2013年5月26日日曜日

163:橋下市長と安倍内閣は人道精神の餓死状態である・「歴史認識の不作為と正義の実現」再録

 前回では、橋下市長の「慰安婦は必要」発言が「強盗の居直り発言」に等しく、謝罪し、辞任するまでは事態はおさまらないと書きました。日本軍の「慰安婦制度」が、20世紀の人類史上、恥ずべき国軍による例のない大規模な性奴隷制度であったことの深刻な認識が、この人物には全く欠けているからです。そこでナチスドイツが行った特殊な性奴隷制度である「強制収容所の囚人用強制売春の研究」を紹介しておきました。国家権力による強制売春=性奴隷制度のひとつの典型例であるからです。

 橋下氏は国際的に反発が広がった現時点でも、まるで蟻地獄に落ちた蟻のようにもがきつつ、発言を撤回しようとはしていません。政治生命を失うことを恐れているからです。しかし、もがけばもがくほど奈落に陥るだけです。ちょうど日本で講演を続けていらっしゃる韓国のハルモニお二人に面会して、地獄での蜘蛛の糸としてすがろうとしましたが、それは発言を撤回し謝罪して、初めて実現可能なことであることの認識もなかったのです。彼女らに面会を拒絶された人物が、アメリカを訪問しても、まともな人物がだれも会おうとはしないことは明らかです。事実上のペルソナノングラタ/歓迎されざる彼を待っているのは抗議のデモ隊だけです。大恥をかくだけであるのは火を見るより明らかなのです。

 実は、同じような体験をして政治生命に大打撃を受けた政治家の先輩がいます。他でもない安倍晋三首相です。 2007年、彼は「慰安婦の狭義の強制はなかった」と発言し、世界中から批判され、訪米に際してやむを得ず、「河野談話を継承する」と二枚舌をつかい、ようやくブッシュ大統領にも会談できましたが、覆水盆に還らず、米下院の非難決議を招き、参院選で敗北し、体調を崩して内閣を放り出しました。

 当時は、日本の大マスコミも、この発言の深刻さを理解しておらず、安倍首相辞任後も引き続く友好諸国の国会での非難決議に関心を寄せることはありませんでした。朝日新聞以下、ドングリの背比べで、今回のフクシマ報道と同様、まともであったのは東京新聞だけでした。
2007年11月8日ベルリンでの証言集会で

 弁護士でもある 橋下氏は「アメリカは慰安婦でなく性奴隷といっている」などと、性奴隷という言葉が気に入らないようです。
ところが、この言葉が、国際法の概念として定着したのは、実は第一次安倍晋三内閣当時の歴史修正主義を危惧した一連の各国の非難決議のころからであることに無知であることを白状しているにすぎません。
同上。三か国語の証言であるため通訳も大変です

それに対して、「こんな政治家が市長に選ばれることは信じられない」、「歴史を知らない日本の若者がかわいそう」とは、ハルモニたちの言葉ですが、そう思っているのは、なにも彼女たちだけではありません。
世界中の日本を大切に思っている友人たちの大半が、同じように日本社会の歴史修正主義に懸念し、憐れに思っているのが実情です。
これは自国の巨大な人道犯罪の歴史を否定して恥じない「人道精神の餓死状態」にある日本社会への危惧なのです。

 日本の友好諸国でこの懸念と危惧がどれだけのものであったかはは、安倍氏が前回の政権を放り出した後も、オランダ、カナダと友好諸国の国会で「対日『慰安婦』決議」の採択は続き、ついに2007年12月には、欧州議会での重大な決議の採択に至った事実でもわかります。
この二つの写真は、それに先立ちアムネスティー・インターナショナルの招待で、各国の国会での公聴会で証言をした元日本軍性奴隷「慰安婦」のみなさんが、ベルリンで証言された時のものです。韓国、フィッリピン、オランダのお年寄りたちです。

このように当時各国の議員たちは、単に学者の研究を読むだけではなく、彼女ら生き証人たちの声を直接 聴き、議会決議に臨んだのです。どこでも全会一致か、反対ゼロの採択でした。
翻って、現在でもいったいどれだけの日本の国会議員が、公式の議会公聴会で彼女らの証言を聴いたと言えるのでしょうか?いまや、世界の先進国で日本軍の性奴隷制度に関して最も無知で認識を欠いているのは、他ならぬ日本の国会議員であることが、国際世論で周知の事実になっています。大メディアの記者諸君も同じことです。

わたしは、欧州議会での決議が採択された後、やや詳しく内容の解説と背景を『世界』に執筆していますので、それをそのまま以下に再録します。
かなり煩瑣で固くしかも長い文章であるため、読者のみなさまは頭痛がするかもしれませんが、この件の法的性質上やむを得ないので我慢してください。

安倍晋三、橋下徹両氏を筆頭に、次から次へと「問題発言」をする政治家が閣僚まで含めて後を絶たない日本ですが、それがなぜ「人道精神の餓死状態」の現れであるかを理解する一助になればと思います。
今回は原発事故と同じく、ようやく日本のメディアの政治記者も事の深刻さに、薄々気付きつつあるようですので参考にしてください。

ここで日本社会は認識を新たにしないと、いずれは国連での勧告決議となることは避けて通れません。なぜなら、下記にある歴史認識の不作為状態が亢進し、ついには人道精神の餓死状態にある日本は、世界の人道認識の発展を阻害するからです。

まずは、日本はこれでG8から外されることもシナリオに入ってくるでしょう。アベノミクスで、世界経済をかく乱させ、あげくは日本の国力を一挙に失墜させるからです。これが、経済力だけで歴史認識の根本的重要性の認識を欠落させた第二次世界大戦後の日本社会が必然的に陥る結果であるからです。
 このことは、非常に残念ながら現在のドイツのありかたから観ると、いたって明瞭なのです。

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『世界』2008年6月号掲載

歴史修正主義の敗北
  歴史認識の不作為と正義の実現 
               欧州議会対日「慰安婦」決議を読む

                         梶村太一郎


 反対ゼロで採択された決議
 
 ライン河上流河畔のフランス側にあるストラスブール、そこに欧州議会本会議の近代的な建物がある。二〇〇七年一二月一三日、本会議において同年の最終日の最後の議案として日本政府に向けた「『慰安婦』のための正義に関する決議」が審議され採択された。審議の模様は同議会のホームページのインターネットテレビで実況中継され、世界中どこからでも視聴できる。ただ加盟二七カ国の二二の言語での議論を同時通訳で審議するのだから煩雑さはかなりなものだ。

 この日、わたしもベルリンから「傍聴」したのだが、朝からの多くの議案のマラソン審議で、議員の出入りも頻繁である。最終のこの議案審議は冒頭、議長の「最終の飛行機の出発時間も迫っていますので、発言時間は守って下さい」との言葉で始まった。クリスマス前で帰宅を望む議員が多いこともある。広い議場に議員の数はかなり少なくなっている。
 とはいえ、この決議案は、全七八五名の議員の九割を越える主要五会派の各決議案を、各会派の外交、女性人権委員らが協議の上でまとめた共同決議案である。そのため上程されれば採択は確実視されていた。したがって、わたしの関心はむしろ賛否の割合にあった。舞台裏で日本政府のロビー活動が活発に行われているとの情報もあったためだ。またそれに先立つ、七月三〇日の米下院、一一月二〇日のオランダ下院、同月二八日のカナダ下院の同問題での決議案は、いずれも全会一致で採択されていたからだ。

 提案者の英国緑の党のジーン・ランベート議員に続き、スペイン、スエーデン、ポーランドなど七カ国八名の議員が演説をした。意見の概要としては「日本政府は歴史的事実を認めるべきであり、長く謝罪と賠償を待っている女性たちに応えるべきだ」、「彼女ら性奴隷の犠牲者たちは、若い時に人生が破壊されてしまった。その一方で、男性の加害者は罰せられることなく終わっている。戦争では今も女性と子供が最初の犠牲者である。それを防ぐためにも明確な謝罪と賠償は必要だ」、「八〇歳代の被害女性たちに連帯する。日本の政府と国会議員は犠牲者とその遺族に謝罪と賠償決議で応えるべきだ。それこそが日本の次世代への義務だ」、「日本の安倍首相の(強制否定)発言はゆゆしきことだ。同じようなことは現在もコンゴなどで起こっている。そのためにもこの決議は採択されるべきだ。現在の問題でもある」等、いずれも的を絞っての発言であった。中には「日本大使と話したのだが、彼は『慰安婦問題を教科書に載せると、子どもたちが心理的に傷つく』と言った。だが隠すことで問題は解決しない」と裏話まで述べた女性議員もいた。

 そんな中で、ひとつだけ決議採択に反対の意見表明があった。欧州同盟の行政執行機関である欧州諸共同体委員会(通称欧州委員会)のギュンター・フェアフォイゲン副委員長である。この委員会は,国家であれば「内閣」のようなもので、現委員長はポルトガルの元首相ジョゼ・バローゾ氏。副委員長は、いわば欧州連合の「副首相」のような地位にある大物である。彼は長くドイツの社会民主党の連邦議会議員を務め、シュレーダー政権では、緑の党のフイッシャー外相の下で経済関係の外務政務次官に就いた後、シュレーダー首相の指示で、ドイツ経済の影響力を強めるため欧州連合のドイツ代表の欧州委員としてブリュッセルに出向いている。現在は企業・産業担当委員、つまり閣僚でいえば「経済相」に当たる。その彼が,最後に立ち上がったときには、なぜ専門でもないこの議案審議にお門違いのこの人物が出てくるのかと怪訝に思ったが、その演説で納得した。

 彼はメモを見ながら、河野談話、村山首相の謝罪演説、小泉首相の戦後六〇周年の演説などを年代順に述べ、さらにアジア女性基金を挙げて、「日本政府はこのような努力を続けており、謝罪を要求するのは適当ではない。欧州委員として、過去のことを採り上げるのではなく、現在の同様の問題の解決を図るべきだと考える」と述べたのであった。彼はブリュッセルで日本の政界,経済界とも結びつきが非常に強い。すなわち日本政府の言い分をここで代読した形である。しかしながら、その効果は皆無であった。続く電子投票による採決では、賛成五四、棄権三、反対ゼロで議案は採択された。ここでも反対票ゼロの記録は維持された。
 また、この日の「一部修正の上採択」と報道されたが、それは決議の表題に(アジアにおける第二次世界大戦の戦前・戦中の性奴隷)との副題を括弧に入れて付加する修正案が承認されたことを示している。これはようやく国際法に定着した概念「性奴隷」を強調する意思表明だ。

 以上のようにして、欧州議会の決議は成立したのであるが、これは、多くの元「慰安婦」の人びとには、非常に大きなクリスマスの贈り物になっており、彼女らの願望が広く国際的に認知され、喜びも大きいことが伝えられている。それだけに日本の政府と国会にとっては、国際的不信の現れとして重大な結果となった。
 まずは、この決議が欧州連合の一員ではない日本には、法的拘束力は持たないとはいえ、二七カ国、四億九千万人の友好諸国の巨大な国際機関の意思表明として重いものがある。

 「次は国連勧告」を見越した内容

 決議文を読むと、日本がさらに問題を放置しつづければ、将来あり得る国連の総会や理事会での勧告決議にも匹敵しうる内容であることが判る。これこそが重大である。このことは、それまでのアメリカ、オランダ、カナダ三国の比較的簡単な決議内容と比較すれば一目瞭然だ。すまわち「次は国連勧告」を見越し、それを前提とした充実した内容となっているからである。国際機関としての欧州議会ならではである。

 そこで振り返ってみると、欧州議会の決議は、一九九一年一二月の韓国人元「慰安婦」金学順さんら三名が東京地裁に初提訴して以来、ちょうど一六年の長きに渡る日本の政府と国会の問題解決の不作為に対する「告発状」として読むことができる。
 このことは、提訴前の九一年一〇月に韓国の支援諸団体が出した要求声明の主旨が、この決議文の日本政府に対する要請の骨子としてそのまま継承されている事実からしても明らかである。
同声明では日本政府に対し、「(一)強制連行の事実の承認、(二)公式な謝罪、(三)蛮行のすべてを自ら解明、(四)犠牲者の慰霊碑建設、(五)生存者と遺族への補償、(六)歴史教育で語ること」を要求している(注1)。このなかで決議に含まれていないのは、(四)の慰霊碑建設の要求だけであり、他はすべて織り込まれている。以下両者を比較検討しよう。
 決議文は、まず関連する国際諸法とオランダ政府報告書、アメリカ、カナダの議会決議を列挙したうえで、事実認定(A~G)と、欧州議会の同問題の見方とその立場を四項目に示した上で、日本政府への要請として五項目を述べている。

 まず、「(一)強制連行の事実の承認」に関しては、「A.若い女性たちを皇軍の性的隷属下におくための徴用の命令を下した」、「B.『慰安婦』制度は二〇世紀の人身売買の最も大規模な例のひとつ」であると事実認定したうえで、日本政府に「5.皇軍の行為を,言葉を濁さず、明確に、公式に認める」よう要請している。

 「(二)公式な謝罪」に関しては、「3.河野談話、村山声明、『慰安婦』を含む戦時被害者への謝罪決議を歓迎し」する立場である、だが「E.公務員らがそれらを希薄化、無効化させようとする願望を最近表明した」と事実認定したうえで、「4.解散したアジア女性基金は歓迎するが、それが被害者他たちの要求を満たすものではないとのマクドゥーガル報告に同意し」、「5.皇軍の行為を、謝罪し,歴史的、法的責任を取ること」を要請している。

 「(三)蛮行のすべてを自ら解明」に関しては、「F.日本政府は性奴隷制度の全貌を明らかにしたこっとはなく、必修教材で『慰安婦』や戦争犯罪を矮小化しようと試みている」と事実認定し、「8.『慰安婦』が強制的に奴隷状態におかれたことはなかったといった主張を、政府は公式に論破する」よう要請している。

 「(五)生存者と遺族への補償」に関しては、「C.日本の『慰安婦』裁判は賠償請求をすべて却下し」、「D.被害者のほとんどは故人であり、生存者は八〇歳以上である」、「G.民間財団アジア女性基金はすでに終了した」との事実認定のうえで、「6.日本政府による被害者と遺族への賠償を行う行政機構の設置」、「7.日本の国会は賠償請求の障害となっている現行法の不備を除き,法制上の整備措置を講じるよう、また個人の賠償請求権は明確に認められるべきで、高齢者の請求権は優先されるべきである」と要請している。

 「(六)歴史教育で語ること」に関しては、「E.政府高官やが謝罪の声明を発した一方で、公人らがそれらを希薄化、無効化させようとする願望を最近表明した」、「F.日本政府は性奴隷制度の全貌を明らかにしたこっとはなく、必修教材で『慰安婦』や戦争犯罪を矮小化しようと試みている」と事実認定し、「8.『慰安婦』が強制的に奴隷状態におかれたことはなかったといった主張を、政府は公式に論破するよう」、「9.日本政府はどの国の道徳的義務でもあるように政府と国民が自国の歴史の全体を認める手段をじ、かつての自国の行動についての認識を涵養するよう勧め、現在と将来の世代に歴史事実を教育するよう」要請している。

 また、決議では具体的には触れられていないが、「(四)犠牲者の慰霊碑建設」は「9.自国の歴史の全体を認める手段、自国の行動についての認識を涵養する」との要請の範疇に属することである。
  
 以上のようにこの決議は、一六年前の韓国人被害者三名の正義を求める声が、日本政府の不作為の結果、アメリカ、オランダ、カナダの三国につづき、ついに欧州連合二七カ国の「『慰安婦』のための正義」の声にまでなったことを示している。

歴史修正主義の妄動が招いた決議
 
 なぜ昨年になってこの問題が北米からヨーロッパまで拡大したかについては、論をまたない。基本的には、これら諸国の社会に深く根付いている歴史修正主義の非道義性に対する怒りと嫌悪である。そしてその認識を日本社会、特に政治家とメディアの大半が欠落させているために、このように欧米の友好諸国ほぼ全体ともいえるほどの政治家たちとメディアの怒りと批判を招いたのである。
 
 このことをを最も端的に現わしたのが、昨年の七月三〇日、アメリカ下院本会議での採択演説での、トム・ラントス外交委員長の言葉だ。彼は「ドイツは歴史の罪について正しい選択をした。一方、日本は歴史の記憶喪失を亢進させた。日本の一部にある歴史をゆがめて否定を試み、被害者を非難する行動には吐き気をもようする」と厳しく批判した。アメリカの国会議員としては唯一のホロコーストの生き残りであった(彼は本年二月、八〇歳で亡くなった)人権派政治家のこの言葉は重い。二〇〇四年に、日本人や韓国人の拉致問題の解決などを目的とした「北朝鮮人権法」の成立を主導したのも彼である。この立法は南北朝鮮から「内政干渉」、「北朝鮮敵対宣言」などとの反発があったが、彼にとって人権は、体制や国境を越えて擁護されるべき、決して譲ることのできない人類の普遍的価値なのである。もちろん「慰安婦」の人権についても同じだ。

 さて、そんな彼に「吐き気をもようさせた、日本の一部にある歴史をゆがめて否定を試み、被害者を非難する行動」が何を示すかは明らかだ。まずは昨年三月の当時の安倍晋三首相の「官憲による慰安婦強制連行否定発言」であり、続く六月の衆参国会議員らによる『ワシントン・ポスト』紙での意見広告である。

 そもそも、昨年三月一日の安倍首相の「河野談話見直し肯定発言」を真っ先に批判したのは『ニューヨーク・タイムス』と『ワシントン・ポスト』であったし、五日の参院予算委員会での首相の「官憲による狭義の強制連行の証拠はない」、「米下院の謝罪要求決議案は客観的事実にもとずかず、決議があっても謝罪はしない」との答弁に対しては、六日の『ロサンゼルス・タイムス』紙などがこぞって、「発言は修正主義」、「真実をねじ曲げ,日本の名誉を汚すもの」、「被害者はさらなる苦痛を味わった」と厳しく批判した。一方でこの日の『朝日新聞』は「いらぬ誤解を招くまい」との見出しで,前述の欧州議会でのフェアホイゲン氏の発言とほぼ同主旨の言い訳だけを社説に書いてよしとしている。すでにこの時点で、欧米と日本の主要メディアの問題認識の落差が歴然と現れている。

 さらに同一六日の辻元清美衆議院議員の質問書への政府答弁書には「政府が発見した資料の中には,軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」とあった。これをいち早く報道したAP通信の記事が、翌朝のオランダ政府の閣議の席に届き、バルケンエンデ首相を激怒させた。彼はその場で外相に日本大使を召喚し日本政府の真意を質すよう指示を出した。ところがこのオランダ主要紙のトップニュースを、日本のメディアはなんと完全に無視したのである。報道機関としてはこぞって失格だ。

 そんな事態に驚嘆したわたしは、この時点で「答弁書は日本政府が歴史修正主義の立場を採ることを閣議決定したことになる。国際社会では、撤回する以外にいかなる弁明の余地もないことを知るべきだ」として、安倍氏ら日本の歴史修正主義者らの言論は国際世論のなかで「干物」になるであろうと指摘した(注2)。

 その上で、手元にある未発表のオランダ軍バタビア臨時軍法会議の強制売春に関する裁判資料を取り出し、オランダ語にも堪能なライデン大学名誉教授村岡崇光氏と共同で、ベルリンから日本の週刊誌で連載公表することにした。そこには否定することのできない「官憲による直接の強制連行と強制売春の証拠」が多数あるからだ。
 そして強制売春事件の判決文や被害者の宣誓尋問調書などを訳出連載中の六月にでたのが、日本の多くの国会議員らによる『ワシントン・ポスト』紙での意見広告である。しかも、広告では,ちょうどわたしが解説を執筆中であった「スマラン強制売春事件」も採り上げられ、堂々と歪めた史実が「事実」であるとの主張もあった。直ぐにわたしは、事実の歪曲を指摘し、彼らの主張する「事実」とはすなわち「嘘」であることを暴いたのであった。まさにラントス氏の指摘する「歴史をゆがめて否定を試み、被害者を非難する行動」であり、絵に描いたような歴史修正主義者たちの歴史的愚行であった(注3)。

 オランダでは、今度は首相だけでなく、日本の国会議員多数の行動であるだけに、フェアベート下院議長は「非常なショックを覚え」、「関係者に甚だしい苦痛をもたらすものだ」と語り、河野洋平衆議院議長に「憂慮と失望を表明した」書簡を送っている。なにしろ広告には「元『慰安婦』らの証言は変化し信用できないのが事実」との主張まであるのだ。欧州議会決議にある「『慰安婦』が強制的に奴隷状態に置かれたことは決してなかったといった主張は、すべて公式に論破すること」との日本政府への要請は、この広告の結果である。歴史修正主義に反論するのは政府の責任でもあるのだ。世界中の関係者に呼び起こした怒りはこれまでにないものになった。

 このころから、アムネスティー・インターナショナルなどの人権団体や、欧州議会の人権委員会などの「謝罪要求決議」に向けた動きが活発になったのである。すでにアメリカの下院でも決議に反対する声はほぼ聴かれなくなっている。特に特に元『慰安婦』の老人たちの怒りは激しく、昨年九月に安倍政権が倒れてからも、彼女らは各国の議会の公聴会や集会で、老体に鞭打って活発な証言を続けている。そのため、前述の欧州議会の議員の採択意見でも、ブリュッセルの公聴会で老人たちの生の声に接した共感が伝わるものが多かったのである。どこの議会でも採択反対の意思表示を最終的に封じたのは彼女らの声であったといえる。

「不作為罪の有罪判決」を受ける前に

 このようにして成立した欧州議会決議は議長により、国連人権委員会とアジアの被害諸国政府に送付されている。韓国、フィッリピン、オーストラリアの国会でも決議の動きがある。日本の政府と国会の不作為がつづけば、国連の勧告決議もあり得るとしなければならない。それが最終的な「事実上の不作為罪での有罪判決」となることは、すでに論をまたない。
  そこにいくまでに、日本の政府と国会が、諸国の決議に応えて指摘された立法の不作為を正し、できれば「慰安婦」だけでなくすべての強制労働の被害者に対する謝罪と補償のための立法を一刻も早く実現すべきである。
 ラントス議員が述べた「ドイツは歴史の罪について正しい選択をした」とは、また各国の決議の立法措置の要請のモデルは、二〇〇〇年七月にドイツの国会と民間が共同で成立させた強制労働の被害者に補償を実現した「記憶と責任と未来」財団設立法のことである。これによりドイツは昨年の夏までに七年かけて補償金の支払いを完了している。同財団の総括報告書によれば、世界九八カ国に居住している一六六万五六九〇人の被害者が補償金を受給した。この財団は決議にある「賠償を行うための効果的な行政機構」のモデルになり得るものだ。なにしろ文字どおり世界の隅々まで被害者を探し当てているのである。日本にも三人の受給者が居住していた。

 ところが膨大な人数であるようだが、合計一一〇〇万人ともいわれる強制労働者の大半は死亡しており補償を受けることができず、正義が実現されなかったのが事実である。ドイツ方式はこの点では決してモデルにならない。ましてやこれよりも大きく遅れをとったため、日に日に被害者が少なくなり、日本は強制労働の被害者に永久に加害責任を償えないことになる。「慰安婦」生存者にしても、すでに八〇歳以上であり数少なくなってしまっている。これでは「日本は不作為により,被害者が死に絶えるのを待つ『生物的解決』を謀った」と非難される事態となってしまう。
 そのため、このような現実を補完し、将来においてもできうる限り正義を実現するために、欧州議会決議にも「被害者及び亡くなった被害者の遺族に対する賠償」の方式が要請されているのである。そして、実はこれに関しては日本の強制労働への補償でその実例があるのである。「原告だけでなく故人も含む被害者全員への一括全体解決」を目的とした花岡事件和解により実現した方式がそれである。

先進的な「花岡方式」という財産

花岡事件で東京高裁が和解勧告を出した時期と、前述のドイツでの立法の成立とは偶然だが並行している。しかしながら花岡方式は、ドイツの財団方式を参考にはしておらず、信託方式をとっているのである。それによれば「不特定な又は未存在の受益者についても信託行為が可能であり」、不明の被害者、あるいは被害者の遺族も、補償の受給が可能になるからである(注4)。
 事実、中国紅十字会に信託された「花岡平和友好基金」による信託金の受給者を探す作業により、「これまで五〇〇人近い生存者・遺族を探し出すことができている」(注5)。その多くが強制労働で日本の敗戦までに亡くなっている花岡受難者の総数九八六人からすれば、これは大きな数であるといえる。ドイツ方式をはるかに凌駕する実績だ。しかもこれから発見されうる生存者はもちろん、故人の遺族も補償金を受け取ることができるのである。すなわちこの方式では、将来にわたって和解を実現できる。花岡方式でも大半の被害者にとっては遅きに失した補償ではあるが、しかし彼らの遺族にとっては、正義の実現が将来にわたって実現可能な唯一の方式であることは間違いない。

 この方式を弁護士としての長い体験から着想し、当時裁判所までを「従来の手法にとらわれない大胆な発想」と感嘆させた新美隆氏は、残念なことに今は亡い。だが、日本が世界の中で道義を実現するために、彼が遺した画期的なこの業績が大きく生きてくるのはこれからである。もちろんそれを阻害する多方面からの愚行もいよいよ大きくなるであろう。
 だが、人道犯罪では、被害者とその子孫には時効はない。つまり正義は必ず実現されねばならないのだ。そうでなければ人間世界の将来は暗いものになってしまう。この認識が信念として日本社会に定着し、人びとが努力を始めるときに初めて、日本も加害と被害の桎梏から解放されはじめるのである。
 そして「慰安婦」問題での世界各地からの謝罪要求決議が、わたしたちに訴えているのも実はこのことだ。これらは歴史認識でつまずく首相や国会議員を見て「どうした日本、しっかりせよ」との世界中の友人たちからの率直な友情の声なのである。日本は率直に耳をかたむけるべきである。被害の痛みを共有し、正義を実現してはじめて世界は日本の品格を讃えるであろう。

(注1)吉見義明『従軍慰安婦』岩波文庫、四ページより引用。
(注2)梶村「天日下の凅轍の鮒」『季刊中期連』40号二〇〇七年春号、
全文はホームページに掲載:
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/text/kajimura_huna.htm
(注3)『週刊金曜日』で二〇〇七年四月から八月にかけて六回にわたり連載されたオランダ軍バタビア臨時軍法会議の強制売春事件に関する資料と解説は、資料全文を編纂追加のうえ、近く『「慰安婦」強制連行』として刊行される。国会議員とジャーナリストの必読書である。
(注4)新美隆「花岡事件訴訟和解成立に立ち会って」、『季刊中期連』16号、二〇〇一年春号
(注5)田中宏「花岡和解の事実と経過を贈る」、『世界』二〇〇八年五月号



皆さん

2013年5月16日木曜日

162:橋下市長の「慰安婦必要」発言は強盗の居直り説教に等し/ナチスの強制売春施設研究(『強制収容所の売春施設』ロベルト・ゾンマー)の紹介

5月16日、文末に関連写真を追加しました。
 
 5月13日の橋下徹大阪市長の「慰安婦は必要であった」、また「沖縄の米軍は風俗を利用すべき」などの発言は、たちまち世界中に報道され、15日の北海道新聞は社説→「女性を傷つけた罪深さ」で「政治家の資質はもちろん、人間性をも疑わせる」、「日本の政治が世界からさげすまれる」と嘆いています。
 
 そのとおりで、世界中があきれ果てているだけでなく、これから橋下氏がどのように詭弁を弄して弁解しようとも、発言を撤回し謝罪し辞任しない限り、事態は悪化するだけです。
なぜなら世界中の女性の人権を否定するこの発言は、特にアジアでの日本の15年戦争の被害諸国にとっては、まさに、かつての日本の次世代政治家による「強盗の居直り説教」に等しいと受け止められるからです。
 この報道により、またしても 癒えがたい古傷をかきむしられる思いを、オランダも含めたアジア諸国の人々がしていることが、この人物には全く理解できないのです。それを当然とする石原慎太郎氏などは、国賊に等しいたわけ者です。

 そもそも、橋下氏がこれほどではないにしろ、とっくに否定されている「慰安婦強制連行なかった論」を、その無知に応じて繰り返し、吉見義明氏の名誉を毀損し反論されたは昨年の夏のことです。詳しくはその時の記録→「橋下市長に反論!吉見義明さん語る」をご覧ください。
 吉見氏はこの講演でわたしたちの共著→「『慰安婦』強制連行」から多くを引用されていますが、 これは2007年、世界中のから反発された安倍晋三首相の「狭義の強制連行はなかった論」をオランダの歴史資料を挙げて覆した著作です。当時の日本軍の「慰安所」なるものの大半が、強制労働による性奴隷制度であったことを立証する資料集のひとつです。

 また日本軍の慰安婦制度が立派な軍の施設であったことに関しては、それを実行して自慢した有名な今も元気な生き証人がいます。このブログでも取り上げましたのでご覧ください。→暴かれた中曽根康弘氏の「人生の嘘

 さて、本論ですが、橋下市長は「当時は世界中の軍隊が慰安所を利用したのに、日本だけが悪者にされるのはけしからん」とご立腹のご様子です。
第二次世界大戦でドイツも占領地などで現地の売春宿などを軍専用の施設として管理し、利用したことは事実です。
 だだしこれらは、橋下氏のどうやら豊富な風俗利用経験からする理解のように「兵士の慰安ため」などではありません。 兵士を性病から隔離し、軍の戦力維持をするのが主な目的です。また特殊ナチスの人種イデオロギーから、ドイツ軍兵士の「劣等民族との性交渉」を防ぐ目的も背景にありました。

 それに、日本ではほとんど知られていませんが、ドイツ軍には下級兵士にいたるまで、毎年3週間から4週間の帰郷休暇が与えられていました。敗戦間際まで出来る限りこの制度は実行されていました。日中戦争開戦以来の日本軍兵士には夢のような制度です。だだしこれも、「アーリア優等民族」を維持するための「子づくり休暇」としての制度であったと論じられています。ナチス型「産めよ増やせよ」政策です。そのため、わたしの戦中生まれのドイツ人友人にも「Urlaubskind/休暇の子ども」がかなりいます。
 
 ドイツ軍の管理売春の研究はまだ途上で、全体像は専門家もとらえていないようです。
ただし現時点でも、ひとつだけ確定できることは、日本軍のように植民地や占領地の若い女性を甘言や拉致で組織的に集め、20万とも推定される膨大な人数の女性たちを拡大する最前線まで性奴隷として強制連行し続けた軍隊は他にはないということです。これが、日本軍による犯罪行為の特殊性なのです。
世界中で20世紀の恥ずべき歴史とされるのはそのためです。橋下氏らが我慢できないとする「日本軍だけが悪者にされるの」ことには、このような根拠があるのです。この面では旧日本軍は特段に野蛮な軍隊でした。

 ところが、他方でナチスも特殊な強制売春施設を強制収容所内に設けていたことが明らかになっています。これについては若い研究者が10年をかけて追求し、2009年に学位論文ととして出版されたおかげで、全体像を知ることができます。ここで性奴隷とされた女性は、日本軍慰安婦の1000分の1、すなわち200名ほどですが、上記のわたしたちの共著にもあり吉見氏も引用されている、インドネシアのオランダ人抑留所から若い女性を選び出して売春を強制した、スマラン事件やマゲラン事件と手口がよく似ています。

 ただし、動機と目的は全く別であり、こちらにはナチスの特有なイデオロギーが背景にあります。したがって、日本軍の慰安所とは「手口」がにているだけで、比較はできないものです。しかし、ナチスのイデオロギー下で実証されている唯一の強制売春性奴隷制度に関する、貴重な研究として、ドイツではかなり評判になったものです。
 日本のかつての同盟国の性奴隷犯罪行為のひとつとして、橋下暴言によりこの研究を想起しました。性奴隷制度のひとつの証明された事実であるからです。

 わたしは、出版後に、450ページの大著の内容の解説を執筆公表していますので、とりあえず以下、→『インパクション』誌に発表当時そのままを以下に再録しておきます。執筆は2009年12月です。
あらためて、時間を見つけて、本書にある写真なども別に追加する予定ですのでしばらくお待ち下さい。

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ついに解明されたナチスの囚人用強制売春施設の全体像

本書表紙

『強制収容所の売春施設』ロベルト・ゾンマー著、Robert Sommer : Das KZ--Bordell, 2009,Paderborn
 
       梶村太一郎
 
 二〇〇九年八月一八日、「ナチス強制収容所での性的強制労働」との副題がある本書の出版の紹介が行われたのは、元プロイセン国会議事堂で、現在はベルリン州議会内の大きな一室であった。この古く巨大な建物の斜め向かいの空き地は、ゲシュタポ(秘密国家警察)本部跡だ。そこに現在建築中の建物は「テロルの地勢誌」というナチ時代の加害の歴史の研究所だ。この完成後であれば、本書の紹介も最適の場所としてそこで行われたであろう。なぜなら、ナチスの暴力支配体制の中でも強制収容所内での強制売春という特殊なテロル機構を、親衛隊帝国指導者兼ドイツ警察長官ハインリッヒ・ヒムラーが構想し、実行を命令した中枢がゲシュタポ本部であったからだ。
 
 強制収容所での囚人用売春施設の存在は、戦後早くから囚人として生き延びたオイゲン・コゴンの『親衛隊国家』、ヘルマン・ラングバインの『アウシュヴィッツの人間』などの古典的著作によっても広く知られていた。しかしながらこれらによって、被害者の女性たちについては「品行方正とはいえない病歴の彼女たちは、あまりためらわずに従ってきた」(コゴン)といった差別的偏見、あるいは施設の目的については「男性囚人の間に広がっていた同性愛を防ぐためであろう」(ラングバイン)といった視野狭窄な推定が定着した。さらに施設を利用した男性囚人たちに多くの政治囚が含まれていたこともあり、この問題はタブー視され、強制収容所の公式の歴史記述から消え、研究の対象とはならなかった。収容所を生き抜いた政治囚はナチスへの抵抗運動の英雄であったからだ。

 ようやく冷戦終結後になり、日本軍の強制売春の犠牲者たちが証言を始めた影響もあり、ドイツでも女性たちによる研究が始められた。クリスタ・パウル『ナチズムと強制売春』(一九九四年、邦訳は明石書店)がそのパイオニアである。パウルは晩年を迎えた三人の被害女性の証言を記録することにも成功している。しかし、ジェンダーからの視点が必要であるためか、歴史家による研究はいまだにされていない。したがって本書がベルリンのフンボルト大学で社会学を学んだ著者により、文化科学のハルトムート・ベーメ教授の下での学位論文として成ったことは偶然ではない。ベーメは「戦後の膨大な研究の後で、もはや最近では強制収容所の研究で画期的なものは期待できないとされているが、この研究は例外である」と序文で賞賛している。一九七四年生まれのゾンマーは五年をかけて、ポーランド、ドイツ、オーストリア、アメリカにある膨大な資料に当たり、強制収容所の強制売春の全体像を捕らえ、タブーを破ることに成功したからである。

 本書によれば、ナチスは四二年六月から、オーストリア、ドイツ、ポーランドの強制収容所とその支所に一三の強制売春施設(九カ所が囚人専用、四カ所は小規模な収容所警備のウクライナ人親衛隊員専用)を建設した。その計画と歴史的イデオロギー的背景、建築の経過と収容所内での位置形態、各施設内部の構造、衛生と性交の管理、経済管理、ラーウ゛ェンスブリュッケ女性収容所とアウシュビッツ女性楝での募集方法、売春施設での生活、囚人のセクシャリティーの形態、利用者の動機とその数、収容所内での影響と抵抗運動にいたるまで詳述されている。特に強調すべきは、アウシュヴィッツなどで残されている全期間の性病検査の記録などから、全体で二一〇人と推定される被害女性の八〇%を越える一七四人の氏名と国籍が特定され、その大半の年齢、収容の理由、施設での滞在期間が解明されていることである。それによれば、一一四人のドイツ人、四六人のポーランド人で大半が占められ、平均年齢は二五歳であった。

 このような実証研究の結果から、長い間流布し信じられている「親衛隊員がユダヤ人女性を暴行して収容所で売春をさせた」といった記述、また前記のパウルの研究にある「ブーヘンバルトのドイツ人親衛隊売春施設で働いた」との被害女性の証言は、いずれも信憑性がないことが明らかになった。ユダヤ人女性はドイツ人との性交は禁じられており、募集では最初から排除されていたし、またドイツ人親衛隊売春施設は同地にはなかったからである。

 女性たちの売春施設での平均滞在期間は一〇ヶ月であるが、不適応で数日で元の収容所に送り返された女性もおり、最長三四ヶ月を経てドイツ敗戦で大半の女性が生き延びている。食料も親衛隊員待遇で豊富であり、衛生管理も徹底していたからである。毎晩二時間、扉に監視の覗き穴がある室内で、六人から八人の男性囚人を規則に従って正常位で受け入れ、また幽閉生活の孤独に耐えれば、精神の拷問と引き換えに彼女らの肉体的生存だけは保障されたからだ。他方、売春施設の外は、苛酷な労働と粗悪な食料のため大半の囚人が半年ほどで衰弱し虫けらのように死んでいく世界であった。このようなグロテスクなテロルの空間を成立させたのはヒムラーの着想である。

 そもそもナチスはドイツ国内はもとより、占領地でも売春を徹底的に管理した。路上での客引きを禁止し、民間の売春宿と売春婦は警察の監視と保健所の監督下に置いた。ヒトラーによれば「性病の蔓延は民族の没落の現れである」からだ。占領地では民間の特定の売春宿をドイツ軍の専用として利用し、軍警察と軍医の管理下に置いた。ドイツ兵を性病と「劣等民族」から隔離するためだ。したがってこの制度は、植民地や占領地の若い女性を拉致し売春を強制した日本軍の「慰安婦」制度とは、安易には比較できない。

 ヒムラーの動機はこれらとは別であった。強制収容所内での強制労働の生産性が極端に低く、それを向上させる手段として着想している。例えば最初に売春施設を作らせたマウトハウゼンでは、熟練労働者が不足し、花崗岩石切場での石工の生産性は民間の労働者の二〇%にも足らず、戦時生産に大きな支障が出ていた。この解決策としてヒムラーが注目し参考としたのが、ソ連邦のラーゲリの強制労働における報奨制度による生産性向上の実績であった。ノルマを果たし成績を上げれば、タバコを与え、文通を許し、食料を特配して生産性を上げていた。彼はこれらを導入し、さらにソ連邦にもない「最高の報奨」としてつけ加えたのが売春施設の利用である。

 しかし、この目論見は失敗した。利用したのはナチの手先として特典を持ったカポ(監督労働者)や、普段から優遇されて体力のある職能のある囚人だけであり、全体の〇・五%以下であった。逆に囚人や親衛隊の間での贈収賄が広がり、収容所の規律の腐敗をもたらし生産性向上にはいたっていない。ヒムラーはミュンヘン工科大学の農学部で養鶏を学んだが、彼にとっては、強制収容所の囚人男女は養鶏場のニワトリ同様であった。強制労働で死を待つばかりの女性を、初期には「半年で釈放する」との甘言で騙し、それが通用しなくなると有無をいわさず連行して、十分に太らせて女性の性を徹底的に利用した。男性囚人に彼女らの身体を利用させ共犯者にしたてあげたのである。これをゾンマーは「陰険な権力制度」と呼んでいる。
 この強制収容所での性の強制労働の制度は、ゲルマン民族至上主義イデオロギーに基づき、歪んだ優生学を徹底的に追及したナチズムのテロルの、ひとつの縮図であったのである。
(Impaction『インパクション』172号、2010年、163ー166ページに掲載)
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16日追加です。
 以上が2009年末に紹介した本書の内容の紹介です。この博士論文は、画期的な質を持っているので立派な書籍として市販され、専門家の間でも貴重な学術論文として高い評価を受けています。
本書には、かなりの資料などの写真も収録されていますので、百聞は一見にしかずですので、新聞や雑誌が著者とインタヴューをしたさいに使用されているものをいくつか以下紹介します。

 1)ブーヘンバルト強制収容所の囚人用売春施設の二人用の室。これと次の写真は当時の収容所長が残したアルバムにあった。この部屋の壁には、親衛隊が好むシェパードの額が見える。1943年末。

© Musée de la Résistance et la Déportation, Besancon


2)同、一人用の部屋。これは本書の表紙に使われている。


© Musée de la Résistance et la Déportation, Besancon


3)マウトハウゼン強制収容所を視察するヒムラー(左)。背後のバラックに強制売春施設が後に設けられた。1941年。
Photo:SS.1941 出典:AMM


4)アウシュヴィッツ基幹収容所の売春施設として利用された一室の扉。現在は国立博物館の文書室として利用されている。当時の円形の監視用覗き穴が見られる。
Photo:R.Sommer.2005
5)著者のゾンマー博士。彼は膨大な資料を発掘し、それと格闘した。「声なき被害女性たち」の過酷な情況を資料から学問的に再現する作業の心理的負担は重く、本書出版直後は、自著を目に触れない背後の本棚に置いていたと、あるインタヴューで述べている。
 © Privat

これらの、本書にも収録されている写真は、→Münchner Merkur と→Der Spiegel誌の電子版の著者とのインタヴューに使われているものから借用しました。
写真の解説は、梶村が付けた部分もありますが、基本的に原著によります。

2013年5月8日水曜日

161:ナチス権力掌握80周年のドイツ・敗戦68周年記念日によせて



 今年はドイツでナチスが権力を掌握してから80周年になります。また本日5月8日はナチドイツが無条件降伏した68周年記念日です。この日にあたって、わたしが長年コラム「ベルリン歳時記」を連載している→『季刊中帰連』の第52号に寄稿したものを、ここそのまま紹介させていただきます。昨今の日本の政治社会情勢との比較の参考となればとおもいます。
 なを本文は3月末に執筆したものです。冒頭の写真2枚は付け加えたものですが、本文と文中の写真は1部の訂正を除いてそのままです。
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    ベルリン歳時記 36 ・『季刊中帰連』52号 2013年4月                
                                                                                     梶村太一郎

                             ナチス権力掌握80周年のドイツ
ベルリン博物館島のルストガルテンのパノラマ




その脇の「失われた多様性」の円柱



一九三三年一月三〇日
 
 本年の一月三〇日は、ドイツでは一九三三年、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命した八〇周年記念日であった。この日を前にフンボルト大学のミヒャエル・ヴィルト歴史学教授に歴史的背景を聴く機会があった。教授はベルリンのナチ時代の歴史を共著で出版したばかりであった(写真1)。驚くべきことにこの時代のベルリンの歴史を多方面から検討した研究書はこれが初めてであるという。確かにわたしの本棚にもこの時代のベルリン関する書物は当時の日記や資料など百冊ほどもあるが、まとまったものはベルリンの年鑑だけである。この都市のこの時代の歴史はそれほど重いということであろう。

写真1/ヴィルト教授と著作
 教授によれば、この日、ヒトラーへの首相任命を、深刻に受け止めた知識人は例外を除いてほぼいなかったという、当日の夕刻にあったベルリンのユダヤ人職人組合の会合ですら「ヒトラー内閣は長続きはしない」と深刻な危機感はなかったという。
 また大統領の信任が強い保守派パーペン元首相の「新内閣では匕トラー首相と入閣したわずか二人のナチ党大臣を保守派の多数の閣僚で包囲して牽制できる」とする計画を大統領が採用しての首相指名であったという。すなわちこの日起こったことは、ヒトラーの権力掌握というより、保守派によるナチスへの権力「移譲」であったと教授は述べた。
 これがドイツだけでなく世界史にとっての決定的な誤算であったことは歴史家ならずともよく知られている。ヒトラーは首相になるや議会を解散し総選挙で多数を獲得、保守党の協力で全権授与法を成立させ、ワイマール民主主義はとどめを刺されたのであった。戦後、パーペンはこの責任を問われニュールンベルク裁判で起訴されたが、かろうじて無罪になっている。

 わたしの教授への質問のひとつは、「ヒトラーとは歴史研究者にとってはどのような人間であったか」である。返事は「彼の政治プロジェクトは、戦争によるドイツ民族の生存圏の拡大と、そこからのユダヤ人の排除の二つ。彼はこの目的実現のためには、全てを手段とする『権力の技術者』だった。無慈悲な暴力行使だけではなく、たとえば諸国の外交官夫人とも立派に対話が出来た人間だった」。これを聴いてふと思い当たることがあった。一九三八年、倉敷紡績の御曹司である大原総一郎夫妻は欧米を遊学中に、バイロイト音楽祭で、ヒトラーにあいさつする機会があった。大原夫人は印象として「ヒトラーさんは、色白で手の柔らかい紳士やった」と家族に回想していたとのことだ。同盟国日本の財閥の夫人と、にこやかに握手を交わす「権力の技術者」のこれもひとつの姿といえよう。
 
 いずれにせよ、ドイツの大衆がヒトラーの合法的権力掌握にあたって、ナチスの急進性を見抜けず、保守派だけでなく、共産党や社会民主党の労働組合員までが急速にナチスへ転向した史実が、いまだにこの国の歴史認識へ大きな負担をもたらしていると教授は指摘した。現在もネオナチなどの極右に対する社会の警戒心が強いのはそのためである。

「破壊された多様性」

 さて、ナチス権力掌握80周年に当たって、一月三〇日より、ベルリン市は今年の文化プロジェクトとして「破壊された多様性」をテーマに、多くの催し物を始めた(注1)。「アクティブ博物館」というこれまでも非常に大きな役割をはたしてきた市民運動、公立博物館、研究施設など一二〇を越える官民の団体、組織が参加している。
 これもよく知られているように、第一次世界大戦後、ワイマール共和国時代のベルリンは、当時の先進的文化のメトロポールであった。多彩な文化が花開き「黄金の二〇年代」と呼ばれている。当時としては最も民主的な憲法を背景に、引き続く経済難にもかかわらず、ベルリンは活気ある多様な文化の揺籃の地であった。ところがそれがナチ時代の一二年間で、ほぼ完全に破壊されてしまった。

 「この損失がどれほどのものであったのかを、特に若者たちに知ってもらいたい」と年頭の記者会見でクラウス・ヴォベライト市長は語っている。また市民運動を代表する「アクティブ博物館」の芸術史家のクリスチーネ・フィシャー=デフォイさんは「わたしたちがベーシックデモクラシーを原則とし、歴史の現場で史実を掘り起こす活動を始めたのはナチスが権力を掌握してから五〇周年の一九八三年のことでした。それから三〇年のあいだにずいぶん変わりました。今では市当局も一緒になり、このような大きなプロジェクトをするようになりました。まさに一世代かかったのです」と喜びを述べ、「今年は知られていないナチスの犠牲者、忘れられた史実を市民に知らせる企画を多く実現できそうです」と述べた(写真2)。
2/フィシャー=デフォイさんと市長(右)

 この記者会見の日から始まった企画は膨大で、年間通して五〇〇以上、大は国立歴史博物館の特別展、小は市民運動の展示会、朗読会、現場見学などが連日行われる。また屋外では、二〇〇人を超える有名無名の被害者の顔写真と経歴を紹介する高さ四メートルの広告円柱が、それぞれのゆかりの場所近くに置かれており、市民が熱心に読む姿があちこちの街頭で見られる(写真3)。
写真3


 指摘されるべきは、現在では世界的に有名になり、ベルリン観光の最重要スポットとなっている「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人追悼記念碑」とその展示室、同じく元ゲシュタポ本部跡でナチスの犯罪を紹介する「テロの地勢誌」施設も、元はこの「アクティブ博物館」の活動から実現したものであることだ。彼ららがゲシュタポ本部跡の荒れ地を文字どおりスコップで掘り返したことから全てが始まっている。つい最近も、後者の訪問者が年間で今年は特別展もあり一〇〇万人を超えることは確実で、解説員の人件費が不足しそうだとのニュースがあった。
これも、史実を現場で掘り返す市民運動が、行政を動かし国会を動かして初めて可能であったことは重要である。草の根の市民運動が歴史を直視することから、この国の民主主義も初めて根強いものになっているのである。

「わたしたちの母たち、父たち」
 
 今年の三月中旬に、ドイツの公共第2テレビ・ZDFが「わたしたちの母たち、父たち」という合計四時間三〇分の歴史ドラマを三回に分けて放送した。メディアも注目し、最終回の視聴率は二四%を越え、七六〇万人以上が観たと報道されている。

 内容は、ヒトラーがついにソ連邦に侵攻した一九四一年の夏、ベルリンの仲のよい若者男女五人が集まり、内三人の従軍を前にして、送別パーティーを開き「クリスマスにはまた会おうと」記念写真を撮る場面から始まる(写真4。注2)。

写真4/ドラマでの若者たちの記念写真
 対ソ連戦線に従軍した男子ふたりは塹壕戦での死闘を体験しつつ、捕虜の銃殺、またユダヤ人住民の虐殺など国際法違反の現場で、抵抗しつつも巻き込まれて、ひとりが戦死。従軍看護婦となった女子も過酷な現実のなかで、生き延びるため純潔を失っていく。ベルリンに残ったユダヤ人の男子の国外逃亡を助けるため、彼の恋人の歌手はゲシュタポの将校に身を売ってパスポートを手に入れるが、敗戦前に軍隊誹謗罪で銃殺される。国外逃亡に失敗したユダヤ人男子は、強制収容所へ移送中に逃亡に成功し、ポーランドのパルチザンに加わるが、そこでも反ユダヤ主義のため追い出されるが生存する。生き残った男子ふたりと女子ひとりが、身も心も傷だらけになった姿で、ベルリンで再会する場面で物語は終わる。

 このドラマ制作には背景に多くの歴史研究者がおり、したがって多くのモデルがおり歴史考証もかなり厳格な作品である。
主人公たちは一九二〇年代前半生まれの、したがって中帰連でいえば、高橋哲郎さんたちの世代であり、いずれもベルリンの平均的な市民階級の子弟であり、彼らが成年に達した頃に始まった対ソ戦に巻き込まれる情況を描写したものとして設定されている。
シュピーゲル誌3月25日号
連日メディアでは、この作品を巡っての論議がさかんであるが、一例として、『シュピーゲル誌』は「永遠のトラウマ・戦争とドイツ人」とのタイトルの特集をしている(写真5)。
 同誌を初め大方の論評としては、「この世代の戦争との関わりを善悪で語ることは、今や意味はない。この物語は、だれであれ戦争の悪から逃れられなかったことが表現されている。ドイツ人が戦争によって受けた傷から来るトラウマは去ろうとしない。戦争世代は、被害も加害も含めた過酷な体験を語らないまま死に絶えつつあり、その沈黙によって次の世代に彼らのトラウマが引き継がれている。この物語の映像の持つ力で、孫の世代に祖父母の世代の体験が感情的にも伝えられれば、意義のあることだ」というものである。また、この作品に関する多くの報道や、インタビューのなかで、戦争世代の高齢者たちがこのドラマを最後まで観ることができなかったとの証言をしている。悪夢が甦りそうになるからだ。彼らにとっては戦争は加害体験も被害体験も記憶のなかでは現在なのである。
 
  以上のように、ナチスが権力を掌握した八〇周年の今年、ドイツではその歴史を掘り起こし、史実を孫の世代に伝えて行く努力が、官民をあげて行われている。ひるがえって、日本では中帰連の歴史を受け継ぐことの意義が、いよいよ重大となることもまた自明といえよう。

(注1)この企画HPは:http://www.berlin.de/2013
(注2)この作品の予告編などは、unsere muetter unsere vaeter trailer で検索すれば予告編映像が観れます。