2011年8月28日日曜日

21:原発中毒の人々と「人生の嘘」(1)/追加あり

さて、またまた永田町界隈では首相指名を巡っての南ドイツ新聞が予想した通りの「ノミのサーカス」が演じられていますね:本稿12:http://tkajimura.blogspot.com/2011/07/blog-post_15.html

もううんざりですが、結果がどうなろうとも、原発延命策をたくらむ首相が総理大臣となるでしょう。ここまで来たらノミのサーカス政治で日本は本格的に沈没するのがもう避けられないと思いますので、次稿では「名案」を出したいと思います。

ただその前に本稿では(1)7月6日に予告した「原発中毒の人々」:http://tkajimura.blogspot.com/2011/07/blog-post_06.html
でベルリンに現れた人物ふたりに触れておきます。この人たちが元気を出して活躍するようになることは間違いないからです。そして(2)「人生の嘘」という概念について解説しておきます。

(1)原発中毒の人々
 ここでも速報しましたが、先の6月30日にドイツ連邦衆議院は圧倒的多数で脱原発法を可決しました:
http://tkajimura.blogspot.com/2011/06/blog-post_30.html
これによってドイツの脱原発は事実上決定されたようなものです。ところが、よりによってその翌日の7月1日に日本から原発推進政策の中枢の人物がベルリンの日本大使館で講演をしたのです。
内閣府原子力委員会の委員長代理、鈴木達治郎氏です:
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/iin/suzuki.htm

鈴木達治郎氏・2011年7月1日ベルリン日本大使館で

 国際会議参加のためにベルリンを訪問したついでに、日本政府の原発政策推進者として福島原発事故をドイツの一般市民にも伝えるつもりで、講演をされたようです。
わたしも、よりによってこの機に何を述べるか興味があったので、参加しましたが、ご本人は達者な英語で事故の経過を急ぎ述べただけでした。事故に関心のあるドイツ人参加者もほぼ知っている情報内容だけで拍子抜けしたのが実情でした。
それどころか、事故を心配する在ドイツの日本人女性からもっと達者な英語で、外国のよりくわしい専門情報を突きつけられてしどろもどろするありさまでした。写真はドイツ国旗を背景にその質問を聴く鈴木氏です。原子力委員会の情報公開の貧困さがここでも露でした。「何とかしなければ日本政府の原発政策は国際社会で信用を失ってしまう」という焦りだけはうかがえましたが、結果として「これではダメだ。頼りない」との印象を与えただけでした。

なによりもわたしが違和感をいだいたのは、講演の結論として「もし原子力発電をコントロールできなくて、核兵器をコントロールできるのでしょうか?ヒロシマ・ナガサキは平和のシンボルとなりました。フクシマは核事故の復興のシンボル(a symbol of recovery from nuclear accident)になるべきです」と述べられたことです。
鈴木氏の講演のペパーは英文と日文で原子力委員会で公開されています:
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/kettei/koenkai.htm
この直後の7月6日の英国での公演では、結論が日本語で「ヒロシマ・ナガサキは被爆地から平和の聖地へ。フクシマは原発事故のシンボルから復興の聖地へ」となっています。つまり、「聖地」という表現が加わっています。まさか英語で「聖地」という言葉は使っていないと思いますが(わたしは聴いていないので不明ですが)、これが本音なのでしょう。
すまわち、この言葉は「どんなに犠牲者が出ようとも核技術を徹底的に推進する」との決意の現れです。
原発中毒の人物ならではの表現です。原発事故のヒバクシャのみなさんが聴けば、どのような気持ちがするでしょうか。

揚げ足をとるつもりはありませんが、氏はこの日の夕方の講演で、よせば良いのに冒頭にドイツ語で「gute Nacht/お休みなさい」と言ってしまいました。「good evening/guten Abend/今晩は」と勘違いしたのでしょう。結論を聴いたわたしは、それを思い出し「委員を辞めてお休みなさい」とつぶやいたものです。こんな人が政府中枢にいては、また事故を起こして「聖地」が増えるのは必然です。

米倉経団連会長2011年7月5日ベルリンのホテルで
さて、彼と入れ替わりにベルリンに現れたのが、経団連のトップの訪欧団です。団長は米倉弘昌会長です。
この方がフクシマ事故の直後に「1000年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいことである。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」と述べ、国と東京電力を擁護したことは有名ですね。
   「東電は津波による被災者の側面もあり、政府が東電を加害者扱いばかりするのはいかが」と東電を免責し、「原発を廃止すれば企業は国外に逃げ出す」とおどし、最近では「場合によっては原発の新設もありえる」と発言したと報道されています。
これらは、日本の「核の男爵」中曽根康弘艦長の建造した「原子力不沈空母」の現役機関長のような言葉です。ここの後半を参照して下さい:
http://tkajimura.blogspot.com/2011_05_01_archive.html
日本経済が沈没寸前であることは、自覚されてはいるようですが、原発推進を続けては全く日本の将来も無いことには気づいていないので、この人物にも「gute Nacht/お休みなさい」を申し上げます。
 事実、このベルリン訪問でもメルケル首相を表敬訪問したのですが、ほんの10分ほどの会談で「日独は再生可能エネルギー分野で協力できる」と一致しただけであったとのことです。
経団連も首をすげ替えるべきでしょう。このような前世紀の亡霊のような会長では自滅するだけです。国家と結びついた経済功利主義が企業にとっても死に至る病であることを、戦争体験ににもかかわらず戦後日本の経済人は十分に学んできませんでした。彼もそのひとりです。
「日本丸」に必要なのは再生可能エネルギーを推進する機関長です。それができる優秀な経済人は少なくないはずです。日本人はそれほど馬鹿ではありません。

追加:書き終わったとたんに、アメリカのメリーランドの原発がハリケーンのあおりで、外部トランスが破損し自動停止したとの報道があります。フクシマの破損バラック原発を台風が襲わないことを祈ります。
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29日追加:念のため鈴木達治郎氏のベルリンでの講演で使用され内閣府原子力委員会で公開されているペーパーの英文と日文の結論部分を以下挙げておきます。
英文には無い「福島を聖地」という言葉は、上記のように「どんなに犠牲者がでようとも徹底的に核技術を推進する」という原発中毒者の言葉です。社会心理学的には原発中毒者であり、社会思想的には原発原理主義者であることをみごとに示している恐ろしい言葉であるといえましょう。





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