速報です。
さきほど、ドイツ連邦衆議院は2022年末までに順次すべての原子力発電を停止し、
原発を廃炉とする脱原発法を与野党の圧倒的多数で決議しました。
記名投票での投票結果は次の通りです。
全投票数:600票
賛成:513 票
反対:79票
白票(棄権):8票
これにより、賛成率は85・5%と圧倒的でした。
同議案はこの後7月8日に連邦参議院の決議を経て直ちに施行される予定です。
国会中継を見ながらの速報でした。日本の通信社より早いでしょう。
2011年6月30日木曜日
2011年6月12日日曜日
9:ビスマルク、ヒトラー、メルケルと日本(中)脱原発を実現した人々/その3
先の投稿は途中で切れてしまっているので追加します。
写真の容量が重すぎて3分の2ほどが消えたようです。
引用させていただいた田中洋一氏の通信にある「地球の友ジャパン」のメンバーがベルリンのデモで挨拶をした写真の吉田明子さんです。
この日、5月28日の土曜日に、ドイツの市民運動は、脱原発のだめ押しともいえるデモを全国で行いました。ベルリンでは約3万人が、メルケル首相のキリスト教民主同盟の党本部前まで押し掛け、ちょうど全国の党幹部に首相が脱原発への意志一致を行っている時に強烈な圧力をかけたのです。
これは吉田さんがメンバーであるNGOのドイツの姉妹組織も一緒に行った行動で、見事なまでの組織力でした。吉田さんはご自分でブログにこの日のことを報告されているのでそちらも見て下さい:
http://blog.canpan.info/foejapan/archive/33
日本のデモが100万人にも達しなくても、初めて全国の100を越える場所で一斉に行われたことは大変な進歩です。またシュピーゲル誌が報告したように若者と子連れの家族が多く参加していることは、日本では画期的で新しいことであると思います。
若者たちが先頭になり、全国的に連帯して地道に粘り強く運動を続ければ、やがてはドイツに負けない力として育っていくでしょう。今日のデモがたとえ全国で数万人であったとしても、大きな出発点です。やがて10万人、20万人の行動となり、原発を廃棄させ再生可能エネルギー社会を実現することは十分に可能です。 30万人になればドイツを上回り、その時は日本でも原発は消えるでしょう。
以下、5月28日のだめ押しのデモの写真を挙げておきます。
ベルリンのど真ん中を行進し、メルケル首相が党内調整を行っている党本部前に押し掛けた市民。
ここではついに日本語のロゴのTシャツも登場して売られていました。まるでお祭りの雰囲気です。
この日の集会で特別ゲストとして最初に登場したのが吉田明子さんでした。フクシマの子どもたちの被曝基準に抗議して日本政府に働きかける運動を報告、ベルリン市民は連帯の大きな拍手と声で応えました。
メルケル首相の耳にも届いたことでしょう。なにしろ目と鼻の先での市民の声ですから。
絵に描いたような市民による民主主義実現の光景だと言えます。
写真の容量が重すぎて3分の2ほどが消えたようです。
引用させていただいた田中洋一氏の通信にある「地球の友ジャパン」のメンバーがベルリンのデモで挨拶をした写真の吉田明子さんです。
この日、5月28日の土曜日に、ドイツの市民運動は、脱原発のだめ押しともいえるデモを全国で行いました。ベルリンでは約3万人が、メルケル首相のキリスト教民主同盟の党本部前まで押し掛け、ちょうど全国の党幹部に首相が脱原発への意志一致を行っている時に強烈な圧力をかけたのです。
これは吉田さんがメンバーであるNGOのドイツの姉妹組織も一緒に行った行動で、見事なまでの組織力でした。吉田さんはご自分でブログにこの日のことを報告されているのでそちらも見て下さい:
http://blog.canpan.info/foejapan/archive/33
日本のデモが100万人にも達しなくても、初めて全国の100を越える場所で一斉に行われたことは大変な進歩です。またシュピーゲル誌が報告したように若者と子連れの家族が多く参加していることは、日本では画期的で新しいことであると思います。
若者たちが先頭になり、全国的に連帯して地道に粘り強く運動を続ければ、やがてはドイツに負けない力として育っていくでしょう。今日のデモがたとえ全国で数万人であったとしても、大きな出発点です。やがて10万人、20万人の行動となり、原発を廃棄させ再生可能エネルギー社会を実現することは十分に可能です。 30万人になればドイツを上回り、その時は日本でも原発は消えるでしょう。
以下、5月28日のだめ押しのデモの写真を挙げておきます。
だめ押しですからスローガンは「原子力終わり!」。いつもの通り高校生の元気な女の子たちがデモの先頭です。 |
ベルリンのど真ん中を行進し、メルケル首相が党内調整を行っている党本部前に押し掛けた市民。
ここではついに日本語のロゴのTシャツも登場して売られていました。まるでお祭りの雰囲気です。
この日の集会で特別ゲストとして最初に登場したのが吉田明子さんでした。フクシマの子どもたちの被曝基準に抗議して日本政府に働きかける運動を報告、ベルリン市民は連帯の大きな拍手と声で応えました。
メルケル首相の耳にも届いたことでしょう。なにしろ目と鼻の先での市民の声ですから。
絵に描いたような市民による民主主義実現の光景だと言えます。
8:ビスマルク、ヒトラー、メルケルと日本(中)脱原発を実現した人々/その2
5月28日ベルリンのだめ押し反原発デモで元気にドイツ語で挨拶する吉田明子さん |
ドイツのシュピーゲル誌も良質の写真と外電をまとめあげて地震から3ヶ月の日本の情況を報道しています。
記事:タイトルは「破壊された国、怒る市民」:
http://www.spiegel.de/panorama/0,1518,768057,00.html
写真:はちまきネコの写真も素晴らしい。ネコちゃんご苦労さんです。
http://www.spiegel.de/fotostrecke/fotostrecke-69116.html
パリでも日仏連帯のデモがあり、イタリアは明日の日曜から月曜日にかけて、原発の賛否を問う国民投票が行われます。投票率が50%を越えれば、同国の原発建設計画も最終的に終わりになります。
どうやらフクシマの事故で世界的な脱原発市民運動が広範に起こりそうです。「脱原発をこれから実現する人々」の国際連帯は 非常に大切です。核問題は本質的にグローバルですから抵抗運動も本質的に普遍的なものです。
先ほど届いた東京の代々木公園のデモに参加した友人の田中氏の通信の全文を転載させていただきます。
(以下引用)
ーーーーーーーーーーー
伊那谷から 137 (2011年6月11日)
黙祷に入ったその時、東京・代々木公園に薄日が差してきた。大震災からちょ
うど3カ月の午後2時46分。雨上がりの石畳には赤ちゃんを抱っこした若いママ、
子連れの夫婦、熟年カップル……。幅広い年齢層が集まった。ざっと2千人に近
いのではないか。
思い思いのプラカードが自己主張している。「福島の子どもを守れ」「今まで
放っておいてごめんなさい。原発もう要りません」。ヒマワリやガーベラの花を
手にした人達も。電力の原発依存から抜け出し、再生可能なエネルギーへの転換
(シフト)を求めるエネルギーシフトパレードだ。全国で一斉に繰り広げられた
「脱原発100万人アクション」の一環で、グリーンピースや地球の友ジャパンと
いった環境NGOが後押しをしている。
デモと呼ばず、パレードという楽しげな名の示威行動に参加するのは初めてだ。
「子どもを守ろう」とリーダーが呼びかけると、「エネシフト」と参加者が応じ
る。「バイバイ原発」の呼びかけにも「エネシフト」。40年余り前の10・21国際
反戦デーで銀座通りいっぱいに広がったフランスデモのような解放感はないが、
それでも同じ志の仲間が前後にいると実感できる気分は悪くない。
「放っておいてごめんなさい」のプラカードが物語るように、原子力政策・行
政への無批判・無関心が東京電力福島第1原発の災害を招いたことを、参加者は
十分に意識している。その結果として求める目標が、再生可能エネルギー促進へ
の政策転換であることは間違いない。だがそのために、どんな具体策を取るべき
なのか。それについてパレードではあまり触れなかった。
私が環境問題や市民運動の取材を始めたのは約20年前。当時行き合い、パレー
ドで再会した人がいる。原子力資料情報室で働いていた鮎川ゆりかさん(千葉商
科大教授)だ。上記の点を彼女に尋ねると、今国会で閣議決定された「電気事業
者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案」が突破口になり
そうと教えてくれた。実は、集会の始めに主催者の一人も法案に触れていた。
法案は太陽光・風力・水力・地熱・バイオマスで発電したエネルギーを電気事
業者に一定価格で買い取ることを義務付ける内容だ。そこがぐらついていたら、
再生可能エネルギーの普及は覚束ない。運命のいたずらか、法案が閣議決定され
たのは、あの3月11日の午前だった。その日の午後に大地震が起き、福島原発の
原子炉災害に連鎖したのは不思議な偶然だ。
「100万人」と銘打った全国一斉行動だが、参加者はその1割もいたのだろう
か。パレードは若者の街、原宿と渋谷を巡った。一風変わったパフォーマンスは、
周囲の注意を惹いたには違いないが、敷居は高かったようだ。デートを切り上げ、
パレードに合流する若者の姿を私はついぞ見かけなかった。
田中 洋一
ーーーーーーーーーーー
2011年6月11日土曜日
7:ビスマルク、ヒトラー、メルケルと日本(中)脱原発を実現した人々/その1
さて、日本のメディアでも今週月曜日の6月6日にドイツ政府が脱原発法と関連法案を閣議決定したことが、かなり大きく報道されましたが 今回はこれらを実現した人々と、その成果をごく簡単にですが画像を使って紹介しましょう。日本の報道だけでは結論だけで経過が伝わらないからです。
メルケル首相は、前にも書きましたようにフクシマの事故発生から、わずか3日後の3月14日の月曜日に緊急記者会見し、1970年代に稼働を始めた古い原発7基と、事故が続いて停止中の沸騰水型原発(84年稼働開始)の合計8基を3ヶ月間緊急停止し、その間に2つ委員会に諮問し、ひとつは全17基の原発の安全性を審査し、また「倫理委員会」に託して原子力発電の是非と安全なエネルギー供給について審査を要請することを発表しました。
この脱原発へ向けた180度の政策転換の決断を首相がしたのは、彼女が最近の『ディ・ツァイト』紙のインタビューで語っているところによると、どうやら3月12日、ドイツ時間の早朝のようです。起床して福島の1号機の水素爆発の映像を観て、物理学者メルケル氏はこれが何を意味するかを十分に理解したのです。彼女の原子力発電技術に対する信頼がこの映像で最終的に崩れたようです。
それからわずか週末の2日間で、国家のエネルギー戦略の転換を実現する手続きを具体化したのは、見事としか言いようがありません。 政権の連立相手である原発ロビーが強い自由民主党との連立協定をひっくり返し、国会で成立したばかりの原発稼働延長法をいきなり反古にしてしまう驚くべき宰相ぶりと言えます。(なんとか浜岡原発だけを停止させただけの菅首相と比べたくもなりますが)。
ここで彼女の主な手足となったのはキリスト教民主同盟のふたりの環境相です。
まずはレットゲン現環境相。彼は元来原発延長策に批判的であったので、メルケル内閣ではうだつが上がらない立場でした。ドイツの環境相は実はチェルノブイリの原発事故の直後1986年6月に創設されました。それもあり正式な名称は「環境保護原子炉安全省」といいます。ここには「原子炉安全委員会」という非政府組織の専門家による常設諮問機関が置かれています。さっそくレットゲン環境相は「福島のような事故がドイツの原発で起こる可能性についての検証」を諮問しました。わずか2ヶ月の期間ですが「報告書」がレットゲン氏に手渡されたのが5月17日です。
レットゲン氏は保守党の若手のホープのひとりですが、顔をみても判るように非常にリベラルでフランクな人物です。 政治家らしくレトリックで法螺も吹きますが、いかんせんポーカーフェイスができないえらく正直な人です。
この報告書は166頁あり、技術工学的に福島原発のような事故が起こる可能性について、地震、洪水、航空機墜落等々のケースに別けて17基の個々の原発につき徹底的に点数が付けられているものです。
この諮問機関には原子力関連産業の技術者も委員に入っていますし、また副島事故で応援に駆けつけているフランスのアレバ社のドイツの関連会社の専門家も委員としてふたり加わっています。つまり餅屋の集まりです。ヴィーラント委員長はドイツ技術検査協会の原子炉専門家で政治色はゼロの立場です。
さて、この報告書がようやく2ヶ月の激論の末、出来上がった16日の午後、わたしは委員のひとりを訪ねました。民間の「エコ研究所-Institut für angewandete Ökologie」の原子炉専門家のミヒャエル・ザイラー氏です。
彼は日本でも反原発運動の専門家とは長く交流のある知る人ぞ知るの人物です。というのも原子力情報資料室を創設した故高木仁三郎氏の古くからの盟友でもあるからです。高木氏が元気な頃彼と協力して貴重な国際的な研究報告を作り上げています。
この研究所は、いわばドイツの環境保護市民運動のシンクタンクとして創設されたものです。1998年に社会民主党と緑の党の連立政権が成立し、緑の党のトリテェン氏が環境相になった際、ザイラー氏は環境省の原子炉安全委員に抜擢され、シュレーダー政権の間は委員長として、2002年の脱原発法を実現した専門家です。
日本の原子力施設も多くを訪ねており詳しいことから、フクシマの事故に際しては、連日メディアにコメントを求められ、ドイツではよく知られた顔です。
事故直後から「日本は『集中治療室』の患者の状態である」と、的確にコメントしておりドイツ世論に大きな影響を与えています。フクシマの「集中治療室状態」は現在も同じことです。
レットゲン氏が彼のアドバイスで日本の事故について判断していることはよく知られており、非常に信頼されています。
わたしが彼と知り合ったのは1994年のことですから、もうずいぶん長い付き合いです。以来、メルクマールの長髪の巨漢は白髪が増えただけで全く変わっていません。この日、もうしゃべれるだろうと訪ねて報告書作成の苦労話もいくつか聴きましたが、ヨーロッパの主要な原発ロビー側の専門委員との原子炉評価の論議ですから、夜を徹しての大変激しいものであったとのことです。そのため報告書提出が3日遅れています。
ですからアレバ社経由のフクシマの情報は、日本政府よりも詳しくつかんでいるようです。当然日本の「原発村」の専門家とそれに頼る日本政府を厳しく批判していましたが、これについてはここでは触れません。
終わりに「次期政権では君もいよいよ環境省の政務次官になりそうだね」と言うと、「いやだよ、そんないそがしいことになれば、君と一杯やる時間もなくなるではないか」が答えでした。
とはいえ、彼の学生時代からの原子炉全廃の夢は、ドイツではいよいよ実現しそうです。すでに次の計画のため、彼はこの日の夜、スエーデンへ飛んでいます。放射性廃棄物の最終処理場の実現を図るためです。明くる日の朝、ドイツの公共第二テレビはオスロまで追っかけて、報告書に関するコメントを採っていました。
これがドイツ原子力発電施設の「死刑判決への二つの鑑定書」です:
(この項は長いので/その2として続きます)
メルケル首相は、前にも書きましたようにフクシマの事故発生から、わずか3日後の3月14日の月曜日に緊急記者会見し、1970年代に稼働を始めた古い原発7基と、事故が続いて停止中の沸騰水型原発(84年稼働開始)の合計8基を3ヶ月間緊急停止し、その間に2つ委員会に諮問し、ひとつは全17基の原発の安全性を審査し、また「倫理委員会」に託して原子力発電の是非と安全なエネルギー供給について審査を要請することを発表しました。
この脱原発へ向けた180度の政策転換の決断を首相がしたのは、彼女が最近の『ディ・ツァイト』紙のインタビューで語っているところによると、どうやら3月12日、ドイツ時間の早朝のようです。起床して福島の1号機の水素爆発の映像を観て、物理学者メルケル氏はこれが何を意味するかを十分に理解したのです。彼女の原子力発電技術に対する信頼がこの映像で最終的に崩れたようです。
それからわずか週末の2日間で、国家のエネルギー戦略の転換を実現する手続きを具体化したのは、見事としか言いようがありません。 政権の連立相手である原発ロビーが強い自由民主党との連立協定をひっくり返し、国会で成立したばかりの原発稼働延長法をいきなり反古にしてしまう驚くべき宰相ぶりと言えます。(なんとか浜岡原発だけを停止させただけの菅首相と比べたくもなりますが)。
ここで彼女の主な手足となったのはキリスト教民主同盟のふたりの環境相です。
まずはレットゲン現環境相。彼は元来原発延長策に批判的であったので、メルケル内閣ではうだつが上がらない立場でした。ドイツの環境相は実はチェルノブイリの原発事故の直後1986年6月に創設されました。それもあり正式な名称は「環境保護原子炉安全省」といいます。ここには「原子炉安全委員会」という非政府組織の専門家による常設諮問機関が置かれています。さっそくレットゲン環境相は「福島のような事故がドイツの原発で起こる可能性についての検証」を諮問しました。わずか2ヶ月の期間ですが「報告書」がレットゲン氏に手渡されたのが5月17日です。
5月17日「原子炉安全委員会」の報告書をレットゲン環境相に手渡すヴィーラント委員長 |
レットゲン氏は保守党の若手のホープのひとりですが、顔をみても判るように非常にリベラルでフランクな人物です。 政治家らしくレトリックで法螺も吹きますが、いかんせんポーカーフェイスができないえらく正直な人です。
この報告書は166頁あり、技術工学的に福島原発のような事故が起こる可能性について、地震、洪水、航空機墜落等々のケースに別けて17基の個々の原発につき徹底的に点数が付けられているものです。
この諮問機関には原子力関連産業の技術者も委員に入っていますし、また副島事故で応援に駆けつけているフランスのアレバ社のドイツの関連会社の専門家も委員としてふたり加わっています。つまり餅屋の集まりです。ヴィーラント委員長はドイツ技術検査協会の原子炉専門家で政治色はゼロの立場です。
さて、この報告書がようやく2ヶ月の激論の末、出来上がった16日の午後、わたしは委員のひとりを訪ねました。民間の「エコ研究所-Institut für angewandete Ökologie」の原子炉専門家のミヒャエル・ザイラー氏です。
5月16日ザイラー氏と、左は筆者。ベルリンのエコ研究所で |
彼は日本でも反原発運動の専門家とは長く交流のある知る人ぞ知るの人物です。というのも原子力情報資料室を創設した故高木仁三郎氏の古くからの盟友でもあるからです。高木氏が元気な頃彼と協力して貴重な国際的な研究報告を作り上げています。
この研究所は、いわばドイツの環境保護市民運動のシンクタンクとして創設されたものです。1998年に社会民主党と緑の党の連立政権が成立し、緑の党のトリテェン氏が環境相になった際、ザイラー氏は環境省の原子炉安全委員に抜擢され、シュレーダー政権の間は委員長として、2002年の脱原発法を実現した専門家です。
日本の原子力施設も多くを訪ねており詳しいことから、フクシマの事故に際しては、連日メディアにコメントを求められ、ドイツではよく知られた顔です。
事故直後から「日本は『集中治療室』の患者の状態である」と、的確にコメントしておりドイツ世論に大きな影響を与えています。フクシマの「集中治療室状態」は現在も同じことです。
レットゲン氏が彼のアドバイスで日本の事故について判断していることはよく知られており、非常に信頼されています。
わたしが彼と知り合ったのは1994年のことですから、もうずいぶん長い付き合いです。以来、メルクマールの長髪の巨漢は白髪が増えただけで全く変わっていません。この日、もうしゃべれるだろうと訪ねて報告書作成の苦労話もいくつか聴きましたが、ヨーロッパの主要な原発ロビー側の専門委員との原子炉評価の論議ですから、夜を徹しての大変激しいものであったとのことです。そのため報告書提出が3日遅れています。
ですからアレバ社経由のフクシマの情報は、日本政府よりも詳しくつかんでいるようです。当然日本の「原発村」の専門家とそれに頼る日本政府を厳しく批判していましたが、これについてはここでは触れません。
終わりに「次期政権では君もいよいよ環境省の政務次官になりそうだね」と言うと、「いやだよ、そんないそがしいことになれば、君と一杯やる時間もなくなるではないか」が答えでした。
とはいえ、彼の学生時代からの原子炉全廃の夢は、ドイツではいよいよ実現しそうです。すでに次の計画のため、彼はこの日の夜、スエーデンへ飛んでいます。放射性廃棄物の最終処理場の実現を図るためです。明くる日の朝、ドイツの公共第二テレビはオスロまで追っかけて、報告書に関するコメントを採っていました。
これがドイツ原子力発電施設の「死刑判決への二つの鑑定書」です:
脱原発へ向けた政府諮問委員会の報告書「倫理委員会」(左)と「原子炉安全委員会」(右) |
2011年6月4日土曜日
6:ビスマルク、ヒトラー、メルケルと日本(上)ブレーメンの音楽隊
メルケル首相は、猛烈な勢いで夏休みまでに脱原発法をドイツ全社会のコンセンサスとして成立させるべく突っ走っています。かなりな猪突猛進ぶりですから、メディアも汗をかきながら追いかけているのが実情といったところでしょう。今日のところ勢いは全く衰えはていません。
わたしに絵心があれば、四大電力会社のボスたちが、昨年9月に首相官邸で秘かにメルケル首相と取引して実現した昨年秋の平均12年の原発稼働延長法のおかげで、減価償却の終わった原発が金のなる木になって(概算で6兆円から10兆円の見込み利益増・注)大喜びしていたところ、フクシマで首相が豹変し、利益がタヌキの皮算用になったのはおろか、取引の分け前として約束した核燃料税も廃止しないと、詐欺まがいの要求で突っかかってきて、あわてふためいているひとこま漫画でも描くでしょう。
今週明けの電力株の下落と再生可能エネルギー関連株の上昇をメルケルイノシシはもたらしています。なにしろ脱原発を支持する「南ドイツ新聞」ですら、経済面で「これほど電力事業主を徹底的に排除するのはいかがなものか」との旨の論評をするほどなのです。いずれにせよドイツ戦後史では希な出来事です。
メルケル氏が猛進する最大の理由は、何としてもここで彼女の主導で脱原発を実現しない限り、2013年秋の総選挙で敗北することがほぼ確実であるからです。メルケル政権の戦略的失敗は、国民の反原発感情を見誤ったことにあります(注)。
チェルノブイリの事故以来、ドイツ世論はほぼ一貫して60%が脱原発を支持しています。2002年のシュレーダー政権の脱原発法の実現以来おとなしくなっていた反原発運動の「寝た子を起こす」愚を昨年秋の財政的な視点からの功利主義的な原発稼働延長策により犯してしまったのです。
フクシマ事故で脱原発の支持率は80%を越えています。結果は緑の党の支持率の倍増です。3月末にはついに史上初めて緑の党の州首相が誕生し、先の5月22日のブレーメン市特別州の選挙では、彼女のキリスト教民主同盟は、ついに緑の党に第二党の地位を奪われ第三党に転落したのです。これも西ドイツの州では史上初めてです(最終得票率は社会民主党38、6%。緑の党22、5%。キリスト教民主同盟20、3%)。しかもメルケル政権の連立政党である自由民主党はわずかに2、4%に凋落し、ついに州議会で議席を得ることができませんでした。
この様子を伝えるひとこま漫画を借用しておきましょう。「ブレーメンの音楽隊」がタイトルです。(「南ドイツ新聞」2011年5月23日Dieter Hanitzsch)
赤のニワトリが社会民主党、緑のネコが緑の党、へたばっているのが黄色のイヌの自由民主党と黒のロバのキリスト教民主同盟です。
跳び上がって喜んでいるのはガブリエル社会民主党党首。メルケル首相は子供のレスラー自民党党首とともに呆然としています。
すなわちメルケル首相が君子豹変して、猪突猛進しても緑の党の躍進は止められていません。最近の世論調査でもメルケル政権の脱原発政策を「信用できない」とする意見が三分の二に達していることも挙げておきます。政治家が一旦失った信用を取り戻すのは容易ではないことがわかります。
ちなみにこのブレーメンの州選挙で未成年である16歳と17歳の若者たちにも初めて選挙権が与えられ投票しましたが彼らの第一党は緑の党であり34%の得票率であったととのことです。緑の党が若者の党であることは一貫しています。
このように窮地にあるメルケル政権ですから、脱原発法をできるだけ早期に実現しなければ、事態は悪化する一方です。9月にはベルリン特別州で選挙があります。リベラルなベルリンでは緑の党が第一党に躍進する可能性もあり、首都までが緑の党に奪われれば、メルケル氏は次の連邦総選挙での政権維持は絶望的になります。彼女が何としても実現したいのは、ともかく一日も早く緑の党から、彼らの出生の証である脱原発の旗を奪い獲ることなのです。それに成功すれば、緑の党の躍進を抑えて、しかも連立相手の自由民主党は極端に弱体化しているため、あわよくば次期総選挙で緑の党と連立を目論もうとするのが、イノシシ宰相の新戦略のようです。さてこれが成功するか否か?
(この項つづきます)
(注)梶村「政権を揺さぶるドイツ反原発運動」『世界』2011年1月号
わたしに絵心があれば、四大電力会社のボスたちが、昨年9月に首相官邸で秘かにメルケル首相と取引して実現した昨年秋の平均12年の原発稼働延長法のおかげで、減価償却の終わった原発が金のなる木になって(概算で6兆円から10兆円の見込み利益増・注)大喜びしていたところ、フクシマで首相が豹変し、利益がタヌキの皮算用になったのはおろか、取引の分け前として約束した核燃料税も廃止しないと、詐欺まがいの要求で突っかかってきて、あわてふためいているひとこま漫画でも描くでしょう。
今週明けの電力株の下落と再生可能エネルギー関連株の上昇をメルケルイノシシはもたらしています。なにしろ脱原発を支持する「南ドイツ新聞」ですら、経済面で「これほど電力事業主を徹底的に排除するのはいかがなものか」との旨の論評をするほどなのです。いずれにせよドイツ戦後史では希な出来事です。
メルケル氏が猛進する最大の理由は、何としてもここで彼女の主導で脱原発を実現しない限り、2013年秋の総選挙で敗北することがほぼ確実であるからです。メルケル政権の戦略的失敗は、国民の反原発感情を見誤ったことにあります(注)。
チェルノブイリの事故以来、ドイツ世論はほぼ一貫して60%が脱原発を支持しています。2002年のシュレーダー政権の脱原発法の実現以来おとなしくなっていた反原発運動の「寝た子を起こす」愚を昨年秋の財政的な視点からの功利主義的な原発稼働延長策により犯してしまったのです。
フクシマ事故で脱原発の支持率は80%を越えています。結果は緑の党の支持率の倍増です。3月末にはついに史上初めて緑の党の州首相が誕生し、先の5月22日のブレーメン市特別州の選挙では、彼女のキリスト教民主同盟は、ついに緑の党に第二党の地位を奪われ第三党に転落したのです。これも西ドイツの州では史上初めてです(最終得票率は社会民主党38、6%。緑の党22、5%。キリスト教民主同盟20、3%)。しかもメルケル政権の連立政党である自由民主党はわずかに2、4%に凋落し、ついに州議会で議席を得ることができませんでした。
この様子を伝えるひとこま漫画を借用しておきましょう。「ブレーメンの音楽隊」がタイトルです。(「南ドイツ新聞」2011年5月23日Dieter Hanitzsch)
赤のニワトリが社会民主党、緑のネコが緑の党、へたばっているのが黄色のイヌの自由民主党と黒のロバのキリスト教民主同盟です。
跳び上がって喜んでいるのはガブリエル社会民主党党首。メルケル首相は子供のレスラー自民党党首とともに呆然としています。
すなわちメルケル首相が君子豹変して、猪突猛進しても緑の党の躍進は止められていません。最近の世論調査でもメルケル政権の脱原発政策を「信用できない」とする意見が三分の二に達していることも挙げておきます。政治家が一旦失った信用を取り戻すのは容易ではないことがわかります。
ちなみにこのブレーメンの州選挙で未成年である16歳と17歳の若者たちにも初めて選挙権が与えられ投票しましたが彼らの第一党は緑の党であり34%の得票率であったととのことです。緑の党が若者の党であることは一貫しています。
このように窮地にあるメルケル政権ですから、脱原発法をできるだけ早期に実現しなければ、事態は悪化する一方です。9月にはベルリン特別州で選挙があります。リベラルなベルリンでは緑の党が第一党に躍進する可能性もあり、首都までが緑の党に奪われれば、メルケル氏は次の連邦総選挙での政権維持は絶望的になります。彼女が何としても実現したいのは、ともかく一日も早く緑の党から、彼らの出生の証である脱原発の旗を奪い獲ることなのです。それに成功すれば、緑の党の躍進を抑えて、しかも連立相手の自由民主党は極端に弱体化しているため、あわよくば次期総選挙で緑の党と連立を目論もうとするのが、イノシシ宰相の新戦略のようです。さてこれが成功するか否か?
(この項つづきます)
(注)梶村「政権を揺さぶるドイツ反原発運動」『世界』2011年1月号