2011年6月11日土曜日

7:ビスマルク、ヒトラー、メルケルと日本(中)脱原発を実現した人々/その1

さて、日本のメディアでも今週月曜日の6月6日にドイツ政府が脱原発法と関連法案を閣議決定したことが、かなり大きく報道されましたが 今回はこれらを実現した人々と、その成果をごく簡単にですが画像を使って紹介しましょう。日本の報道だけでは結論だけで経過が伝わらないからです。

メルケル首相は、前にも書きましたようにフクシマの事故発生から、わずか3日後の3月14日の月曜日に緊急記者会見し、1970年代に稼働を始めた古い原発7基と、事故が続いて停止中の沸騰水型原発(84年稼働開始)の合計8基を3ヶ月間緊急停止し、その間に2つ委員会に諮問し、ひとつは全17基の原発の安全性を審査し、また「倫理委員会」に託して原子力発電の是非と安全なエネルギー供給について審査を要請することを発表しました。

この脱原発へ向けた180度の政策転換の決断を首相がしたのは、彼女が最近の『ディ・ツァイト』紙のインタビューで語っているところによると、どうやら3月12日、ドイツ時間の早朝のようです。起床して福島の1号機の水素爆発の映像を観て、物理学者メルケル氏はこれが何を意味するかを十分に理解したのです。彼女の原子力発電技術に対する信頼がこの映像で最終的に崩れたようです。
それからわずか週末の2日間で、国家のエネルギー戦略の転換を実現する手続きを具体化したのは、見事としか言いようがありません。 政権の連立相手である原発ロビーが強い自由民主党との連立協定をひっくり返し、国会で成立したばかりの原発稼働延長法をいきなり反古にしてしまう驚くべき宰相ぶりと言えます。(なんとか浜岡原発だけを停止させただけの菅首相と比べたくもなりますが)。


 ここで彼女の主な手足となったのはキリスト教民主同盟のふたりの環境相です。
まずはレットゲン現環境相。彼は元来原発延長策に批判的であったので、メルケル内閣ではうだつが上がらない立場でした。ドイツの環境相は実はチェルノブイリの原発事故の直後1986年6月に創設されました。それもあり正式な名称は「環境保護原子炉安全省」といいます。ここには「原子炉安全委員会」という非政府組織の専門家による常設諮問機関が置かれています。さっそくレットゲン環境相は「福島のような事故がドイツの原発で起こる可能性についての検証」を諮問しました。わずか2ヶ月の期間ですが「報告書」がレットゲン氏に手渡されたのが5月17日です。
5月17日「原子炉安全委員会」の報告書をレットゲン環境相に手渡すヴィーラント委員長

レットゲン氏は保守党の若手のホープのひとりですが、顔をみても判るように非常にリベラルでフランクな人物です。 政治家らしくレトリックで法螺も吹きますが、いかんせんポーカーフェイスができないえらく正直な人です。
この報告書は166頁あり、技術工学的に福島原発のような事故が起こる可能性について、地震、洪水、航空機墜落等々のケースに別けて17基の個々の原発につき徹底的に点数が付けられているものです。
 
この諮問機関には原子力関連産業の技術者も委員に入っていますし、また副島事故で応援に駆けつけているフランスのアレバ社のドイツの関連会社の専門家も委員としてふたり加わっています。つまり餅屋の集まりです。ヴィーラント委員長はドイツ技術検査協会の原子炉専門家で政治色はゼロの立場です。


 さて、この報告書がようやく2ヶ月の激論の末、出来上がった16日の午後、わたしは委員のひとりを訪ねました。民間の「エコ研究所-Institut für angewandete Ökologie」の原子炉専門家のミヒャエル・ザイラー氏です。

5月16日ザイラー氏と、左は筆者。ベルリンのエコ研究所で

彼は日本でも反原発運動の専門家とは長く交流のある知る人ぞ知るの人物です。というのも原子力情報資料室を創設した故高木仁三郎氏の古くからの盟友でもあるからです。高木氏が元気な頃彼と協力して貴重な国際的な研究報告を作り上げています。
この研究所は、いわばドイツの環境保護市民運動のシンクタンクとして創設されたものです。1998年に社会民主党と緑の党の連立政権が成立し、緑の党のトリテェン氏が環境相になった際、ザイラー氏は環境省の原子炉安全委員に抜擢され、シュレーダー政権の間は委員長として、2002年の脱原発法を実現した専門家です。
日本の原子力施設も多くを訪ねており詳しいことから、フクシマの事故に際しては、連日メディアにコメントを求められ、ドイツではよく知られた顔です。
事故直後から「日本は『集中治療室』の患者の状態である」と、的確にコメントしておりドイツ世論に大きな影響を与えています。フクシマの「集中治療室状態」は現在も同じことです。
 レットゲン氏が彼のアドバイスで日本の事故について判断していることはよく知られており、非常に信頼されています。

 わたしが彼と知り合ったのは1994年のことですから、もうずいぶん長い付き合いです。以来、メルクマールの長髪の巨漢は白髪が増えただけで全く変わっていません。この日、もうしゃべれるだろうと訪ねて報告書作成の苦労話もいくつか聴きましたが、ヨーロッパの主要な原発ロビー側の専門委員との原子炉評価の論議ですから、夜を徹しての大変激しいものであったとのことです。そのため報告書提出が3日遅れています。
ですからアレバ社経由のフクシマの情報は、日本政府よりも詳しくつかんでいるようです。当然日本の「原発村」の専門家とそれに頼る日本政府を厳しく批判していましたが、これについてはここでは触れません。
終わりに「次期政権では君もいよいよ環境省の政務次官になりそうだね」と言うと、「いやだよ、そんないそがしいことになれば、君と一杯やる時間もなくなるではないか」が答えでした。
とはいえ、彼の学生時代からの原子炉全廃の夢は、ドイツではいよいよ実現しそうです。すでに次の計画のため、彼はこの日の夜、スエーデンへ飛んでいます。放射性廃棄物の最終処理場の実現を図るためです。明くる日の朝、ドイツの公共第二テレビはオスロまで追っかけて、報告書に関するコメントを採っていました。

これがドイツ原子力発電施設の「死刑判決への二つの鑑定書」です:
脱原発へ向けた政府諮問委員会の報告書「倫理委員会」(左)と「原子炉安全委員会」(右)
 (この項は長いので/その2として続きます)



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