2013年5月8日水曜日

161:ナチス権力掌握80周年のドイツ・敗戦68周年記念日によせて



 今年はドイツでナチスが権力を掌握してから80周年になります。また本日5月8日はナチドイツが無条件降伏した68周年記念日です。この日にあたって、わたしが長年コラム「ベルリン歳時記」を連載している→『季刊中帰連』の第52号に寄稿したものを、ここそのまま紹介させていただきます。昨今の日本の政治社会情勢との比較の参考となればとおもいます。
 なを本文は3月末に執筆したものです。冒頭の写真2枚は付け加えたものですが、本文と文中の写真は1部の訂正を除いてそのままです。
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    ベルリン歳時記 36 ・『季刊中帰連』52号 2013年4月                
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                             ナチス権力掌握80周年のドイツ
ベルリン博物館島のルストガルテンのパノラマ




その脇の「失われた多様性」の円柱



一九三三年一月三〇日
 
 本年の一月三〇日は、ドイツでは一九三三年、ヒンデンブルク大統領がヒトラーを首相に任命した八〇周年記念日であった。この日を前にフンボルト大学のミヒャエル・ヴィルト歴史学教授に歴史的背景を聴く機会があった。教授はベルリンのナチ時代の歴史を共著で出版したばかりであった(写真1)。驚くべきことにこの時代のベルリンの歴史を多方面から検討した研究書はこれが初めてであるという。確かにわたしの本棚にもこの時代のベルリン関する書物は当時の日記や資料など百冊ほどもあるが、まとまったものはベルリンの年鑑だけである。この都市のこの時代の歴史はそれほど重いということであろう。

写真1/ヴィルト教授と著作
 教授によれば、この日、ヒトラーへの首相任命を、深刻に受け止めた知識人は例外を除いてほぼいなかったという、当日の夕刻にあったベルリンのユダヤ人職人組合の会合ですら「ヒトラー内閣は長続きはしない」と深刻な危機感はなかったという。
 また大統領の信任が強い保守派パーペン元首相の「新内閣では匕トラー首相と入閣したわずか二人のナチ党大臣を保守派の多数の閣僚で包囲して牽制できる」とする計画を大統領が採用しての首相指名であったという。すなわちこの日起こったことは、ヒトラーの権力掌握というより、保守派によるナチスへの権力「移譲」であったと教授は述べた。
 これがドイツだけでなく世界史にとっての決定的な誤算であったことは歴史家ならずともよく知られている。ヒトラーは首相になるや議会を解散し総選挙で多数を獲得、保守党の協力で全権授与法を成立させ、ワイマール民主主義はとどめを刺されたのであった。戦後、パーペンはこの責任を問われニュールンベルク裁判で起訴されたが、かろうじて無罪になっている。

 わたしの教授への質問のひとつは、「ヒトラーとは歴史研究者にとってはどのような人間であったか」である。返事は「彼の政治プロジェクトは、戦争によるドイツ民族の生存圏の拡大と、そこからのユダヤ人の排除の二つ。彼はこの目的実現のためには、全てを手段とする『権力の技術者』だった。無慈悲な暴力行使だけではなく、たとえば諸国の外交官夫人とも立派に対話が出来た人間だった」。これを聴いてふと思い当たることがあった。一九三八年、倉敷紡績の御曹司である大原総一郎夫妻は欧米を遊学中に、バイロイト音楽祭で、ヒトラーにあいさつする機会があった。大原夫人は印象として「ヒトラーさんは、色白で手の柔らかい紳士やった」と家族に回想していたとのことだ。同盟国日本の財閥の夫人と、にこやかに握手を交わす「権力の技術者」のこれもひとつの姿といえよう。
 
 いずれにせよ、ドイツの大衆がヒトラーの合法的権力掌握にあたって、ナチスの急進性を見抜けず、保守派だけでなく、共産党や社会民主党の労働組合員までが急速にナチスへ転向した史実が、いまだにこの国の歴史認識へ大きな負担をもたらしていると教授は指摘した。現在もネオナチなどの極右に対する社会の警戒心が強いのはそのためである。

「破壊された多様性」

 さて、ナチス権力掌握80周年に当たって、一月三〇日より、ベルリン市は今年の文化プロジェクトとして「破壊された多様性」をテーマに、多くの催し物を始めた(注1)。「アクティブ博物館」というこれまでも非常に大きな役割をはたしてきた市民運動、公立博物館、研究施設など一二〇を越える官民の団体、組織が参加している。
 これもよく知られているように、第一次世界大戦後、ワイマール共和国時代のベルリンは、当時の先進的文化のメトロポールであった。多彩な文化が花開き「黄金の二〇年代」と呼ばれている。当時としては最も民主的な憲法を背景に、引き続く経済難にもかかわらず、ベルリンは活気ある多様な文化の揺籃の地であった。ところがそれがナチ時代の一二年間で、ほぼ完全に破壊されてしまった。

 「この損失がどれほどのものであったのかを、特に若者たちに知ってもらいたい」と年頭の記者会見でクラウス・ヴォベライト市長は語っている。また市民運動を代表する「アクティブ博物館」の芸術史家のクリスチーネ・フィシャー=デフォイさんは「わたしたちがベーシックデモクラシーを原則とし、歴史の現場で史実を掘り起こす活動を始めたのはナチスが権力を掌握してから五〇周年の一九八三年のことでした。それから三〇年のあいだにずいぶん変わりました。今では市当局も一緒になり、このような大きなプロジェクトをするようになりました。まさに一世代かかったのです」と喜びを述べ、「今年は知られていないナチスの犠牲者、忘れられた史実を市民に知らせる企画を多く実現できそうです」と述べた(写真2)。
2/フィシャー=デフォイさんと市長(右)

 この記者会見の日から始まった企画は膨大で、年間通して五〇〇以上、大は国立歴史博物館の特別展、小は市民運動の展示会、朗読会、現場見学などが連日行われる。また屋外では、二〇〇人を超える有名無名の被害者の顔写真と経歴を紹介する高さ四メートルの広告円柱が、それぞれのゆかりの場所近くに置かれており、市民が熱心に読む姿があちこちの街頭で見られる(写真3)。
写真3


 指摘されるべきは、現在では世界的に有名になり、ベルリン観光の最重要スポットとなっている「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人追悼記念碑」とその展示室、同じく元ゲシュタポ本部跡でナチスの犯罪を紹介する「テロの地勢誌」施設も、元はこの「アクティブ博物館」の活動から実現したものであることだ。彼ららがゲシュタポ本部跡の荒れ地を文字どおりスコップで掘り返したことから全てが始まっている。つい最近も、後者の訪問者が年間で今年は特別展もあり一〇〇万人を超えることは確実で、解説員の人件費が不足しそうだとのニュースがあった。
これも、史実を現場で掘り返す市民運動が、行政を動かし国会を動かして初めて可能であったことは重要である。草の根の市民運動が歴史を直視することから、この国の民主主義も初めて根強いものになっているのである。

「わたしたちの母たち、父たち」
 
 今年の三月中旬に、ドイツの公共第2テレビ・ZDFが「わたしたちの母たち、父たち」という合計四時間三〇分の歴史ドラマを三回に分けて放送した。メディアも注目し、最終回の視聴率は二四%を越え、七六〇万人以上が観たと報道されている。

 内容は、ヒトラーがついにソ連邦に侵攻した一九四一年の夏、ベルリンの仲のよい若者男女五人が集まり、内三人の従軍を前にして、送別パーティーを開き「クリスマスにはまた会おうと」記念写真を撮る場面から始まる(写真4。注2)。

写真4/ドラマでの若者たちの記念写真
 対ソ連戦線に従軍した男子ふたりは塹壕戦での死闘を体験しつつ、捕虜の銃殺、またユダヤ人住民の虐殺など国際法違反の現場で、抵抗しつつも巻き込まれて、ひとりが戦死。従軍看護婦となった女子も過酷な現実のなかで、生き延びるため純潔を失っていく。ベルリンに残ったユダヤ人の男子の国外逃亡を助けるため、彼の恋人の歌手はゲシュタポの将校に身を売ってパスポートを手に入れるが、敗戦前に軍隊誹謗罪で銃殺される。国外逃亡に失敗したユダヤ人男子は、強制収容所へ移送中に逃亡に成功し、ポーランドのパルチザンに加わるが、そこでも反ユダヤ主義のため追い出されるが生存する。生き残った男子ふたりと女子ひとりが、身も心も傷だらけになった姿で、ベルリンで再会する場面で物語は終わる。

 このドラマ制作には背景に多くの歴史研究者がおり、したがって多くのモデルがおり歴史考証もかなり厳格な作品である。
主人公たちは一九二〇年代前半生まれの、したがって中帰連でいえば、高橋哲郎さんたちの世代であり、いずれもベルリンの平均的な市民階級の子弟であり、彼らが成年に達した頃に始まった対ソ戦に巻き込まれる情況を描写したものとして設定されている。
シュピーゲル誌3月25日号
連日メディアでは、この作品を巡っての論議がさかんであるが、一例として、『シュピーゲル誌』は「永遠のトラウマ・戦争とドイツ人」とのタイトルの特集をしている(写真5)。
 同誌を初め大方の論評としては、「この世代の戦争との関わりを善悪で語ることは、今や意味はない。この物語は、だれであれ戦争の悪から逃れられなかったことが表現されている。ドイツ人が戦争によって受けた傷から来るトラウマは去ろうとしない。戦争世代は、被害も加害も含めた過酷な体験を語らないまま死に絶えつつあり、その沈黙によって次の世代に彼らのトラウマが引き継がれている。この物語の映像の持つ力で、孫の世代に祖父母の世代の体験が感情的にも伝えられれば、意義のあることだ」というものである。また、この作品に関する多くの報道や、インタビューのなかで、戦争世代の高齢者たちがこのドラマを最後まで観ることができなかったとの証言をしている。悪夢が甦りそうになるからだ。彼らにとっては戦争は加害体験も被害体験も記憶のなかでは現在なのである。
 
  以上のように、ナチスが権力を掌握した八〇周年の今年、ドイツではその歴史を掘り起こし、史実を孫の世代に伝えて行く努力が、官民をあげて行われている。ひるがえって、日本では中帰連の歴史を受け継ぐことの意義が、いよいよ重大となることもまた自明といえよう。

(注1)この企画HPは:http://www.berlin.de/2013
(注2)この作品の予告編などは、unsere muetter unsere vaeter trailer で検索すれば予告編映像が観れます。


2 件のコメント:

  1. アメリカのCBSが制作したHitler The Rise of Evilは観られましたでしょうか。ドイツでもドイツ語吹き替えで放送されたそうですね。

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  2. 私は日本の敗戦に至るまでの歴史をネットで小説にして載せています。タイトルは「白虹、日を貫けり」です。大正時代から終戦までの時代です。こういうことが大事なのだと思います。一人ひとりが自分で調べ、総括して考え、未来に役立てる。

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