シンチ・ロマの追悼記念碑
今年のベルリン国際映画祭も終わりましたが、その社会的背景と招待された日本の2人の監督とその作品について述べます。
長くなるので、今日は(上)として、社会的背景について書きます。
なお、この映画祭の歴史的背景については昨年紹介した、→こちらをお読み下さい。
映画祭が始まる前日の2月7日は、この季節ベルリンでは滅多にない快晴で、風邪もまだ完治してなかったのですが、国会内での用件もあったので起き上がって出かけた日の午後に撮影したのが、この写真です。
巨大な国会議事堂の南側と道を隔てた公園の入り口近くに噴水のような円形の鉄製の水盤があります。ブランデンブルク門の直ぐ近くです。
普段は水が流れて周りに少しづつあふれているのですが、この日は零下7度ほどですので凍結のため止められた水面にドイツ国旗と欧州同盟旗がなびく議事堂が映っていました。
この水盤の中心にある正三角形の島には、この時は小さな赤い花が置かれています(写真上)。この花は毎日休みなく、定時に二度取り替えられます。すなわち生花が絶えないように守られているのです。
日本にはほとんど報道されていないようですが、この施設は昨年の秋が深まった10月24日に政府主催の除幕式が執り行われた→「国家社会主義で虐殺されたヨーロッパのシンチ・ロマ 追悼記念碑」です。
ドイツ連邦政府のこの日の式典の公式記録はこちらです(詳しい→ドイツ語、簡略な→英語)。ドイツ語のほうではこの式典の動画も含め、メルケル首相の演説も読めます。
ナチスはその人種主義イデオロギーでユダヤ人だけでなく差別用語でジプシー(英)・チゴイナー(独)と呼ばれていたヨーロッパのシンチ・ロマ民族も劣等民族と決めつけました。その結果、強制収容所などでおよそ50万人が虐殺されています。
国会決議を経て、政府予算の約280万ユーロ(およそ3億5000万円)の経費でようやくベルリンの中心にこの記念追悼碑が完成するまでには、ここからあまり遠くない場所に、2005年に完成し、今ではベルリンの観光の目玉にまでなっている有名な、ユダヤ人追悼記念碑が出来るまで以上の、長い困難な歴史があります。
Romani Rose,Silvio Peritore 22.10.2012 Berlin.T.Kajimura |
詳しい解説は出来ませんが、ユダヤ人の陰で、ロビーもなく、戦後も差別がいまだに続いているシンチ・ロマの代表として ロゼ氏がようやくドイツ政府から代表として当時のヘルムート・シュミット首相から首相官邸での公式会談へ招待されたのは1982年のことです。彼はそれから31年かけてようやくこの追悼記念碑を実現したのです。
追悼記念碑除幕の模様がドイツメディアを挙げて大きく報道されたのは言うまでもありません。この施設はもちろん巨大なユダヤ人追悼記念碑とは規模は違いますが、非常に優れたもので、ロゼ氏が望んだ「静かに黙祷が出来る場」となっています。
ボスニアの「鉄くず拾いのエピソード」
さてなぜベルリン映画祭の社会的背景の解説に以上のことを紹介するのは、理由があるからです。
今年のベルリナーレで上映された映画についてフォーラム部門のチーフのクリストフ・テルへヒト/Christoph Terhechte氏は、プログラムの紹介誌の前文の冒頭に次のように書いていますので訳出します:
「新自由主義の宣伝が、金融危機から緊縮財政の段階を経て第一世界から第三世界までの隅々までに及んでいるこの時代には、芸術にはその現状の把握と居場所の諸規制を決定する試みが要請されている。今年のプログラムにある多くの映画が、政治的指針の喪失が生活条件と人間心理に及ぼす影響を診断している。いわゆる危機諸国からの映画が来ており、その多くがドキュメント、あるいはノンフィクションのハイブリッドであり、それぞれの方法でグローバルな経済状態が人々の共生に及ぼす影響を採り上げている」
ドイツ人らしい文章ですが、まさにこれが、フォーラム部門だけでなく中心のコンペ部門の映画の今年の基調でした。そして、コンペ部門での受賞作品もそのような作品であったのです。
最高の金熊賞は、経済危機で貧富の差が極端になっているルーマニアの裕福な家庭の母親が、交通事故で子供を殺した息子を、賄賂をつかって救おうとする作品「チェイルズ・ポーズ」が獲得しました。
また今回の授賞でメディアでも妥当であると例外なく喝采を受けたのが、金熊賞に次ぐ審査員グランプリと主演男優賞を獲得した、まったく素人の一家を主人公にしたボスニアの映画です。わたしは、残念ながら風邪でこれを見逃したのですが、幸い映画の鋭い目利きである時事通信の東敬生ベルリン支局長が、この作品について時事通信の有料サイトで次のように、取材して適切な解説をしていますので引用させていただきます:
【ドイツ】時事ベルリン支局 東 敬生
ロマ家庭追うボスニア作品2冠=苦境を自ら再現-ベルリン映画祭
17日に閉幕した第63回ベルリン国際映画祭で、ボスニア・ヘルツェゴビナの少数民族ロマの貧困家庭の苦境を描いた作品が2冠に輝いた。製作費はわずか1 万7000ユーロ(約210万円)、撮影期間は9日間。大金を投入しなくても、社会の矛盾をえぐり、観客の問題意識を喚起する映画が作れることを実証し た。
▽親戚、隣人も出演
ボスニア内戦を取り上げた「ノー・マンズ・ランド」でアカデミー賞外国語映画賞やカンヌ国際映画祭脚 本賞を受賞したダニス・タノビッチ監督の最新作「アン・エピソード・イン・ザ・ライフ・オブ・アン・アイアン・ピッカー(くず鉄拾いの生活の中のある出来 事)」。最高賞の金熊賞に次ぐ審査員グランプリに加え、最優秀男優賞を獲得した。
きっかけは2011年に監督が目にした新聞記事だった。くず鉄 を集めて生計を立てている貧しいロマの家庭で、妻が流産する。しかし、健康保険に入っていないため、病院は高額の費用を支払わなければ手術できないと突っ ぱねる。妻の体調は日を追うごとに悪化。幼子2人を抱えた夫婦は次第に追い詰められていく。
監督は、実際にこの体験をした家族を出演させるという大胆な試みに挑戦した。家族は当初は渋ったというが、カメラの前で見事に自分たちの苦境を再現。家族を支援する親戚や隣人も実在の人物たちが好演した。
男優賞を受賞した夫のナジフ・ムジッチは記者会見で、今も保険はなく、「その日暮らしの生活を送っている」と明かした。一方、手術を拒否された妻のセナダ・アリマノビッチは「とてもつらかった。誰にも同じ体験をしてほしくない」と語った。
主演男優賞の銀熊賞を手にしたムジッチ氏 |
ヨーロッパには東欧諸国を中心に推定で1200万人のシンチ・ロマがトランスナショナルな少数民族として生活しており、冷戦後の内戦を含む混乱とグローバル経済危機のなかで、差別も増大し、いくつかの国では極右団体による、中世以来のポグロムのような集団虐殺まで起こっています。
これへの対処が上記のロゼ氏らの大きな現実的課題となっています。
ムジッチ一家とタノビッチ監督 |
引用の解説にあるように、監督の能力もさることながら、わずかな経費で、短時間で、しかも全くの素人が登場するこの作品が、ベルリン映画祭で2冠をさらうのは驚くべき出来事です。
映画祭の期間中は、ベルリンの地元各紙は連日、前日のコンペ部門で上映された作品の評価を競って掲載しますが、この作品だけはぶれなく高い評価を受けていました。
ですから授賞の発表で喝采されたのは自然でもあったのです。
左の写真は授賞式の翌日の監督と主人公家族の記念写真ですが、作品の撮影時にお腹の中にいて共演し、その後無事に生まれた赤ん坊も一緒にスターとして祝福されました。
この映画の成功がボスニアのロマたちをどれだけ励ますものかは、予想できませんがボスニア・ヘルツェゴビナの社会全般に良い影響を与えてほしいものです。
この作品を国際映画祭で高く評価し、喝采するドイツ社会の背景には、自らの苦い歴史的体験を直視し、それを記念碑で長く記憶しようとする人々の努力があるのです。
そして、大は追悼記念碑の実現、小はこの映画の高い評価も他ならぬ、ドイツ憲法(基本法)第1条にある、第1項「人間の尊厳は不可侵である、これを尊重し、かつ保護することはすべての国家権力の義務である」 、及び同2項「ドイツ国民は、それゆえに世界におけるそれぞれの人間共同体、平和および正義の基礎として、不可侵で譲渡することのできない人権を認める」との条項の社会を挙げての遵守と実践であるのです。
以上今年のベルリン映画祭の社会的背景の解説とします。
なを、ボスニア放送のサイトでは、わたしは言語が理解できないのですが、主人公のムジッチ氏が銀熊トロフィーを手に故郷の村に→凱旋する写真と動画が見られますので紹介しておきます。
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