2018年4月17日火曜日

346:歴史改竄者集団安倍内閣の再破綻を前に。「人生の嘘・生き延びるための嘘」再録

 2011年に始まったシリアの内戦は、冷戦終結後の最悪の継続危機となり、一昨日の米英仏による爆撃で国際法が踏みにじられる惨状となっています。
ドイツのある歴史家による、これは欧州の宗教改革勃発後の→30年戦争当時の構造と似ているとの考察があります。
 当時のプロテスタントの勃興による新旧教会の争いに乗じて欧州の覇権勢力が介入して中央ヨーロッパは荒廃の極に至りました。冷戦終結後の中東危機は、イスラム圏内の宗派対立に覇権勢力が介入して泥沼になっていることから、確かにその通りだと考えさされているところです。
30年戦争での残虐行為の絵図「縛首の木」ヴェキペディアより


 この戦争の中心となった当時のドイツは最大の犠牲を払い、その犠牲の上に近代史の国際平和条約の基礎となったウエストファーレン条約が実現しました。このように考えれば現在の世界情勢はちょうど400年前に似た新たな苦難の時代に突入していることになります。現在の国連の危機を克服するためにはこの歴史を学ぶ必要もあります。

ウエストファーレン条約の通達ビラ 1648年 ヴェキペディアより


 このような深刻な情勢とはかけ離れて、ここにきて、国際世論も安倍政権が間もなく終わるだろうとの報道を始めました。本日のワシントンポスト紙の電子版などは先週末の国会前の退陣要求の50000人のデモの動画までつけて→詳しい記事を掲載しています。
 (17日追加:その他の報道で主なものとしては、ニューヨークタイムスは「スキャンダルまみれの安倍がトランプと会談、情勢は危険」との見出しで→詳しく報道。ドイツの公共ラジオ、ドイチェランドフンクは「日本の意義喪失への恐怖」との見出しで外交で孤立する日本の恐怖を→報道。同国際放送のDW・ドイチェヴェレは「安倍とトランプが男の友情を試す」との見出しで、安倍はトランプとの良い関係からもはや利益を得ることができないと→報道しています。)

ドイツでもロイターが同様な内容の記事を流しているので明日あたりから一斉に安倍危うしの報道が始まるでしょう。モリカケ問題だけでなく底なしの財務省福田政務次官のセクハラ問題に関するアホウ(実名は麻生)財務相のアホウな擁護の言動までが世界中に報じられています。安倍政権は世界の笑い者になっているのです。

 明日からの安倍訪米では、すっかり国際政治から蚊帳の外に置かれている政権の姿を惨めに露呈するであろうことは十分予想できるところです。おそらくアメリカの近代史上最低のトランプ大統領に散々ひやかされる結果になるでしょう。とはいえこの二人はどちらも国内で泥沼に陥っているので、同病相憐れむの喜劇の舞台になることもありえます。

 しかしこれもわたしにしてみれば→日書きましたようにデジャヴュ・既視感に襲われる事態の一つでしかありません。というのも既に日本は同じ体験を第一次安倍政権でしているからです。今回の訪米は相手がトランプというエゴのかたまりなのでもっと酷いことになることがほぼ蓋然性をもって予測できます。日米の少なくとも戦後最低の首相と大統領の話し合いなので予期できない茶番劇すらあり得ると思います。
 2007年の論稿を以下ここに再録しておきます。今回はオリジナルの書籍をそのまま掲載します。

 同じでないのはこの歴史改竄主義者集団である第二次安倍政権は、当時わたしが指摘した彼らの腐敗した本質をさらに露骨に顕し、ここにきてようやく従順なおとなしい日本の市民も危機感を本格的に持ち出していることでしょう。

 安倍首相は一連のモリカケ問題の「膿を出しきる」などと繰り返し述べていますが、その「膿」とは自分のことであることに気づいていないことに市民が気づいていることに、彼自身が全く無自覚であることが、ついにここにきて表面化しています。その意味では、この第二次姉内閣の再破綻は、まさに「二度めは喜劇」の様相をもたらしています。

 この論考は2007年の第一次安倍政権の破綻について、その年末に出版された『日本はどうなる2008』という週刊金曜日から出版された論稿集に寄稿した「歴史改竄主義者たちにおける『人生の嘘』」と題したものです。

 ここで言うところの「人生の嘘」とは「生きのびるための嘘」と理解すればわかりやすいでしょう。これ以上、それを自覚できない安倍晋三首相のこの「嘘」に翻弄され続ければ、日本全体が本格的に不幸になることを、ようやくにして市民の大半が自覚しつつあるのが現状でしょう。 

 いつものようにクリックしてくださればよく読めると思います。
なお、これも10年以上前のものなので、明日にでもいくつかの解説を付けますので、お待ちくだされば幸いです。(17日に下部に追加しました)。

 


(以下は17日解説として追加)

 文中に出てくるホーマン事件の主人公のマーチン・ホーマン氏は、昨年9月の連邦議会選挙に、ついに連邦議会に進出した極右政党AfD・ドイツのための選択肢から立候補して当選し、連邦議員として復帰しています。選挙運動中も「黒人は隣人としたくない」などと難民拒否の主張をして批判を受けましたが、議員となってからはあまり目立った発言は今のところではしていないようです。
 ホーマン事件については、ドイツ語でしかありませんが→こちらに詳しい経過解説があります。 ここでは「ホーマンスキャンダル」とされています。

 この極右政党の指導者達は、あれやこれや排外主義の主張をしてスキャンダルの連鎖を引き起こしているので、出る幕がないようです。

 この論考の中に「拉致問題に拉致されて動きのとれない政権」という見解がありますが、今になっても安倍首相がメンツを保つために「蜘蛛の糸」と頼っているのがこれです。
本日の訪米に際してトランプ大統領に米朝会談でこの問題を提議してくれと頼み込んだのもそのためです。 トランプにとっては「お安いご用だやりましょう。その代わり代償はんどれくらいかな?」と言っておけば良いだけです。漫画です。

 予言しておきますが、遠くない将来、彼はこの拉致被害者への執着からきつい政治的仕打ちを受けるでしょう。
許すことのできない拉致問題の被害者と家族の苦難を、安倍氏は彼のカビの生えた国家主義イデオロギー政策の手段としたからです。
怖いことに、わたしのこの手の予言は多かれ少なかれ的中します。

2018年4月7日土曜日

345:セピア色の「日本の地方」。映画『港町』想田和弘監督によせて

 本日4月7日より、本年度のベルリン映画祭招待作品である想田和弘監督の観察映画『港町』の上映がようやく日本で始まります。

 わたしは今年は映画祭前の試写会の時期にベルリンを不在にしていたこともあり、映画祭の本番でこの作品をようやく観て非常に深い印象を受けました。
 同作品は、映画祭でも非常に評判が良く、ドキュメンタリー部門での入賞も密かに期待していたのですが惜しくも逃しました。。

 そこで都合つく方にはこれだけは是非見ていただきたく紹介させていただきます。
 作品の→公式ホームページ、 →Twitter、→上映の予定などはこちらです。

牛窓の老漁師と猫の対峙の場面をセピアで
ところが実に申し訳ないのですが、この作品のわたしからの感想は、「深い印象を得た素晴らしい作品である」ということ以上には控えさせていただきます。
 
 理由は二つあります。一つは舞台である岡山県の古い港町牛窓は、わたしの郷里の岡山県津山市を流れる吉井川の河口にあたり、登場人物たちもまるで懐かしい旧知であるかのようであるため、身につまされて客観視がかなり難しいこと。
もう一つは想田監督とプロデューサーの柏木規与子さん夫妻が、わたしのじゃじゃ馬娘の親しい友人であるため、肩を持つには不適当であると思うからです。

相田監督のツイッターから
ために、上映期間中にベルリンの映画祭の会場近くで、柏木・想田のお二人と昼食を共にしました。ところがこの想田監督は出会った人たちをスマートフォンで自撮りして素早くツイッターに載せてしまうという、まさに彼らしいげに恐ろしい習慣があることを後で知りました。上の写真はその時のものです。ここでしか飲めない美味いワインを飲んだ酒飲みの姿が映っています。
 
 この席でカラーで撮影したこの作品を柏木さんの提案で白黒で仕上げた経緯なども聞き、わたしが「主人公の一人の老漁師のわいちゃんと猫の睨み合いの場面がこの作品の名場面だと思う。わたしには白黒より古い写真のセピア色に見えた」などと話しました。
 そこでこの場面をスチールからお借りしてセピア色にしたのが最初の写真です。
(いつものように写真はクリックして拡大してご覧ください。)

4月19日の追加情報です:
ようやく岡山の地元でも上映が始まるようですが、それを前に瀬戸内テレビが、想田監督とのインタヴューを下敷きにとても良い特集を放送しています。この映画の出生の背景がよくわかりますのでぜひご覧ください。
4月20日の追加情報です。
 今日から岡山での上映会が始まったところに、主人公のワイちゃんが観に来られたそうです。撮影当時に86歳ですからもう91歳でまだ海に出ているようだとベルリンの会食のとき柏木さんから聞いてはいましたが、本当にお元気そうでとても嬉しく思います。想田監督のツイッターからの今日のワイちゃんの写真をお借りします。
上のインタヴューで監督が述べているように、彼との出会いがなければこの芸術作品はできませんでした。 出会いとは奇蹟をすらもたらす神秘的なものです。
 出会いを大切にすれば芸術となり、悪用すれば日本の福田淳一財務事務次官のように地獄ともなります。
 ワイちゃんはわたしにとっては高齢の漁師として日本の人間国宝に値する人物です。
それにしても今日も夏の帽子がよく似合ってダンディーですね。
ワイちゃん万歳!


 その後になって思い出したのは、この映画の撮影制作の頃であろう、2016年の秋にわたしも訪日しており、その際、山口県の日本海側の長門の農村に友人を訪ねたことです。
 そこで、その時にわたしが撮影した写真などを『港町』によせて 「セピア色の日本の地方」として紹介します。
 ただし、以下はわたしの主観での写真報告であって紹介しました映画『港町』とは内容も主張も全く関係はありませんので、くれぐれも誤解をしないでください。
 
 長門市の油谷湾を望む絶景の農村地帯で自然農法に励む友人宅の近くの棚田では、早いところではすでに稲の刈り入れが終わったばかり、また幾つかの棚田百景とされている海辺の田には刈り入れを待つばかりの光景を見ることができました。
 ところが、棚田百景の中には放置されて雑草に覆われた悲惨な姿の棚田もありました。

刈り入れが終わった棚田
刈り入れを待つ海辺の美しい棚田
放置されて荒れ果てた棚田
この地の近くの下関市の日本海側には、弥生時代の前期から中期の土井ヶ浜遺跡があります。友人は親切にここも案内してくださったのですが、ここにはおそらく当時日本列島に稲作をもたらしたに違いない弥生人の約300体が、この地の素晴らしいカルシュームの多い砂に守られたおかげで発見された大きな墓地が→人類学ミュージアムとして保存されています。大半が頭を東にして顔を故郷の大陸側の西に向けて埋葬してある非常に貴重な遺跡です。

土井ヶ浜遺跡に保存されている弥生人の墓地
この博物館を見学して、おそらく2000年以上前に彼らがもたらした日本の富の源泉であった稲作文明が、ここにきて衰退を始めていることを思わずにはおれませんでした。日本という国の人口は水田の米の収穫量とともに増減してきたのです。
 米食文化は何も鮨文化だけではありません。日本人の腸が欧米人に比べて約2メートルも長いのは、主食の米を消化するためのものです。日本人の胴長は米主食文明の人体的特徴でなのです。ただし 短足となった原因は知りませんが。

 長門市に滞在中に古い文化を伝える近所の神社なども幾つか散策しましたが、ある神社の人気のない山道で鋭いシュッ!という独特の音を立てるマムシが出迎えてくれました。幼い頃、泳ぎを覚えた郷里の吉井川の河原で出会って以来のことで、懐かしく思いました。この地方ではハミと呼ばれていることを、知り合った地元の古老が教えてくれました。
ちなみにこの方は、ここの安倍晋三後援会の長老です。選挙の前には安倍氏から律儀に直接「お元気ですか」との電話があるそうです。


出迎えてくれたハミさん

ハミさんと別れて、立派な舗装道路をしばらく行くと、ひとつの人気のない民家に覚えのある顔が見えました。他でもないここを選挙地盤とする安倍晋三氏のポスターです。「地方こそ成長の主役」とのスローガンが読めます。このポスターの先には放置された廃屋が軒を連ねて並んでいました。
この地方、歴代の安倍氏の地盤だけあって道路だけは隅々まで立派です。


ポスターの安倍首相が見つめる廃屋
単線の山陰本線は古い朽ちかけた枕木がまだ多く残っています。
以上、安倍首相の地元の光景をセピア色の写真でルポしましたが、実に見事な「成長の主役」としての地方の姿でありませんか。写真には撮ってはいませんが、街中では若者の姿は皆無で、たまたま残り少なくなった小学校の生徒の姿を見てホッとしたものです。

 日本の2000年の富の源泉である稲作を、地元ですら疲弊に任せる政治家が保守を名乗ること資格はなどないはずです。すなわち安倍政権はすっかりセピア色の過去なのです。

 この彼の欠陥をかろうじて補っているのが、趣味であれ稲作をする昭恵夫人であるかもしれません。すなわち昭恵夫人は無自覚のうちにも、稲刈りをして夫の欠陥を補填しているようです。であるがために稲作文明「瑞穂の国記念小学校」に感激の涙を流して、名誉校長にもなったのが彼女の本心ではないのかと思えます。
 ありえないことですが森友事件で彼女の国会の証人喚問がもしも実現すれば、昭恵夫人はこのような心情を吐露するかもしれないと思います。そうなればわたしも彼女の味方になります。すなわち似非保守である安倍晋三政権はすでに本質的に終わっているのです。

 さて本日、福島県双葉郡富岡町からは今年も夜の森などの桜情報が伝えられています。
今年もこの期間だけ夜間もライトアップされ、地元の人々が失った故郷の美しさを回顧されているようです。人気のない美しい満開の桜並木は原子力災害の無残な姿です。
富岡町町役場のホームページから桜の開花の写真を拝借してセピアにしてみました。

富岡町の満開の桜並木 2018-4-5

これは先月の富岡町の夜も森公園の空間放射線量です。原発事故から7年経た現在、かなり線量は低下していますが、しかし今だに事故前の10倍ほどはあるでしょう。セシウムの半減期は30年ですから、正常値に戻るにはこれから数世代かかるでしょう。


さてもうひとつセピア色の光景です。先週3月30日に再稼働したばかりの玄海原子力発電所の2次冷却系で蒸気漏れが起こりました。
NHKのニュース画面より2018・4・1
このNHKの報道にはこうあります:
蒸気に含まれるガスなどを取り除くための設備につながる配管に直径1 センチほどの穴があいて起き、配管の金属製のカバーにさびが見つかったことから九 州電力は、雨水がしみこみ、腐食が起きた可能性が高いとしています

 すなわち、「雨が降れば配管に穴が開き大事故になりかねない」というのが事業主の九州電力の見解だそうです。次の都々逸でセピア色の日本の光景の紹介を終わります。
     
       日本殺すにゃ兵器はいらぬ雨がたっぷり降ればよい 

  水田を満たす梅雨のたっぷりした雨水で生きながらえてきたのが日本でした。 その雨水がいまや再起不能の破滅をもたらす原因となっているというのが原子力発電なのです。日本の破滅には何も大地震や大津波も必要ではないようです。これについては続編で書きます。

*4月7日の追加
 玄海原発3号機の蒸気漏れの情報から。

 これについての原子力規制委員長の4月4日の記者会見の様子は→IWJの特集が詳しく記録していますので参考にしてください。7年間の稼働停止が事故の原因だなどと言い訳をしているのが危ないですね。ということはフクシマ事故以来稼働停止している全国の大半の原発でも再稼働すれば類似の事故が起こるのは当たり前であることを認めているようなものです。つまり規制委員会ではなく、非規制委員会であることを自白していることになります。

 さらに4月2日の九州電力の→事故の報告資料があります。そこから引用した腐食して穴の空いた配管の写真がこれです。
九州電力の資料より

 ポンコツ原発ですね。これはまさに日本の自爆用の核兵器と言えます。この小さな穴がその爆発の導火線となり得るのです。


2018年4月6日金曜日

344:日本の女性差別の汚名を雪ぐため、相撲協会は人命救助した女性たちの表彰式を土俵上で行うべし

 昨日までは、欧米メディアでは日本からのニュースとして満開の桜を愛でる「美しい日本」の報道が続いていたのですが、本日4月5日には一転して「醜い日本」の報道一色となってしまいました。ほかならぬ大相撲春巡業先で倒れた舞鶴市長を救命しようと適切な処置を施しつつある看護師と思われる女性たちを「土俵の上から降りてください」と追い出したスキャンダルです。

 一斉に報道されている膨大な報道の中から、主要メディア からいくつかあげるだけでも、ガーディアン→BBC、→ニューヨークタイムス→シュピーゲル、→フランクフルター・アルゲマイネなどが、中にはYou Tube の幾つかの動画を編集なしにそのまま電子版に掲載し、「穢れのある女性は土俵がに上れない」ことの背景まで詳しく報道しています。ですからすでに世界で非常に大きなニュースとなってしまっています。
この動画を見たところ、一人の女性は動画の初めから約22秒から心臓のマッサージを始めており、47秒で「女性は土俵から降りてください」とのアナウンスが始まりましたが、交代した二人目の女性がマッサージを約57秒まで続けています。すなわち二人の女性が約35秒間の救命処置を行ったことは間違いなく確認できます。これは人命救助に決定的な行動であったと推定できます。異議なく最大限に敬意すべき行動です。

 BBCなどは→日本語版でも伝えていますが、そこには次のようなことまで報道しています(以下引用):

 ソーシャルメディアでは、女性たちが土俵を「汚した」と協会側がみなしたから、土俵に塩をまいたのではないかと指摘が相次いだ。
日本のツイッター・ユーザーの1人は、救命措置をした女性がいなくなった後に塩をまいたことについて、「なんて無礼なのだろう」と投稿した。
ほかにも、相撲協会の頭にこそ塩をまくべきだというツイートも複数あった。

(以上引用)

 
 この出来事は、非常に理解しやすい出来事なので、対処を間違えると、国際的にすでに始まっているの→森友事件報道以上に日本社会の評価を落とすこともあり得ると考えられます。

 なぜなら日本はMe Too運動が低調なことで、それ自体が「女性の地位が国際比較で極端に低いにもかかわらずなぜなのか?」とニュースになっている昨今ですから、この出来事が「それ見たか」と象徴的な出来事として受け止められることは間違いないからです。最近では韓国との落差が多く報道されていますが、その一つとして伊藤詩織さんの声などが、「はびこる沈黙の文化」などとして→丁寧に報道されています。今回の相撲協会の事件はそれがついにほころびて誰にでも可視になったものの一つとして受け止められることは必然です。
 
 本日、相撲協会は公式のフェイスブックなどで「再発防止に向け、早急に対応方法を整備いたします」と声明していますが、これに対してあるユーザーが以下のような投稿をしています。



 わたしも、この方の意見に大賛成です。一夜にして相撲協会が世界中にばらまいた日本の女性差別の汚名を本当に雪(そそ)ぐために、土俵上で人命救助を行った二人の女性たちへの感謝の表彰式を断固として実行すべきです

 これができないならば、日本の大相撲は「日本の国技は女性差別」との烙印を逃れることはできません。これこそ大相撲の文化としての誇りの伝統を守るための最低限の対応でしょう。

 これに加えて、聴いたところでは「ついでに行司も女性にしたらいい」との声もありますが、そこまで行くには、日本でも本格的な文化革命が必要ですから、まだちょっと無理でしょう。

これについては読者の皆様のご意見をうかがいたいものです。