今回の日本での報道でもイスラエルのネタニエフ首相の批判を引用し、この件に触れたものがあります。→「毎日新聞」は :
ネタニヤフ首相は「ナチスにいた過去を約60年も隠してきたグラス氏のことだ。ユダヤ国家を敵視するのも驚くに当たらない」と非難した。
と書いています。同様にユダヤ系の知識人たちから「彼は親衛隊員のままだ」、あるいは「ドイツ社会の変わらぬ反ユダヤ主義が現れた」といった批判まであります。
ここまで書いていると、つい先ほど、イスラエルはグラス氏を「Persona non grata/ペルソナノングラタ=好ましからざる人物/外交用語」として入国禁止措置をとったととの報道です。
根拠としてイスラエル内務相のスポークスマンは「元ナチ党員は入国を禁止することができる」との法律を適応し、「グラスは、最新の詩によってイスラエルと国民への憎しみの炎を焚きつけ、かつて彼が親衛隊の制服を身に着けていたときに公然と支持していた思想を広めたため」と述べたと報道されています。この内務相はユダヤ教のウルトラ原理主義の政党員であり、このような極右の多いネタニエフ政権らしいやり方です。
さらに内務相は、グラス氏からノーベル賞を剥奪すべきだと発言しています。下記のようにこれは6年前にも聴いたことがあります。
イスラエルがネオナチスに対して入国禁止措置をとることは、しばしばあります。かつてオーストリアの極右自由党のハイダー党首に対してこの措置を適用しました。それにしても、ノーベル文学賞受賞作家をネオナチ同様に扱うのは極端といえましょう。あるいは、ガザ地区のパレスチナ人を援助しようとする平和団体にも入国禁止措置はしばしば採られますが、イスラエル政府は彼をネオナチ同様に考えていても、内実は平和運動の人々に対するそれと同じであることは明白です。
グラス氏は『ブリキの太鼓』などを評価され、1967年に「良いドイツ人」としてイスラエルへ招待された経歴があります。いずれにせよ、これでついにドイツとイスラエルの外交問題になりました。よほどのことがない限り、ネタニエフ政権が続く限りこの入国禁止措置は解除されないでしょう。
グラス氏は今回、これらの批判を予期して詩に「これが無視されればたちまち突きつけられる罰:『反ユダヤ主義』との糾弾はおなじみだ」と記していますが、たちまち条件反射のようにそれがでたわけです。もちろん「彼は反ユダヤ主義者ではない」と擁護するイスラエルの知識人たちの声も多くあります。
核暴力に怒る作家のパイプの煙 写真;picture alliance / dpa |
今回の氏の一編の詩に対する非難は、このときのそれに比べればそれほど重いものではありません。むしろ今回の散文詩は、当時の非常に厳しい批判を耐えたグラス氏の心からの憂慮の叫び声であることの理解が、やがてはイスラエルだけでなく世界中で広がるであろうと、わたしは考えています。
今週は、→北朝鮮の「衛星打ち上げ」、また長く中断している→イランとの「核問題」での交渉の再開が予定され、宣伝合戦と緊張が非常に高まっています。
いずれもこのようなグローバルな核問題が危機にさしかかっている中で、グラス氏は、小さなしかし鋭い「語られるべき」言葉の飛礫を投じたのです。間違いないのは、ネタニエフ政権の額に命中したようで、イランとの交渉に参加するドイツ政府も多いに狼狽しているでしょう。なぜならグラス氏の入国禁止措置はイランとの交渉でイスラエル側に不利になるからです。気に入らない言論の自由を国権で封じるイスラエルは、これで国内の民主勢力を弾圧するイラン政府と同程度にまで自らを貶めたからです。
(なを、順序が前後しますがこの詩に関する解説と訳注を、順次に第83回に付け加えたいとおもいます)
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『私の視点』「朝日新聞」2006年9月21日朝刊
◆グラス氏の苦悩 「記憶の抹殺」が壊すもの
ジャーナリスト 梶村太一郎
8月半ば、78歳のドイツのノーベル文学賞作家ギュンター・グラスが、自伝『タマネギをむきながら』で、17歳のときナチスの武装親衛隊員だったことを告白し、衝撃が国境を越えて広がった。
なにしろ大作『ブリキの太鼓』で、ナチス社会をグロテスクなまでに解剖して「史実に沈黙する者は犯罪者となる」との発言を繰り返し、内外から「ドイツの良心の番人」とみなされる人物である。たちまち「失望した」「偽善者」「ノーベル賞を返上せよ」との激しい非難が巻き起こった。
ノーベル平和賞受賞者のワレサ元ポーランド大統領も「彼が生まれ故郷グダニスク市の名誉市民権を返上しないなら、同じ名誉市民である私の方が返上する。親衛隊員と握手などできない」と激怒した。
そこでグラスはグダニスク市民へ手紙を送り「沈黙が誤りだとされ、多くの市民が名誉市民権に疑問を抱くことを承諾せざるをえません。しかし、人生が若い私に担わせた重荷を記憶から消さず、次第に痛みがつのる教訓として、ようやく今になりそれを広く表現する文体を見つけたのです」と誠実に理解を求めた。
手紙はテレビで読みあげられ市民の共感を呼んだ。ワレサ氏も「大変感動した。彼とは友情を築けるだろう」と要求を撤回、市長も「グダニクスは街の息子を見放さない」と喜んだ。
9月7日、ベルリンの芸術アカデミー会長のクラウス・ステック教授は私の問いに「これほど恥じているグラスを見たことはない。例のない犯罪組織の一員であったこと、また60年も沈黙した事実は重い。本格的な議論はこれからです。それが生きた民主主義には重要なのです」と述べた。
グラスも古い会員のアカデミーの建物は、全面がガラス張りの新築で、街の中心のパリ広場にある。近くの議員会館や首相官邸なども、文字どおり「民主主義はガラス張り」の新築だ。
サッカーワールドカップでは、この一帯はドイツ国旗を振る若者であふれた。国旗をファッションに楽しむ彼らの姿は、この国にも健全な愛国主義の世代が登場してきたとみなされた。教授も驚いたという。「愛国心は正常さのひとつです。だが国家主義になると民主主義は危うくなる」
この若者たちもベストセラーとなった自伝を読んでいる。タマネギの皮をむくように古い記憶を呼び起こす円熟した教養文学だ。『ブリキの太鼓』の主人公オスカルに代わり、今度は自らが親衛隊の鉄かぶとを太鼓にして打つ老作家の、心の傷の叫び声も聴こえる。
記憶を抹殺すると、民主主義がたちまちピシリとガラスのように割れてしまうとの警告だ。1938年の「水晶の夜」、親衛隊がユダヤ人を襲って割ったガラスの音は、世界大戦と破滅の予告であった。このとき、市民は事態を黙認した。告白は、消しがたく痛むこの記憶の核に触れたのだ。
◇
1946年生まれ。ベルリン在住。共著に『ジャーナリズムと歴史認識』
以上に少し付け加えます。
この寄稿は、もちろん日本でこの自伝作品の翻訳がでる前に執筆したものです。
わたしは原書しか読んでいませんが、素晴らしい文体で引き込まれました。
面白いのは、主人公が、敗戦時に米軍の捕虜になったときに同じ収容所にいた同年の捕虜「仲間のヨセフ」が登場するのですが、この神学を勉強したいと語る少年が、現在のローマ法皇であるとのことです。バチカンはこれを肯定も否定もしていませんが、グラス氏が実際にそこでヨセフ・ラッチンガーと同囚であったことは間違いないようです。
今日は、復活祭の日曜日なので、法皇ベネディクト16世は、世界中に向けて60カ国語で「復活祭おめでとう」と祝福を述べる声がラジオで実況されていますが、この祝福はかつての「仲間のギュンター」には及ばなかったようです。ギュンターはイスラエルからこの日、ペルソナノングラタとされてしまいました。あるいは、この老作家のこのような「受難」は、むしろ復活祭にふさわしいのかもしれません。
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