開いたり——東電も似たようなもんだと思います——それだけで20万の手当をもらったりしてるんです。

 私たちの命とひきかえに、どんなふうな使われ方をしているのか?

 以前は箱モノ。2億、使われましたけど。今はまた少し違って来ていますけれども。

 それでも天下り法人などに……何千億ですよ。

 どうしてそれを福島原発の安全策に使わないのか?

 設計の段階でも万一、ベントが起こったときに大丈夫なような大きなフィルターをつけることも検討されていたようなんですよね。

 それでもそんな大きなものをつけたら、みんなが不安がるからと。それも没になっていますよね。

 あの清水社長はコストカッターですよね。人件費と、それから安全のためのコストをすべてカットして来ている。でも、そういう電力会社と経産省は残念ながらベッタリという、そういう印象をぬぐえないんですよね。

 今、エネルギーの計画を見直しされていると思いますが、まだまだ再生可能エネルギーの法律しても、いろんな不備がありますよね。早くそういうところを、どんどん変えていって——もちろんそれは、もう原発は廃炉と、再稼働もしないということに早くシフトを変えてやらなきゃいけない、そういう法律の改正とか、やってほしいんです。

 私たちの血税が、もうどんどんどんどん、私たちが怒るような方向に使われていってしまってます。どうして避難のために使われないんですか?
 
 発送電分離——これも必要不可欠ですよね。

 せっかく自然エネルギーを普及させようとしても、いろんな難所がありますよね。私たちはもう早く、シフトを変えてほしいと思っています。

 ここに書いてありますように、地域はほんとうに補助金で、交付金で、自立を妨げられて来ました。

 まあもちろん、誘致した責任はあります。でも責任といったら、安全策——安全であると嘘をついてやって来た東電の責任はもちろんのことですけど、国策としてやって来た国の責任もそれに次ますよね。

 そしてもちろん、国民の責任もあります。電力を享受してきたわけですし、そして私たちも選挙というかたちで、責任の一端はあると思います。

 だけど、通産省には、早く人を代えてやるべきことがたくさんあります。

 私たちの税金を、どうかまっとうなところに使ってほしいんです。

 即刻、電源三法は廃止していただけるようにお願いいたします。

  ●

 以下、質疑に。

◇ 質疑終了後 最後に行なわれた、一人の女性からの発言(56分過ぎから)

 でも、私、思うんですけれども、敵対しているわけでも、みなさんを吊るしあげるつもりでもないんです。

 ほんとに、やっぱり、次の命を守りたいだけで。

 みなさんも、こういうお仕事をしているからには、とても高い志をもってやって来られたと思いし、今、立場上、あの、お返事できないというのも、重々わかっているんです。

 だから、どうか生涯をかけて、ほんとに自分の良心とか、そういうものをちゃんと……私たちの今日の気持ちとか忘れないで活かしてほしいと思います。

 そうでなければ、私たち、犠牲になった意味はないんです。

 ほんとに福島県だけの汚染じゃなくて、みなさんの家族にも、これから出て来ることだと思うのです。

 だから、ほんとに、ここでこう、責め合うのじゃなくて。

 私たちはほんとに、お願いにも来てるし、訴えにも来ているです。

 どうか、こういう場を無駄にしないで、みなさんの、ほんとにこれからの国を——ちゃんと、その、お金だけじゃなくて、幸せだったり、そういう当たり前のことを、ぜひ、ほんとに活かしてください。

 みなさんが生涯かけて、そういうお仕事をしださい。

 私たちも今日は責めに来てましたけど……今日、謝ってくださいましたけど、やはり古い体質の人が築いたことで、いまのみなさんに謝ってもらっても仕様がないというのは、正直のところ、あるんです。

 みなさんもどうか、そういう古狸にならないでください。(笑い)

Posted by 大沼安史 at 10:00 午前 | Permalink

2011年10月25日火曜日

46:ヴルフ独大統領の日本訪問での脱原発に関する発言

ドイツのヴルフ大統領が日本を日本を公式訪問中です。彼は第28回でも少し紹介しましたが、大の知日派で、しかも日独国交150周年と大震災/原発事故が重なったために、かなり力の入ったスケジュールとなっています。
次々と発言が報道されていますので、その中で脱原発に関するものを今日から数日かけて追加しつつ紹介しましょう。(以下の報道では大統領の名字はウルフとなっていますが、これはあまり正確ではありません)

脱原発とは別に、大統領は震災と津波の被害者に対するドイツ市民の強いシンパシーについてもいたるところでます述べています。大統領によれば、ドイツ市民が集めた義捐金は4500万ユーロ(およそ50億円)になるとのことです。 これも大変ありがたいですが、最大の日本へのお土産は脱原発であることを彼は自覚しています。さて日本社会が、特に政府とマスコミがそれにどれだけ反応するかを観察しましょう。

7月31日に脱原発法に署名し施行させた大統領(第17回)の考えが、随所に出てきます。大統領には再生エネルギー関連企業の代表団が随行しており、日本での商機を狙っています。
http://tkajimura.blogspot.com/2011/08/blog-post_03.html
http://tkajimura.blogspot.com/2011/09/blog-post_09.html

10月22日の日経新聞とのインタヴュー/大統領府HPより

(1)まずは訪日に先立つ10月22日に大統領府の執務室で日経新聞の菅野幹雄ベルリン支局長の単独インタヴューからです。
これは日経の電子版で全文が読めますので翻訳はそれにより、原文は大統領府の公式ホームページから引用します。
 以下引用:

 ——福島第1原発事故の後、ドイツは非常に迅速に国内の全原発を22年までに停止すると決めました。エネルギー確保を考えた場合、日本では原子力の将来をどうするかはなお非常に難しい問いになっています。ドイツにとって「脱原発」の意味とは。

 「この決定はドイツで幅広い社会的合意のもとになされた。しかし、エネルギー政策の転換でドイツが多くをなし遂げねばならないことは疑いがない。プロジェクトは大胆だ。22年までに全原発を止め、エネルギー消費のうち再生可能エネルギーの占める比率を大幅に引き上げねばならない。新たな構想でこの目標にどうやって到達するか。同時に穏便で安定した価格で信頼性の高いエネルギーの供給をどう確立するか。これが目下の問題になっている」

Nach dem Unglück in Fukushima hat Deutschland sehr zügig entschieden, alle Atomkraftwerke in Deutschland bis 2022 still zu legen. In Japan ist im Hinblick auf die Energiesicherheit die Frage noch nicht geklärt, wie man zukünftig mit der Atomkraft umgehen soll. Was bedeutet der Atomausstieg Ihrer Meinung nach für Deutschland?

Diese Entscheidung ist in Deutschland von einem breiten gesellschaftlichen Konsens getragen. Aber Deutschland hat sich mit der Energiewende ohne Zweifel viel vorgenommen. Das Projekt ist mutig: So sollen bis spätestens 2022 alle Kernkraftwerke vom Netz genommen werden. Der Anteil erneuerbarer Energien am Energieverbrauch soll stark anwachsen. Jetzt kommt es darauf an, wie diese Vorgaben mit neuen Konzepten erreicht und gleichzeitig eine verlässliche Energieversorgung bei moderaten und stabilen Preisen gesichert werden kann.
 

 
 —— 両国間のお互いに対する関心は、残念ながら、あまり高くありません。福島の原発事故は特別な関心を集めてはいるものの「ジャーマン・アングスト(ドイツ人に特有の心配性)」も手伝い、関係強化がただ困難になっている印象もあります。互いの誤解を解いて交流を強化するため、社会、文化、人材といった面でどんな努力が役立ちますか。

 「日本とドイツの間には特別に強いつながりがある。だが、まさに旧来の友好を磨かねばならない。そのために日独友好150周年では若者向けの行事をたくさん実施した。インターネットの時代であっても、人と人との交流はかけがえがない。ドイツの多くの若者が引き続き日本への道を発見してくれると確信しており、訪日でもこうした点を強調したい」

 「ドイツは福島事故で目に見えた原子力のリスクを考慮し、原子力エネルギーの供給から脱却するという既定路線を加速する決定をした。10年も前から原発の新規建設は中止されている。日本でも原子力の将来について議論が始まっている。だからこそ両国がこの問題で意見を交わすのは良いことだ。ドイツでの原子力に対する疑いの念は、常に代替エネルギーの探求を促し、技術革新の力を解き放ってきた。エネルギー供給の将来を巡る議論が両国の関係を損ねることはなく、非常に重要で真剣な議論のポイントとして関係を豊かにする」

In Japan haben die Menschen nach Fukushima viel über die „German Angst“ gehört. Welche gesellschaftlichen, kulturellen oder persönlichen Bemühungen wären hilfreich, um die Missverständnisse zu überwinden und den Austausch zu verstärken?

Mit Japan haben wir besonders intensive Kontakte. Aber gerade alte Freundschaften müssen gepflegt werden. Daher richten sich viele der Veranstaltungen des Freundschaftsjahres an Jugendliche. Der persönliche Austausch ist – auch in Zeiten des Internets – unersetzlich. Ich bin sicher, dass viele Jugendliche aus Deutschland auch weiter den Weg nach Japan finden werden. Ich möchte mit meinem Besuch ein Zeichen dafür setzen. 

Was die Diskussion um die Atomkraft angeht: Deutschland zieht aus den in Fukushima sichtbar gewordenen Risiken der Kernenergie die Konsequenz, den ohnehin beschlossenen Ausstieg aus dieser Form der Energiegewinnung zu beschleunigen. Auf den Neubau von Atomkraftwerken war in Deutschland schon vor einem Jahrzehnt verzichtet worden. Ich sehe, dass auch in Japan eine Diskussion über die Zukunft der Kernenergie begonnen hat. Es ist deshalb gut, wenn beide Länder sich hierüber austauschen. Die Skepsis gegenüber der Atomkraft hat in Deutschland auch immer die Suche nach alternativen Energien befördert und Innovationskräfte freigesetzt. Die Diskussion um die Zukunft der Energieversorgung erschwert unsere Beziehungen also nicht, sondern bereichert sie um einen ganz wichtigen und ernsthaften Diskussionspunkt.
 


日経新聞の全文は:
http://www.nikkei.com/news/interview/article/g=96958A9C9381959FE0E3E2E4918DE0E0E3E2E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2

インタヴューのドイツ語原文は:
http://www.bundespraesident.de/SharedDocs/Reden/DE/Christian-Wulff/Interviews/2011/111022-Japan-Nikkei.html


(2)時事通信の配信記事です:

  脱原発へ「日本と協力できる」=蓄電技術に期待—ウルフ独大統領

 来日したドイツのウルフ大統領は24日、都内の日本記者クラブで会見し、原発全廃を決めたドイツが日本と協力することは可能と訴えた。ドイツは脱原発で「蓄電や効率の高い電力網」が必要になるが、大統領は「日本のリチウム電池の技術は世界最高峰」と称賛。日独が「技術力を結集してエネルギーをためる技術に力を注げば、工業化社会に新局面をもたらす」と呼び掛けた。

 脱原発について大統領は「米仏に実現を疑問視する声があるのは当然」と認めつつ、「月に人を着陸させるのも最初はどうすればいいか思いつかなかったはずだが、一歩一歩進めた」と指摘。日本は今夏「わずかな期間で消費電力を15〜20%も削減し大きな被害も出ていない」と評価し、脱原発を非現実的と決めつけるのは「説得力がない」と主張した。 
(2011/10/24-20:29)

http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2011102400792

2011年10月23日日曜日

45:Occupy Berlin 、ベルリンを占拠せよ! 22 Oct 2011/追加情報あり

我々は体制に重要だ。我々の金を銀行ではなく教育に

警察との交渉を報告

集会は小さなカメラで実況中継

乳母車も車椅子もワン公も99%

国会の「ドイツ人民のために」のスローガンが呼びかけている




シャボン玉のお姉さんも登場で子供たち大喜び

ピーグル君もご苦労さま


先週の土曜日に引き続き反格差デモが再びドイツの主要都市でありました。呼びかけたアタック/Attackによれば、今日は先週よりも少ない全国で10000人ほどであったとのことですが、どうやらドイツでも継続しそうです。特に先週土曜日から欧州中央銀行前広場での合法的キャンプに成功したフランクフルトでは、すでに約70のテント村が一週間継続しており、今日は4000人が集まったと報道されています。

ベルリンでは、先週報告しましたように無認可で国会前にテント村を作ろうとして警官隊に排除されて、失敗したのですが、(やはりニューヨーク、ロンドン、フランクフルトのように証券取引場や大銀行の中心がないベルリンでは集結点が、やたらに広い国会前しかないのが弱点です)今日はわたしが見たところでは、それでも2000人ほどが国会前に集まりました。警察との交渉で、テントを持ち込まないとの紳士協定ができたようです。その代わり毎日15時に国会前に集まることにしたらしいです。
とういわけで、今日は先週とは違い、緊張も解けて組織もかなり落ち着いており、また好天のため家族連れの政治的ピクニックの雰囲気でした。

新しいスローガンは「 Occupy Berlin/ベルリンを占拠せよ」が登場、もし国会前が数十万人に占拠されるとなると、こりゃまた21世紀の革命となりますが、さてどうなるか。
これは当面は、大きな山場にさしかかっている世界金融危機の動向にもよりますが、実は革命的なマグマが地表に現れて来ているようです。

確かなことは、この若い世代が中心のグローバルな運動は、68年世代との明確な世代交代の始まりであるということです。
 かれらの武器は海賊党のアイデンティーでもある、徹底的な情報公開/トランスパレンツの要求です。
(海賊党の躍進については近いうちにお報せします)情報公開なしには民主主義は実現できないとの認識が武器です。
その実験的な実践が今ここで始まっているのです。これは、歴史的に全く新たな出来事の核心です。思想史的には19世紀半ばに登場したアナキズムの伝統の再生かもしれない、それも個人を中心とした現代的なそれであるかもしれないとの印象を得まています。
今年は、広場の占拠してのエジプト革命の勝利、夏にはマドリッドの広場での実践、現在のアテネのストライキ。これらは考えてみると、アテネの古代民主主義のよみがえりのようです。事実、マドリッド以来、この集会には拡声器は一切使われていません。演説は聴こえた範囲の者がそのまま大声で一斉に繰り返して周りに伝えるのです。古代アテネの復活です。驚くべきことです。

このようなことを見ていてつくづく実感しました。わたしの孫の世代の小さな子どもたちも多くが参加していました。
日本でもこれから、否が応でも広がるでしょう。子どもたちが放射能でくたばることを拒否するならば、日本の人民、国会を占拠せよ!

(23日追加)一夜明けての情報によると、国会前では20名ほどがテントなしで寝袋だけで夜明かししたそうです。なにしろ最低気温は零度前後ですから寒かったことでしょう。
また、昨日の夕方には11月12日にベルリンとフランクフルトで国会と金融街を包囲する大きなデモが決議されたとのことです。
昨年秋9月18日のベルリンでの反原発国会包囲デモは10万人でした。前にも書きましたがドイツでは10万人デモが起きればその政策は潰れ、50万人で政権が崩壊、100万人で体制が崩壊=革命になります。どうなるか見ものです。

さてフランクフルトの情報はここに集められています:
http://www.occupyfrankfurt.de/

このなかで、以下を見ますと10月15日の欧州中央銀行前での最初の集会の様子が、3次元の360度のパノラマ写真で見られます。Panoをクリックして下さい。すごい技術ですね:
http://3d-top-event.net/?event=151&tag=Occupy_Frankfurt


というわけで、22日の写真です:

ベルリンを占拠せよが登場
ゼッケンもその場で即製
学生が多いからこの要求もあります
99%を化粧する



2011年10月19日水曜日

44:南相馬「死の領域での人生」ドイツ公共テレビARDのドキュメント放送/追加:大山弘一議員に支援を!

右からHaneda(羽田?)氏と三浦万尚さんたち、下記WDRのHPより
ドイツの公共テレビ第一放送ARDの西ドイツ放送局(WDR)が10月18日夜、30分のドキュメント番組で南相馬市の市民に密着した30分のドキュメント番組を放送しました。フィリップ・アプレッシュ記者と彼のチームの取材です。

タイトルは「死の領域での人生/フクシマ後の日常」です:

http://www.wdr.de/tv/weltweit/sendungsbeitraege/2011/1018/index.jsp
(ビデオもここで見ることができます)

奄美のアースデイという環境保護団体から救援に駆けつけた三浦万尚(みうらばんしょう)さんを中心に、事故から半年後の日常生活を、再開された学校や幼稚園に取材し、子どもたちや乳幼児を抱える母親たちの姿と生の声を伝えています。

タイトルが示すとおり、地震と津波を生き延び、その後、とても人間が生活すべきではないすさまじい放射能汚染のなかで、おびえながら日常生活を取り戻そうとする人々の思いを記録しています。

ひとびとは、日本のメディアの取材に応じるよりも(そもそもあまりまともな取材には来ないようです)、非常に率直に語っていることが見て取れます。チームが信頼されたのでしょう。また取材に訪れるでしょう。

非常に貴重な記録であることだけをお伝えして、胸がつまりますので、わたしの感想はここではあえて控えます。

再放送は来週月曜日以下のとおりですので、ご覧ください:
Montag, 24. Oktober 2011, 14.30 - 15.00 Uhr (Wdh.)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
(一夜明けて19日追加です)
下記の写真の子どもたちのことが気になり、調べてみますと南相馬市では、再開された小中学校では、元の2168人の児童生徒のうち862人が登校したとの河北新報の記事がありました:

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/10/20111018t63003.htm

この「死の領域」に住まざるを得ない子供たちは、妊婦と乳幼児とともに一刻も早く疎開させなければなりません。日本が「人間の国」であるならば、まずすべき最低限のことです。
先の大戦では、軍国日本は学童疎開で児童を守りました。放射能汚染は空襲よりももっと恐ろしく執拗です。防空豪では防げません。とにかく安全圏へ疎開させることしか方法はないのです。このように放置することは、日本の将来の命を見殺しにすることに等しい、行政不作為による犯罪行為です。そもそも憲法に保証された基本権遵守の放棄です。

小田実が阪神大震災の後に、被災者を棄民扱いする行政と国に対して「これが人間の国か!」と怒りの声を挙げましたが、その声を思い出します。彼が健在ならば間違いなく子供たちを救う運動を始めているに違いありません。

ところが南相馬にも大山弘一さんという新人の市会議員が、国と行政に向けて孤立無援でも早くから立ち上がっておられます。
すでにユーチューブで2度にわたり、世界に向けて南相馬の実情を冷静に客観的に訴えておられます:

http://www.youtube.com/watch?v=a4AoaGuLoMk&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=O-VMhQFn00g&feature=player_embedded


ここで大山議員は「世界市民の母性、父性、理性に向けて訴える」と呼びかけておられます。
なんとすばらしい言葉でしょう!
わたしも世界市民の一人として大山弘一さんを応援します。

大山こういち議員のブログです:
http://mak55.exblog.jp/


大山議員頑張れ!

そして、世界中のみなさまに、この子どもたちへの援助をお願いいたします。 

再開された南相馬市の小学校で、子どもたちと取材チーム、写真同上

2011年10月17日月曜日

43:シュレーダー元首相「脱原発には政治決断が必要、日本国民の安全哲学への決断次第」

一週間近く遅れたお知らせですが、ドイツで2000年に原発事業主たちと談判して脱原発合意を実現したシュレーダー元首相が、毎日新聞の篠田航一ベルリン支局長とのインタヴューで「日本はドイツ同様、原発とは違うエネルギー政策を実現できる状況にあり、その先駆者になれる国だ。しかし、それには3つの分野で政治決断が必要だ」また「ドイツの安全に対する哲学は、おそらく日本の安全哲学よりはるかに確固たるものだ。その哲学を修正するかどうかは、日本国民の決断次第だ」と述べています。
先に、毎日新聞で概要が伝えられたインタヴューのほぼ全体を「エコノミスト」誌今週号(10月11日号)が伝えています:
 http://mainichi.jp/select/biz/economist/pickup/news/20111007org00m020028000c.html

10年以上の遅れですが、日本でも脱原発を実現した人々の声をようやく真剣に聴く状態になったので、その意味では大切な報道ですので、以下少し詳しくわたしなりの解説をしておきます。

ここから以下一部を引用します:
ーーーーーー
 ── 「脱原発」は日本でも議論を呼ぶ政治課題になっている。日本も可能だと思うか。

■外国の政策に口出しはできない。だが、日本でそのような議論が起きているのはうれしい。日本はドイツ同様、原発と違うエネルギー政策を実現できる状況にあり、その先駆者になれる国だ。しかし、それには3つの分野で政治決断が必要だ。

 まず第1に省エネの徹底。従来のような大量エネルギ−消費を控える社会にしなくてはならない。第2に風力・太陽光発電など再生可能エネルギーの開発だ。日本は既にこの分野で世界市場をリードする技術を持っており、さらに発展させるべきだろう。第3に過渡期のエネルギー資源として、当面は(気候変動への影響が少ない)天然ガスを活用することだ。

── 欧州では、テロや飛行機事故も原発リスクの1つに想定される。日本ではあまり聞かない議論だが、これは現実的なのか。

■どれほど非現実的に思えても、少しでも可能性があれば、それを絶対に排除してはならない。フクシマもそうだったと思う。あまりにも巨大な想定外の津波ではあったが、やはりそれを想定できたと思うし、想定すべきだったのだ。対策を立てず放置した結果は、悲惨なことになる。だからこそテロや飛行機事故の可能性も考えなくてはならない。

 確かにドイツでは津波の恐れは少ない。だがチェルノブイリ事故などのように、人為的なミスによる事故は十分あり得る。人間はミスをする。それをきちんと認識しなければならない。ドイツの安全に対する哲学は、おそらく日本の安全哲学よりはるかに確固たるものだ。その哲学を修正するかどうかは、日本国民の決断次第だ。

ーーーーーーー
わたしは、シュレダー氏が首相時代には何度も話を聴き、歴史的な記者会見も体験していますので、このインタヴューについて以下数点解説をしておきます。

1)決断力と政治の優先性

インタヴューの始めにある氏のこの言葉です:

98年に首相就任後に脱原発に取り組んだ時、「原発こそがビジネスモデル」と信じていた当時の電力業界の反発はすさまじかった。だが業界トップと直接何度も話し、納得してくれるまで説得を続けた。

シュレーダー『決断』281頁より転載
 当時の原発事業主との談判についての背景と経過についてまとまった報告は、日本語で書かれ公表されたものとしては、我田引水になりますが、残念ながら『世界』2000年9月号の拙稿「脱原発に踏み出したドイツ」しかありません。
そのなかで、わたしはこのドイツの脱原発に関する「日本のメディアの反応のにぶさに驚いた」と書いています。
それから11年後の今になって、ようやくフクシマの事故の体験よって注目されることになったのです。東電以下の原発産業に買収されていた大メディアのていたらくです。
左の写真は2000年6月14日(正確には15日の午前1時)に、脱原発で合意したことを電力会社のトップたちと記者会見で発表したさいの写真です。記者会見では「この合意には両者とも不満であるが、事業主側は『政治の優先性』を認める」との見解が述べられています。
つまり原発事業主にとっては「大いに不満な妥協であった」わけで、「首相の決断にいやいやながら従った」のが本音です。

ゲアハルト・シュレダー回顧録2006年/梶村へのサインがあります
政治家には決断力が不可欠です。政治の場面でそれの表現の仕方はさまざまでしょうが、決断力のない政治家は国を誤ります。
シュレダー氏の政治家としての評価は様々ですが、立場を問わず彼の政治的決断力については高い評価がありました。電力会社のボスたちもそのことをよく知っていたからこそ、政治の優先性/Priorität der Politikを呑んだのです。
左の写真は氏が2005年の総選挙で僅差で敗北し、政治から引退した後に出された政治生活の回顧録です。タイトルからして『決断ー政治におけるわが人生』と題されています。
この決断は複数形のそれです。首相時代の多くの決断の背景や内情が信条とともに述べられており、興味深い記述があるのですが、これが執筆された2006年段階では、脱原発法に関して彼が社民党党首として加わったメルケル氏との大連立協定交渉で脱原発法には手を付けないとしたが、右派政権になれば危ういことになる危惧を述べています。そしてまた、2009年の中道右派政権の成立で、同法はいったんはひっくり返されたのですが、フクシマ事故で、今度はメルケル首相の決断で、元の木阿弥のシュレダー氏の決断へと戻ったのです。
これが、彼がインタヴューで日本の政治家と国民に決断をうながす背景です。

しかし、日本では反対に「経済の政治に対する優先性」が余りにも露骨で、原発部門ではその病根が露になりました。大半の政治家は経済界の奴隷になってしまっています(佐賀県や北海道の知事の原発再稼働への対応がその典型です)。ここから脱皮するのは革命的な努力が必要です。そのなによりもの基本が日本国民の決断なのです。

2)天然ガス

シュレダー氏は政治家引退後、プーチンロシア大統領とのかなり深い個人的繋がりから、ロシアの天然ガスの企業の役員(ドイツ側顧問)となっています。「天然ガスを活用すべき」という提言の背景はこれですから、これもいささか我田引水ではあります。しかし、ヨーロッパの長期的エネルギー戦略に添った引退政治家の役割でもあることも確かです。
シーメンス社ガスタービン工場、ベルリン2011年10月.。
写真でもゆっくり上下させると羽が回ります。ハイテクか?
先月、シーメンス社がフランスの原発公社のアレバと縁を切って原発部門から撤退したことは、ここでも速報したとおりです。
早速、同社はこれからの成長部門であるガスタービンの宣伝に力を入れ始め、ベルリンにある組み立て工場に外国人記者を招待しましたので、先週見学してきました。
100メガワット以上の大型のガスタービンがドイツの伝統的職人技術で組み立てられている様子は興味のあるものでしたが、面白いのは、「ガスタービン発電は再生エネルギー発電の補足としては最も優れている」との説明でした。
「太陽光や風力発電は天候によって発電量が左右される、悪天候でエコ発電が滞りそうな時には、ガスタービン発電は大型のものでも、わづか30分で発電を始めることができる。原発ではとても無理でありエコ発電と親和性が最大である。また化石燃料では最も二酸化炭素排出が少ないので、これからの成長部門である」とのことです。
「日米の大手であるGE社や三菱重工との競争があるが、シーメンスの伝統と最新技術の方が優れている。例えば使用燃料のエネルギー効率はすでに60%を越えており、これは世界一」とはタービン部門の部長の弁でした。
シュレダー氏の未来に向けたドイツの良き競争相手としての日本の技術への提案の具体的な現場のひとつです。
日本の大手重電企業も原発部門を整理したほうが将来のためでしょう。このままでは少なくとも大赤字を出すか、ずるずると続けていると東電のように原発と心中となります。まさに長期的決断が必要でしょう。

シーメンス社原発撤退の速報:
http://tkajimura.blogspot.com/2011/09/blog-post_18.html
三菱重工の同部門については「ガスタービンに春到来の予感」日経新聞:
http://www.nikkei.com/tech/ssbiz/article/g=96958A9C93819696E2E6E2E1E38DE2E6E2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E3EAE3E0E0E2E2EBE0E4E2EB

3)安全哲学

シュレダー氏が「安全哲学」という言葉をここで使ったのには、いささか驚きでした。政治家はめったに哲学を語らないものです。
この背景には、メルケル首相が諮問した倫理委員会の報告書があると思われます。ここで述べられていることは「日本の安全哲学よりもはるかに確固たるものだ」と述べており、まさにそのとおりなのです。
ただ、問題はシュレーダー氏が述べているのは結論だけであり、そこに至る「確固とした」思考過程が肝心です。
これについても、日本語で内容に踏み込んで解説したのは、わたしの知る限りでは本年の『世界』8月号の拙稿「脱原発に不可逆の転換に歩み出したドイツ」だけですので、関心のある方には読んでいただきたいのです。

 なぜ、肝心かなめのこの報告書が日本で注目されないかについては簡単な理由があります。
すなわち、発想がカント以来のドイツの伝統的な倫理哲学の伝統に添うものであるため、その教養がない人には理解が難しいのです。ドイツ人の大学生でも大半は理解できないでしょう。
「定言的拒否と相対的考慮の根本的対立」というのがキーワードですが、こんな表現は日本語でも一般には理解できません。
大学の倫理のテキストにはおあつらえ向きですが、 普通のジャーナリストではとうてい無理です。しかしこれは何も日本人だけでなく欧米の記者でもそうですから、日本のジャーナリストの皆さんがっかりしないで下さい。 ある新聞社の論説委員に説明したことがあるのですがやはり無理でした。

とはいえ、ここで、いづれは判り易く解説したいと考えています。

(17日追加)
この、倫理委員会の報告書『ドイツのエネルギー転換/未来への共同作業』はドイツ連邦政府のホームページからPDFで降ろせます:
http://www.bundesregierung.de/nn_774/Content/DE/Artikel/2011/05/2011-05-30-bericht-ethikkommission.html

今見ると、ドイツ語原本とともに英訳も掲載されています 。
上記の概念的用語はドイツ語では26頁、英語では 11頁(Ethical positions/倫理的立場)の章に展開されています。
この倫理委員会のメンバーには神学の専門家はいますが、哲学者は参加していません。しかし教養としてのドイツの伝統が背景にあることが読み取れます。
その意味で、これは大学の哲学/倫理の格好のテキストですので、是非使用して下さい。

2011年10月16日日曜日

42:何をいまさら:東電 J・ヴィレッジの核のゴミ写真公表

今日のニュースで東電がJ・ヴィレッジに山積みになっている作業衣などの低レベレル汚染物の写真を公開したとのことですが、何を今さらですね。
こんな写真は、第39回で写真もいれてお報せした通り、シュピーゲル誌の女性記者のルポでひと月前に世界中に知れ渡っています:
http://tkajimura.blogspot.com/2011/10/blog-post_11.html

おそらく、この事実をすっぱ抜かれたために、しぶしぶ公表したのでしょう。であれば、ドイツのZDFが暴露した違法な下請け労働者との雇用契約書も公表させねばなりませんね。

ここでも判ることは、日本の大メディアは日本に居る少数の欧米のメディアの「おこぼれちょうだいの下請け」のようなものです。今日の報道もその典型です。中国の報道機関をとても笑ったり批判はできませんね。似たような状態にあります。
なにしろ3・11以来、肝心かなめの事実は海外の報道からしか知らされなかったし、いまだにそうであるのがあわれな日本の市民です。情けないことです。

共同通信によると
http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011101501000877.html
処分方法は決まっておらず、東電は「当面はこのまま保管し、さらに積み上げる」としている。

とのことですが、これは「放置する」ということです。
このような低レベルのゴミは最終処理場に運び込むまでは、特別のドラム缶に圧縮して詰めて保管するのが通常です。それすらなされていないことは驚くべきことです。
こんなやり方をする会社に、スルーダウンした世界史上最悪の核燃料のゴミをこれから何十年もかけてはたして処分する能力があるのでしょうか。全くもって疑問です。 

シュピーゲル誌による写真をもう一枚挙げておきます:

http://www.spiegel.de/fotostrecke/fotostrecke-72856-3.html
Noriko Hayashi/ DER SPIEGEL

41:格差に怒る世界市民の登場/中程に追加あり






ソ連邦の崩壊からちょうど20年を経て、今度は新自由主義体制が根底から揺らぎ始めました。
10月15日、世界中で格差是正と民主主義実現を要求する市民が一斉に立ち上がりました。文字どおりの団結する世界市民の登場です。

ベルリンでは約一万人ほどが首相官邸へ押し掛け、さらに国会前の共和国広場を占拠する行動に入り、警官隊とテントの設営を巡って小競り合いが始まりました。フランクフルトでは5000人ほどが集まり、欧州中央銀行前の広場にテント村を実現しようとしていると報道されています。

ベルリンの首相官邸と国会前の写真を説明抜きでいくつか紹介します。すべて10月15日の午後、筆者の撮影によるものです。
(引用の場合は「撮影:梶村太一郎」と明記して下さい)

(17日に追加)
大沼安史さんが「個人新聞」でガーディアン紙に掲載されたチョムスキーらの行動宣言を日本語に翻訳されています:
 http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/oct/14/manifesto-global-regime-change
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog5/2011/10/for-the-record-.html

大沼さんご苦労さまです。

まさに世界市民(Weltbürger)へ呼びかけた宣言であり、世界市民主義(Weltbürgertum)構築に向けた宣言です。15日の全世界での行動ではっきりしたことは、2003年2月15日にイラク戦争に抗議して世界各地で一斉に大きなデモが行われて以来のことであり、しかも今回はグローバルな金融資本主義の暴虐に抗議する行動としてあるため、これは大きな運動の始まりであるということです。

右も左もなく世界の99%が怒りだし、特に若者が中心となっているためドイツのメディアでもすでに68年世代(これも当時としては限られていたとしても世界的な動きでした)に続く21世紀の「11年世代」という言葉が使われ始めています。日本でも脱原発運動から11年世代が登場してほしいものです。

ちなみにベルリンでは国会前広場を占拠しようとした若者たちは、200人ほどが冷え込む真夜中までがんばったのですが、警察官の実力行使で12のテントととともに実力排除されたと報道されています。

写真をひとつ追加します。この明らかに海賊党であると思われる若者も、早くからテントを張り椅子に腰掛けてバナナを食って元気をつけていたのですが、排除されたようです。





2011年10月13日木曜日

40:東京世田谷区のホットスポットの線量はドイツ高レベル核廃棄物施設周辺許容値の47倍(追加あり)

前回、フクシマのJ・ヴレッジが地獄の一丁目であると書きましたが、どうやら東京のど真ん中の住宅地にもそれが出現したようです。

今日10月12日のNHKの報道には以下のようにあります:

「東京・世田谷区で検出された1時間当たり2.7マイクロシーベルトという放射線量は、文部科学省が積算の放射線量を計算する際に用いている、1日のうち、屋外で8時間、屋内で16時間過ごすという条件で計算すると、1日の被ばく量が38.88マイクロシーベルト、1年間にすると14.2ミリシーベルトになります。」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111012/t10013217911000.html

この実に控えめに計算された値が、それでもどのようなものであるかは、ドイツで今現在、大きな問題になっている値と比較すればよくわかります。
これは、ドイツのニーダーザクセン州のゴアレーベンにある高レベル放射線廃棄物中間貯蔵施設の周辺の許容値の約47倍となります。
ゴアレーベン高レベル核廃棄物中間貯蔵施設。奥にあるのがキャスク。DPA
この施設は、高レベル廃棄物の最終処理施設予定地として試掘されている岩塩層の近くにあります。
ドイツでは原発の使用済み核燃料を2005年まではフランスのラアーグの再処理施設に依頼し、ガラス固化体したものを特殊なキャスク(容器)に詰めて送り返されています。最終処理のための1工程です。
2002年の脱原発法で、2005年以降の使用済み燃料は再処理を禁じられ、直接最終処理されることになりました。
ドイツにも最低でも10万年は地下深く埋め込む最終処理施設はまだありませんが(注1)、仮にすでにあったとしてもこの容器は高熱のため10年以上は地上で冷却させなければなりません。それが中間貯蔵施設です。日本にも英仏から世界中の抗議を無視して危険な長い航路を経て船で送り返されてくる同じ施設が六ヶ所村にあります。
昨年の搬入後の内部の写真。TAZ;DPA

さて、この赤松の森の中の施設の地上にある中間貯蔵の建物は空冷式です。すなわち壁の下部にある隙間から入り、暖まった空気を上部から外気に出すという単純な設計です。容器は厳重に密封されていますが、それでも表面はかなりの放射線量となります。
数年に一度フランスから容器が搬入される時には、大きな阻止闘争が行われます。特に5万人を動員した昨年11月の闘争は文字どおりのゲリラ戦となりました(注2)。
核のゴミ搬入阻止のため鉄道線路を枕に夜明かしするデモ隊。2010年11月。ゴアレーベン
写真Jochen Lübke/DPA

さて、はじめの2枚の写真でわかるよう施設建物内の容器の数がかなり増えています。報道によるとこの施設全体ではこれまで120の容器が中間貯蔵され冷却されています。また上記のように、2005年に最後に再処理のためフランスに送られた使用済核燃料の入った容器が、今年の秋には返却搬入される予定になっています。

ところが、さきの8月下旬に地元の反原発運動が、施設のフェンスの放射線量が許容値に近いまで上がっていることを暴露し、これ以上の容器の搬入を止めるようにニーダーザクセン州政府に申し入れました。
大いに困った同州環境省は、昨日10月11日、測定値を発表し次のような見解を示しました(要旨):

Mit diesen Castoren sei eine Erhöhung von 0,238 Millisivert (mSv) auf 0,254 (mSv) zu erwarten. Der Eingreifwert bei der Umgebungsüberwachung in Gorleben liege bei 0,27 mSv pro Jahr, der Genehmigungswert bei 0,3 mSv pro Jahr.

「予定されている容器の搬入では現在の線量値0,238mSv(ミリシーベルト)/年から0,254mSv(ミリシーベルト)/年となることが想定される。ゴアレーベン周辺ではでは0、27mSv/年であり、許容限界線量値は0、30mSv/年であるから、搬入は許可される」

これに対し、反原発運動は、「この値は自然放射能値を差し引いたものであり、事実ではない」と反発しています(注3) 。この秋もまた激しい抵抗運動が予想されます。

さて、この事実で明らかなように、
ドイツの森の中の高レベル使用済み核燃料中間貯蔵施設のフェンスの放射線量許容値は0、30mSv(ミリシーベルト)/年です。NHKが報じている世田谷区のホットスポットは「屋外に8時間」いただけでも14、2mSv(ミリシーベルト)/年ですから、実にその47倍に当たります。

文科省以外の計算基準によってはその倍近くになるでしょう。
いずれにせよ、とても人間がその側で生活できる値ではないことだけは、とりあえず指摘しておきます。スポットとはいえ、そこは文字どおりの「地獄点」といえるでしょう。

ネットでざっと観たところ、この朝日新聞の12日午後4時の現場写真が一番良いのですが、確かに歩道は車道より一段低く、さらに樹木の多い垣根の側なのでホットスポットになりやすい場所です:
http://www.asahi.com/national/update/1012/TKY201110120605.html

3月からじわじわと汚染が蓄積しているのでしょう。
世田谷区長の保坂展人さんによると、住民からの通報でわかり、計測したり洗浄しても線量はあまり下がらないとのことですが、汚染がかなり酷いということです。垣根や樹木に放射性物質が染み込んでしまっているのでしょう。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/bfe7006ac08a6a89abaa27582cbdeb21

とりあえずは、保坂区長はここの住民の方を安全のため説得して一時移住してもらって、徹底的に除染するしかないと思われます。
しかしこのようなところは東京でもでもあちこちにあるし、増えるでしょう。セシウムだけでなくプルトニュウムが出ても不思議ではありません。これが原発がもたらした足下の見えない現実です。


(注1)岩塩層最終処理施設の責任者のケーニッヒ氏については以下をお読み下さい:
http://tkajimura.blogspot.com/2011/08/blog-post_03.html

(注2)これについては、梶村「政権を揺さぶるドイツ反原発運動」『世界』2011年1月号を参照して下さい。警備の警察官の方が気の毒になるような闘いでした。
また、この5日間に渡った激しい抵抗行動の写真はStern誌の電子版で多くの写真が見られます。ドイツの反原発運動がいざとなれば文字どおり身体をかけた大規模な抵抗運動であることが良くわかります。
http://www.stern.de/politik/deutschland/castortransport-polizei-raeumt-gleise-wir-bleiben-friedlich-1621566-photoshow.html

(注3)http://www.ad-hoc-news.de/strahlung-in-gorleben-laut-tuev-auch-durch-weitere-castoren--/de/News/22500875


(10月13日追加)
一晩明けてみると、あちこちでもっと酷いホットスポットがあるという報道が続いているようです。前にも書きましたが、事故はたった今始まったばかりなのです。本当の脅威はこれから長年にわたって姿を現します。
世田谷のホットスポットについては「南ドイツ新聞」が本日10月13日付けで報じています:
http://www.sueddeutsche.de/v5J385/254591/Erhoehte-Strahlung-in-Tokio.html
 この記事は、ついでにつけ加えて「野田新政府は菅直人首相が受け入れ難いとしたベトナムへの原発の輸出を東電も加わった新会社で実現しようとしている」とも書いています。

さて、本日、各紙は9月に英国から六ヶ所へ返却された高レベル使用済み燃料容器が汚染していると日本原燃が発表したと伝えています:

 基準の最大47倍の放射線 九電、ガラス固化体(東京新聞/共同)
安全目安を超す放射性物質 (朝日新聞)
http://mytown.asahi.com/aomori/news.php?k_id=02000001110130002

この容器汚染の問題は、ドイツでもしばしば起こっており、大分前ですが輸送した貨物車両がかなり汚染したことが判明し大問題になったことがあります。そのため原因追及がおこなわれましたが、どうやら容器そのもののビスやネジ状の部分が汚染しており、それが高温の表面に付着した湿気に混じり車両を汚染したとのことでした。
結論としては「どんなに厳重に密封しようとしても、現在の技術では100%は不可能である」ということです。それ以来、輸送の際は外部に汚染が漏れないような特別な車両に容器を入れています(上記の2枚目の写真にそれが見えます)。
日本では容器を裸でトレラーに積んで輸送している写真がこの共同に記事には使われていますが、これは目に見えない汚染を道路と周辺にばらまいている写真でもあるのです。
ですから「これが初めて」というのは疑わしいものです。原燃が発覚を恐れて初めて発表したのが真相でしょう。しかも汚染の線量値は今のところ公表していないのはなぜでしょうか。

(追加2)
書いていると世田谷の高線量の原因は原発事故ではなく、床下の瓶であるとの報道がでました。
かなりの高線量らしいので、これは第25、26回で述べました、ゴイアニア事故の日本版未遂事件となる可能性があります。
http://tkajimura.blogspot.com/2011/09/blog-post_02.html

だからといって、フクシマの汚染が納まるわけではないので安心は全くできません。

2011年10月11日火曜日

39:「放射線労働者の村」:シュピーゲル誌/地獄の一丁目のルポ

第37回で紹介しましたシュピーゲル誌の別冊の記事について、yoshikoさんという読者の方から「 このシュピーゲル誌の特集は、英語か日本語で手に入れることは出来ますか?」とのお尋ねですが、残念ながら日英語のものはないようです。ドイツ語の原文も、本体を購入するか、この場合は電子ペパーで個々の記事をネットで購入できるだけです。

この長い記事は Cordula Meyer/コーデュラ・マイヤーさんというシュピーゲル誌の女性記者が書いたもので、これもかなり長いものです。
この方はかつてスーダンの戦場を命懸けで取材したことでも有名な記者ですが、フクシマについても多く報告しています。最近といっても9月12日のものですが、J・ヴィレッジに潜り込んで報告していますので、これもまた日本の腰抜け記者たちが、やらない/できない報告であるかもしれないので。また内部の動画と写真もあるので簡単に紹介しておきます。

この記事です:
http://www.spiegel.de/spiegel/0,1518,785975,00.html

タイトル: 

Das Dorf der Strahlenarbeiter/放射線労働者の村

リード: 
 Es ist ein verbotener Ort, der Zutritt untersagt: In einem ehemaligen Fußballzentrum rüsten sich jeden Morgen jene Arbeiter, die das Katastrophen-Kraftwerk Fukushima Daiichi unter Kontrolle bringen sollen - ein Besuch im Vorhof des japanischen Ground Zero.

ここは入ることが許されない禁じられた場所だ。このかつてのサッッカーのセンターで、フクシマダイイチ・カタストロフィー発電所を制御すべき労働者たちが 、毎朝装備を整える/日本のグラウンド・ゼロの前庭を訪ねた。

梶村:ここで「グラウンド・ゼロ」という比喩をつかっているのは9・11前後の記事でもあるからです。
しかし、この言葉が元々はヒロシマ・ナガサキの爆心地に使われた言葉でもあったことを考えると、日本の三度目のグラウンド・ゼロでもあるのです。J・ヴィレジイは日本の三度目の地獄の「前庭」すなわち一丁目であるのです。
記事は、J・ヴィレッジの内部がどうなっているのか、そこに入った者しか知ることのできない詳しい描写があり、仕事から帰って来た労働者が、放射線量を測定される様子、また汚染した使用済み労働着など(すなわち低レベル放射線ゴミ)などが山積みになっている様子も写真で紹介されています。

また、51歳の北海道からの出稼ぎ労働者たちから労働内容や、社会的背景について話を聴き、このように書いています:

Oft sehe er Arbeiter "am Limit - nicht nur körperlich, sondern auch mental". Die meisten Jobs seien einfache Drecksarbeit. Viele seiner Kollegen bei Subunternehmen hätten keine Wahl: "Wenn die Nein sagen, wo kriegen die dann noch einen anderen Job?", fragt er. "Ich kenne keinen, der es für Japan macht. Die meisten brauchen das Geld."

彼は労働者たちが「体力的だけでなく、精神的にも限界にある」ことをしばしば目にしている。大半の仕事は単なる汚れ仕事だ。下請け企業の彼の仲間たちの多くには選択肢がない。「もし嫌だと言えば、どこに他の仕事がありますか?」と彼は問う。「わたしは日本のために働いている者をひとりも知らない。みんな金が必要なのです」

 この記事でも、東電が一人につき日当を10万円支出しているのに末端には1万円しか手渡されない実情を述べ、また彼ら末端の労働者は被爆線量が許容量を超えると解雇されて終わりです。「東電ともあろう一流企業がこのような労働力の使い方をするのはあってはならないことだ」との関係者の言葉を引いています。
また、熟練労働者も中長期的には不足する懸念についても書いています。わたしも、これから何十年にも渡って未曾有の危険な作業を続けることは、東電のこのような人間を使い捨てるやりかたではとうてい無理だと考えています。先のZDFテレビの報告でも東電は実情への「知らんぷり」を無責任に決め込んでいる場面がでてきますが、ドイツの企業であれば直ちに反応して対策に当たるでしょう。企業の社会的面目が立たないからです。
通常の原発労働者の数倍の優遇と情報公開下でしか、この日本が直面する人類史上未経験の課題を克服することはとうていできません。そのことを指摘するだけでもこの報告は警告として読めます。
日本政府と東電のトップはこの記事をしっかり読むべきです。

わたしは、ここに日本社会の土壌の凍てついた冷たさを感じます。この耐え難い凍土を溶かすことができるのは、そこで生きようとする人々の意思だけなのです。

記事の冒頭の動画もご覧ください。そこの様子がうかがえます。
ここではシュピーゲル誌のオンラインから内部の写真を二枚お借りします。核地獄の一丁目の恐ろしい光景です:
使用済み汚染物集積場には、ゴムプールのようなものに、原発構内でついた車のタイヤに着いた汚染物を除去したガムテープが特別に仕分けされフックに懸けられている。(梶村:おそらく中レベルの汚染度のためであろう)写真:Noriko Hayashi/ DER SPIEGEL
作業終了後にJ・ヴィレッジで被曝線量を測定する。写真:Noriko Hayashi/ DER SPIEGEL

2011年10月9日日曜日

38:日独の脱原発を実現する人々:松井英介医師とドイツ放射線防護協会(追加あり)

ご第37回で紹介したZDF(ドイツ第二公共テレビ)の原発労働者のレポートにも関連しますので、日独の脱原発を実現する人々について紹介の補足をしておきます。まずはこの書籍の著者です。



















 http://www.youtube.com/watch?v=aAE-QBmC1VA このドイツのテレビの報告の終わりに被曝の危険性について証言している松井英介医師(放射線医学/日本呼吸器学会専門医)です。
ご存知の方も多いでしょうが、この方には6月に出版された上の著作があります。長い間肺癌やアスベストの問題について取り組まれてきた、わたしの尊敬する医師です。
放射線内部被曝についてもその危険性を研究されていたところに、フクシマの事故が起こり、急遽書き下ろされたとのことです。
 なにしろ、事故のあと、いわゆる「専門家」による「この程度では健康に害はない」とのデマをマスメディアが無批判に大量にまき散らしましたし、そもそも「内部被曝」あるいは「体内被曝」という言葉そのものを、新聞記者たちが全く知らない状態でした。それに対する本物の専門家からの警告の啓蒙書がこれです。

低線量でも内部被曝が長期的にもつ危険性を非常に広い世界的な視野で判り易く解説してありますので、まだの方は是非お読み下さい。
ここで、目次も見られます:
http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/686

本書を読めば、地球そのものがすでにどれだけ汚染され、フクシマの事故により日本の住民が「まとめて内部被曝のモルモット」になってしまっていることに気づかされるでしょう。

さて本書にも巻末に資料として全文が収録されていますが、フクシマ事故の直後である3月20日付けでベルリンから急遽出された文書があり、これも食物からの内部被曝を警告する専門的な文献として、ご存知の方は多いでしょう。松井医師らが翻訳して下さったものです:

「ドイツ放射線防護協会から:チェルノブイリの経験に基づき、野菜、飲料等についての提言」
http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/04/blog-post.html

どうでも良い裏話ですが、この文書を放射線防護協会のトーマス・デルゼーさんはまずわたしのところに送って「君なら翻訳できるだろう」と問い合わせてきたのです。彼らとは市民運動でもう20年近い友人なのですが、「そんなアホな、できるわけないだろう。専門家でしか無理だよ」と返事をしたものです。そこで相談の上、共通の知人である松井医師に翻訳をお願いしたのです。
事故直後で松井医師も大いそがしであったのですが、大勢の方々が分担して翻訳され松井医師が監訳者として非常に厳格な翻訳が、しかも早期にできました。この場を借りて、わたしからも翻訳者のみなさまにお礼を申し上げます。

このドイツ放射線防護協会については、あまり日本では知られていないので紹介しておきます。ドイツの反核市民運動のなかでは、特別な位置を占める市民団体です。その屋台骨がこのお二人です。
アネッテさんとトーマス・デルゼーさん。2011年4月6日、チェルノブイリ25周年会議の受付でのスナップ/ベルリンフンボルト大学医学部

 この団体はチェルノブイリの事故のあった1986年の12月、当時の西ベルリンで発足しました。当時のドイツはちょうど現在の日本と全く同じで、政府や自治体の発表する食品による放射線汚染に関する情報が不足し、また信用ができないため、数人の化学者と核物理学者たちが、食品の正確な線量測定値を公表する市民運動を立ち上げたのです。まずは高価な放射線測定機器はチャリティーコンサートからの寄付で購いました。

それからは連日のように全国から持ち込まれる各種の食料品の測定値を公表し、翌年1月から月刊機関紙の「ストラーレンテレックス/放射線テレックス」で定期的に記録公表してきました。この機関紙は今でも定期刊行されており、一貫して最も信用される専門誌として定着しています。
トーマスさんは当初からの編集長です。また1999年からは東独出身で高名なセバスチャン・プルークバイル博士(医学物理学)が協会の代表となり、編集にもかかわっています。(現在彼は日本を訪問中ですが、報道で流布している名字のPflugbeil をプルッグベイルと表記するのは間違いです)

彼は、東独の時代に政府批判で物理学の学位を拒否され、統一後博士となった経歴があります。1989年の東独の民主化をもとめる「新フォーラム」には立ち上げから参加し、歴史的な非暴力民主革命(壁の崩壊)の中枢となりました。壁崩壊後は東ドイツ最後の政権で無任所大臣となり、東独に建設されていた彼の故郷でもあり、大学もあるグライスヴァルトの原子力発電所の資料を整理し、統一後に旧東独の原発を全廃に持ち込む基礎を作り上げました。このおかげで旧東ドイツ地域は、西ドイツに先立って核兵器も含む完全な非核地帯を実現したのです。(これについては、梶村「政権を揺さぶるドイツ反原発運動」『世界』2011年1月号で触れています)。

会議で司会を務めるプルークバイル博士
 また、ドイツ統一後に「チェルノブイリの子どもたち/ Kinder von Tschernobyl」という市民団体の代表として、主にベラルーシの被曝した子どもたちのドイツでの治療と保養に奔走しました。
日本でも多くの市民団体が同じようにチェルノブイリの子供たちを日本へ招待しましたし、まだそれも続いていますが、それらの多くが、このドイツの市民運動の経験から学んだことは少なくありません。ドイツでもこの運動は根気よく継続されています。多くの子どもたちの命が救われ、健康がたもたれたことでしょう。

確か1994年、高木仁三郎氏が合いたいとおっしゃるので氏をご自宅に訪ねたことがありますが 、それが直接お会いしたはじめでした。高木氏も信念の人で頑固者でしたが、プルークバイル氏も高木氏に輪をかけたような頑固で誠実な人物ですので、この会談はなかなか印象深いものでした。日独の反核の巨人の出会いであったことは間違いありません。その時の写真がないのは残念です。
フクシマ事故について報告する筆者


さて放射線防護協会は、厳しい財政難にもかかわらず、2006年に続いて、今年も世界中から専門家を招いてチェルノブイル25周年国際会議を開催しました。
旧ソ連邦からの参加が多いので、いまだに旅費などを主催側が負担することになるからです。20年以上に渡って頑固に運動を続けているドイツの知識人たちには頭がさがります。
今年の会議は4月6日からでしたが、直前になってトーマスさんが、また電話で「君がフクシマの現状について会議の冒頭に報告する予定を急遽プログラムに入れたから、よろしく頼む」と言ってきました。今度は専門家ではないと言って断れないので承知しました。事故直後からは取材される立場になっていたので、原稿もなしにメモだけで話したのですが、フクシマ事故に直面している日本の情勢を述べた後で「このような事故を起こしたことを、日本人の一人として、また大事故が起こることを知っていた人間のひとりとして、わたしは深く恥じています」と述べました。
後で、フランスのルモンドディプロマチックの高名な女性記者が「感動したので書きます」と言っていましたが、どうなったのか。

この専門家の会議では、難解な議論が多いのですが、数人のロシアとウクライナの医師たちの報告に、被曝地帯では、精神障害だけでなく事故後生まれた子どもたちに知能障害が増加しており、これは胎内被曝などによる脳神経障害であるとの報告は、やはり衝撃的でした。このことは、上記のドイツのテレビで松井医師もひと言だけですが触れられている通りです。
これが、25年後のチェルノブイリの現状です。フクシマの事故とその影響はまだ始まったばかりなのです。ほんの今しがた始まったばかりなのです。事故の本当の影響はこれから真綿で首を絞めるように、とてつもない時間と空間の次元で日本と世界を襲います。
このような、人間の通常の知覚では捉えきれない災害の危険性を、まずはきっちりと認識しない限りは、まともな対策など立てることは到底できません。

 ドイツ放射線防護協会:
 http://www.strahlentelex.de/

機関紙が最近電子化されたそうです。同紙はかなり以前から携帯電話などの「電磁波スモッグ」についても詳しいレポートを続けていますのでその専門家にも必読文献であるとのことです。是非購読して下さい:
http://www.strahlentelex.de/aktuell.htm

チェルブイル25周年国際会議のアブストラクト(82ページ)は主に英独語で
ここでダウンロードできます:
http://www.strahlentelex.de/tschernobylkongress-gss2011.htm

(10月13日追加)
日本の市民運動が協賛し、松井医師、プルークバイル博士たちも参加した、10月12日の東京での会議の資料がここでかなり豊富に読めます。ご参考まで:
http://www.crms-jpn.com/art/140.html

2011年10月8日土曜日

読者のみなさまへ

いつも、この「反核覚え書き」を読んで下さり感謝いたしております。
読者のみなさまへ、お知らせとお詫びです。

このブログは、フクシマの事故、というより文字どおりの「自殺行為」で未曾有の危機の体験を「真綿で首を絞められる」ように続けざるを得ない窮状にある日本へのドイツからのささやかな通信です。
本来ならば、日本のしかるべき雑誌などに書くのですが、事の深刻さと、それだけではインターネットによるグローバル化の時代には追いつけないので、本来の寄稿などをあくまで「補足する覚え書き」のつもりで初めました。
特にプリントメディアより現場からの写真が豊富に使えるので、百聞は一見にしかずで、この点はネットならではの強みです。5月に始めてから、読者のみなさまのおかげで、アクセス数は次第に増えて先月の9月は1万回に近いレヴューにまでなっています。

これから次第に内容も充実させようと考えています。ドイツの現状の報告だけではなく、もっと深い考えなども本来は書き込みたいのです。例えばギュンター・アンダースの考察をたたき台にした「反核の哲学への覚え書き」などは当初からの目的です。
それへの準備として、ドイツの脱原発についての長い間の雑誌などへの寄稿を資料庫で補足することも考えています。というのはそれら「本体」抜きにしては、ここでの覚え書きもしっかり理解していただくことが難しいからです。読者の中にはちゃんとそれも愛読して下さっている方もいらっしゃるようですが、少数であることに気づきました。日本では既成のプリントメディアとネットの情報の乖離が非常に大きいことも、これを始めてやっと知りました。ドイツではインテリの間では、やはり既成メディアが本体で、ネットはあくまでその補足であるのが普通です。新聞情報でもネットでは得られない重みがあります。

ただ、わたしのパソコンは筆者同様すでにかなり古くなっており、そろそろ買い換えの時期です。自慢ではありませんが、家族の中で一番古いパソコンを駆使しているのがオヤジです。なにしろわれわれ老夫婦は、娘や息子から古着をもらって着用し、それを「お上がり」という家族内の符牒まであるのです。

また普段は原稿を書くのとメール通信ぐらいにしかパソコンを使わないので、全くのデジタル音痴で、このブログの開設も遠くに住んでいる大学生の息子の世話になったのが現実です。そのため、読者の皆さんのコメントに満足にお返事もできない技術水準です(それが何故かサッパリわからない)ので、失礼もあろうかと思いますが、この点ご容赦くださるようお願いいたします。

以上、お知らせとお詫びまで

頓首 筆者

2011年10月5日水曜日

37:ドイツ公共放送フクシマの下請け労働者の実情を報道(追加あり):シュピーゲル誌「正力松太郎のスパイ名はPodam」

 ドイツのメディアがフクシマの労働者の実情を報道し、また事故に至る歴史を詳しく報道しています。
 1)
ドイツの公共放送第二テレビZDFがフクシマの原発下請け労働者の苛酷な状況を報道しました。10月4日の「フロンタール21」という批判的報道番組のなかで、フクシマ第一の3名の下請け労働者が匿名でインタヴューに応じ、東電が日当をひとりにつき10万円支出しているのに孫請けでは1万円足らずの賃金になり、非常に高い放射線量の現場で命懸けで働いていることを証言しています。
また「報道関係者に労働現場について話すことを禁止する」とある雇用契約書も放映しています。内部被曝の専門家である松井英介医師の証言もあります。


http://www.zdf.de/ZDFmediathek/beitrag/video/1457128/Frontal21-Sendung-vom-4.-Oktober-2011?bc=sts;stahttp://frontal21.zdf.de/ZDFde/inhalt/30/0,1872,8355070,00.html
この45分番組の4番目にでてきます。

以下はこれの予告です:

http://frontal21.zdf.de/ZDFde/inhalt/30/0,1872,8355070,00.html

Mangelhaft ausgebildet, ungenügend ausgerüstet - Arbeiter in Fukushima

Mangelhaft ausgebildet, ungenügend ausgerüstet - so schickt TEPCO Arbeiter in das havarierte Atomkraftwerk von Fukushima. Mit umgerechnet rund 1000 Euro pro Arbeiter und Tag kalkuliert der Stromkonzern. Bei den zumeist über Sub- und Subsubunternehmen angestellten Arbeitern kommen in manchen Fällen nicht einmal 100 Euro an. Die Katastrophe in dem Kraftwerk habe ihnen alles genommen, erzählen drei Arbeiter Frontal21. Doch wenn sie nicht helfen, TEPCO zu retten und das Unternehmen bankrott geht, wer zahlt ihnen dann eine Kompensation für ihten Einsatz unter Lebensgefahr?
Japans Arbeits- und Gesundheitsministerin wollte auf Fragen zu den Arbeitsbedingungen in Fukushima nicht antworten. Wer lächelt, schützt sich vor radioaktiver Strahlung, sagt der Gesundheitsberater der Präfektur Fukushima.

ーーーーーーーー
この報道についての10月8日の追加です:
さっそく日本語字幕付きでユーチューブで観ることができます:
ドイツZDFテレビ「福島原発労働者の実態」
http://www.youtube.com/watch?v=aAE-QBmC1VA

なを、わたしの得た情報ではJヴィレッジあたりの映像は放送数日前の極めて新しいものです。


ーーーーーーーーーーーーー

 2)
もうひとつシュピーゲル誌が別冊の歴史シリーズで「日本特集」を先週発刊しましたが、この中で
「悪い爆弾、良いアトム」と題して、日本のヒロシマからフクシマにいたる歴史をかなり詳しく描写しています。
面白いのは日本の最近の外交文書研究を引用して、戦犯であった読売新聞のオナーの正力松太郎がCIAの手先となり、彼のスパイ名がPodamであったことまで紹介しています。さらにその正力の手先としての中曽根康弘の「活躍ぶり」も詳しく述べ、いかにして政治家と専門家がぐるになった原子力村の宣伝により世論が「原発安全神話という人生の嘘」を信じ込んだかをまとめています。

こんなことまでシュピーゲル誌に書かれたら、読売の記者は恥ずかしくてヨーロッパだけでなく海外では仕事がしずらいことでしょうね。
戦犯がCIAの手先となり総理大臣にまでなった国ですから、不思議でもなんでもないのですが、恥ずかしいことです。


http://www.spiegel.de/spiegel/spiegelgeschichte/index-2011-5.html

この目次からの抜粋です:

102
Böse Bombe, gutes Atom: Etwa 200 000 Japaner starben 1945 durch die Bomben von Hiroshima und Nagasaki, aber schon bald danach baute das Land Atomreaktoren in Serie. Politiker und Experten schufen eine Sicherheitslegende, die in die Katastrophe von Fukushima führte.
この部分をクリックするとこの部分だけをネットで購入できます。

このふたつの報道だけでもフクシマ原発現場の苛酷な現状とそれに至る嘘の戦後史が勉強できます。
相変わらず「知らぬは日本人ばかりなり」のようです。第二次大戦中とそっくりですね。「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として二度目は喜劇だ」とも言いますが、全く情けない次第です。