2013年2月22日金曜日

149:安倍晋三首相訪米は共同記者会見抜きの喜劇に終わるか。Japan is backとはよくも言ったり!/追加;爺さん以来の忠犬晋三の喜劇の一幕

 2月25日追加です。
 訪米を終えて帰国した安倍首相は、予定通り新しい日銀総裁の選定や、TPP参加への手を打ち始めましたが、ここで今回の首脳会談を振り返ってみますと、オバマ大統領に露骨なまでに冷遇された理由が明らかです。
彼は安倍氏をアメリカの忠犬晋三として処遇したのではなく、伝統的な共和党系CIAの忠犬として処遇したのであることが判ります。冷淡なわけです。日本政府は首相夫人の訪問同伴も要請したようですが、大統領夫人の都合を理由に断られたとの報道があるのも納得できます。

 この忠犬ぶりを見事に現したのがCSISでの英語での演説ですが、これは昨年8月15日、敗戦記念日に出された第3次アミテージ・ナイ報告への、忠犬でしかできない回答となっています。安倍氏は" I am back,and so shall Japan be"と述べて、アミテージらの喝采を受けて、悦に入っていましたが、これは"Your dog is back,and so shall Japan be"と受け止められたからなのです。

 以下の記録を見ればこのことががよくわかります:
2012年8月15日、第3次アミテージ・ナイ報告:
→原文と動画、→報告の全文翻訳

2013年2月22日、安倍晋三首相の演説:
→原文と動画、→官邸の公式日本語

以上追加します。
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  日本時間22日早朝の追加です。
  予想したとおり、日米首脳会談の正式な記者会見はなく、大統領執務室での会談のあと、両首脳のステートメントだけに終わりました。
首脳会談のあとの談話。AP
同時にTPPに関する両政府の共同声明が発表されましたが、「結論に制限をかけず交渉を始める」との内容で、日本が交渉に参加することを表明したことになります。 決して1部のメディアは伝えるように「例外があることを米側が認めた」内容ではありません。
外交交渉はあくまで力関係です。これで日本は交渉に引きずり込まれました。これが安倍訪米のアメリカへの最大の手土産です。TPPの新植民地主義については→郭洋春立教大学教授の見解が参考になります。

さらに驚くべきことに、この場で安倍首相はNHKによれば:

「日 米同盟を強化する方向性、さまざまな課題について話をした。認識、具体的な政策、方向性に おいて完全に一致することができた。『日米同盟の信頼、強い絆は完全に復活した』と自信を 持って宣言したい」と述べました。

とのことです。この人物の劣等感をこれほど明確に表現した言葉はありません。
この場での、これを語る安倍氏の姿は、祖父の岸信介首相以来の、強力な反共国家アメリカの東アジアにおける忠犬晋三としての強がりを表明する実に情けないものです。
日本の戦後保守政治家の対米奴隷根性をこれほどホワイトハウスで顕著に表現した政治家はこれまでいないでしょう。これは「別れた恋人とよりが戻ったと」宣言したものの、目の前の相手が「その通りです」とは言わないような場面です。おそらくオバマ大統領は内心で「君は爺さん以来の可愛い忠犬であり、対等の友人でもなければ、ましてや恋人ではないよ」と苦笑し、軽蔑したことでしょう。忠犬晋三のやらかした喜劇の一幕でした。

かつての同じ敗戦国であるドイツの対米関係では、決して見られない場面です。冷戦時代にはドイツは、対等関係までを求めはしませんでしたが、決して半植民地的な忠犬ではありませんでした。アデナウアーと岸信介の根本的な違いがここにあるのです。

これで、中国、また韓国との関係は増々悪化するでしょう。
以上追加です。

23日の再追加です。
今回の訪米で安倍首相がいかにオバマ政権に「冷遇」されたかを、→中国国際放送の記者がワシントンから伝えています。この冷遇がワシントンから北京への明確なメッセージになっていることがよく現れています。
オバマ政権の広報政策は、通常は現地の記者たちが辟易するほどの過剰サービスで知られているのです。 それが今回はまるで違っていたことに現場の各国の記者たちは、ひたすら驚いているのです。
またCSISでの「日本は戻ってきました」と題するアミテージらを前にした英語での演説(→公式の翻訳)は、まさに「二級国家」に転落しまった責任のある日本の首相が、そうはならないぞと強がりを述べている、みっともない作文です。言っていることといえば、大借金をして経済再建を行う、金はないけれど軍備だけは拡張するということだけです。こんな首相では、日本はますます孤立し、経済も本格的に二級国家に転落することは眼に見えています。
 それにしても、この安倍晋三という人物の喜劇的自己陶酔ぶり(ドイツ語ではNabelschauと表現します)にはここでも鼻つまみもので、辟易さされますね。

全体として、フクシマ事故への反省や世界への謝罪は、訪米を通じて一言もなかったようです。情けない限りです。
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  本日2月21日の南ドイツ新聞に、Neihart・ナイハルト東京特派員の記事が「誤解の関係/日本の安倍首相が就任の訪米をする・彼はアメリカとの同盟を発展する中国に対抗する防波堤と理解している」との見出しとリードであります(今のところネットでは読めません)。同記者はすでに先月、安倍氏のポートレイトで祖父、岸信介元首相がCIAの資金でヤクザを雇ってまでして日米安保条約を締結した歴史を報道しています(時間あれば翻訳しようと思っています)。
 
 今回も祖父以来の日米関係にノスタルジーを抱く安倍首相の訪米とオバマ政権の認識の齟齬に関した記事です。わたしが驚いたのは文末に「オバマは1月に『最も近い同盟者』の就任訪問に時間を割くことができなかった。そして今、大統領は首相との恒例の共同記者会見を拒否した。これらはシグナルなのか?」とあるではないですか。
何も、日本の首相の米大統領への就任訪問だけでなく、世界ではよほどのことがない限り、就任訪問では首脳の共同記者会見がもたれるのが外交儀礼ですらあります。

 そこで、ネットで見ると唯一本日の沖縄タイムスに→次のような報道がありました。

日米首脳会談後共同会見見送


平安名純代・米国特約記者】米ワシントンのホワイトハウスで22日に開かれる日米首脳会談で、安倍晋三 首相とオバマ米大統領が会談後に開く予定だった共同記者会見が見送られることが19日までに分かった。首脳級会談で共同記者会見が見送られるのは異例。米 政府筋が本紙の取材に対して明らかにした。

 米政府筋によると、見送りは米側が要請した。当初、米側は首脳会談で日本の環太平洋経済連携協定 (TPP)への参加表明に対する期待を伝えていたものの、日本から困難との意向が伝達された。そのため、「踏み込んだ議論が期待できず、具体的な成果も発 表できないため、記者会見は不要と判断した」という。


 どうやら共同記者会見をアメリカ政府が拒否したのは事実のようです。TPPで合意が出来ないことが理由にされていますが、同盟国との首脳会談がたったひとつのイッシューの意見の相違で記者会見もしないなどということは、まったくあり得ないことです。
わたしもドイツの首相府で頻繁にある首脳会談後の共同記者会見を日常体験していますが、それがないということは、外交儀礼的にはいわば「お客にお茶も出さない」ことと同じです。 常識ではあり得ない失礼な扱いとなります。

 
 他の報道では、アメリカの記者たちが記者会見を行うように申し入れしているとのことです。本当の理由と、実際にどうなるかは明日の会談を待たない限り判りませんが、ホワイトハウスの会談室での会談後の簡単な両首脳のコメントだけに終われば、これは立派な、日米外交史のスキャンダルとなるでしょう。

 わたしの見方では、オバマ政権は安倍政権を、初めから見限ってしまっていることの現れであると思います。2007年4月の第一次安倍政権の時の、ブッシュ大統領との訪問の際は、キャンプデービットで首相夫妻は丁重にもてなされ、もちろん共同記者会見も行われたことは、→首相官邸の記録にあるとおりです。

 この記者会見でも安倍首相は質問の終わりに「従軍慰安婦」問題での質問に答えて、日本国内とは裏腹の二枚舌の回答をしていますが、オバマ政権は、その繰り返しを容認しないのではないかとの推定も出来ます。当時の安倍内閣の外交失敗については、このブロクでも何度も紹介したとおりです。最近の批判は→ここに、第一次政権批判は→ここを参考にして下さい。
 
 当時からまったく変わらず、何も学ばず、増々右傾化した第二次安倍政権は、そのアベノミクスと呼ばれる経済政策でも世界のお荷物になっていることは、先のモスクワG20財務相会談でも明らかで、舞台裏でさんざん批判されたことは日本のメディアがきっちり報道しないだけです。
 
 ブッシュ大統領とはまったく異なるオバマ氏はおそらく、オフレコ会談で冷淡に厳しく安倍氏を批判するのではないかと思われます。
第一次訪米は歴史修正主義者の悲劇でしたが、第二次はどうやらその喜劇に終わりそうです。そうなることを防ぐための共同記者会見の見送りであれば、アメリカ政府の、ワシントンでせめて恥をかかせないための配慮なのかもしれません。

 また安倍首相は訪米中に、悪名高いシンクタンク戦略国際問題研究所・CSISで、" Japan is back "と題する講演を行うそうですが、まさによくも言ったりですね。この表題が、それだけで安倍氏の反動性を表現していると世界では解釈されてしまうことにさっぱり気付かないこと事態が、すでに立派な喜劇なのです。
  これは出来の悪い政府を持つ国民にとっては立派な悲劇なのです。




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