講堂での記念式典 |
なぜこれが由緒あるフンボルト大学で行われたかというと、→記念館は同大学の施設であるからです。成立までの歴史には東ドイツ時代のまれに見る日独交流の歴史があったことはほとんど知られていません。この記念式典でヴォンデ副館長から、初めてそのまとまった概要が述べられました。これについてはまた報告したいと思っています。
記念館の成立前史を語るヴォンデ副館長 |
オルバーツ総長の祝辞 |
森ゆりこさんの森家を代表しての挨拶 |
さてこの日立教大学の前田良三教授が「文化の境界を越えた知識人鷗外ー現代におけるそのアクチュアリティ」と題して、メインの基調講演をされました。これがまたうらやましくなるほどの完璧なドイツ語で、内容もドイツ文学者として非常に優れたもので、おもわず耳を奪われたものです。
基調講演する前田良三教授 |
さて、式典の後のレセプションで、日本大使館の臨時代理大使として祝辞を述べられた宮下弘之公使と、この基調講演が貴重なものであることについて意見を交わしたりしたものです。教授の講演の概要は次のとおりです。
この三点目の「史伝ー文化記述者としての鷗外」について聴いているうちに、ふとわたしがちょうど12年前の2002年の年末に執筆し、『世界』誌に寄稿した古い論考を思い出しました。 これは同誌の2003年1月号の「ブッシュの戦争は止められるか」という特集のひとつとして掲載されています。
日本ではちょうど小泉政権下で北朝鮮による拉致問題が大きく取り扱われ、またブッシュ政権がイラク戦争に突き進もうとして国際的緊張が高まっていた時期です。 そのような政治情勢をベルリンから見て、解説批判したものです。
しかもこれが、鷗外の歴史小説「山椒大夫」を引っ張りだしている、少し変わった論考です。また、日本では知られていないアメリカのネオコンのロバート・ケーガンを日本の雑誌ではおそらく初めて紹介したものです。
久しぶりに、思い出しこの式典に出席された方々に読んでいただいたところ、「これは今でも新しいままだ」との声もあります。確かにここで指摘した諸問題は、いまだに解決していないどころか、12年後の現在ではむしろ悪化していることも確かです。ケーガン一派もまた最近、シリアやウクライナで声を挙げています。
歴史の大河は蛇行して、時には穏やかに時には激流となるものです。この小さな論考を12年の尺度をして見てもそれがわかるのです。
そこで、ブログの読者のみなさまにも読んでいただこうと思いつきました。
興味ある方は以下の写真をクリックしてパノラマにすれば読めますのでお読み下さい。
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