2013年6月11日火曜日

168:吉見義明「橋下徹市長への公開質問状」と(別紙1)全文の紹介

 橋下徹大阪市長の最近の「慰安所は必要であった」との暴言は「強盗の居直り説教に等しい」と指摘し、それが世界の人権認識に対する安倍晋三首相ら日本の歴史修正主義者の言動として、国連機関の厳しい勧告に及んだことは、ここでも報告したとおりです。橋下市長の訪米が中止せざるを得なくなったように、戦争の加害事実を否定する言動は民主主義社会ではとうてい容認されません。特に政治家には決して許されない行為です。それを容認することは民主主義の自殺に等しいからです。特に第二次安倍政権でそのような歴史認識で後退が露わになっている日本社会を、世界は深く憂慮し危険視しています。
 
 以下、昨年来の橋下市長の言動で名誉を毀損された吉見義明教授の6月4日の公開質問状と、それに添付されている別紙を、ここでそのまま紹介させていただきます。これらとは別に資料8点が添えられていますが、膨大なのでここでは省きます。
安倍晋三氏以下の歴史修正主義者の言動がデマゴーグのそれであることが、これだけでも明らかであることが理解できるでしょう。歴史への無知は犯罪とも言えます。橋下徹市長の言動はその犯罪行為のひとつの現れです。期日までに、市長の発言の撤回と謝罪がない場合は、法廷で罰せられるべきです。

なを、日本の戦争責任資料センターが、6月9日付けの「日本軍『慰安婦』問題に関する声明」を 本日ホームページに掲載していますので、こちらも是非とも併せてご覧ください。この問題に関する歴史修正主義者の主張の誤りを総括的にまとめてある声明です。

以下全て引用です。

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2013年6月4日
橋下徹市長への公開質問状
中央大学 吉 見 義 明
 
 あなたは、2012年8月24日の記者会見(以下「本件会見」といいます。)において、日本軍「慰安婦」問題に言及し、「吉見さんという方ですか、あの方が強制連行という事実というところまでは認められないという発言があったりとか……」と述べ(以下「本件発言」といいます。)、私が強制連行という事実はなかったと発言していると断定されました。
 しかしこれは、1991年から20年以上この問題を解明してきた私の研究の根幹を否定し、私の社会的評価を著しく損ない、私の名誉を毀損するものであるため、10月23日に、この発言の撤回と謝罪を求める質問状を差し上げました。
 これに対して、あなたは、10月29日付の私宛の書簡(以下「本件書簡」といいます。)において、西岡力東京基督教大学教授の雑誌『WiLL』2012年10月号での発言に基づいて述べたものだという理由で、発言の撤回も謝罪もしておられません。
 これは、到底容認できない対応なので、あらためて本件発言の撤回と謝罪を要求するとともに、本年5月13日の貴殿の「慰安婦」問題に関する発言とそれに引き続く外国人特派員協会での貴殿及び日本維新の会の国会議員の発言は本件発言に関連して重要と考えますので、これらも含めて貴殿の本件発言に関連して下記のとおり質問致しますので、2013年7月5日までにご回答下さい。


第1 日本軍「慰安婦」制度の実態について
 1 在日韓国人の宋神道さんが提訴した裁判では、東京地裁は「原告は、その〔武昌の〕慰安所の営業許可直前、泣いて抗ったが、軍医による性病検査を受けさせられ、営業許可後は、意に沿わないまま従軍慰安婦として日本軍人の性行為の相手をさせられた。原告がいやになって逃げようとすると、そのたびに慰安所の帳場担当者らに捕まえられて連れ戻され、殴る蹴るなどの制裁を加えられたため、原告は否応なく軍人の相手を続けざるを得なかった。」「原告らは、連日のように朝から晩まで軍人の相手をさせられた。殊に、日曜日はやってくる軍人の数が多く、また、通過部隊があるときは、とりわけ多数の軍人が訪れ、原告が相手をした人数が数十人に達することもあった。」と事実認定をしています(以下「本件事実」といいます。1999年10月1日、東京地裁判決)。また、この事件に関する東京高裁判決(2000年11月30日)も判決文で本件事実認定を踏襲していますが[i]、あなたはこれらの事実認定あるいはその他の裁判で被害者が自由を奪われ性行為を強要された旨の認定があることを知っていますか。

 2 極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)の判決は、「桂林を占領している間、日本軍は強姦と掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。工場を設立するという口実で、かれらは女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」と認定していますが[ii]、あなたはこのことを知っていますか。
 
3 上記1及び2の事例にみられるように、日本軍の慰安所(以下「軍慰安所」といいます。)に入れられた女性たちは、そこから逃げ出すことも、性行為を拒否することもできず、1日に数人から数十人を相手にしなければならなかったという事実をあなたは知っていますか。

4 上記1の事実が認められる日本軍「慰安婦」制度は、居住の自由、外出の自由、廃業の自由(自由廃業)、拒否する自由がない性奴隷制であり、女性たちは慰安所で軍人の性の相手を強制されたのではありませんか[iii]

5 日本軍は、当時、別紙1のとおり、軍慰安所を軍の施設として設置し、徴募・渡航の方法・条件の指示、軍慰安所規定の制定、監督・統制、衛生管理、軍紀風紀維持などに関して、法規の改正や指示や指導等により主導し、内務省・総督府など関係する行政機関も深く関与していたのではありませんか。

6 上記5のように日本軍と日本政府が軍慰安所の設置、管理、女性たちの徴募の全般に深く関わっていたことについて、国際社会からは、日本軍と日本政府が日本軍「慰安婦」制度を設置し運用していたとして、日本政府の責任が問われているのではありませんか。

7 軍は、当時、帝国外に移送する目的で人を略取・誘拐または人身売買した者には犯罪が成立するとされていたから(後記第6項参照)、業者が誘拐・人身売買により軍慰安所に女性を連れて来たことを認識した場合は直ちに業者を処罰し、女性を解放して故郷に送り帰すべきところ、そのような行動を取らなかったのではありませんか。

8 上記1乃至7のことから、日本政府と日本軍は、当時、軍が設置・管理等した軍慰安所には略取・誘拐・人身売買により連れてこられた女性が、拒否する自由もなく性行為を強制されていたことを認容していたといえるのではないですか。

9 上記1乃至8から、日本軍「慰安婦」制度は、当時においても、「慰安婦」とされた女性に対する反人道的な重大な人権侵害であり、被害者が望む内容の被害回復がされていない以上、日本国は、現在においても、被害者の人権を回復すべき責任を負っているのではありませんか。

第2 日本軍「慰安婦」制度に対する国際的評価について
1 国連の自由権規約委員会その他の国際機関は、軍慰安所で女性たちの自由を奪い、性行為を強要したことが人道に反する行為であり、女性に対する暴力の究極的な形態であって、日本軍「慰安婦」制度は性奴隷制度だと指摘していますが[iv]、あなたはこのことを知っていますか。

2 あなたは、国際機関による日本軍「慰安婦」制度に対する上記評価を認めますか。

3 拷問等禁止委員会は、本年5月、日本国に対し、「慰安婦」とされていた被害者の救済のために、性奴隷制の犯罪について法的責任をみとめること、公的人物などが「慰安婦」とされた被害者の被った事実を否定する言動を繰り返していることによって再び精神的外傷を受けていることについて反駁すること、関連資料を公開し事実を徹底的に調査すること、被害者の救済を受ける権利を確認しそれに基づいて十全で効果的な救済と賠償を行うこと、この問題について公衆を教育し、あらゆる歴史教科書にこれらの事件を記載すること等を求めていますが[v]、あなたは日本国がこれらの要求を受け入れるべきであると考えますか。
  仮に受け入れるべきでないと考えるのであれば、その理由もお答え下さい。

第3 当時の国際法に照らした評価について
   日本は、当時「醜業を行わしむる為の婦女売買取締に関する国際協定」(1904年)・「醜業を行わしむる為の婦女売買禁止に関する国際条約」(1910年)・「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」(1921年)に加入しており、①満21歳未満の女性を売春目的で勧誘・誘因・拐去した者は女性の承諾があった場合でも処罰すること、②満21歳以上の女性を売春目的で詐欺、暴行、脅迫、権力乱用その他一切の強制手段で勧誘・誘因・拐去した者は処罰すること、という義務を負っていました [vi]
また、強制労働に関する条約(ILO 29号条約)にも加入しており、女性に対するいかなる強制労働をも禁止すべき条約上の義務を負っていました。当時、朝鮮・台湾からは満21歳未満の女性たちが数多く帝国外の慰安所に入れられています[vii]
そこで、あなたは、日本政府がこれらの国際条約上の義務に反したことを認めますか。

第4 日本軍「慰安婦」制度と公娼制度との関係について
 1 あなたは、慰安婦にされた女性は公娼であって、官憲が直接暴行・脅迫を用いて連行したのでなければ、慰安所に女性たちを入れたことについて政府に責任はないと述べておられます。その発言に関連して、以下の質問にお答え下さい。
(1)当時、公娼制度においても自由廃業の規定があり、意に反する性行為の強制は違法とされていましたが、あなたはこのことを知っていますか。
(2)公娼制度の実態をみると、女性は居住の自由がなく、外出の自由も1933年までは認められず、自由廃業の規定があったにもかかわらず、前借金に縛られて廃業することができませんでしたが、あなたはこのことを知っていますか。
(3)(2)の実態は、当時においても違法といえるのではありませんか。

2 軍慰安所において拒否することができずに性行為を強制されていたことは、当時の規範に照らしても許されないのではありませんか。

第5 軍・官憲による暴行・脅迫を用いた連行
 1 あなたは、本件書簡において、インドネシアのスマランで軍・官憲が暴行・脅迫を用いた連行(略取)によりオランダ人女性を慰安所に入れたことを認めておられますが、これは軍・官憲による強制連行ではありませんか。

 2 オランダ政府の報告書によれば、上記のスマラン事件以外に、ブロラでの軍による略取(監禁・レイプ)、1944年1月のマゲラン事件、同年4月のスマラン・フロレス事件、1943年8月のシトボンド事件など8件の軍・官憲による略取(未遂を含む)が挙げられていますが[viii]、あなたはこれを知っていますか。

 3 また、白人女性ではなく、インドネシア人女性の軍・官憲による略取については、アンボン島で、海軍が「慰安婦狩り」を行ったという元主計将校、坂部康正さんの証言、サパロワ島で民政警察が強制的に連行したという禾晴道さんの証言、モア島で地元の女性を強制的に慰安所に入れたという、極東国際軍事裁判の証拠記録(オハラ・セイダイ陸軍中尉の証言)などがありますが[ix]、あなたはこのような証言があることを知っていますか。

 4 日本の裁判所は、中国の山西省と海南島で、軍が暴行・脅迫を用いて女性たちを連行した事実に関して、たとえば、「日本軍構成員によって、駐屯地近くに住む中国人女性(少女も含む)を強制的に拉致・連行して強姦し、監禁状態にして連日強姦を繰り返す行為、いわゆる慰安婦状態にする事件があった」とを認定しています(中国人第一次裁判東京高裁判決・2004年12月15日)。これ以外にも、中国人第二次裁判東京地裁判決・2002年3月29日、同東京高裁判決・2005年3月18日、山西省裁判東京地裁判決・2003年4月24日、同東京高裁判決・2005年3月31日、海南島裁判東京高裁判決・2009年3月26日などで、軍による暴行・脅迫を用いた連行の事実を認定していますが[x]、あなたは日本の裁判所がこのような事実認定をしていることを知っていますか。

 5 上記2乃至4に照らせば、日本軍が暴行・脅迫を用いて女性たちを連行した多数の事実が認められているのではありませんか。

第6 連行の犯罪性とその該当性について
 1 朝鮮・台湾でも施行されていた刑法第226条は、帝国外に移送する目的で人を略取・誘拐または人身売買した者は2年以上の有期懲役に処す、と規定しています。
このように、当時、略取(暴行・脅迫を用いて連行すること)だけではなく、誘拐(詐欺または甘言により連行すること)・人身売買(前借金を与えて経済的強制により人身を拘束すること)も犯罪だとされていたことを知っていますか。

 2 朝鮮においては、軍・官憲が選定した業者が誘拐・人身売買により女性たちを国外に連行したことは、たとえばアメリカ戦時情報局心理作戦班「日本人捕虜尋問報告」第49号(1944年10月1日)など、様々な資料や軍人の証言により立証されていますが[xi]、あなたはこのことを知っていますか。

 3 警察庁は、北朝鮮による拉致の定義について、「警察において、拉致容疑事案としているものは、そのいずれも、北朝鮮の国家的意思が推認される形で、本人の意思に反して北朝鮮に連れて行かれたものと考えている」としたうえで、飲食店主が誘拐(甘言)により連行した日本人被害者についても拉致と認定していますが[xii]、あなたはこのことを知っていますか。

 4 上記1乃至3によれば、略取の場合のみならず、誘拐、人身売買により連行された場合も犯罪であり「拉致」に該当するといえるのではないですか。

第7 安倍内閣の閣議決定について
 1 あなたは、本件会見において、2007年に安倍内閣が「軍や官憲によるいわゆる強制連行の事実を直接示すような記述も見当たらなかった」という閣議決定を出したということを強調していますが、この閣議決定では同時に「政府の基本的立場として官房長官談話を継承している」と述べているのではありませんか(内閣衆質166第110号、2007年3月16日)[xiii]

2 この閣議決定は、単に「軍や官憲による」強制連行の事実を「直接」示す「記述」が見当たらないと述べているにすぎず、それ以外の証拠(たとえば、強制連行を体験した被害者の証言など)については言及していないのではありませんか。
また、スマラン事件関係資料など当時法務省が所蔵していた証拠が入っていないとすれば、調査は不徹底だったのではありませんか。

3 この閣議決定は、軍・官憲が暴行・脅迫を用いて女性を連行した「事実」の有無については言及していないのではありませんか。

4 この閣議決定は、「政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話…のとおりとなったものである。」としたうえで、「同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には」見当たらなかったと述べているにすぎず、平成5年8月4日の調査結果の発表後に発見された資料については言及していないのではありませんか。

5 この閣議決定を根拠に、当時、軍が暴行・脅迫を用いて女性を連行した「事実」を否定することはできないのではありませんか。

第8 「朝まで生テレビ」での発言について
   私は、1997年1月31日の「朝まで生テレビ」において、日本軍・日本政府の責任が問われる問題として、「慰安所での強制」、「未成年者(21歳未満)の使役」、前借金による拘束、就業詐欺、拉致・誘拐、権力乱用(半強制)、官憲による奴隷狩りのような連行という5種類の徴募時における強制があったと主張していますが、あなたは私が上記番組でこのような主張をしていたことを知っていましたか。 

第9 私の見解に対する理解について
 1 私は、これまで一貫して、慰安所において強制があったと主張し、その違法性を基本的な問題として指摘してきたのですが、あなたはこの事実を知っていますか。

2 あなたは本件会見の時までに、私の著作のうち、何を読みましたか。また、現在までに、何を読みましたか。

3 あなたは、本件書簡において、8月24日の発言は、東京基督教大学の西岡力教授が雑誌『WiLL』2012年10月号で述べていることに基づいている、と言われています。
  そこでの西岡教授の発言は、「朝鮮半島で権力による慰安婦の強制連行」は証明されていないと吉見が言ったというもので、「朝鮮半島で」「権力による」という限定が付いています(ただし、西岡教授の要約も正確ではありません。「強制連行」ではなく、「奴隷狩りのような暴力的連行」というべきです)。しかし、あなたは、本件会見で、「朝鮮半島で」「権力による」との限定なしに、「吉見さんという方ですか、あの方が強制連行という事実というところまでは認められないという発言があったりとか……」と述べ、私が強制連行という事実はなかったと発言していると断定しています。
これは、私の基本的見解を確認することなく、私の見解を歪曲して述べたことになるのではないですか。

4 本年5月27日の日本外国特派員協会でのあなたの会見の場で、日本維新の会の桜内文城衆議院議員は、私の『従軍慰安婦』(岩波新書)を英訳したComfort Women: Sexual Slavery in the Japanese Military During World War II, Columbia University Press, 2000について、「ヒストリーブックスということで吉見さんという方の本を〔司会者が〕引用されておりましたけれども、これはすでに捏造ということが色んな証拠によって明らかとされています」と述べておられましたが、これも私の名誉を著しく毀損する発言といわざるをえません。あなたは当日桜内議員のこの発言を制止しませんでしたが、この発言を肯定するのですか。
以上



[i] 坪川宏子・大森典子編『司法が認定した日本軍「慰安婦」』(かもがわブックレット、2011年)参照。
[ii] 極東国際軍事裁判所編『極東国際軍事裁判速記録』第10巻(雄松堂書店、1968年)。
[iii] 軍慰安所では女性たちはその中の一室で暮らさなければならなかった。軍がつくった慰安所規則では、外出は許可制になっていた。いうまでもなく許可制では外出の自由はないことになる。また、自由廃業(辞めようと思えばいつでも辞められる権利)の規定ははじめからなかった。前借金があるので、全額を返済しなければ解放されなかった。軍人の相手を拒否しようとすれば、軍人か業者に暴力を振るわれ、強制された。
[iv] たとえば、199614日国連人権委員会で任命されたクマラスワミ特別報告者が提出した報告書付属文書、1998622日戦時における女性に対する暴力に関する特別報告者マクドゥーガル氏が国連人権委員会差別防止保護委員会に提出した報告書など。
[v] たとえば、自由権規約委員会の勧告(200810)では、「22. 委員会は、当該締約国が第二次世界大戦中の「慰安婦」制度の責任をいまだ受け入れていないこと、加害者が訴追されていないこと、被害者に提供された補償(注:アジア女性基金)は公的資金ではなく私的な寄付によってまかなわれており不十分であること、「慰安婦」問題に関する記述を含む歴史教科書がほとんどないこと、そして幾人かの政治家およびマスメディアが被害者の名誉を傷つけあるいはこの事件を否定し続けていることに懸念をもって注目する。」「…当該締約国は「慰安婦」制度について法的責任を受け入れ、大半の被害者に受け入れられかつ尊厳を回復するような方法で無条件に謝罪し、存命の加害者を訴追し、すべての生存者に権利の問題として十分な補償をするための迅速かつ効果的な立法・行政上の措置をとり、この問題について学生および一般大衆を教育し、被害者の名誉を傷つけ、あるいはこの事件を否定するいかなる企てをも反駁し制裁すべきである。」と述べ、また、女性差別撤廃委員会の勧告(2009・8)では、「37.委員会は、「慰安婦」の状況について締約国がいくつかの措置を取ったことに留意するが、第二次世界大戦中に被害を受けた「慰安婦」の状況について、締約国が永続的な解決を見出していないことを遺憾とし、学校の教科書からこの問題に関する記述が削除されたことに懸念を表明する。38.委員会は、「慰安婦」の状況について、被害者への補償、加害者処罰、一般の人々に対するこれらの犯罪に関する教育を含む永続的な解決を見出す努力を緊急に行なうよう、締約国に改めて勧告する。」と述べている。
[vi] 日本は1921年条約第14条により、この条約を植民地には適用しない措置をとっていたが、国際法律家委員会は、「これは植民地などに残っている持参金・花嫁料の支払いなどの慣行をただちに一掃することができないため挿入されたもので、花嫁料などの慣行がない朝鮮女性に加えられた処遇について、その責任を逃れるためにこの条文を適用することはできない」と述べている(国際法律家委員会『国際法からみた「従軍慰安婦」問題』明石書店、1995年)。また、女性たちが日本の船舶で移送される場合、日本の船は国際法的には日本の本土とみなすことができるので、植民地除外の宣言にもかかわらず、この条約が適用されることになる。
[vii] 支那派遣軍慰安係長であった山田清吉さんは、「〔朝鮮〕半島から来たものは前歴もなく、年齢も十八、九の若い妓が多かった」と述べている(山田『武漢兵站』)〔資料1〕
[viii] 「日本占領下オランダ領東印度におけるオランダ人女性に対する強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告」19941月、梶村太一郎ほか編『「慰安婦」強制連行』(金曜日、2008年)に収録〔資料2〕
[ix] 海軍経理学校補修学生第10期文集刊行委員会編『滄溟』同委員会、1983〔資料3〕。禾晴道『海軍特別警察隊』太平出版社、1975〔資料4〕。内海愛子ほか編『東京裁判――性暴力関係資料』現代史料出版、2011〔資料5〕
[x] 前掲、坪川宏子・大森典子編『司法が認定した日本軍「慰安婦」』参照。
[xi] 1942年に約700名の朝鮮人女性が「病院にいる負傷兵を見舞い、繃帯を巻いてや」るような仕事だと騙され、数百円の前渡し金を受け取ってビルマに連行された、と書かれているので、誘拐と人身売買により連行されたことがわかる(吉見『従軍慰安婦資料集』大月書店、1992年所収)。小俣行男元読売新聞記者は、ビルマのラングーンにいた時、40-50名の朝鮮人女性が「慰安婦」としてやって来たが、相手になった女性は騙されて来た初等学校の先生で、別に16-17歳の少女が8名おり、この商売がいやだと泣いていたと記している(小俣『戦場と記者』冬樹社)。支那派遣軍慰安係長であった山田清吉さんは「朝鮮では業者が別の名目で募集し、実際は慰安婦にさせられたものが多い」と記している(山田『武漢兵站』図書出版社、1978年)。このような日本の軍人等の証言は数多くある。秦郁彦元日本大学教授は、自らが「信頼性が高い」と判断した「慰安婦」募集の事例を9例挙げている。そのうち4例が朝鮮人女性のケースだが、3例が誘拐、1例が人身売買である〔資料6〕
[xii] 警察庁「元飲食店店員拉致容疑事案(兵庫)について」2005425〔資料7〕
[xiii] 安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問主意書(提出者辻元清美)及び答弁書(2007年3月16日付)〔資料8〕

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(別紙1)
日本軍・日本政府による軍慰安所制度の創設・運用等に関する資料

Ⅰ.軍慰安所の設置と徴募。
 ① 陸軍省は陸達第48号「野戦酒保規程改正」(1937929日)において、「野戦酒保に於いては前項の外必要なる慰安施設をなすことを得」という条文を加え、軍慰安所を軍の施設として設置できる改正を行った(引用文はカタカナ混り文。以下同様)。
 ② 中支那方面軍は、193712月に、軍慰安所設置の指示を出している(飯沼守上海派遣軍参謀長の日記〔19371211日〕には「慰安施設の件方面軍より書類来り実施を取計ふ」とある)。
 ③ 北支那方面軍参謀長は、「成るへく速に性的慰安の設備を整」えるよう指示している(1938627日「軍人軍隊の対住民行為に関する注意の件通牒」)
 ⑤ 台湾軍司令官は、1942312日、台湾人「慰安婦」50名をボルネオへ移送するよう南方軍が要求してきたので、憲兵が調査選定した業者3名の渡航許可を陸軍省に要請し、陸軍省は326日にこれを許可している(台湾軍起案「南方派遣渡航者に関する件」19423月)。
 ⑥ 倉本敬次郎陸軍省人事局恩賞課長は、陸軍省課長会報で「将校以下の慰安施設を次の通り作りたり」と述べ、「北支100ケ、中支140、南支40、南方100、南海10、樺太10、計400」という数字をあげている(「金原節三業務日誌」〔陸軍省医務局医事課長〕194292日)。これは、1942年に陸軍省が400箇所で軍慰安所を作ったということである。

Ⅱ.徴募・渡航の方法・条件を指示。
 ① 陸軍省は、慰安婦の「募集等に当りては派遣軍に於て統制し、之に任ずる人物の選定等を周到適切にし、其実施に当りては関係地方の憲兵及警察当局との連携を密に」するよう指示している(陸軍省副官通牒「軍慰安所従業婦等募集に関する件」193834日)。
 ② 内務省は、慰安婦の渡航は「必要已むを得ざるものあり」と承認し、内地からの渡航は「現在内地に於て娼妓其の他事実上醜業を営み、満二十一歳以上且花柳病其の他伝染性疾患なき者」に限って「黙認することとし」、身分証明書を発給するよう、各府県知事に指示している(内務省警保局長「支那渡航婦女の取扱に関する件」1938223日)。内地から渡航する「慰安婦」は①満21歳以下は渡航を認めない、②満21歳以上は「現在内地に於て娼妓其の他事実上醜業を営」む者以外は認めない、というものだが、このような制限を課す通牒は、朝鮮・台湾では出されなかった。明白な差別的取扱いがなされていたことになる。
 ③ 内務省は、193811月、第21軍の要請を受け、大阪(100名)・京都(50名)・兵庫(100名)・福岡(100名)・山口(50名)に人数を割り当て、警察が業者を選定して集めさせるよう指示している(内務省警保局「支那渡航婦女に関する件伺」1938114日)。業者選定の際には、「何処迄も経営者の自発的希望に基く様取運び之を選定すること」と注意している。なお、この文書には、台湾総督府もすでに300名の女性を手配済みであるとも記されている。
 ④ 19417月、対ソ戦を想定した関東軍特種演習の際、関東軍は2万人の「慰安婦」の徴募を朝鮮総督府に依頼し、約1万人が集められたといわれている(島田俊彦『関東軍』中公新書)。最近では、その数は約3000人だったともいわれる(関東軍参謀部第3課兵站班でこの業務を担当した村上貞夫氏の千田夏光氏への手紙、『2000年女性国際戦犯法廷の記録』3巻、緑風出版所収)。

Ⅲ.軍慰安所の監督・統制。
 ① 第21軍司令部は、「慰安所は所管警備隊長及び憲兵隊監督の下に警備地区内将校以下の為開業せしめあり」と報告している(第21軍司令部「戦時旬報(後方関係)」19394月中旬)。管下の慰安婦は1000名とも報告。
 ② 第35師団司令部は、軍慰安所などの施設は「当該駐屯地に於ける高級先任の部隊長(以下管理部隊長と称す)管理し、経営又は指導監督に任するものとす」と規定している(第35師団司令部「営外施設規定」1943年)。
 ③ 独立攻城重砲兵第二大隊は、慰安所の「監督担任部隊は憲兵分遣隊とす」という慰安所使用規定を作成している(独立攻城重砲兵第二大隊「常州駐屯間内務規定」19382月)。独立歩兵第13旅団中山警備隊は、部隊副官が「軍人倶楽部の業務を統轄監督指導し円滑確実なる運営を為すものとす」という規定を作成している(独立歩兵第13旅団中山警備隊「軍人倶楽部利用規定」19445月。なお第一軍人倶楽部は食堂、第二軍人倶楽部は軍慰安所)。各部隊作成の軍慰安所規定は類似の軍による監督・統制を規定している。

Ⅳ.軍慰安所の衛生管理。
 ① 陸軍の教育総監部は、性病予防に関して「慰安所の衛生施設を完備すると共に軍所定以外の売笑婦、土民との接触は厳に之を根絶するを要す」と初級将校に指導している(教育総監部編『戦時服務提要』1938525日)。
 ② 陸軍省は、性病予防に関連して「出動地に於ける慰安所等の衛生管理に関し遺漏なきを期するものとす」と通牒している(陸軍省副官「大東亜戦争関係将兵の性病処置に関する件、陸軍一般へ通牒」1942618日)。

Ⅴ.軍紀風紀維持に関連して
   陸軍省は、「事変地に於ては特に環境を整理し慰安施設に関し周到なる考慮を払ひ、殺伐なる感情及劣情を緩和抑制することに留意するを要す」と、関係陸軍部隊に送達している(陸軍省副官送達「支那事変の経験より観たる軍紀振作対策」19405月)。

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(別紙1)以上。

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