中継カメラが振られているので、自民、公明党らの議員が賛成起立する場面はちゃんと撮影できませんでしたが、これがその瞬間です。
これは、最高の国権機関である立法府が、憲法に違反する法案を通過させた歴史的瞬間です。
審議を見て、つくづく思い起こされるのは、いまから80年前の1933年2月28日のワイマール憲法下で施行された→「国民と国家保護大統領緊急令」(いわゆる「帝国議事堂火災規則」)のことです。
これは、ヒトラーがヒンデンブルク大統領に指名され、首相になった直後に起こった国会議事堂放火事件を口実に、大統領緊急令として施行された特別法です。日本ではあまり知られていませんが、これこそが後の全権委任法の基礎となり、当時の世界で最も民主的であったワイマール憲法で保障されていた国民の基本権が停止されることが可能にされたものです。
この規則により、人格の自由権を始めに、報道の自由を含む言論の自由、結社、集会の自由、通信の秘密、住居の不可侵権、私有財産権などが制限されることにより、国権の捜査権などが強化されました。特定秘密保護法案と本質が同じです。
同規則によるワイマール憲法の基本権条項の制限は→以下のとおりでした:
- Artikel 114 Verbot von Beschränkungen der persönlichen Freiheit
- Artikel 115 Unverletzlichkeit der Wohnung
- Artikel 117 Brief-, Post-, Telegraphen- und Fernsprechgeheimnis
- Artikel 118 Meinungsfreiheit
- Artikel 123 Versammlungsfreiheit
- Artikel 124 Vereinigungsfreiheit
- Artikel 153 Recht auf Eigentum
恐ろしいのは、これにより、嫌疑だけで予防拘束が可能となり、予防拘束状だけで市民は強制収容所などに「合法的に」拘束されたのです。
これこそが麻生大臣の発言で日本でも最近知られることになった、ヒトラー独裁の根拠となる同年3月24日の→全権委任法の基礎となり、緊急令にもかかわらず敗戦までこの緊急令は停止されませんでした。
なぜこれを思い出したかといえば、本日の国会審議で、賛成演説をした自民党の岩屋毅議員が、その冒頭で法案の必要性として、中国政府による防空識別圏の設定を挙げるのを聴いて、共産主義者による国会放火容疑(今日まで実行犯は不明)を理由にしたこの法律と発想が同じであると思ったからです。他者からの危機感を煽り、「国民の安全のためには必要である」と理由付けする点で同じです。
このような法律が施行されれば、どうなるかはまた後に詳しく書きたいとおもいますが、いずれにせよ、本日、日本国憲法で保障された国民の基本権を行政により大幅に制限し、憲法を窒息死させる第一歩としての悪法のを通過させたことは、立法府としては自殺行為であることは言わずもがなのことです。
これにより、憲法の基本権を保護するのは、議会外野党の市民の力だけとなりました。このような国会を選挙で選んだのは、他ならぬ日本の有権者ですから責任は重大です。まさに有権者の自己責任です。
できる限り、集会や街頭、職場で発言し、連帯してこの悪法を廃案に持ち込まない限り、日本が再び、民主主義の窒息で取り返しのつかない間違いをしでかすことは、これも目に見えることです。
憂うべき事態ですが、それでも国会演説で中身のある反対演説をした民主、共産、生活の3名の議員諸氏の名誉のために、以下その写真だけを挙げておきます。
長島昭久議員 民主党 |
赤嶺政賢議員 共産党 |
玉城デニー議員 生活の党 |
この法律が施行されれば、近いうちに日本で起こるであろう事態を予言する歴史資料を挙げておきましょう。
これは、1935年9月に、ドイツのある街のナチスの役所から出された予防拘束令状です。
上記の33年の国民と国家保護規則に則った、当時33歳のカトリックの男性労働者に対する予防拘束命令です。
ここでは、理由として「ヨハネス・ラングマンテルは、マルキストであり、今日に至るまでその信条は全く変わっていない。それをことあるごとに表現している。彼とその妻は、ユダヤ人の店だけで故意に買い物をし、それにより国家社会主義の意思に対抗している。このような態度は公共の安全と秩序を直接脅かすものであることからして、予防拘束すべきである」とあります。
この人物は、マルキストであることと、ユダヤ人の店で買い物をしたことを理由に強制収容所に拘束されたのです。
特定秘密保護法案では、例えば反原発を信条とする市民が、機密保護の対象である原発施設の情報を探したり、それを公言しただけで処罰の対象とされます。
現在の日本は、このような80面前のドイツの悪夢に直面しているのです。
敗戦までの日本の治安維持法が息を吹き返しているようです。間もなくその息吹が感じられるでしょう。それは時間の問題です。
まもなくベルリンには日本からの亡命者が増えるでしょう。理由はまた書きます。
追加の注釈(11月28日):上記のドイツ語 Schutzhaftは、通常の辞書では「保護拘束」などと訳されています。これは法律用語としての本来の意味では間違いではありません。ところがナチス時代の上記の法律は、本来の「危険から個人を保護する」のとは正反対に「国家の安全を脅かす虞れのあると判断した個人を拘束する」ために使われました。そのため、ナチ時代のこの用語は予防拘束とするのが内実からして正しいのです。
もうひとつ、本日の日本からの報道です。歴史を知るものは同じ見解を持ちます。
→ナチスドイツの全権委任法に当たる
東京都内で記者会見した栗原彬(くりはら・あきら)立教大名誉教授(政治社会学)は「全ての情報を統制したナチスドイツの全権委任法に当たる」と指摘。杉
田敦(すぎた・あつし)法政大教授(政治学)は「法案は非常に粗雑で秘密指定はノーチェックに等しい。行政府に権力を集中させ、その他の発言権を失わせる 意図があるのでは」と述べた。
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