以下、日本のみなさまへの「世界を支配する内部被曝の虚構の知見」を暴露し、批判する日本での国際交流の重要なお知らせです。
特にフクシマ問題を担当するジャーナリストの皆さんには千載一遇の機会の情報であり、しかも今週末から始まるので、各地で脱原発運動で闘っているみなさまには、この情報を知り合いの良心的ジャーナリストのみなさんにツイートなどで知らせて下さり、またふるって参加されるようお願いいたします。
日本では フクシマの原発過酷事故が起こって以来、市民はあらためてヒロシマ・ナガサキ以降の低線量内部被曝という「見えない恐怖」とともに生活せざるを得なくなり、この恐怖とこれから数世代にわたり直面し、気が遠くなるような長期の真摯な対策と闘いから逃れることができなくなりました。
にもかかわらず、日本ではほぼすべてのマスメディアが「低線量被爆の健康への影響は学会でも意見がわかれている」との立場にとどまり、真実を追究をしようとはしていません。これはジャーナリズムの怠慢です。このような認識は世界の先進国、特にドイツでは、実に20年から30年遅れた一世代前の知見なのです。
特にフクシマ問題を担当するジャーナリストの皆さんには千載一遇の機会の情報であり、しかも今週末から始まるので、各地で脱原発運動で闘っているみなさまには、この情報を知り合いの良心的ジャーナリストのみなさんにツイートなどで知らせて下さり、またふるって参加されるようお願いいたします。
日本では フクシマの原発過酷事故が起こって以来、市民はあらためてヒロシマ・ナガサキ以降の低線量内部被曝という「見えない恐怖」とともに生活せざるを得なくなり、この恐怖とこれから数世代にわたり直面し、気が遠くなるような長期の真摯な対策と闘いから逃れることができなくなりました。
にもかかわらず、日本ではほぼすべてのマスメディアが「低線量被爆の健康への影響は学会でも意見がわかれている」との立場にとどまり、真実を追究をしようとはしていません。これはジャーナリズムの怠慢です。このような認識は世界の先進国、特にドイツでは、実に20年から30年遅れた一世代前の知見なのです。
にもかかわらず、多くの市民は、そもそも日本においていわゆる「原子力の平和利用という神話」がまかり通り、原発をはじめとする大規模な核施設が日本中に建設することができた背景には、米軍占領中の言論統制下で、特にトルーマンの指令による原爆障害調査委員会(ABCC、のちの放射線影響研究所)
によるヒロシマ・ナガサキの膨大な遠距離被爆者や入市被爆者たちの低線量被曝の組織的な隠蔽と故意の無視、すなわち虚構の知見があったし、今もあるという史実と現状をようやく知るようになりました。
そして、日本だけでなく「核の平和利用」を推進する第二次世界大戦後の世界は、IAEAなどの国連組織も含めてこのヒロシマ・ナガサキの虚構の知見の上に築かれていることも次第に認識されるようになっています。その実態の一例として、わたしもここの→第88回で「IAEAとWHOのさるぐつわ協定」として詳しく報告しました。これだけでも日本のメディアがいかに遅れているかが理解できるとおもいます。
このことを科学者として報告されたものでは最近では4月の、 市民と科学者の内部被曝研究会第1回総会記念シンポジウムにおける同研究会の沢田昭二理事長による報告→「放射線被曝に脅かされない世界をめざして」(資料1)があります。ここで沢田教授はこの構造を判りやすく下記の図で説明しています。(ただし一般にしばしば誤解されますが、この図にある組織は国連組織ではありません。特にICRPは単なる民間団体です=梶村注)
つづけて教授は報告で「 ドイツ放射線防護協会副会長でヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)の現会長のインゲ・シュミッツ=フォイエルヘーケさんは、放影研が、原爆放射線に被曝していないとして比較対照群に選んだ遠距離被爆者と入市被爆者の死亡率やがんの発症率を日本人の死亡率や発症率で割った相対リスクを1983年に求めて論文にしましたが、専門雑誌に論文としての掲載を拒否されLetterとして掲載されました。」と述べた上で、この論文を詳しく説明し、この知見が図にある原爆症認定集団訴訟でついに裁判所が内部被曝を認定し勝訴に大きな貢献をしたことをを説明しています。
すなわちインゲ・シュミッツ=フォイエルヘーケ教授は内部被曝を否定する虚構を暴いた最初の重大な知見をもたらした科学者なのです。わたしも誇張ではなく人類史的な意義のある仕事であると思っています。
彼女が、このブログにも何度も登場したドイツ放射線防護協会会長のセバスチャン・プフルークバイル博士とともに、日本の諸団体の招待で今週末から訪日し、福島、広島、大阪、京都、東京(二カ所)を訪ねて、今週金曜日23日から7月1日まで市民と科学者とのシンポジウムや懇談に臨みます。
この写真は2009年5月にギリシャのレスボス島で行われたヨーロッパ放射線リスク委員会国際会議に参加された沢田昭二教授が撮影されたお二人の写真です。
そして、日本だけでなく「核の平和利用」を推進する第二次世界大戦後の世界は、IAEAなどの国連組織も含めてこのヒロシマ・ナガサキの虚構の知見の上に築かれていることも次第に認識されるようになっています。その実態の一例として、わたしもここの→第88回で「IAEAとWHOのさるぐつわ協定」として詳しく報告しました。これだけでも日本のメディアがいかに遅れているかが理解できるとおもいます。
このことを科学者として報告されたものでは最近では4月の、 市民と科学者の内部被曝研究会第1回総会記念シンポジウムにおける同研究会の沢田昭二理事長による報告→「放射線被曝に脅かされない世界をめざして」(資料1)があります。ここで沢田教授はこの構造を判りやすく下記の図で説明しています。(ただし一般にしばしば誤解されますが、この図にある組織は国連組織ではありません。特にICRPは単なる民間団体です=梶村注)
つづけて教授は報告で「 ドイツ放射線防護協会副会長でヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)の現会長のインゲ・シュミッツ=フォイエルヘーケさんは、放影研が、原爆放射線に被曝していないとして比較対照群に選んだ遠距離被爆者と入市被爆者の死亡率やがんの発症率を日本人の死亡率や発症率で割った相対リスクを1983年に求めて論文にしましたが、専門雑誌に論文としての掲載を拒否されLetterとして掲載されました。」と述べた上で、この論文を詳しく説明し、この知見が図にある原爆症認定集団訴訟でついに裁判所が内部被曝を認定し勝訴に大きな貢献をしたことをを説明しています。
すなわちインゲ・シュミッツ=フォイエルヘーケ教授は内部被曝を否定する虚構を暴いた最初の重大な知見をもたらした科学者なのです。わたしも誇張ではなく人類史的な意義のある仕事であると思っています。
彼女が、このブログにも何度も登場したドイツ放射線防護協会会長のセバスチャン・プフルークバイル博士とともに、日本の諸団体の招待で今週末から訪日し、福島、広島、大阪、京都、東京(二カ所)を訪ねて、今週金曜日23日から7月1日まで市民と科学者とのシンポジウムや懇談に臨みます。
この写真は2009年5月にギリシャのレスボス島で行われたヨーロッパ放射線リスク委員会国際会議に参加された沢田昭二教授が撮影されたお二人の写真です。
Prof.Inge Schmitz- Feuerhake (l.),Dr.Sebastian Pflugbeil (r.) May 2009 on Lesvos.Photo:Prof.Shoji Sawada |
具体的な日程などは、
市民と科学者の内部被曝問題研究会
の→ホームページにあります。現時点のものを以下に引用しておきますが、予定変更や追加もありえますので、参加、取材の場合はその都度確認をお願いいたします。各地の詳しい情報はそれぞれの詳細をクリックして確認して下さい。諸団体の共催ですので、担当も別ですのでご注意お願いします。
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「放射線に立ち向かうドイツ専門家の講演・懇談会 -フクシマ、ヒロシマ、ドイツを考える」
内部被曝問題を世界で初めて指摘したドイツの研究者インゲ・シュミッツーフォイヤハーケさん(ヨーロッパ放射線リスク委員会ECRR委員長)、ドイツ放射線防護協会会長のセバスチャン・プルークバイルさん来日。
講師紹介
[インゲ・シュミッツ-フォイエルハーケ女史]
欧州放射線リスク委員会委員長の医学研究者で物理学者。「非核の未来賞」を受賞。30年前の1983年、広島の原爆被害のデータを基にして、いま大きな問題になっている内部被曝の真実を明らかにした。喜寿の年をおしての初来日。
[セバスチャン・プフルークバイル博士]
ドイツ放射線防護協会会長で医療分野の物理学者。チェルノブイリ事故による欧州の数多くの被曝データと福島原発事故を低線量被曝として論証を 進めている。たびたび訪日して日本へメッセ-ジを精力的に届けてきている。1946年生まれ。同じ敗戦国ながら東電の原発事故を契機に脱原発に踏み切ったドイツから学ぶものは多い。
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なを、今回の訪日に関する特に重要な日本語資料で最近発売中のものやネットで手に入るものとしては、
*上記の→沢田昭二教授の報告(資料1)のほかに、沢田昭二教授は現在発売中の「世界」7月号に→「放射線影響研究と科学者/3・11後、社会的役割をどう果たすか」(資料2)を寄稿されています。13歳で広島で被爆された教授の生き様もうかがえます。
*上記写真のヨーロッパ放射線リスク委員会の会議で採択された→2009年「レスボス宣言」の翻訳(資料3)、
*これに参加され宣言に署名された沢田昭二教授ご自身による→同じ宣言の翻訳と解説(資料4)、(同宣言の英語→原文はこちら)、
* インゲ・シュミッツ-フォイエルハーケ教授の最近の論文 「『無害な放射線閾値』からの時間のかかる決別」 の→翻訳と解説(資料5)、
*お二人が共著者でもある 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)ドイツ支部刊の→『チェルノブイリ原発事故がもたらしたこれだけの人体被害』(松崎道幸監訳、矢ケ崎克馬解題、合同出版、2012年)(資料6)
などをとりあえず挙げることができます。参加できない方も直面する内部被曝を克服するための知識として是非参考にして下さい。
特に資料6の翻訳書(左写真)は、今、日本で起こりつつあることを予見し理解する上で大変に良い参考になるでしょう。
チェルノブイリの過酷事故がもたらした広範で深刻な、特に事故当時生まれていなかった次世代の子どもたちにまで及ぼしている遺伝障害の事実の恐ろしさが専門家の知見から判りやすく記述されています。
これを知れば「直ちに健康に害はない」などとの言動が、いかに人道に反する犯罪そのものであることがよくわかります。
世界中の放射能被曝の被害者の市民の健康のために尽力をつづけているドイツからの訪問者のお二人、インゲさんとセバスチャンさんが、日本の市民のみなさまと知り合うことは素晴らしいことです。特に、喜寿の高齢にもかかわらず、ドイツ人には慣れない梅雨時の日本を、厳しい日程で訪問されるインゲ・シュミッツ=フォイエルハーケ教授に心から感謝いたします。
日本のみなさま、よろしくお願いいたします。
(ひとことだけご参考。日本と違ってドイツでは国家試験が授与した博士と教授資格は終身称号です。したがって博士・教授の肩書きは墓石までそのまま残ります。)
なを、今回の訪日に関する特に重要な日本語資料で最近発売中のものやネットで手に入るものとしては、
*上記の→沢田昭二教授の報告(資料1)のほかに、沢田昭二教授は現在発売中の「世界」7月号に→「放射線影響研究と科学者/3・11後、社会的役割をどう果たすか」(資料2)を寄稿されています。13歳で広島で被爆された教授の生き様もうかがえます。
*上記写真のヨーロッパ放射線リスク委員会の会議で採択された→2009年「レスボス宣言」の翻訳(資料3)、
*これに参加され宣言に署名された沢田昭二教授ご自身による→同じ宣言の翻訳と解説(資料4)、(同宣言の英語→原文はこちら)、
* インゲ・シュミッツ-フォイエルハーケ教授の最近の論文 「『無害な放射線閾値』からの時間のかかる決別」 の→翻訳と解説(資料5)、
*お二人が共著者でもある 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)ドイツ支部刊の→『チェルノブイリ原発事故がもたらしたこれだけの人体被害』(松崎道幸監訳、矢ケ崎克馬解題、合同出版、2012年)(資料6)
などをとりあえず挙げることができます。参加できない方も直面する内部被曝を克服するための知識として是非参考にして下さい。
特に資料6の翻訳書(左写真)は、今、日本で起こりつつあることを予見し理解する上で大変に良い参考になるでしょう。
チェルノブイリの過酷事故がもたらした広範で深刻な、特に事故当時生まれていなかった次世代の子どもたちにまで及ぼしている遺伝障害の事実の恐ろしさが専門家の知見から判りやすく記述されています。
これを知れば「直ちに健康に害はない」などとの言動が、いかに人道に反する犯罪そのものであることがよくわかります。
世界中の放射能被曝の被害者の市民の健康のために尽力をつづけているドイツからの訪問者のお二人、インゲさんとセバスチャンさんが、日本の市民のみなさまと知り合うことは素晴らしいことです。特に、喜寿の高齢にもかかわらず、ドイツ人には慣れない梅雨時の日本を、厳しい日程で訪問されるインゲ・シュミッツ=フォイエルハーケ教授に心から感謝いたします。
日本のみなさま、よろしくお願いいたします。
(ひとことだけご参考。日本と違ってドイツでは国家試験が授与した博士と教授資格は終身称号です。したがって博士・教授の肩書きは墓石までそのまま残ります。)
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