2015年12月30日水曜日

312:日本軍「慰安婦」問題に関する日韓外相会談に対する弁護士有志の声明

 読者のみなさま、明日うらしまは当分お休みしていましたが、そろそろ投稿を再開します。
28日の月曜日の「慰安婦」問題に関するソウルでの日韓外相会談については、世界中で報道され、多くの声明も出されていますが、ここに紹介するのは、戦後補償問題に関する裁判を担ってきた実績豊かな弁護士の皆さんの本日30日付けの声明です。この外相会談の結果は、なにやら「画期的」などとの評価が国際的にも見られますが、そうではなくこの問題の本当の解決に向けた一里塚の一つにすぎません。

 現日韓保守政権間での合意として両政権が大きな責任を世界に向けて公言したことだけは評価しますが、被害者当事者の意志を汲まないそのやり方には、果たして民主主義社会の政権であるのか疑わしいものがあります。以下の声明ではそのことについても具体的に言及し、これから何がなされるべきであるのかが具体的に整理されており非常に参考になります。拡散もお願いします。
( 以下引用)
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日本軍「慰安婦」問題に関する日韓外相会談に対する弁護士有志の声明

1 2015 12 28 日、日本の岸田文雄外相と韓国の尹炳世外相は、日本軍「慰安婦」問 題の解決に関する共同記者会見を行った。

2 記者会見において岸田外相は、第一に、「慰安婦」問題が当時の軍の関与の下に多数の 女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から日本政府は責任を痛感し ていること、安倍首相が日本国の内閣総理大臣として改めて、「慰安婦」として数多の苦 痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわび と反省の気持ちを表明する、と述べた。これは、安倍内閣も含めて歴代内閣が踏襲する としてきた河野談話の一節とほぼ同じ表現である。
これまでの歴史研究や裁判所の判決等の成果を踏まえるならば、日本軍が主体的に「慰 安所」を立案・設置し、管理・統制していた事実や、慰安所での性暴力が国際法や国内 法に違反していたことなどを認めることができる。日本政府が今日「慰安婦」問題の事 実と責任に言及するのであれば、これらの研究成果等も踏まえるべきであり、それが被 害者の求めていることでもある。その点で、岸田外相の上記言及は不十分と言わざるを得ない。

3 第二に、日本政府は、韓国政府が設立する財団に日本政府の予算から約10億円を一 括して拠出し、日韓両国政府が協力して、「慰安婦」被害者の方々の名誉と尊厳の回復、 心の傷の癒やしのための事業(以下「名誉回復等事業」という。)を行うとしている。し かし、その内容は不明であり、具体化は先送りされたといえる。
(1) 名誉回復等事業の一環として、日本政府が女性のためのアジア平和国民基金(アジア女 性基金)解散後のフォローアップ事業の規模拡大を検討している旨報じられている。し かし、アジア女性基金は国の責任を曖昧にしたとして批判され、韓国の「慰安婦」被害 者の多くがアジア女性基金からの償い金の受領を拒否した経緯がある。そのため、アジ ア女性基金のフォローアップ事業に対する被害者及び支援者からの批判は強い。したが って、フォローアップ事業を名誉回復等事業として行うべきではない。
(2) そもそも、日本軍「慰安婦」問題解決に最も重要なことは、日本政府が、「慰安婦」へ の加害と被害の事実と、それに対する責任を明確な形で認め、公式に謝罪をすることに ある。そして、被害者らが求めているのは、その謝罪の証としての賠償であるし、「慰安 婦」問題の真相究明や、義務教育課程の教科書への記述などの再発防止措置などである。
(3) 賠償に関しては、日本政府は、日韓請求権協定第 2 条第 1 項が請求権問題について「完 全かつ最終的に解決された」と規定していることにより日本は法的な責任を認めること はできず、また法的な賠償を行うことはできないという説明を繰り返し表明している。 しかし、このような説明はミスリーディング(誤導的)である。
 日韓請求権協定第 2 条第 1 項は、以下のとおり、日本政府が被害者個人に対する法的 な責任を認め、法的な賠償を行うことについての障害とはならないからである。
すなわち、中国人「慰安婦」被害者についての事件に関する日本の最高裁判所の判決 (2007年4月27日)は、サンフランシスコ講和条約及び日中共同声明の請求権放 棄条項(以下「請求権放棄条項」という。)について、「請求権を実体的に消滅させるこ とまでを意味するものではなく、当該請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせる にとどまる」と判示した。また、同日に出された中国人強制連行被害者の事件に関して、 最高裁は請求権条項に関し上記と同じ論理を述べたうえで、「個別具体的な請求権につい て、その内容等にかんがみ、加害者側において任意の自発的な対応をすることは妨げら れない」と判示した。裁判上の請求は認められないが、裁判手続の外で賠償を受ける法 的権利としては残っているとしたのである。この最高裁の判決の論理は日韓請求権協定 第2条第1項の解釈にも妥当する。したがって、同協定第 2 条第 1 項は、日本政府が被 害者個人に対する法的な責任を認め、法的な賠償を行うことについての障害にならない。 ところが、以上の理を、日本政府は、国民や社会に対して十分に説明せず、同協定第 2 条第 1 項を理由に法的責任、法的賠償ができないとしてきた。今回、これを改め、日本 政府は、最高裁の判断を尊重し、被害者個人の賠償請求権が実体的には消滅していない ことを前提に、解決を図るべきである。
(4) 仮に名誉回復等事業が、日本政府の「慰安婦」問題に関する謝罪の証として行われるの であれば、その内容は前記のとおり被害者の要求に適合したものにすべきであり、その ためには、名誉回復等事業の策定過程において、「慰安婦」被害者や支援者の意向を十分 に反映すべきである。

4 第三に、日韓両国政府は、名誉回復等事業が着実に実施されるとの前提で、「慰安婦」 問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認したとしている。
(1) 日本軍「慰安婦」問題の最終的解決のためには、日本政府による「慰安婦」に対する加 害と被害の事実と責任への具体的な言及と謝罪、謝罪の証としての賠償等が誠実に実施 されることがなければならない。前記のとおり、日本政府の事実及び責任への言及は不 十分であるし、名誉回復等事業の内容も定まっていない。このような段階で、日韓両国 外相の合意により最終的かつ不可逆的に解決したなどということはできないし、最終的 な解決を「慰安婦」被害者の頭越しに両政府が取り決めることはできない。
(2) 日本軍「慰安婦」問題の解決のためには、日本政府が心からのおわびと反省の気持ちを 表明するだけではなく、それを被害者らに受け入れてもらえるように、日本政府が不断 の努力を行動で示すことが必要である。そこには、「慰安婦」の被害実態を否定しようと する言説に対して日本政府が敢然と反駁するなど、日本政府の一貫した姿勢を示すこと も含まれている。それらの努力が継続されることで、被害者や遺族や支援者などから信 頼を得ることができるのであり、それにより初めて日本軍「慰安婦」問題の最終的解決に近づくのである。両国政府間で「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認した」からといって、日本軍「慰安婦」問題が最終的に解決したとは言えない。
(3) 記者会見では、日本軍「慰安婦」問題の最終的かつ不可逆的に解決されたといえるため には、その前提として、日本政府が表明した措置を着実に実施することが必要であると されている。日本軍「慰安婦」問題が最終的解決に至るか否かは、「慰安婦」に対する加 害と被害の事実への具体的な言及と謝罪が行われ、名誉回復等事業の内容が被害者の要 求に適合していることを前提に、日本政府がそれを着実に実施することで被害者等の信頼を得ることができるのか否かにかかっているのである。

5 第四に、日本政府は、韓国政府と共に、国連など国際社会において、「慰安婦」問題に ついて互いに非難・批判することは控えるとしている。この点、韓国外相は、「日本政府 が表明した措置が着実に実施される」ことを前提としたうえで、互いに非難・批判する ことは控えると述べている。
したがって、今後日韓両国政府が相互非難・批判を自制できるか否かは、名誉回復等 事業の内容の確定と、日本政府によるその着実な実施にかかっているのである。

6 第五に、韓国政府は、在韓国日本大使館前の少女像に関し、可能な対応方向について 関連団体との協議を行う等を通じて、適切に解決されるよう努力する、としている。
少女像は「慰安婦」被害者を支援する韓国の民間団体が設置したものである。そのた め、日韓両国政府が少女像について解決への努力に合意したとしても、その合意自体、 当該民間団体を法的に拘束するものではない。
そもそも少女像は、駐韓日本大使館前で日本軍「慰安婦」問題の解決を求めて行われ てきた「水曜デモ」が 1000 回を迎えたことを記念して建てられたものである。その経緯 に鑑みれば、少女像の適切な解決のために最も重要なのは、日本政府が日本軍「慰安婦」 問題に対する従来の姿勢を改めて事実と責任を明確に認め、日本軍「慰安婦」被害者や 支援団体の理解を得ることである。
記者会見では、少女像の解決への努力は韓国政府が負担することになったとされたが、 本来は、日本政府が「慰安婦」被害者や支援団体の理解を得ることができるかどうかに よるのである。

7 以上のとおり、日本軍「慰安婦」問題に関して日韓両国外相間で合意が成立したとい うものの、問題は先送りされておりいまだ問題の解決に至っていない。日本軍「慰安婦」 問題の解決は、今後の日韓両国政府及び日韓両国市民の取組にかかっているのであり、 今般の日韓外相合意はその出発点に過ぎない。
日本軍「慰安婦」被害の実態を究明し、これを世界や、後世に伝えていくことは、日 本政府が真に事実と責任を認め、謝罪の意思を有していることを示す証であるとともに、未来に向けて二度と同じ過ちを繰り返さず、真に人権が保障される社会を築こうとする 決意の表れでもある。それは日本を貶めることではなく、かえって、これこそが日本の 目指すべきところである。もとより「慰安婦」被害者は韓国人被害者だけでなく、朝鮮 民主主義人民共和国(北朝鮮)、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、東ティモール、 オランダなどの地域に存在する。これらの被害も含めて「慰安婦」被害全体についての 事実究明、教育、広報を通じてこそ、日本がいまも人類が克服できていない、戦時の性 暴力被害を地上から撲滅する先頭に立つことができる。それこそが日本が目指すべき目 標であり、今回の合意はこの目標にかなうものでなければならない。
私たちは、今回の合意がその目標に向けた新たな取り組みの出発点として、日本政府 が、韓国政府の協力のもと、「慰安婦」被害者の要求を踏まえて、「慰安婦」への加害と 被害に具体的に言及し、責任を認め、誠実に謝罪をするとともに、その謝罪の証として 賠償等の具体的な措置を、被害者が受け入れることができるような内容、形態において、 誠実に実施することを強く求めるものである。

   2015 12 30
  日本軍「慰安婦」問題の解決を求める弁護士有志(五十音順)

弁護士足立修一 弁護士泉澤章  弁護士伊藤真 弁護士岩月浩二  弁護士殷勇基 弁護士内田雅敏  弁護士大森 典子  弁護士小野寺 信勝  弁護士川上詩朗 弁護士姜文江  弁護士金 英功  弁護士金 昌浩  弁護士金 哲敏  弁護士金 奉植  弁護士金星姫 弁護士黒岩哲彦  弁護士後藤富和 弁護士崔信義 弁護士 在間 秀和 弁護士 澤藤 統一郎 弁護士宋 惠燕 弁護士張 界満
弁護士角田由紀子 弁護士 西村 武彦 弁護士 迫田 登紀子  弁護士福留英資 弁護士穂積剛
弁護士 穂積 匡史 弁護士 山本 晴太 弁護士 坂口 禎彦  弁護士 菅本 麻衣子  弁護士髙崎 暢 
弁護士鄭 文哲  弁護士 中川 重徳  弁護士 柏熊 志薫  弁護士 秀嶋 ゆかり

2015年8月28日金曜日

311:映画「日本と原発」を監督した河合弘之弁護士がベルリンに出現。新しい自然エネルギー映画を制作。

 このブログでも当初からたびたび紹介しました反原発闘争の先頭に立つ河合弘之弁護士は、最近では東電の→元会長らの強制起訴を実現して大活躍中ですが、昨日この写真のように突然ベルリンに登場しました。
話しを聴くと、監督した映画→「日本と原発」が、非常に好評で大成功したので、「次は自然エネルギーだ」とその先進国のデンマークとドイツを巡って「日本の選択肢はこれしかない」との続編の映画の撮影のために訪れたとのことです。

 そのため、この分野ではエキスパートの環境エネルギー政策研究所の所長飯田哲也さんと気鋭のカメラマンお二人が一緒です。間違いなく日本の脱原発後の選択肢の姿が目に見える良い映画ができるでしょう。

 それは良いと、チームに河合さんが最も喜ぶドイツのお土産をわたしからプレゼントしました。飯田さんが持っているのがそれです。これが何であるかはここでは秘密にしておきます。いつかは読者の皆さんにもわかるでしょう。とりあえずは、チームの健闘と、良い映画の完成を楽しみにしましょう。

河合氏たちの闘いの記録動画は→こちらで多数見られます


2015年8月26日水曜日

310:ベルリンでも日本の「8・30戦争させない総がかり大行動」に連帯アクション!

 日本全国で8月30日に行われる→「戦争法案廃案!安倍政権退陣!8・30国会10万人・全国100万人大行動」に連帯してベルリンでも同日以下のように日本大使館前で連帯アクションが行われます。詳しくは→Facebookをご覧ください。

 以下呼びかけを転載しますので、さそって参加しましょう。

     戦争法案廃案!安倍政権退陣!→8.30連帯アクションin Berlin
 

 安倍政権に物申したいみなさん、

ご存知のように、日本政府は9月の始めに、一般には安全保障関連法案と呼ばれる一連の法案を参議院で強行採決しようとしています。これは憲法学の専門家の大多数が憲法違反とみなしている「集団的自衛権」の行使を可能にするための諸法規です。もしこの法案が成立すると、日本が「存立危機事態」にあると政府が判断するだけで武力行使が可能になり、自衛隊も世界のどこにでも出て行けるようになります。

日本を戦争ができる国に変えてしまうことになるこの「戦争法案」には、日本市民の多くが反対していますが、安倍政権は、国会の会期を延長までして法案採択を強行するつもりです。民意を無視し、強引に政策を進める安倍政権のこのやり方は、原発政策にも共通しています。

こうした「安倍政治」に、そして「戦争法案」に抗議するために、日本では8月30日に「戦争法案廃案!安倍政権退陣!8・30国会10万人・全国100万人大行動」が行なわれます。

この日私たちは、日本に住む私たちの家族や友人と連帯し、ベルリンの在ドイツ日本大使館前に立ちます。あなたも、あなたの親しい人たちへの連帯の思いを込めて、いっしょに立ちませんか。


戦争法案廃案!安倍政権退陣!8.30連帯アクション in Berlin
日時: 2015年8月30日(日)16時〜17時
場所: ベルリン日本大使館前 (Tiergarten
str.24. & Hiroshimastr.6, 10785 Berlin)
主催:8・30国会10万人・全国100万人大行動に連帯するベルリンの仲間たち
Mail to: talk.in.japanese.jfib@gmail.com


「戦争法案」については、下記のサイトにわかりやすい解説がありますのでご参照ください。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/15/security-law-wakariyasuku_n_7806570.html

→各種のバナーを用意しました。参加される方は、プリントアウトして当日お使いください。「原発やめろ!安倍やめろ!」などのご自作のバナーも大歓迎です。

2015年8月24日月曜日

309:ドイツZDF「広島・長崎原爆70周年記念報道」で安倍首相の政策を厳しく批判 :アベ放送NHKとの落差が顕著

 少し時間が経ちましたが、ドイツの公共第2テレビZDFが8月6日の夜のニュースで、ヒロシマの記念式典のから報道して、この場では珍しい式典での安倍首相へのプラカードを挙げての市民の抗議の様子も交え、「日本は単に残酷な行為とそれが招いた結果を呼び起こす義務があるだけでなく、そこからさらに筋の通った結論を導き、責任を取る必要があります」と指摘、そこから原発政策と「平和法案」政策を厳しく批判しています。

 この短い報道でもアベ内閣放送に堕落し、明日25日にはまたしても→包囲デモに見舞われる、同じ公共放送のNHKとの姿勢の落差が顕著に見られます。
 その部分の日本語字幕が出ましたのでご覧ください。





NHK包囲デモの要求はこのように全くアタリマエのことです。
いわゆる民主主義国家の公共放送がこのようなデモに遭うこと自体が、とってもみっともないスキャンダルです。もうすぐこれも世界中に報道されても不思議ではないでしょう。

せめて日本の民放がこのデモの様子を伝えることを期待します。
 

(25日追加です)

*朝日新聞電子版が写真入りで伝えています。
→「政権の広報やめろ」NHK囲み、市民団体が抗議行動。
実行委によると、この日、大阪、京都、広島のNHK局前でも、実行委の呼びかけに応じた有志が、抗議活動をしたという。

 *最も詳しく是非見るべきは→IWJのまとめです。
ここにある→この動画を是非ご覧ください。参加者の演説の一部が見られます。かつて安倍晋三の反民主性体質の犠牲になった元NHK記者の悲痛な訴えから始まります。

2015年8月20日木曜日

308:ドイツARTE「慰安婦問題を追う在ベルリンの日本人写真家矢嶋宰氏とスタンドデモ」を報道

 先日→306回の写真報告で独仏共同公共放送テレビArteがスタンディングデモの取材に来た写真もおみせしましたが、同放送が17日のニュースで、元「慰安婦」の皆さんの記録を長年撮り続けている矢嶋宰氏の姿をルポした放送がありました。それに日本語の字幕を付けた方から以下の解説をつけたお知らせが来ましたので紹介します。
 ここでのニュースキャスターの解説が述べていることが、安倍談話と「慰安婦」問題についての国際的認識です。

(付記)田中利幸さんのブログに掲載された→「安倍談話を徹底批判する」をお読み下さい。国際的視点からからどう見られるかがよくわかります。
 ここで彼は—「過去の克服」失敗を明瞭に証拠づける「負の遺産」として後世に残すべき記録 —との小見出しを付けていますが、わたしも全くそう思います。だからわたしも前回で→負の教材として教室で使おうと提案したのです。役に立ちますから。
 
(以下引用)
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先日14日にブランデンブルク門前で行なわれたスタンドデモと「慰安婦」問題をテーマに活動する矢嶋さんのことを報道するニュースがARTEで放映されました。
この動画には残念ながら出ていませんが、これが放映された17日のニュースでは、ニュースキャスターがこのルポの始まる前に、以下のことを述べていました:


敗戦から70年を記念して安倍総理が出した談話は、非常な緊張感とともに待ち受けられました。
 痛惜の念や哀悼と いった言葉がここでは語られましたが 安倍は謝罪という言葉は一切口に出そうと しませんでした。
 それと同様「慰安婦」という言葉も彼は使いませんでした。 「慰安婦というのは、性奴隷を美化した言い方です。 10万人という少女、女性たちが日本の軍隊が用意した売春宿で 性行為を強制されました。
 いかほどの苦痛、 いかほどの屈辱をこれらの女性たちは忍ばなければならなかったでしょうか。日本の写真家矢嶋宰氏は 彼女たちの運命を記録しました。 矢嶋氏は現在、ドイ ツに暮らしているので取材しました。

ドイツARTE「慰安婦問題を追う在ベルリンの日本人写真家矢嶋宰氏とスタンドデモ」
     

2015年8月18日火曜日

307:「安倍落第談話」を日本の教室でのテキストクリティックの教材として提案します。歴史認識での孤立を克服するために。

 8月14日に出された戦後70年の安倍談話に対する明日うらしまの見方は、出された直後に→前306回で赤字で書いたとおりです。
 その後の世界中の反応をみると、そこで予測したとおり、合格点を付けたのはアメリカ政府とオーストラリア政府などほんのわずかで、この国々のメディアはもちろん、中国、韓国はもちろん、その他の大半のアジア諸国、ヨローッパ諸国のメディアでは立派な落第点が付けられています。
一々例を挙げませんが、諸国の主要メディアでは「歴史を他人ごとのように自分の言葉で語っていない」、「アジアの被害者の心には届かない」「多言を要して謝罪をしたくないのが本音」、さらに「天皇の方が深く反省している」といった見方が大多数です。

 落第点をつけた報道の一例として、前回ベルリンの「慰安婦」連帯デモの取材に現れ紹介しましたヨーロッパでは知識人に大きな影響力を持つ独仏共同公共テレビのArte・アルテのニュースでは「安倍首相は歴史修正主義者の集まりである日本会議の一員である」と、ついに背後関係まで報道しました。
その報道に日本語字幕が付けられていますのでご覧ください。
ドイツARTE70年談話
安倍首相は歴史修正主義的グループである日本会議メンバーだからだ

 
  
 この例が示しているように、合格点をつける論評は「安保法制が合憲である」との日本の憲法学者の意見を見つけるほど難しいのが実情です。ついに、この談話は安倍政権は日本の歴史修正主義者の集まりであるという見方をしっかりと国際世論で定着させることになっています。

 にもかかわらず、14、15日の共同通信の世論調査では「談話を評価するが44%、評価しないが37%」との結果となり、内閣支持率も上昇しています。すなわち日本の世論は、ここでも世界世論と逆行する傾向を示しています。すなわち安倍談話を多数が支持する日本は歴史認識でさらに孤立を深めていることになります。

 なぜこのようなことになるのでしょうか?
ひとつの直接の原因は、日本の大半のメディアが談話には「侵略と反省という言葉が入った」とこぞって必要以上に大きく取り上げたことにあるでしょう。だから「良かった」と思う日本人が多くても不思議ではありません。
 
 ところが、そんなことは世界世論では、常識以前のことなのです。世界の主要メディアは「これらの談話の言葉が、一体どのような文脈で述べられているのか?」と厳しく読み込んでいるのです。そこから批判が生まれるのです。すなわち、ここでは日本のメディアはテキストクリティックの能力で落第なのです。ここに歴史認識での日本の世界からの孤立の大きな原因があると言えるでしょう。

 そこで、わたしは2010年に東京のある大学でカントの定言命法に関するドイツ語文献翻訳の実験的な演習を行い、優秀な大学院生たちをうんと苦しめたことがありますが、安倍談話を読んでその時のことをふと思い出しました。 「これは初歩テキストクリティクの格好の教材となる」と気付きました。

 理由は簡単です。例えばわたしが、どこかの高校か大学の教師であり、生徒、ないしは学生諸君に、「君たちが日本の首相であれば、戦後70周年の首相談話をどう書くか」との課題を、夏休みの宿題の課題としたとします。もし今回の安倍談話がその回答として出されたら、たちまち落第点を付けます。単位ゼロの評価です。

 そこで日本の大学、ないしは高校の先生方に提案します。夏休み明けの秋からの教材として教室で使われることを勧めます。幸い公式の英文もありますので、うってつけです。

*首相官邸ホームページより日本語原文と英文

→内閣総理大臣談話       →Satement by Prime MInister Shinzo Abe

 さらに今回、談話と比較されている8月15日の全国戦没者追悼式での平成天皇のお言葉も比較テキストとして教材になります。

*宮内庁ホームページより日本語と英文

→天皇陛下のお言葉 

Address by His Majesty the Emperor on the Occasion of the Memorial Ceremony for the War Dead (August 15, 2015)


これらをそれぞれの、広い範囲での人文系の授業で教材として使うことができるでしょう。これだけは、文部省も使うなとはいえないことは間違いありませんよ。

 例えば歴史の授業では、談話冒頭の「植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。」という記述の初歩的な間違いはどこにあるか?(東南アジアの諸国の歴史から300年ほどズレている。ポルトガルがマラッカ王国を占領したのは16世紀初めで、日本の直ぐ南の現フイリッピンをスペインが掌中にしたのは16世紀半ば。要するに安倍内閣の恐るべき無知はこの程度。これが閣議決定された総理大臣談話であることは、一体どういうことなのか)といったクリティックから始められますし、語学の授業では日本文と英文の主語の違いはどこにあるか? このあたりから始められます。

 このような教育は、ドイツではギムナジウム(中高等学校)では通常の教授法です。批判力を身につけることが目的とされているからです。ここからメディアの批判能力も培われて来るのです。
 日本では管理教育で批判能力を身につけることのできていない世代がメディアでも多くなって来ています。今回の安倍談話を巡って日本メディアは生命線である批判能力の弱体化が露になっています。このままでは、歴史認識での孤立化はますます進むだけです。この危機を長期的に克服するためには、長期的には教室から始めなければならないと思います。

 以上日本の教員のみなさま、あるいは高校生、大学生諸君に勧めます。

(18日追加)昨日これを書いた頃の朝日新聞電子版に、外務省が安倍談話の出された直前14日にホームページから安倍談話と整合性のない村山談話や小泉談話を→こっそり削除したとの記事があります。 姑息きわまりない隠蔽体質が出ていますね。この分では教室で安倍談話が負の教材として使われるようになると、官邸の頁から安倍談話も削除されてしまうかもしれません。早く保存してください。
この記事から一部を引用させていただきます:

 
削除されたのは「歴史問題Q&A」というページ。2005年8月、戦後60年の取り組み
の一環で掲載した。先の大戦に対する「歴史認識」のほか、「慰安婦問題」「南京大虐殺」
「極東国際軍事裁判(東京裁判)」など8項目について、政府の見解や対応を説明している。

 先の大戦の歴史認識については「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア
諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」「痛切なる反省と心からのおわびの気持
ちを常に心に刻み」などと記述。1995年の村山談話や05年の小泉談話を踏襲する内容
で、両談話を参考資料にも掲げていた。

 また「南京大虐殺」については「日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略
奪行為等があったことは否定できない」などと説明していた。

ドイツでこんなことが起これば、メディアから担当官は厳しく理由を追及されることは間違いありません。歴史隠蔽体質が外務省にも沁み込んでいる実例でしょう。

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ついでに我田引水となりますが、『世界』の最新号に戦後70周年特集があり、わたしも「負の歴史に終止符が打たれることはない」と題して、ドイツの戦後70周年について寄稿しています。こちらの→目次にあります。ご参考まで。

ドイツ・負の歴史に終止符が打たれることはない

──見過ごされて来た旧ソ連の被害者に向き合う市民たち──

梶村太一郎



 「親衛隊とドイツ軍によるレニングラードの包囲と市民の餓死、意図された570万人のソ連兵捕虜の半数の死、ワルシャ ワのユダヤ人ゲットーの殲滅、そして1944年のポーランドの首都の計画的破壊などを生き生きと記憶せず、そこから生じる道徳義務を忘れたりすることへの 正当性などはあり得ない」(5月8日、ドイツ国会における記念式典での歴史家H. A. ヴィンクラーの言葉)。
 ユダヤ人600万人に次ぐ330万人もの犠牲者をだしたソ連兵の捕虜など、旧ソ連の「忘れられた犠牲者」の存在をドイツの市民と国家はどう認知し、謝 罪・補償をしようとしているのか。「忘れられたナチスの犠牲者のための市民参加・コンタクテ」などの市民団体の活動と、それに呼応した国家の対策を紹介し つつ、戦後70年のドイツの新しい動きをルポする。


(8月20日追記:訂正)
やっと昨日、手元に着いた『世界』の上記の寄稿を読み返してみると一カ所校正の見落としがありましたのでこの場で訂正します。
192ページ上段3行目に:
一九四年六月に始められたバルバロッサ作戦では、・・・
とありますが、正しくは一九四年です。

この最新号には力のこもった寄稿が多く見られます。是非お読み下さい。

わたしが特に注目したのは、「慰安婦」問題と平和論に関する以下の寄稿ふたつです:

破綻した「日本軍無実論」

永井 和


 「慰安婦」制度に対する日本軍の責任を否定する主張を展開し、元「慰安婦」の主張や支援団体の主張、さらにまた日本政 府のとった措置を非難するとともに、「軍の関与の有無」から「強制連行の有無」へと論点をシフトさせようとする──この「日本軍無実論」は、いつ、どのよ うに登場したのか。
 慰安所は戦地に展開した公娼施設であり、合法的な存在であるから軍の責任は問えないとする見解を中心に、社会に深く根を下ろしつつある「日本軍無実論」を整理して論じながら、「慰安所=軍の後方施設論」を軍や警察の資料をもとに実証する。


反復強迫としての平和

柄谷行人


 憲法9条を守ってきたのは誰なのだろうか、なぜ平和憲法は70年もの間、変えられることなく今に至っているのだろう か。護憲派のキャンペーンのためか、それとも、進歩派知識人の啓蒙活動によるものか──。そのどちらも正しくはないのではないか、そう著者は考える。なぜ なら、憲法9条は「意識的な」反省や活動によって維持されてきたのではなく、日本人に「無意識的に」定着したものだからだというのである。ではなぜ、そう なのか。著者はカントとフロイトの2人に着目し、その平和論がどのような時代と社会の文脈から表れてきたのかを辿っていく。そして今後も、日本人と憲法9 条が離れることはないと喝破するのである。
 憲法違反の安全保障法案が国会で議論され、戦後日本の平和と民主主義が最大の岐路にあるいま、世界史的な視野からの憲法9条の平和論を熟読玩味したい。







2015年8月15日土曜日

306:ベルリン:元日本軍「慰安婦」に連帯するスタンディングデモ写真報告。不誠実な「つまみ食いインチキ安倍談話」は許されない。



 →304回に予告しましたベルリンのブランデンブルク門前のパリ広場で、今や恒例となった元日本軍「慰安婦」に連帯する日本・韓国・ドイツの市民によるスタンディングデモが8月14日に行われました。

 今年はドイツも、観測史上最高の熱波が続き、しかも日本とは逆に湿度が極端に低いサハラ砂漠からの高気圧に覆われ、気温は35度ほどでした。
しかし、多くの観光客が関心を示すなかで、ドイツ、中国、日本の多くのメディアの取材もあり、特に今年は、独仏共同公共テレビArte・アルテのドキュメント部門の取材班が「慰安婦」問題について、実にていねいな取材をしました。この放送は欧州同盟の中では非常に質も高く、知識人には影響力が大きいのです。

 ちょうど本日、日本では安倍談話が出されましたが、今年は「アベ政治を許さない!」 の声が一段と高くなった抗議行動となりました。

 この談話は、歴史認識で劣等内閣である安倍政権に相応しく、歴代内閣談話と諮問した有識者懇談会報告のコピペ(つまみ食い)を基にしただけで、反省の誠意が全く見られない噴飯ものです。要するにつまみ食いの文言を侵略戦争と植民地主義の言い逃れに使い、本音の「もう謝罪などするつもりはない」と主張する不誠実が極まるインチキ談話なのです。(これについては近日中にここで述べるつもりです)。
  これでは先の15年戦争のアジア諸国からの信用回復はとても望むことなどできない代物です。これによりアジア諸国からの怒りは納まるどころか、逆に「歴史認識の信用赤字」が余計に深刻になるだけです。褒めてくれるのは親分のアメリカ政府だけでしょう。

レトリック/言い逃れの政治には、目先はともかく将来はありません。
 
 政治家の歴史認識での信用は誠意を言動で示すことで決まります。
安倍談話を注視した村山元首相は「さっぱりわからん」と批判したと伝えられていますが、安倍氏とは正反対の誠実さだけがとりえのこの好人物の正直な感想でしょう。

 とどのつまり「言は体をあらわす」のです。「反省」の名の下に「謝罪」を否定する自己撞着の安倍内閣は、この面で戦後史上最悪の政権なのです。戦後70年の日本の全くありがたくもない不幸と言えましょう。日本国民や憐れ。

 今日の様子をとりあえず写真でご覧ください。解説は後ほど補足します。クリックすればパノラマで拡大して見れます。

(追加情報)他の参加者の皆さんからの写真は→Facebook からご覧ください。
また15日にデュッセルドルフで行われた「アベ政治許さないデモ」はIWJが国際チャンネルで実況中継しました。→こちらです見れます。ベルリンも来年はやった方が良いかもしれない。暑さで来れなかったお年寄りもいるし、世界中で注目されていますからね。
今年は、強烈な暑さと、ブランデンブルグ門は折りからの西日に晒されて、観光客も長く立ち止まる人は少ないようでした。10日ほど続く日照りで広場の石畳も熱いのです。
この横断幕は昨年から登場しましたが、増々活躍。
プロテスタント教会の長老アルブルシャフト牧師も今年は麦わら帽で参加してくださいました。高齢の参加者の健康が心配されました。そこにベルリンでの展示会に作品を出品されている若手の大学教授も参加。

アルテの取材班が現れました。
今年はアジア9カ国の犠牲者の9人の写真がそろいました。


毎年続いているので、40人ほどの参加者でもパリ広場の真ん中を占領しての大きなデモとなります。警備のお巡りさんも最初少し顔をだしただけで、パトカーを日陰に持って行ったらしく姿が消えました。多分ドイツのパトカーにはエアコンがないのかもしれませんね。
この写真で人出の少なさとデモの一がよくわかります。
中国ラジオの若い女性記者が現れ、ていねいに取材。



取材する日本のカメラマンを取材するアルテ

アルテのディレクターの女性は、取材姿勢からして超ベテランであることが判ります。
討論も行われます。
韓国の観光客の一団が現れましたが、あまり関心がなかったようです。
日本の教員の観光客は、こんなところでこのデモがあることに驚き、長く立ち止まって話しをしていました。
その中に、在日の韓国人の女性がおり、昔わたしと合ったこともあるのでビックリ。

英語、ドイツ語、韓国語ができる人が多いので、熱心な質問にも答えることができます。
この方は、もうすぐ80歳の誕生日を迎えられます。おめでとうございます。

「8月14日の日本軍『慰安婦』メモリアル・ディーを国連記念日に!」
若者たちの関心も相当なものです。ここは世界中から人が集まりますが、単なる観光地とは少し雰囲気が違い、どうしても近代史に関心が向くからでしょうか。
中国の観光客は、中国人犠牲者の写真を見つけて大感激していました。



暑い中みなさまご苦労様でした。二時間でも1人水分1リットルの補給が必要でした。

2015年8月10日月曜日

305:川内で日本の破滅が再稼働

このブロクの最短文の寄稿として一句:

       川内で日本の破滅が再稼働

 
この写真はフクシマ事故なんぞは何するものぞと川内原発再稼働を認可した伊藤祐一郎鹿児島県知事。
 この写真は2014年10月9日に、ベルリンで鹿児島物産展が行われた際、日本大使館でのレセプションで筆者が撮影したものです。
 
 薩摩焼酎をやりながら、川内原発再稼働についての知事の考えを梶村が質問したところ、「私はね、自治省で長い間新潟県の刈羽原発にかかわってきたのですよ。九電も減価償却後の儲けがしっかり出るまで稼働させれば廃炉にすると思いますよ」との典型的な天下り官僚の本音の返事でした。県民の安全などは、全く意に介さない東大出身の官僚の典型の考えです。
 このような人物が日本の官僚閥で市民を無視し、国を滅ぼすのです。

2015年8月9日日曜日

304:ベルリン:元「慰安婦」へ連帯するスタンディングデモのお報せ。Einladung zur Mahnwache zum Gedenktag für die ehemaligen „Trostfrauen“ des japanischen Militärs

 さて、今年も8月14日(金)に元日本軍「慰安婦」のみなさんに連帯するスタンディングデモがブランデングルク門に面したパリ広場で行われます。

 昨年は韓国から李玉善さんが駆けつけて多くのイベントに参加してくださり、中国や韓国のメディアも大きく報道しました。そのためここでの報告も→261回から5回に渡っています。

 今年は第二次世界大戦終結70周年になりますが、日本政府はいまだにこの問題に誠実に対処せず、世界中からその史実に向き合わない姿勢を世界中から指摘され、歴史認識で孤立を深めるばかりです。
 特に今年は敗戦70周年の8月15日に予定されている「安倍談話」を巡って、そこに「侵略」、「おわび」の文言が入るか否かが、世界中から注目されているといった、全く目も当てられないような歴史修正主義政権ならではの情けないことこの上ない醜態を晒しています。
海外在住の日本人はもちろん、日本の友人たちも本気で怒っています。

 このような「アベ政治を許さない」と抗議するこの行動に参加しましょう。
以下ドイツ語のビラと、日本語、ドイツ語、英語での呼びかけです。
もっと詳しくは、今年用に立ち上げられた→Facebook で更新をご覧ください。


「慰安婦」問題の解決に向けて-サイレント・デモ/パネル展示+「アベ政治を 許さない」一斉行動へのお誘い

★8月14日(金)16:00-18:00 ブランデンブルク門前★

日中・太平洋戦争の戦時下、アジアの多くの女性たちが日本軍による性暴力の被害を受けました。

1991年8月14日、金学順(キム・ハクスン)さんが、初めて「慰安婦」であったことを名乗り出て、その後、韓国に限らず広範囲にわたるアジア各地で被害者の女性たちが勇気を持って証言しはじめ、日本軍による性奴隷制のありさまが明らかになり、被害者の数は約20万人と推測されています。

1993年、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送に日本軍が関与したことを認める「河野談話」が出されましたが、現在まで、公式な謝罪と補償がなされていません。認定教科書からも「慰安婦」の文字は消し去られました。日本の歴史に対する姿勢は国際社会からも非難されています。

終戦から70年、被害者の女性たちがこの世を去っていく中、私たちに残された時間はあまりありません。

私たちは、「慰安婦」にさせられた女性たちの名誉を回復するため、そして日本が歴史の事実に 真摯に取り組む成熟した社会への道を歩むため、日本に公式な謝罪とその証としての補償、そして教育を求めます。

※18:00 に澤地久枝さんの呼びかけてはじまった「どこでもアクション!アベ政治を許さない 一斉行動」に連帯して、ブランデンブルク門前で撮影し、その写真をアップします。

ぜひご参加ください。

お問い合わせ
Japanische Fraueninitiative Berlin talk.in.japanese.jfib@gmail.com

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Einladung zur Mahnwache zum Gedenktag für die ehemaligen „Trostfrauen“ des japanischen Militärs
14.08.2015 (Fr.) 16:00-18:00
Berlin, Pariser Platz (vor dem Brandenburger Tor)

Vor 70 Jahren ging der Asien-Pazifik-Krieg (1931-1945) mit der Kapitulation Japans zu Ende. 46 Jahre später, am 14.08.1991, erzählte Frau Kim Hak Soon (Südkorea) als erste ehemalige „Trostfrau“ ihre Geschichte und brachte ein bis dahin verdrängtes Kapitel des Krieges ans Tageslicht.

Durch ihren mutigen Schritt und die darauf folgenden Aussagen von weiteren betroffenen Frauen wissen wir heute von dem Bordellsystem des japanischen Militärs während des Krieges. Zwar klingt die Bezeichnung „Trostfrauen“ harmlos, meint aber tatsächlich ein System der sexuellen Sklaverei. Die Frauen wurden in die Bordelle verschleppt, dort festgehalten und sexuell missbraucht. Heute wollen wir Frau Kim Hak Soon und der bis zu 200.000 geschätzten Opfer von sexueller Sklaverei durch das japanische Militär gedenken.

Die japanische Regierung bestätigte 1993 zwar die Beteiligung des japanischen Militärs an diesen Verbrechen, aber bis zum heutigen Tage folgte keine entsprechende und offizielle Entschuldigung oder Entschädigung, wie sie die Überlebenden erwarten. Im Gegenteil wird unter dem amtierenden Premierminister Shinzo Abe verstärkt versucht, die Geschichte der „Trostfrauen“ zu verleugnen, was die betroffenen Frauen einmal mehr demütigt.

Wir protestieren gegen diese Geschichtsfälschung und fordern von der japanischen Regierung, 70 Jahre nach dem Krieg endlich die Frauen zu rehabilitieren.

Kommt zu unserer Mahnwache,
erhebt gemeinsam mit uns
Eure Stimme gegen die aktuelle Politik der Abe Regierung!
(kommt bitte in schwarzer oder dunkler Kleidung)

Japanische Fraueninitiative Berlin Kontakt: talk.in.japanese.jfib@gmail.com

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Silent Demonstration calling for a resolution to the comfort women issue + Open air exhibition

August 18th, Friday, 16:00-18:00 at Brandenburger Tor

During the Asia Pacific War, approximately 200,000 women from all over the Asia-Pacific region were kept in rape camps (peculiarly called 'comfort stations') and forced to provide sexual services to Japanese soldiers.

The Japanese Government officially admitted in 1993, that the “Comfort Women” system was indeed sexual slavery in which the Japanese military was directly involved. However, Japanese politicians, including Prime Minister Shinzo Abe who has been trying to rewrite history, keep insisting that there is no evidence that “Comfort Women” were forced and it was rather an entertainment business by free will.

The issue of sexual slavery by the Japanese military has been removed from middle-school text books since 2007. That means that the next generation in Japan would not have the opportunity to learn about the war crimes against women their country committed.

We urge the Japanese government to make an official apology and take immediate measures to redeem the honor of the victims of Japan’s military sexual slavery.  

There will be several information panels that you can learn more about "comfort women" issue as well as the testimonies of the victims all over Asia. Please join us!

Contact:
Japanische Fraueninitiative Berlin talk.in.japanese.jfib@gmail.com

2015年8月1日土曜日

303:米盗聴機関NSAが日本の政府と企業をスパイした証拠をウィキリークスが暴露・ドイツメディアも詳しく報道/追加:日本のメディアは禁断のスパイの巣を暴くべし。



 一昨年の秋にスノーデン氏の暴露情報に基づき、ニューヨークタイムスが「NSA(国家安全保障局)はドイツだけでなく日本政府も盗聴している」と報道した件で、小野寺防衛大臣が「信じたくない」と述べたことは→ここでも報告したとおりです。

 ところが、ウィキリースクが本日7月31日付で「Target Tokyo」とのタイトル上記のひとこまマンガをつけた→プレスリリースと同時に、日本政府と三菱と三井の企業の重要機関の電話を盗聴していた→証拠書類5本と、さらには盗聴対象とされた→政府と企業の35の電話番号のリストを暴露しました。

そのリストの最初に見られる電話番号:
+8135253XXXX JA MISC CAB OFF SWBD V
は、おそらく内閣の中枢のものでしょう。
 現在も盗聴されていることは十分推定できます。

 このリークを受けていた「南ドイツ新聞」が、即座に→電子版で詳しく報じ、それを「シュピーゲル誌」も電子版で→追いかけて報道しています。

 暴露されたトップシークレットとされている書類は、2008年の洞爺湖サミットでの気候変動に関する日本政府の米政府の意向を汲む対応に関するものが主ですが、農業生産物の輸出入に関するものまで見られます。
 これらの内容は今では知られていることがほとんどのようですが、問題はここで、米政府による盗聴の事実がこのわずかな書類で立証されたことです。

 おそらく日本政府は、できるだけこの暴露が問題にならないように今朝から舞台裏で、画策しているでしょうが、さて日本の議会とメディアがどれだけこれを基に追及できるかが試されることになります。追及できなければ、それ自体が議会とメディアの弱体化として東京の外国メディアから報道されるのも間違いありません。注目しましょう。

以下はウィキリークスの頁の一部です。
 


8月1日に追加します。
これは→スプートニク・ドイツが掲載したマンガです。
ニッポンのアベさんが、アメリカの盗聴盆栽に水をやっています。断固として抗議しない日本政府の姿を上手く描写しています。

 一夜明けて日本の報道を見ても、やはり弱いですね。 NSA Japanで検索するとよくわかります。もうすぐアメリカに抗議もできない日本政府の腰抜けぶりについての報道があるでしょう。

 そこで、日本のメディアの皆さんへのヒントです。
一昨年の秋にスノーデン氏の暴露で明らかになったベルリンのアメリカ大使館の屋上のスパイの巣については、当時→ここで詳しく説明したとおりです。これらの報道が元で、オバマ大統領は「メルケル首相の携帯電話の盗聴はしないと」表明したことはよく知られています。

 おそらく東京の虎ノ門のアメリカ大使館の屋上か建物内にも同じSCSというスパイ鳥の巣があるはずです。共同通信の旧建物とも目と鼻の先ですね。それを追及して暴露するのは時にかなったメディアの仕事です。
 下の写真は→こちらから借用した、禁断のアメリカ大使館を空撮したものです。
白亜の大使公邸の上がアメリカ大使館

2015年7月31日金曜日

302:東京電力勝俣元会長ら業務上過失致死傷で強制起訴/司法の隠蔽体質にメス

 本日2015年7月31日は、フクシマ事故の刑事責を任追及する日本の市民の意志に、ついに検察が屈した歴史的な日となりました。
 このブログでも当初から紹介し、登場させていただいた河合、海渡両弁護士らと、もちろん武藤類子さんらの努力によるものです。心からこの皆さんの健闘に感謝いたします。

 市民の怒りの力が日本の司法の隠蔽体質にメスを入れる始まりです。責任をきっちりと追及できてこそ民主主義が根付く社会といえます。その大きな第一歩です。

詳しい経過は→Our Planet TVからご覧ください。
また本日発表された→検察審議会の議決文書 (事実上の起訴状)もご覧ください。


東京での記者会見の一部です。

2015年7月10日金曜日

301:「敗戦70周年のドイツから見た日本」大阪保険新聞への寄稿

 最近ブログへの投稿がお留守になっていますが、それは原稿書きに追われていたことがおもな原因です。やはり今年は戦後70周年ですから、これに関するテーマでずいぶん書きました。
 これらは近いうちに発刊される雑誌などに掲載される予定ですが、その第一弾として、「大阪保険医新聞」の6月5日と15日に掲載された「敗戦70周年のドイツから見た日本」の㊤「鮮明になる戦争の記憶」と㊦「自滅に至る加害認識の欠落」を紹介します。
 掲載分の写真はブログの長所を生かし、同じものを末尾に挙げておきます。

 また㊤で紹介しました「国家社会主義による『安楽死』謀殺の犠牲者のための追悼と情報記念碑」の開幕式の写真を追って追加したいと思います。
昨年の9月2日に行われたこの式典と追悼碑については、日本ではほとんど報道されていませんので、ブログで紹介します。

 ㊦で紹介しました本年五月に開館したばかりの栃木県益子の→「朝露館・関谷興仁彫刻美術館」のホームページもご覧ください。
 新聞の本文はクリックしてくだされば、パノラマ写真として読めます。


三国同盟締結時の日本大使館 写真:ドイツ連邦公文書館
「安楽死」犠牲者追悼記念碑(左)と情報設備。背景がフィルハーモニー(撮影筆者)
ゲシュタポ本部跡地を掘り返す市民運動(1985年5月5日)写真:「テロルの地勢誌」
「朝露館」関谷興仁の陶芸作品の一つ。写真:同館ホームページ  
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2015年6月17日水曜日

300:ついに関西の学生たちも「戦争法案」反対デモに立ち上がります。

 このところ、多くの原稿書きでブログに投稿できていませんが、ついに関西の学生たちも安倍プチファシスト内閣が策略する「戦争法案」に反対するデモに立ち上がりますのでお報せします。SEAJDs KANSAIという学生たちです。


    詳しくは→彼らのHPこちらをご覧ください。 



 このような平和憲法を骨抜きにする違憲立法を許すと、まず戦争に駆り立てられ殺し殺されるのは、今の学生諸君と同年輩の自衛隊員であり、君たちに続く若い世代だ。
頑張ってください。ベルリンからも応援します。

年寄りはHPから寄付をしましょう。カンパです。

2015年4月13日月曜日

299:ギュンター・グラス氏の訃報に接して:「墓の下からも大喧嘩」の遺言詩


              Wegzehrung   旅の糧

        Mit einem Sack Nüsse   ひと袋の堅果*とともに
        will ich begraben sein   わたしは埋葬されたい
        und mit neuesten Zähnen. もっとも新品の歯もそえて。
        Wenn es dann kracht,   そして砕く音が響けば、
        wo ich liege,        わたしが横たわっているところで、
        kann vermutet werden:  こう推測されてよし:
        Er ist das,         それは彼だ、
        immer noch er.      またもや彼だと。

 Aus: „Fundsachen für Nichtleser“, 1997『読者でない人への遺失物』1997より
 (翻訳:梶村太一郎。訳注:堅果*はクルミやハシバミのような堅い殻のある木の実)

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 これは今朝、ベルリンの→フンボルト大学森鴎外記念館からわたしへ転送されてきた、ギュンター・グラス氏の訃報の一部です。同じ文学者記念館であるリューベックの→ギュンター・グラスの家から送られてきたオフシャルのものです。

 グラス氏は本日、2015年4月13日の午前、リューベックの入院先で肺炎のため亡くなったと報道されています。 87歳でした。(14日追加:本日の南ドイツ新聞が、30年間、グラス氏の作品を出版しているスタイドル氏の話しを伝えていますが、それによれば、先週、グラス氏を自宅に訪ねて次の著作の出版の最終的な打ち合わせをし、6月12日には出版記念の朗読会をする予定まで話し合い、いつものとおり、その日はバーデンの果実酒で乾杯したそうです。まったく普段と変わらなかったのですが、金曜日に突然高熱を発し、月曜日の朝に肺炎で亡くなったとのことです。)
 
 この訃報に、まさに彼らしい詩がまるで遺言のように付けられているので、上記にわたしなりに翻訳してみました。ここで「砕く音」と訳したkrachenという動詞は、「大音を立てて響く、大喧嘩をする」といった意味があります。
グラス氏は戦後のドイツ史では、文学者として政治的にもしばしば、大喧嘩を仕掛けた人物です。その最後のものとしてはちょうど二年前に一遍の散文詩でイスラエルを批判して大騒ぎになりました。イスラエルとドイツの痛いところを突いたため、イスラエルから入国禁止措置をとられたりしました。この大喧嘩についてはこのブロクで→3回にわたり詳しく報告して大きな反響があったとおりです。

また2006年には、逆に彼が痛いところを突かれた大騒ぎもあり、これについては→こちらで紹介してあります。その際、紹介した「グラス親衛隊事件」への朝日新聞での解説記事のオリジナルをここでつけておきます。(クリックで拡大できます)
「朝日新聞」2006年9月21日
この記事に出てくる、彼の長年の盟友である芸術アカデミーのクラウス・ステック教授は、今朝からさっそくラジオのインタヴューに答えて「グラス氏は社会の傷口にふれることで、民主主義への願望と欲求を追求した闘士であった。盟友を失ってつらい」と述べています。 古くはスッテク氏らとともに社会民主党のウイリー・ブラント党首の選挙応援に積極的に取り組み、戦後初の革新政権樹立に貢献し、ドイツの民主化と東方外交の推進に大きな役割を果たした偉大な作家でもありました。
 この写真は1985年の選挙運動でニーダーザクセン州をブラント元首相とともに訪ねたときのものです(右)。左には後の首相となり脱原発法を実現したゲアハルト・シュレーダー氏の反原発運動に専念する若き姿があります(写真:DPA)。
グラス氏は当時から この州に建設予定のゴアレーベン核燃料最終処分場に反対する運動を積極的に応援し、社会民主党が原発推進から脱原発に政策転換することにも貢献しました。

 わたしがグラス氏の姿を最後に見たのは、下の写真にあるように東独出身の女性作家クリスタ・ヴォルフ氏の追悼集会でした。2011年の12月でした。そのときは元気そうで、翌年のイスラエル批判もあり、まだまだ活躍されるのではないかと思っていたのですが、突然の訃報に驚いたというのが正直なところです。
 そこで旧い記憶をたどると、確か30年ほど前に、日本の雑誌の取材で彼の北ドイツ海の近くのアトリエを訪ねたことを思い出しました。彼は小説家であるだけでなく非常に優れた画家でもあり彫刻家でした。これが初対面で インタヴューの後に「これはポルトガルのものだよ」と珍しいイチジクのリキュールを親切にふるまってくれ乾杯しました。
 
 敗戦70周年の今年は、先にワイツゼッカー元大統領も亡くなり、戦後社会に決定的な役割を果たした大人物が現世から消えて行くようです。 しかし、文学者のグラス氏は詩にあるように墓の下からでも大喧嘩を仕掛ける決意であるようです。偉大な作家とはそのようなものです。亡くなって死出の旅路からも木の実を糧に騒ぎを起こすようです。楽しみです。
クリスタ・ヴォルフ氏の追悼集会で左がグラス氏。2011年12月