海外からでは、どうしても都知事選の雰囲気がとらえにくいのですが、公示された後になりましたが、脱原発候補の一本化ができなかった背景が判りました。
まず、わたしの見解ですが、この選挙で細川氏が東京都知事になれば、これは世界世論で、ドイツのメルケル首相のフクシマ後の脱原発決断に匹敵する、いやそれ以上の日本市民の英断として非常に高く評価されることは間違いないということです。
前回、一昨年の都知事選では、わたしも含めて脱原発派は一致して宇都宮さんを支持しましたが、猪瀬知事の辞任で突然行われることになった今回は、細川氏の立候補で残念ながら脱原発支持者は、宇都宮、細川両氏のどちらを支持するか、苦しい選択を迫られる事態になっています。
下手をすれば、脱原発票の分裂で自民党が推す舛添候補が漁父の利を得て当選することも想定しなければなりません。 それを回避するために両候補の一本化を河合弁護士と鎌田氏が、両者に話し合いを提案したのですが、結果としてうまく行かなかったようです。
宇都宮氏はこの結果について17日の段階でこのように語っています。→一本化問題で吠えるをご覧ください。たしかにこの時点で細川氏が対談、ないしは討論を断ったのは、有権者としては不満です。選挙では対立候補同士の公開討論は有権者にとっては非常に良い判断基準となるからです。
しかし、脱原発を目指す全国首長会議世話人の、東海村の村長村上達也氏も、以下のように一本化を訴えています。この声はおそらく全国の脱原発を望む市民の考えを代表していると思います。
また、細川氏の22日の立候補表明を受けて、南相馬の市長も細川氏支持を表明されたと聴いています。これこそが、原発事故に直面して苦しんでいる、イデオロギーや党利党略を越えた日本の広範な市民の意志であると思います。
わたしも今からでも遅くないので、宇都宮氏に対して細川氏一本化へ向けた大局的判断を呼びかけたいと思います。以下の記者会見で鎌田氏も述べていますが、投票日の数日前まで、まだ時間があります。苦渋の決断であることは間違いありませんが、それによって宇都宮氏の人格が損なわれることは決してありません。いや、それは逆でしょう。
細川氏はおそらく年齢からしても、一期で役目を終えられ次の選挙では、まだ若い宇都宮氏を後任候補として推薦されることもあり得ると思われます。ここで試されているのは両候補の度量の大きさなのです。
IWJが配信してくれている以下の記者会見をじっくり見て、改めてそう考えました。
*20日の河合弁護士ら「脱原発知事を実現する会」の→細川支持表明の記者会見。
*岩上安身氏による→その背景の取材。21日。
*22日の→細川氏立候補記者会見全編。
*その直後の「脱原発知事を実現する会」の→勝手連新事務所での緊急記者会見。
またこの関連では、田中龍作ジャーナルにも連日の優れたルポがあります。
例えば宇都宮氏を応援する→武藤類子さんの声など。
ここで彼女は一本化ができなかったことについて次のように述べています:
武藤さんは「とても残念なこと。自分もずいぶん悩んだ」と苦悩の表情を浮かべる。言葉を続けた―「尾を引くことがないように、目的を見失うことがないように。選挙で分裂してしまうような脱原発運動ではありませんよ」
わたしもそう願いつつ、それでも一本化を実現する努力を最後まであきらめないように望みます。
安倍政権と舛添候補たちに(南ドイツ新聞は舛添氏を「保守のポピュリス」と紹介する記事を書いています)分裂で漁父の利を得させるような事態は、絶対に回避すべきです。
フクシマ事故で地球規模での核汚染を発生させた日本社会の成り行きを、世界中は非常に厳しく見つめているのです。 安倍政権は日本の戦後最悪の危険な政権であることは、もう国際世論ですっかり定着しているのです。
ここで細川知事が実現すれば、間違いなくフクシマ事故以降で、日本からの最初の大きな朗報として、世界も一息ホットするのです。これが現実です。 ベルリンからの日本の市民の皆さんへのお願いとします。
2014年1月24日金曜日
2014年1月22日水曜日
224:速報:細川氏都知事選出馬決意表明「原発即時ゼロを」安倍政権と正面衝突の陣で左翼を固めるべし
先ほどあった細川氏の東京都知事選出馬記者会見での決意表明です。
ヴィデオ→その1、核心部は→その2ですから、こちらから見てください。
配信してくださったIWJに感謝します。
細川氏は原発再稼働を阻止し、原発即時ゼロで新しい日本をつくる決意を表明しました。安倍政権と文字どおり正面衝突となります。
わたしもじっと待っていたのですが、細川氏には原発を促進してきたかつての首相としての反省と、その過ちを率直に認め、危機感を持って、脱原発社会を目指そうとするヴィションと責任感がみられます。
この対陣では、必勝のためには右翼は固いですが、左翼を固めることが本格的に必要でしょう。宇都宮陣営にもこの際、大局を見る判断をすることを勧めます。なぜなら、命と生活を守ろうとする→示された沖縄や福島の民意に添うものであるからです。
とりあえず速報まで。
ヴィデオ→その1、核心部は→その2ですから、こちらから見てください。
配信してくださったIWJに感謝します。
細川氏は原発再稼働を阻止し、原発即時ゼロで新しい日本をつくる決意を表明しました。安倍政権と文字どおり正面衝突となります。
わたしもじっと待っていたのですが、細川氏には原発を促進してきたかつての首相としての反省と、その過ちを率直に認め、危機感を持って、脱原発社会を目指そうとするヴィションと責任感がみられます。
この対陣では、必勝のためには右翼は固いですが、左翼を固めることが本格的に必要でしょう。宇都宮陣営にもこの際、大局を見る判断をすることを勧めます。なぜなら、命と生活を守ろうとする→示された沖縄や福島の民意に添うものであるからです。
とりあえず速報まで。
2014年1月19日日曜日
223;名護と南相馬の市長選で反基地、脱原発の市長が勝利!明確な「国と知事の不良識の敗戦」
久しぶりに日本からふたつの良い知らせです。日本市民の良識と正気を示した選挙結果がふたつ伝わりました。
ひとつはこれ:
この時点では公式な得票率は発表されていませんが、稲嶺氏がかなり得票したようです。
これは間違いなくかなり大きな国際的ニュースになります。日米軍事同盟の矛盾に切り込んだ名護市民の命を守る長い闘いの結果です。
早速ロイターが→「稲嶺氏再選で安倍首相に頭痛」と速報しています。
ロイター→全文はこちら。
追加です:
沖縄タイムスは20日付けの社説で→「破れたのは国と知事だ」としています。 全くそのとおりです。稲嶺氏はこの結果について「有権者の良識の勝利」と述べていますが、これも全くそのとおりで、言い換えると、これは明確な「国と知事の不良識の敗戦」です。
すなわち日本の市民の正気は沖縄にあり です。
1945年7月、沖縄が本土防衛の捨て石となった、その廃墟の中で生まれた稲嶺市長と、彼を支える沖縄のみなさまへの敬意と感謝を表します。ありがとうございます。
沖縄タイムスの当選の号外を追加します。
TBSの伝える勝利の様子の→ヴィデオはこちらで。
追加です:
一夜明けての、20日朝の稲嶺市長の記者会見を琉球新報が配信しています。
→こちらです。
「子どもたちの未来のために」という公約の決意と、また交付金に関しては「不労所得では人間は元気にならない」と述べ、しっかりした自立精神が伝わります。
========================================================
もうひとつ日本の市民の良識と正気を福島で示したのは、南相馬市長選挙です。
こちらは、人間がとても住めないまでに汚染されている地域も含まれる行政で、再生可能エネルギー発電で再興を目指す勇気ある市長の勝利です。
朝日新聞の→本田雅和記者の第一報です。
感謝して全文引用させていただきます。
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上記の早版の記事に続いて後版では以下の記事です。
大きな違いは次のような市長の言葉が入っているところです。念のためこれも引用させていただきます。
桜井氏は「震災と原発に殺された多くの人々の悔しさを国と東電に伝えて闘い続ける。南相馬から一緒にこの国を立て直していこう」と呼びかけた。
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脱原発の現職再選 福島・南相馬市長選
福島県南相馬市長選は19日、投開票され、無所属現職の桜井勝延氏(58)が再選を果たした。東京電力福島第一原発事故で多くの市民が避難を余儀なくされるなか、事故に対する国や東電の責任追及や脱原発を明確に掲げる姿勢が評価された。投票率は62・82%(前回67・43%)。
桜井氏は1万7123票、前市長の渡辺一成氏(70)は1万985票、無所属新顔で前市議会議長の横山元栄氏(65)は5367票だった。桜井氏は「震災と原発に殺された多くの人々の悔しさを国と東電に伝えて闘い続ける。南相馬から一緒にこの国を立て直していこう」と呼びかけた。
南端が福島第一原発の約10キロ北にある南相馬市は、市域の4割が避難指示区域に指定されて約1万3千人が避難し、区域外からも1万人超が市外に自主避難している。こうした状況に加え、東京都知事選で脱原発を掲げる細川護熙元首相が立候補表明した影響もあり、早期の脱原発か否かが争点の一つになった。
桜井氏は、震災後にメガソーラーや風力発電の誘致に取り組んできた実績をもとに「市内全世帯を上回る約3万世帯の電力を再生可能エネルギーでまかなう」と早期の脱原発を主張。賠償格差の解消や国の責任による除染の徹底を再三求めてきた政治姿勢を強調し、放射能汚染に苦しむ有権者の支持を広げた。
横山、渡辺両氏は脱原発に慎重な姿勢を示す一方、復興の遅れなどについては「何でも反対の現職の政治姿勢が原因」と批判したが、及ばなかった。
(本田雅和)
ひとつはこれ:
この時点では公式な得票率は発表されていませんが、稲嶺氏がかなり得票したようです。
これは間違いなくかなり大きな国際的ニュースになります。日米軍事同盟の矛盾に切り込んだ名護市民の命を守る長い闘いの結果です。
早速ロイターが→「稲嶺氏再選で安倍首相に頭痛」と速報しています。
ロイター→全文はこちら。
追加です:
沖縄タイムスは20日付けの社説で→「破れたのは国と知事だ」としています。 全くそのとおりです。稲嶺氏はこの結果について「有権者の良識の勝利」と述べていますが、これも全くそのとおりで、言い換えると、これは明確な「国と知事の不良識の敗戦」です。
すなわち日本の市民の正気は沖縄にあり です。
1945年7月、沖縄が本土防衛の捨て石となった、その廃墟の中で生まれた稲嶺市長と、彼を支える沖縄のみなさまへの敬意と感謝を表します。ありがとうございます。
沖縄タイムスの当選の号外を追加します。
TBSの伝える勝利の様子の→ヴィデオはこちらで。
追加です:
一夜明けての、20日朝の稲嶺市長の記者会見を琉球新報が配信しています。
→こちらです。
「子どもたちの未来のために」という公約の決意と、また交付金に関しては「不労所得では人間は元気にならない」と述べ、しっかりした自立精神が伝わります。
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もうひとつ日本の市民の良識と正気を福島で示したのは、南相馬市長選挙です。
こちらは、人間がとても住めないまでに汚染されている地域も含まれる行政で、再生可能エネルギー発電で再興を目指す勇気ある市長の勝利です。
朝日新聞の→本田雅和記者の第一報です。
感謝して全文引用させていただきます。
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南相馬市長選、脱原発の現職・桜井氏が再選
2014年1月19日21時43分
福島県南相馬市長選は19日、投開票され、無所属現職の桜井勝延氏(58)が再選を果たした。東京電力福島第一原発事故で多くの市民が避難を余儀
なくされるなか、事故に対する国や東電の責任追及や脱原発を明確に掲げる姿勢が評価された。投票率は62・82%(前回67・43%)。
桜井氏は1万7123票、前市長の渡辺一成氏(70)は1万985票、無所属新顔で前市議会議長の横山元栄氏(65)は5367票だった。
南端が福島第一原発の約10キロ北にある南相馬市は、市域の4割が避難指示区域に指定されて約1万3千人が避難し、区域外からも1万人超が市外に 自主避難している。こうした状況に加え、東京都知事選で脱原発を掲げる細川護熙元首相が立候補表明した影響もあり、早期の脱原発か否かが争点の一つになっ た。
桜井氏は、震災後にメガソーラーや風力発電の誘致に取り組んできた実績をもとに「市内全世帯を上回る約3万世帯の電力を再生可能エネルギーでまか なう」と早期の脱原発を主張。賠償格差の解消や国の責任による除染の徹底を再三求めてきた政治姿勢を強調し、「利益優先・原発再稼働の国や東電と闘ってい く」と訴え、放射能汚染に苦しむ有権者の支持を広げた。
横山、渡辺両氏は脱原発に慎重な姿勢を示す一方、復興の遅れなどについては「何でも反対の現職の政治姿勢が原因」と批判したが、及ばなかった。
市南部から市内の仮設住宅に避難し、寝たきりになった80歳の義母を世話する主婦(58)は「国や東電にきちんとものを言い、脱原発をはっきり 言ってくれる桜井さんに投票した。これだけ原発のせいでひどい目にあってんだから。復興のためにも今は継続が大事だし」と話す。(本田雅和)
桜井氏は1万7123票、前市長の渡辺一成氏(70)は1万985票、無所属新顔で前市議会議長の横山元栄氏(65)は5367票だった。
南端が福島第一原発の約10キロ北にある南相馬市は、市域の4割が避難指示区域に指定されて約1万3千人が避難し、区域外からも1万人超が市外に 自主避難している。こうした状況に加え、東京都知事選で脱原発を掲げる細川護熙元首相が立候補表明した影響もあり、早期の脱原発か否かが争点の一つになっ た。
桜井氏は、震災後にメガソーラーや風力発電の誘致に取り組んできた実績をもとに「市内全世帯を上回る約3万世帯の電力を再生可能エネルギーでまか なう」と早期の脱原発を主張。賠償格差の解消や国の責任による除染の徹底を再三求めてきた政治姿勢を強調し、「利益優先・原発再稼働の国や東電と闘ってい く」と訴え、放射能汚染に苦しむ有権者の支持を広げた。
横山、渡辺両氏は脱原発に慎重な姿勢を示す一方、復興の遅れなどについては「何でも反対の現職の政治姿勢が原因」と批判したが、及ばなかった。
市南部から市内の仮設住宅に避難し、寝たきりになった80歳の義母を世話する主婦(58)は「国や東電にきちんとものを言い、脱原発をはっきり 言ってくれる桜井さんに投票した。これだけ原発のせいでひどい目にあってんだから。復興のためにも今は継続が大事だし」と話す。(本田雅和)
上記の早版の記事に続いて後版では以下の記事です。
大きな違いは次のような市長の言葉が入っているところです。念のためこれも引用させていただきます。
桜井氏は「震災と原発に殺された多くの人々の悔しさを国と東電に伝えて闘い続ける。南相馬から一緒にこの国を立て直していこう」と呼びかけた。
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脱原発の現職再選 福島・南相馬市長選
福島県南相馬市長選は19日、投開票され、無所属現職の桜井勝延氏(58)が再選を果たした。東京電力福島第一原発事故で多くの市民が避難を余儀なくされるなか、事故に対する国や東電の責任追及や脱原発を明確に掲げる姿勢が評価された。投票率は62・82%(前回67・43%)。
桜井氏は1万7123票、前市長の渡辺一成氏(70)は1万985票、無所属新顔で前市議会議長の横山元栄氏(65)は5367票だった。桜井氏は「震災と原発に殺された多くの人々の悔しさを国と東電に伝えて闘い続ける。南相馬から一緒にこの国を立て直していこう」と呼びかけた。
南端が福島第一原発の約10キロ北にある南相馬市は、市域の4割が避難指示区域に指定されて約1万3千人が避難し、区域外からも1万人超が市外に自主避難している。こうした状況に加え、東京都知事選で脱原発を掲げる細川護熙元首相が立候補表明した影響もあり、早期の脱原発か否かが争点の一つになった。
桜井氏は、震災後にメガソーラーや風力発電の誘致に取り組んできた実績をもとに「市内全世帯を上回る約3万世帯の電力を再生可能エネルギーでまかなう」と早期の脱原発を主張。賠償格差の解消や国の責任による除染の徹底を再三求めてきた政治姿勢を強調し、放射能汚染に苦しむ有権者の支持を広げた。
横山、渡辺両氏は脱原発に慎重な姿勢を示す一方、復興の遅れなどについては「何でも反対の現職の政治姿勢が原因」と批判したが、及ばなかった。
(本田雅和)
2014年1月12日日曜日
222:日本の「靖国引きこもり症」政権の駐英大使が演じた国際喜劇のひと幕(その5)
昨日、わたしのこの「靖国引きこもり症シリーズ」を読まれた、大沼安史さんがブログの「机の上の空」で感想と、さらに安倍政権が国際舞台で演じている喜劇の一幕を紹介されていますので是非読んでください。
昨年末から、わたしは安倍首相の靖国参拝は「 日本にとっては悲劇ですが、国際的には喜劇となるでしょう。外交とは悲喜劇の綾なす舞台なのです。 」と書いていますが、そのとおりになってきましたね。
大沼氏は→まずは:
このブログで、 梶村さんはこうも指摘している。
……日本のメディア、政治家の皆さんに知っておいていただきたいのは、ある政権を批判する欧米のメディアが、歴史修正主義という表現を使ったときは、その政権は相手にできない落第の烙印を押されたことと同様である ということです。
これは重大な、重要な指摘である。
と評価してくださっています。大沼さんに感謝です。海外特派員の体験があるから直ぐ判るのです。
さらに、続くコラムで、わたしの前回の次の言葉をを引用したうえで、国際喜劇を紹介されています:
日本の駐英大使が、駐英中国大使のハリーポッターになぞらえた靖国批判の挑発にまんまと載せられて、まるで落語の横町長屋の熊八の口喧嘩程度の反論をして欧米メディアの笑い者になる程度ですから、これぞ喜劇です。
前回のこの言葉を裏づけるように、林景一日本大使が、テレグラフ紙での反論の後でBBCの討論番組に「引っ張りだされて」→シドロモドロ となったというのです。
この10分足らずの番組は→ここで見れますので是非ご覧ください。
これを見て大沼さんは次のように書いています:
わたしは(しかし……)林大使の受け答えを聞いているうちに、大使が、なんだか気の毒にもなった。
大使が安倍政権がどれだけ平和を大切にしている男か説明しようにも、安倍首相の言動がそれと反対のことばかりしているのだから、説得力に欠くのはやむを得ない。
で…………パックスマンさんに、「(安倍首相は)憲法を改正しようとしているそうだが、ほんとうですか?」と切り込まれて、ヴォルデモートならぬ、シドロモドーロ状態にならざるを得なかったときなど、思わず、目を覆いたくなった!
実際のところ、中国が「ヴォルデモート」であるかどうか、など、この際、どうでもいいことだ。
問題はわたしたちの国、日本である。
日本が「新・軍国主義=ヴォルデモート化の道」を絶対に歩まないことを、明確に、国際社会に示す----
日本が「9条の国」であることを明確に示す------
ロンドンでの敗北から、私たちが学ぶべき教訓は----これである。
この感想に付け加えることはありませんが、大沼さんはやさしい人です。大使の苦しい立場を思いやっています。
番組の後半での、堂々とした中国大使の主張、特に1985年の中曽根総理大臣の参拝から何故問題なのかについての主張、と比べれば、明らかな判定負けです。
以前にも書きましたが、安倍首相の靖国参拝は必ず、国際舞台で喜劇となり、それが日本の悲劇となるのです。外交とは悲喜劇織りなす舞台なのです。
それにしても、ロンドンには日本の各社の特派員が多勢いるのに、このBBCでの日本外交の敗北を何故伝えないのでしょうか?
記事を送っても配信されないのでしょうか? 全く不可解ですね。
理由はともかく、これだから日本市民は国際世論での日本の姿を知ることができないのです。
ロンドンの記者諸君、負け戦を報じないのは戦争中と同じことですよ!
これもメディアにおける「靖国引きこもり症」の症状の顕われのひとつでしょう。
香港紙は南華早報が英文でもビデオつきで→きっちり報道していますよ。
新華網は日本語版でもこのとおり。
人民日報電子版は日本語版でも中国電視台のビデオもつけて→このとおり。
さらに、フランス訪問中の岸田外務大臣のフランス政府の反応の件については「ドイツと対照的」と→このとおりの報道。
外交は完敗、報道合戦でもこれでは日本側の戦線放棄で逃亡のありさま!
いやはや、明日うらしま爺さんは、日本の外務省に乗り込んでしっかり説教したいですね。こんなことでは、国益を害するばかりです。見ていられません。
うん、思い返せば、今を去ること半世紀近く前になりますが、当時外交官試験の担当をしていたある政治学の教授から、若きわたしは外交官試験を受けろと勧められたことがありますが、あのとき即座に断らなかった方が良かったのかもしれません。後悔先に立たず!
Keiichi Hayashi (left) and Liu Xiaoming. Photo: SCMP南華早報 |
昨年末から、わたしは安倍首相の靖国参拝は「 日本にとっては悲劇ですが、国際的には喜劇となるでしょう。外交とは悲喜劇の綾なす舞台なのです。 」と書いていますが、そのとおりになってきましたね。
大沼氏は→まずは:
このブログで、 梶村さんはこうも指摘している。
……日本のメディア、政治家の皆さんに知っておいていただきたいのは、ある政権を批判する欧米のメディアが、歴史修正主義という表現を使ったときは、その政権は相手にできない落第の烙印を押されたことと同様である ということです。
これは重大な、重要な指摘である。
と評価してくださっています。大沼さんに感謝です。海外特派員の体験があるから直ぐ判るのです。
さらに、続くコラムで、わたしの前回の次の言葉をを引用したうえで、国際喜劇を紹介されています:
日本の駐英大使が、駐英中国大使のハリーポッターになぞらえた靖国批判の挑発にまんまと載せられて、まるで落語の横町長屋の熊八の口喧嘩程度の反論をして欧米メディアの笑い者になる程度ですから、これぞ喜劇です。
前回のこの言葉を裏づけるように、林景一日本大使が、テレグラフ紙での反論の後でBBCの討論番組に「引っ張りだされて」→シドロモドロ となったというのです。
この10分足らずの番組は→ここで見れますので是非ご覧ください。
これを見て大沼さんは次のように書いています:
わたしは(しかし……)林大使の受け答えを聞いているうちに、大使が、なんだか気の毒にもなった。
大使が安倍政権がどれだけ平和を大切にしている男か説明しようにも、安倍首相の言動がそれと反対のことばかりしているのだから、説得力に欠くのはやむを得ない。
で…………パックスマンさんに、「(安倍首相は)憲法を改正しようとしているそうだが、ほんとうですか?」と切り込まれて、ヴォルデモートならぬ、シドロモドーロ状態にならざるを得なかったときなど、思わず、目を覆いたくなった!
実際のところ、中国が「ヴォルデモート」であるかどうか、など、この際、どうでもいいことだ。
問題はわたしたちの国、日本である。
日本が「新・軍国主義=ヴォルデモート化の道」を絶対に歩まないことを、明確に、国際社会に示す----
日本が「9条の国」であることを明確に示す------
ロンドンでの敗北から、私たちが学ぶべき教訓は----これである。
この感想に付け加えることはありませんが、大沼さんはやさしい人です。大使の苦しい立場を思いやっています。
番組の後半での、堂々とした中国大使の主張、特に1985年の中曽根総理大臣の参拝から何故問題なのかについての主張、と比べれば、明らかな判定負けです。
以前にも書きましたが、安倍首相の靖国参拝は必ず、国際舞台で喜劇となり、それが日本の悲劇となるのです。外交とは悲喜劇織りなす舞台なのです。
それにしても、ロンドンには日本の各社の特派員が多勢いるのに、このBBCでの日本外交の敗北を何故伝えないのでしょうか?
記事を送っても配信されないのでしょうか? 全く不可解ですね。
理由はともかく、これだから日本市民は国際世論での日本の姿を知ることができないのです。
ロンドンの記者諸君、負け戦を報じないのは戦争中と同じことですよ!
これもメディアにおける「靖国引きこもり症」の症状の顕われのひとつでしょう。
香港紙は南華早報が英文でもビデオつきで→きっちり報道していますよ。
新華網は日本語版でもこのとおり。
人民日報電子版は日本語版でも中国電視台のビデオもつけて→このとおり。
さらに、フランス訪問中の岸田外務大臣のフランス政府の反応の件については「ドイツと対照的」と→このとおりの報道。
外交は完敗、報道合戦でもこれでは日本側の戦線放棄で逃亡のありさま!
いやはや、明日うらしま爺さんは、日本の外務省に乗り込んでしっかり説教したいですね。こんなことでは、国益を害するばかりです。見ていられません。
うん、思い返せば、今を去ること半世紀近く前になりますが、当時外交官試験の担当をしていたある政治学の教授から、若きわたしは外交官試験を受けろと勧められたことがありますが、あのとき即座に断らなかった方が良かったのかもしれません。後悔先に立たず!
2014年1月8日水曜日
221:歴史修正主義の烙印を押される日本の「靖国引きこもり症」。駐英日本大使の教養の欠落。(その4)
昨年末の安倍首相の靖国参拝で、日本のメディアには「中国と韓国が日本包囲網を作ろうとしている」といった論調があります。まるで太平洋戦争期の「ABCD包囲網」の再来のごとくです。
ところが、事態はそんなものではありません。日本は当時よりももっと酷く外交で孤立状態になっています。そのことを知るのは簡単です。世界中の報道で安倍氏の靖国参拝に理解を示す、あるいはそれを支持する報道は、虫メガネで捜してもひとつもありません。あるのは日本の産経と読売など安倍政権翼賛メディアだけなのです。
ドイツでの昨日1月7日の報道ひとつとっても、南ドイツ新聞の東京特派員が「孤島で孤立」という見出しで、「安倍政権が次第に孤立を深めており、中国、韓国は安倍氏を歓迎せず、閣僚級会談もできない状態で、関係を深めているのは原発を輸出しようとしているトルコと中東産油国ぐらいである。メルケル首相も2008年のG8以来日本を訪れていない」と伝えています(電子版では読めません)。
同日、フランクフルター・アルゲマイネ紙は文芸欄(同紙の文芸欄はヨーロッパでも一流です)に、新年の北京から、盧溝橋の抗日博物館の展示の紹介のルポタージュを掲載しています。
見出しは「一連の未清算」で、 「なぜ博物館での両国友好への表明にもかかわらず、それがが反転してしまったのか?」とのリードが着いています。
これはかなり長い報告ですので、ここで翻訳をすることはできませんが、見逃せないのは、ここでも「日本が両国の外交のパイプを次第に閉じている」、また「これまでにも見られた日本の政治における歴史修正主義的傾向が、これまで以上に強化されている」として非常に危険視していることです。
日本のメディア、政治家の皆さんに知っておいていただきたいのは、ある政権を批判する欧米のメディアが、歴史修正主義という表現を使ったときは、その政権は相手にできない落第の烙印を押されたことと同様であるということです。
近年のその例がイランのアフマディーネジャド大統領政権の歴史修正主義でした。ホロコーストを否定する彼の歴史認識が、どれだけ危険視されイランを国際社会で孤立させたかが好例でしょう。安倍晋三首相は、彼と入れ替わりに登場した歴史修正主義者の首脳としての地位を歴史の中で得つつあるのです。
それこそ、孤立した島国ではその厳しさを認識するのが難しいことは、ある程度は判らないでもないですが、世界世論は安倍政権に極右の歴史修正主義政権として烙印を押しつつあります。安倍政権が続く限りこの烙印が消されることはありません。 日本の外交にとって救いがたい損失です。大げさではなく、靖国引きこもりを続ければ、明治維新以来体験したことがないほどの孤立をもたらしかねません。
さて、安倍靖国参拝問題について、日中関係に詳しい内田雅敏弁護士が、以下の論考を執筆されていますので、特にメディア関係者に一読をお勧めします。
―改憲阻止の闘いは靖國歴史観との対峙をさけてはならない―
この論考で、特に大切なのは、A級戦犯の分祀の主張を、それが靖国神社の存立にかかわるため絶対にあり得ないことを、詳しく論証している点です。靖国問題理解のためには必読であると思います。
さてついでで、いささか我田引水となりますが、本日発売の『世界』2月号をお読み下さい。
これにわたしの→以下の報告があります。
ポスト原子力時代へ歩むドイツ新政権
この「靖国引きこもり症」という病氣の根源についてはすでに述べましたが、その分析を続いて述べたいと思います。世論調査によれば、日本の若い世代にこの病への抵抗力が目立って低下しているようです。深刻ですね。
とはいえ、日本の駐英大使が、駐英中国大使のハリーポッターになぞらえた靖国批判の挑発にまんまと載せられて、まるで落語の横町長屋の熊八の口喧嘩程度の反論をして欧米メディアの笑い者になる程度ですから、これぞ喜劇です。
この大使の知性こそ、日本の若者の鑑なのです。明らかにこの日本大使には歴史修正主義批判の恐ろしさを自覚する教養が欠落しているのです。憐れなことになりました。
ところが、事態はそんなものではありません。日本は当時よりももっと酷く外交で孤立状態になっています。そのことを知るのは簡単です。世界中の報道で安倍氏の靖国参拝に理解を示す、あるいはそれを支持する報道は、虫メガネで捜してもひとつもありません。あるのは日本の産経と読売など安倍政権翼賛メディアだけなのです。
ドイツでの昨日1月7日の報道ひとつとっても、南ドイツ新聞の東京特派員が「孤島で孤立」という見出しで、「安倍政権が次第に孤立を深めており、中国、韓国は安倍氏を歓迎せず、閣僚級会談もできない状態で、関係を深めているのは原発を輸出しようとしているトルコと中東産油国ぐらいである。メルケル首相も2008年のG8以来日本を訪れていない」と伝えています(電子版では読めません)。
FAZ 7.Januar 2014 |
同日、フランクフルター・アルゲマイネ紙は文芸欄(同紙の文芸欄はヨーロッパでも一流です)に、新年の北京から、盧溝橋の抗日博物館の展示の紹介のルポタージュを掲載しています。
見出しは「一連の未清算」で、 「なぜ博物館での両国友好への表明にもかかわらず、それがが反転してしまったのか?」とのリードが着いています。
これはかなり長い報告ですので、ここで翻訳をすることはできませんが、見逃せないのは、ここでも「日本が両国の外交のパイプを次第に閉じている」、また「これまでにも見られた日本の政治における歴史修正主義的傾向が、これまで以上に強化されている」として非常に危険視していることです。
日本のメディア、政治家の皆さんに知っておいていただきたいのは、ある政権を批判する欧米のメディアが、歴史修正主義という表現を使ったときは、その政権は相手にできない落第の烙印を押されたことと同様であるということです。
近年のその例がイランのアフマディーネジャド大統領政権の歴史修正主義でした。ホロコーストを否定する彼の歴史認識が、どれだけ危険視されイランを国際社会で孤立させたかが好例でしょう。安倍晋三首相は、彼と入れ替わりに登場した歴史修正主義者の首脳としての地位を歴史の中で得つつあるのです。
それこそ、孤立した島国ではその厳しさを認識するのが難しいことは、ある程度は判らないでもないですが、世界世論は安倍政権に極右の歴史修正主義政権として烙印を押しつつあります。安倍政権が続く限りこの烙印が消されることはありません。 日本の外交にとって救いがたい損失です。大げさではなく、靖国引きこもりを続ければ、明治維新以来体験したことがないほどの孤立をもたらしかねません。
さて、安倍靖国参拝問題について、日中関係に詳しい内田雅敏弁護士が、以下の論考を執筆されていますので、特にメディア関係者に一読をお勧めします。
この論考で、特に大切なのは、A級戦犯の分祀の主張を、それが靖国神社の存立にかかわるため絶対にあり得ないことを、詳しく論証している点です。靖国問題理解のためには必読であると思います。
さてついでで、いささか我田引水となりますが、本日発売の『世界』2月号をお読み下さい。
これにわたしの→以下の報告があります。
ポスト原子力時代へ歩むドイツ新政権
梶村太一郎
昨年12月17日、ドイツ連邦議会で首相指名決議があり、大連立交渉をまとめた第3次メルケル政権が成立した。9月 22日の第18期連邦衆議院選挙から三カ月近い時間が必要であった。戦後ドイツ史のなかでも最長記録で、難産の赤ん坊の誕生のようであった。この難産の背 景には、いわば社会の民主化に伴う陣痛がある。その経過と背景、そしてとりわけ注目される新政権の協定のエネルギー政策指針を現地から報告する。
この号は特集として安倍政権批判の論考が多く掲載されているようなので、わたしも楽しみにしています。
この「靖国引きこもり症」という病氣の根源についてはすでに述べましたが、その分析を続いて述べたいと思います。世論調査によれば、日本の若い世代にこの病への抵抗力が目立って低下しているようです。深刻ですね。
とはいえ、日本の駐英大使が、駐英中国大使のハリーポッターになぞらえた靖国批判の挑発にまんまと載せられて、まるで落語の横町長屋の熊八の口喧嘩程度の反論をして欧米メディアの笑い者になる程度ですから、これぞ喜劇です。
この大使の知性こそ、日本の若者の鑑なのです。明らかにこの日本大使には歴史修正主義批判の恐ろしさを自覚する教養が欠落しているのです。憐れなことになりました。
2014年1月3日金曜日
220:日本の政治家の「靖国引きこもり症」。安倍首相とガウク大統領の言動の落差(その3)
さて、読者のみなさま、日本で蔓延する「靖国引きこもり症」に関する連載のその3です。
中国の新華社通信は、元旦の論評でついに靖国参拝をする安倍晋三首相を→「東方ナチスを拝むもの」とのタイトルで怒りを表現しています。
「東方ナチス」との表現はこれまでにない次元のものです。中国政府がここまで決定的に批判すれば、中国市民も政府を信頼して注視しているのではないかと推定できます。
その出だしにはこうあります:
新しい一年を迎えるにあたり、日本の安倍晋三首相は12月26日に靖国神社を参拝し、「東方ナチス」をひれ伏して拝み、歴史の歯車を逆転させることを加速していた。
ファシストが侵略戦争を起こしたことは、人類にとって暗黒の過去だと言わなければならない。この暗黒と醜悪にいかに立ち向かうか、明らかに異なる2つのやり方がある。
そのうえで、韓国もすでに長年主張している、1970年の当時のブラント西ドイツ首相のワルシャワゲットーの記念碑の前での跪きの写真を挙げています。
この44年前の、いわゆる彼の「東方外交」 での行為が、欧州の冷戦終結に及ぼした影響が画期的なものであったことは歴史が証明しているところです。加害国の一国の首相が、被害国の犠牲者に文字どおり跪いたからです。この瞬間から東西冷戦の凍結した鉄のカーテンは融け始めたのです。
この新華社の主張も、なぜ日本は同様な姿勢がとれないのかと訴え非難しているものです。 ここで「東方ナチス」との表現が出たために、これに対しておそらく繰り返されるのは以下のような反論でしょう。
20年前から歴史修正主義者の西尾幹二氏などが唱えている主張です。すなわち「ナチドイツはユダヤ人殲滅という民族虐殺を行ったもので、日本の戦争犯罪とは全く別の質のものだ。日本は民族虐殺などはしようとしなかった。だからドイツ人のように謝罪する必要はない」というものです。これは戦争の被害者をユダヤ人だけに矮小化するデマゴギーの論です。
たしかにナチスは、ヨーロッパに伝統的にある反ユダヤ主義の伝統を収斂させてヨーロッパのユダヤ民族の半数ともいわれている600万人を自己目的として虐殺しました。
これは、人類史上かつてない質の人道犯罪であったため、ニュールンベルク裁判で「人道に対する罪」というあらたな罪状で裁かれました。そして東京裁判ではこの罪状は適応されず、日本人のA級戦犯も主として「平和に対する罪」で裁かれたのは事実です。
しかし、日本の侵略戦争での犠牲者は2000万といわれており、その内最大の被害者は15年もの侵略にさらされた中国であったことは確かで、間違いなくユダヤ人以上の犠牲を払っているでしょう。こんなことが可能であったのも、そこにはナチスのゲルマン民族選民思想と反ユダヤ主義と対をなす、日本で周辺諸国を蔑視する日本民族選民思想があったからです。いわゆる「皇国思想」です。スローガンとしては「八紘一宇」でした。
これもナチスドイツに匹敵するファシズムでした。ファシズムには選民思想に基づく人種主義が共通項としてあります。それがファシズムの暴力の源なのです。
したがって、安倍晋三首相の靖国参拝で、中国がついに「東方のナチス」との表現をすることは、学問的には異論があるにしても、本質的には間違いではありません。
さて、「ドイツはユダヤ人に対して取り返しのつかない罪業を犯したのだから日本と別だ」「ブラントが跪いたのもユダヤ人ゲットーである」との西尾幹二氏式の言説が、全くのデマゴギーであることを、わたしは昨年秋に執筆していますので紹介致します。
ブラント首相以降も、ドイツの歴代首脳はユダヤ人だけでなく、先の大戦でのナチスの人種主義暴力支配の他国の犠牲者に和解を求めて謝罪を絶えることなく続けているのです。
以下の報告の後半に見られる、現ドイツ大統領のここではフランス人犠牲者への謝罪の足取りのその重さがいくらかでも読者に伝わればと願います。
これは、昨年の夏の日独の政治主導者の言動の落差を比較したものです。
以下、文章は掲載分と全く同じですが、写真をひとつ加えて、ひとつは鮮明なものに差し替えてあります。
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ベルリン歳時記37 『季刊中帰連』2013年10月53号
梶村太一郎
ふたりの性奴隷とふたりの政治家
第二次安倍内閣の成立によって、世界に広がっているのは日本に対する深い失望感である。フクシマの原発事故を処理する能力のない日本社会、かつての戦争犯罪の責任を否定する言動が容認される社会、これらによって日本に対する不信感が広がりつつある。そして、それを自覚しない日本社会。これは恐ろしい事実である。戦争犯罪に対する無自覚が、どのような日本像となるか、以下その例として「慰安婦問題」と日独の政治家の行動を挙げよう。
金学順さんと万愛花さん
無名のたった一人の勇気ある発言が巨体な歴史を大きく動かすことがある。一九九一年八月一四日、韓国で金学順(キム・ハクスン)さんが「慰安婦」として名乗り出たことがその一例だ。それからちょうど二二年後のこの日、「日本軍『慰安婦』メモリアル・デー」とする行動が世界各地で行われた。
ベルリンのブランデンブルク門前のパリ広場では、日韓の女性たちが中心となり、アジア諸国の犠牲者たちの写真を掲げて警告のスタンディングがあった。この行動の日独の代表者たちはこの日、日本大使館を訪れ、安倍晋三首相への「問題解決を促す公開質問状」を手渡している(本稿タイトル写真。詳しくは筆者ブログ→「明日うらしま」第117回を参照)。
注目すべきことに、この行動を中国の文化紙である光明日報が八月一七日付けで多くの写真とともに詳しく報道した(→同第118回参照)。この事実は、韓国と比べるといわゆる「慰安婦問題」にやや消極的であった中国政府の政策に、積極的な動きがでてきたことを示している。背景には金学順さんの勇気ある行動が、二二年を経て、普遍的なジェンダーの課題として世界世論で認識されてきたことがある。すなわち「慰安婦」問題は、単なる日本軍の戦争犯罪問題ではなく、世界的なジェンダーと人権の現在の中心的課題となってきたことがある。これを示しているのが、二六団体もの賛同署名のある安倍総理への公開質問状の次のような冒頭の言葉だ。
「総理もご承知の通り、本件は、この間に、アジアの存命する被害者に対する単なる補償の問題ではなくなっています。二〇年 前に被害者が名乗り出たことは、武力紛争や戦争、或は日常生活に於いて性暴力に晒されて来た、そして今も晒されている全世界の女性達への励ましとなりました。それ故、存命する被害者の権利を日本政府が認めることは、類似の犯罪を容認しないという強力なメッセージとして、女性に対する暴力を世界からなくすための一歩となるのです。このことは、ドイツ社会の示す本件への関心の高さからも、感得できます。本件に関する催しの際には、私たちはドイツ社会から常に暖かい連帯の支援を受けてきました。一体、そして何時になれば、日本が高齢の女性達の権利を認めるのかを、ドイツ社会は注視しています。
それだけに、大阪市長の橋下徹氏が、慰安所制度は当時必要だったと発言した時には、ドイツのメディアは厳しい批判を展開しました。批判は、橋下氏にのみ向けられたのではありませんでした。ドイツ語圏のメディアは、むしろ、あなたを始めとする日本の一部の政治家の言動によって橋下氏の言説が許容されていることを断罪しています。」
この日の行動で掲げられた犠牲者の女性たちの写真に万愛花(ワンアイフア)さんの写真もあった。
この方は韓国で金学順さんが名乗り出た翌年の一九九二年、東京で行われた国際公聴会で、中国人の日本軍性暴力 被害者として初めて世界に向けて被害を訴えたため、国際的にもよく知られた人物だ。昨年から体調を崩し、山西省の病院に入院されていたのだが、今年も「山西省・明らかにする会」の代表団の皆さんが、八月二六日にベルリンでの行動の写真を持ってお見舞いに訪れている。すっかり痩せて弱っておられて声も小さいながら、ベルリンでの行動を喜ばれ、「必ず結論を得てほしい。日本政府に圧力をかけて解決を要求してほしい」「頑張って(闘いを)放棄しないで」と、思いをしっかり託されたのことである。それから一週間後の九月四日に他界された。
万さんが本年六月二〇日、病床から発した安倍首相と橋下市長に対する抗議書には次のような体験の描写がある。
「あなたたちの日本政府が設けた「慰安婦」制度により、数十万人もの中国人女性が日本侵略者の「慰安婦」にされた。また、数え切れないほどの女性たちが、老年婦女、幼女にいたるまで、獣以下の 日本兵によって強姦、輪姦、殺害された。私の場合、あれはまだ十代の少女だった。日本兵 による掃討によって捕まった私は、日本軍が使用していた窑洞(ヤオトン)に放り込まれた。 窑洞のなかでは、白昼はひどく殴られ続け、夜になれば輪姦される。このような虐待が二一日間続いた。その後、私は逃げ出したのだが、再度連れ戻され、さらに二九日間輪姦され続けた。その後も私は逃亡したのだが、またも捕まり連れ戻される。その後も 輪姦され続ける私の状態を見て、もうダメだと判断したのか、日本兵は私を川のなかに放り投げた。 幸運にも助けが入り命は取り留めたのだが、私の身体は全身が縮み、子供を産む能力も失うほど身体的障害を負った。一生のなかで私は非常に多くの時間を病の床で過ごした。私の人生はまさに黄連(苦い薬)のようであった。泣きたくても涙も出ない。あなたたち日本兵の蛮行により、 私たち被害者は精神的、肉体的に傷つき、痛苦、恥辱を与えられた。この血の負債はだれが償うのか。」
中国人民網の報道によれば、告別式は八日、山西省陽泉市盂県で行われ、養女の李拉第さんは「母の生前の最大の願いを叶えるため、私は日本政府との裁判を継続していく。日本政府からの謝罪を得るまでできる限りの努力を続け、天国の母を安心させてやりたい」と語っている。この「血の負債」を償わなければならないのは、わたしたち日本の現在の世代である。
安倍総理とガウク大統領
ところで、メモリアル・デーの前日の八月一三日、安倍総理大臣は地元の山口県萩市を訪れ、彼が尊敬する吉田松陰を祭る松陰神社に参拝、さらに松蔭の墓参をし、松陰を「自らの一身をなげうって国家のために尽くされた」と讃え「『間違いない正しい判断をしていきます』と誓いを新たにいたしました」と心中を記者団に語っている。
わたしも以前、松陰神社を訪ねて考えたことを本誌で報告している(→「松下村塾と撫順の教育」ベルリン歳時記18・2005年33号)。
そこでは、松蔭がアメリカへの密航に失敗し、萩の獄中で書き下ろし『幽囚録』として師の象山に送った資料を引用し、明治維新の後の日本の侵略思想の原点として紹介した。その一部を現代語訳で再録する。そこには「いま急いで軍備を固め、軍艦や大砲をほぼ備えたならば、蝦夷の地を開墾して諸大名を封じ、隙に乗じてはカムチャツカ、オホーツクを奪い取り、琉球をも諭して内地の諸侯同様に参勤させ、会同させなければならない。また、朝鮮をうながして昔同様に貢納させ、北は満州の地を裂き取り、南は台湾・ルソンの諸島をわが手に収め、漸次進取の勢いを示すべきである」とある。
一八五四年のこの主張は、天皇制軍国主義の日本は、カムチャッカを除いて、忠実にこれを実行して九〇年後に破滅したのであった。(これに対する象山の批判については前記拙稿を参照)
この松蔭を神と崇める人物が現在の日本の首相なのである。本年四月に国会で、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と堂々と、時代錯誤で無知蒙昧な発言をして恥じない人物にふさわしい行動である。このような人物の率いる内閣が、国会での数を頼みに改憲を強行し、自衛隊を国軍に昇格させようとすれば、日本が完全に世界から孤立するだけでなく、敵視されることは必然だ。
彼の言動を、もう一人の政治家のそれと比較してみよう。
万愛花さんが亡くなった同日の午後、前日からフランスを公式訪問していたドイツのヨアヒム・ガウク大統領は、同国中西部のオラドゥールという村をドイツ大統領として初めて訪問した。東独出身でプロテスタントの牧師でもあるこの人物は、二〇一二年三月に就任して以来、積極的にかつてのドイツ軍の戦争犯罪の跡を訪問し、犠牲者とその遺族たちに償いを請うている。イタリアのトスカナ地方のスタツェマ村、チェコのリディツェ村など、いずれもドイツ軍によって、パルチザン攻撃の報復を名目として、住民の大量虐殺と徹底した破壊が行われ、今日に至るまで癒しがたい傷が痛み続けている地である。
ドイツ軍による非戦闘員の虐殺行為は占領地で無数にあり、特に東部戦線では消えてしまった村落がいたるところにある。日中戦争での皇軍による三光作戦のそれと同様の戦争犯罪であった。
一九四四年六月六日の連合軍によるノルマンディー上陸作戦が開始されて四日後の一〇日に起こったこの事件現場は、フランス解放後に訪れたドゴール将軍が、歴史を忘れないために、破壊された村をそのまま永久保存し、近くに新しい村を建設する決断をした。そのためフランスではドイツ軍の犯罪の象徴の地名となっている。(Oradour-sur-Glane, France で→画像を検索すれば写真をみることができる)
連合軍の上陸でヒトラーは南仏のドイツ軍機甲部隊に援助に向かうよう命令し、それを阻止しようとするレジスタンスの活動も活発化していた。オラドゥール村の南にある県庁所在地のチュールという街では、前日の九日に、親衛隊機甲部隊により九九人の市民が見せしめとして絞死刑にされている。その一中隊の一二〇名が翌日の午後二時にこの村に現れたのである。村にはパルチザンに参加する者もおらず平和な農村であったため、村民は若者が強制労働に徴用されることを恐れていただけだとの証言がある。
ドイツ兵はこの時点で村内にいた、男性一八一名を六ヶ所の干し草貯蔵小屋に分けて押し込め、一斉に機関銃で銃殺し、死体に干し草をかぶせて放火した。別に、女性二五四名、子どもと赤ん坊二〇七名をまとめて教会堂に閉じ込め、窓から機関銃と手投げ弾で虐殺したうえで放火している。その上で村全ての家屋を焼き払ったうえで引き揚げている。
燃える干し草小屋のひとつから、かろうじて逃亡した男性五名が生き残り、教会堂からは祭壇の窓から銃創を負った女性一人が逃亡できただけであった。生後一週間の赤ん坊を含め、六四二名が犠牲になっている。火災のため、後に身元が確認できたのは、わずかに五三体であったという。
生存者六名のなかで、六九年後の現在、お元気なのはふたりの男性だけである。現在も唯一の語り部としてお元気な、当時一五歳のロベー・エブラさんは、前に立っていた友人の身体が盾になったおかげで銃弾を免れたという。平頂山の幸存者と全く同じである。
ドイツ政府の高官が、なぜ七〇年も同地を訪問ができなかったについては、この事件特有の複雑な背景がある。戦後、ドイツ兵がフランスで戦犯として裁かれたのであるが、その中にアルザス出身のドイツ系フランス人が含まれていた。ライン川左岸のこの地方は歴史的に独仏両国が戦争で奪い合った地域であり、ドイツ系住民が今でも多い。このドイツ系兵士たちには有罪判決が下されたものの、「ドイツ系住民はドイツ軍に強制的に徴兵された」と主張するアルザス地方の強い意見をくんで、フランス政府の政治判断で早期に恩赦されてしまった。これがこの村の住民の強い怒りを呼び、この村は長くパリの中央政府と「断交」状態が続き、フランスの過去を巡る国内問題となっていたのである。かつて皇軍に徴用され、戦後戦犯として連合軍軍事法廷で裁かれた朝鮮人日本軍兵士とよく似た複雑な事情がそこにある。日独の侵略戦争が隣国に残した、いまだに癒されない傷である。
フランスのフランソワ・オランデ大統領はこのことをとりわけ実感している政治家である。彼には、上記のチュール市長を長年努めていた経歴があるからだ。彼はこの日、ガウク大統領に同行した。
このような背景のある村のドイツの大統領の謝罪訪問は、したがってフランスでは大きな出来事であり、ドイツでも主要紙が数日前から詳しく歴史を報道している。当日は、独仏の公共テレビが二時間に渡る訪問の全てを実況放送し、わたしもベルリンからそれを追ったのである。
この日は雲ひとつない日差しの強い快晴。現地でふたりの大統領は村長と八四歳のエブラさんに出迎えられ、ゆっくりとふたりの説明を聴きながら廃墟の村を案内され、少し高台にある教会堂の廃墟に至った。
ふたりの大統領は、エブラさんを中に手をつないで廃墟の祭壇に向かい、そこで三人は無言でしばらく祈りを捧げた。
ここはエブラさんの母親と妹が殺された場所である。祭壇前には錆びた乳母車の残骸がそのまま残っている。エブラさんの肩を抱きながら、祈りをささげたガウク大統領は、乳母車に衝撃を受けたことを後日述べている。出口の陰で涙をふるうガウク氏を映像がとらえている。
それから記念資料館を訪れた後両大統領は、村はずれの墓地にある犠牲者の追悼記念塔の前で、住民を前に犠牲者への献花と追悼演説と記帳をおこなった。
ガウク大統領は「今日、初めて自らの目で、ここを破壊した野蛮な滔天(とうてん)の罪行を見ることができました。これを行ったドイツ人として恥ずかしく思い、このことがフランス国民と生存者にとって何を意味するかを痛切に感じます。ドイツ人大統領として、皆さんが和解への意思をもって受け入れてくださったことに深く感謝します。わたしたちドイツ人はオラドゥールと、他の多くの蛮行の地名を決して忘れることはありません」と述べた。
これに対して、オランデ大統領は「あなたがここを訪問したことは、かつてのドイツの残虐行為を直視する現在のドイツの尊厳の証である」と応えている。
記帳を終えたふたりの大統領は、改めてエブラさんを中に、手を取り合って無言で抱き合った。六九年を経ての三者の和解の姿である。
わたしは、ガウク大統領の演説を聴きながら「zum Himmel schreienden Verbrechen/天にまで叫びがとどく犯罪」とは、撫順の管理所で戦犯たちが供述書にしばしば記した「滔天の罪行」と同じ言葉であることに気づかされたのであった。
この夏の終わりに、このように世界はガウク大統領の歴史的な虐殺の村訪問と、松蔭の墓参をする安倍首相の姿を記憶にとどめた。ふたりの政治家の言動の落差は埋めがたく深いのである。
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以上引用終わり。
ここに書いた「滔天の罪行」との表現が、中国政府の安倍靖国参拝への批判声明にも見られます。
1月4日。追加です:
この日の独仏両大統領の演説が見られます。→ドイツのテレビ。
この訪問の実況放送の全部の記録は→フランスのテレビで。
ガウク氏は牧師ですから素晴らしいドイツ語を話します。 内容もすぐれたものです。
ここで、また演説を聞き直してみると、オランデ大統領がそこで引用したこの犯罪に寄せたあるフランスの詩人の詩にある「オラドゥールには何一つも残らなかった・・・・叫びだけが残った」との一節に、ガウク大統領の「天にまで叫びがとどく犯罪」が見事に対応していることに気づきました。
被害者の叫び声を、加害者が聴こうとするまで和解は不可能なのです。
1月5日。再追加です:
ある読者からの指摘で、このガウク大統領の訪問を元NHKヨーロッパ総局長の大貫康雄氏(現自由報道協会代表理事)がブログで報告されていることを知りました。
この事件の処理を巡るフランス内での困難な背景にも触れられている優れたものですので、是非併せて読んでください:
→ナチスに消滅させられた村を訪れた独大統領。その胸の内は・・・
ただ、ここで 「ドイツでは2010年、ナチスの戦争犯罪に時効をなくし」 との記述がありますが、ドイツでナチスの犯罪を巡る長い論争の末、ついに刑法の謀殺罪(Mord)の時効を廃止したのは1979年のことです。
おそらくこれに続く氏の記述:「 歴史家が新たに発掘した資料に基づき、オラドゥール村虐殺事件の被告が新たに特定され裁判が始まっている」のが2011年であることと、混同されてのことと思いますので、指摘しておきます。
論議の経過については→こちら「時効論争」を参考にしてください。現在の→殺人罪公訴時効に関するの刑法条項はこちら。
日本語でこの問題に関して手際よく解説してあるのは、ここの→「ナチス犯罪の公訴時効の項」を参考にしてください。
中国の新華社通信は、元旦の論評でついに靖国参拝をする安倍晋三首相を→「東方ナチスを拝むもの」とのタイトルで怒りを表現しています。
「東方ナチス」との表現はこれまでにない次元のものです。中国政府がここまで決定的に批判すれば、中国市民も政府を信頼して注視しているのではないかと推定できます。
その出だしにはこうあります:
新しい一年を迎えるにあたり、日本の安倍晋三首相は12月26日に靖国神社を参拝し、「東方ナチス」をひれ伏して拝み、歴史の歯車を逆転させることを加速していた。
ファシストが侵略戦争を起こしたことは、人類にとって暗黒の過去だと言わなければならない。この暗黒と醜悪にいかに立ち向かうか、明らかに異なる2つのやり方がある。
そのうえで、韓国もすでに長年主張している、1970年の当時のブラント西ドイツ首相のワルシャワゲットーの記念碑の前での跪きの写真を挙げています。
この44年前の、いわゆる彼の「東方外交」 での行為が、欧州の冷戦終結に及ぼした影響が画期的なものであったことは歴史が証明しているところです。加害国の一国の首相が、被害国の犠牲者に文字どおり跪いたからです。この瞬間から東西冷戦の凍結した鉄のカーテンは融け始めたのです。
この新華社の主張も、なぜ日本は同様な姿勢がとれないのかと訴え非難しているものです。 ここで「東方ナチス」との表現が出たために、これに対しておそらく繰り返されるのは以下のような反論でしょう。
20年前から歴史修正主義者の西尾幹二氏などが唱えている主張です。すなわち「ナチドイツはユダヤ人殲滅という民族虐殺を行ったもので、日本の戦争犯罪とは全く別の質のものだ。日本は民族虐殺などはしようとしなかった。だからドイツ人のように謝罪する必要はない」というものです。これは戦争の被害者をユダヤ人だけに矮小化するデマゴギーの論です。
たしかにナチスは、ヨーロッパに伝統的にある反ユダヤ主義の伝統を収斂させてヨーロッパのユダヤ民族の半数ともいわれている600万人を自己目的として虐殺しました。
これは、人類史上かつてない質の人道犯罪であったため、ニュールンベルク裁判で「人道に対する罪」というあらたな罪状で裁かれました。そして東京裁判ではこの罪状は適応されず、日本人のA級戦犯も主として「平和に対する罪」で裁かれたのは事実です。
しかし、日本の侵略戦争での犠牲者は2000万といわれており、その内最大の被害者は15年もの侵略にさらされた中国であったことは確かで、間違いなくユダヤ人以上の犠牲を払っているでしょう。こんなことが可能であったのも、そこにはナチスのゲルマン民族選民思想と反ユダヤ主義と対をなす、日本で周辺諸国を蔑視する日本民族選民思想があったからです。いわゆる「皇国思想」です。スローガンとしては「八紘一宇」でした。
これもナチスドイツに匹敵するファシズムでした。ファシズムには選民思想に基づく人種主義が共通項としてあります。それがファシズムの暴力の源なのです。
したがって、安倍晋三首相の靖国参拝で、中国がついに「東方のナチス」との表現をすることは、学問的には異論があるにしても、本質的には間違いではありません。
さて、「ドイツはユダヤ人に対して取り返しのつかない罪業を犯したのだから日本と別だ」「ブラントが跪いたのもユダヤ人ゲットーである」との西尾幹二氏式の言説が、全くのデマゴギーであることを、わたしは昨年秋に執筆していますので紹介致します。
ブラント首相以降も、ドイツの歴代首脳はユダヤ人だけでなく、先の大戦でのナチスの人種主義暴力支配の他国の犠牲者に和解を求めて謝罪を絶えることなく続けているのです。
以下の報告の後半に見られる、現ドイツ大統領のここではフランス人犠牲者への謝罪の足取りのその重さがいくらかでも読者に伝わればと願います。
これは、昨年の夏の日独の政治主導者の言動の落差を比較したものです。
以下、文章は掲載分と全く同じですが、写真をひとつ加えて、ひとつは鮮明なものに差し替えてあります。
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ベルリン歳時記37 『季刊中帰連』2013年10月53号
梶村太一郎
ふたりの性奴隷とふたりの政治家
ブランデンブルク門での「日本軍『慰安婦』メモリアル・デー」写真:梶村 |
第二次安倍内閣の成立によって、世界に広がっているのは日本に対する深い失望感である。フクシマの原発事故を処理する能力のない日本社会、かつての戦争犯罪の責任を否定する言動が容認される社会、これらによって日本に対する不信感が広がりつつある。そして、それを自覚しない日本社会。これは恐ろしい事実である。戦争犯罪に対する無自覚が、どのような日本像となるか、以下その例として「慰安婦問題」と日独の政治家の行動を挙げよう。
金学順さんと万愛花さん
無名のたった一人の勇気ある発言が巨体な歴史を大きく動かすことがある。一九九一年八月一四日、韓国で金学順(キム・ハクスン)さんが「慰安婦」として名乗り出たことがその一例だ。それからちょうど二二年後のこの日、「日本軍『慰安婦』メモリアル・デー」とする行動が世界各地で行われた。
ベルリンのブランデンブルク門前のパリ広場では、日韓の女性たちが中心となり、アジア諸国の犠牲者たちの写真を掲げて警告のスタンディングがあった。この行動の日独の代表者たちはこの日、日本大使館を訪れ、安倍晋三首相への「問題解決を促す公開質問状」を手渡している(本稿タイトル写真。詳しくは筆者ブログ→「明日うらしま」第117回を参照)。
注目すべきことに、この行動を中国の文化紙である光明日報が八月一七日付けで多くの写真とともに詳しく報道した(→同第118回参照)。この事実は、韓国と比べるといわゆる「慰安婦問題」にやや消極的であった中国政府の政策に、積極的な動きがでてきたことを示している。背景には金学順さんの勇気ある行動が、二二年を経て、普遍的なジェンダーの課題として世界世論で認識されてきたことがある。すなわち「慰安婦」問題は、単なる日本軍の戦争犯罪問題ではなく、世界的なジェンダーと人権の現在の中心的課題となってきたことがある。これを示しているのが、二六団体もの賛同署名のある安倍総理への公開質問状の次のような冒頭の言葉だ。
「総理もご承知の通り、本件は、この間に、アジアの存命する被害者に対する単なる補償の問題ではなくなっています。二〇年 前に被害者が名乗り出たことは、武力紛争や戦争、或は日常生活に於いて性暴力に晒されて来た、そして今も晒されている全世界の女性達への励ましとなりました。それ故、存命する被害者の権利を日本政府が認めることは、類似の犯罪を容認しないという強力なメッセージとして、女性に対する暴力を世界からなくすための一歩となるのです。このことは、ドイツ社会の示す本件への関心の高さからも、感得できます。本件に関する催しの際には、私たちはドイツ社会から常に暖かい連帯の支援を受けてきました。一体、そして何時になれば、日本が高齢の女性達の権利を認めるのかを、ドイツ社会は注視しています。
それだけに、大阪市長の橋下徹氏が、慰安所制度は当時必要だったと発言した時には、ドイツのメディアは厳しい批判を展開しました。批判は、橋下氏にのみ向けられたのではありませんでした。ドイツ語圏のメディアは、むしろ、あなたを始めとする日本の一部の政治家の言動によって橋下氏の言説が許容されていることを断罪しています。」
この日の行動で掲げられた犠牲者の女性たちの写真に万愛花(ワンアイフア)さんの写真もあった。
右が亡くなった万愛花さん 写真:梶村 |
万さんが本年六月二〇日、病床から発した安倍首相と橋下市長に対する抗議書には次のような体験の描写がある。
「あなたたちの日本政府が設けた「慰安婦」制度により、数十万人もの中国人女性が日本侵略者の「慰安婦」にされた。また、数え切れないほどの女性たちが、老年婦女、幼女にいたるまで、獣以下の 日本兵によって強姦、輪姦、殺害された。私の場合、あれはまだ十代の少女だった。日本兵 による掃討によって捕まった私は、日本軍が使用していた窑洞(ヤオトン)に放り込まれた。 窑洞のなかでは、白昼はひどく殴られ続け、夜になれば輪姦される。このような虐待が二一日間続いた。その後、私は逃げ出したのだが、再度連れ戻され、さらに二九日間輪姦され続けた。その後も私は逃亡したのだが、またも捕まり連れ戻される。その後も 輪姦され続ける私の状態を見て、もうダメだと判断したのか、日本兵は私を川のなかに放り投げた。 幸運にも助けが入り命は取り留めたのだが、私の身体は全身が縮み、子供を産む能力も失うほど身体的障害を負った。一生のなかで私は非常に多くの時間を病の床で過ごした。私の人生はまさに黄連(苦い薬)のようであった。泣きたくても涙も出ない。あなたたち日本兵の蛮行により、 私たち被害者は精神的、肉体的に傷つき、痛苦、恥辱を与えられた。この血の負債はだれが償うのか。」
中国人民網の報道によれば、告別式は八日、山西省陽泉市盂県で行われ、養女の李拉第さんは「母の生前の最大の願いを叶えるため、私は日本政府との裁判を継続していく。日本政府からの謝罪を得るまでできる限りの努力を続け、天国の母を安心させてやりたい」と語っている。この「血の負債」を償わなければならないのは、わたしたち日本の現在の世代である。
安倍総理とガウク大統領
ところで、メモリアル・デーの前日の八月一三日、安倍総理大臣は地元の山口県萩市を訪れ、彼が尊敬する吉田松陰を祭る松陰神社に参拝、さらに松蔭の墓参をし、松陰を「自らの一身をなげうって国家のために尽くされた」と讃え「『間違いない正しい判断をしていきます』と誓いを新たにいたしました」と心中を記者団に語っている。
吉田松陰の墓参する安倍首相 写真:時事通信 |
そこでは、松蔭がアメリカへの密航に失敗し、萩の獄中で書き下ろし『幽囚録』として師の象山に送った資料を引用し、明治維新の後の日本の侵略思想の原点として紹介した。その一部を現代語訳で再録する。そこには「いま急いで軍備を固め、軍艦や大砲をほぼ備えたならば、蝦夷の地を開墾して諸大名を封じ、隙に乗じてはカムチャツカ、オホーツクを奪い取り、琉球をも諭して内地の諸侯同様に参勤させ、会同させなければならない。また、朝鮮をうながして昔同様に貢納させ、北は満州の地を裂き取り、南は台湾・ルソンの諸島をわが手に収め、漸次進取の勢いを示すべきである」とある。
一八五四年のこの主張は、天皇制軍国主義の日本は、カムチャッカを除いて、忠実にこれを実行して九〇年後に破滅したのであった。(これに対する象山の批判については前記拙稿を参照)
この松蔭を神と崇める人物が現在の日本の首相なのである。本年四月に国会で、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と堂々と、時代錯誤で無知蒙昧な発言をして恥じない人物にふさわしい行動である。このような人物の率いる内閣が、国会での数を頼みに改憲を強行し、自衛隊を国軍に昇格させようとすれば、日本が完全に世界から孤立するだけでなく、敵視されることは必然だ。
彼の言動を、もう一人の政治家のそれと比較してみよう。
万愛花さんが亡くなった同日の午後、前日からフランスを公式訪問していたドイツのヨアヒム・ガウク大統領は、同国中西部のオラドゥールという村をドイツ大統領として初めて訪問した。東独出身でプロテスタントの牧師でもあるこの人物は、二〇一二年三月に就任して以来、積極的にかつてのドイツ軍の戦争犯罪の跡を訪問し、犠牲者とその遺族たちに償いを請うている。イタリアのトスカナ地方のスタツェマ村、チェコのリディツェ村など、いずれもドイツ軍によって、パルチザン攻撃の報復を名目として、住民の大量虐殺と徹底した破壊が行われ、今日に至るまで癒しがたい傷が痛み続けている地である。
ドイツ軍による非戦闘員の虐殺行為は占領地で無数にあり、特に東部戦線では消えてしまった村落がいたるところにある。日中戦争での皇軍による三光作戦のそれと同様の戦争犯罪であった。
一九四四年六月六日の連合軍によるノルマンディー上陸作戦が開始されて四日後の一〇日に起こったこの事件現場は、フランス解放後に訪れたドゴール将軍が、歴史を忘れないために、破壊された村をそのまま永久保存し、近くに新しい村を建設する決断をした。そのためフランスではドイツ軍の犯罪の象徴の地名となっている。(Oradour-sur-Glane, France で→画像を検索すれば写真をみることができる)
連合軍の上陸でヒトラーは南仏のドイツ軍機甲部隊に援助に向かうよう命令し、それを阻止しようとするレジスタンスの活動も活発化していた。オラドゥール村の南にある県庁所在地のチュールという街では、前日の九日に、親衛隊機甲部隊により九九人の市民が見せしめとして絞死刑にされている。その一中隊の一二〇名が翌日の午後二時にこの村に現れたのである。村にはパルチザンに参加する者もおらず平和な農村であったため、村民は若者が強制労働に徴用されることを恐れていただけだとの証言がある。
ドイツ兵はこの時点で村内にいた、男性一八一名を六ヶ所の干し草貯蔵小屋に分けて押し込め、一斉に機関銃で銃殺し、死体に干し草をかぶせて放火した。別に、女性二五四名、子どもと赤ん坊二〇七名をまとめて教会堂に閉じ込め、窓から機関銃と手投げ弾で虐殺したうえで放火している。その上で村全ての家屋を焼き払ったうえで引き揚げている。
燃える干し草小屋のひとつから、かろうじて逃亡した男性五名が生き残り、教会堂からは祭壇の窓から銃創を負った女性一人が逃亡できただけであった。生後一週間の赤ん坊を含め、六四二名が犠牲になっている。火災のため、後に身元が確認できたのは、わずかに五三体であったという。
生存者六名のなかで、六九年後の現在、お元気なのはふたりの男性だけである。現在も唯一の語り部としてお元気な、当時一五歳のロベー・エブラさんは、前に立っていた友人の身体が盾になったおかげで銃弾を免れたという。平頂山の幸存者と全く同じである。
ドイツ政府の高官が、なぜ七〇年も同地を訪問ができなかったについては、この事件特有の複雑な背景がある。戦後、ドイツ兵がフランスで戦犯として裁かれたのであるが、その中にアルザス出身のドイツ系フランス人が含まれていた。ライン川左岸のこの地方は歴史的に独仏両国が戦争で奪い合った地域であり、ドイツ系住民が今でも多い。このドイツ系兵士たちには有罪判決が下されたものの、「ドイツ系住民はドイツ軍に強制的に徴兵された」と主張するアルザス地方の強い意見をくんで、フランス政府の政治判断で早期に恩赦されてしまった。これがこの村の住民の強い怒りを呼び、この村は長くパリの中央政府と「断交」状態が続き、フランスの過去を巡る国内問題となっていたのである。かつて皇軍に徴用され、戦後戦犯として連合軍軍事法廷で裁かれた朝鮮人日本軍兵士とよく似た複雑な事情がそこにある。日独の侵略戦争が隣国に残した、いまだに癒されない傷である。
フランスのフランソワ・オランデ大統領はこのことをとりわけ実感している政治家である。彼には、上記のチュール市長を長年努めていた経歴があるからだ。彼はこの日、ガウク大統領に同行した。
このような背景のある村のドイツの大統領の謝罪訪問は、したがってフランスでは大きな出来事であり、ドイツでも主要紙が数日前から詳しく歴史を報道している。当日は、独仏の公共テレビが二時間に渡る訪問の全てを実況放送し、わたしもベルリンからそれを追ったのである。
この日は雲ひとつない日差しの強い快晴。現地でふたりの大統領は村長と八四歳のエブラさんに出迎えられ、ゆっくりとふたりの説明を聴きながら廃墟の村を案内され、少し高台にある教会堂の廃墟に至った。
ふたりの大統領は、エブラさんを中に手をつないで廃墟の祭壇に向かい、そこで三人は無言でしばらく祈りを捧げた。
廃墟の教会で祈りを捧げて。右がガウク大統領 写真:南ドイツ新聞電子版 |
それから記念資料館を訪れた後両大統領は、村はずれの墓地にある犠牲者の追悼記念塔の前で、住民を前に犠牲者への献花と追悼演説と記帳をおこなった。
ガウク大統領は「今日、初めて自らの目で、ここを破壊した野蛮な滔天(とうてん)の罪行を見ることができました。これを行ったドイツ人として恥ずかしく思い、このことがフランス国民と生存者にとって何を意味するかを痛切に感じます。ドイツ人大統領として、皆さんが和解への意思をもって受け入れてくださったことに深く感謝します。わたしたちドイツ人はオラドゥールと、他の多くの蛮行の地名を決して忘れることはありません」と述べた。
これに対して、オランデ大統領は「あなたがここを訪問したことは、かつてのドイツの残虐行為を直視する現在のドイツの尊厳の証である」と応えている。
追悼記念碑の前で抱き合う3氏 写真:DPA |
わたしは、ガウク大統領の演説を聴きながら「zum Himmel schreienden Verbrechen/天にまで叫びがとどく犯罪」とは、撫順の管理所で戦犯たちが供述書にしばしば記した「滔天の罪行」と同じ言葉であることに気づかされたのであった。
この夏の終わりに、このように世界はガウク大統領の歴史的な虐殺の村訪問と、松蔭の墓参をする安倍首相の姿を記憶にとどめた。ふたりの政治家の言動の落差は埋めがたく深いのである。
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以上引用終わり。
ここに書いた「滔天の罪行」との表現が、中国政府の安倍靖国参拝への批判声明にも見られます。
1月4日。追加です:
この日の独仏両大統領の演説が見られます。→ドイツのテレビ。
この訪問の実況放送の全部の記録は→フランスのテレビで。
ガウク氏は牧師ですから素晴らしいドイツ語を話します。 内容もすぐれたものです。
ここで、また演説を聞き直してみると、オランデ大統領がそこで引用したこの犯罪に寄せたあるフランスの詩人の詩にある「オラドゥールには何一つも残らなかった・・・・叫びだけが残った」との一節に、ガウク大統領の「天にまで叫びがとどく犯罪」が見事に対応していることに気づきました。
被害者の叫び声を、加害者が聴こうとするまで和解は不可能なのです。
1月5日。再追加です:
ある読者からの指摘で、このガウク大統領の訪問を元NHKヨーロッパ総局長の大貫康雄氏(現自由報道協会代表理事)がブログで報告されていることを知りました。
この事件の処理を巡るフランス内での困難な背景にも触れられている優れたものですので、是非併せて読んでください:
→ナチスに消滅させられた村を訪れた独大統領。その胸の内は・・・
ただ、ここで 「ドイツでは2010年、ナチスの戦争犯罪に時効をなくし」 との記述がありますが、ドイツでナチスの犯罪を巡る長い論争の末、ついに刑法の謀殺罪(Mord)の時効を廃止したのは1979年のことです。
おそらくこれに続く氏の記述:「 歴史家が新たに発掘した資料に基づき、オラドゥール村虐殺事件の被告が新たに特定され裁判が始まっている」のが2011年であることと、混同されてのことと思いますので、指摘しておきます。
論議の経過については→こちら「時効論争」を参考にしてください。現在の→殺人罪公訴時効に関するの刑法条項はこちら。
日本語でこの問題に関して手際よく解説してあるのは、ここの→「ナチス犯罪の公訴時効の項」を参考にしてください。
2014年1月1日水曜日
2014年、新年おめでとうございます。本年も戦争と和解について考えます。
読者のみなさま、新年おめでとうございます。
間もなくベルリンでも年が明けます。
このブログも3年目に入ります。読者も次第に増えているようで、これまで32万のアクセスが記録されています。今では毎月15000から25000のアクセスがある、ミニコミとなっています。 日本語ですので読者の7割は日本から、残りの3割は、アメリカ合衆国、ドイツ、東西欧州諸国の順で読まれているようです。これはあくまでわたしの「覚え書き」にすぎませんが、それでも愛読してくださるみなさまに感謝を申し述べます。
今年は、第一次世界大戦が開戦から100周年の年になります。そのため今年は、ヨーロッパでは年間を通じて多くの行事が行われ、おびただしい議論が展開されることになりそうです。報道によれば、この戦争に関する書物がドイツでは150冊も出版される予定であり、フランスではその倍になるのではないかとのことです。
日本はこの大戦では欧州の大国間の争いにつけこみ、新興帝国主義としていわば漁父の利を得たことになり、その勢いで15年戦争・アジア太平洋戦争を行い軍国主義日本は破滅しました。しかし、近年になってその破滅に納得しない勢力が時代錯誤な妄想を抱いて台頭しているのは、世界にとって不幸で残念なことです。
欧州大陸では文字どおり「西欧の没落」の第一歩となったため、いまだにその後遺症は至る所に見られます。しかし一世紀を経てようやく距離をおいての議論ができる機会となっているようです。
第二次世界大戦もこの戦争の再現ともいえます。第二次世界大戦の指導者はほぼ例外無く、若い兵士としてまずはこの大戦に参戦しています。ですからこのテーマの議論の進展は非常に大切です。ゆっくり様子を見ながらわたしも学んで、戦争と和解を考えていきたいと思います。
ドイツでは、とりわけベルリンはこの100年間で、第一次大戦が始まった1914年から、ナチ時代、第二次大戦、東西分断の冷戦が終わる1989年まで、平和な時代はわずかにしかなかった歴史の中心地であったため、至る所にその記憶が染み付いており、ここで生活すると否が応でも歴史について深刻に考えざるを得ないことになります。
先日、クリスマスに我が家のネコのアズキが代理として、→ベルリンのクリスマスツリーの写真をみなさまにお見せしましたが、そこで紹介したヴィルヘルム皇帝記念教会のクリスマスの写真がありますので、新年にあたっていくつか紹介したいとおもいます。
この教会の歴史は、まさにドイツ近代史の栄光と苦難が刻まれているからです。それを背負って、現在では街の喧噪の中で礼拝堂の中は平和なものです。ベルリンを尋ねられたら是非立ち寄ってみてください。20世紀の戦争と和解についても考えさされる歴史の現場であるからです。
参考としては、この教会とそこにあるクルト・ロイバー軍医の絵については→こちらを。
またコヴェントリーの釘の十字架については、北海道大学の→小田博志さんがエッセイで紹介されていますので→こちらを参考にしてください。
戦後に建てられた礼拝堂の夜の美しさは特別です。クリックしてパノラマでご覧ください。
PS:ネコのアズキです。きのうは知り合いの小学生が三人も来て、餅つきをしたのでわたしはとても親切に遊んであげてとても楽しかったのです。
でも年明けの今は、人間どもがやたらに打ち上げる、新年の花火が怖くて、わたしにとっては一年で最悪の時間です。生きた心地もしないのです。ホントに野蛮な人間どもにつき合うのは大変です。
でも、今年もよろしくね。
間もなくベルリンでも年が明けます。
このブログも3年目に入ります。読者も次第に増えているようで、これまで32万のアクセスが記録されています。今では毎月15000から25000のアクセスがある、ミニコミとなっています。 日本語ですので読者の7割は日本から、残りの3割は、アメリカ合衆国、ドイツ、東西欧州諸国の順で読まれているようです。これはあくまでわたしの「覚え書き」にすぎませんが、それでも愛読してくださるみなさまに感謝を申し述べます。
今年は、第一次世界大戦が開戦から100周年の年になります。そのため今年は、ヨーロッパでは年間を通じて多くの行事が行われ、おびただしい議論が展開されることになりそうです。報道によれば、この戦争に関する書物がドイツでは150冊も出版される予定であり、フランスではその倍になるのではないかとのことです。
日本はこの大戦では欧州の大国間の争いにつけこみ、新興帝国主義としていわば漁父の利を得たことになり、その勢いで15年戦争・アジア太平洋戦争を行い軍国主義日本は破滅しました。しかし、近年になってその破滅に納得しない勢力が時代錯誤な妄想を抱いて台頭しているのは、世界にとって不幸で残念なことです。
欧州大陸では文字どおり「西欧の没落」の第一歩となったため、いまだにその後遺症は至る所に見られます。しかし一世紀を経てようやく距離をおいての議論ができる機会となっているようです。
第二次世界大戦もこの戦争の再現ともいえます。第二次世界大戦の指導者はほぼ例外無く、若い兵士としてまずはこの大戦に参戦しています。ですからこのテーマの議論の進展は非常に大切です。ゆっくり様子を見ながらわたしも学んで、戦争と和解を考えていきたいと思います。
ドイツでは、とりわけベルリンはこの100年間で、第一次大戦が始まった1914年から、ナチ時代、第二次大戦、東西分断の冷戦が終わる1989年まで、平和な時代はわずかにしかなかった歴史の中心地であったため、至る所にその記憶が染み付いており、ここで生活すると否が応でも歴史について深刻に考えざるを得ないことになります。
先日、クリスマスに我が家のネコのアズキが代理として、→ベルリンのクリスマスツリーの写真をみなさまにお見せしましたが、そこで紹介したヴィルヘルム皇帝記念教会のクリスマスの写真がありますので、新年にあたっていくつか紹介したいとおもいます。
この教会の歴史は、まさにドイツ近代史の栄光と苦難が刻まれているからです。それを背負って、現在では街の喧噪の中で礼拝堂の中は平和なものです。ベルリンを尋ねられたら是非立ち寄ってみてください。20世紀の戦争と和解についても考えさされる歴史の現場であるからです。
参考としては、この教会とそこにあるクルト・ロイバー軍医の絵については→こちらを。
またコヴェントリーの釘の十字架については、北海道大学の→小田博志さんがエッセイで紹介されていますので→こちらを参考にしてください。
戦後に建てられた礼拝堂の夜の美しさは特別です。クリックしてパノラマでご覧ください。
教会の外観とクリスマス市 |
スラーリングラードのクリスマス |
釘の十字架 |
廃墟の天井の一部 |
PS:ネコのアズキです。きのうは知り合いの小学生が三人も来て、餅つきをしたのでわたしはとても親切に遊んであげてとても楽しかったのです。
でも年明けの今は、人間どもがやたらに打ち上げる、新年の花火が怖くて、わたしにとっては一年で最悪の時間です。生きた心地もしないのです。ホントに野蛮な人間どもにつき合うのは大変です。
でも、今年もよろしくね。