2012年11月19日月曜日

128:野田ドジョウを喰らいそこねた安倍アヒル。野田総理と安倍総裁の国会党首討論について。候補者を仕分けして選ぼう。宇都宮勝手連チラシ追加

 さてみなさま、ここ数日風邪気味のところにイスラエルがまたパレスチナで酷い乱暴を働き始めた(シュピーゲル誌の最新記事と写真は→「人質となり苦しむガザの市民」)こともあり、少し遅くなりましたが、先週11月14日の衆議院での党首討論の国会中継をベルリンから視聴して感じたことをお知らせします。

11月14日党首討論 共同通信
ここで野田首相が安倍晋三自民党総裁との応酬で、突然2日後の「16日に解散しようじゃあありませんか」と、イタチの最後屁のように応え、安倍氏が意表をつかれる様子をみて、おもわず苦笑しました。
「泥沼でアヒルがドジョウを喰らいそこねたな」というのが、わたしの率直な感想でした。
意表をつかれた安倍氏 毎日新聞




それはまさに、「今日こそは喰らってやろう」と勇んでいたアヒルが、いきなりドジョウに「解散」という猛烈な泥を巻き上げられ、まんまと逃げられてしまった泥沼のひとつの光景のようで可笑しかったのです。

これについて、毎日新聞が電子版で左の写真に 党首討論で野田首相が16日解散について言及し驚いた表情を見せる自民党安倍総裁=国会内で2012年11月14日午後3時18分宮間俊樹撮との説明をつけていますが、その時の表情を巧みに捉えています。

ではなぜ、わたしがそのように感じたかには少し説明がいります。それは、今から5年前のことですが、わたしが安倍氏を「恥知らずのアヒルである」と批判したことがあるからです 。この批判は、実はこのブログでも昨年の8月に、別の文脈で→「原発中毒の人々と『人生の嘘』」として紹介したことがあります。
その時は、まさか安倍アヒル氏が、再度自民党の総裁に再選されるとは予想していませんでしたので、ふたたび以下に再掲しておきます。というのは、この人物が再び政権を取ることにでもなれば、アヒルとドジョウの茶番劇ではなく、新たな日本の悲劇『家鴨』が現実に演じられることになってしまうからです。

この解散劇ときたる衆議院選挙についてドイツでの報道は、極めて控えめで扱いも大きなものではありません。日本の政情は欧州ではではもうあまり関心をもたれなくなって来ています。経済も行き詰まり、毎年総理大臣が変わる衰弱した日本には、とっくに愛想をつかしているというのが実情です。
次の大きな財政破綻は日本であろうという見方が次第に強くなって来ています。大方の見方のように、もし安倍政権が再び成立すれば、これまでに輪をかけた財政出動によるインフレ政策で、円安誘導しか日本経済の出口はないのではないかとの見通しもあります。下手すればデフレから一挙にハイパーインフレもあり得ますし、そうなればあおりを食らうのは資産の少ない庶民であることは火を見るより明らかです。(安倍氏はさっそく日銀による建国国債の引き受けを提唱したりしていますが、これなどは行政が中央銀行の独立を侵すとんでもない借金中毒自民党のアヒルらしい思いつきです。)

選挙の結果に関する予測は、「自民党は古いままであり、期待された民主党も支持を失い、いずれにせよ多くの政治勢力に多極化して、次の政権はこれまで以上に、実行力のないものになるであろう」(南ドイツ新聞)といった冷静な見方が主なものです。いわば、日本がどれだけ落ち込むかが観察されているというのが実情です。
 わたしもそう思います。日本は第二次世界大戦後の最悪の政治経済危機は避けることは不可能です。これからおそらく10年以上は続く危機の始まりで、いまや第一の滝壺へ一挙に墜落中です。12月16日の都知事選と総選挙で多くの政治勢力が滝壺に沈むことは目に見えています。

このブログの読者のみなさまは、野田ドジョウ民主党にも、安倍アヒル自民党にも、ましてやハシズム維新などに何の希望も託すことはできないことをよくご存知でしょう。そして、このような時代の試練に耐え、確固とした持続する民主的社会を築く唯一の政策が、断固とした脱原発政策であり、再生エネルギー社会の構築であることもよくご存知でしょう。滝壺に転落した日本に浮かぶ瀬があるとすれば、これらの政策をまず第一に断固として実行するしかないのです。

というのも自然エネルギーへの社会転換の本質とは民主主義社会の実現だからなのです。つまり問われているのは経済の民主化なのです。エコノミーとエコロジーが一致する社会こそが、持続的民主主義を実現するのです。そしてこの課題はもちろん日本だけのものではありません。21世紀の人類的、普遍的な価値課題なのです。

ですから、今回の選挙ではこのような政策を本当に理解している候補者が誰かを、厳しく仕分けし、篩(ふるい)にかけて支持しましょう。東京都知事選では、言わずとしれた宇都宮健児氏だけです(文末に宇都宮けんじ勝手連チラシを追加)。人にやさしい東京は、自然にやさしい都民によって実現されます。
人にやさしい日本は、自然にやさしい市民によってしか実現できません。これを黙々と実践する日本人こそが本物の愛国者なのです。
そのような候補者はまだまだ少数かもしれません。いなければ擁立しましょう。そこからしか日本の再生はないのですから。

以下の原文は「金曜日」が2007年12月に発行した単行本 「-->日本はどなる2008に掲載されたものです。
安倍晋三氏がなぜ恥知らずのアヒルであるのかをご理解下されば幸いです。また、このような人物が再び日本の首相になれば、日本が国際社会で、間違いなくさらに輪をかけてみじめなことになるかもおわかりになると思います。こんな人物と滝壺で心中などもってのほかです。

以下引用
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   歴史改竄者たちにおける「人生の嘘」について

      ごく平凡な人間から人生の嘘を奪ってごらんなさい、
      それは同時に、彼の幸福を奪ってしまうことになりますよ。
                   (イプセン戯曲『野鴨』より)
  

   イプセンの戯曲「野鴨」

 これはノルウェーの作家ヘンリック・イプセンが、一八八四年に書き下ろした心理劇『野鴨』(注1)で、登場する医師に語らせた言葉だ。二〇〇七年九月十二日、突然の辞任表明をする安倍首相の表情を見ながら、この台詞を思い出した。
  内閣改造を終えて、国会で所信表明を行ったわずか二日後、衆議院本会議の開始直前のこの辞任劇は、日本の国政史はもちろん、おそらく世界の近代政治史でも前代未聞のできごとだろう。「日本の政治家とはこんなものか」と世界中が、その無責任ぶりに唖然とした。
 同年七月末の参議院選挙で大敗の後の八月の半ばごろから、東京の安倍番記者たちから「安倍自殺 説」が、ベルリンの日本人特派員の間にも届いていた。ために辞任表明後に入院したとの報道に、「あるいは」と、悲惨な自殺で終わるこの古典悲劇をさらに連想した。彼の内閣で現役大臣が自殺していることもあるからだ。
  だが、それもあっさり杞憂に終わった。退院を前に「これからも国会議員を続ける」と述べるのを聴いて、この人物が責任感などとはどだい無縁な俗物でしかないことがはっきりしたからだ。これでは、遺書に「安倍総理、日本国万歳」と書き残した松岡農水大臣(当時)の浮かぶ瀬もあるまい。

 ちょうど二年前のドイツの総選挙で、僅差で敗北したシュレダー首相は、大連立政権構築の交渉を 終えると、いさぎよく国会議員の席も後進に譲って政界を引退し、一介の弁護士となってしまった。「宰相の政治責任の取り方」とはこういったものなのだ。無責任ぶりをさらけ出した後も議席にしがみつく安倍氏のありかたとは見事な対照ぶりではないか。これで安倍氏はおそまつな喜劇の主人公として終わった。政治生命が失われていることが自覚ができない鈍感さは滑稽である。彼は誇り高い野鴨ではなく、恥知らずな家鴨(アヒル)だ。

  「辞任の理由は健康問題だ」と説明している。だが、健康を損ねるに到った根本原因を自覚していないようなので指摘しよう。ほかならぬ彼の歴史認識での「人生の嘘」が奪われ不幸になったからだ。
  イプセンの戯曲では、親友から妻の「人生の嘘」、すなわち娘が自分の実子ではないことを知らされた父親が、娘を愛することができなくなり、父親の愛を取り戻そうとする無実の娘が自殺してしまう悲劇だ。個人生活では、このような「嘘」は秘密のままであったほうが、しばしば幸福であろう。
 だが、イプセンのこの言葉を使い、個人でも「無意識な人生の嘘=自己欺瞞」を自覚することが、 精神の安定に役立つことを指摘したのがアドラー心理学である(以来欧米では、この概念は、社会学や文学でも援用され定着している)。ましてや、南京大虐 殺、沖縄の集団自決と「慰安婦」の軍による強制などの史実を、故意に抑圧する勢力がはびこり、そのことに無自覚である社会が健全であるとはとても言えな い。それは不安で不幸な社会だ。

  不良中学生内閣
 
  安倍内閣が成立した時、わたしは「これは歴史認識で不良仲間の生徒たちが校長室を占拠した中 学校のようなものだ」と喩えたことがある。なにも日本の国会議員諸氏を、まとめて侮辱するつもりはないが、ドイツの議会政治と比べての正直な感想だ。安倍政権の一年を回顧して、この見方が正しかったことは明らかだ。
 もちろんドイツの国会議員にもお粗末な知性の持ち主がおり、日本の議員にも優れた人物が少なく ないことはそのとおりだ。だが平均すれば、両国の国会議員は知性の質で、大学生と中学生ほどの落差がある。くわしく述べないが、その要因としては、まずは政治教育での鍛えられ方の違いがある。特別に顕著な点は、普遍的な人権擁護と、歴史認識についての厳しさでの極端な違いである。「女性は産む機械」などの発言は、ドイツでは田舎の村会議員でも辞職ものだ。
  何よりも、自国の戦 争犯罪を否定したり、相対化する発言は論外である。二〇〇二年に保守党のキリスト教民主同盟のマーチン・ホーマン議員が、地元の集会で、ロシア革命に多く のユダヤ人が参加していたことを指摘し、「この点ではユダヤ人を『犯罪者民族』と呼べるかもしれない」と発言したことが大問題となった。彼は、自会派からの議員の辞任勧告を拒否したため、党籍を剥奪され、たちまち政治生命を失った。メルケル党首(現首相)からは「この思考構造はドイツの民主主義とは一致しない」、また姉妹党のキリスト教社会同盟のシュトイバー党首からは「彼は憲法の枠外にはみだした」と断罪された。ドイツの戦後史で国会議員が党籍を剥奪されるのは初めてのことだ。
 さらにこの「犯罪者民族:Tätervolk」という言葉は、言語学者たちによる毎年恒例の 「最悪の言葉賞」に選ばれる「栄誉」に輝いた。その理由として、まず「集団の罪」というものはありえず、そして、ありもしないものをユダヤ民族に適用する のは、まぎれもない反ユダヤ主義、人種主義であるとの指摘があった。つまり、彼の世界観とは、根強い反共主義と反ユダヤ主義の結合であり、このような歴史 認識は、間違っており過去の亡霊でしかないということだ。だが彼自身は、なぜこの発言が問題であるのか理解できず、世界観の崩壊と政治生命の喪失ですっかり不幸になった。
 こうして彼の発言は「ホーマン事件」としてドイツ政治史に残ることとなった。ちなみに、第一次 世界大戦後に「戦争犯罪でドイツ人に集団の罪というものはない。罪は無責任に戦争を煽った政治家、軍、新聞などの指導部にある」と一九一九年にいち早く指摘したのは、前述の心理学者アドラーである。

  世界が見捨てた 

 では、一国の首相が同様な発言をしたらどうなるのか。安倍首相の「慰安婦強制否定発言」が、国際世論のなかでまったく同じことになった。そもそも安倍内閣の大半の閣僚が、国家主義(日本では靖国派として顕現する)と根強い反共主義の歴史認識の持ち主であり、この点では、冷戦体制崩壊と、その後の経済のグローバル化のなかでの世界的傾向に即したものだ。旧東欧諸国はもちろん、西欧諸国でも反共右派の 国家主義政党が、さまざまな装いで台頭しているのは事実だ。日本も例外ではない。ドイツですら、主に旧東独地域の地方・州議会に極右政党が議席を占めて、 現在でも大きな問題だ。
 ただ、日本では安倍内閣の成立により、彼らが政権を獲得してしまった。「美しい国」をスローガ ンに、教育基本法を改悪し、防衛庁を省に格上げし、国民投票法を実現し、さて一瀉千里に憲法改悪を実現しようとしたのが、ほかならぬ安倍政権だ。この政権がつまずいたのは、「政治と金」や「年金」であると一般的には信じられている。もちろんその要素も大きい。しかしこれらは、この政権の特徴ではなく、以前からの日本政治の構造的問題なのだ。特徴は歴史認識にあった。これが安倍首相のアキレス腱であった。
二〇〇七年二月の米下院外交委員会の慰安婦問題公聴会に関連し、自民党議連で河野談話を見直そうとする動きがあることについて、安倍首相は三月一日の記者会見で「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。証拠はなかったのは事実」と答弁し、さらに五日の参議院予算委員会で「狭義の強制性」を「官憲が家に押し入って、人さらいのごとく連れて行く行為」と定義した。本人はいまだに自覚していないだろうが、これが安倍氏が「人生の嘘を信じ込んでいる」ことの告白となった。外交での安倍政権凋落の始まりだ。
 たちまち欧米のメディアが反発し「歴史修正主義者安倍と背後の極右勢力」に関する報道が始まっ た。さらに、十六日には辻元清美議員の質問書に対する政府答弁書で、同様の回答があったため、慰安婦問題を抱えるオランダのバルケンエンデ首相が激怒し、 日本大使が召喚された。対欧米の外交問題となったため「河野談話遵守」路線へ転換してアメリカやオランダに対応したものの、ことすでに遅しであった。
 
 当時わたしは「政府答弁書は安倍内閣が歴史修正主義の立場を採ることを閣議決定で表明したこと になる。撤回する以外に、国際社会ではいかなる弁明の余地もない」と指摘した(注2)。そのうえで『週刊金曜日』で、オランダ臨時軍法会議の強制売春を裏 付ける史料を連載で公表しつつ、同時に世界の動きも伝えた(注3)。その間、決定的であったのは安倍氏と同様な歴史観の極右議員らによる、ワシントンポス ト紙での広告掲載だ。日本の歴史改竄主義者たちが、その名に恥じない「歴史歪曲の事実=嘘」をわざわざ英文で掲載したのだからたまらない。アメリカで安倍氏を擁護する声はゼロになった。結果が参院選翌日の米下院本会議での「慰安婦問題での日本政府の謝罪要求決議」の反論なしの採択である。これは、アメリカの議会による同盟国日本の安倍政権に対する事実上の不信任決議に等しい。前代未聞の出来事であり、ここでアメリカは日本の極右勢力を、正体見たりと見捨てた。
 参院選惨敗、謝罪要求決議、内患外憂ここに極まり、安倍氏は食も細ったようだ。世界には決して通用しない彼の世界観が破綻したのだ。「史実の銃弾」に翼を撃ち抜かれた、あわれな家鴨となった。こうしてホーマン議員と同じく、安倍政権はその歴史認識で世界世論から排除された。

   信頼回復のために 

 さて福田政権は、安倍改造内閣のお下がりにすぎない。世界に通用しない改竄史観の閣僚、つまり不良仲間の中学生も、そのまま多く残っている。いずれにせよ、二〇〇八年の、遅くとも夏の総選挙までの過渡期政権にすぎない。
 また世界情勢も、〇八年はアメリカの大統領選挙後の民主党政権へ向けて大きく変化する。東北アジアでは、南北朝鮮が和解の歴史的な段階に入る可能性は大きい。小泉、安倍政権の偏狭な歴史観のために、北の核問題での六カ国協議ひとつでも、日本は外交で最後尾のお荷物になってしまっている。「拉致問題」に拉致されてしまって、動きのとれない政権ではいけない。必要なのは北朝鮮との国交樹立を具体的に政策化する政権だ。そこでは北朝鮮だけではなく、アジア諸国の「慰安婦」や強制労働の戦争犯罪被害者に対して国家責任を明らかにし、被害補償を実現する立法も不可欠である。
 それを実現する政府と議会を持った時に、日本の政治も失われた信頼を回復し、世界の大学生の仲間入りができるであろう。不幸の原因たる「人生の嘘」を自覚しない限り、決して人も社会も健康で幸せにはなれないのである。(引用本文おわり)

(以下の注は原文公開当時とずれがあるため現時点のものに改訂しました)
 
(注1)「人生の嘘」は、ノルウェー語:livslognen、ドイツ 語:Lebenslüge、英語:life lie 。引用文はドイツ語訳から梶村が翻訳した。イプセン没後百年(二〇〇六年)に、ノルウェー政府は世界中で彼の作品を紹介した。『野鴨』についても日本語で紹介があった。
(注2)梶村→「天日下の凅轍の鮒」、季刊『中帰連』2007年春号。

(注3)この連載と、そこで割愛された資料全文は、本校掲載後に単行本として週刊金曜日より2008年6月資料集→『「慰安婦」強制連行』として刊行され、この問題の研究基本文献となっている。

さらにその内のワシントンポスト紙での歴史改竄広告に対する批判記事は→英訳が公表「The Final Secret of Japanese war crimeされ、 -->各国政府および国連など国際機関での資料とされている。

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手前みそですが、(注3)の資料集はこの問題での必読書のひとつであるため、古本でも価格は落ちていないようです。少し高価ですが是非ご購読下さい。本当は安倍晋三氏のための文献なのですが、彼は読んでいないようですし、多分読んでも理解できないのでしょう。
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追加です。宇都宮さんの東京各地の勝手連のチラシが昨日あたりからいくつもでて来ているようです。みんなで利用しましょう。

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