2012年7月12日木曜日

99:「市民と科学者は一隻の船の同乗者」セバスチアン・プフルークバイル ・Bürger und Wissenschaftler in einem Boot von Sebastian Pflugbeil

先日お知らせしました日本での→「放射線に立ち向かうドイツ専門家の講演・懇談会」インゲ・シュミッツ=フォイヤーハーケ教授とともに参加された、このブログではおなじみのドイツ放射線防御協会会長のプフルーバイル氏が、日本訪問に際して日本市民に寄せられたメッセージの翻訳を紹介いたします。
 氏は以前紹介しましたように、高木仁三郎氏のドイツにおける同学の市民科学者の友人です。このメッセージは、脱原発社会を目指して闘っている日本市民へのドイツからの力強い呼びかけです。
また氏の自然科学者としての批判力にもカントの言う判断力(Urteilkraft)とドイツ啓蒙思想の伝統が非常に良く表現されています。

原文も合わせて掲載しますので、大学の授業などでも広くお使い下さい。





日本各地訪問を終えて日焼けしたプフルーグバイル氏2012年7月1日吉木健氏撮影

翻訳文は各地での講演会で参加者に提供された「市民と科学者の内部被曝研究会編資料集」に収録された同会監訳ものです。 同会の承諾を得て引用させていただきます。

以下引用
-----------------------------------------------------------------------------


       チェルノブイリ=ドイツ=フクシマ 

     「市民と科学者は一隻の船の同乗者」

   セバスチアン・プフルークバイル (ドイツ放射線防護協会会長)


 核エネルギー利用のマイナスの影響について調べ始めるとすぐ、何十年も前から続いている論争にた どりつき、誰もがそれぞれの政治的立場に一致する科学的な結果を見出せるよう思われます。しかしこ れは偏見のない人は、重大な軍事的また経済的な利害が、今まで考えられていたよりもはるかに強く、 科学的発言に影響を与えることができることに気付かされ、到底承服することはできません。
 
 かくして核エネルギー利用の最初の頃から-当初は軍事的利用のみだったわけですが- 騙されてき たのです。うっかりではなく、たまたまでもなく、組織的に、計画的に行なわれていたのです。チェル ノブイリ後、これが特にはっきりしてきました。高名な国際的諸専門機関が、たちまちにして全ての放 射線の健康被害を完全に否定するか、少なくとも疑問視することを始め、これが 26 年たった今日でも、 まだ弱まることなく続いています。

 原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)が出した、いわゆる「チェルノブイリ後の健康 被害はほとんど存在しない」とした最新の報告書は、福島での大事故のほんの少し前に発表されました。 健康被害が否定されただけではなく、技術的な情報も意図的にうやむやにされています。今日まで(チ ェルノブイリでは)核燃料の 95 パーセントがまだ石棺の中にあるのか、95 パーセントが、壊れた原子炉 から周囲に出てしまったのかが議論されています。このこと及び疾病のデータの精査ができていないた めに、被害について実に大まかな推定しかできなくしてしまっているのです。確実に言えることは、今 日国連科学委員会の報告書の結果より、その被害は何十倍も何百倍も大きいということだけなのです。

 チェルノブイリ後に、ドイツと西ヨーロッパでは、健康被害などが証明されることはないだろうと確 信されているにもかかわらず、数年前からドイツと西ヨーロッパで現実の被害が観察されています。先 天性奇形、新生児の死亡率、ダウン症、そして新しい現象としては男児と女児の出生時の比率の変化な どです。これらの現象は、チェルノブイリ後すぐに現れ始めたのですが、20 年間も誰にも気付かれるこ とがなかったのです。これらの現象は、チェルノブイリから 1000km以上も離れ、非常にわずかな被曝 線量の増加で起こされています。今恐れられているのは、福島と周辺で、既にこれらの現象が起こって ということです。既に数多くの国際的専門誌にこの現象について発表しているにもかかわらず、その結 果は、国連科学委員会や国際放射線防護委員会(ICRP)、世界保健機関(WHO)などの国際的専門機関 が無視するか、笑うべきことしています。

 日本で大地震、津波、そして 4 基の原子炉崩壊という大惨事が起こった昨年、ドイツでは驚くべき動 きがありました。キリスト教民主同盟のメルケルドイツ連邦首相は、福島の事故の数ヶ月前に、ドイツ の原子力発電所の稼働年数の延長を実現させていました。しかし、福島の事故後、彼女は原子力発電利 用からの脱退を独断で宣言したのです。これは誰も思ってもみなかったことでした。今ではドイツの保 守的な諸政党や、原子力発電のロビイストは、この決定に対し反撃をおこない、物価が高騰するとして威嚇しています。原子力発電の代替えエネルギー供給の視点はまだできていません。私たちは、ドイツ の全ての原子力発電所の停止がまもなくかどうかについては、まだ本当の確信を持っておりません。

 首相にとって決定的であったのは(私は確信していますが)福島の大惨事が技術的な問題だったので はなく、福島の事故のニュースが、チェルノブイリ事故後の恐怖の記憶をドイツ人に呼び起こすことに 彼女が気付いたことです。この恐怖の記憶の波と、皆さん日本の人々への同情の思いの波があまりにも 大きく、ただちに明確な行動を起こさなければ、次の選挙で負けてしまうかもしれないとの懸念を、正 当にも首相はいだいたのです。そこで彼女は行動を起こしたのです。政治権力上の計算でしたが、彼女 自身は、その決定がエネルギー政策上正しいのかどうかについて、内心ではほとんど確信していなかっ たのです。この分野を担当するドイツの委員会は、まずは秘密裏に協議を重ねました。この放射線防護委員会*は 連邦環境大臣に助言をする機関ですが、福島の事故からほぼ一年後に会議をもちました。福島の経験か らドイツの大災害防止を再評価する会議です。(*ドイツ放射線防護協会とは異なる/訳注)この委員会の専門家は、明らかに核エネルギー寄りなのですが、彼らの評価と判断は惨憺たるもので した。ドイツの災害防止対策では、福島後のような状況をコントロールすることはとうてい不可能であ ろうとの結論でした。同委員会は規則の変更リストを作りましたが、このリストはまだ秘密であり、具 体的にどのような変更を行うかも秘密なのです。

 この委員会会議と同じ頃、ドイツの放射線防護庁が、同様の問題に関しての報告書を出すことを数ヶ 月前から止められていたことが公になっています。この報告書でもドイツでの核災害に対するこれまで の備えが全く不足との結論に達しています。私たちは福島より何十年も前からドイツの災害防止計画を 批判してきました。福島の事故によってドイツでの災害防止計画がさらに現実的なものになるかもしれ ないという点だけは喜ばしいことです。

 ドイツの原子力寄りの専門家たちのあいだでも、福島での大災害はまだ全く収束をしていないという 点については意見が一致しているのは、私たちにも驚くべきことです。4 号機と 3 号機の使用済み核燃料 貯蔵プールの中の核燃料がどうなるのかが最大の懸念材料です。その核燃料の冷却が失敗し、或いは瓦 礫の建物が崩壊すれば、本当の大惨事が始まるでしょう。私たちの重大な危惧は、最後の核燃料棒が安 全に取り出されるまでに、あまりにも時間がかりすぎることです。

 私たちは福島後に世界中で、「100 ミリシーベルト以下であれば、全く心配する根拠はないと」ことを 広めるため、多くの発表が行われたことを目の当たりにしています。また、私が二度とは行われないと 思っていた心理作戦も再開されています。たとえばチェルノブイリ後に市民を惑わすために使われた放 射線恐怖症(Radiophobie)という概念が再び生き返っています。
また倫理観(Ethos)という言葉も使わ れだし、元の意味からはかけ離れた形で使われています。チェルノブイリ後「ETHOS・エトスプロジェ クト」という名の研究プロジェクトが立ち上げられていました。チェルノブイリ地区で、核の大惨事が どのようなものか研究し、様々な測定法やロジスティックを編み出し、住民の生活条件や生活様式を放 射能汚染に慣れさせていくという目標を持っていました。この研究プロジェクトの全てが悪かったわけ ではありませんが、方向性は間違っていました。この地区に住む私の友人等がこれらの研究が、フラン スなどで起こる次の核事故にむけて準備をするためのものであると気付くのに時間はかかりませんでし た。チェルノブイリ地区の住民にとっては、あまり役に立つものではなかったのです。エトス(Ethos)という概念は、今福島でも使われ始めています。
 
 私たちはこのようなやり方の本当の目的が何なのか正 確に分析しなければなりません。住民を放射能汚染された地域に留めておこうとしていること、そして 彼らの生活を放射能汚染に慣らそうとしているとの疑いが自ずと起ってきます。このような努力は核エ ネルギーのための奉仕と理解することです。たとえ核事故の後であっても、多少のあざができるだけで、 避けることができると見せかけるのです。住民の保護や健康は、全然、またはわずかしか問題にされま せん。思い出して戴きたいのは、アリストテレスによる古典的な修辞法では、エトス(Ethos)は3つの 説得術の一つであり、話し手の権威と信頼性によるものを表します。他の2つはパトス(Pathos、話し手 の力と感情的な呼びかけによるものを表す)、それにロゴス(Logos、論理性と証明の正しさによるものを 表す)です。
放射能問題に関係する機関の職員、また公の放射能問題の専門家と見られている科学者の多数は、す でにほとんどの市民が話を信用してくれず、権威をほとんど失っていると悩んでいることを私たちは知 っています。この感情は正しい。しかしなぜ言うことを信じてくれないのかという疑問にまでは、まだ たどり着いていないのです。 

 科学者にとっては当然のことですが、福島周辺の住民に放射線による健康被害が次第に拡大していく 事態に深い関心をいだいています。それは政府機関がいかなる健康被害もないと否定していることへの 反応であり、ある程度までは理解できます。電離放射線がどのような恐ろしい結果をもたらすかについ て既に十分知っているので、ゆくゆくは電離放射線に触れないようにすることです。 
 本来はヨーロッパ 同盟 EU の憲法になるはずのリスボン条約には、予防に加えて防止という概念があります。環境破壊につ いては、優先的にその根本原因を撲滅することが予防で、加えて原因者責任原則に防止という概念が決 められています。環境破壊を引き起こした者は、損害除去について責任をとるという考えです。響きは いいのですが、ヨーロッパにおいてもこれらの概念はまだ単なる理論でしかないのです。しかし考え方 のヒントとしては大いに役立ちます。私たちの問題に当てはめてみると、私たちの研究は核惨事の最後 の一人の被害者の死因が認定されて正式なリストに記載されるまで待たなくてもよいのです。私たちは 環境中の有害物が健康に被害をもたらしているという深刻な懸念があるときには、行動を起こすのです。 真剣に検討する理由は少なくありません。
 この問題については、ヨーロッパ環境庁(Europäische Umweltagentur) の優れて印象深い研究の中に、分析による麻痺(Paralyse durch Analyse)という言葉が 使われています。ひたすら延々と研究を続けることは、「犯罪者たち」が、延々と殺人を続けられていく ことに行き着くという意味です。私たちが(原子力発電所の稼働という)根本原因を見失うことがなけ れば、全ての健康被害の可能な限り正確に把握していくことは、いつかはその原因を作った人々にこの 損害の責任を取らせるためにも必要で、また望まれます。

 一般市民、たとえば子どもの健康について真剣に悩んでいる母親たちにとって、全てを自力で理解し ようとするのは困難です。医師や研究者など、白衣を着た専門家を尊敬するように教育されてきている からです。これらの権威者の権威に疑問を抱き、自分自身で考えようとするには、チェルノブイリや福 島のようなショックが必要だったのが明らかになりました。この学習と解放の過程では、たとえ市民と、 数人の科学者と医師からであろうとも相互理解が構築されていくことが大きな助けになります。
このことが西ドイツ では、チェルノブイリ後に起こりました。私と同学の人であるインゲ・シュミッツ=フォイヤーハーケ教授は、私からすれば西ドイツで市民に放射線問題についての啓蒙活動を行った最長老の科学者です。私 は東ドイツでいささか異なった政治的背景の中で、同じ方向に活動していたのですが、いまだに学ぶこ とのたくさんある彼女の生徒だと考えております。

 今回の国際会議は、国境を超えて市民と科学者の相互理解のためのすばらしい例となるでしょう。人 はこのような時に、ドイツの哲学者イマヌエル・カントを想います。彼は「啓蒙」の概念として「人間 が、自己の責任においてとらわれている未熟さ(未成年状態)から抜け出すことである」と定義しまし た。ここ日本では現在、ある種の啓蒙が始まっていますが、未熟さの自己責任はほんの一部分だけでし た。ヒロシマとナガサキ後のアメリカ合衆国の政治、メディアの影響力、そして原子力ロビイストたち が、何十年にもわたって、この未熟さに狙い定めてこれをもたらしてきたのです。

 しかし今、老カント が定義した「自分自身の知力(悟性)を、他人の指導なしに使いこなす」ことに喜びを見いだすチャン スが訪れています。福島などでのこの新しい出発に、私たちは心から賛同しています。それが私たち自 身も同じ嘘と闘い、同じ現実を突きつけられ、同じ疑問を抱いた何年も前の厳しい闘いを想い起こさせ るからです。福島の人々が、この難しい状況を理解するために、そして私たちと一緒に理性的な結論を 深く考えていくために、私たちを今日ここに招待して下さったことを本当にうれしく思っています。私 たちは真実を借出しているわけでもありませんし、皆さまにすべきことを話した後で遠い祖国に帰り、 私たちのアドバイスがもたらす結果ともども置き去りにするわけではありません。私たち自身にまた私 たちの子どもたちや孫たちのためにも挑戦を受けて立ち、皆さんの真剣に考えていることに出来る限り の助けをしたいと望んでいるからです。昨日チェルノブイリで起こり、今日は皆さんの身に起こってい ることは、明日にでも西ヨーロッパで起こります。それゆえに私たちは、皆が共通に抱えている問題に ついて考え、今みんなで共同して行動を起こさなければなりません。

 日本とドイツは、世界中での今後の核エネルギー使用の決定について、重要な役割を担っています。 日本とドイツの市民が、核エネルギー利用についてどう考えているかを、力一杯大きな声を上げ、そし て両政府が国民の望んでいることに耳を傾けるならば(かつて「民主主義」とは、そもそもこういう考 え方であったのですが)まさに日本とドイツは、代替えエネルギー供給の方法を構築するための、技術 的潜在力を持っているのです。日本とドイツは、それが実際に機能することを「先例」として実現でき るのです。それと同時に、核軍縮の思想が一層発展すれば、緊急の場合だとして独自の核兵器を製造で きるように原子力発電所を稼働させるという下心も消滅し、私たちは「極楽」を迎えましょう。私たち は皆、日本もドイツにもこのような下心への免疫が、いまだに備わっていないことを知っているのです。

 私たちには、まだなすべきことがたくさんあります。みなさま、共同して行動していきましょう、お 互いに学びあい、必ず成果をもたらすと励まし合いましょう。私たちには他の選択肢はないのですから。


〔梶村注〕プフルークバイル博士がここで引用されているカントの『啓蒙とは何か』からの原文と、一般的な翻訳は次の通りです。
  
Aufklärung ist der Ausgang des Menschen aus seiner selbstverschuldeten Unmündigkeit. Unmündigkeit ist das Unvermögen, sich seines Verstandes ohne Leitung eines anderen zu bedienen .
 「啓蒙とは、人間が自分に責任のある未成年状態から脱け出すことである。未成年状態とは、他人の指導を受けなければ自分の悟性を使用できないような無能な状態である」

 (筆者紹介) 
セバスチアン・プフルークバイル博士
Sebastian Pflugbeil
物理学博士。1947 年生まれ。ドイツ放射線防護協会会長。ボンにあるオット・フー ク放射線研究所会員、欧州放射線リスク委員会(ECRR)理事。チェルノブイリ事故、 フクシマ事故を解明するたくさんのプロジェクトに参加するほか、事故周辺地域のこ どもたちの社会復帰活動に参加。1990 年、ベルリンで市民団体「チェルノブイリの こどもたち」を設置し、長年ドイツ・チェルノブイリ支援協会(ミュンヒェン)の理 事を務めていた。1989 年に東独の民主化運動で最初に設立された市民団体「新フォ ーラム」の共同設立者の一人で、壁崩壊後のハンス・モドロウ政権下では、東独のエ ネルギー政策を改革する目的で数ヶ月間大臣を務める。1991 年から 1995 年までは、 ベルリン市議会で「新フォーラム」選出の議員も務める。
====================================================




      Tschernobyl  - Deutschland – Fukushima

  Bürger und Wissenschaftler in einem Boot

Wenn man beginnt, sich mit den negativen Auswirkungen der Kernenergienutzung zu befassen, stößt man bald auf jahrzehntealte Kontroversen. Es scheint, daß man sich zu jeder politischen Haltung die passenden wissenschaftlichen Ergebnisse suchen kann. Das ist extrem unbefriedigend, führt aber bei aufgeschlossenen Menschen dazu, zu bemerken, daß massive militärische und wirtschaftliche Interessen viel stärker als man das zuvor für möglich gehalten hätte, wissenschaftliche Aussagen beeinflussen. So wurde von Beginn der Kernenergienutzung an – und die war zunächst ausschließlich militärisch – gelogen, nicht versehentlich, nicht manchmal, sondern systematisch, planvoll. Nach Tschernobyl wurde das besonders deutlich. Die hochangesehenen internationalen Fachgremien haben sofort begonnen, alle strahlenbedingten Gesundheitsschäden ganz abzustreiten oder zumindest in Frage zu stellen. Das hält bis heute – 26 Jahre danach – unvermindert an. Der letzte Bericht von UNSCEAR zu den angeblich kaum vorhandenen Gesundheitsschäden nach Tschernobyl erschien kurz vor der Katastrophe in Fukushima. Nicht nur die Gesundheitsschäden werden bestritten, auch die technischen Angaben werden gezielt im Nebel gehalten. Bis heute wird gestritten, ob 95% des Kernbrennstoffs sich noch im Sarkophag befinden oder ob 95% aus dem zerstörten Reaktor in die Umwelt geraten sind. Das und die weitgehende Unüberprüfbarkeit von Erkrankungsdaten läßt nur sehr grobe Abschätzungen der Schäden zu, sicher läßt sich sagen – sie sind um mehrere Größenordnungen schlimmer als wir bei UNSCEAR heute lesen können.
Neues gibt es seit einigen Jahren im Bereich von Beobachtungen nach Tschernobyl in Deutschland und Westeuropa – wo man doch so sicher war, daß niemals Gesundheitsschäden nachweisbar sein würden. Das betrifft angeborene Fehlbildungen, Säuglingssterblichkeit, Downsyndrom und als neues Phänomen – die Veränderung des Verhältnisses der geborenen Jungs zu den geborenen Mädchen. Diese Phänomene traten sehr schnell nach Tschernobyl auf, wurden aber fast 20 Jahre lang von niemandem bemerkt. Sie traten auf bei nur sehr geringfügig erhöhten Strahlendosen, Tschernobyl war über 1000 km weit weg. Es ist zu befürchten, daß diese Effekte jetzt bereits in und um Fukushima zu beklagen sind. Obwohl es inzwischen zahlreiche Publikationen in angesehenen internationalen Fachzeitschriften dazu gibt, werden die Ergebnisse in den internationalen Fachgremien (wie UNSCEAR, ICRP, WHO) ignoriert oder lächerlich gemacht.
In dem Jahr nach den Katastrophen Erdbeben, Tsunami und Zerstörung von vier Kernkraftwerken in Japan hat es in Deutschland überraschende Bewegung gegeben. Die christlich-demokratische Bundeskanzlerin hatte nur wenige Monate vor Fukushima die Laufzeitverlängerung der deutschen Kernkraftwerke durchgesetzt. Nach Fukushima hat sie im Alleingang den Ausstieg aus der Kernenergienutzung angekündigt. Damit hat niemand gerechnet. Inzwischen gibt es deutliche Gegenwehr aus den Reihen der konservativen Parteien in Deutschland und aus den Reihen der KKW-Lobby. Es wird mit Preisanstiegen gedroht, ein alternatives Energiekonzept ohne KKW gibt es noch nicht, wir können noch nicht sicher sein, daß es wirklich bald zur Abschaltung aller KKW in Deutschland kommt. Entscheidend für die Kanzlerin war – davon bin ich überzeugt – nicht das technische Desaster in Fukushima, sondern das sichere Gespür dafür, daß in Deutschland die Nachrichten über Fukushima die Erinnerungen an die eigenen Sorgen nach Tschernobyl wieder wachgerufen haben. Diese Welle der Erinnerung und des Mitgefühls mit Ihnen in Japan war so stark, daß die Kanzlerin die berechtigte Sorge hatte, die nächsten Wahlen zu verlieren, wenn sie darauf nicht deutlich reagierte. Da hat sie eben reagiert – machtpolitisch rational, aber innerlich kaum von der energiepolitischen Richtigkeit ihrer Entscheidung überzeugt.
 
 Im Bereich der zuständigen Gremien in Deutschland wurde nachgedacht, zunächst hinter verschlossenen Türen. Die Strahlenschutzkommission, ein Beratergremium des Bundesumweltministers, hat ziemlich genau ein Jahr nach Fukushima getagt. Es ging um die Schlußfolgerungen aus Fukushima für den deutschen Katastrophenschutz. Die Einschätzung dieser deutlich kernenergiefreundlich eingestellten Fachleute war verheerend. Man hätte jetzt verstanden, daß der deutsche Katastrophenschutz niemals in der Lage wäre, eine Situation wie nach Fukushima zu beherrschen. Die SSK hat eine Liste von zu ändernden Vorschriften zusammengestellt, die ist aber noch geheim, auch ist noch geheim, wie denn die Änderungen aussehen sollen.  Zeitgleich zu der SSK-Sitzung wurde bekannt, daß das Bundesamt für Strahlenschutz seit Monaten daran gehindert wurde, eine Studie über ganz ähnliche Fragen publik zu machen. Auch sie kamen zu der Einschätzung, daß die bisherigen Vorbereitungen auf eine nukleare Katastrophe in Deutschland völlig unzureichend wären. Wir haben Jahrzehnte vor Fukushima  die deutschen Katastrophenschutzpläne schon kritisiert, also freuen wir uns, daß Fukushima vielleicht dazu führt, daß in Deutschland der Katastrophenschutz realistischer bearbeitet wird als zuvor.
Es hat uns überrascht, daß auch unter den atomfreundlichen Fachleuten in Deutschland Einigkeit darüber besteht, daß die Katastrophe in Fukushima noch lange nicht beendet ist. Es besteht große Sorge darüber, was mit den Brennelementen in den Abklingbecken in Block vier und auch in Block drei passieren könnte. Wenn dort die Kühlung versagt  oder die Ruinen zusammenbrechen, würde die eigentliche Katastrophe erst beginnen. Uns bereitet große Sorge, daß es zu lange dauert, bis die letzten Brennelemente erfolgreich geborgen sind.
Wir haben beobachtet, daß nach Fukushima weltweit eine ganze Reihe von Papieren erschien, in denen man versuchte, zu verbreiten, daß unterhalb von 100 mSv keinerlei Grund zur Sorge bestünde. Es ist auch psychologische Kriegsführung wieder aufgeflammt, die ich nicht mehr für möglich gehalten hätte – dazu gehört die Wiederbelebung des Begriffes Radiophobie, der schon nach Tschernobyl gezielt eingesetzt wurde, um die Bevölkerung zu verdummen. Es taucht auch der Begriff Ethos auf, wie ich finde sehr entfremdet von seiner ursprünglichen Bedeutung. Nach Tschernobyl gab es ein Forschungsprojekt ETHOS, das in der Tschernobylregion studierte, wie das so nach einer nuklearen Katastrophe aussieht, die Meßverfahren, Logistik entwickelt und geübt haben mit dem Ziel, die Lebensbedingungen und den Lebensstil der Einwohner an die Kontamination anzupassen. Nicht alles in diesem Forschungsprojekt war abwegig – die Blickrichtung schon. Meine Freunde in der Region haben schnell gemerkt, daß das Studien waren, die auf den nächsten Unfall z.B. in Frankreich vorbereiten sollten. Der Nutzen für die Bewohner der Tschernobylregion war eher gering. Jetzt taucht der Begriff in Fukushima auf, wir sollten genau analysieren, was die Zielstellung dieser Strukturen wirklich ist, es drängt sich der Verdacht auf, daß es auch hier darum geht, die Bevölkerung in den kontaminierten Gebieten zu halten, ihr Verhalten an die Kontamination anzupassen. Bemühungen in dieser Richtung können als Service für die Kernenergie verstanden werden. Sie erwecken den Anschein, daß es selbst bei nuklearen Unfällen möglich ist, mit ein paar blauen Flecken davonzukommen. Um den Schutz der Bürger, um deren Gesundheit geht es dabei gar nicht oder nur nebenbei. Zur Erinnerung: In der klassischen Rhetorik nach Aristoteles bezeichnet Ethos eine der drei Arten der Überzeugung, nämlich die durch die Autorität und Glaubwürdigkeit des Sprechers. (Die anderen beiden sind Pathos (rednerische Gewalt und emotionaler Appell) und Logos (Folgerichtigkeit und Beweisführung)). Wir wissen, daß viele Mitarbeiter in Behörden, Wissenschaftler in den offiziell für die Strahlenfragen zuständigen Kommissionen darunter leiden, daß ihnen immer weniger Bürger glauben, daß sie ihre Autorität nahezu völlig eingebüßt haben. Das Gefühl ist zutreffend. Die leidenden Fachleute sind aber noch nicht zu der Frage vorgedrungen, weshalb ihnen niemand mehr glaubt.
Für Wissenschaftler ist es natürlich sehr interessant, wie sich Schritt für Schritt die strahlenbedingten Gesundheitsschäden in der Bevölkerung um Fukushima ausbreiten. Das ist bis zu einem gewissen Grade verständlich – insbesondere als Gegenreaktion auf das generelle Bestreiten irgendwelcher Gesundheitsschäden von der Obrigkeit. Ich bin der Auffassung, daß wir genug Schreckliches über die Wirkung ionisierender Strahlen wissen, um künftig die Finger davon zu lassen. In dem Vertrag von Lissabon, der ursprünglich die Verfassung der Europäischen Union werden sollte, kommen die Begriffe Vorsorge und Vorbeugung vor, es wird festgelegt, Umweltbeeinträchtigungen mit Vorrang an ihrem Ursprung zu bekämpfen, und es kommt der Begriff Verursacherprinzip vor, damit ist gemeint, daß der, der den Schaden verursacht hat, auch für die Behebung des Schadens zur Verantwortung zu ziehen ist. Das alles klingt gut, ist aber auch in Europa nur die Theorie. Als Anregung taugt es aber allemal. Angewandt auf unser Problem bedeutet das, das wir nicht solange forschen müssen, bis die Todesursache auch des letzten Opfers einer nuklearen Katastrophe notariell bestätigt wurde und in der richtigen Tabelle auftaucht. Wir sollten aktiv werden, wenn es ernstzunehmende Gründe gibt, daß ein Umweltgift Gesundheitsschäden verursacht. Und ernstzunehmende Gründe haben wir wirklich genug. In einer sehr eindrücklichen Studie der Europäischen Umweltagentur wird die Redewendung „Paralyse durch Analyse“ für diese Frage geprägt, ständig weiteres Forschen kann dazu führen, daß die „Täter“ auf unabsehbare Zeit weiter Menschen umbringen können. Wenn wir die Ursache (den Betrieb von Kernkraftwerken) nicht aus dem Blick verlieren, halte ich die möglichst genaue Erfassung aller Gesundheitsschäden aber für vertretbar und für wünschenswert, schon um die Verursacher eines Tages für die Schäden zur Verantwortung ziehen zu können.
Für die normalen Bürger, die Mütter, die sich berechtigt Sorge um die Gesundheit ihrer Kinder machen, ist das alles alleine nur schwer zu durchschauen. Sie sind erzogen worden im Respekt vor Ärzten und Wissenschaftlern in weißen Kitteln. Es bedarf offenbar eines Schocks wie Tschernobyl oder Fukushima, auf die Idee zu kommen, die Autorität der Autoritäten in Frage zu stellen und selbständig nachzudenken. In diesem Lern- und Emanzipationsprozeß ist es sehr hilfreich, wenn Schritt für Schritt die Verständigung zwischen den Bürgern und wenigstens einigen Wissenschaftlern und Ärzten aufgebaut wird. Das ist in Westdeutschland nach Tschernobyl passiert – meine Kollegin Frau Prof. Inge Schmitz-Feuerhake ist für mich die dienstälteste Aufklärerin der Bevölkerung in Strahlenfragen in Westdeutschland, ich habe in Ostdeutschland unter etwas anderen politischen Bedingungen in die gleiche Richtung gearbeitet und verstehe mich als ihr Schüler, der noch viel zu lernen hat. In dem jetzt stattfindenden Kongreß haben wir ein vorzügliches Beispiel für diese Verständigung zwischen Bürgern und Wissenschaftlern, die auch noch über Ländergrenzen hinweg reicht. Man fühlt sich an den deutschen Philosophen Immanuel Kant erinnert, der den Begriff „Aufklärung“ definierte als „Ausgang des Menschen aus seiner selbstverschuldeten Unmündigkeit“. Hier in Japan findet jetzt eine Art Aufklärung statt, selbstverschuldet war die Unmündigkeit aber nur zum Teil – die Politik der USA nach Hiroshima und Nagasaki, die Beeinflussung der Medien und die Atomlobby haben diese Unmündigkeit über Jahrzehnte gezielt herbeigeführt. Aber jetzt gibt es eine Chance, es zu lernen, Spaß dabei zu empfinden, „sich seines Verstandes ohne Leitung eines anderen zu bedienen“, wie der alte Kant es formuliert. Wir fühlen uns diesem Aufbruch in Fukushima herzlich verbunden, erinnert er uns doch an die harten Auseinandersetzungen vor vielen Jahren, in denen wir mit den gleichen Lügen konfrontiert waren, die gleiche Realität wahrnahmen und die gleichen Fragen stellten. Es freut uns sehr, daß die Bürger von Fukushima uns heute einladen, die schwierige Situation  einzuschätzen und mit uns über vernünftige Schlußfolgerungen nachzudenken. Wir haben die Wahrheit nicht gepachtet, wir wollen Ihnen nicht sagen, was sie machen sollen – und dann wieder weit fort nach Hause fahren und sie mit den Konsequenzen unserer Ratschläge alleine lassen. Aber wir fühlen uns auch im eigenen Interesse, für unsere Kinder und Enkel  herausgefordert, Ihnen beim Nachdenken zu helfen so gut wir das können. Was gestern Tschernobyl traf, heute Sie getroffen hat, kann sehr gut morgen Westeuropa treffen, wir denken also über ein Problem nach, das wir gemeinsam haben und das wir jetzt gemeinsam anpacken müssen.
 Japan und Deutschland haben jetzt eine Schlüsselstellung für die Entscheidung über die weitere Kernenergienutzung weltweit inne. Wenn die Bürger in Japan und die Bürger in Deutschland laut genug sagen, was sie von der Kernenergienutzung halten, wenn die Regierungen darauf hören, was das Volk will - das war eigentlich früher mal die Idee von „Demokratie“ - dann verfügen gerade Japan und Deutschland über das technische Potential, eine alternative Energieversorgung aufzubauen. Japan und Deutschland können vormachen, daß das wirklich funktioniert. Wenn gleichzeitig der Gedanke der nuklearen Abrüstung weiterentwickelt wird, also der Hintergedanke verschwindet, Kernkraftwerke zu betreiben, um im Ernstfall schnell selbst Atombomben bauen zu können, dann haben wir das Paradies fast erreicht. Wir wissen alle, daß sowohl  Japan als auch Deutschland noch alles andere als immun gegen solche Hintergedanken sind.
Wir haben viel zu tun, lassen Sie uns das gemeinsam tun, voneinander lernen, und reden wir uns immer wieder ein, daß wir Erfolg haben werden, wir haben keine andere Wahl.

          Sebastian Pflugbeil




0 件のコメント:

コメントを投稿