2011年8月15日月曜日

19:国が切り裂かれた日1961年8月13日

日本でも報道されたように。昨日8月13日はベルリンの壁が構築された50周年記念日でした。
1961年のこの日から89年11月9日の崩壊まで、ベルリンを分断しただけでなく、ドイツそのものをふたつに引き裂いた壁が撤去されて20年以上を経ても、これがドイツ社会に残した傷は、いまだに癒えることのない痛みを覚える生傷としてあります。
昨晩の公共テレビのニュースは、「この日はドイツ現代史に『刻み込まれた日/eingeschnittener
Tag 』であった」と冒頭に伝えています。ここで形容詞と使われている der Einschnittという名詞は、医学用語で「切開」のことです

実は、ドイツの脱原発へ至る過程で、メルケル首相はフクシマの事故について当初は「フクシマはZäsur/区切り」であると表現していました(第3回を参照してください)。ところがしばらくして、首相以下政府の表現が「Einschnitt」へと公的表現が統一的に変えられています。以来、政府声明や国会の議論に頻繁に出てくるこの言葉を、日本語でどのように伝えるかについて、わたしは苦心しました。というのは、この言葉がドイツ政府のフクシマへの見方と決断の実はキーワードであるからです。

「フクシマは転機でした」と一般的に翻訳することもでき、これは確かに判り易いのですが、単なる「転機」以上の深い切り込んだ意味があるのです。そこで『世界』8月号の寄稿では、倫理委員会の報告書や首相発言に頻発したこの言葉を「切れ目」と翻訳しました。「メスで切開する手術」の意味があるからです。つまり 首相以下ドイツ政府の決断の深さがこの一語に表現されているのです。不可逆の決断をひと言で表現しているからです。

壁が構築された日も、「歴史の切れ目」でした。しかしそれは、脱原発とは対極で、大きな犠牲をもたらした悲劇的な切れ目でした。国と国民が、家族が、親子兄弟が切り裂かれた日でした。写真でその50周年の様子を伝えましょう。冒頭の花輪は、この日、壁の犠牲者に捧げられた花輪のひとつです。

作日のベルリンは悪天候の続くこの夏としてはめずらしく、好天に恵まれた1日でした。中央駅のホームから議員会館越しに見える国会の屋上のドイツ国旗もベルリンの壁を越えようとして命を落とした、すなわち殺された人々を追悼して半旗となっています。






これは壁を保存してあるベルナウワー通りの壁記念施設で行われた中央記念式典の写真です。
ちょうど正午にはベルリン中の教会の鐘が鳴らされ、全市で一分間の黙祷が行われました。公共交通機関も3分間停止しました。その時の写真です。式典に集まった市民は10000人と報道されています。

Bernauer Strasse am 13,August 2011 um 12Uhr
その時の一部拡大写真です。犠牲者に献花したベルリン市長、連邦大統領、連邦首相、両院議長らが黙祷している姿です。

この写真は、通りの反対側にある記念館の展望台からその時を撮影したもので、公共テレビの実況中継のカメラと、内外の通信社2社のカメラマンとわたしだけが、このアングルから撮っています。








式典のそばからの写真はシュピーゲル誌の電子版で見て下さい:http://www.spiegel.de/fotostrecke/fotostrecke-71565.html
 ここではワイツゼッカー元大統領も杖を手に参加されている写真も見えます。

黙祷の後に国歌が斉唱されたのですが、続いて「Die Gedanken sind frei/思想は自由だ」という、200年以上の伝統のある学生歌が合唱されました。この古い歌謡はナポレオン支配下に広がり、1848年には革命歌となり、さらに歌い続けられ、1989年の東ドイツの民主革命でも歌われたものです。
追伸15日:白バラ抵抗運動で兄のハンスとともに死刑になったソフィー・ショルが、1942年の夏に彼らの父親が、自宅の事務所でヒトラーへの悪口を言ったことが密告されゲシュタポに逮捕され懲役4ヶ月の刑に処せられたことがあります。それまでナチス少女団/ヒトラーユーゲントの女性組織に積極的に参加していたソフィーが反ナチに変わったのはこの事件が契機になったのではないかとの説が、最近の研究で出てきています。確かなのは、ソフィーは収監されている父親を訪ねた際に、牢獄の壁の外から父親に聴こえるように、フルートでこの曲を吹いたとのことです。)
今でも権力の横暴に抵抗する歌として愛唱されています。これを大統領以下国家首脳が、市民と一緒に合唱する光景は、この国の民主主義の成熟度の現れであると言えましょう。

素朴で単純な歌詞ですが、日本語の定訳が無いようです。不思議なことです。
以下でいくつかの実例が聴けます。中国語の対訳があるのが面白いところでしょう:

http://www.youtube.com/watch?v=2Bcsi1_UW5k&nofeather=True
http://www.youtube.com/watch?v=-cwJQlsUf7U&nofeather=True


もちろん、政府首脳だけでなく、多くの市民団体も多くの花輪を壁際に捧げました。

式典の後、ヴルフ連邦大統領、ヴォヴェライトベルリン市長らが、なかなか良い演説をしたのですが、これには立ち入りません。続いて歴史の体験者のお年寄りたちが同じ舞台で証言をしたのですが、多くの年配の市民に混じって、若い市民や子どもたちも実に熱心に聞き入っていました。この様子もベルリンの公共テレビで実況中継されています。
このようにして、子どもたちも歴史の現場で、体験者の言葉を生で聴く体験を積み重ねるのが、ドイツの教育方です。
歴史の証言に聴き入る市民
 さて、ここベルナウワー通りの壁の現場は近年整備され、ベルリンの壁で命を落とし、これまでに判明している136名の犠牲者の記念碑もあります。

最後の犠牲者ふたりの顔写真ですが、右のクリス・ゲフロイさんが西ベルリンへの運河で射殺されたのは1989年2月5日、壁崩壊の9ヶ月ほど前でした。20歳でした。

ちなみに、花やロウソクとともに供えてある小石は、ユダヤ教徒が墓参で「忘れない」ことを示すために墓石の上に小石を置く風習が、ドイツで一般にも広がったものです。ドイツ人は政治教育でユダヤ人を追悼する行事にしばしば参加しています。そこからユダヤ人以外の歴史の犠牲者にも「あなたを忘れません」との意思表示が定着してきたのです。近年のことです。







2011年8月8日月曜日

18:ヒロシマ忌に寄せて:世界共通語のヒバクシャと日の丸

  昨日6日のヒロシマ原爆忌については、ドイツでも早朝からニュースでかなり詳しく伝えられました。もちろんその主な内容は記念式典でほ菅総理が脱原発依存に踏み込んだ追悼の辞を述べたことです。
 いくつかの代表的な電子版を紹介しましょう。

これはドイツ公共第一テレビの第一報です:
http://www.tagesschau.de/ausland/hiroshima158-magnifier_pos-1.html
ここでタイトルに使われているdpaのヒロシマからの反原発デモの写真のキャプションは、
「追悼に混じる怒り:66年前の原爆投下の追悼での原子力発電への抗議:
Unter die Trauer mischt sich Wut: Proteste gegen Atomkraft beim Gedenken an den Atombombenabwurf auf Hiroshima vor 66 Jahren. (Foto: dpa)」となっています。

シュピーゲル誌の電子版:
http://www.spiegel.de/panorama/gesellschaft/0,1518,778708,00.html
同誌の電子版の写真は画質もよく多岐に渡ることで世界でも上ランクですが、ここでも前日の朝鮮人被爆者の追悼の写真も含めて12枚を掲載しています:
http://www.spiegel.de/fotostrecke/fotostrecke-71292.html

本日7日には、東京での6日脱原発デモで逮捕者がでたとの情報が市民運動から伝わってきました。
さっそくYu Tube での逮捕時の映像(例えば: http://t.co/GHUkRou  )を見ますと、これでは警察官のデモであるようなので呆れました。市民の平和な抗議行動、憲法で保障された基本権を敵視しているとしか言えない酷いものです。
ベルリンでは毎週のようにありとあらゆる大小のデモが行われ、時には逮捕者もでますが、このような平和的なデモ参加者を逮捕したら、警察は間違いなくメディアから袋だたきに遭います。それでも過剰警備が起こりデモ隊に負傷者が出て、警察官が罰せられるケースがあります。そこでベルリンではドイツで初めて、警察官に名札あるいは番号を制服に付けることが先月から義務づけられました。警視庁の警察官にも義務づけるべきでしょう。警察官の振る舞いはその社会の民主度のバロメータのひとつです。
ちなみに、ドイツでは当然ですが警察官の労働組合もちゃんとしており、彼らも待遇改善などでデモを行います。

さて、フクシマの事故で、ようやく日本でも「原発事故による被曝と原爆による被爆が同じことである」との認識が定着しつつあります。そのとおりで世界では放射能被害者はすべて「ヒバクシャ」なのです。
被爆と被曝の区別はありません。
この写真を見て下さい。
2011年4月9日ベルリンIPPNW国際会議
これは今年4月初旬にベルリンで開催されたノーベル平和賞受賞団体「核戦争防止国際医師会議(通称:反核医師の会)・IPPNW」の反核国際会議でのものです。
大きな舞台の脇に「HIBAKUSHA」が出た世界中の主な地名と国名が列記されています。
上からウラン採掘鉱山、核兵器(核実験と原爆投下)、原発など原子力施設の地名が色分けして列挙されています。
ヒバクシャが世界中に存在していることが示されていますが、日本の地名はHIROSHIMA,NAGASAKI,TOKAIMURAに加えて、すでにFUKUSHIMAが挙げられています。

ここにひとつだけ挙げられているドイツの地名、WISMUT・ヴィスムートというのは、旧東ドイツのウラン鉱山の地名です。ここは、第二次世界大戦直後、ソ連邦が占領しウランを採掘しました。ソ連の最初の核兵器はここのウランから製造されたといわれています。
1990年の冷戦終了まで鉱山は営業され、多くのヒバクシャが出ました。鉱山労働者だけでなくこの地域一帯がラドンなどで汚染され、一般市民も平均寿命が低下するなどの現在に及ぶ長期的被害を受けています。
わたしもドイツ統一後に、ここの抗内に入ったことがありますが、鉱山そのものよりも地域の環境汚染の凄まじさに息が詰まる思いをしました。
統一後にドイツ政府は膨大な時間と経費をかけて鉱山の閉鎖と地域の汚染除去を行いました。 このように、統一後の諸問題の影で一般にはあまり知られていませんが、ドイツも低レベルの放射線汚染による深刻なヒバク体験をしているのです。しかし、意識の高いドイツの市民たちはチェルノブイリの汚染と重なるこの事実を良く知っています。

だからこそ、以前に紹介しましたようにフクシマの事故の直後から、ドイツ市民は連日、日本大使館や首相官邸前に三々五々自発的に集まり、静かに地震と原発事故の犠牲者に哀悼の意を表し続けたのです。 これらは大規模な反原発デモとは並行して行われています。そこで、わたしは多くの日の丸を見ています。そのいくつかを紹介しましょう。

これは3月14日の午後の首相官邸前での光景です。連日伝えられる津波とフクシマの報道にショックを受けた多くの親子連れの市民が、深夜まで哀悼のため集まっていますが、その中に日の丸を羽織り、ロウソクを手にした4歳ぐらいの少年の姿がありました。大人たちの表情もそうですが本当に深刻に静かに祈っているのです。
日の丸を羽織り祈る少年2011年3月14日ベルリン首相官邸前

それから1週間後の21日の夕刻には同じ官邸前の敷石の上に小さな日の丸があり、それに添えられた1片の紙には次のように記されています:

So wie Flügel einem Vogel gestatten zufliegen wirken wir mit der Kraft des MItgefühls für das Whol anderer
 「翼が鳥に飛ぶことを許しているように、わたしたちは共感の力をもって他者の幸せのために働く」

  文体とオブジェの構成形態からしておそらくひとりの芸術家によるものだとの印象を得ましたが、あえての直訳です。
「鳥に翼があるように人間には共感の力がある」と表現されています。これが震災の犠牲者とフクシマのヒバクシャへの日の丸を掲げてのメッセージです。





2011年3月21日ベルリン首相官邸前


日本でも最近になってようやく、右翼民族派の人たちが日の丸をかかげて反原発デモを行ったようです。
素晴らしいことです。脱原発には右も左もないからです。本当の愛国者なら至極当然の行動です。

これから日本でも次第に拡大するにちがいないデモにも日の丸を掲げて民族派のみなさんも合流してほしいものです。 そこで左派は彼らを排除すべきではありません。今日本が直面している危機は、全社会的なものであり、ヒバクシャは世界的な存在であり、危機の克服も世界的な規模の共感を得て初めて可能なものです。そのことが、ドイツではフクシマ事故の直後から日の丸を羽織った少年の姿に見ることができたのです。
日本の民族派のみなさんにも、遠いドイツの市民に日の丸をとっくに先取りされている事実を知ってほしいものです。

2011年8月3日水曜日

17:ドイツ脱原発法施行・国内放射線量測定値情報公開について/追伸あり

本日の朝刊の報道を読むまで、わたしも気づかずいささか驚いたのですが、ドイツの脱原発法が連邦大統領の決済を経て、昨日8月1日から施行されました。クリスチャン・ヴルフ大統領が7月31日に同法に署名したことを、昨日1日大統領府が発表しています。大統領はそれまでに再生可能エネルギー促進法等、その他の7つの関連法案に署名しているので、これによりドイツは「脱原子力発電・再生可能エネルギー社会建設」の法的基盤を完成したことになります。

ここまで来るのに2000年6月のシュレーダー政権による原発事業主との脱原発合意、2002年の同政権による脱原発法成立からようやく10年ほどを経て、ドイツ社会は自然エネルギー利用による21世紀の持続可能社会への不可逆な第一歩を踏み出しました。
ヴルフ大統領2011年1月19日在ベルリン日本大使館
これが、フクシマの事故の教訓によるものであることは、おそらく世界史に記憶されるのではないかと思います。 大きな節目です。

ヴルフ大統領は、脱原発法案など国家の戦略的重要法案があまりにも急速に、国会で十分でない日程で審議されることを懸念して、民主主義の原則にもとると、公然と厳しく批判し、連邦両議院で可決された後、大統領の権限として「憲法に準ずるか厳密に審査する」と述べていたことから、現時点での署名は意外に早かったとの印象をわたしは得ました。
日本の天皇と違い、ドイツでは大統領が違憲判断により議会決議を経た法案に署名を拒否して、施行を阻止することも実際にあります。国家元首とは飾り物ではありません。憲法を体現する義務を国民に対して負う孤独な重責にあります。
余談ですが、ヴルフ大統領は、戦後ドイツの大統領としてはめずらしく良く日本を知っている親日大統領であるため、神余(しんよ)在ドイツ日本大使の要請にも協力を惜しまない人物です。写真は今年の日独(江戸幕府とプロイセン)国交成立150周年での記念式典でのものです。

 さて、前回はドイツ気象局による、フクシマの放射線汚染予想について解説しましたが、今回はごく簡単ですが、ドイツ国内の放射線量測定値情報公開について紹介します。

ドイツ環境省の正式名称は「連邦環境保護および原子炉安全省」です。一九八六年のチェルノブイリの事故の直後に設けられた同省に、89年にそれまで分散していた放射線防御担当の政府機関を統合して設けられたのが「連邦放射線防護庁」(Bundesamt für Strahlenschuz)です。

ドイツはよく知られているようにチェルノブイリ事故で国土がかなり放射能汚染されましたし、現在でも森の土壌の半減期の長いセシウムなどの汚染値は高いものがあり、イノシシやシカなどの野生動物は食肉として規定を越えるものが多いのです。つまりフクシマ事故で今日本人が体験していることを25年前から体験しているわけです。

さて連邦放射線防護庁の仕事のひとつに国内放射線量測定値情報公開があります。
みなさんここを見て下さい:http://odlinfo.bfs.de/index.php

下のようにドイツ全国の地図に1800カ所 に丸印が見られます。ひとつづつが空気中のガンマー放射線量の測定機器が設置してある場所を示しています。

丸印の色の濃淡で線量を現しています。これは本日の図ですが全国的に多少の濃淡がありますが、いずれも正常値です。

次に自分の住んでいる近くの丸印にカーソルを当てると地名が表示されますが、それをクリックして下さい。例えばわたしの住居に近いベルリンのテーゲル(ここには飛行場があります)の放射線量のグラフが見られます。http://odlinfo.bfs.de/cvdata/110000007.php
上部に13405(これは郵便番号です)BerlinーTegelと地名表示があり、単位はマイクロシーベルト/時です。7月29日と30日に値がやや上昇していますが、これは降雨によるものです。この週は悪天候で雨が続きましたが、放射線量と降雨量はほぼ一致した変化を示します。日本でも最近定着したホットスポットの原因のひとつが降雨であることがよくわかります。

これは画面の上半分の写真ですが、2時間おきの1週間分の放射線量が自動的に記録された測定値がそのリアルタイムで見ることができます。下部にあるもうひとつのグラフは数ヶ月分の記録です。
大都会のベルリン市内で10ヶ所ありますので市民は近所の線量情報をいつでも恒常的に確認できます。

日本でも同じシステムを設置すれば、国土面積からすればドイツの150%にあたる、全国のおよそ2700カ所での測定値が得られることになります。

みなさん、今日本でこのシステムがあれば、フクシマからの汚染に戦々恐々としなければならない状態からどんなに多くの市民が救われ安心できるかを考えてみてください。これは予測値ではなく実際の測定値なのです。
 汚染度が高い地域は丸印が青から赤になりますので、農家や学校ではこれほど重要な判断情報はないはずです。 このような情報公開こそが日本の住民にとって緊急で最も必要なものであることは言を待たないでしょう。

世界でも最悪の原子力施設であるプルトニウムをナトリウムでくるんでいる高速増殖炉「もんじゅ」の維持費は1日で5500万円です。 六ヶ所の核燃料再処理施設の維持費はもっと高額でしょう。
世界でも最悪の核施設であるこれらの施設の経費の数ヶ月分もあれば、十分にこのような施設は実現できるはずです。
原子力国家として狂っている日本が正気にもどれば、まずなされることの最初のひとつがこれだと思います。

ドイツ人の大半は自らの歴史体験から、国家社会が狂えば取り返しのつかないことになることを忘れてはいません。脱原発への全社会的なコンセンサスがフクシマで一挙に成立したのも、このような歴史体験が大きな背景としてあるのです。
だからヒロシマ・ナガサキを体験した日本がフクシマの愚を重ねたことが、ドイツ人にはまるで理解できないのです。

=============
追伸です。
一夜明けてみると、以下のような報道がありました。NHKの報道を一部引用します:
 (以下引用)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110803/k10014661261000.html
政府 原子力安全庁設置へ試案 8月3日 12時19分
政府は、東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けた原子力行政に関する組織の再編について、原子力安全・保安院を経済産業省から分離し、環境省の外局として「原子力安全庁」を設置するとした試案をまとめました。
試案によりますと、原子力の安全を広く確保するためには関連する業務を一体的に行う必要があるとして、現在の原子力安全・保安院の原子力安全規制部門を経済産業省から分離し、環境省の外局として「原子力安全庁」を設置するとしています。 
具体的な任務としては、▽原発事故発生時の初動対応、▽放射線量の調査「モニタリング」、▽放射性物質の規制、▽核テロ対策といった治安機関との連携などを実施するとしています。
(引用終わり) 


すなわちドイツ政府が上記のように1989年に放射線防護庁を設置したとほぼ同じことを、ようやくやろうとしているのです。任務に「放射線モニタリング」もあるので、ドイツの方法が大きな参考になるでしょう。ついでですから、この試案の責任者である細野豪志原発事故担当相への参考としてドイツ環境省の放射線防護庁の長官を紹介しておきます。

ケーニッヒ長官2011年6月ゴアレーベンで
ヴォルフラム・ケーニッヒ(Wolfram Köniig)長官は緑の党です。
同党のトリッティン氏が環境大臣であった際に右腕として長官に就任し、庁内の信頼が絶大であることもあり、保守政権になっても追い出されることはないのです。
6月にゴアレーベンのハイレベル放射性廃棄物処理施設予定地を視察し、長官に抗内まで案内してもらったのですが、この施設を囲むフェンスにかつてあったデモ隊対策の放水銃がないので、わたしが「どうしたのか」と出迎えてくれた彼に訪ねると、「あれは就任して直ぐ撤去させた。あんなものは民主主義に反するものだから。本当はフェンスの上の鉄条網も全部撤去したいのだが、警察が警備のために必要だと主張するので、しかたなくそのままにしてある」とのことでした。
彼が長官になってからの同庁のスローガンは「人間と環境への責任/Verantwortung für Menschen und Umwelt」です。ホームページでもロゴのように見られます。これを信条とする長官らしい言葉です。市民を放射線から守る直接の最高責任者がこのような人物であることを以上簡単ですが紹介しておきます。

ひるがえって、日本の保安院のありさまはどうでしょうか。
もうひとつ本日以下の時事通信の報道があります:

(以下引用)
 http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011080300227
保安院の解体要求=社民党首
社民党の福島瑞穂党首は3日の党常任幹事会で、経済産業省原子力安全・保安院の「やらせ質問」問題に触れた上で、「(経産省から)単に保安院を形式的に分離するだけでは駄目だ。規制官庁であるにもかかわらず、(原発を)推進してきた保安院は解体しなくてはいけない」と述べた。(2011/08/03- 10:41) 

(引用終わり)

わたしからみれば、「やらせ」を確信犯として行った保安院などは解体は当たり前であるだけでなく、「やらせ」は立派な刑法の背任罪に相当するのではないかと思います。福島みずほさんは、弁護士なのでその点も検討してほしいものです。日本ではドイツと違い背任罪は未遂でも成立するので、彼らを告発することはできるのではないでしょうか。 国民の膨大な生命と財産に損害を与えた保安院を罰することのできない社会は、到底法治国家とはいえません。どうでしょう?
その上ではじめて、国民を守るべき官庁が人を得て充実し機能するのです。

2011年8月1日月曜日

16:ドイツ連邦交通省気象局の放射能汚染予測中止について

ここ数日間、日本の特に小さな子供のあるお母さんたちが頼りにしているドイツ気象局(DWD)によるフクシマの放射線粒子の拡散予測が7月29日で中止になってしまったので、何とかならないかという問い合わせが引き続いています。

これが7月29日の最終のシュミレーションです:
http://www.dwd.de/wundk/spezial/Sonderbericht_loop.gif
ここには左下に赤字の独英語で「必要があれば再開する」旨が記されているので、中止により信頼できる情報源を失って不安になった方々が再開を望まれるのはよく理解できます。

そこで、この役所について以下の解説をしておきます。
この役所は連邦政府の「ドイツ連邦交通・建設・都市開発省」の一局で正式の名称は「ドイツ連邦交通省気象局」で、フランクフルトの近くのオッフェンバッハにあります。HP:
http://www.dwd.de/bvbw/appmanager/bvbw/dwdwwwDesktop?_nfpb=true&_pageLabel=dwdwww_start&_nfls=false

この役所の業務は「ドイツ気象局に関する法律」 (Gesetz über den Deutschen Wetterdienst )で規定されていますが、なぜフクシマの汚染拡散シュミレーションを行ったかの根拠もこの法律にあります。

ここで根拠となる条項は主として以下のA)およびB)の二つです:

A)同法第4条(任務)の第1項の2:
2.  die meteorologische Sicherung der Luft- und Seefahrt,
空路および海路の航行の気象上の安全
(ドイツの航空機と船舶の航行安全の確保。これがこの役所がなぜ交通省の1局であるかの根拠です/梶村解説)

B)同第1項の7:
7.  die Überwachung der Atmosphäre auf radioaktive Spurenstoffe und die  Vorhersage deren Verfrachtung,
大気中の放射性微量元素の監視とその運搬の予報 
 (これがフクシマ事故によるシュミレーションの気象局任務履行の根拠です/梶村解説)

わたしの記憶では、ドイツ外務省は確か3月12日か遅くとも13日に在日ドイツ人に対して 、できるだけ早急に関西、九州方面への避難、あるいは日本からの出国を勧告し、大使館も大阪に避難しています。またルフトハンザ航空は成田への乗り入れを停止し、長い間ドイツからの成田便はソウルで別便に乗り換えの処置をとりましたが、これらは予想された航空機と乗員の被曝を避ける処置です。
同時にドイツ大使館は出国を希望するドイツ人のために関西空港に特別の窓口を設けて帰国の便宜を図っています。日本滞在中の国費留学生は全員一旦ドイツに帰国させました。
これらの処置の判断の根拠になったひとつが気象局による予報です。 

また近いうちにここで詳しく書きますが、ドイツ環境省は3月11日の夜(日本時間12日早朝)に「福島第一でメルトダウンが起こる可能性は高い」と正確に判断したことを、わたしはレットゲン環境大臣から最近になって直接聴きました。

 さて、気象局によるシュミレーション の中止と「必要があれば再開する」との赤字注意書きですが、おそらくフクシマの放射能汚染拡散が、比較的「安定」して変化がないために中止の判断をしたものと推定できます。しかしフクシマの状態が悪化し、汚染が拡大するようであれば直ちに再開されることは間違いないでしょう。
理由は日本滞在中のドイツ人の安全確保のためには、上記のように気象局は法律の任務を負っているからです。再開の可能性、すなわち事態の悪化の可能性を認識しているからの注意書きです。ということは、再開されれば汚染拡散が深刻であると言うことです。 

したがって、再開を願われる被災地と近郊のみなさんのお気持ちは良くわかりますが、本来は日本政府にこのような予報を続ける当然で基本的な義務があるのです。
たとえば東京都内が福島市ほどに汚染される可能性が、これからも長期にわたって続き、不安のなかで生活せざるを得ないのが現実です。したがって、技術的には十分可能ですから、日本政府に汚染予報を要求するのが、まずもっての順序であると思います。

ただし、日本政府がその必要性を認識しながらも 直ぐには実現できないならば、ドイツ政府に連帯を依頼すれば、上記法律の第4条第3項には「外国との気象上の協力もする」とあるので、喜んで協力してくれることも間違いないでしょう。要するにそれだけの政治判断ができる政治家がいるかいないかの問題なのです。
もっとも永田町のサーカスのノミたちには期待するのは無理でしょう。本当に日本の政治の惨状には情けなくなります。







2011年7月22日金曜日

15:Ausstieg aus der Lebenslüge

 ベルリンで発刊されている環境、政治、経済の季刊誌「ZEO2」がフクシマ特別号を6月に発刊しています:http://www.zeozwei.de/
編集長はTageszeitung(TAZ)で長年環境問題の専門家であったマンフレッド・クリーナーさんですが、彼が4月29日にわたしにインタヴューをして以下の記事を書いています。
「明日うらしま」のドイツでの読者も多いので以下転載しておきます。


 わたしの発言から採ったタイトルは「人生の嘘からの撤退」とでも訳せますが「人生の嘘」という概念が日本では定着していないので「生きるための嘘/錯覚」とでも翻訳した方が良いかも知れません。この言葉の意味についてはついては、→続きの別項で解説したいとおもいます。 


Japan braucht Zeit und Mut für die Exitstrategie           von Manfred Kriener
 

Ausstieg aus der Lebenslüge

Nach der Standpauke von Nobelpreisträger Ooe: Wird Japan aus der Katastrophe lernen? Regierungschef Kan bleibt trotzig auf Atomkurs, aber der Schock von Fukushima sitzt tief


Mit hoher Geschwindigkeit rasen Autos durch evakuierte Gebiete. Die Scheiben sind sorgsam hochgekurbelt, dahinter Menschen in Schutzanzügen, Rückbank und Kofferraum vollgestopft mit Geschirr, Kleidern, Vogelkäfigen. Zwei Stunden bleiben jeder Familie, um das Wichtigste aus verlassenen Häusern zu holen. Danach herrscht Stille. Nur ein paar Hunde jaulen noch in menschenleeren Straßen. Es ist ein letzter, amtlich erlaubter Blitzbesuch vor Inkrafttreten der Sperrzone. In den nächsten Jahren, vielleicht Jahrzehnten, dürfen 180.000 Menschen nicht mehr in ihre Heimat zurück.

Es ist als würde man ein Loch in die Landkarte brennen. 20 Kilometer rund um die Atommeiler Fukushimas sind seit 21. April verbotenes Terrain. Bis zu 30 Tage Gefängnis drohen bei Verstößen. Zuvor waren immer wieder Menschen in den evakuierten Gebieten aufgespürt worden. 3.370 Häuser hatte die Polizei Anfang April durchsucht, 63mal war sie auf Bewohner gestoßen, die der Strahlung getrotzt hatten. Lieber sterben als flüchten!

„Japaner sind sehr sesshaft“, erklärt Taichiro Kajimura. Der seit 1974 in Berlin lebende Politologe und Journalist beobachtet seit Wochen wie elektrisiert die Katastrophe. Er hat einen eigentümlichen emotionalen Mix bei seinen Landsleuten entdeckt. „Natürlich gibt es viel Wut darüber, was passiert ist, aber auch „diese große Ohnmacht.“ Kajimura erkennt „deutliche Schamgefühle“ und einen „Zustand tiefer Depression“. In den ersten Tagen war der 64-jährige Wahlberliner, wie die meisten Japaner, ganz von der Angst um Verwandte und Freunde beherrscht gewesen. Die Enkelkinder der Schwester in Tokyo wurden eilig in die USA ausgeflogen, andere Kinder aus der Verwandtschaft Richtung Osaka evakuiert.

Nach dieser Akutphase der Trauer und der Sorge um die Liebsten kehrte langsam der nüchterne Blick auf die Katastrophe zurück. Kajimura ist Energieexperte, er kennt den deutschen Atomstreit genauso gut wie den japanischen Atomkonsens. Wie konnte man ausgerechnet in dem am massivsten durch Erdbeben gefährdeten Land der Welt 54 Atommeiler in geologisch teilweise superaktiven Gebieten bauen? Wie konnte man sich nach den 250.000 Opfern von Hiroshima und Nagasaki in ein atomares Energiegefängnis einmauern? Die Antwort ist bekannt: Japan wollte das Leid der Atombomben in etwas Gutes verwandeln. Der wirtschaftliche Erfolg sollte die Leichenberge zudecken – mit Hilfe der friedlichen Atomtechnik als Motor eines rohstoffarmen Landes. „Alle haben diese Lebenslüge geglaubt, jetzt ist sie offenbar geworden, deshalb diese Fassungslosigkeit“, sagt Kajimura.

Eine japanische Besonderheit ist auch die Nicht-Reaktion auf Tschernobyl. Die Strahlenwolke der Ukraine hat Japan nie erreicht, weder materiell, noch politisch. So wuchs der japanische Atomstromanteil rasant weiter, während Öl-gefeuerte Kraftwerke, die 1980 noch 43,3 Prozent der Stromversorgung deckten, auf 8,1 Prozent (2005) zurückgingen. Im Mai 2006 hat Japan den letzten nationalen Atomplan verabschiedet. Zielmarke: 40 Prozent Kernkraft im Strommix bis 2030. Laufzeitverlängerungen auf 60 Jahre gehören ebenso zur Atompolitik wie der Einsatz von Schnellen Brütern und Wiederaufarbeitungsanlagen, um Plutonium zurück zu gewinnen. Japan ist in jeder Hinsicht Atomhardliner.

Wie soll es jetzt weitergehen? Kajimura lässt sich Zeit mit der Antwort. Deutschland habe eine ganze Generation gebraucht, um die Naziherrschaft zu verdauen. Jetzt stecke Japan in der größten Krise nach dem Krieg und werde ebenfalls eine ganze Generation brauchen, um die zweite große Niederlage des Landes, von der jetzt viele reden, zu bewältigen. Aber Kajimura ist optimistisch. Zum ersten Mal sei in japanischen Zeitungen Ende April der Begriff „Ausstieg“ aufgetaucht und die Resonanz auf die deutsche Energiewende sei gewaltig. Regierungschef Kan habe zwar trotzig sein Festhalten am Atomkurs beteuert, aber Kajimura ist dennoch sicher: „Einen weiteren Neubau von Kernkraftwerken halte ich nach Fukushima für unmöglich.“

Ein Beleg dafür sind die erstaunlichen Aussagen des japanischen Nobelpreisträgers Kenzaburo Ooe im New Yorker und in der französischen Zeitung Le Monde. Der große alte Mann der japanischen Literatur hat seinen Landsleuten ungewöhnlich heftig ins Gewissen geredet. Seine Standpauke gipfelt in der Aussage, dass der japanische Atomkurs „Verrat an den Hibakusha“ sei, den Atombombenopfern, die in Japan fast den Status von Heiligen haben. Für Kajimura ist diese Aussage der Beginn eines langsamen Umdenkens, auch wenn seine schockierten Landsleute das ganze Ausmaß der Atomkatastrophe noch nicht begriffen hätten.

Und die Alternativen? Bei den Erneuerbaren Energien habe Japan „20 Jahre geschlafen“ und die technologische Führung, die man noch Anfang der 90er Jahre auf dem Solarsektor besaß, verspielt. Kajimura fordert auch auf diesem Gebiet Geduld für Veränderungen. Die Potenziale, vor allem für Windkraft, Gezeitenenergie und Geothermie – das ganze Land ist gespickt von heißen Quellen – sind allerdings gewaltig.

„Das Lernenwollen aus der Katastrophe wird groß sein“, prophezeit Udo Simonis, Japankenner und Herausgeber des Jahrbuchs Ökologie. Simonis erinnert an den umweltpolitischen Schlingerkurs des Landes, der unter Druck bisweilen große Erfolge feierte: So wurde der Smog über Tokyo schnell und nachhaltig bekämpft, der Katalysator frühzeitig eingeführt, und japanische Richter seien zu radikalen Umweltschützern geworden als die schweren Quecksilber- und Cadmium-Vergiftungen durch die rücksichtslose Industriealisierung der Nachkriegsära offenbar wurden.

Also doch noch Chancen für die Energiewende im Land der aufgehenden Sonne? Kajimura: „Langfristig wird Japan umsteigen, davon bin ich fest überzeugt“, aber jetzt müssten erst Regenzeit und Taifun-Saison überstanden werden. Im Juni kommen die ersten schweren Stürme. Nicht auszudenken, wenn es wieder Fukushima treffen sollte.



掲載誌:ZEO2 フクシマ特別号2011年6月
()

2011年7月18日月曜日

速報:なでしこ新たな反原発の旗の応援で世界選手権制覇

 いやはや良い試合でしたね。日本女子の快挙でした。
わたしも日米両大使館共催のイベントに雨の中を出かけました。

少し遅れて会場についてみると、なんと日本大使館は入り口で紙の日の丸を配っているではありませんか。アメリカはそんなことはしません。会場の中はこのとおり日の丸でいっぱいです。

 しかも、ドイツ人は日本びいきなのです。この若い女性も日の丸袋で応援しています。

中継の画面ではフランクフルトの会場の場面が大写しで、日本が1対1の同点追いつきのゴールを決めた時は、緑の党のクラウディア・ロート共同党首も、日本に負けたドイツの女性監督のナイドさんもみんな立ち上がって大歓声です。

ベルリンの会場では、USA! USA! NIPPON! NIPPON!
の歓声が交差しますが、いかんせんアメリカ側には旗がひとつもありません。試合は前半からアメリカがかなり優勢だったのですが、会場では日の丸に押され気味です。これは不公平です。フェアーではありません。


そこで、わたしは一計を案じて、日米の脱原発のために大使館配布のやらせの紙の日の丸を、マジックで新しいデザインの反原発の旗に化けさせました。この通りです。どうです良いアイデアでしょう。


この旗を振って延長後のPK戦を応援したところ、効き目があったのか無かったのかは、まったく定かではありませんが、とにかく日本女子は目出たく世界選手制覇の大金星を挙げました。歴史的快挙です。




惜しむらくは監督が女性であれば完璧だったのですが、いずれにせよ、ついに日本も本格的に女性の時代ですね。
日本では脱原発運動もママさんたちが必死になって立ち上がっています。
この新たな命を守る反原発の旗を掲げてサッカーチームと同じように大敵の原発を徹底的に叩きのめしてください。とにかく日本女子の快挙に祝杯をあげました。

14:日本の脱原発を実現する人々:河合弘之弁護士

 日弁連の意見書公表に続き、全国の弁護士約100人が昨日、16日、「脱原発弁護団全国連絡会」を結成したとのニュースがあります。昨日はその内50人ほどが東京に集まり、各地の現状や方針を報告したとのことです。
東京新聞によれば:

浜岡原発(静岡県)の差し止め訴訟で弁護団長を務め、連絡会代表の河合弘之弁護士は「これまでも危険性を訴えてきたが、国、電力会社、裁判所は無視し続けてきた。原発はもはや絶対に容認できない。あらゆる手段を尽くして闘い続ける」との声明を発表した。

との ことです。これも非常に大きな出来事です。この河合弁護士は10数年前に浜岡原発の危険性に気づき、静岡の住民に「火をつけてまわって」差し止め訴訟を起こした、実に胆力のある人物です。
 彼は、2002年の「浜岡原発とめよう裁判の会」結成集会での連帯のあいさつで以下のように述べています:

 私共の裁判の闘いは、ずっーとやってきて全敗でした(笑い)が、一回勝ったら後は全勝です。絶対、トンネルを抜けたら後は明るい未来なのです。だから、そこを目指して頑張らなくてはいけないと思うのです。(略)僕は故・高木仁三郎さんと大変親しく付き合わせて頂きました。彼は本当に反原発運動に、身も心も100%捧げた人ですけれども、「時々、本当に疲れて嫌になってしまう。でも考えると最後は勝つのだから、そう思えば気が楽だな」と、おっしゃっていました。ですから皆さん、反原発の闘いは必ず勝つと確信してください。

当時からの彼のユーモアと原発全廃に向けた半端ではない信念が判るのでここで全文をお読み下さい:http://www.geocities.jp/ear_tn/mokuji/kotoba01.html

わたしも前回報告した日弁連の反原発部会のドイツ調査団におつきあいをして河合氏に何度か会っています。2009年の 年末の際は参加されていなかったのですが、ここで健在ぶりを知り頼もしく思い、この際、紹介しておきます。
 この写真は2004年、脱原発法で再生可能エネルギー転換が急速に進むドイツの情況を調査し、当時の世界最大のオフショアー風力発電プロジェクトなどを視察したさいのものです。これはライプチッヒ郊外のシーメンス社の当時としては最大の太陽光発電実験プロジェクトの現場です。
中央が河合弘之弁護士。2004年11月4日、撮影梶村




今見れば、まだまだ初期の太陽光パネルであることがわかります。技術者から説明を受けています。
そういえば、シーメンス社は東芝や日立と同じくドイツの原発産業の大手ですが、最近の最終的脱原発確定により、原発部門から完全に撤退し社の構造改革に基づく新たな戦略を近く実行するとの報道があります。再生可能エネルギーと分散型コジェネなどへ重点をシフトするとのことです。

さて河合氏は昨日の脱原発弁護団全国連絡会を結成するにあたって7月8日、社会民主党の福島みずほ党首と対談して考えを述べています;

河合弘之弁護士「脱原発弁護士、大いに語る」
文字:
http://mizuhofukushima.blog83.fc2.com/blog-entry-1875.html
対談動画:
http://www.youtube.com/watch?v=XcOEPO_6TFM&nofeather=True

ここから一部を断片的に引用しておきます:

河合:
菅さんはいろいろ言われているけれど、浜岡原発を止め、再開はストレステストが終わってからという、極めて当然の、しかし非常に反対の強い決断をした、この2つだけでも彼は非常に評価すべき宰相だと思いますよ。僕はできればデモに行って、菅さん頑張ってと言いたいです。彼が原発を完全に止め、エネルギーシフトを方向付け、歴史に残る宰相として退陣すべきで、それまでは辞めるべきじゃない。前の数ヶ月で辞めてしまったへなへなの首相達と違って、何を言われようと自分のやりたいことをやるまでは辞めないというあのしぶとさはおおいに買うべきです。

この点はわたしも全く同じ意見です。菅直人総理がここで永田町のサーカスのノミどもにどれだけ生き血を吸われようが、頑張ってほしいものです。



福島
 メディアもそうで、私が付き合っているのは比較的若い世代なので、みな、こんなこと起きるんだったらもうやらないほうがいい、という人が圧倒的に増えてますね。で、とんでもないことが起きたし、今でも苦しんでる人が多いんですが、どうやって絶望からこの社会を変えられるか、なんですよ。でも河合さん、バイタリティというか、みなで力を合わせれば、この社会を変えられるというのをやっていきたいと思ってるんです。浜岡も再稼働もそうですが、だめかと思ってると、変わるじゃないですか。私も国会で浜岡のことを何度も質問し、始めはみな何言ってんだという感じだったんですが、最後は変わるんですよ。

 河合
 特に斑目尋問を追及したからね、あれは面白かったな。でも、僕がそういうと、今でも、「だけど、今原発止めるのは非現実的だから徐々に」なんて言う。でも徐々に何てやっててその間に事故が起きたらどうすんだというのが僕の考えで、それで僕はこの本にも書いたんだけど、今すぐに原発止めても差し支えない、何の問題もないというのが数字の上で明らかなのね。どういうことかというと、159ページのこれが原子力の総設備容量、この黒いところが実際に稼働している電力量、火力の設備容量はこんなに大きくて稼働はわずか50%なんですね。だから原発のこの黒いところを全部ペケにして全部今すぐ止めても、火力発電の稼働率を20%上げたら全部補える、今までと全く同じように供給できる。まして水力など設備容量の20%弱しか使ってないわけで、それを 80%くらいまで上げると、原発の不足が補える。
 ということは、すぐ止めても何の問題もないということです。若干原料代が高いというくらいで、いいじゃないですか、少しくらい上がったって安全な方が。電気料金が上がったら経済が破滅するみたいなことを言う経済人がいますが、全く嘘ですよ。僕の提案は、日本の原発はまず即止める、全部止める、足らない分は火力発電で補う、それもなるべくCO2の少ない天然ガスでやる、そしてそれでついないでいる間、固定価格買取制度で自然エネルギーを劇的に増やす、そうすれば10年くらいで完全にキャッチアップできるんです。

つまり、日本も決断さえすればドイツと同様に早いうちに、再生可能エネルギーにシフトし、持続可能社会に移行することができるのです。
河合氏はこの対談の中で、「反原発市民運動も弁護団と車の両輪となるように全国的に団結してほしい」と述べています。この考えにわたしも大賛成です。フクシマで日本の原発ロビーは完璧を誇っていた外堀の水が干上がってしまっています。これから全国の弁護団と住民が一致して闘えば、本丸を落とすことができます。
その時は、日本の電力会社も日立も東芝も生まれかわるでしょう。
ドイツも30年かかって、ようやく勝利したのです。日本でも不可能ではないばかりではなく、それしか日本が生き残る道はないのです。
河合弘之弁護士は 市民と連帯しながら先頭で闘い続けてくださるでしょう。ガンバレ日弁連の脱原発弁護士!