2018年11月2日金曜日

353:メルケル首相の戦略的撤退宣言はなぜ立派であるのか

 ドイツのメルケル首相が、今週の月曜日の10月29日に「12月に予定されている党大会では党首への立候補はしない。首相の職は次の総選挙までの2021年秋までは続けるが、それを機に政界から一切引退する」と宣言したため、今年で13年になる「メルケル首相時代の終わりの始まり」として世界中で大きく報道されました。

「撤退宣言」を表明するメルケル首相
この記者会見は、前日に行われたヘッセン州の州議会選挙での自党CDU・キリスト教民主同盟の大敗を受けたものです。同党はこの選挙でかろうじて第1党の立場を保持したものの得票率を11%以上失い同州で史上最低の27%まで落ち込んでいます。
 その主な原因が2015年の難民問題以来のベルリンの連邦政府の連立与党間の引き続く不和混乱の結果であることへの責任を取ってのこの日の宣言となったものです。

 この日のヘッセン州州首相との共同記者会見(写真)の全動画(約35分)は公共テレビの報道チャンネル・フェニックスのビデオで見ることができます。こちらです。

PressekonferenzCDU zur Wahl in Hessen und zum Verzicht von Merkel auf den Parteivorsitz am29.10.18

 さて、膨大な世界中の報道の中でも、特に日本での報道に重要な点が幾つか不足していると思われますので、ここではその内の2点ほどを指摘しておきます。

 まずこのメルケル首相の撤退宣言は、長い伝統のある国民政党としての自党の大幅な衰退を回復するために党首として熟慮した上での冷静な撤退宣言であるということです。
この日の記者の質問に答えての発言によればこの決断をすでに「夏休みに入った(7月下旬)にした」とのことです。つまり二ヶ月以上も側近にも漏らさず、タイミングだけを待っていたようです。
 そのためドイツメディアでも大きな驚きを持って受け止められました。

 というのは、ドイツの戦後政治史に決定的な足跡を残した、初代アデナウワー首相、ブラント首相、シュミット首相、コール首相、またシュレーダー首相など歴代の首相たちも誰一人として自発的に撤退を宣言した人物はおらず、すべて総選挙敗北や政治スキャンダル、議会での不信任案可決などでやむを得ず辞任に追い込まれており、そこまでに行く前に撤退決意を宣言するのは、メルケル氏が史上初めてのことだからです。
 
 しかも彼女はこの日の宣言で「わたしは重大な党首と首相職を長年続けることができたことを感謝しており、この公職の尊厳にふさわしいかたちで政治からも辞任したいと考えてきました」と述べています。
 ドイツの多くの主要メディアでもこの姿勢を高く評価するものが多くありますが、わたしもこの言葉は、非常に立派であり、メルケル首相の歴史的価値を長期的にも固める質のものだと受け止めています。
 彼女の大胆な政治決断にはしばしば驚かされましたが、この宣言はおそらくその最終章でしょう。
  
 同党の本部で行われた記者会見にわたしは参加したかったのですが、ほぼ直後に行われた緑の党の党首らの同じく選挙結果を受けての記者会見を優先して、そちらに向かいました。これがその時の写真です。
緑の党共同代表ベアーボックさん(右)
というのも、二つ目として、その2週間前の10月14日に行われたバイエルン州での州議会選挙でもヘッセン州と同じく、キリスト教社会同盟と社会民主党の二大国民政党が、いずれも極右政党の「ドイツのための選択肢」と緑の党に大量の票を奪われ、歴史的敗北を遂げたからです。極右政党の躍進はこれまでも大きく報道され予想通りでしたが、しかし緑の党の躍進はそれを凌駕するほどのものであるからです。同党は得票率をほぼ倍増し、バイエルン州ではSPD・社会民主党をはるかに上回り、伝統的にSPDの強いヘッセン州では19・8%で同党と並びました。この州ではこれまでどおりの黒緑連立政権でより発言権を増すことになることがまず確実です。
 
 そしてこの傾向が、次の連邦総選挙では緑の党の連邦政権参加が現実的になると予想できるからです。わたしとしてはこれを見逃すわけにはいかないので、注目しているというわけです。
 この記者会見で緑の党の連邦共同代表のベアーボックさんは、メルケル首相の宣言に関して「わたしは、男社会の強い保守政党の中で18年も党首を続けたメルケル首相の、大変な苦労がよくわかります。彼女のその努力は敬意に値するものです」と女性政治家としての賛意をまず述べています。
 メルケル首相は64歳、ベアーボックさんは38歳です。政治的立場は異なりますが、親子ほどの年齢差のあるこの二人の女性政治家の連帯感を見逃すことはできません。

 緑の党は首脳陣の若返りを遂げ、この二つの州選挙では第二党に進出、また多くの大都会(ミュンヘン、フランクフルトなどの)では第一党となっています。また、全体の女性票は革新派への投票率が過半数で、男性票は保守派へが過半数となっています。すなわちドイツでも女性のほうが先進的であることが明らかです。

メルケル撤退宣言を受けてのドイツ主要新聞
以上日本の報道では見過ごされている点を二つだけ簡単に指摘しておきます。

 今後のドイツの政局も世界的な政治経済の変動期に面して、当分は予断を許さない不安定な情勢が間違いなく続くことになりますが、これに関しては、しかるところで詳しく報告するつもりです。
最近では、『世界』の本年の9月号に⇨「 難民とポピュリズムで揺らぐ欧州連合とドイツ として寄稿しています。
 そこで報告した夏休み前の記者会見の時にメルケル首相は、この決断をするようなそぶりも全く示さなかったことを思い出しています。

 いずれにせよ、彼女の撤退宣言がいかなる重い意義を持つかは、ドイツにおいても時間をかけて認識されることになるでしょう。立派な政治家です。

 ついでの余談ですが、彼女の記者会見のあった10月は月末も高温で、この夏の気候変動の続きだとされ、ドイツでは稀な「黄金の10月」 として美しい黄葉の光景がベルリンでも見られています(下の写真は今週わたしが散歩がてら撮影したものです)。
  実はこの好天は1989年の同時期の天候に匹敵するものであると報道されています。
 その秋にはベルリンの壁が崩壊し、世界情勢に大変動がおきました。さて、今回は何が起こるのでしょうか? 気候変動も人心を規制しますから。


 今年はドイツ史では1918年の第一次世界大戦での敗戦に伴うドイツ革命の勃発と皇帝の失脚から100年です。メルケル首相のこの撤退宣言は、歴史の偶然とはいえ、避けられない敗戦に面して、皇帝の辞任が公然と論じられ始めたちょうど100年めにあたります。そして11月3日にはキール軍港の水兵の蜂起が起こり軍人と労働者の蜂起は全国に広がり皇帝はオランダに亡命する事態となりました。

 しかしながら、それによって成立したワイマール共和国の民主主義は無残に敗北し、ナチスの台頭を招き、ドイツは中世の30年戦争以来の壊滅を体験しました。
 それから50年後の1968年は、ドイツでも学生を中心とした文化革命が始まり、ドイツ社会はこの苦い教訓から民主主義の定着に努力を続けて史上初めての民主主義をそれなりに根付かせることに成功しています。しかしながら、それからさらに50年後の今、極右勢力が連邦議会まで進出する反動期に入っています。
 
 そこで、それに対抗するこれまでにはない民主主義実現への厳しい社会闘争が、実はすでにダイナミックに始まっています。しかしながらこれに関する報道は日本では皆無です。 理由は簡単で、日本のメディアはそれを伝える力も余裕もないのが現実だからです。
わたしとしてはこれを見届けなければなりませんね。時間を見てその紹介もここでしたいと考えています。