宇宙から気象衛星がこの隕石を捉えているので以下その写真を二枚挙げておきます。
気象衛星Meteosat10が撮影した大気圏に突入直後の隕石。中央に小さく見える。EUMETSAT15.2.2013 |
ロイターが配信した欧州気象衛星が捉えた大気圏突入後の隕石の動画より。同上 |
さてわたしが本日、ドイツ時間の朝からの報道で神経を使ったのは、隕石が落下した南ウラルのチェリャビンスク州には、世界中でも悪名高い旧ソ連時代に建設され、巨大な汚染事故をたびたび起こして現在でも核燃料再処理施設などが稼働している閉鎖都市オジョルクスの核兵器製造コンビナート・マヤク(マヤーク)があるので、それへの影響です。一つ間違えばフクシマに匹敵するか、さらにそれを上回る最悪の事故になるからです。下の図をご覧ください。
1957年9月29日に、南ウラルのチェリャビンスク-65(チェリャビンスク市の北北西71km、キシュテムの東15kmに位置するマヤク核兵器生産コ ンビナート)の再処理施設で、高レベルの硝酸アセテート廃液の入った液体廃棄物貯蔵タンクの冷却系統が故障したために、加熱による化学的な爆発がおこり、 タンク内の核種7.4E17Bq(2,000万キュリー)のうち、約9割が施設とその周囲に、約1割にあたる7.4E16Bq(200万キュリー)が環境 中に放出され、チェリャビンスク州、スヴェルドロフスク州、チュメニ州などのテチャ川の下流の町を300kmにわたり汚染した。このため34,000人が 被ばくしたといわれる。これがいわゆる東ウラル放射能事故(East Urals Radioactive Trace ;EURT)、南ウラルの核災害(ウラル核惨事)、あるいはキシュテム事故(キシュチム事故)といわれるものである。
またWikipediaではこの閉鎖都市について→以下のように解説されています。
オジョルスク または オゼルスク (ロシア語: Озёрск) は 、ロシアのチェリャビンスク州にある閉鎖都市であり、イルタヤ湖畔に1945年に造られた。オジョルスクは1994年までは チェリャビンスク-65、さらに以前には チェリャビンスク-40 と呼ばれた(一般的な閉鎖都市の名称の付け方は、前半が近くにある大都市の名称、後半の番号はその地域での郵便番号を意味している)。
1994年には名称が現在のオジョルスクに変更され、都市としての存在が正式に明かされた。
経済オジョルスクはマヤーク原子力プラントに隣接しているため、依然として閉鎖都市である。マヤークは冷戦時代にはソ連のプルトニウム供給拠点の一つと して稼働し、現在はロシアの退役した核兵器のリサイクル処理も行っている。 またマヤークでは、およそ 90 km² の敷地内で 15,000 人が働いている。
マヤークの主な業務は、原子力潜水艦、原子力砕氷船、及び原子力発電所から出される使用済み核燃料の処理である。商業的には、コバルト60、イリジウム192、炭素14の生産、及び廃棄物を利用した放射線技術を確立する事である。
今ではかなり知られていますが、このマヤクの核施設はその後も何度も大小の事故を起こしており、老朽化しながらも今でもロシアでは唯一の核燃料再処理施設として稼働しており、汚染地帯の人々の健康障害は、当然ながら停まることはありません。
キュシュテム惨事追悼碑 |
汚染地帯には今でも多くの人々が住み続けているとのことです。
57年の惨事を回顧するものは、マヤクの核施設の入り口に建てられた犠牲者の小さな追悼碑だけのようです(左の写真)。
実は、ドイツの現メルケル政権は、まだ原発の稼働延長を目論んでいた2010年の秋に、既に廃炉になった旧東ドイツのソ連型原発から出た高レベルの核燃料廃棄物を、ソ連製であることを理由に、ここマヤクに送る計画を立てたことがあります。
ところが、それをメディアが暴き、「自国のゴミの輸出だ」と批判され、かなりのスキャンダルになり引っ込めたことがあります。その際、現地住民のルポタージュなども公共テレビをはじめ多くのメディアが盛んに伝えたものです。いくつか紹介したいのですが、煩瑣になるのでここでは止めておきます。
さて、上記の汚染図の左下をご覧ください。
汚染源のマヤク核技術施設/Kerntechnische Anlage Majakは、今日、隕石の落下で被害の出た州都チェリャビンスク/Tschelabinskから北西70キロほどにあります。この隕石は、真東から西に突入して、その他の被害が大きかった複数の都市や、破片が湖に落下した地点は、およそ南に50から60キロほどしか離れていません。
この距離は最初の写真にある大気圏に突入した隕石の角度がほんの数万分の1度ほどでも北向きであれば命中したことになります。こんなことは毬投げを楽しむことを覚えた幼児でも理解できる定理です。
ロシアのノボスチは、隕石落下から五時間ほどして→「同地の核施設は正常に稼働している」と、国営原子力企業ロスアトムの報道官の声明を報道しましたが、ロシア最大の核廃棄物処理施設が、紙一重で破壊を免れてほっとしているようです。ぎりぎりで巨大核災害から免れたのです。
2011年5月末に発表されたドイツ政府の脱原発へ向けた諮問機関「倫理委員会」の報告書には、委員全員の共同判断として「原発事故による大きな被害を確率計算から相対化することは理性的ではない」という言葉があります。この部分をわたしは『世界』2011年8月号の寄稿「脱原発へ不可逆の転換に歩みだしたドイツ」で、訳出して日本では初めて報告しています。いまさらながらこの一文が甦ります。また同時に1992年頃、ベルリンを訪れた高木仁三郎氏からこのウラルの惨事について話しをうかがったことも想いだします。
あり得ない確率の象徴として「隕石に当たって死ぬようなものだ」とは、常套句として世界中の原発ロビーも事故の確率の低さとして、よくこの例えを口にします。
核施設への隕石落下が紙一重で免れた事態が起こった今日以降は、彼らといえどもこの言葉を口に出来ないでしょう。それが理性的ではないことがここで現実に証明されたのです。
世界中には400を越える原発と数千の核施設があります。これらを隕石衝突から守る方法はまったくないのです。巨大核技術利用での理性とは何か。隕石落下でまたも問われているのがこのことです。確率論で核惨事の危険性を相対化する功利主義は破綻しているのです。これを否定するのは俗論のニヒリズムにすぎません。
今回は前回に続いてベルリン映画祭の報告を書くつもりでしたが、明日に延ばします。読者のみなさまと、舩橋淳監督、池谷薫監督も少しお待ち下さい。
0 件のコメント:
コメントを投稿