2011年7月17日日曜日

13:日本で脱原発を実現する人々:日本弁護士連合会と意見書

日本の永田町が「観客を失いつつあるノミのサーカスである」とドイツ紙に批判されたことの反応はどうでしょうか。誤解を避けるためにわたしの解説を少しつけ加えますと、この表現は決して永田町界隈の日本の政府とメディアに対する単なる揶揄ではないということです。特派員は本気でこのように感じて、強烈な皮肉としてこのような例えをしているのです。そしてこのことは、決して例外ではないとわたしは考えています。

そもそも、大震災と大津波、そして原発の苛酷事故に対してドイツはもちろん、世界中の人々の日本への同情は非常に大きなものがありました。それは今でも続いています。しかし事故直後から日本政府、東電などからの情報があまりにも貧弱でデタラメであったため、諸外国の政府機関やメディアで次第に不信感と怒りがつのってきました。3基の原発のメルトダウンをようやく2ヶ月も経てようやく認めたころには、すでに不信感はつのりきっており、すっかりあきれかえっていました。

現在では、海外から日本を観る目が「同情→不信→怒り→落胆」となってきていることは、日本から理解することはとても難しいことです。 日本人特派員の多くはこれを認識しています。しかし、これまで以上に視点が内向きになっているため(続く事態の深刻さからしてやむを得ないのですが)このことを東京のデスクや論説に伝えることは非常に難しいのです。
事故から4ヶ月経た現在、まだまだ永田町のノミのサーカスが続くようであれば、落胆がついに軽蔑にまで達するのではないかと危惧しているのはわたしだけではありません。現在の菅直人総理の「脱原発依存」発言を巡る永田町界隈の反応は、まさに目を覆うようなお粗末さです。内外の人心が離れても当然でしょう。
 救いは唯一、福島県を始め原発立地周辺の市民と、心ある自治体の政治家、職員のみなさんの 懸命な努力だけです。

しかし、ここにきて信用を決定的に回復する動きがようやく登場してきました。昨日7月15日、日本弁護士連合会が「原子力発電と核燃料サイクルからの撤退を求める意見書」を公表し、政府と原発事業主らに提示しました。

その冒頭の「意見の趣旨」は以下の通りです:
当連合会は、2011年7月15日付けで「原子力発電と核燃料サイクルからの撤退を求める意見書」をとりまとめ、内閣総理大臣、経済産業大臣、環境大臣、内閣府原子力安全委員会委員長、経済産業省原子力安全・保安院長、原子力発電所等原子力関連施設を有する電力会社宛てに提出いたしました。
意見書の趣旨

当連合会は、国及び原子力発電所等原子力関連施設を有する電力会社等に対し、以下のとおり提言する。

1 我が国の原子力政策を抜本的に見直し、原子力発電と核燃料サイクル政策から撤退すること。その具体的な廃止にむけての道筋は以下のとおりである。

(1) 原子力発電所の新増設(計画中・建設中のものを全て含む。)を止め、再処理工場、高速増殖炉などの核燃料サイクル施設は直ちに廃止する。

(2) 既設の原子力発電所のうち、㈰福島第一及び第二原子力発電所、㈪敷地付近で大地震が発生することが予見されるもの、㈫運転開始後30年を経過したものは、直ちに廃止する。

(3) 上記以外の原子力発電所は、10年以内のできるだけ早い時期に全て廃止する。廃止するまでの間は、安全基準について国民的議論を尽くし、その安全基準に適合しない限り運転(停止中の原子力発電所の再起動を含む。)は認められない。

2 今後のエネルギー政策は、再生可能エネルギーの推進、省エネルギー及びエネルギー利用の効率化を政策の中核とすること。

 さっそく日弁連のホームページからファイルの全文(27頁)を読んでみました:
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/110715.html



つづく「意見の理由」の冒頭には「原発震災による被害は極めて重大な人権侵害であり、絶対に容認できない。」とあり、長年にわたり原発差し止め訴訟にたずさわった法律家による専門的な、福島原発事故の分析は、客観的で理性的であり、読むうちにおもわず、安堵感に満たされました。これでやっと包括的な事態の把握と、それに対する明確な対策の道筋が提示されたからです。

たとえば「運転開始後30年を経過したものは、直ちに廃止する。以外の原子力発電所は、10年以内のできるだけ早い時期に全て廃止する」との意見は全うなものです。
ドイツの原発は32年で廃棄と決定されましたが、これは2000年6月の当時のシュレーダー首相が、事業主と交渉の際に提案した年限30年と同じです。事業主側は35年を主張し、32年で妥協したのです。原発は30年稼働すれば減価償却を終えて、たっぷり利益をあげています。後は大飯の原発のようにポンコツで事故におびえる前にできるだけ早く廃炉にするのが当然です。また残りの原発も10年内に廃止することは意見書にあるように日本でも十分に可能です。

 朝日新聞の論説委員諸氏にも「原発の寿命は40年がひとつの目安とされている」(7月13日論説)などと耳学問で書く前に、この意見書を十分に勉強していただきたいものです。

ともかく、この意見書でわたしも「やっと日本からしかるべきところからしかるべき提案がなされた」とホッとしました。ようやくまっとうな指針がでたからです。日弁連に感謝いたします。

さて、この意見書を勘案されたであろう日弁連の弁護士で、長年原発訴訟にたずさわってきたひとびとの幾人かを写真で紹介しましょう。このひとたちが日本の全国の地元の市民たちと脱原発にひたすら根気づよく連帯している「日本で脱原発を実現する人々」です。



2009年12月10日ベルリンの連邦議員会館 小谷守彦毎日新聞前ベルリン支局長撮影
 日弁連の環境部会の弁護士たちはドイツの原発事情を知るために、長年の間に何度も訪独しています。この写真は、ドイツの中道保守政権が脱原発を放棄して稼働延長に踏み込みそうだとの情報を危惧して、実情の視察に来たときのものです。関連官庁の担当官、学者、与野党の政治家などと会ってわたしの通訳で話を聴きました。日本の各地の反原発運動のみなさまには、おなじみの顔ですね。また浜岡で始まって、これから全国で新たに起こされる原発と原子力施設撲滅最終訴訟で先頭に立つ闘志の幾人かのみなさんです。

中央の女性は 緑の党の連邦議会院内副総務のバーべェル・ホェーン議員です。彼女の脱原発と環境保護の知識と経験はずば抜けており、党派を超えて畏怖されています。議会演説の迫力はすごいものです。
このときの面談でも「メルケル首相が稼働延長を強行しても市民運動と連帯して絶対にひっくり返します」と論理明快、意気軒昂でした。そして実際にその通りになりました。
日弁連の意見書の土台にはこのような付け焼き刃ではない長年の実践と知識があります。表現も法律家とは思えないほど分かり易いので、みなさんも是非お読み下さい。今の日本にもっとも必要な意見であることは間違いありません。ノミのサーカスのなどは時間の無駄です。

2011年7月15日金曜日

番外:サッカー女子ワールドカップ決勝戦イベント/ベルリン

 原発とは無関係な番外ですが、ベルリンの日本大使館からのアメリカ大使館と共催するイベント招待のお知らせです。
サッカー女子決勝戦はフランクフルトなので、ベルリン在住のファンのみなさまはこちらにどうぞ。
わたしも反原発の旗でも持って参加しようかな。オバマ大統領も欧州から核兵器を撤退する交渉にとりかかっているようですから、非核世界へ向けたカタツムリの前進はあります。




以下招待の呼びかけです:

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  Die Botschaft von Japan und die Botschaft der Vereinigten Staaten von Amerika
in Kooperation mit dem 11 FreundInnen WM-Quartier

laden Sie, Ihre Familie und Ihre Freunde herzlich zum gemeinsamen Public Viewing des Finalspiels Japan–USA der Frauenfußball-Weltmeisterschaft 2011 ein.

Sonntag, 17. Juli 2011 um 20:45 Uhr (Anstoß)
Lido, Cuvrystraße 7, 10997 Berlin (Kreuzberg)

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The Embassy of Japan and the Embassy of the United States of America,
in cooperation with the “11 FreundInnen WM-Quartier,”

cordially invite you, your family and friends to join us for a public viewing of the 2011 Women’s Soccer World Cup final match Japan–U.S.A.

Sunday, July 17, 2011 at 8:45 p.m. (kickoff)
Lido, Cuvrystrasse 7, 10997 Berlin (Kreuzberg)

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在ドイツ日本国大使館と在独アメリカ合衆国大使館が協賛で
2011年女子ワールドカップサッカー決勝 
日本対アメリカ戦のパブリックビューイングを開催します。
皆様お誘いあわせの上、お越しください。

日時:2011年7月17日(日)20時45分(入場は19時30分より)
場所:Lido、Cuvrystrasse 7, 10997 Berlin (Kreuzberg)
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以上ですが、梶村からつけ加えますと、
入場は無料ですが立ち見でも600人が限度とのことです。
会場:http://www.lido-berlin.de/events/view/1135

12:永田町のノミのサーカス「南ドイツ新聞」論評

 本日7月14日の「南ドイツ新聞」が、東京から昨日の菅直人首相の「脱原発依存」発言の報道とともに、「母親たちが全国的な組織化を行っている」と市民運動がゆっくりと構築されてきていることも伝えています。同時に「ノミのサーカスからの撤退」という見出しで短い論評を掲載しています。特派員たちがどのように現在の日本の政局を見ているか、つまり呆れているかを伝える一例として、長いものではないので論評だけを以下訳出しておきます。欧州からの見方は、これまでもそうであったのですが、日本の政治がこれほどまで地に落ちたことは、わたしの記憶にもありません。

             「ノミのサーカスからの撤退」
日本人の多数は原子力エネルギーからの段階的撤退を望んでいる。彼らの総理大臣の菅直人も、彼がようやく明確に述べたようにそれを望んでいる。とはいえ同時に、日本人の多数は菅の辞任を望んでいる。
もし菅が実際に辞任しなければならないならば、思想のない直立不動で無表情な民主党の少尉のひとりが後任となり、彼もとても1年以上はもたないだろう。まず間違いなく言えることだが、彼は菅が努力する、法的根拠のない脱原発を引っ込めてしまうであろう。

いつもながら傲慢さの島である東京の永田町の住民たちは、有権者と日本の現実との絆をすべて失ってしまっている。菅は永田町では常によそ者であった。彼は出生からではなく、市民運動から政界に入ってきた。福島のカタストロフィーが新たな現実をもたらしていることをここ数週間の間に認識したのは、彼がたったひとりであった。であるからこそ、政治のエスタブリシュメントたちは彼を追放したいと望んでいる。もちろん、この現実が三重のカタストロフィーであってすら、日本政治のノミのサーカスのじゃまをすることがあってはならないのだ。

 日本では少しでも存在感を主張したい者はほとんどがこのノミのサーカスに加わる。メディアも、政治に口出しする幾人かのいわゆる知識人たちもそうだ。この連中は今、大連立に関するほらを吹いて、それをまるで革命であるとしている。そうこうする内に市民運動が初期的に形成されつつあり、彼らはノミのサーカスが観客を失っていることに気づいていない。全くのパラドックスであるとしても、菅直人よりも運動に近い政治家はいないのだ。しかし市民たちはそのことに気づいておらず、菅も市民との間をとり持つことができなかったのである。nh
                          
             南ドイツ新聞 2011年7月14日
Ausstieg aus dem  Flohzirkus. Süddeutsche  Zeitung  14.Juli 2011. Seite  4.

2011年7月14日木曜日

11:朝日新聞の「原発ゼロ転向」:署名の意義がない論説

 本日7月13日の朝日新聞が、日本の全国紙としては初めて、大型社説を掲載し「いまこそ政策の大転換を」との見出しで「原発ゼロ社会」を提言しています。
この事自体は大いに歓迎すべきことです。多くの読者が「遅すぎる、しかし正しい」と受けとめていることでしょう。他に選択肢は考えられない当たり前のことなのですから。
特にフクシマ周辺の市民にとっては「遅すぎる」と受けとめられ、中には「何を今さら」と感じて怒る人々も大いに違いありません。当然のことです。原発事故の取りかえしのつかない深刻な被害が現実のことであるからです。

「社会の木鐸」を自覚すべき日本のジャーナリズムが、次第に批判精神を失い、弱体化して久しくなります。この「提言」にしても、早くから脱原発を主張し、大手メディアから敵対視され、あるいは無視されながら市民運動を続けてきた多くの人々や、現に被災している人々にとっては、「火事が起こって大騒ぎになっている最中に、すっかり遅れて半鐘を打ち鳴らす」ような、滑稽な行いとしてしか受けとめられないでしょう。江戸っ子の火消なら「おととい来やがれ!べらぼうめ!」と一喝する場面です。一心太助ならぬわたしも、本音はこのとおりです。(朝日新聞の論説委員の数人は、わたしをよく知っている人もいらっしゃるので、生の声として聴こえるでしょう)。

しかしながら、今日の大型社説のエネルギー政策の転換への提言内容は、大枠では支持できるものです。「やっと、朝日もここまで来たか」といささか安堵しているのも本音です。
ドイツの政策を遅ればせながら追いかける内容であることは、いささかみっともないにしても歓迎できます。本気でやれば、決して不可能でないばかりか、ドイツの良い意味での競争相手になることも可能であるからです。願わくば、サッカーの女子チームのように世界選手権保持者のドイツを追い抜いてほしいものです。この「脱原発国際競技」では原発ロビーが育成した選手はメンバーにはいないでしょうから。

とはいえ、この朝日新聞の「大転換提言」を、わたしは朝日新聞の「転換」とは受けとめていません。
これだけでは、日本のメディアが第二次世界大戦の前と後に行った「転向」の再三の繰り返しになる危うさが、全く払拭できないからです。 新聞社自身の検証が決定的に甘いからです。

第一面の大軒由敬論説主幹の論説にも「原発が国策となり、地域独占の電力会社と一体になって動き始めると、反対論を敵視してブレーキが利かなくなった」と他人事のような一文があるだけで、新聞社としてのジャーナリストとしての主体的な責任意識はかけらも見つけることができません。「なぜ、自社もブレーキが効かなくなったのか? 筆者はこのように考える」との自己検証が欠けています。これでは署名を入れた論説の意義もないといえるでしょう。なぜでしょうか? それはまだ新聞社としての「転向」表明でしかないからです。

社説の終わりの「推進から抑制へ 原子力社説の変遷」では、「社説も新しい知識や情報を取り入れ、原発の大事故が起こりうることや、それがもたらす放射能被害の恐ろしさに、もっと早く気づくべきではなかったか。振り返っての反省だ」、また「この半世紀、巨大技術の危うさがわかり、人々の科学技術観も変わった。それを感度良く、洞察力をもってつかめなかったか。反省すべき点は多い」とあります。つまりそこの小見出しにあるように「危うさへの感度足りず」と自らの鈍感さにようやく気づいたと告白しているに終わっています。

いまからちょうど11年前に、今回のドイツの脱原発政策の基本となった、当時のシュレダー政権の原発業界との脱原発合意協定成立の報告に、わたしは「日本のジャーナリズムのおめでたいまでの鈍感な体質」について、朝日新聞を槍玉に挙げて以下のように書いています:

この合意は「原子力の平和利用」という神話を、先進工業国で初めて打ち壊してしまった決定であることも間違いない。鈍感な日本のマスコミもさすがに驚いたようだ。典型が、現状を追認して、プルサーマルを推進せよと主張している朝日新聞だ。(2000年)6月16日の「ドイツに学ぶべきは」と題する社説で「大きな違いは『政治』の指導力ではないだろうか」と「新鮮なメッセージ」に驚いている。その通りである。ドイツでは「経済に対する政治の優先性」は活きている。だが、それとともにドイツから「ジャーナリズムの独立性と批判力」も学んで、少しは自省もしてほしいものだ。
               (梶村「脱原発に踏み出したドイツ」『世界』2000年9月号 )

つまり、朝日新聞も自らの「鈍感さ」にはようやく気づいて反省すべきと考えるようになったようです。今回の社説の変遷の検証では「推進から抑制へ」と社説史を掲載していますが、これは言い逃れに過ぎません。ごまかしです。

1970年半ばに、日本で高揚してきた原子力発電への質の高い批判に対して、原発ロビーに迎合し、言論の独立性を失い、大熊由紀子記者、木村繁科学部部長を先頭に社をあげての原発推進の大キャンペーンを貼ったのは、どこの新聞社だったのでしょうか? 今回のフクシマの災害をもたらした朝日新聞社の言論の府としての歴史的責任の自覚、すなわち加害の自覚は、残念ながら虫眼鏡で探しても糸口さえ見つかりませんでした。

このままでは朝日新聞の注意深い読者に、「事故で情勢と世論が変わったから方針も変える」という典型的な日和見主義、大衆迎合主義(これをポピュリズムという)、日本的には「転向」であると見抜かれてしまうでしょう。日本の市民の感度に鈍いと反省するなら、そのことにも気づくべきです。

批判力が貧すれば鈍するものです。 せっかくの「転換」も「転向」に終われば残念なことです。
朝日新聞社が陥っており、やっと自覚した鈍感体質から再生するためには、上記キャペーンを始めとする原発推進論などについての、会社としての徹底的な自己検証が不可避です。すなわち「言論の府としての耐久性検証/ストレステスト」が、いま最も必要とされています。
「なぜ批判力を失い鈍したのか?」これを複数の記者とともに、紙面で公開で読者の参加を得て、全力を挙げて徹底的に行うことです。大変なことですが、失敗から学び、「感度と洞察力」を身につける唯一の方法でしょう。これに期待します。

2011年7月8日金曜日

速報2:ドイツ連邦参議院脱原発法を承認決議

ドイツ連邦参議院は、本日の審議で連邦衆議院に続き脱原発法を承認する決議をしました。
これで、現在停止中の8基の原発は廃炉なることが確定し、残り9基も2022年末までに段階的にすべて廃炉にされることが確定しました。(8基の内1基は2013年末まで電力不足の緊急時のために予備としてスタンバイで休止の状態に置かれますが、すでに2013年末までに再生可能エネルギーと化石燃料による発電で13ギガワットが新たに供給される計画なので、これが稼働される可能性は少ないとレスラー経済技術相は本日の審議でも述べています)。

同法は大統領の承認を経て直ちに施行されますが、メルケル政権によって成立した原発稼働延長法は同時に失効します。

先ほどの関連法案の決議の際に議長席に着いたのが緑の党のバーデン・ヴュルテンブルク州のクレッチュマン首相でした。ドイツの連邦参議院は、各州政府の代表から構成されており、もちまわりで議長を務めるためです。つまり、偶然とはいえ、ドイツの原子力発電は初の緑の党の州首相の議長の下で、完全に息の音が止められたことになります。
ドイツの反原発運動は1970年台半ばのバーデン地方のワイン製産地の市民の闘争から始まりました。クレッチュマン氏も当初からかかわっているので、感慨も深いものであろうと思います。

追加情報です。TBSがこれについて報道しています:
http://www.youtube.com/watch?v=z2WYGVTCE6I
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4771417.html

ちょうどクッレチュマン氏が議長をやっている姿が出ています。
白髪のタワシ頭のおじさんが彼です。
ここではむずかしそうな表情ですが、実際には地方の高校のやさしい校長先生といった人物です。
実際に彼はギムナジウムの教員でした。

2011年7月6日水曜日

予告:原発中毒の人々

 なかなか時間がとれませんが、「脱原発を実現した人々」は延々と続きます。他方でここに到っても「原発中毒の人々」がまだまだ多いので、この人たちについても書くことにしますのでご期待下さい。
また、「ビスマルク、ヒトラー、メルケル」のタイトルは、書き出すと最低でも20000字ぐらい(単行本の一章ほど)には、すぐなりますのでいきなり書く時間がとれそうにないので、一応棚上げにしておきますのでご理解下さい。

2011年7月4日月曜日

10:脱原発を実現した人々/4 マリアンネ・フリッツェンさん

さて、しばらく書き込むことができませんでしたが、また続けます。お待たせしました。
理由は『世界』の次号、つまり8月号(7月8日発刊)にドイツの脱原発の経過と背景を報告する原稿を執筆していたからです。山となった資料の横文字を縦文字にするだけでもしっかり時間がかかるのです。日本語としては今回のドイツの脱原発への急速な転換に関する基本的な報告となるものですから、ブログの読者のみなさまにも読んでいただければ幸いです。また紙面の関係で書けなかったことについても、ここで補足したいと考えています。
このブログを読んで下さっている世界各地のみなさんにお礼を申し上げます。

まづ、6月30日の連邦衆議院での脱原発法が圧倒的多数で可決されたことだけは10分後に速報しましたが、その内訳を少し詳しく書きます。今の第17期の連邦議会の議員数は620人です。この日同決議の投票に参加したのは600人。ちょうどこの日、クリスチーナ・シュレダー家族相とその夫の議員が産休で欠席(この日女の子を出産のおめでたでした)しているのをはじめ、病欠もあり20人が欠席。出席率は96・7%ですから非常に高いといえます。
反対票79の内訳ですが、大半が左翼党(die Linke)の票です。同党は脱原発を主張してデモにも参加しますが、憲法に脱原発条項をいれるべきだと、つまり改憲要求を掲げて一致して反対しました。つまり典型的な左翼小児病の振る舞いです。
緑の党も同じように改憲要求をしていますが、6月25日の臨時党大会で法案に賛成する決議をしています。この党大会では「緑の党は2017年までに脱原発をとの方針でデモにも参加したのに、2022年では市民運動を裏切ることになる」と左派のシュトローベル議員らが主張しましたが、彼らは議会投票では、意見保留の白票を投じています。白票8票の内の6票は緑の党です。
結果として脱原発そのものを拒否して反対投票を投じた議員はわずかに9人でした。内訳は与党のCDU/CSU5票、FDP2票、野党ではSPD2票でした。すなわち、断固とした原発推進派は600票の内わずかに1・5%にまで落ち込んだわけです。これがフクシマがドイツの議会に及ぼした驚くべき影響の結果です。

ところでこの日、緑の党の院内共同総務のレナーテ・キュナスト議員は議会演説の冒頭で、30年を越えて人生を賭けて反原発運動に貢献した市民4人の名前を挙げて感謝の辞を述べています。「彼らが今日の決議と法案に十分満足できないことも承知しているが、今日の歴史的な決議は彼らの貢献によるものだから感謝し、名前を国会議事録に残したい」というものです。
そのひとりにマリアンネ・フリッツェン(Marianne Fritzen)さんの名前があります。「彼女はゴアレーベン(ハイレベル核燃料廃棄物最終処分場予定地)で、断固として闘ってきた」と感謝されました。

 1924年生まれの彼女はゴアレーベンの市民運動の長老です。わたしも古くからよく知っていますが、最近彼女とであったのは2009年9月5日のことです。保守政権が成立しそうな総選挙を前に、この日ゴアレーベンの農民たちはトラクター400台を連ねてベルリンの議会にデモをかけました。全国から集まったデモ隊は5万人にもなり、わたしも「ドイツの反原発運動元気に復活」(『週刊金曜日2009年10月16日号』)と報告し、そこで彼女のことにも触れています。
2009年9月5日、復活した反原発デモ隊5万人がブランデンブルク門に集結した
マリアンネさん。売っている本の題名は「力とファンタジーを越えて」
この日、緑の党の古参議員にブランデンブルク門の前で出会うと、「マリアンネも来ているわよ」というので、連なるトラクター の間を探すと、高齢でも矍鑠としたマリアンネさんをみつけることができました。大きなトラクターの側で、出店をだして「最近ゴアレーベンの抵抗運動の本がが出版されたので売っているのよ」というのです。「わたしも年だからね、最近は運動のアーカイブを作るため資料の整理にいそがしい。君たちの日本の文献などもあるからね」と久しぶりに話はつきませんでした。
彼女は、若いころには台湾の大学でフランス語教授でもあったインテリで、反原発運動では若い頃を知られているシュレダー元首相であろうが、トッリティン元環境相であろうが、いまだに全く頭があがらない長老です。国会での讃辞は当然であるのです。

福島の事故が起こった直後にマリアンネさんからお見舞の電話がありました。「恐ろしいことが起こって、日本人のことが心配で泣いているのよ。悲しくてあなたたちの加護を毎日お祈りしていますよ。あなたのことも忘れてないから元気を出すのよ」と涙声で励ましてくださったのです。
フクシマが気丈夫な彼女に与えた衝撃もただならぬものであることが伝わってきました。メルケル首相を始め、原発推進派の議員たちの多くにも、ドイツ市民のこのような悲しみを共にする「哀悼の能力」が備わっているからこそ、脱原発が全社会的なコンセンサスとして、今ドイツで可能になったと思います。
これが6月30日の国会決議の大きな社会的背景なのです。

翌日の保守系ファランクフルター・アルゲマイネ 紙の主要論説の見出しは「三〇年戦争の終わり」でした。ドイツのメディアでの原発推進派も「保守党員が内心で脱原発で敗者と感じている」と述べ、敗北宣言をしました。立派な敗北ぶりといえます。こうしてドイツはフクシマによってひとつの時代を画しました。さて日本はどうするのか。