1990年代、ヨーロッパにおける冷静終結後、それまで東西イデオロギー対立で凍結されていた、先の大戦時の被害者、とりわけ強制労働の被害者たちの声が世界中から起きてきました。いわゆる日本軍の「従軍慰安婦」たちの声もそのひとつです。彼女たちは日本帝国軍の性奴隷として強制動労を強いられたのです。
前にも書きましたが、この歴史の闇から起こった声が、初めて日本社会に届いてからすでに20年を越えました。ということは、現在の30歳代、またそれより若い世代はこの歴史をほとんど知らないことになります。
知らないどころか、日本語のネット界隈では、そこだけ世界の中では特殊な空間として、「慰安婦は嘘つきだ」、「強制連行はなかった」、あるいは「金欲しさだ」など、そしてついには日本第2の大都市の某市長の「慰安所は必要であった」といった暴論にまでエスカレートしてしまっています。これが許しがたい→「強盗の居直り説教」に等しいことはここでもすでに指摘したとおりです。
一昨日、ようやく在日朝鮮人学校に対するヘイトスピーチが、国際人権法に反する犯罪であるとの判決がようやくにして出されましたが、「慰安婦」に対するこれらの言説も、被害者、弱者に対する立派な犯罪的な憎悪発言であり、少なくとも最低の人道とモラルに反する恥ずべき行為であるのです。被害者の癒えることのない深い傷に、塩を塗ってよしとする第二の犯罪行為なのです。世界の民主主義社会では到底容認されないことです。
日本社会は現在、経済面だけではなく、次第に最低の人権認識も失われた20年 となってしまっています。しかし、安倍晋三首相内閣の閣僚の多くが、いまだに「官憲による慰安婦強制連行はなかった」との2007年の閣議決定(これは法的には政府意思であり国家意思)を撤回しないありさまでは、在特会らの反社会的犯罪行為が野放し状態になっているのも、なんら不思議なことではありません。そして、安倍首相が確信的極右歴史修正主義者であることが、世界中での常識となってしまっているのも不思議なことではありません。ことの必然といえましょう。
おそらくは、日本の永田町の官僚の皆さんのなかにも、これでは危ないと考えるひとたちが出てきているのかもしれません。今回の国立公文書館での法務省関係「慰安婦強制連行史料」の開示も、その兆候であればと願いたいものです。
そこで、若い世代、あるいは海外在住の日系人のみなさまに、この問題がここ20年、どのような経過であったかを、できるだけわかりやすくここで、みまさまには未見の古い資料を示しつつ伝えたいと思います。
おそらく飛び飛びの投稿となりますが、時間がある時にボツボツ書き込みます。
このタイトルでの第1回目です。
河野談話の前史
まずは、共同通信社が配信し、全国のかなりの地域、地方紙で報道された記事の全文は
以下のとおりです。媒体によって見出しや長さが異なり、ネットではこれまで全文は読めません;
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「軍強制」詳細開示 慰安婦記録で公文書 河野談話の原資料
戦時中、旧日本軍がインドネシアの捕虜収容所からオランダ人女性約35人を強制連行し、慰安婦としたとの記載がある公的な資料が6日までに、国立公文書館(東京)で市民団体に開示された。資料は軍の関与を認めた河野官房長官談話(1993年)の基となるもので、存在と内容の骨子は知られていたが、詳細な記述が明らかになるのは初めて。
法務省によると、資料名は「BC級(オランダ裁判関係)バタビア裁判・第106号事件」。 49年までに、 オランダによるバタビア臨時軍法会議(BC級戦犯法廷)で、旧日本軍の元中将(有期刑12年)、同少佐(死刑)など将校5人と民間人4人を 強姦 (ごうかん) 罪などで有罪とした法廷の起訴状、判決文など裁判記録のほか、裁判後に将校に聞き取り調査をした結果が含まれる。
計約530枚で、法務省がこれらを要約したものが談話作成の際に集められた資料の一つとなった。原資料は99年に同省から公文書館に移管され、神戸市の市民団体の請求に対し、9月下旬に開示した。
元陸軍中将の判決文などによると、戦時中の44年、ジャワ島スマラン州に収容されていたオランダ人女性を、日本軍将校が命じて州内4カ所の慰安所に連行し、脅して売春させた。
判決文には将校らの証言として「州警察の長に、遊女屋用の女をキャンプで選出するよう依頼した」「婦女は○○(将校の名)の要請により州の役人が連れ出した」「女たちは遊女屋に入るまで、どういう仕事をするのか聞かされていなかった」と記載されている。
資料に含まれ、中将が帰国後の66年、石川県庁で行われた聞き取り調査の記録によると、中将は「連合軍の取り調べとなると、婦人たちもあることないこと並べたて、日本軍部を悪口する」と戦犯法廷に反論する一方、「(慰安婦となる)承諾書を取る際も若干の人々に多少の強制があった」と述べた。
法務省司法法制部は「古い資料のため、作成の経緯は確認できない」と話している。
●慰安婦問題の資料次々
河野談話から20年
旧日本軍の慰安婦問題で、軍の関与と強制性を認めた河野洋平官房長官談話から今年で20年。この間、談話を裏付け、補強する資料が研究者や市民団体の活動で次々と明らかになった。一方、安倍晋三首相は過去に、事実誤認があるとして河野談話の見直しに言及したことがある。
これまでに国立公文書館やアジア歴史資料センター(東京)などから開示された資料には/(1)/陸軍省が慰安所設置を決めた「 野戦酒保規程 改正に関する件」、/(2)/第35師団司令部が軍施設として慰安所運営規則を定めた「営外施設規定」、/(3)/政府が慰安婦の渡航を認める閣議決定をしたことを示す「渡支那人暫定処理に関する件」、/(4)/インドネシアや中国での慰安婦強制連行を示す東京裁判の尋問調書―などがあり、いずれも軍や政府の関与、強制性を示している。
安倍政権は現在、「河野談話を踏襲している」との立場だが、第1次安倍内閣の2007年には「強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」と閣議決定した。
資料を収集してきた一人で、市民団体「強制動員真相究明ネットワーク」の 小林久公 (こばやし・ひさとも) 事務局長=札幌市=は「河野談話の事実認定にはあいまいな部分があり、閣議決定はそれさえ覆した。政府は新たな資料できちんと事実を認定し、慰安婦問題の解決に向けて取り組んでほしい」と話している。
●開示資料中の主な証言
【元中将の判決文中にある将校らの証言】
「州警察の長に、遊女屋用の女をキャンプで選出するよう依頼した」
「婦女が収容所から出発するのも自由意思によるものではなく、○○(将校の名)の要 請により州の役人がキャンプから連れ出した」
「女たちは、遊女屋に入るまでどういう仕事か聞かされていなかった」
「遊女屋が開かれてまもなく日本人将校間に、婦女の多くは強制的に入れられたもの で、いつも売春を拒絶していることが知れ渡った」
「○○少佐が、遊女屋の指揮、設立、施設、管理等を担当していた」
【裁判後の元中将への聞き取り調査】
「○○大佐らから提案を受け、軍司令部の参謀に、抑留婦人を慰安婦とする件を話した が、反対意見は出なかった」
「州庁側で選出し整列させた婦人(不承諾者も含まれていた)から、中尉が勝手に選定 して連れてきた」
「連行後、各人から承諾書をとる際も若干の人々には多少の強制があった」
「敗戦後、連合軍が取り調べると、婦人たちもメンツ上、どうしても強制だったと、あ ることないことを並べたてて日本軍部を悪口することになるのは自然で、問題視され るに至った」
●談話見直しは困難
永井和・京都大教授(日本現代史)の話 慰安所の管理、運営について河野
談話は「軍が関与した」との表現にとどめた。「民間業者が運営し、軍は一定の
管理はしたが利用しただけ」と主張し、河野談話を見直すべきだとの立場の人も
いる。しかし既にさまざまな資料から、慰安所は軍が設置した軍の施設と証明さ
れ、強制性を裏付ける資料も出ており、談話の見直しは難しい。強制連行はなかっ
たと強調すればするほど国際感覚からずれ、歴史的事実からかけ離れ、日本にとっ
てプラスにならない。
●内容の信頼性高い
林博史・関東学院大教授(日本近現代史)の話 「バタビア裁判」の資料は、
法務省が内部資料とすることを前提に戦犯の被告や弁護人から収集した文書と思
われ、内容は信頼性が高い。この文書だけでなく、軍作成の資料などから、慰安
所が軍施設であり、強制性があったことは既に明白だ。「強制連行を示す記述が
ない」という主張は、河野談話までに日本政府が収集した資料の中身を曲解して
いる。政府は資料収集を継続し、新資料に基づいた新たな見解を出すべきだ。
●河野官房長官談話
河野官房長官談話 1993年8月、当時の宮沢内閣の河野洋平官房長官が、従軍慰安婦問題の政府調査に基づいて発表した。慰安所は「軍当局の要請により設営され」、管理や慰安婦の移送は「軍が直接あるいは間接にこれに関与した」とした。募集は「軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、甘言、強圧などにより、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、官憲が直接加担したこともあった」と指摘し、慰安婦に謝罪した。以降、歴代内閣が談話を踏襲する姿勢を表明している。
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以上が全文です。さて昨日の共同通信のHPの→トピックスでの記事では、今回開示されたこの写真を見ることができます。
個人が特定される部分に画像加工があります 国立公文書館で開示されたバタビア裁判の判決文(画像の一部を加工しています)2013年10月7日共同通信 |
これは、今回開示された「スマラン強制売春事件」の最高責任者であった、野崎清次元陸軍中将に対する判決文の法務省による翻訳文書の冒頭部分です。今回明らかになったことは、この文書が1993年ののいわゆる「河野談話」の重要な資料のひとつとしてあったことです。能崎中将は禁固12年の判決を受けています。
そのオランダ語の同判決文原文の 冒頭の部分がこれです。
能崎清次強制売春事件判決文・蘭領東印度臨時軍法会議1948年第34号 |
朝日新聞が、これを含む膨大な資料とわたしの翻訳を元に、事件の全容を伝える第一報を報じたのは1992年7月20日でした。そして、このスマラン強制売春事件のまとまった特集が出たのは、同年8月30日でした。9月19日には朝日新聞は英字紙で、同様の特集を報じ、世界中がこの事件を知ることになりました。
朝日新聞1992年8月30日 |
Asahi Evening News September 19.1992 |
同年7月20日の朝日新聞のスクープ第一報と、インドネシアの週刊誌の報道に応じて、オランダの高級紙は早くも8月8日に、専門家による「東洋の静かな強制」というタイトルで、旧蘭領東印度での日本軍によるオランダ人女性強制売春の全面特集記事を掲載しました。
NRC Handelsblad 8 Augustus 1992 |
これらの報道は、現在読み直してみても、史実に基づいた極めて正確な包括的な内容です。これが当時の日本政府の調査を促し、1年後の1993年8月の河野談話となった前史です。
その後の研究調査によって、オランダ人性奴隷だけではなく、また朝鮮人女性だけでなく、あらゆる日本占領地で現地女性たちを性奴隷とする軍の制度としてあったことを証明することになります。
そして、この問題は、いまや国連機関にまで到達することになっています。その主な原因は、安倍、橋下発言などの、政治家のたちの史実を否定したり正当化する反人道的言動なのです。彼らの発言は国際社会では、日本の政治家によるまぎれもないヘイトスピーチとして受け止められているのです。
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