その成り行きを追っている最中、日本から中部電力が浜岡原発の停止を決定したとの報道もありました。
日本で最も危険な原発が、管内閣の政治主導で理性的に当面といえどもとりあえず停止されたことは、大変うれしいことです。日本の市民はこれで少しは安眠できようというものです。日本における、脱原発再生エネルギー社会実現への貴重な一歩になることを願います。
この記者会見でメルケル首相は、驚くべき政治決断を発表しました。「昨年末に強行に議会を通過させ、今年の年頭から施行している『原発稼働延長法』を事実上3ヶ月間棚上げし、その間1980年までに稼働を始めた古い原発7基を緊急に停止し、フクシマのような事故が起こる可能性について検証する」、また「原子力発電からできるだけ早期に撤退し、再生可能エネルギー発電をさらに促進する」と宣言したのです。理由は「日本のような技術先進国での深刻な事故は『Zäsur/区切り目』である。フクシマの後は、それ以前とは同じではない」。
つまり、それまで 強行に追究し実現した原発稼働延長政策を、いきなりゴミ箱に放り込み、緑の党が主張する政策へと180度の方向転換をすると言うのです。
会見に出席していた大勢の記者は仰天しました。「信じられない」という雰囲気でした。わたしは、この日も福島の事故はまだ進行中であるので、この判断の根拠が知りたく「3ヶ月と区切った理由は何か」と、質問しようと挙手したのですが、わずか数人の記者への質問に答えただけで会見が打ち切られてできませんでした。
この時点で、大半の記者が考えたことは「2週間後に控えているふたつの州選挙へ向けた選挙戦術だ」ということです。メルケル首相は、シュレーダー前首相とは政治姿勢が対極で、じっと情勢を見て決断を示さないことが特徴です。そのため、この発言は、そうとしか考えられないのす。
官邸を出てみると、フクシマの事故が起きた直後から連日のように続いている首相官邸前での、地震の被害者への追悼と反原発抗議集会に参加するためにやってきた野党の大物政治家たちが話し合う姿がありました。
上の写真は官邸正面でのガブリエル社会民主党党首(前環境相/左)、ゾンマー・ドイツ総同盟委員長(右)ですが、彼らも記者会見の内容を知らされ、かなり当惑している様子がうかがえます。
3月14日の官邸前での集会 |
事実、それから2週間後の3月27日のバーデン・ヴュルテンブルク州の選挙では、キリスト教民主同盟が、ちょうど日本の自民党と同じく、58年ぶりに敗退し、史上初めて緑の党が第一党となりドイツで初めて同党の首相が政権を奪取しました。この写真は翌28日にベルリンのキリスト教民主同盟の党本部で「敗北宣言」の記者会見です。
ドイツでもっとも豊で(ダイムラー・ベンツやポルシェの本拠地)、もっとも保守的な州で同党の牙城を、よりによって緑の党に明け渡さなければならなかったショックと落胆がいかに大きかったが、マプス州首相(左)とメルケル首相の表情から読み取れます。ふたりからは「残念ながらフクシマで負けた」と歴史的敗因を率直に認める発言がありました。
ここでマプス氏が「選挙戦中の連邦政府の原発政策の転換については、メルケル首相と意志一致があった。フクシマについて『ドイツには日本のような大地震も津波もないから、原発は安全だ』と主張することもできたが、それは責任ある政治家として正しいことではなかった」と述べたことが注目されます。
事実、メルケル首相のアクロバットのような決断は、単なる選挙戦術ではなく、緑の党を追い越すような政治転換であることが、その後明らかになってきました。ドイツは政治決断で原発完全撤退と再生可能エネルギー発電の実現にまっしぐらに進み始めたようです。
今日の、野党党首らとの会談では、どうやら全野党は大筋で脱原発法案実現へのシグナルを出したようです。7月初旬にはメルケル首相の決断が、実を結ぶ可能性が強くなりました。そうなればフクシマの影響は巨大です。
首相としても、それでしか政権を維持することができなくなっていることも事実です。メルケル政権は、フクシマの事故で、原発稼働延長策が自らが掘った罠になり、自ら落ち込んだのです。このことにいち早く気付き決断を下したメルケル氏の判断力は、政治家として優れたものであると言えるでしょう。
明日の午前、首相は外国人記者協会の記者会見に応じています。ドイツ人記者がうらやむタイミングです。その報告は次回にしましょう。
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