2018年6月23日土曜日
349:沖縄戦終結73年記念日に・小田実対論『正義の戦争はあるか』を紹介します
本日6月23日は沖縄では悲惨な沖縄戦終結73周年を記念して島民をあげての追悼式典が行われました。
以下のビデオは、今から18年前の2000年8月15日の日本の敗戦55周年記念日の前日の14日にNHK・BSで放送されたものです。小田実氏はそれから7年後の2007年7月に亡くなりました。
このビデオは初放送から10年後の2010年12月11日にBSのアーカイブから選ばれ、オリジナルにプロデューサーの坂元良江氏(テレビマンユニオン)のインタヴューによる解説も加えて放映されたものです。それが最近→You Tubeで見ることができますので紹介させていただきます。
この番組制作にあたりドイツでの取材企画にはわたしも全面的に協力して、また通訳もしましたので特に思い出の多いドキュメントです。
沖縄戦の記憶が70年を超えてもますます厳しくよみがえり、平和な世界への祈念がますます強まっていますが、この番組で小田氏と対談した→ジョセフ・ワイゼンバウム氏の「戦争こそが敵なのです」との決定的な一言がますます重く感じられます。
この世界的に高名な情報科学者も2008年3月に生まれ故郷のベルリンで亡くなり、昨年ドイツ政府の連邦教育研究省に創設されたインターネットの社会的影響を研究する目的のドイツインターネット研究所は彼の名前が冠せられ→ワイゼンバウム研究所とされました。
彼も亡くなってからもますます影響力を増す偉大な人物といえましょう。
2018年6月10日日曜日
348:米朝首脳会談を前に・ベルリンから見た「拉致問題に拉致された日本社会と外交」の陥穽・カナダG7で孤立するトランプ氏にハシゴを外された安部首相
(この項の見出しは12日に後半を変えました。また二度にわたって追加加筆があり長くなっています。)
さて、いよいよ明後日の12日、世界中が注目する米朝首脳会談がシンガポールで始まります。
このトランプ大統領と金正恩委員長の初めての首脳会談が、1986年すなわち32年前のレイキャビック会談でのレーガン米大統領とゴルバチョフソ連邦総書記による会談が、史上初で唯一の実効性を持った核軍縮条約を実現し、欧州における冷戦終結へつながったような歴史的なものになるかは、全く予想不可能です。
レイキャビック会談には、二つの核大国間の水面下での長く深い交渉が前提としてあったことに比べると、今回の首脳会談は、とりわけアメリカ側の準備が驚くほど付け焼き刃で、トランプ氏のパーフォーマンス外交だけに頼っていることから、成功には甚だ心もとないものがあります。従来の軍縮交渉ではありえない前提での首脳会談です。
しかし、マイナスの二乗がプラスになるような効果があるいは起こり、休戦状態が長く続いている朝鮮戦争の終戦宣言などが実現され、それが中期的な核軍縮や平和条約への端緒になることへの期待は今日段階では許されるでしょう。
そうなれば東アジアにおける冷戦終結の実現への大きな一歩となるからです。ベルリンの壁の崩壊を壁のそばから体験したわたしは歴史が大きく動く時にはありえないことが起こるものであることを知っているからです。
逆にどちらかが席を蹴ってしまう最悪の場合には、反対に朝鮮戦争の再発の危機が一挙に高まるので、それだけは回避してもらいたいものです。特にトランプ氏はやりかねません。
さてこのような世界史の節目に際して、日本の安倍政権の外交といえば、急速に変化する情勢に手をこまねいて、「拉致、拉致!、制裁、制裁!」を念仏のように繰り返すだけで右往左往することしかできない惨めなことになっており、両者の関係諸国からもまともに相手にされていない無能ぶりをさらすだけになっています。
日本はどうしてこのような無能な外交の三流国家になり下がってしまったのでしょうか。それはひたすらアメリカにすがる安倍政権の歴史認識の質ならびに、それを批判すべき日本社会での、とりわけメディアの質の劣化によるものです。
先に→346回の投稿では、2007年に「拉致問題に拉致されて動きのとれない政権」であることを指摘した論稿を既に紹介しました。
この論考に先立ってわたしは小泉政権時に拉致問題が露呈した直後、また翌年に迫った第二次イラク戦争勃発の危機にあった2002年の秋に執筆した論稿がありますのでそれを再録しましょう。
なぜなら、当面の米朝首脳会談がどのような展開をもたらそうとも、この論考にある日本が追求すべき基本的な歴史の見方が、ここにきていよいよ現実性を持ったものであるからだと考えるからです。本稿は『世界』誌の2003年 1月号に掲載されたものです。
いつものようにいささか難解で、若い読者には不向きであるかもしれませんが、明日うらしまの歴史体験を語るものとして読んでいただければ幸いです。
(クリックして拡大してお読みください)
6月11日に以下の論考に出てくる場面の写真を二つだけ追加します。
文中にある旧東独国境警備隊の監視塔の銃眼からの写真。正面に東西ドイツの国境であったシュプレー川が流れ、その向こうに国会議事堂の建物が見える。1995年7月。
上記写真の左の残土の向こう側に建設されたドイツ連邦プレス会議の建物。川に面した2階と3階にかけての出っ張り窓のあるところは文中にある記者会見場。
この論考への注釈:
この今から16年前の論考は、二つの特徴があります。
一つは、当時日本のメディアを席巻した感情論に対して冷戦の厳しさを指摘するため、いわゆる拉致問題を鴎外の「山椒大夫」を持ち出して国際人道法の面から論評したものとしては最初のものです。洋の東西にいまだに根強い勧善懲悪思考が必ず「人を恨めば穴二つ」に陥ることを指摘しました。日本の貧弱な外交がここで指摘した陥穽に落ち込んでいます。
もう一つは、9・11のニューヨーク・ワシントン同時テロを契機にアメリカで勃興したケーガン氏らのネオコンの「テロへの戦争論」のイデオロギーを、第二次イラク戦争を前にして日本で批判的に紹介した初めてのものであることです。
そしてこの共和党のイデオローグのケーガン氏もトランプ氏の登場に危機感を持って、大統領選挙の際から反トランプ 陣営に立ったことを指摘しておきます。
アメリカファーストをスローガンにするゼネコンの商法で世界政治を仕切ろうとするトランプ政権は、ここ100年近い合衆国の覇権主義の本格的な終わりの始まりだといえましょう。「パクッスアメリカーナ・アメリカによる平和」の終焉が始まっていることを日本は自覚すべきです。
G7の二日目の朝、首脳宣言をなんとか実現しようとして、公式会談の裏舞台でマクロン仏大統領と並んで、トランプ大統領を説得するメルケル首相の姿です。そばで腕を組んでいる安倍首相、その隣で見守る超保守のボルトン補佐官らの表情がすべてを物語っています。
これが孤立しながら、平気でふんぞりかえる唯我独尊のトランプ大統領の姿です。
この日は、首脳のほとんどが徹夜で首脳宣言のすり合わせをして最後の詰めをトランプ氏に迫っている時のものです。
フランスからの報道によれば、メルケル首相が説教し、マクロン大統領がなだめるという役割分担でなんとか首脳宣言に同意したようです。 安倍首相はそばに立って沈黙しているだけであったようです。
ザイベルト氏によれば随行しているドイツ政府のカメラマンJesco Denzelさんによる写真です。早速dpa-ドイツ通信が流していますので、この写真は明日から世界中のメディアで使われて歴史に残るでしょう。
G7を維持するために何とか首脳宣言は成立しましたが、肝心要のトランプ氏の関税問題には踏み込まない骨抜きのものになったようです。
写真に関する6月11日再追加です:
ここまで書いてひと寝入りして起きてみると、予想した通り写真が世界中に広まっているだけではなく、トランプ氏が一旦同意した首脳宣言への署名をシンガポールへの途上で拒否することをツイッターで通告したために、余計に歴史的なものとして世界中のトップ記事に使われています。
まるで中世の封建領主並みの呆れた振る舞いですね。
そこで日本政府の反応をみると、同行し自分も写っている西村副官房長官が、このよううにドイツ政府の写真をちゃっかりパクって、あたかも安倍氏が首脳宣を「主導した」かのようなことをツイッターに書き込んでいます。
それだけではありません。この場面の写真を各国政府の政治筋がそれぞれ別の写真で伝えたものですから、安倍首相が説得しているような写真を使って追加しました。
首相官邸はこれです。
そして安倍首相本人はこう書き込んでいます。
その上で、首相は→「G7終幕 会見で結束の意義強調」と記者会見をしています。
これは官邸のHPでも保存されています。
ところが、そこに届いたのがトランプ氏の通達です。
カナダの首相府はもちろん、ドイツ首相府やマクロン大統領府はすぐに反論し、「宣言は首脳全員で同意されたものであるので有効である」との表明をしています。
週明けの欧州主要国での論調は、おしなべて(つまり保守革新を問わず)ここにきてついにトランプ政権への信頼が完全に失われたものになっています。
どういったわけか安倍首相も日本政府も、このトランプ氏の勝手極まる行動には一切口をつぐんだままで、また日本のメディアもこれに関する政府の見解を問いただした報道も今のところでは見ることができません。明らかに「臭いものには蓋」の悪しき習性がここにも見られます。
漁夫の利で合意を主導したかの筋書きを、3時間後にトランプ氏本人によってあっさりハシゴを外された安倍首相、果たしてどうするのでしょうか?
だんまりを決め込んめばメンツが保たれるとでも思っているのでしょうか?
であれば姑息でお粗末な噴飯芝居となり、トランプ氏のポチとして信用が落ちるだけです。この点を追及しない日本のメディアも同罪です。
さて、いよいよ明後日の12日、世界中が注目する米朝首脳会談がシンガポールで始まります。
レイキャビック会談の米ソ首脳 ヴィキペディアより |
レイキャビック会談には、二つの核大国間の水面下での長く深い交渉が前提としてあったことに比べると、今回の首脳会談は、とりわけアメリカ側の準備が驚くほど付け焼き刃で、トランプ氏のパーフォーマンス外交だけに頼っていることから、成功には甚だ心もとないものがあります。従来の軍縮交渉ではありえない前提での首脳会談です。
しかし、マイナスの二乗がプラスになるような効果があるいは起こり、休戦状態が長く続いている朝鮮戦争の終戦宣言などが実現され、それが中期的な核軍縮や平和条約への端緒になることへの期待は今日段階では許されるでしょう。
そうなれば東アジアにおける冷戦終結の実現への大きな一歩となるからです。ベルリンの壁の崩壊を壁のそばから体験したわたしは歴史が大きく動く時にはありえないことが起こるものであることを知っているからです。
逆にどちらかが席を蹴ってしまう最悪の場合には、反対に朝鮮戦争の再発の危機が一挙に高まるので、それだけは回避してもらいたいものです。特にトランプ氏はやりかねません。
さてこのような世界史の節目に際して、日本の安倍政権の外交といえば、急速に変化する情勢に手をこまねいて、「拉致、拉致!、制裁、制裁!」を念仏のように繰り返すだけで右往左往することしかできない惨めなことになっており、両者の関係諸国からもまともに相手にされていない無能ぶりをさらすだけになっています。
日本はどうしてこのような無能な外交の三流国家になり下がってしまったのでしょうか。それはひたすらアメリカにすがる安倍政権の歴史認識の質ならびに、それを批判すべき日本社会での、とりわけメディアの質の劣化によるものです。
先に→346回の投稿では、2007年に「拉致問題に拉致されて動きのとれない政権」であることを指摘した論稿を既に紹介しました。
この論考に先立ってわたしは小泉政権時に拉致問題が露呈した直後、また翌年に迫った第二次イラク戦争勃発の危機にあった2002年の秋に執筆した論稿がありますのでそれを再録しましょう。
なぜなら、当面の米朝首脳会談がどのような展開をもたらそうとも、この論考にある日本が追求すべき基本的な歴史の見方が、ここにきていよいよ現実性を持ったものであるからだと考えるからです。本稿は『世界』誌の2003年 1月号に掲載されたものです。
いつものようにいささか難解で、若い読者には不向きであるかもしれませんが、明日うらしまの歴史体験を語るものとして読んでいただければ幸いです。
(クリックして拡大してお読みください)
6月11日に以下の論考に出てくる場面の写真を二つだけ追加します。
文中にある旧東独国境警備隊の監視塔の銃眼からの写真。正面に東西ドイツの国境であったシュプレー川が流れ、その向こうに国会議事堂の建物が見える。1995年7月。
『アサヒグラフ』1995年9月1日号 写真:早坂元興特派員 |
上記写真の左の残土の向こう側に建設されたドイツ連邦プレス会議の建物。川に面した2階と3階にかけての出っ張り窓のあるところは文中にある記者会見場。
ドイツ連邦記者会議 写真:梶村 |
この論考への注釈:
この今から16年前の論考は、二つの特徴があります。
一つは、当時日本のメディアを席巻した感情論に対して冷戦の厳しさを指摘するため、いわゆる拉致問題を鴎外の「山椒大夫」を持ち出して国際人道法の面から論評したものとしては最初のものです。洋の東西にいまだに根強い勧善懲悪思考が必ず「人を恨めば穴二つ」に陥ることを指摘しました。日本の貧弱な外交がここで指摘した陥穽に落ち込んでいます。
もう一つは、9・11のニューヨーク・ワシントン同時テロを契機にアメリカで勃興したケーガン氏らのネオコンの「テロへの戦争論」のイデオロギーを、第二次イラク戦争を前にして日本で批判的に紹介した初めてのものであることです。
そしてこの共和党のイデオローグのケーガン氏もトランプ氏の登場に危機感を持って、大統領選挙の際から反トランプ 陣営に立ったことを指摘しておきます。
アメリカファーストをスローガンにするゼネコンの商法で世界政治を仕切ろうとするトランプ政権は、ここ100年近い合衆国の覇権主義の本格的な終わりの始まりだといえましょう。「パクッスアメリカーナ・アメリカによる平和」の終焉が始まっていることを日本は自覚すべきです。
速報として付録です:
ヨーロッパ時間の9日の夕方、以上の投稿を書いている時に、カナダで開催されているG7首脳会談の舞台裏の様子を見事に物語る写真を、メルケル首相に同行しているドイツ政府スポークスマンのザイベルト氏が先ほど彼のツイッターで伝えました。G7の二日目の朝、首脳宣言をなんとか実現しようとして、公式会談の裏舞台でマクロン仏大統領と並んで、トランプ大統領を説得するメルケル首相の姿です。そばで腕を組んでいる安倍首相、その隣で見守る超保守のボルトン補佐官らの表情がすべてを物語っています。
これが孤立しながら、平気でふんぞりかえる唯我独尊のトランプ大統領の姿です。
この日は、首脳のほとんどが徹夜で首脳宣言のすり合わせをして最後の詰めをトランプ氏に迫っている時のものです。
フランスからの報道によれば、メルケル首相が説教し、マクロン大統領がなだめるという役割分担でなんとか首脳宣言に同意したようです。 安倍首相はそばに立って沈黙しているだけであったようです。
ザイベルト氏によれば随行しているドイツ政府のカメラマンJesco Denzelさんによる写真です。早速dpa-ドイツ通信が流していますので、この写真は明日から世界中のメディアで使われて歴史に残るでしょう。
G7を維持するために何とか首脳宣言は成立しましたが、肝心要のトランプ氏の関税問題には踏み込まない骨抜きのものになったようです。
写真に関する6月11日再追加です:
トランプ氏にハシゴ外された安倍首相。さてどうする?
ここまで書いてひと寝入りして起きてみると、予想した通り写真が世界中に広まっているだけではなく、トランプ氏が一旦同意した首脳宣言への署名をシンガポールへの途上で拒否することをツイッターで通告したために、余計に歴史的なものとして世界中のトップ記事に使われています。
まるで中世の封建領主並みの呆れた振る舞いですね。
そこで日本政府の反応をみると、同行し自分も写っている西村副官房長官が、このよううにドイツ政府の写真をちゃっかりパクって、あたかも安倍氏が首脳宣を「主導した」かのようなことをツイッターに書き込んでいます。
それだけではありません。この場面の写真を各国政府の政治筋がそれぞれ別の写真で伝えたものですから、安倍首相が説得しているような写真を使って追加しました。
首相官邸はこれです。
そして安倍首相本人はこう書き込んでいます。
その上で、首相は→「G7終幕 会見で結束の意義強調」と記者会見をしています。
これは官邸のHPでも保存されています。
ところが、そこに届いたのがトランプ氏の通達です。
カナダの首相府はもちろん、ドイツ首相府やマクロン大統領府はすぐに反論し、「宣言は首脳全員で同意されたものであるので有効である」との表明をしています。
週明けの欧州主要国での論調は、おしなべて(つまり保守革新を問わず)ここにきてついにトランプ政権への信頼が完全に失われたものになっています。
どういったわけか安倍首相も日本政府も、このトランプ氏の勝手極まる行動には一切口をつぐんだままで、また日本のメディアもこれに関する政府の見解を問いただした報道も今のところでは見ることができません。明らかに「臭いものには蓋」の悪しき習性がここにも見られます。
漁夫の利で合意を主導したかの筋書きを、3時間後にトランプ氏本人によってあっさりハシゴを外された安倍首相、果たしてどうするのでしょうか?
だんまりを決め込んめばメンツが保たれるとでも思っているのでしょうか?
であれば姑息でお粗末な噴飯芝居となり、トランプ氏のポチとして信用が落ちるだけです。この点を追及しない日本のメディアも同罪です。