2017年8月2日水曜日

327:ベルリンからのアイヌ遺骨返還に関するドイツの報道の翻訳「頭骨RV 33の日本への返還」

 昨年の夏から一年間もこのブログへの書き込みをお休みしていましたが、ゆっくり再開したいと思っています。
 この間、ドイツから難民問題に関した報告を『世界』誌にこれまで3度も寄稿したり、日本の大学で講演をしたりして元気でおりますので、もし心配された読者がおられましたらお詫び申し上げます。ただ70歳ともなり孫たちもできると、彼らの勢いに反比例して、爺さんらしく万事ゆっくりとなっているという凡庸な次第です。

 さて昨日7月31日、明治12年に盗掘されたアイヌの遺骨一つが、保管していたベルリンの学術機関から138年ぶりにようやく返還され、ベルリンの日本大使館において、北海道アイヌ協会の代表者と日本政府内閣官房アイヌ総合政策室の室長に引き渡す式典が行われました。

 これは 毎日新聞社の中西啓介ベルリン特派員による、ここ1年以上の絵に描いたような調査報道によって実現した歴史的な出来事でした。

 毎日新聞をはじめ大半の日本のメディアはもとより、海外メディアも取材し、中でもAP通信も素晴らしい写真とともに英文報道したため、なんとチェコ語やスペイン語でも報道され世界中に知られました。
 
 わたしも楽しみにして返還式典で取材し、 ドイツ側から報告されたドイツ側の遺骨標本記号「RV33」をタイトルにしたいとの構想を持ったのですが、なんとこれは式典から数時間後、ドイツ国営海外向け放送DW・ドイッチェヴェレのベテラン記者ヴィテング氏の実に素晴らしい報告に、すっかり先を越されてしまいました。

 そこでドイツ側での報道としては優れたもので、またドイツ側のこのテーマへの見解も判りますので、筆者の了解を得て以下邦訳しました。
ただ、写真はクレジットがあるので、この翻訳では現場で梶村が撮影した類似のものに差し替えて、また一つは付け加えてあります。

 それにしても、ここでも仕事盛りの日独の中西、 ヴィテング記者たちには、とてもかないませんね。喜ぶべきか悲しむべきか。


 DWのHPの原文と写真はこちらですので参照比較してください: 


 以下翻訳です。

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 人類学と人権

   頭骨RV 33の日本への返還
 


 一人の墓荒らしが、1879年に科学の名において遺骨をベルリンにもたらした。そして今、人類学者らが一つの頭骨『RV33』(訳注:標本分類記号)を日本の島の北海道の先住民族であるアイヌの子孫へ返還した。一つの幕開けである。

 
返還された「RV33」の遺骨の箱 Photo T.Kajimura
  
 78歳になる加藤忠氏は感動で涙ぐみながら「ようやく亡くなった方が故郷へと旅立つことができます。これは一人の拉致された者の魂なのです」と述べた。彼は日本の島北海道の先住民族の団体である北海道アイヌ協会の理事長で、アイヌの頭骨一つを日本へ持ち帰るためにベルリンまでやってきたのである。

 
記者会見で涙ぐむ佐藤理事長 Photo T.Kajimura






 「この頭骨は夜霧にまぎれて盗まれたものです」とベルリン人類学民族学先史学協会(BGAEU)のアレクサンダー・パショス教授は述べる。
 今のところこの犠牲者が誰であるのかは不明だが、犯人の方は判明している:ドイツ人ゲオルグ・シュレジンガーである。1879年、彼はこの頭骨を北の島北海道の札幌近郊のアイヌのものと明示された墓から違法に盗掘した。シュレジンガーは、BGAEUの先行組織である「ベルリン人類学協会」を1869年に設立した世界的に有名な医師であり人類学者であったルドルフ・ウィルヒョウと明らかに繋がりがあった。

 
 138年後の返還
 
 日本大使館での返還式典では、頭骨は箱に納められ小さな机の上に置かれていた。箱は白い布に包まれており、そばにありきたりのプラスチック製ファイルに入れた「ルドルフ・ウィルヒョウ標本集の頭蓋骨RV33に関する鑑定」(訳注・RVとはRudluf Virchowの頭文字)と題する書類が置かれていた。
 
 BGAEU代表のパショス氏はこの返還は日本社会への「善意の姿勢」であると述べている。すなわち法的な義務はないというわけである。しかし彼は同時に明確に「ここでは道義的限界は超えていた」とはっきり述べてもいる。

 
 返還はとりあえずの始まりか?
 
 この式典が実現するのは、ひとへに日本の日刊紙毎日新聞のドイツ駐在特派員の功績による。中西啓介氏は1年以上前から調査報道を始め、ドイツの博物館には多くのアイヌの遺骨が保管されていることを見つけ出した。
 
 これによるとさらに5体の頭骨などの遺骨、さらに全身の骨の標本一体がドイツの(同機関の)蒐集には存在している。とはいえこれらの正確な出所も、またどのような過程でドイツに着いたのかも不明である。
 
 アイヌの代表の加藤氏は、ドイツ以外のさらに8カ国に遺骨が在ると表明した。ここでドイツは象徴的な引渡しによって先鞭をつけることになる。アイヌの遺骨が外国から日本へ持ち帰られるのは、これが実に初めてのことだからであると述べた。
 
 補償や見舞金などはまだ話題になっていない。日本政府代表もそれについては「これまで私たちは全く考えていません」とのことだ。加藤氏は他の諸国もドイツの例にならってアイヌの遺骨の返還を可能にしてほしいと願っている。

返還式で挨拶する佐藤忠アイヌ協会理事長 Photo T.Kajimura






 アイヌは今日もなお差別されている

 
 日本政府にとってベルリンでのこの感動的なこの一幕はまさに好都合である。2020年の東京オリンピックの前に、政府は日本でアイヌがこうむっている不正義な思考を片付けてしまいたいのだ。彼らへの弾圧は彼らの故郷の島北海道が日本の植民地となった1869年に始まった。



 先住民族たちは日本の学校へ通い、日本の風習に従わなければならかった。伝統的なアイヌ文化は組織的に弾圧された。今では数千人しかいないアイヌの共同体への潜在的な人種主義は今日まで続いているのである。

 
 2008年日本の国会はアイヌを国の先住民族として認知する決議をした。にもかかわらず彼らの多くは今日も差別されていると感じている。


 アイヌ文化の価値評価の計画

 
 ベルリンへ戻ろう:BGAEU代表のパショス氏は式典の中で招待者側の日本へ向けて「自己の歴史に批判的に対処すべき」と要求した。


 だが、日本ではまさにそれが現に計画されている。北海道の白老町に博物館が計画されている。日本の大学にあるすべてのアイヌの遺骨が、そこの中央慰霊施設に埋葬されるべきであるとされ、それはベルリンからのおそらく男性であろう頭骨RV33も含めてである。

 このベルリンの博物館の保管所からのまだ無名の人物に子孫がいるかについては、日本で科学的に調査されることになる。



「歴史は元に戻すことはできません」とアイヌの加藤忠氏は述べる。とはいえこの遺骨RV33の返還によって、ようやくここに歴史の手直し作業の一つが始められたのである。


2017年7月31日


筆者:フォルカー・ヴィテング Volker Witting DW

訳責:梶村太一郎 

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8月2日追加 

 返還された遺骨が、本日加藤忠氏により北海道へ無事到着したとの報道が多くあります。
資料として、一昨日の7月31日にベルリンの日本大使館における式典で述べられた挨拶を挙げておきます。写真ですのでクリックすれば拡大して読めます。


 







2 件のコメント:

  1. 購読している朝日新聞ではこの件については全く報道されませんでした。テレビでもなかったように思います。貴重な取り組みの報告ありがとうございます。びっくりしました。

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  2.  この報道は書きましたように毎日新聞の特派員の調査報道による成果です。
     しかし、大使館での返還式は共同、時事、NHK、TBS、並びに新聞各社も取材報道していますが、扱いは小さく地方版では掲載されなかったのでしょう。ネットではかなり読めます。
     沖縄報道と同じで、地元では一面トップでも本土では雑報扱いになるからです。毎日新聞の北海道版は一面トップで伝えました。東京版は一面でしたが、トップ記事は籠池逮捕でした。

    梶村

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