2018年3月25日日曜日

343:森友事件:「いかんせん妻の乱れの苦しさに・・・」安倍首相は祖先の故事に学ぶべし

   いかんせん妻の乱れの苦しさに 夫の嘘はほころびにけり

 
 厳しい国際情勢にもかかわらず、安倍内閣は全くそれに対応できる状態ではなく、ますます窮地に陥っていますが、明日うらしまにとってはこれも何やら幾つものデジャヴュ・既視感に襲われる事態です。

  その一つが、安倍信三首相自身が、彼の→家系のルーツと自認している東北の安倍一族の祖先の「衣川の戦い」に関するものです。
 今から1000年近く前の前九年の役での安倍貞任と源義家に関する古今著聞集による伝説→「衣のたてはほころびにけり」を連想してしまいます。
 
安倍貞任と源義家の衣川での対峙図
この話は西暦では1062年のことですが、わたしも幼い頃に芝居が大好きな祖母から「お前の守り神の八幡太郎義家の故事」としてなんども聞かされたものです。

だからわたしは、2010年、ある機会に友人に案内していただいて衣川の柵の跡を訪ねたこともあります。
 衣川を挟んでの貞任と義家のみごとなやり取りのこの歌は、つい近年までは日本人の記憶に刷り込まれていたものです:
    年をへし糸の乱れの苦しさに 衣のたてはほころびにけり

 そして今、安倍貞任の後裔であるとする安倍晋三氏は内閣総理大臣として、衣の柵ならぬ国会内と全国の市民の怒りで追い詰められています。

 昨年2月17日での首相の答弁:
「私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もしかかわっていたのであれば、これはもう私は総理大臣をやめるということでありますから、それははっきりと申し上げたい、このように思います。」

 これが、財務省の改竄前の文書で覆されていることは、誰が見ても明白なことです。森友学園の→教育方針に感涙した昭恵夫人の関与は誰一人として否定できません。
にもかかわらず、安倍首相はいまだにこれが「嘘ではない・間違っていない」と主張して喜劇にもならない醜悪な姿勢を貫いていますが、これは真っ赤な嘘の上塗りで国民を侮辱する悪行です。

 この日本の惨状を見て、既視感で出たのが冒頭のパロディーです。
国会でも、日本中でも大半の市民は、今「夫の嘘はほころびにけり」と声を大にしています。もし安倍首相がそれを八幡太郎義家の声と受け止め、祖先の故事に学び「いかんせん妻の乱れのくるしさに」と正直に応じて、総理大臣をやめれば、寛容な日本国民は立派な安倍貞任の後裔として認め、義家のようにつがえた矢を納めて赦すかもしれません。
そうできる最後の時は近づいています。

 しかしながら、この安倍晋三氏は不幸なことに、そうするだけの判断力も能力も持ち合わせてはいないようです。そこでもう一つのわたしの デジャヴュ・既視感について次回に述べたいと思います。
 
 ただここでもう一つ述べておきたいのは、日本のメディアでは「森友問題」として伝えられていますが、一国の中央官庁が、大量の公文書改竄という明白な刑事犯罪を犯し、末端の役人が自死するような事態は、「問題 」ではなく、れっきとした「事件」です。この表現自体が、日本の検察がのたりくらりとしているのでまだ事件とされていないようですが、ヨーロッパの民主国家ならずとも、アジアでも韓国であれば最初から事件とされ、公文書改竄だけでも、かなりの逮捕者がすでに出ていることは間違いありません。日本ではいまだに「籠池事件」として矮小化されているだけです。これも大問題です。

 首相が逮捕されたロキード事件と同様な、政権中枢の事件容疑は明白なのです。




2018年3月17日土曜日

342:腐りきった日本の「歴史の改竄・修正主義」とは何か? 一例としての西尾幹二氏のドイツ批判

   日本からの情報によれば、このところ連日、東京の国会や首相官邸付近だけでなく全国各地で人々が森友問題で安倍内閣総辞職を要求して抗議活動が起こっているとのことです。

(追加:京都でも若者たちが中心に元気に賑やかなデモをやっていますね。「親子連れも多かった」との報告も見れます。それが市民の本当の姿です。→内閣総辞職を求める京都アクション

 民主主義社会では権力の源泉は有権者であり、在住外国人や未成年者子供も含めた市民です。その認識が欠落している安倍政権は世界の民主社会の市民から笑い者になりつつあります。

 ところでこの間、国の行政機関としては要の一つである財務省による公文書の改竄が連日メディアの見出しになっています。これは明白な国家犯罪です。正しい情報は民主主義の血液です。それが偽物となれば民主主義は必ず死滅します。その意味で日本の民主主義は、安倍政権のもとで腐り始めて存亡の危機に直面しています。

 財務官僚が絶対にやってはならない公文書を改竄する犯罪に手を染めて自殺に追い込まれる事態は、トップの安倍晋三内閣総理大臣が国会で嘘をぬけぬけと述べたことに動機があることは今や誰しも疑うことができません。
「魚は頭から腐る」という古いロシアの諺そのものです。これ以上腐った頭を放置するとどうなるかは多言はいらないでしょう。

 これとの関連で、先日の朝日新聞の特集記事→「壁」なき時代、深まる分断を同社の石合力欧州総局長がベルリンから書いていますが、その記事の中にわたしの発言が以下のように引用されています。
(17日加筆:以下の引用の記事と論考の解像度が低かったため改めました。読みにくい際にはクリックしてパノラマを拡大すれば読めるはずです)
朝日新聞2018年2月27日朝刊

 この文末の「(日独は)もう全く違う国になってしまった」とのわたしの発言の前に、「日本では歴史修正主義的な論調が目立つ」という一文があります。

 このブログの読者の皆様には、わたしがすでに30年近くも前からに日本の歴史修正主義を指摘して厳しく批判してきたことはご存知であると思いますが、ただ現在の若い人々はその実物が知られておらず、現在のようなデジタル空間では知られていないとの指摘もあり、それはその通りです。そこで一つの典型的な例として、ここに日本の歴史修正主義者でドイツの歴史を改竄するデマゴーグの代表格であった西尾幹二氏を批判した『世界』1997年7月号での論考を掲載しましょう。

 というのも 執筆は20年前のことになるとはいえ、当時はまだ若かった安倍晋三議員は、右派の国会議員の集まりに同氏を講師に招いたりして「勉強」した一人ですから、ここにも安倍流の歴史修正主義の「教養」の一つがあるからです。また→「ナチに改憲の手口を学べ」と公言して、世界中から批判を受けた麻生太郎大臣も同氏の歴史観から学んでいるとしても不思議ではありません。

 現在の日本の腐りきった歴史の改竄と修正主義が政府中枢に入り込み始めた時期はこの頃です。

 かなり長く、硬い文章なのでデジタル世代には読むにはかなり忍耐がいるかもしれません。クリックしてパノラマで拡大してください。








この論考は何しろ21年前のものですから、二つだけ解説しておきます。
一つは、当時、西尾氏はこの批判に反論できなかったために、論争で決着がついたものと日本の知識人の論壇では評価されました。

 そしてもう一つは、この論考執筆の翌年の1998年秋に成立したドイツのシュレダー政権で、冷戦時代には不可能であった東欧諸国のナチスによる強制労働の被害者への補償を実現すべく、2000年8月に連邦議会での圧倒的多数で「記憶・責任・未来」基金設立立法を決議し、2007年までに、166万人の被害者へ約7000億円の補償金を支払を履行しました。これは現在の貨幣価値では1兆円ほどになるでしょう。
 これで西尾流のドイツ批判がいかに歴史を歪め改竄したものであるかが、現実に証明されました。
そして、上記朝日新聞の記事にあるワイツゼッカー元大統領の「ドイツの近隣諸国の友好関係」の背景の一つの大きな理由がこれなのです。

 にもかかわらず、氏のデマは日本の極右論壇などで広げられ、現在でもネットで散見されます。真面目な市民の皆さん、くれぐれも嘘を信じ込まないように注意してください。



















2018年3月14日水曜日

341:「安倍政権はコンポストで肥料にすべき腐ったSushiである」ドイツでも森友公文書改竄の報道始まる

 ドイツでようやく新連立政権が成立します

 昨日、週明けの3月12日に、ようやく難航したドイツの新政権の連立協定が、3党の党首によって署名されました。国会での署名式に先立って新政権の党首たちがベルリンの連邦記者会議で長い記者会見を行いました。世界中の記者たち数百人が押し寄せて、質問も多いので答える方も大変です。

左からゼーホファー、メルケル、ショルツ各党首
  何しろこの政権成立は昨年の9月24日の総選挙以来、ドイツの戦後史では前代未聞の半年近い時間のかかった難産でしたので、さすがのメルケルさんもホッとしたのか、近くで見るとこの日は疲労が隠せない様子でした。

 ここに至る途中経過については、『世界』2018年2月号への梶村の寄稿「ドイツは社会の亀裂をいかに継ぎ留めるのか」を参考にしてください。(うっかり2016年の寄稿と間違えていましたのでお詫びして訂正します。)

ドイツ戦後史では第4度目になる大連立政権は明日の14日、連邦議会でメルケル氏の首相指名投票が行われ、写真のゼーホッファーキリスト教社会同盟党首は内務相、ショルツ社会民主党(来月の党大会までは暫定)党首は副首相、財務相となります。

 次期政権では、この性格も考えもかなり違う両脇の党首の二人の間のバランスをとりながら政権運営をするメルケル首相の苦労を予測させる会見ではありましたが、わたしもとりあえず、これで安定政権が実現しそうなのでやれやれと思ったものです。
 
 とはいえ、ここでは詳しく紹介できませんが、新メルケル政権の閣僚は大幅に入れ替わって、年齢はこれまでに比べて非常に若返り、しかもここの来てようやく女性がほぼ半数(16人中7人)を占めるものとなります。その面ではとても新鮮な政権となることは間違いありません。この面でも国際的な注目を浴びるでしょう。この日メルケル氏も「これで閣議の雰囲気もかなり変わったものになるでしょう」と述べていました。

 森友問題での公文書改竄スキャンダルの報道始まる

 ところがこの日、日本では国会の野党議員へ森友問題での資料原本が財務省から野党議員へ提出されましたので 、その場面の中継の動画も帰宅してからじっくり見ましたが、こちらの方は、悲惨な思いがつのるだけでした。
戦後日本の貴重な民主主義の原則が安倍政権下で無残に踏みにじられている事態にには、全く耐えられない気持ちがします。

 一夜明け、本日13日のドイツの新聞は、もちろん新政権成立の記事でいっぱいなのですが、ついに主要紙も政治面で、安倍政権のスキャンダルを東京から報じ始めました。
 
 主なものを紹介しますと、『南ドイツ新聞』は12日夜の首相官邸までの抗議行動の写真を大きく掲載して、「疑惑の中の安倍」という見出しに「日本の首相は、右翼国家主義の私立学校が、疑われるほど安価に土地を取得する際に便宜を図ったとされている。ついに財務省が、なんと書類を改竄したことを認めなければならなくなった」との小見出しで、これまでの経過を詳しく説明。安倍夫人の関与や安倍首相も属する国家主義ロビー「Nippon Kaigi」に関する叙述や多くの氏名が、証拠書類から消され改竄されていることを紹介し、麻生財務相や安倍首相の退陣の声も起こっているとしています。

 それにしても、これでは日本会議・Nippon Kaigiも日本特有の極右団体として、「Sushi」同様に、国際用語 になりかねませんね。

Süddeutsche 13.März 2018 S,7
もう一つは、「フランクフルターアルゲマイネ」紙ですが、「安倍のテフロン加工がひび割れか?」との見出しで、森友問題の経過説明だけではなく、これまでも公文書を「隠したり、偽造したことがある」として、稲田防衛相の退陣などの例を挙げ、「安倍首相は、比較的長期政権の中で数々の不祥事をテフロン加工のようにはじき返してきたが、ついにここにきて、それにひびが入りそうだ。そうなれば次期政権を狙った党内の競争が始まるだろう」と突き放した予測をしています。
Frankfurter Allgemeine 13.März 2018 S.6
 
 腐った安倍政権を有機コンポスに捨てて民主主義育成の肥料にしましょう

 ドイツでの以上の報道にも顕著ですが、安倍・麻生政権もついに持たないであろうととの見方が、国際世論では一挙に広がっています。ここにきて、とっくに賞味期限を過ぎたSushiと同様に扱われることだけは間違いありません。
 
 民主主義国家では公文書をこれほど組織的に大規模に改竄することなどありえないことで、腐臭ふんぷんの鼻つまみものであると受け止められています。なんということでしょう。

 これらの報道でも財務省の職員が追い詰められて自殺されてしまったことも伝えられていますが、ここでわたしが思い出すのは第一次安倍政権の末期の松岡農水相の政治資金疑惑による自死です。
 
 当時、世界中で日本の寿司はブームとなりSushi という言葉が国際的に定着していました。ところがやたらに広がるこの寿司文化が、日本の本来の寿司とは似ても似つかないものになり(一例を挙げれば、なんと握り寿司の冷凍食品まであるのです。今もドイツのスパーでは解凍されたそれが売れ筋です)、「これではいけない」と考える農水省と松岡大臣は「寿司の国際基準を作るべき」との政策を主張しました。そのため欧米のメディアでは「日本は国際寿司警察になりそうだ」と警戒され騒がれたものです。
 
 しかし彼は、日本の良き伝統文化を国際的にも彼なりに守ろうとしたようです。彼の遺書には「安倍内閣万歳」との言葉があったとのことです。この安倍内閣に最期まで忠実な人物の自死が、第一次安倍内閣の挫折の一因となったことは知られています。

 今回の財務省の職員の方の自死とは全く経過も内実も異なりますが、今回の場合は原因が安倍晋三首相と夫人の言動に直結していることはまず間違いないため、理不尽さにおいては全く比較にならないほど安倍夫妻の責任は重大です。この一人の役人を追い詰めた責任を取れないような人物の政権とは何でしょうか。すっかり腐敗し切っています。

 ここまでくれば、政権にしがみつけばしがみつくほど日本の国益を損じますので、一刻も早い退陣をすべきです。
 
 まともではない米トランプ政権の登場で、見通しがこれまでになく厳しさを増す世界情勢に対応するためには、腐った政権を有機コンポストに捨てて民主主義育成の肥料としましょう。その上で日本の政権の再建を実現し、新鮮なSushi政権を提供すべきです。
そうすれば、日本の誇るべき食文化・Sushiの伝統も守る端緒にもなるでしょう。

 まさか安倍政権は、「それでは日本をくされ寿司として売りだそう」とまではしないでしょうね。 これもありえないことではありません。何しろフクシマ事故があっても原発を輸出する政権ですからね。

2018年3月11日日曜日

340:フクシマ7周年写真報告:ベルリンで「核の鎖を断ち切ろう!」かざくるまデモ Bilderbericht von KAZAGURUMA-Demo in Berlin 10.3.2018.被災者を忘れてはならない

集会開始前の予行演習に集まるデモ隊
フクシマ原発事故7周年を前にした昨日2018年3月10日の土曜日、ベルリンで恒例となった反原子力デモが今年も多彩で元気にしつこく行われました。
 わたしは昨年度だけは風邪引きで参加できませんでしたが、2016年とそれ以前の写真報告は→こちらで見ることができます

 今年のデモは共同通信の配信で→沖縄タイムスを始め全国の地方紙がこぞって写真付きで報道しています。
 ただ、そこでは参加人数が200人となっていますが、主催者側では300人以上、配られた風車は800とされています。わたしの見たところでも、3時間を超えるデモへの参加者は延べにして300人は超えています。

 以下の写真でわかりますが、子供達も多数参加しており、ドイツの反核市民運動の世代を超えて続けられる良き伝統がここにも継続していることが確認できます。市民運動の根強さの原点です。今年のワン公の参加が2匹だけだったのは残念でした。
 
 またベルリンの公共テレビも10日の夕方のニュースで伝えています。これは日本でも見ることができると思います。毎日19時30分からの→Berliner Abendschau 10,3.2018の18分26秒から19分20秒で見ることができます。

 また年々、手を変え品を変えベルリン在住の若い芸術家たちがパーホーマンスで盛り上げますが、これについての詳しい解説は主催者の一つSAYONARA NUKES BERLINの詳しい紹介と解説をご覧ください。主催者のこの日のデモの趣旨もここで日独英語で読めます。そこには以下のような核技術に関する視野の広い要求が見られますので、引用します:
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 私たちは次のことを求めます:
1.ウラン採掘を世界中で禁止する。ウランは地中に置い
ておくべきである。
2.核分裂性物質製造の停止。しかも兵器製造目的のいわ
ゆるカットオフだけでなく、民間利用のための核分裂性物質製造も同様に停止する。
3.包括的核実験禁止条約を今こそ締結する*。
4.ドイツと日本は核兵器禁止条約を採択せよ。
5.すべての原発の停止と、新原発建設計画の破棄。
6.EURATOM(欧州原子力共同体*)契約を解消し
、再生可能エネルギー促進契約に置き換える。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 では、以下写真ですが、解説は最低限とします。参加者の表情をご覧ください。
クリックすればすべてパノラマで見ることができます。

今や反核デモの象徴となったかざぐるま





おや、共同通信支局長熱心に取材している

思わぬ日独の出会いも

演台の上からの広場のパノラマ写真

始まりです












以下、パーフォーマンスを見る子供達の真剣な表情に注目してください。








今回は子供達も演技に参加しました






フィナーレは観衆も一緒に輪になって参加






キエフ出身の彼女が演技に加わった理由はチェルノブイリで家族が苦しんでいるからだとの挨拶がありました






毎年、子供達の成長を見るのも楽しみです



どうやらフェミニストの反核の旗のようです









アメリカ大使館もあるので今年は警察官も重装備でした


ようやく出発です














ロシア大使館前




今年のドラム隊に笛もつきリズム感が盛り上がり、警察官も踊らんばかりでした


ウンターデンリンデンからフリードリッヒ通りへ















ゲンダーメンマルクト広場を反核デモが通過するのはわたしにも初めてでした

どうやら国賓が宿泊しているらしい五つ星ホテルの前。ドイツの閣僚の公用車が止まっていました。






この助っ人に抱かれている小さなワンちゃんの参加にここで初めて気付きました







それにしてもこの人の衣装は手が込んでいますね
このデモに参加して今一度つくづく感じたことは、核技術の利用による被害ほどの悪を地球の歴史は知らないということです。「核は人類を含む自然全体を捕囚にしている」とは故高木仁三郎氏も早くから述べていたことですが改めてそう思います。

 「核の平和利用」が人間が考え出した最悪の大嘘であることはチェルノブイリ事故の現状一つ見ても明らかにもかかわらず、フクシマ事故の罪深さをまだ自覚できない社会とはなんと情けなく無責任なそれでしょうか。
 事故は7年後の今でもまだ始まったばかりなのです。被害は継続して広がっています。わたしの孫たちがわたしの年齢になる70年後にもまだまだ収束していないような質のものなのです。絶対に許されるべきものではありません。
 
 飯館村の長谷川健一氏は先日ある講演で→「悪魔みたいなものを相手にしている」と述べていますが、その通りです。7年後の現在も73000人もの震災難民が日本にはおり、この人々は次第に忘れ去られようとしているのです。その中には原発難民という二重の被災者が多くいます。
 
 朝日新聞が本日11日付で→「震災から7年 『心の復興』への長い道」と題する社説を書いています。そこには次のような言葉があります:


 あらがいようのない突然で圧倒的な力。目の前で理不尽に奪われる無数の命。自分だけが生き残ってしまったという自責の念。家族も、財産も、生活の基盤も根こそぎ奪われ、ふるさとに戻ることもできない。震災被害の特徴は、73年前と重なる。

          
 と戦争体験と比較した上で、


 被災者一人ひとりの心のそばにいて、時が満ちたときに語れる相手となる。そういう存在でありたい。

との言葉で結んでいます。
 この社説は、わたしの見るところ、めったにない優れた社説ですので全文をお読みください。被災者は忘れ去られてはならないのです。
 ベルリンでのデモも、遠くの「被災者を忘れ去らない」という人々の意思の表現なのです。行動を通じてこそこの意思は次の世代にも受け継がれていくのです。