2012年3月28日水曜日

79:TBS番組予告「原発事故“除染の盲点"」/放送後の追記解説「車とエアコンは放射能物質集塵機器」測定値の記録を

本日の水曜日の22時54分からTBSのNews23クロス(これは筑紫哲也さんの後続番組)でドイツから三澤ベルリン支局長が以下の報告をします。

実はチェルノブイリの事故の後、1400キロ離れた旧東ドイツの「除染の盲点」で内部被曝によるガンで7人の労働者が次々死亡しています。なぜこのようなことが起こったのか?
これから日本でも起こるで可能性が高い、ドイツでもあまり知られていない史実のルポです。7、8分の短いルポですが、衝撃的な内容ですからご覧下さい。フクシマを体験中の日本でも多くの人が震撼するでしょう。

前回のドイツZDFの「フクシマの嘘」に負けないように、今度は日本のTBS/MBSのベルリン支局が「ドイツの被曝事実を暴く」驚くべきルポですので是非ご覧下さい。

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3月28日、水曜日、22:54 NEWS23クロス
メインキャスター:膳場貴子 
なぜ死者が?原発事故“除染の盲点"意外なホットスポットとは…

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なを、前の第78回での大沼安史さんへのわたしからの応答は、まだ続きますが、今日は以上のお知らせまで。

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さて、予定通り放送された後の追加です。
ルポの本体は→「チェルノブイリ事故後の汚染の盲点」とのタイトルで放送されました。いまのところTBSのHPで主要部分は見れますのでご覧下さい。
放映の全部は→「なぜ7人も?原発事故除染の盲点」をご覧下さい。


動画部分の内容をTBSのHPから保存させていただきます;


  福島第一原発の事故を受け放射性物質の除染作業が本格化していますが、実はある「モノ」の存在が見落とされている可能性があります。チェルノブイリ 原発事故の際、1400キロも離れた場所で除染作業をしていた作業員が相次いで7人も死亡しました。一体、何が起きていたのでしょうか。

 友はもう何も語りません。

 「そこに墓があります」(オットー・ツェルナーさん)

 オットー・ツェルナーさん(79)。今から26年前、ある作業に従事したことで次々と仲間を失いました。この場所には同僚だったノイキルヒさんが眠ります。

 「彼はがんで亡くなりました。原因は放射能です」(オットー・ツェルナーさん)

 1986年4月、旧ソ連のチェルノブイリで起きた原発事故。破壊された原子炉から大量に放出された放射性物質は周辺の国々を汚染しました。この時、放射性物質を運んだのは風や雲だけではありませんでした。

 「東ドイツからの車両は全て徹底的にチェックされます」(ドイツのTVニュース 1986年5月)

  事故の直後、原発から1400キロほど離れた東西ドイツ国境の様子。多くのトラックが足止めされています。当時、ウクライナや東欧から農産物など安い物資 が西ドイツに運ばれていました。しかし、西ドイツは放射能汚染を恐れ東側からの入国を拒否、車両が列を成しました。そこで、東ドイツ政府はツェルナーさん ら運送公社の職員8人に「トラックの除染」を命じたのです。

 「ガイガーカウンターを渡されて私たちが放射線量を測定するよう指示された。測定器はけたたましい音を鳴り響かせていたが、耐えられずに除染作業中は音を消していた」(トラックの除染に当たったオットー・ツェルナーさん)


   すでに放射性物質に汚染されていたトラック。しかし、作業員たちはマスクなどで防護もせず、モップを使い除染の作業をこなしました。その数は100~200台に上るといいます。

 任務は洗車だけではありませんでした。エンジンに送る空気をろ過する「エアフィルター」の交換です。このフィルターにはほこりや細かいちりなどが付着します。

 「フィルターも放射能に汚染されていた。外から空気を吸い込むので放射能がたまる。外側よりフィルターの方が汚染されていた」(オットー・ツェルナーさん)

 除染作業は2か月で終わりましたが、3年後に悲劇が始まります。まず、フィルターを交換していた作業員が肺がんで死亡しました。まだ30代でした。10年のうちに除染の作業員8人中6人が亡くなりました。全てがんでした。

  作業員の死亡と放射性物質の因果関係はあるのか・・・そもそもトラックはどれほど汚染されていたのか・・・ある場所に原発事故後の記録が残っていました。 当時、トラックは国境にほど近い東ドイツのサービスエリアにも集められていました。そして、交換されたエアフィルターは倉庫に保管されていたといいます。 山積みになっていたというエアフィルター。扉の前で、東ドイツ政府の命令を受けた放射線の専門家たちが線量を測定していました。

 「倉庫の入り口で測定したところ、毎時20ミリシーベルトの放射線量を記録した」
Q.1時間あたり?
 「そう、1時間あたり。とても高い数値です」(マクデブルク大学病院 トリーネ教授)

 当時のメモが残っています。2レントゲン、つまり20ミリシーベルト。これは国際的な基準で原発作業員が年間で許容される被ばく量に相当、それを1時間で浴びてしまう計算です。

 「この線量を一度に浴びると遺伝子に異常を起こすおそれがある。すぐではないが、3~4年後に甲状腺がんを発症するおそれも出てくる」(マクデブルク大学病院 トリーネ教授)

 その後、ツェルナーさんと一緒に除染に当たっていたノイキルヒさんも直腸がんと前立腺がんを相次いで発症して亡くなりました。除染に当たった作業員8人のうち7人ががんで死亡したことになります。

 「私は日本でも被害者が出るのではと不安を感じている。大量の放射線を浴びれば病気になり、がんで苦しんで死ぬことにもなる。そう考えただけでも気が重くなる」(除染作業に当たったオットー・ツェルナーさん)

 原発事故の現場から遠く離れた場所で起きた「被ばく」をどうとらえるのか・・・警鐘が鳴らされています。

  ツェルナーさんの上司のノイキルヒさん。彼が2つのがんを同時期に発症したのは事故から9年後の1995年でした。ノイキルヒさんは「除染中の放射線が原 因」として補償を求め、裁判所に訴えます。そして98年、裁判所は「放射線ががんのリスクを高めた」などとして一度は労災を認めました。ノイキルヒさんは ドイツで初めてチェルノブイリ事故の被害者となったのです。ところが、ノイキルヒさんの死後、2001年に一転して2審が1審判決を棄却。その理由は学問 的に「放射線の量ががんを発症するには十分と言えない」というもので、放射線被ばくをめぐる裁判の難しさを浮き彫りにしています。(2822:15
 


さて、スタジオでは上記の終わりにある、補償裁判の判決について解説がなされています。

少しわたしのほうから要点を解説しておきますと、登場するツェルナー 氏は除染にあたって監督の立場にあり、語っているとおり放射線測定を担当してフイルターなどに直接触れていません。また最後にガンが発病したノイキル匕氏は、この運送公社の社長で除染に立ち会っていた人物です。
さてこの写真が、ノイキルヒ氏が労災認定を請求し勝訴した第一審の判決文と、彼が亡くなってから奥さんが原告となり敗訴した第二審の判決文です。

ノイキル匕さんへの1998年と2001年の判決文


両方の判決文を読んでみると、裁判所の判断の基準が全く対立するものです。
初審では 判決理由で stochastische Strahlenschäden(専門用語;確率的放射線障害)という考えを採り上げ、それを論理的には極少の低線量被曝でも障害をもたらす確率が高く、この場合は因果関係が立証できるとの原告側鑑定を採り上げ、労災を認定しています。
ところが二審の最終判決では、原告に発症した合計三種(番組の解説では直腸、前立腺と二種とされていますが、最期は肺に至った三種)のガンが除染作業による原因であるとの専門家の鑑定を排除し、病理学的にはその立証が困難である(すなわち原因であるかもしれないしそうではないかもしれない)との被告側鑑定を採り上げ、一審判決を棄却しています。
この判決に関して当時のドイツのメディアは「すなわちガンになったのは運が悪かったとあきらめよとの冷酷な判決だ」と批判しています。

すなわち、この事例での対立する二つの判決は、まさにICRPの主張を巡る解釈論争をそのまま反映したものです。 フクシマ後の日本でも近いうちに争われる補償裁判の前例となる可能性が高いと思われます。

さて、判決はともかく、この事例の教訓は、日本でもフクシマの放射線で汚染された、車両の除染、特に大小のエアーフィルターの汚染による被曝が気づかないうちに間違いなく起こっており、またエアコンのフイルターの放射能汚染もかなり蓄積しているので、関連事業の作業員たちの内部被曝に厳重な注意が必要である ことです。またもちろんフイルターのある車とエアコンは、フクシマ以降は日本ではどの家庭でも直ぐ身近にある「放射能物質集塵機器」 と化しているとの自覚との認識が、まずは必要であると思います。

すでに神奈川県で事業用エアコンのフイルターを洗浄した工場の排水溝がホットスポットになっていた事実があるとおりです。
したがって、日本の自動車とエアコンの整備事業に従事している現場のみなさんは、放射能測定を厳重にして、必ず測定値の記録を残すようにしてください。数年後に発病した際には労災認定の決定的な証拠になるからです。

当時の東ドイツの除染の杜撰さは事実であるとしても、低線量被曝の危険度は今の日本のほうが桁違いに広範囲であることも事実です。警戒しないと中長期的に犠牲者の数が桁違いになることは間違いありません。今や日本は低線量内部被曝の歴史的実験地区になっていることを自覚して下さい。
これがチェルノブイリから遠く離れているにもかかわらず、悲惨な若死にを強いられたドイツの少なくとも7名の犠牲者から学ぶことの基本であると思います。

 フクシマの事故の直後、唯一の生き残りのツェルナー氏は、地元のメディアに対し「日本でも同じ犠牲者がでることを憂慮している」と繰り返し述べています。その彼の声が一年後の今、ようやく日本に届いたのです。耳を澄まして下さい。
(以上28日夜の追記)

昨年のフクシマ事故発生直後の2011年3月15日には地元の公共テレビMDR放送が→「最後の生存者」、また3月28日には週刊誌スパーイルが→「チェルノブイリをまやかした東ドイツ」と題して、今回のTBS報道の登場人物たちの声を報道しています。ドイツ語ですが関心のある方はご覧下さい。
(29日追記)

ノイキルヒ氏の墓参をするツェルナー氏 2001年 写真DPA







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