いかんせん妻の乱れの苦しさに 夫の嘘はほころびにけり
厳しい国際情勢にもかかわらず、安倍内閣は全くそれに対応できる状態ではなく、ますます窮地に陥っていますが、明日うらしまにとってはこれも何やら幾つものデジャヴュ・既視感に襲われる事態です。
その一つが、安倍信三首相自身が、彼の→家系のルーツと自認している東北の安倍一族の祖先の「衣川の戦い」に関するものです。
今から1000年近く前の前九年の役での安倍貞任と源義家に関する古今著聞集による伝説→「衣のたてはほころびにけり」を連想してしまいます。
安倍貞任と源義家の衣川での対峙図 |
だからわたしは、2010年、ある機会に友人に案内していただいて衣川の柵の跡を訪ねたこともあります。
衣川を挟んでの貞任と義家のみごとなやり取りのこの歌は、つい近年までは日本人の記憶に刷り込まれていたものです:
年をへし糸の乱れの苦しさに 衣のたてはほころびにけり
そして今、安倍貞任の後裔であるとする安倍晋三氏は内閣総理大臣として、衣の柵ならぬ国会内と全国の市民の怒りで追い詰められています。
昨年2月17日での首相の答弁:
「私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もしかかわっていたのであれば、これはもう私は総理大臣をやめるということでありますから、それははっきりと申し上げたい、このように思います。」
これが、財務省の改竄前の文書で覆されていることは、誰が見ても明白なことです。森友学園の→教育方針に感涙した昭恵夫人の関与は誰一人として否定できません。
にもかかわらず、安倍首相はいまだにこれが「嘘ではない・間違っていない」と主張して喜劇にもならない醜悪な姿勢を貫いていますが、これは真っ赤な嘘の上塗りで国民を侮辱する悪行です。
この日本の惨状を見て、既視感で出たのが冒頭のパロディーです。
国会でも、日本中でも大半の市民は、今「夫の嘘はほころびにけり」と声を大にしています。もし安倍首相がそれを八幡太郎義家の声と受け止め、祖先の故事に学び「いかんせん妻の乱れのくるしさに」と正直に応じて、総理大臣をやめれば、寛容な日本国民は立派な安倍貞任の後裔として認め、義家のようにつがえた矢を納めて赦すかもしれません。
そうできる最後の時は近づいています。
そうできる最後の時は近づいています。
しかしながら、この安倍晋三氏は不幸なことに、そうするだけの判断力も能力も持ち合わせてはいないようです。そこでもう一つのわたしの デジャヴュ・既視感について次回に述べたいと思います。
ただここでもう一つ述べておきたいのは、日本のメディアでは「森友問題」として伝えられていますが、一国の中央官庁が、大量の公文書改竄という明白な刑事犯罪を犯し、末端の役人が自死するような事態は、「問題 」ではなく、れっきとした「事件」です。この表現自体が、日本の検察がのたりくらりとしているのでまだ事件とされていないようですが、ヨーロッパの民主国家ならずとも、アジアでも韓国であれば最初から事件とされ、公文書改竄だけでも、かなりの逮捕者がすでに出ていることは間違いありません。日本ではいまだに「籠池事件」として矮小化されているだけです。これも大問題です。
首相が逮捕されたロキード事件と同様な、政権中枢の事件容疑は明白なのです。