2011年5月5日木曜日

2:ドイツ市民の哀悼する能力


地震と津波の犠牲者を追悼する日本大使館の半旗
 3月26日の反原発デモの報告の続きを、写真を主として続けましょう。
日本の読者のみなさまに伝えたいことは沢山あるのですが、まづは、なによりもドイツの市民の表情をお伝えしたいからです。
この日のデモは、東西ベルリンが統一して街の中心となったポツダム広場から出発し広大な公園を迂回し、ブランデンブルク門近くの締めくくりの集会の場まで12万人が行進しました。

ヨーロッパ諸国では市民運動の10万人規模の抗議行動は、いつもあるわけではないですが、しかしめづらしいものではありません。わたしの体験では、ドイツの戦後史では10万人で政策が脅かされ、50万人で政権が潰れ、100万人で体制が崩壊します。この日のデモは全国で25万人でしたが、これは3月11日の東北大震災による原発事故がドイツへ及ぼした「政治的大余震」であり、メルケル政権の土台が液状化で大きく傾いたようなものです。

では、その市民の表情をいくつか:
ポツダム広場を出発。乳母車、肩車、子供たちが多いですね。家族連れですからワン公も多いのです。犬たちもデモには慣れていますが、その写真はまた。

 お父さんに手を引かれたこの少女は、手描きのロゴのプラカードを持っています。「君が描いたの?」と訊くと、「当たり前でしょ!」と馬鹿にされました。彼女は行動で意思表示をする市民権の自由をすでに満喫しているようです。

 この子たちは市民団体のポスターです。「これ何語?」「日本語だよ」、「何と書いてあるの?」「Atomkraft? Nain Dankeだよ」。彼女らが初めて知る日本語の文字かもしれません。
(ちなみに、後ろでカメラを廻しているのは取材する日本人を取材するテレビジャーナリストです。3・11以降、立場が逆転して取材されることになってしまいました)


ブランデンブルク門近く大通りを埋めて集会に集まった12万人

その前に、デモ行進から寄り道をして、日本大使館へ行ってみました:
 大使館の通用門前には、3・11以降、大勢の市民が花とロウソクをもって地震と津波の犠牲者を追悼しました。2週間後のこの日も弔問の市民の姿は続いていました。





花で作られた日独の国旗があります。




犠牲者への追悼の言葉が見られます



ひざまついて静かに追悼する市民の姿があります。



このような、市民の姿をみてふと思い出したことがあります。2005年の新年の官邸での首相記者会見のことです。
その前年の2004年の暮れに起こったスマトラ沖大地震と大津波で、インドネシアを始めインド洋沿岸諸国に大きな被害がでました。クリスマス休暇で保養に行っていたドイツ人も多く犠牲になりました。この災害にドイツ市民が示した共感は非常に大きかったのです。被害諸国への救援活動は迅速かつ感動的なものでした。また一般市民が拠出し集まった義捐金が諸国の中でも飛抜けて巨額であったのです。文字どおり子供から年金生活者までの貧富を問わないひとびとの寄付金が膨大な額となり、国際世論で話題となっていました。

そこで、年頭の記者会見で当時のシュレーダー首相に「なぜこれほどドイツ人の共感が大きいとお考えですか」と質問してみました。打てば響くように返ってきたのは「それはドイツ市民の哀悼する能力によるものです」との歯切れ良い言葉でした。

戦後長くドイツ社会はナチ時代の「犠牲者を哀悼する能力が欠落している」と他から非難され、自らも非難してきた苦難の歴史がありました。政治的立場を超えて、社会の大半が、ようやくそれを自覚し心に刻むことができるまでには、戦後世代が社会の中枢になるまでの長い時間が必要でした。首相の簡単明瞭な回答には、その歴史の体験があるのです。会見を終えた首相は、すれ違いざまににっこり笑って、わたしの肩をポンとたたいて執務室に引き揚げたものです。

この「ドイツ市民の哀悼する能力」は、日本の大地震と津波の被害に対しても示されていることが、大使館前の光景でもうかがえます。しかも大原発事故まで加わったためにより大きいものがあります。

今年は、日独国交締結150周年の記念すべき年です。ベルリンでも大使館を中心に多くの行事が計画され始められていました。よりによってこの年に大使館の国旗が半旗になろうとは残念なことです。
しかし、この現実は受け入れざるを得ないものとして、日本大使館は一般市民の弔問にも、通用門外ではなく、せめて構内の建物正面横の半旗の下に献花をしていただくぐらいの配慮があっても良いのではないでしょうか。慣例かも知れないが、東洋君子の国としては、外交儀礼を失しているように思えます。

ラジオを聴きながらこれを書いていると、昨日(5月4日)グリーンピースの人たちが、大使館を訪れて
「福島県の子どもたちを放射線被害から保護するように日本政府への要請文を手渡した」とのニュースがありました。地元公共ラジオは通用門前で待ちうけ、要請文を大使館員に手渡して出てきた代表のチマーマンさんにインタヴューしています。
彼曰く「日本政府が設定した被曝許容値上限20ミリシーベルト/年間というのは、ドイツの原発労働者の上限と同じで、これをもっとも被曝しやすく外で遊ぶことの多い子供たちにあてはめるのは心配でなりません。大使は不在でしたが、要請文は渡して返事もするとのことでした。」

このドイツ人の心遣いが「未来への哀悼」の現れであることが、日本政府に理解する能力があるか否か注目したいものです。原発災害とは未来に対する災害であるのですから。




























1 件のコメント:

  1. ドイツの市民の方が、日本での震災に哀悼の気持ちをあらわしてくださっている様子を知って胸が熱くなりました。ドイツは、もともと大好きな憧れの国ですが、さらに大好きになりました。ブログこれからも期待しています。

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