5月13日の橋下徹大阪市長の「慰安婦は必要であった」、また「沖縄の米軍は風俗を利用すべき」などの発言は、たちまち世界中に報道され、15日の北海道新聞は社説→「女性を傷つけた罪深さ」で「政治家の資質はもちろん、人間性をも疑わせる」、「日本の政治が世界からさげすまれる」と嘆いています。
そのとおりで、世界中があきれ果てているだけでなく、これから橋下氏がどのように詭弁を弄して弁解しようとも、発言を撤回し謝罪し辞任しない限り、事態は悪化するだけです。
なぜなら世界中の女性の人権を否定するこの発言は、特にアジアでの日本の15年戦争の被害諸国にとっては、まさに、かつての日本の次世代政治家による「強盗の居直り説教」に等しいと受け止められるからです。
この報道により、またしても 癒えがたい古傷をかきむしられる思いを、オランダも含めたアジア諸国の人々がしていることが、この人物には全く理解できないのです。それを当然とする石原慎太郎氏などは、国賊に等しいたわけ者です。
そもそも、橋下氏がこれほどではないにしろ、とっくに否定されている「慰安婦強制連行なかった論」を、その無知に応じて繰り返し、吉見義明氏の名誉を毀損し反論されたは昨年の夏のことです。詳しくはその時の記録→「橋下市長に反論!吉見義明さん語る」をご覧ください。
吉見氏はこの講演でわたしたちの共著→「『慰安婦』強制連行」から多くを引用されていますが、 これは2007年、世界中のから反発された安倍晋三首相の「狭義の強制連行はなかった論」をオランダの歴史資料を挙げて覆した著作です。当時の日本軍の「慰安所」なるものの大半が、強制労働による性奴隷制度であったことを立証する資料集のひとつです。
また日本軍の慰安婦制度が立派な軍の施設であったことに関しては、それを実行して自慢した有名な今も元気な生き証人がいます。このブログでも取り上げましたのでご覧ください。→暴かれた中曽根康弘氏の「人生の嘘
さて、本論ですが、橋下市長は「当時は世界中の軍隊が慰安所を利用したのに、日本だけが悪者にされるのはけしからん」とご立腹のご様子です。
第二次世界大戦でドイツも占領地などで現地の売春宿などを軍専用の施設として管理し、利用したことは事実です。
だだしこれらは、橋下氏のどうやら豊富な風俗利用経験からする理解のように「兵士の慰安ため」などではありません。 兵士を性病から隔離し、軍の戦力維持をするのが主な目的です。また特殊ナチスの人種イデオロギーから、ドイツ軍兵士の「劣等民族との性交渉」を防ぐ目的も背景にありました。
それに、日本ではほとんど知られていませんが、ドイツ軍には下級兵士にいたるまで、毎年3週間から4週間の帰郷休暇が与えられていました。敗戦間際まで出来る限りこの制度は実行されていました。日中戦争開戦以来の日本軍兵士には夢のような制度です。だだしこれも、「アーリア優等民族」を維持するための「子づくり休暇」としての制度であったと論じられています。ナチス型「産めよ増やせよ」政策です。そのため、わたしの戦中生まれのドイツ人友人にも「Urlaubskind/休暇の子ども」がかなりいます。
ドイツ軍の管理売春の研究はまだ途上で、全体像は専門家もとらえていないようです。
ただし現時点でも、ひとつだけ確定できることは、日本軍のように植民地や占領地の若い女性を甘言や拉致で組織的に集め、20万とも推定される膨大な人数の女性たちを拡大する最前線まで性奴隷として強制連行し続けた軍隊は他にはないということです。これが、日本軍による犯罪行為の特殊性なのです。
世界中で20世紀の恥ずべき歴史とされるのはそのためです。橋下氏らが我慢できないとする「日本軍だけが悪者にされるの」ことには、このような根拠があるのです。この面では旧日本軍は特段に野蛮な軍隊でした。
ところが、他方でナチスも特殊な強制売春施設を強制収容所内に設けていたことが明らかになっています。これについては若い研究者が10年をかけて追求し、2009年に学位論文ととして出版されたおかげで、全体像を知ることができます。ここで性奴隷とされた女性は、日本軍慰安婦の1000分の1、すなわち200名ほどですが、上記のわたしたちの共著にもあり吉見氏も引用されている、インドネシアのオランダ人抑留所から若い女性を選び出して売春を強制した、スマラン事件やマゲラン事件と手口がよく似ています。
ただし、動機と目的は全く別であり、こちらにはナチスの特有なイデオロギーが背景にあります。したがって、日本軍の慰安所とは「手口」がにているだけで、比較はできないものです。しかし、ナチスのイデオロギー下で実証されている唯一の強制売春性奴隷制度に関する、貴重な研究として、ドイツではかなり評判になったものです。
日本のかつての同盟国の性奴隷犯罪行為のひとつとして、橋下暴言によりこの研究を想起しました。性奴隷制度のひとつの証明された事実であるからです。
わたしは、出版後に、450ページの大著の内容の解説を執筆公表していますので、とりあえず以下、→『インパクション』誌に発表当時そのままを以下に再録しておきます。執筆は2009年12月です。
あらためて、時間を見つけて、本書にある写真なども別に追加する予定ですのでしばらくお待ち下さい。
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ついに解明されたナチスの囚人用強制売春施設の全体像
本書表紙 |
『強制収容所の売春施設』ロベルト・ゾンマー著、Robert Sommer : Das KZ--Bordell, 2009,Paderborn
梶村太一郎
二〇〇九年八月一八日、「ナチス強制収容所での性的強制労働」との副題がある本書の出版の紹介が行われたのは、元プロイセン国会議事堂で、現在はベルリン州議会内の大きな一室であった。この古く巨大な建物の斜め向かいの空き地は、ゲシュタポ(秘密国家警察)本部跡だ。そこに現在建築中の建物は「テロルの地勢誌」というナチ時代の加害の歴史の研究所だ。この完成後であれば、本書の紹介も最適の場所としてそこで行われたであろう。なぜなら、ナチスの暴力支配体制の中でも強制収容所内での強制売春という特殊なテロル機構を、親衛隊帝国指導者兼ドイツ警察長官ハインリッヒ・ヒムラーが構想し、実行を命令した中枢がゲシュタポ本部であったからだ。
強制収容所での囚人用売春施設の存在は、戦後早くから囚人として生き延びたオイゲン・コゴンの『親衛隊国家』、ヘルマン・ラングバインの『アウシュヴィッツの人間』などの古典的著作によっても広く知られていた。しかしながらこれらによって、被害者の女性たちについては「品行方正とはいえない病歴の彼女たちは、あまりためらわずに従ってきた」(コゴン)といった差別的偏見、あるいは施設の目的については「男性囚人の間に広がっていた同性愛を防ぐためであろう」(ラングバイン)といった視野狭窄な推定が定着した。さらに施設を利用した男性囚人たちに多くの政治囚が含まれていたこともあり、この問題はタブー視され、強制収容所の公式の歴史記述から消え、研究の対象とはならなかった。収容所を生き抜いた政治囚はナチスへの抵抗運動の英雄であったからだ。
ようやく冷戦終結後になり、日本軍の強制売春の犠牲者たちが証言を始めた影響もあり、ドイツでも女性たちによる研究が始められた。クリスタ・パウル『ナチズムと強制売春』(一九九四年、邦訳は明石書店)がそのパイオニアである。パウルは晩年を迎えた三人の被害女性の証言を記録することにも成功している。しかし、ジェンダーからの視点が必要であるためか、歴史家による研究はいまだにされていない。したがって本書がベルリンのフンボルト大学で社会学を学んだ著者により、文化科学のハルトムート・ベーメ教授の下での学位論文として成ったことは偶然ではない。ベーメは「戦後の膨大な研究の後で、もはや最近では強制収容所の研究で画期的なものは期待できないとされているが、この研究は例外である」と序文で賞賛している。一九七四年生まれのゾンマーは五年をかけて、ポーランド、ドイツ、オーストリア、アメリカにある膨大な資料に当たり、強制収容所の強制売春の全体像を捕らえ、タブーを破ることに成功したからである。
本書によれば、ナチスは四二年六月から、オーストリア、ドイツ、ポーランドの強制収容所とその支所に一三の強制売春施設(九カ所が囚人専用、四カ所は小規模な収容所警備のウクライナ人親衛隊員専用)を建設した。その計画と歴史的イデオロギー的背景、建築の経過と収容所内での位置形態、各施設内部の構造、衛生と性交の管理、経済管理、ラーウ゛ェンスブリュッケ女性収容所とアウシュビッツ女性楝での募集方法、売春施設での生活、囚人のセクシャリティーの形態、利用者の動機とその数、収容所内での影響と抵抗運動にいたるまで詳述されている。特に強調すべきは、アウシュヴィッツなどで残されている全期間の性病検査の記録などから、全体で二一〇人と推定される被害女性の八〇%を越える一七四人の氏名と国籍が特定され、その大半の年齢、収容の理由、施設での滞在期間が解明されていることである。それによれば、一一四人のドイツ人、四六人のポーランド人で大半が占められ、平均年齢は二五歳であった。
このような実証研究の結果から、長い間流布し信じられている「親衛隊員がユダヤ人女性を暴行して収容所で売春をさせた」といった記述、また前記のパウルの研究にある「ブーヘンバルトのドイツ人親衛隊売春施設で働いた」との被害女性の証言は、いずれも信憑性がないことが明らかになった。ユダヤ人女性はドイツ人との性交は禁じられており、募集では最初から排除されていたし、またドイツ人親衛隊売春施設は同地にはなかったからである。
女性たちの売春施設での平均滞在期間は一〇ヶ月であるが、不適応で数日で元の収容所に送り返された女性もおり、最長三四ヶ月を経てドイツ敗戦で大半の女性が生き延びている。食料も親衛隊員待遇で豊富であり、衛生管理も徹底していたからである。毎晩二時間、扉に監視の覗き穴がある室内で、六人から八人の男性囚人を規則に従って正常位で受け入れ、また幽閉生活の孤独に耐えれば、精神の拷問と引き換えに彼女らの肉体的生存だけは保障されたからだ。他方、売春施設の外は、苛酷な労働と粗悪な食料のため大半の囚人が半年ほどで衰弱し虫けらのように死んでいく世界であった。このようなグロテスクなテロルの空間を成立させたのはヒムラーの着想である。
そもそもナチスはドイツ国内はもとより、占領地でも売春を徹底的に管理した。路上での客引きを禁止し、民間の売春宿と売春婦は警察の監視と保健所の監督下に置いた。ヒトラーによれば「性病の蔓延は民族の没落の現れである」からだ。占領地では民間の特定の売春宿をドイツ軍の専用として利用し、軍警察と軍医の管理下に置いた。ドイツ兵を性病と「劣等民族」から隔離するためだ。したがってこの制度は、植民地や占領地の若い女性を拉致し売春を強制した日本軍の「慰安婦」制度とは、安易には比較できない。
ヒムラーの動機はこれらとは別であった。強制収容所内での強制労働の生産性が極端に低く、それを向上させる手段として着想している。例えば最初に売春施設を作らせたマウトハウゼンでは、熟練労働者が不足し、花崗岩石切場での石工の生産性は民間の労働者の二〇%にも足らず、戦時生産に大きな支障が出ていた。この解決策としてヒムラーが注目し参考としたのが、ソ連邦のラーゲリの強制労働における報奨制度による生産性向上の実績であった。ノルマを果たし成績を上げれば、タバコを与え、文通を許し、食料を特配して生産性を上げていた。彼はこれらを導入し、さらにソ連邦にもない「最高の報奨」としてつけ加えたのが売春施設の利用である。
しかし、この目論見は失敗した。利用したのはナチの手先として特典を持ったカポ(監督労働者)や、普段から優遇されて体力のある職能のある囚人だけであり、全体の〇・五%以下であった。逆に囚人や親衛隊の間での贈収賄が広がり、収容所の規律の腐敗をもたらし生産性向上にはいたっていない。ヒムラーはミュンヘン工科大学の農学部で養鶏を学んだが、彼にとっては、強制収容所の囚人男女は養鶏場のニワトリ同様であった。強制労働で死を待つばかりの女性を、初期には「半年で釈放する」との甘言で騙し、それが通用しなくなると有無をいわさず連行して、十分に太らせて女性の性を徹底的に利用した。男性囚人に彼女らの身体を利用させ共犯者にしたてあげたのである。これをゾンマーは「陰険な権力制度」と呼んでいる。
この強制収容所での性の強制労働の制度は、ゲルマン民族至上主義イデオロギーに基づき、歪んだ優生学を徹底的に追及したナチズムのテロルの、ひとつの縮図であったのである。
(Impaction『インパクション』172号、2010年、163ー166ページに掲載)
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16日追加です。
以上が2009年末に紹介した本書の内容の紹介です。この博士論文は、画期的な質を持っているので立派な書籍として市販され、専門家の間でも貴重な学術論文として高い評価を受けています。
本書には、かなりの資料などの写真も収録されていますので、百聞は一見にしかずですので、新聞や雑誌が著者とインタヴューをしたさいに使用されているものをいくつか以下紹介します。
1)ブーヘンバルト強制収容所の囚人用売春施設の二人用の室。これと次の写真は当時の収容所長が残したアルバムにあった。この部屋の壁には、親衛隊が好むシェパードの額が見える。1943年末。
© Musée de la Résistance et la Déportation, Besancon
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2)同、一人用の部屋。これは本書の表紙に使われている。
© Musée de la Résistance et la Déportation, Besancon
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3)マウトハウゼン強制収容所を視察するヒムラー(左)。背後のバラックに強制売春施設が後に設けられた。1941年。
Photo:SS.1941 出典:AMM
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Photo:R.Sommer.2005 |
© Privat |
これらの、本書にも収録されている写真は、→Münchner Merkur と→Der Spiegel誌の電子版の著者とのインタヴューに使われているものから借用しました。
写真の解説は、梶村が付けた部分もありますが、基本的に原著によります。
皆様、
返信削除狂うたへつらいの輩の行く末は愚かさ曝すもへのかっぱ。
昨今の唖然発言連発の諸相から、
日本の戦争嗜好の実態がわかります。
世界の歴史は戦争の双六ゲームに見えます。
金と宗教と権力そして人命の博打です。
政治や歴史の机上の理論や推論では無く、
おばかな戦争ゲームの妄想でもなく、
まさに戦争は人間同士の「人殺し」癖だと。
私の父は満州から沖縄へと馬具とともに輸送船で渡り、
終戦後もしばらく沖縄の米軍基地で捕虜生活をしました。
小学生の頃に戦争体験談を父から聞きました。
慰安婦の事を除いて、はぼ同様の惨状を語ってくれました。
父の語れなかったであろう事実がこれです。
同じ時を生きた方の文章です。
こちらのコラムを読んで頂ければと思います。
明日に向けて(678) 「慰安婦と兵隊」に寄せて。
「東京新聞のコラム「筆洗」に胸をうつ文章が掲載されました。陸軍衛生兵として、旧満州の慰安所に薬を配って歩いた河上政治さんの「慰安婦と兵隊」という詩に関するものです。まずは全文をご紹介します。
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/1f5ad9fdab9a6fdf6f4f47c6760a156b
Fabyさま、
返信削除わたしの叔母の連れ合いは、敗戦一年ほど前に、30歳を越えて招集されボルネオに送られ、戦後生還したものの直ぐに亡くなりました。餓えですでに胃に穴が空いており、4人の幼い子どもが残されました。
だいぶ前になりますが、ボルネオ出身のインドネシア人の知り合いから、彼のお母さんが「日本兵は、豊かな自然の中でどうやって食料を得るかを知らないため、飢え死にして本当にかわいそうだった」と子どもの頃に聴いたと話してくれたことがあります。
わたしも、守田さんがブログ引用なさっている「筆洗」を読み本当に良い詩であると思いました。本当に良いブログですね。
現在訪日中で、証言活動を各地で続けて下さっている87歳の金福童ハルモニは、18日の証言で「今の政治家は戦争を知らない。楽なところからあれもこれ もなかったと言う姿を見ると、日本の国民がかわいそうだ」と話されたとのことです。
インドネシアと韓国の被害者の女性たちが、昔も今も「かわいそうな日本人」と思う気持ちが、日本社会では全く理解できなくなっているようです。日本に好意を持っている世界中の人々が、今回の暴言で同じ気持ちでいることがわかりますか?
ほとんどの日本人にはわからないから、このような政治家が闊歩するのです。
橋本市長は、あり地獄に自ら落ちています。日本社会は「精神の飢え死に状態です」それがなぜかも近いうちに項をあらためて書くつもりです。
梶村様
削除日本が占領していたインドネシアと韓国には日本語を話す年配の方が多くいらしゃいます。
私が思いますに「かわいそうな日本人」の「かわいそう」の気持ちは「気の毒な」ではと。
こもごも嘆息あるのみ。
心に毒を抱えた日本の繁栄はまさにエコノミックアニマルニッポンの徒花でした。
石棺よりも露出存続の除染猿回しをしていれば原発事故も金脈です。
精神の餓死を虚飾で偽るお笑い番組の高笑いに政治も同調です。
無かった事にしたい三猿虚構プロパガンダも浸透。
日本の民意そのものが蟻地獄へとスライディング中。
これがつづけば日本の終焉も想定内でしょうか。
陽炎の燃える地獄に蜻蛉の飛ぶ国の哀れと外つ国あり。
次稿を御待ちしております。
日本病は、日本国内だけでは、治療、修復できません。
返信削除海外からの支援が必要不可欠
http://blogs.yahoo.co.jp/costarica0012/24896941.html
http://blogs.yahoo.co.jp/costarica0012/24909201.html
■警察、検察、裁判所、行政、政治―日本の支配権力構造の犯罪証言の動画
http://blogs.yahoo.co.jp/costarica0012/24892838.html
■不正選挙を許してしまう構造的暴力について調査中
http://blogs.yahoo.co.jp/costarica0012/24872386.html