2013年2月24日日曜日

150:第63回ベルリン国際映画祭の背景と日本の2人の監督(上)遵守実践される憲法第1条

(上)映画祭の社会的背景 

シンチ・ロマの追悼記念碑

 今年のベルリン国際映画祭も終わりましたが、その社会的背景と招待された日本の2人の監督とその作品について述べます。
長くなるので、今日は(上)として、社会的背景について書きます。
なお、この映画祭の歴史的背景については昨年紹介した、→こちらをお読み下さい。

映画祭が始まる前日の2月7日は、この季節ベルリンでは滅多にない快晴で、風邪もまだ完治してなかったのですが、国会内での用件もあったので起き上がって出かけた日の午後に撮影したのが、この写真です。
巨大な国会議事堂の南側と道を隔てた公園の入り口近くに噴水のような円形の鉄製の水盤があります。ブランデンブルク門の直ぐ近くです。
普段は水が流れて周りに少しづつあふれているのですが、この日は零下7度ほどですので凍結のため止められた水面にドイツ国旗と欧州同盟旗がなびく議事堂が映っていました。
この水盤の中心にある正三角形の島には、この時は小さな赤い花が置かれています(写真上)。この花は毎日休みなく、定時に二度取り替えられます。すなわち生花が絶えないように守られているのです。
日本にはほとんど報道されていないようですが、この施設は昨年の秋が深まった10月24日に政府主催の除幕式が執り行われた「国家社会主義で虐殺されたヨーロッパのシンチ・ロマ 追悼記念碑」です。
ドイツ連邦政府のこの日の式典の公式記録はこちらです(詳しい→ドイツ語、簡略な→英語)。ドイツ語のほうではこの式典の動画も含め、メルケル首相の演説も読めます。

 ナチスはその人種主義イデオロギーでユダヤ人だけでなく差別用語でジプシー(英)・チゴイナー(独)と呼ばれていたヨーロッパのシンチ・ロマ民族も劣等民族と決めつけました。その結果、強制収容所などでおよそ50万人が虐殺されています。

 国会決議を経て、政府予算の約280万ユーロ(およそ3億5000万円)の経費でようやくベルリンの中心にこの記念追悼碑が完成するまでには、ここからあまり遠くない場所に、2005年に完成し、今ではベルリンの観光の目玉にまでなっている有名な、ユダヤ人追悼記念碑が出来るまで以上の、長い困難な歴史があります。

Romani Rose,Silvio Peritore 22.10.2012 Berlin.T.Kajimura
これをライフワークとして実現した中心人物が、この写真の左の→「ドイツシンチ・ロマ中央評議会」代表のロマニ・ロゼ氏です。わたしはずいぶん昔からこの方と既知なのですが、除幕式を前に本拠地のハイデルベルクから記者会見のためにベルリンへやって来た22日に、久しぶりにお会いしました。会見を前に早速嬉しそうに「私の後継者です」と紹介されたのが右のシルビオ・ペリトーレ氏です。この若い後継者はイタリア生まれの移民労働者の息子さんで、ドイツ育ちのシントー(シンチの単数系)で、博士号をとったので論文を読んでくれとのことです。自己紹介を聴いてわたしもとても嬉しくなりました。公の場ではめったに笑顔をみせないロゼ氏の表情にも喜びが出ていますね。

詳しい解説は出来ませんが、ユダヤ人の陰で、ロビーもなく、戦後も差別がいまだに続いているシンチ・ロマの代表として ロゼ氏がようやくドイツ政府から代表として当時のヘルムート・シュミット首相から首相官邸での公式会談へ招待されたのは1982年のことです。彼はそれから31年かけてようやくこの追悼記念碑を実現したのです。

追悼記念碑除幕の模様がドイツメディアを挙げて大きく報道されたのは言うまでもありません。この施設はもちろん巨大なユダヤ人追悼記念碑とは規模は違いますが、非常に優れたもので、ロゼ氏が望んだ「静かに黙祷が出来る場」となっています。

ボスニアの「鉄くず拾いのエピソード」

さてなぜベルリン映画祭の社会的背景の解説に以上のことを紹介するのは、理由があるからです。
今年のベルリナーレで上映された映画についてフォーラム部門のチーフのクリストフ・テルへヒト/Christoph Terhechte氏は、プログラムの紹介誌の前文の冒頭に次のように書いていますので訳出します:

「新自由主義の宣伝が、金融危機から緊縮財政の段階を経て第一世界から第三世界までの隅々までに及んでいるこの時代には、芸術にはその現状の把握と居場所の諸規制を決定する試みが要請されている。今年のプログラムにある多くの映画が、政治的指針の喪失が生活条件と人間心理に及ぼす影響を診断している。いわゆる危機諸国からの映画が来ており、その多くがドキュメント、あるいはノンフィクションのハイブリッドであり、それぞれの方法でグローバルな経済状態が人々の共生に及ぼす影響を採り上げている」

ドイツ人らしい文章ですが、まさにこれが、フォーラム部門だけでなく中心のコンペ部門の映画の今年の基調でした。そして、コンペ部門での受賞作品もそのような作品であったのです。

 最高の金熊賞は、経済危機で貧富の差が極端になっているルーマニアの裕福な家庭の母親が、交通事故で子供を殺した息子を、賄賂をつかって救おうとする作品「チェイルズ・ポーズ」が獲得しました。
 また今回の授賞でメディアでも妥当であると例外なく喝采を受けたのが、金熊賞に次ぐ審査員グランプリと主演男優賞を獲得した、まったく素人の一家を主人公にしたボスニアの映画です。わたしは、残念ながら風邪でこれを見逃したのですが、幸い映画の鋭い目利きである時事通信の東敬生ベルリン支局長が、この作品について時事通信の有料サイトで次のように、取材して適切な解説をしていますので引用させていただきます:

【ドイツ】時事ベルリン支局 東 敬生
ロマ家庭追うボスニア作品2冠=苦境を自ら再現-ベルリン映画祭  


  17日に閉幕した第63回ベルリン国際映画祭で、ボスニア・ヘルツェゴビナの少数民族ロマの貧困家庭の苦境を描いた作品が2冠に輝いた。製作費はわずか1 万7000ユーロ(約210万円)、撮影期間は9日間。大金を投入しなくても、社会の矛盾をえぐり、観客の問題意識を喚起する映画が作れることを実証し た。

 親戚、隣人も出演
 ボスニア内戦を取り上げた「ノー・マンズ・ランド」でアカデミー賞外国語映画賞やカンヌ国際映画祭脚 本賞を受賞したダニス・タノビッチ監督の最新作「アン・エピソード・イン・ザ・ライフ・オブ・アン・アイアン・ピッカー(くず鉄拾いの生活の中のある出来 事)」。最高賞の金熊賞に次ぐ審査員グランプリに加え、最優秀男優賞を獲得した。
 きっかけは2011年に監督が目にした新聞記事だった。くず鉄 を集めて生計を立てている貧しいロマの家庭で、妻が流産する。しかし、健康保険に入っていないため、病院は高額の費用を支払わなければ手術できないと突っ ぱねる。妻の体調は日を追うごとに悪化。幼子2人を抱えた夫婦は次第に追い詰められていく。
 

 監督は、実際にこの体験をした家族を出演させるという大胆な試みに挑戦した。家族は当初は渋ったというが、カメラの前で見事に自分たちの苦境を再現。家族を支援する親戚や隣人も実在の人物たちが好演した。
 男優賞を受賞した夫のナジフ・ムジッチは記者会見で、今も保険はなく、「その日暮らしの生活を送っている」と明かした。一方、手術を拒否された妻のセナダ・アリマノビッチは「とてもつらかった。誰にも同じ体験をしてほしくない」と語った。

  

主演男優賞の銀熊賞を手にしたムジッチ氏

 ヨーロッパには東欧諸国を中心に推定で1200万人のシンチ・ロマがトランスナショナルな少数民族として生活しており、冷戦後の内戦を含む混乱とグローバル経済危機のなかで、差別も増大し、いくつかの国では極右団体による、中世以来のポグロムのような集団虐殺まで起こっています。
これへの対処が上記のロゼ氏らの大きな現実的課題となっています。


ムジッチ一家とタノビッチ監督

引用の解説にあるように、監督の能力もさることながら、わずかな経費で、短時間で、しかも全くの素人が登場するこの作品が、ベルリン映画祭で2冠をさらうのは驚くべき出来事です。
映画祭の期間中は、ベルリンの地元各紙は連日、前日のコンペ部門で上映された作品の評価を競って掲載しますが、この作品だけはぶれなく高い評価を受けていました。

ですから授賞の発表で喝采されたのは自然でもあったのです。
左の写真は授賞式の翌日の監督と主人公家族の記念写真ですが、作品の撮影時にお腹の中にいて共演し、その後無事に生まれた赤ん坊も一緒にスターとして祝福されました。


 この映画の成功がボスニアのロマたちをどれだけ励ますものかは、予想できませんがボスニア・ヘルツェゴビナの社会全般に良い影響を与えてほしいものです。

この作品を国際映画祭で高く評価し、喝采するドイツ社会の背景には、自らの苦い歴史的体験を直視し、それを記念碑で長く記憶しようとする人々の努力があるのです。

そして、大は追悼記念碑の実現、小はこの映画の高い評価も他ならぬ、ドイツ憲法(基本法)第1条にある、第1項「人間の尊厳は不可侵である、これを尊重し、かつ保護することはすべての国家権力の義務である」 、及び同2項「ドイツ国民は、それゆえに世界におけるそれぞれの人間共同体、平和および正義の基礎として、不可侵で譲渡することのできない人権を認める」との条項の社会を挙げての遵守と実践であるのです。

以上今年のベルリン映画祭の社会的背景の解説とします。

なを、ボスニア放送のサイトでは、わたしは言語が理解できないのですが、主人公のムジッチ氏が銀熊トロフィーを手に故郷の村に→凱旋する写真と動画が見られますので紹介しておきます。










2013年2月22日金曜日

149:安倍晋三首相訪米は共同記者会見抜きの喜劇に終わるか。Japan is backとはよくも言ったり!/追加;爺さん以来の忠犬晋三の喜劇の一幕

 2月25日追加です。
 訪米を終えて帰国した安倍首相は、予定通り新しい日銀総裁の選定や、TPP参加への手を打ち始めましたが、ここで今回の首脳会談を振り返ってみますと、オバマ大統領に露骨なまでに冷遇された理由が明らかです。
彼は安倍氏をアメリカの忠犬晋三として処遇したのではなく、伝統的な共和党系CIAの忠犬として処遇したのであることが判ります。冷淡なわけです。日本政府は首相夫人の訪問同伴も要請したようですが、大統領夫人の都合を理由に断られたとの報道があるのも納得できます。

 この忠犬ぶりを見事に現したのがCSISでの英語での演説ですが、これは昨年8月15日、敗戦記念日に出された第3次アミテージ・ナイ報告への、忠犬でしかできない回答となっています。安倍氏は" I am back,and so shall Japan be"と述べて、アミテージらの喝采を受けて、悦に入っていましたが、これは"Your dog is back,and so shall Japan be"と受け止められたからなのです。

 以下の記録を見ればこのことががよくわかります:
2012年8月15日、第3次アミテージ・ナイ報告:
→原文と動画、→報告の全文翻訳

2013年2月22日、安倍晋三首相の演説:
→原文と動画、→官邸の公式日本語

以上追加します。
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  日本時間22日早朝の追加です。
  予想したとおり、日米首脳会談の正式な記者会見はなく、大統領執務室での会談のあと、両首脳のステートメントだけに終わりました。
首脳会談のあとの談話。AP
同時にTPPに関する両政府の共同声明が発表されましたが、「結論に制限をかけず交渉を始める」との内容で、日本が交渉に参加することを表明したことになります。 決して1部のメディアは伝えるように「例外があることを米側が認めた」内容ではありません。
外交交渉はあくまで力関係です。これで日本は交渉に引きずり込まれました。これが安倍訪米のアメリカへの最大の手土産です。TPPの新植民地主義については→郭洋春立教大学教授の見解が参考になります。

さらに驚くべきことに、この場で安倍首相はNHKによれば:

「日 米同盟を強化する方向性、さまざまな課題について話をした。認識、具体的な政策、方向性に おいて完全に一致することができた。『日米同盟の信頼、強い絆は完全に復活した』と自信を 持って宣言したい」と述べました。

とのことです。この人物の劣等感をこれほど明確に表現した言葉はありません。
この場での、これを語る安倍氏の姿は、祖父の岸信介首相以来の、強力な反共国家アメリカの東アジアにおける忠犬晋三としての強がりを表明する実に情けないものです。
日本の戦後保守政治家の対米奴隷根性をこれほどホワイトハウスで顕著に表現した政治家はこれまでいないでしょう。これは「別れた恋人とよりが戻ったと」宣言したものの、目の前の相手が「その通りです」とは言わないような場面です。おそらくオバマ大統領は内心で「君は爺さん以来の可愛い忠犬であり、対等の友人でもなければ、ましてや恋人ではないよ」と苦笑し、軽蔑したことでしょう。忠犬晋三のやらかした喜劇の一幕でした。

かつての同じ敗戦国であるドイツの対米関係では、決して見られない場面です。冷戦時代にはドイツは、対等関係までを求めはしませんでしたが、決して半植民地的な忠犬ではありませんでした。アデナウアーと岸信介の根本的な違いがここにあるのです。

これで、中国、また韓国との関係は増々悪化するでしょう。
以上追加です。

23日の再追加です。
今回の訪米で安倍首相がいかにオバマ政権に「冷遇」されたかを、→中国国際放送の記者がワシントンから伝えています。この冷遇がワシントンから北京への明確なメッセージになっていることがよく現れています。
オバマ政権の広報政策は、通常は現地の記者たちが辟易するほどの過剰サービスで知られているのです。 それが今回はまるで違っていたことに現場の各国の記者たちは、ひたすら驚いているのです。
またCSISでの「日本は戻ってきました」と題するアミテージらを前にした英語での演説(→公式の翻訳)は、まさに「二級国家」に転落しまった責任のある日本の首相が、そうはならないぞと強がりを述べている、みっともない作文です。言っていることといえば、大借金をして経済再建を行う、金はないけれど軍備だけは拡張するということだけです。こんな首相では、日本はますます孤立し、経済も本格的に二級国家に転落することは眼に見えています。
 それにしても、この安倍晋三という人物の喜劇的自己陶酔ぶり(ドイツ語ではNabelschauと表現します)にはここでも鼻つまみもので、辟易さされますね。

全体として、フクシマ事故への反省や世界への謝罪は、訪米を通じて一言もなかったようです。情けない限りです。
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  本日2月21日の南ドイツ新聞に、Neihart・ナイハルト東京特派員の記事が「誤解の関係/日本の安倍首相が就任の訪米をする・彼はアメリカとの同盟を発展する中国に対抗する防波堤と理解している」との見出しとリードであります(今のところネットでは読めません)。同記者はすでに先月、安倍氏のポートレイトで祖父、岸信介元首相がCIAの資金でヤクザを雇ってまでして日米安保条約を締結した歴史を報道しています(時間あれば翻訳しようと思っています)。
 
 今回も祖父以来の日米関係にノスタルジーを抱く安倍首相の訪米とオバマ政権の認識の齟齬に関した記事です。わたしが驚いたのは文末に「オバマは1月に『最も近い同盟者』の就任訪問に時間を割くことができなかった。そして今、大統領は首相との恒例の共同記者会見を拒否した。これらはシグナルなのか?」とあるではないですか。
何も、日本の首相の米大統領への就任訪問だけでなく、世界ではよほどのことがない限り、就任訪問では首脳の共同記者会見がもたれるのが外交儀礼ですらあります。

 そこで、ネットで見ると唯一本日の沖縄タイムスに→次のような報道がありました。

日米首脳会談後共同会見見送


平安名純代・米国特約記者】米ワシントンのホワイトハウスで22日に開かれる日米首脳会談で、安倍晋三 首相とオバマ米大統領が会談後に開く予定だった共同記者会見が見送られることが19日までに分かった。首脳級会談で共同記者会見が見送られるのは異例。米 政府筋が本紙の取材に対して明らかにした。

 米政府筋によると、見送りは米側が要請した。当初、米側は首脳会談で日本の環太平洋経済連携協定 (TPP)への参加表明に対する期待を伝えていたものの、日本から困難との意向が伝達された。そのため、「踏み込んだ議論が期待できず、具体的な成果も発 表できないため、記者会見は不要と判断した」という。


 どうやら共同記者会見をアメリカ政府が拒否したのは事実のようです。TPPで合意が出来ないことが理由にされていますが、同盟国との首脳会談がたったひとつのイッシューの意見の相違で記者会見もしないなどということは、まったくあり得ないことです。
わたしもドイツの首相府で頻繁にある首脳会談後の共同記者会見を日常体験していますが、それがないということは、外交儀礼的にはいわば「お客にお茶も出さない」ことと同じです。 常識ではあり得ない失礼な扱いとなります。

 
 他の報道では、アメリカの記者たちが記者会見を行うように申し入れしているとのことです。本当の理由と、実際にどうなるかは明日の会談を待たない限り判りませんが、ホワイトハウスの会談室での会談後の簡単な両首脳のコメントだけに終われば、これは立派な、日米外交史のスキャンダルとなるでしょう。

 わたしの見方では、オバマ政権は安倍政権を、初めから見限ってしまっていることの現れであると思います。2007年4月の第一次安倍政権の時の、ブッシュ大統領との訪問の際は、キャンプデービットで首相夫妻は丁重にもてなされ、もちろん共同記者会見も行われたことは、→首相官邸の記録にあるとおりです。

 この記者会見でも安倍首相は質問の終わりに「従軍慰安婦」問題での質問に答えて、日本国内とは裏腹の二枚舌の回答をしていますが、オバマ政権は、その繰り返しを容認しないのではないかとの推定も出来ます。当時の安倍内閣の外交失敗については、このブロクでも何度も紹介したとおりです。最近の批判は→ここに、第一次政権批判は→ここを参考にして下さい。
 
 当時からまったく変わらず、何も学ばず、増々右傾化した第二次安倍政権は、そのアベノミクスと呼ばれる経済政策でも世界のお荷物になっていることは、先のモスクワG20財務相会談でも明らかで、舞台裏でさんざん批判されたことは日本のメディアがきっちり報道しないだけです。
 
 ブッシュ大統領とはまったく異なるオバマ氏はおそらく、オフレコ会談で冷淡に厳しく安倍氏を批判するのではないかと思われます。
第一次訪米は歴史修正主義者の悲劇でしたが、第二次はどうやらその喜劇に終わりそうです。そうなることを防ぐための共同記者会見の見送りであれば、アメリカ政府の、ワシントンでせめて恥をかかせないための配慮なのかもしれません。

 また安倍首相は訪米中に、悪名高いシンクタンク戦略国際問題研究所・CSISで、" Japan is back "と題する講演を行うそうですが、まさによくも言ったりですね。この表題が、それだけで安倍氏の反動性を表現していると世界では解釈されてしまうことにさっぱり気付かないこと事態が、すでに立派な喜劇なのです。
  これは出来の悪い政府を持つ国民にとっては立派な悲劇なのです。




2013年2月17日日曜日

148:ベルリン映画祭で池谷薫監督「先祖になる」が全キリスト教会賞受賞。その背景の一場面の報告。追加:バチカン放送なども報道

2月21日にさらに追加します。
池谷監督から先ほどメールがあり、転送歓迎とのことですので、以下引用します。ガンコ親父の佐藤直志さんの受賞へのコメントがあります。

【転送大歓迎】
BCCでメールを差し上げる失礼をお許しください。
まだまだ寒い日が続きますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

今日はうれしいご報告をさせていただきます。
『先祖になる』が第63回ベルリン国際映画祭フォーラム部門で、キリスト教団体が選出するエキュメニカル賞の特別表彰を受けました。
1992年に創設されたベルリン映画祭のエキュメニカル賞は、独立した部門賞の一つで、プロテスタントとカトリック教会の国際映画組織
「INTERFILM and SIGNIS」によって選出された6人の審査員で構成されています。
公式サイトに掲載された審査員のコメントをベルリン在住のフリー・ジャーナリスト・梶村太一郎さんの翻訳により紹介します。

「2011年の津波大災害後の印象深い新たな始まりの一例に対して。この映画の中心にはひとりの年老いた米生産者が立っており、
彼は家の再建への力を、彼のふるさとの豊かな霊的伝統(精神的な文化遺産)から汲み取っている」

梶村さんの解説によれば、ガンコ親父の力の源泉が日本の宗教的な伝統にあるとキリスト教徒審査員が評価したことになります。
ワールドプレミア上映の際の観客の反応は、とても温かなもので、ベルリン市民の心に『先祖になる』がしっかりと届いたことを実感していましたが、
まさかこのような栄誉ある賞をいただけるとは思いもよりませんでした。スタッフ一同、喜びと感謝の気持ちでいっぱいです。
なお、ベルリン映画祭での日本映画のエキュメニカル賞受賞は初めてのことだそうです。
受賞の知らせを早速、主人公の佐藤直志さんに伝えたところ、「当たり前のことを当たり前にしているだけなのだがにゃあ」というコメントが返ってきました。

2/16から渋谷シアター・イメージフォーラムで上映がスタートしました。
来月には岩手での公開(3/9から宮古・みやこシネマリーン)も控えています。
ひとりでも多くの人にご覧いただくため、これからもスタッフ一同気を引き締めてまいります。
引き続き応援よろしくお願いいたします。

感謝を込めて

池谷 薫


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 2月17日の追加です:本日この授賞について、→バチカン放送も報道。またスイスのカトリック教会もポータルで→授賞理由まで詳しく報道しました。バチカン放送は日本ではなじみは薄いですが、実は「ローマ法皇と世界教会の声」ですから、世界で最も権威のある放送で、バチカン公国にはキリスト教徒の多い諸国からの専門特派員がいます。

 また、このベルリン映画祭でのエキュメルカル賞の授賞の記録を調べたところ、これまでアジアの映画は、中国、香港、台湾、韓国の作品は受賞していますが、日本の映画としては史上初めてであることを確認しました。以上追加します。
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  2月16日、終了日を前にした第63回ベルリン国際映画祭で、池谷薫監督「先祖になる」が、独立賞部門のひとつ→エキュメニカル賞(新旧キリスト教会合同賞/全キリスト教会賞)フォーラム部門の副賞を受賞しました。日本映画がこの賞を得るのは極めて稀なことではないかと嬉しく思います。

 巨大な映画祭であるベルリナーレでは、主催者の公式部門の賞だけではなく、多くの独立系の審査賞があり、これもそのひとつで1992年度から設けられています。
受賞の理由は以下の通りですので、上記映画祭公式サイトから翻訳しておきましょう。
  

Lobende Erwähnung:
Senzo ni naru (Roots)
by Kaoru Ikeya


Jurybegründung:
Für dieses beeindruckende Beispiel eines Neubeginns nach der Tsunami-Katastrophe im März 2011. Im Zentrum des Films steht ein alter Reisbauer, der die Kraft für den Wiederaufbau seines Hauses aus der reichen spirituellen Tradition seiner Heimat schöpft.



賞賛の辞:
先祖になる
池谷薫作
授賞の理由:
この2011年3月11日の津波大災害の後の、印象深い新たな始まりの一例に対して(授賞する)。この映画の中心にはひとりの年老いた米生産者が立っており、彼は家の再建への力を、彼のふるさとの豊かな霊的伝統から汲み取っている。

すなわち、主人公の77歳の自他ともに認める「ガンコ親父」の力の源泉が日本の宗教的な伝統にあると、キリスト教徒審査員が評価したのです。真言宗の門徒でもあり、地元の伝統の祭りである
けんか七夕の世話役でもあり、また古い歓喜仏の継承者でもあり、自ら伐採した建材を山岳信仰の山伏たちのお祓いを受ける佐藤直志老人の霊力をキリスト教徒も高く評価したものです。
わたしも、2度鑑賞 しましたが、それだけの表現力のある作品であると思います。
繰り返しますが、日本の映画がこの賞を得るのは稀だと思われます。映画祭前から→推薦したわたしも大変嬉しく思います。

16日から日本でも公開されていますので、特に東北の被災地の皆さんに見ていただきたいと思います。
被災地では、大津波で一切を失った多くの人々が、いまだに大変に生き辛い立場に追い込まれたままの状態のようです。そのような被災者の多くには、映画の中の言葉を借りれば「当たり前のことをやっている人」である佐藤老の生き様が、大きな励ましになると思われるからです。

さて、この作品は2月13日の映画祭で世界初公開されました。そのときのエピソードを紹介しておきましょう。
西ベルリンの伝統的映画館での上映が終わるとほぼ満席の観客からの長く温かい拍手が続きました。ベルリンの映画祭でもいつもこのようにはなりません。

拍手がおさまると、恒例のフォーラム部門の司会者と観客との質疑応答が行われました。
 そこで、池谷監督は「まずはベルリンの皆さんへお知らせしたいことがあります」と、主人公の佐藤直志さんのメッセージを紹介しました。





上の写真がその場面ですが、池谷監督とは25年の相棒である、福居正治カメラマンも壇上で、ここでもカメラを回しています。

映画の中でも佐藤老の毛筆の達筆ぶりがでてきますが、このペン字の「ガンコ親父」ですから始まる文章も書体ものびのびとしていいですね。

左の写真は「先祖になる」のFacebookからお借りしました。
これが英語で通訳されました






さて、質疑応答が続けられるなかで、思わぬ場面の展開がありました。

 ある質問に答える中で、池谷監督がカメラを回している福居さんに「剛君のこと話していいかな?」と尋ねたのです。
カメラを回しながら軽くうなずいた福居さん見て、監督は「実は福居さんはこの映画のロケが始まる時には、30歳の息子さん剛君を病氣で失ってから間もない時だったのです。だからお願いするのを躊躇したのですが、引き受けてくれました」と語りはじめ監督の声はふるえだし、「その福居さんが、同じ津波で息子さんを失った直志さんを、カメラを通して見つめたのです」と続け、すっかり滂沱となったのです。
これはベルリンの観客に心が通じたことを彼が確認したからでこそできたことでしょう。
 その証言が通訳されている場面がこれです。司会のドイツ人女性も涙を懸命にこらえています。幸い通訳がとても気丈夫なので何とかなりました。
 そして促されて、福居カメラマンも、この運命的な撮影の体験とお礼を述べたのです。陰の功労者です。

したがって、この映画は若い息子を失ったばかりの主人公を、同じ体験をしている父親のカメラを通して出来たものなのです。
客席を見れば、この優れた作品の出来る背景を知った観客の多勢が涙を誘われていました。これはこの映画祭でも滅多にない感動的な光景でした。

 そしてこれを書きながら思うのですが、ひょっとしたら、いやおそらくは、エキュメニカル賞の審査員もこの日の観客の中に居たのではないかということです。メッセージにも、授賞の理由にも「霊/スピリチュアル」という言葉が出ています。(これを日本の報道は「精神的伝統」と翻訳しているようですが、これを授賞する宗教界では「霊的伝統」と翻訳するのが適当です。
  
 人の心は国境や文化や宗教を越えて伝わるものです。それを可能するのが芸術です。
日本映画は、本年この世界の舞台で、そのひとつの芸術作品を得ました。日本の作品が少なかった今回、小さな賞ですがとても貴重な受賞でした。

 以上、ベルリンからの「先祖になる」受賞のひとつの背景の報告とします。

2013年2月16日土曜日

147:またも問われる理性:隕石はロシアの封鎖核施設都市からおよそ50キロ地帯に落下。紙一重で免れた巨大核災害

 本日2月15日の朝(日本時間の正午過ぎ)、ロシアの南ウラルに隕石が落下し大気中での爆発の衝撃波で、これまでの報道でも1000人を越える負傷者と多くの物的被害を出したようです。その地上からの驚くべき多くの動画がYou Tubeに投稿され記録され、世界中で見られています。
 宇宙から気象衛星がこの隕石を捉えているので以下その写真を二枚挙げておきます。
気象衛星Meteosat10が撮影した大気圏に突入直後の隕石。中央に小さく見える。EUMETSAT15.2.2013
ロイターが配信した欧州気象衛星が捉えた大気圏突入後の隕石の動画より。同上
最初に確認された地上に到達した隕石の破片の複数の落下現場の写真は、すでに日本でも配信されています。まだまだこれから発見されるかもしれませんがロシア当局がそれと確認した最初の写真はこれです。
15日、チェリャビンスク州警察が確認したチェバルクリ市近郊の氷結した湖の隕石破片の落下現場.AFP

さてわたしが本日、ドイツ時間の朝からの報道で神経を使ったのは、隕石が落下した南ウラルのチェリャビンスク州には、世界中でも悪名高い旧ソ連時代に建設され、巨大な汚染事故をたびたび起こして現在でも核燃料再処理施設などが稼働している閉鎖都市オジョルクスの核兵器製造コンビナート・マヤク(マヤーク)があるので、それへの影響です。一つ間違えばフクシマに匹敵するか、さらにそれを上回る最悪の事故になるからです。下の図をご覧ください。


キュシュテム惨事で汚染された地域と汚染度図Ci/平方キロ 出典→wikipedia

 1957年にここで起こり、冷戦下長期にわたり極秘にされていたいわゆる「キュシュテムの惨事」と呼ばれることになったマヤクの汚染事故について日本語の原子力村のシンクタンクである高度情報科学研究機構は→以下のように書いていますので1部引用します。
   
1957929日にラルチェリャビンスク-65チェリャビンスク市北北西71kmキシュテム15kmに位置するマヤク核兵器生産コ ンビナート再処理施設で高レベル硝酸アセテート廃液入った液体廃棄物貯蔵タンク冷却系統が故障したために加熱による化学的な爆発がおこり タンク内核種7.4E17Bq2,000キュリー9割が施設とそ周囲に1割にあたる7.4E16Bq200万キュリーが環境 中に放出されチェリャビンスク州スヴェルドロフスク州チュメニ州などテチャ川下流町を300kmにわたり汚染したため34,000人が 被ばくしたといわれるこれがいわゆる東ラル放射能事故East Urals Radioactive Trace EURTラル核災害ラル核惨事あるいはキシュテム事故キシュチム事故といわれるもである

またWikipediaではこの閉鎖都市について→以下のように解説されています。

オジョルスク または オゼルスク (ロシア語: Озёрск) ロシアチェリャビンスク州にある閉鎖都市でありイルヤ湖畔に1945年に造られたオジョルスクは1994年までは チェリャビンスク-65さらに以前には チェリャビンスク-40 と呼ばれた一般的な閉鎖都市名称付け方は前半が近くにある大都市名称後半番号はそ地域で郵便番号を意味している 1994年には名称が現在オジョルスクに変更され都市として存在が正式に明かされた
経済

オジョルスクはマヤーク原子力プラントに隣接しているため、依然として閉鎖都市である。マヤークは冷戦時代にはソ連のプルトニウム供給拠点の一つと して稼働し、現在はロシアの退役した核兵器のリサイクル処理も行っている。 またマヤークでは、およそ 90 km² の敷地内で 15,000 人が働いている。
マヤークの主な業務は、原子力潜水艦、原子力砕氷船、及び原子力発電所から出される使用済み核燃料の処理である。商業的には、コバルト60イリジウム192炭素14の生産、及び廃棄物を利用した放射線技術を確立する事である。

 今ではかなり知られていますが、このマヤクの核施設はその後も何度も大小の事故を起こしており、老朽化しながらも今でもロシアでは唯一の核燃料再処理施設として稼働しており、汚染地帯の人々の健康障害は、当然ながら停まることはありません。
キュシュテム惨事追悼碑

汚染地帯には今でも多くの人々が住み続けているとのことです。
57年の惨事を回顧するものは、マヤクの核施設の入り口に建てられた犠牲者の小さな追悼碑だけのようです(左の写真)。
 実は、ドイツの現メルケル政権は、まだ原発の稼働延長を目論んでいた2010年の秋に、既に廃炉になった旧東ドイツのソ連型原発から出た高レベルの核燃料廃棄物を、ソ連製であることを理由に、ここマヤクに送る計画を立てたことがあります。
ところが、それをメディアが暴き、「自国のゴミの輸出だ」と批判され、かなりのスキャンダルになり引っ込めたことがあります。その際、現地住民のルポタージュなども公共テレビをはじめ多くのメディアが盛んに伝えたものです。いくつか紹介したいのですが、煩瑣になるのでここでは止めておきます。

さて、上記の汚染図の左下をご覧ください。
汚染源のマヤク核技術施設/Kerntechnische Anlage Majakは、今日、隕石の落下で被害の出た州都チェリャビンスク/Tschelabinskから北西70キロほどにあります。この隕石は、真東から西に突入して、その他の被害が大きかった複数の都市や、破片が湖に落下した地点は、およそ南に50から60キロほどしか離れていません。
この距離は最初の写真にある大気圏に突入した隕石の角度がほんの数万分の1度ほどでも北向きであれば命中したことになります。こんなことは毬投げを楽しむことを覚えた幼児でも理解できる定理です。
ロシアのノボスチは、隕石落下から五時間ほどして→「同地の核施設は正常に稼働している」と、国営原子力企業ロスアトムの報道官の声明を報道しましたが、ロシア最大の核廃棄物処理施設が、紙一重で破壊を免れてほっとしているようです。ぎりぎりで巨大核災害から免れたのです。

2011年5月末に発表されたドイツ政府の脱原発へ向けた諮問機関「倫理委員会」の報告書には、委員全員の共同判断として「原発事故による大きな被害を確率計算から相対化することは理性的ではない」という言葉があります。この部分をわたしは『世界』2011年8月号の寄稿「脱原発へ不可逆の転換に歩みだしたドイツ」で、訳出して日本では初めて報告しています。いまさらながらこの一文が甦ります。また同時に1992年頃、ベルリンを訪れた高木仁三郎氏からこのウラルの惨事について話しをうかがったことも想いだします。

あり得ない確率の象徴として「隕石に当たって死ぬようなものだ」とは、常套句として世界中の原発ロビーも事故の確率の低さとして、よくこの例えを口にします。
核施設への隕石落下が紙一重で免れた事態が起こった今日以降は、彼らといえどもこの言葉を口に出来ないでしょう。それが理性的ではないことがここで現実に証明されたのです。

世界中には400を越える原発と数千の核施設があります。これらを隕石衝突から守る方法はまったくないのです。巨大核技術利用での理性とは何か。隕石落下でまたも問われているのがこのことです。確率論で核惨事の危険性を相対化する功利主義は破綻しているのです。これを否定するのは俗論のニヒリズムにすぎません。

今回は前回に続いてベルリン映画祭の報告を書くつもりでしたが、明日に延ばします。読者のみなさまと、舩橋淳監督、池谷薫監督も少しお待ち下さい。



2013年2月8日金曜日

146:第63回ベルリン国際映画祭招待日本作品:舩橋淳「桜並木の満開の下で」、池谷薫「先祖になる」

かなり酷いインフルエンザにやられて、明日うらしま爺さんはひっくり返っていましたが、ネコのアズキの手も借りてようやく復活しました。

さて今夜から第63回ベルリン国際映画祭(通称ベルリナーレ)が正式に始まりました。公式サイトは→こちらです

カンヌやベネチアの映画祭とは異なる多彩で巨大なこの映画祭の雰囲気の1部、記者会見などは日本からもインターネットの中継で毎日観ることも出来ます。
→こちらからどうぞ

 10日間で上映される映画の数は400本以上ですが、メインのコンペ部門には寂しいことに日本映画はありません。
 今年から開設された名作回顧部門では1953年の小津安二郎監督の「東京物語」が上映され、その現代版の山田洋次監督の新作「東京家族」が、特別枠で紹介されます。

とはいえ、ベルリナーレならではのフォーラム部門(これの→歴史的背景は昨年紹介しました)には、将来性のある日本の若手の監督たちの作品が8本ほど招待されています。
その内のいくつかを、わたしは映画祭の準備段階ですでに観ていますので、とりあえずその内の二つの以下の作品をお勧めとして紹介しておきます。
いずれも実績のある若手監督の力作ですので、ベルリン在住のみなさまには、このチャンスに是非とも鑑賞をお勧め致します。

舩橋淳監督「桜並木の満開の下で」Cold Bloom
 公式サイトは→こちら

映画祭での→紹介と上映日程はこちら。

昨年のベルリナーレで紹介された→「Nuclear Nation・フタバから遠くはなれて」で、たちまち→世界的な反響を呼んだ監督の新作です。 監督は引き続き双葉町のその後の厳しい成り行きを記録し続けていますが、今年の作品は、原発震災が起こる前から企画していたフィクションです。手弁当で双葉町を追いながら、このような作品を完成させた監督の努力には脱帽です。
茨城県日立市の小さな町工場で働く、若い男女の過酷な運命を描いたこの作品は、英語のタイトルに現されているように、日本社会の冷たい現実と、そこで憎しみに引き裂かれながらも、必死に愛し生きていこうとする若者のやさしさと悲しみが、古典的ともいえる心理劇として描かれています。この監督の持つ奥の深さがうかがわれる作品です。

池谷薫監督「先祖になる」Roots
公式サイトは→こちら
予告編は→こちら
映画祭での→紹介と上映日程はこちら。

池谷監督のベルリナーレ招待作品としては、10年まえの「延安の娘」以来、二本目です。
3・11の震災と大津波で壊滅的被害を受けた岩手県陸前高田の77歳の佐藤直志老人の、驚くべき生き様のドキュメントです。50年前の新婚時に林業の跡取りとして新築した家は、わずかに倒壊が免れただけで二階まで浸水。消防団員のひとり息子を失いながら、決して仮設住宅には入居せず、驚くべき精神力で、先祖からの木を自ら伐採し、震災一年と半年後に家を新築し、またそれにより地域社会の若者たちを勇気づけ、伝統の「けんか七夕祭り」も復活させてしまう老人。
1000年に一度の自然の猛威の損害にも一切ひるまず、着実に立ち直るきこりの姿は、しっかりと自然に根を張って生き続けてきた日本人の強さの貴重な記録となっています。
大震災と大津波の荒廃の中で、木の香を漂わせながら復活する老人の生活は、このようにして日本列島で人々は危機の中でもしぶとく生き続けてきたことを、わたしたちに改めて知らせ、感動を呼び起こすのです。この作品はかなりの反響を呼ぶとわたしは見ています。

以上、簡単ですが2人の監督の作品を紹介しておきます。二つの作品はまったく別の性格のものです。しかしどちらも歴史的危機にある現在の日本を背景とした作品として極めて貴重なものです。
お二人の監督にはベルリンでお会いできれば、お話を聴き、また反響などについても報告するつもりです。 とりあえず以上簡単な紹介まで。



2013年2月2日土曜日

代理ネコよりお知らせ

「明日うらしま」の読者のみなさま。
 わたしは当ブログ主のところに同居するネコのアズキです。
1年半まえに迷い子ネコとして拾われた時に、当主が小豆色の鼻面を観て、たちまちこの名前をつけました。ドイツ語ではRotes Böhnchenとでも言えるかとは隣の哲学者の説です。

 昔、日本の作家にネコを主人公にした「名作」があるそうですが、そのネコには名前がないと聴いています。とても不親切な酷い作家ですね。
それよりももっと酷いのは、この作品はベルリンに長く住み多くの作品を残したE.T.A.ホフマンの→『牡猫ムルの人生観』からヒントを得て、細かいところまでかなり真似をした、つまり着想からデテールまでかなり重度の盗作であるとのことです。まだ新聞連載中にそれを指摘されて、苦しい言い逃れをしたようです。自分の小説の主人公に、名前をつけないけしからん人物らしいふるまいです。動物の尊厳を何とする。

さて、今日は、ちゃんと名前を付けてくれた当主からの依頼で、わたしが代理でみなさまにお知らせです。
当主は週明けより風邪気味でしたが、いつも元気なので本人もあまり気にしなかったのが良くなかったようで、一昨日の夕方に高熱となり、あわてて隣の医者に診てもらったところ、今年もこの季節に大流行を始めた「インフルエンザの一種だが、ご存知なようにこのウイルスを押さえる抗生物質はない。とりあえず最適のアスピリンでも飲んで静かに寝ておけ」とのこと。「 ただ熱が高すぎるので注射をしておこう、尻を出せ」と立ったままで痛い筋肉注射を一発喰らって帰ってきました。
そのおかげで昨日から熱は下がりましたが、ブログ執筆にはまだ数日はかかりそうです。1月30日はナチスの権力掌握80周年で、ベルリンでは100を越える多くのイベントが、この日から目白押しに始まっており。また来週2月7日からはベルリン国際映画祭が始まり、昨年ほどではないにしても是非とも紹介したい日本の映画がいくつかあるので、「ここで寝込むのは不本意である。アズキよ代理でその旨、読者諸氏に伝えたまえ」と依頼がありました。
「先週の金曜日までは零下15度までの厳冬だったのが、週明けに気温が急に上がったので薄着で歩き回ったのが原因」と当主は先に立たない後悔をしております。わたしのようにちゃんとした冬用の毛皮が生えない人間とはあわれな動物であるのです。

というわけで、まだ当分はグログはお休みになりそうです。
                    当主代理 アズキ